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いじめ問題を考える。第8回目。

2017-07-28 | メンタルヘルス
 7月28日 金曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


さらに重大な問題が残されています。


この世からイジメが無くならない以上、イジメの存在理由が明確に理解出来さえすれば

その対応策も容易に見出せるに違いないから、一度、仮説を立て見直してみます。


もし仮に、

この世が楽園ではなく地獄だとしたならば、イジメがダークサイドとして正論となる。

逆説ですが、

地獄社会での方程式ではイジメが複雑化するほど苦しみが増すという成功哲学だ。

だから、他人に勝つ為の秘訣が「イジメること!」だとしても何ら不思議ではないのである。

イジメだけではない。

世界中で起きている社会現象の全ての混乱が証明されてしまうから怖すぎるくらい怖い。

当然、悪が無くならないようにイジメも無くならないのだから、したがって「パワー・オブ・バランス」が重要となり、

世界は核兵器によって脅かされると同時に守られてもいるのが現代だ。

例えると、

テロをイジメに置き換えてみれば解る様に、テロを無くそうとすることは当然だが、

「力こそ正義」が必要であり、「この世に平和があるのではない。あるのは勇気だ。」と言うのが必須条件となる。

実際、地獄での法則の中の一つである自然淘汰という機能が上手く作用していること考慮した場合、

強いものから見れば弱いものが迷惑となり、上手く立ち回れないものにはイジメが与えられるというシステムがそれに当たるが、

弱いものがさらに弱いものをイジメるルールに則るならば、スリルとサスペンスの物語に人気が集まるのは仮想空間だけの話ではなさそうだ。

重要なのは、地獄でのシステム対策に効果がありそうな良策には、良いイジメ、つまり他人からのイジメを受け続けるのではなくして、

自らの選択と集中による自らのイジメを100回、積み重ねの法則を応用することによって

法則には法則で応戦する以外に成果を手に入れ、イジメから回避する秘訣が見当たらない。

失敗と同様、良い失敗と良いイジメを重ねた生涯学習こそが、「何を行うのか、よりもなぜ行うか」であり、

怠け者の弱者であっては、苦しみの人生だけで残念だが終わってしまうのが現実だ。



だから、

世界中の歴史に名を遺す偉人たちを読み解く以外に解決策はない。

歴代の偉人たちは何をしたと思う?

そう。書き残したのだと。

タルムードとは激しく問い続ける意味である。全てを疑い、問い続けるという冒険だ。

孔子は言う。「下学して上達する」と。

囚われていた主題から解放されるには、問題を提起することである。定理や公式よりも、定義を重視して。

読書を科学すると未だ謎だらけである。世間の常識を用いなければ最高の真実は説き得ないように、

知識や手段なしには対象の理解はない。対象の理解が無ければ活動は有効ではない。

人生の思いは書き残されるように、偉人たちのその言葉にはパワーがある。

様々な人生経験から得た感性による霊性こそが最高の芸術だと言うからだ。

理屈よりも楽しくなければ何事も長続きしない。大切なのは答えは一つではないことである。大きな人生は細部に思想がある。

人類はストーリーを共有するという天賦の才能が備わっているのだから、その物語を読破し、新しいストーリーを世界に発信する必要があるのだ。


「イジメの対象を全てこの世から抹殺すれば、全てが虚しく、残酷である。それはより過激に、より悲劇的に。」

















    つづく。








いじめ問題を考える。第7回目

2017-07-25 | メンタルヘルス
 7月25日 火曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


イジメ問題を考えている内に気づいたことは

どうやら、その根源には 「移民問題が影響している」 と気づき、

子供たちだけで解決出来る問題だとは思わずに、大人たちにこそ責任があるのだから、

イジメの課題は現在世界中で混乱を撒き散らしている移民問題を解決することだと考えるのです。


世界が大きく一つになろうとしている時代の転換期であることは認めるとして、

おそらく私たち現代人がグローバル社会に対応出来ていないのが現状であるから、

移民社会をいかに克服するかによってイジメ問題もよりたやすく解決されるのではないかと考えるのです。


一度、解かり易く二つに分類してみると、「旧市民」と「新市民」とに別けられる。

グローバル市民とポピュリズム大衆がそれである。

そして何より大きな違いは、アイデンティティーの違いであると仮定した場合、

新市民である移民たちに欠けている思想とはアイデンティティーを明確にすることだと結論付けます。

なぜなら、アイデンティティーの欠如によって「今」が一番大切で「今」しか考えておらず、

その点、ポピュリズムたちには「過去があり未来」が大切なのです。

移民たちの主張をよく分析すると、歴史、伝統、文化という「過去」がない。従って「未来」が描けない。

逆に、「旧市民」たちのイデオロギーには「感謝」が受け継がれてゆく「大いなる連鎖」にあるのである。

だから当然、政策が違ってきます。

まず重要なことは二つの考え方があるという認識なのです。

どちらが正論なのかは時代によって変化すると思われるから、

どちらを主張しても対立しか起きていない現状の中では、いつしかヘイト・差別・人権などが「まやかし」に見える。


ヘイトスピーチについて意見を言えば、

「帰れ!」 がなぜヘイトに当たるのかというと、

帰るところが無い人に向かって 「帰れ」 というのがヘイトスピーチであって、

帰るところがある人に 「帰れ」 と言ってもレイトスピーチにはならないのだから、

帰る場所があるのか、それとも帰りたくないのかが明確に解ればヘイトスピーチが悪用されなくてすむ。



兎に角、これらを統括して現在思いつく移民問題の解決策には、

「どこで死ぬか!」 が何よりも重要だ。

移住した地で死ぬのか? それとも祖国で死ぬかを契約すれば移民対策もお互いに同意し易くなるのである。

移民たちのアイデンティティーが中途半端で、受け入れる側のイデオロギーも中途半端ではどちらも傷付き憎しみ合うのが現状だ。

勿論、いつ死ぬかどこで死ぬかは誰にも解からないが、少なくとも以前の日本人ならば 「ここで骨を埋める」という気概があったように、

移民たちに必要なのは 「どこで死ねますか?」 この問いに答えることである。


一度、移民を受け入れたのなら、その後の生活や家族、人権問題などに対応するのが先進国のルールであるように、

人権にせよ、自由にせよ、社会保障にせよ、その土地での法律に従えない愚か者には与えられないものであるから、

移民が成功すればそれで終わりであっては混乱を招くし受け入れられないのが世界各国の事情である。


したがって、「新市民」に必要なのは、移民許可書と同時にその国でのアイデンティティーの教育がウィン・ウィンだと考える。

当然、子供たちの学校教育も同様にアイデンティティーの教育がイジメ問題解決への糸口になる。

現在の日教組は移民教団だから、先生自身のアイデンティティー教育が最優先課題だ。

先生たちの歪んだアイデンティティーではそれは教育とは呼べずにイジメだからだ。

つまり、学校内でのイジメとは日教組によるアイデンティティーの無さが原因だと結論付ける。

なぜなら、反日教育はアイデンティティーではない。それは地獄でのイデオロギーだからだ。


確かに、急激なアイデンティティーの変化は人格やその後の人生を混乱させる要素になるかもしれないが、

そもそも好きでもない国へ移民すること自体が社会混乱の原因だから、

移民することが悪いのではなくて、移民後の対応が悪いだけなのである。









    つづく。









いじめ問題を考える。第6回目

2017-07-24 | メンタルヘルス
 7月24日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なぜ、イジメが無くならないのだろうか?

もしかするとイジメは必要悪なのだろうか?

だとしたら、その根源は何なのだろうか?

イジメをウィン・ウィンには出来ないものだろうか?



日本人においてイジメ問題がこれほどまでに深刻化するには何か重要な要素が隠されているに違いない。

逆にこの「虐め」本体をイジメてやれば何か見えてくるかもしれないから、一度イジメをいじめ抜いてやる。目には目をだ。


イジメの存在理由が必然で必要なものとして、因果律や自然法則を統括して考えると、

「血が濃い」ほどイジメが表面化されやすいのではと思われる。

なぜなら、兄弟や身内ほど醜い争いを繰り返す、旧約聖書のカインとアベルだ。

実際、仲の良い兄弟姉妹はほんの稀で、仲の良い隣国が存在しないのもうなずける。

「隣人を愛す」ことほど私たちには難しい試練なのである。

旧約聖書・新約聖書・コーラン・仏教・新教宗派を一冊の本に統合して単純化すると、

「足の引っ張り合いはやめよ。」 となるのだが、未だその足の引っ張り合いを止めない人類だから、

イジメの原因を「足の引っ張り合い」としても妥当だと言えるのではなかろうか。

その逆が「協力」であるが、自己中心的で生き残る手段としては致し方ないのかもしれない。


そう考えて思いつくことは、とにかく日本人は他人の足を引っ張るのが大好きだ。

自分が勝つ為には他人の足を引っ張るのが手っ取り早い。

「出る杭は打て!」「みんなと一緒。」などが良い例だ。

「自らが幸せであるには他人が不幸でなければならない。間違っても他人が自分よりも幸せであっては不平等だ!」と。

事実、「他人の不幸が大好き」なのだからイジメが無くならないのも当然と言えば当然だ。

「他人の幸せを素直に喜ぶ」為には人生経験その中でも成功体験が必要だから子供たちにはちょっと難しい。

不安定な子供たちの「感情」が美しい大人たちの「感性」に成長していない段階での共感能力、コミュニケーションスキルには「習うよりも慣れよ」が先決だからだ。

子供たちのイジメ問題の核心はこの当たりにあるのではなかろうか。


だからこそ、自分自身で自らをイジメることが合理的となるのである。

自らのイジメによって自らが強く成長するならばウィン・ウィンとなり、イジメはそう悪くもない。

他人を弱らせることで満足を得るやり方ではなく、自らが強くなることを生きる目標目的に掲げれば

それだけで「勇者」であり「賢者」だと言えるのである。










     つづく。












いじめ問題を考える。第5回目。

2017-07-22 | メンタルヘルス
 7月22日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


逆に、いじめられたければどうすれば良いのだろうか?


人間の脳を大きく二つに分けて考えてみると、

一つは、楽をするしか能がない怠け脳と、

もう一つは、子供たちの長所である成長脳とに分けられる。

どちらも子供たちにとっては快楽なのだが、

最初の一つは、イジメから逃げることにかけては天才的だが、

後の一つは、レベルアップを続けてイジメから遠ざかるやり方だ。

確かに、イジメ事態がなくならないことは事実であるが、

最初の一つは、甘えん坊の臆病者で、もう一つは、尊敬される賢者である。

実際、怠け脳と成長脳は表裏一体、バランスが大切なのかもしれないが、

長所をドンドン伸ばすことがイジメとの距離をグングン引き離す 「ウサギとカメ」 だ。

だから、イジメから逃げてはいけないし、逃れられないのだから、

「なまけ者には用は無い!」 これがイジメる側の大義名分だ。

現実から引き籠ればいじめられっ子のチャンピオン確定となる。


社会を見渡して見れば解るように、

アダルトチルドレンの大人たちは、社会に出てからもイジメられているのが現状で、

「逃げない覚悟」の無い怠け者には大変な毎日が死ぬまで続くという悲しい現状が待っている。



私たちの毎日は何故だか分からないが苦しみや悲しみに遭遇する。

苦しみや悲しみの無い日は稀にしかなく、一年中苦しむ人たちもいるほどだ。

お釈迦様が言うように、どうやら「今」だけが「苦しむ」のではなく、

明日も明後日も永遠に苦しみが無くなりそうにないのである。

重要なことは、良い苦労をし成長快楽を存分に味わい尽くす以外に我々の生きる道はない。

したがって、感情的な対応ではなく理性的な対応で応戦する、 「賢く逃げるが勝ち。」となる。


子供たちの成長脳は段階を経て大人へとレベルアップするように、

初めは爬虫類脳から感情脳に、やがて理性脳へとたどり着く。

実際、いじめっ子の多くは爬虫類脳か感情脳である。

その中で、いつまでも感情脳だけでは強いイジメっ子に勝てず仕舞いだから、

本を読むことで成長脳を鍛え上げ、スーパーサイヤ人になることがイジメ対策の結論となる。


確かにいじめっ子が居なくなればイジメが無くなると言う理屈は分からなくもないが、

消極的な解決策ではイジメ問題が更に複雑化して行くのも自然現象の一つと言える。


だから、

1、現実から逃げない覚悟を決める。

2、感情を理性で対応する。

3、怠け脳よりも子供の長所である成長脳を楽しむ。

4、日記を書き残し、大人達の目に届けば双方の絆が強まりウィン・ウィン

であると考えます。








     つづく。









いじめ問題を考える。第四回目。

2017-07-20 | メンタルヘルス
 7月20日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


 つまり、イジメを無くそうとする馬鹿な考えはさっさと捨てて、

自らが持って生まれた能力 「本能を楽しむ」 ことで自らをイジメ抜くのです。

自らをイジメるとは即ち、「本能」 を刺激し開発し続けることなのです。

なぜなら、

人間の属性である大人たちの三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲、)が、

子供達には、食欲、睡眠欲、成長欲の三つが欲求となるからだ。

そしてこの欲求とは快楽であり遺伝子であるから、「本能」 のまま成長することが子供たちの幸せであり楽しみであって、

大人へと成長していく以上、この欲求からは逃れられないのだから抵抗は無意味だ。

実際、子供たちには社会環境を変えられる力がないから、自らが変わるしか方法がなく、

まして現代の大人たちはテレビ好きのアダルトチルドレンだから、助けを求めても無駄であり、

欲望社会にかまけている大人たちには子供たちの心の叫びが届かないのが現状だ。


日本の名著、 「葉隠」 にはこう書かれています。

「子供の頃は随分不幸せなるが良し。不幸せの時にくたぶれる者は役に立たざる也。」と。

大変厳しい現実ですが、甘えてばかりいてはいじめがエスカレートするばかりなのです。


本をたくさん読むことともう一つ重要なことは、記録を書くことです。

声に出して言えないことでも日誌や日記ならば大人たちも事実確認せざるを得ないからです。

心ある大人たちは子供たちの本音をいつでも聞きたいし教えてほしいと思っていますから、

学校という閉ざされた空間での出来事を紙に書き残すことが重要なのです。

「紙とは神」でもあるからです。

困ったことがある時は紙に書いてコピーし、表現の自由をまき散らしましょう。

必ず協力者が現れます。子供たちは日本の宝ですから。


それに「先生」と呼ばれる人間にろくなヤツはいません。本当です。

「先生」とは「先に生まれた」と書くように、なにも偉くはないのです。

本当に偉い人物とは「先生」ではなく、「独学者」 です。

子供たちが自らの意思で「独学」を行うならば、その時点で「先生」よりも偉いのです。

本物の「先生」とは、たえず学び続ける「独学者」であり「恩師」なのですが、

その「恩師」は絶滅したと考えた方が良さそうです。


もう一つの大問題、先生自身の教育を考えます。

「先生」と「犯罪者」には自らの姿を映像に残し、客観的に見せる「鏡の法則」が不可欠だ。

なぜなら、誤った自らの姿を見ることが何よりも辛い現実だからだ。

なにをどのように説明したことろで本人は何も気づかないのだから、「映像化」して

みんなで議論しあうことが本人にとって何よりも恥ずかしいし不名誉だ。

「先生」と「犯罪者」を正すにはその姿を100年後に残してみんなで笑えば気分爽快?である。


また、お年寄りたちに「老人参観」に行ってもらい、水戸黄門さまの様に、

悪行に裁きを下してもらうのも良いかもしれない。

「大切な孫と日本の未来を守る為に天誅を!」 なんてね。


本来の教育というものは、

子供たちにとっては幸せに生きる為の権利であり、親たちには義務なのだから、

「学問のすすめ」 とは 「独学のすすめ」 であると

福沢諭吉もきっとあの世でそう言っています。








   つづく。










いじめ問題を考える。第三回目。

2017-07-18 | メンタルヘルス
 7月18日 火曜日

 おはようございます。酒好きの思想家です。


 「イジメを克服する為の具体策を示せ!」


なるほど。確かにその通りだ。

実際、イジメがこの世から無くならない現実はよく解かった。

他人からイジメを受けるよりも自らをイジメ抜くことが重要だということも解かった。

イジメから逃げれば逃げるほど苦しみが増すことも承知した。

だからこそ、野球の一郎選手のようになるにはどうすればいいのか、きちんと説明して欲しい。

最もなご意見。 問題を提示するだけで終わるならば、いじめっ子と同じです。


結論から言うと、

「本脳を楽しめ!」 です。

人間の幸せは脳に比例するように、子供たちにとって一番重要な幸福感とは成長遺伝子を刺激し続けることにあると言えるのです。

なぜなら、子供脳とは私たちが考えている以上に天才脳だからだ。

教育を行う側の大人たちとは比べものにならないほどの素質である。

実際、子供脳とはテレビを見ていても成長しているし、本を読んでいても成長するのだから、

問題なのは、私たちの脳はテレビを見ているとそのテレビに相応しい脳に成るという事実であって、

重要なのは、自分の脳を「なにに適した脳」にするのかが幸福論であり快楽だ。

だから、ゲームに集中していると脳が独りでにゲームに相応しい脳を創り上げられるように、

これでは永遠にイジメから逃れられずに苦しみを味わって学校に通うのも当然の結果で、むしろイジメられた方が必然でありカモである。

そうではなくて、自らの脳を 「本脳」 に変えれば本望だ。

具体的には、テレビを見るのを止めて、ゲーム脳をリセットして、年間100冊の本を読む 「本能」 に出来れば覚醒する。

本来備わる子供脳つまり天才脳を、本を読む脳に適した脳に変えられれば 「スーパーサイヤ人」 に誰でも変身できるのである。


確かに一郎選手は本を年間100冊以上読んでいないかもしれないが、それと同様の努力をしていることは間違いないのだから、

あなたも一郎選手のように長所が明確ならば、その長所に相応しい脳を生み出すだけで余計なイジメに遭わずにすむのだが、

実際には自らの長所が解からないままなのが現状だから、その自らの長所が解かるその時までに自らの脳を「本能」にしていくことが何よりも重要だ。

現に、大人たちを見比べてみれば一目瞭然だが、本を読まない大人たちほど馬鹿にされ、搾取され、イジメられているではないか。


それに、本をたくさん読めば気づくことも多く、江戸時代の子供たちの教育方法を学べば、自立と責任の重要性が見えてくるように、

いつまでも子供のままではいられない現実を受け入れる以外に子供脳をマックス状態に働かせるのもはない。

だから、大人が創り出した摩訶不思議な社会正義などに振り回されないように、

本を読むのに適した脳を創り出せれば、必ずイジメに勝つ確率が99%、今日からいじめっ子の誕生だ。(目的が違います。)


歴史に登場する優秀な偉人たちは子供のころ何をしていたと思う?

ただ、ひたすらに本の脳を楽しんでいただけなのだ! たったそれだけである。

それだけで他人からイジメられなくなり、お金持ちになり、幸福な人生を得られるなら断然お得だ。

損をしたくなければ子供脳という大切な時間を「映像」に奪れるのではなく、「本能」 に費やせばローリスク・ハイリターン確定だ!








    つづく。











いじめ問題を考える。第二回目。

2017-07-17 | メンタルヘルス
 7月17日 月曜日

おはようございます。 酒好きの思想家です。


河村たかし名古屋市長の公約の一つに「いじめ問題を無くす」と謳っていましたが、

名古屋市を守り抜く河村たかし市長に感謝を込めてエールを送りたいと思います。

さっさといじめ問題を解決しましょう。


結論から言うと、

この世からイジメは無くならない。だからイジメから逃げてはいけない。

逃げれば逃げるほどイジメから逃れられなくなるのだから、

他人にイジメられる前に、自らをイジメ抜くことが他人からのイジメに遭わなくなる方法だ。

なぜなら、複数のイジメが同時に現れた試しがないからだ。

逆に、自らが甘えん坊だと間違いなく他人からイジメられる可能性が99%。必然である。

イジメを回避する方法は、自らが得意とすることを伸ばす為に自らをイジメることが最高だ。

なぜなら、ジャイアンのイジメから逃れるには、のび太にしかできないことでジャイアンにイジメ返せるからである。

つまり、人は誰でもいじめっ子であって、いじめられっ子なのである。

野球の一郎選手が誰からもイジメられないのは、人一倍自らをイジメ抜いているからで、

その一郎選手であってもイジメから逃げると他らかのイジメに遭うという訳なのである。

だから、この世ではイジメからは絶対に逃れられない!と覚悟を決めれば、後は行動こそ真実である。

イジメを無くそうなどと言う甘い考えはさっさと捨てて、

自らの得意とする能力に磨きを掛けることがイジメに遭わない秘策である。


もう一つ、重要なイジメ問題の本質があります。

学校という限られた教室内での隠されたイジメ問題ですが、

すでに日教組自体が反日団体であり、そこから割り当てられる教員たちも反日活動家であり、

教室内で行われている教育も反日教育で、そこで学ぶ子供たちの半数もまた反日という実態なのです。

日本の子供たちが可哀想で仕方ありませんが、その親たちも家でテレビばかり見ているから反日洗脳された大人たちです。

可哀想な日本の子供たちに残された手段は、自らをイジメ抜いて一郎選手になるか、反日の奴隷になるか、自殺するかのどれかを選択するしかないのです。


したがって、緊急に解決策を考えなければなりません。

まず、閉鎖された教室内をAIユーチューブで解放します。

反日を教育するには客観的に自分の姿を見せつけることが有効だからです。

例えると、警察の取調室による映像化はとても良いことです。なぜなら、

犯罪者の多くは何を言っているのか本人でさえ判っていないからで、

犯罪者に自らの取り調べを見せることが犯罪者の抑制になるからです。

密室での教育自体がイジメなのですから、オープンにさらけ出すことが最重要課題だと考えます。

そうだ!老人たちに孫たちの教育現場を老人参観させることもいいかも!


河村たかし市長。やりましょうよ。いじめ問題解決しましょう。

将来の日本を背負う子供たちを反日教団から守りましょうよ。





  つづく。





一票の格差。

2017-07-16 | 日記
 7月16日 日曜日

 こんにちは。 酒好きの思想家です。


一票の格差をあえて違う角度から考えてみると、

60歳以上の国民には一人一票で良いとして、

60歳以下の国民には一人二票にしてみてはどうだろうか?

なぜなら、60歳以上と以下では起こりうる社会現象が違うからだ。

分かり易く示せば、

もし仮に、東日本に60歳以上、西日本に60歳以下に分けたのなら、

当然、違った政治が行われるからである。

例えば、60歳以下の若い世代ならば、愛を歌い、恋をして、子供を産み、消費を促すが、

60以上の落ち着いた世代ならば、節約をし、ごみの分別をし、貯金をするといった、現象学である。

これらの現象をごちゃ混ぜにしているのが現代で、過去の政治理論自体になんの説得力もない。

そうなると、政治とは誰のものであり、なんの為に行うのかが重要だ。

実際、老人大国においては老人の意見に逆らえないのが政治家の悲しい現状である。

もちろん、老人と若者が共に暮らしやすい社会を創り出すことが理想だが、

そんな甘い考えでは選挙に勝てないもの承知している。

だから、あえて一票の格差を最大化してみるのも想起になると考える。

正直言って60歳以上の人たちには改革は望めない。今のままが一番である。

だからと言ってこのままではお互いの首を絞めあう政策しか思いつかず、

若者たちの一票の格差がポピュリズムを刺激してゆく。


また、もう一つ違った角度から考えてみると、

政治というものは、過去があって、現代があり、そして未来へ繋がる、大いなる連鎖にあるのだが、

日本人というアイデンティティが薄れると、「現代が良ければそれでいい!」と言うのもうなずける。

言い方を変えれば、我々現代人は過去から未来への「つなぎ役」でもあるのだから、政治の二面性である。

つまり、現代の政治の問題点は、「今さえ良ければ、それでいい!」ここが問題なのだ。

確かに、最大多数の最大幸福論ならば老人優先であって然るべきだが、

それは所詮、過去と未来を切り離した最大多数の幸福論でしかなく、

国家運営と言うよりかは、小さな社会運営だと見て取れる。

どちらも大切なのは分かっているのだが、どちらに偏っているのかも分かっているはず。

そうなると自ずと答えは「ウィン・ウィン」の出番となる。

老人が喜び、若者も喜ぶその一点にこそ我々の生きる道があるという例の「あれ」が必要だ。


ヒントは江戸時代の中に隠されているように、祭りは若者が主体であるのが例の「あれ」だ。

一度、過去から未来への「つなぎ役」として歴史を振り返れば見えてくる、例の「あれ」が。







  つづく。











お米とグルメ。

2017-07-14 | 日記
 7月14日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


お米の価値推進委員会としては、(そんなところはありません。)

お米がグルメから外されていることが何よりも重大だ。

グルメとは工夫・創作・新味覚にあるのかもしれないが、

本来のグルメとはご飯と一緒に食べてこそのグルメであって、「グルメ」だけでは単なる「毒」だ。

確かに「毒」は人間の味覚に「おいしさ」を感じさせる要素であるが、

毎日食べ続ければ必ず病気になること請け合いだ。

グルメが健康食品を生み出し、健康食品がグルメを後押しするのも気がかりだ。


実際、日本米は世界一である。

日本の農家は世界中のお米を食べ比べれば、さぞかし自信が回復すると思われる。

どのお米が美味しいかと言うと、

その土地で収穫されたお米をその土地で食べるのがどこよりも一番旨い。

なぜなら、他の土地で販売するにはコストが掛かるからだ。

新米が古米とブレンドされてもしょうがない。

そう考えると、東京人が国内で一番美味しくないお米を食べていることになる。

だから東京の人たちは「お米離れ」で「グルメ好き」なのかもしれません。

ですが、そこは流石に東京。

日本中の美味しいお米が一堂に集まっていることも事実です。

と言うことは、お米の価値推進委員会の努力不足が原因でお米が悪もの扱いされているのかもしれません。(反省)

本当に美味しいお米はご飯だけでおかわり出来ますからね。

もう一つ気になるのは、農林水産省も特保も味覚オンチに偏っている節があり、

一度、日本中のお米を食べ歩きしてみてはいかがでしょうか。
(すべてお米の価値推進委員会の責任です。)


なぜ、この時期にお米の話なのか?

お米が一番美味しくないこの7月に地元農家のお米を食べてビックリ!

炊立てのご飯がやみつきになったからです。

これが本物の日本米なら世界中の人たちをビックリさせられるものだと確信。

お米の価値推進委員会として黙っていられなかった次第なのです。
(そんなところはありません。)




  つづく。






加計学園、何が楽しいのかな?

2017-07-13 | 日記
 7月13日 木曜日


 おはようございます。 酒好きの思想家です。


 不可解な加計学園問題による安倍政権支持率低下は、

「まだ、これくらいのことも解決できないのか?」

という国民の苛立ちによるものだから、日本国民の思いを伝えると同時に、

本来ならば安倍政権に対してフィードバックを行いたいところですが、

今、フィードバックを行うとどちらの味方なのか疑問が生じますので止めておきます。


反政府組織団体にとって共謀罪はとにかく脅威ですから、

したがって日本流のテロ取り締まり法を世界に模範を示すチャンスだと考えます。

例を挙げますと、

米国ならば、法の下に多額の賠償金を求めるとか、

ロシアならば、親衛隊による包囲、壊滅作戦を展開するとか、

中国ならば、テロは重罪、よって容赦なく粛清を行うとか、

北朝鮮ならば、国家反逆罪、見せしめにして強い指導者を演出するとか、

日本なら、笑って事なきを得るにしても、

悪のいない正義になんの魅力も感じないように、

反政府組織団体のいないミッションに大義名分はない。

確かに、日本流の「受け身」は素晴らしい美学だとは思いますが、

別の見方をすれば単なる「チキン」弱腰だ。

どのみち、いつかは戦わなければならない相手なのだから、

「やるぞ!」と覚悟を決めさえすれば有志も集まるというものである。

(実際に始めたらすぐに終わる。)

重要なのは国益であって報酬である。

どの国も国家運営にお金が掛かることは承知しているから、

正義の行使による財源確保をゲットすることが何よりも必要だ。

いつの時代も悪徳団体という者たちにはことを欠かないのが現実だから、

悪徳団体を暴き、そこで得た財産を回収し財源に充てれば国家英雄伝説の誕生だ。

なぜなら、悪徳団体からの搾取は正当で妥当、合理的かつ有効手段だからだ。これをやらない手はない。

実際、テロ撲滅の旗印は現代においてグローバルスタンダードであり、その資金源を断つことが目下最優先課題なのだから、

日本政府に今必要でやらなければならないことは断固たる「覚悟」だけである。

行きついた男性社会の結末とは強い者が弱い者から搾取する社会システムではなく、

正義の行使による悪徳からの保守にあるのだから、

いつの時代も強くて頼もしいリーダーが求められると言うわけだ。


はっきり言えばいい。

共謀罪とは「国家転覆を企む組織を阻止するものである。」と。

そうすれば日本国民は安心して自民党に一票を投じるというものである。







   つづく。








タバコについて考えてみます。

2017-07-11 | 日記
 7月11日 火曜日

 こんにちは。 酒好きの思想家です。


タバコについて中立の立場に立って考えてみます。

タバコが美味しく感じられる時とは、

健康な状態であって、体調不良時には美味しく感じられないから、

低血圧で低体温な人がタバコを反対することは理解出来るとしても、

血の気が多く、常に興奮状態の人にはタバコがなくてはならないのも理解できる。

汗を流した後や食後、飲酒時や寝る前などの一服ほど落ち着かせるものはない。

反面、勉学中や仕事中、その前に吸う一服は効率を下げるから反対であり、

喫煙者たちのマナーの悪さはとても子供達には見せられないのが現状だ。

だからと言って、この喫煙者たち(血の気が多くて効率を下げるマナーの悪い人たち)を

社会から消し去ろうとすることには反対だ。

なぜなら、タバコを無くして困るのはタバコを吸わない人たちでもあるからだ。

よく観察すれば分かることだが、喫煙者の一服中はとても平和な時間でもあるからだ。

つまり、平和な時間と場所を提供できればウィン・ウィンだ。

一方的に喫煙を遮断することは両方の利益になるとは考えにくいし、

この喫煙者(血の気が多くて効率を下げるマナーの悪い人たち)を

上手に管理することもタバコを吸わない人たちにとっては常とう手段であるから、

問題なのは喫煙者を優先するのかどうかが問題であって、

タバコを吸わない人たちのレベルの高さにも問題があるとも言えるのである。

また、タバコがガンになると言われているが、そもそも人間は毒を好むように、

健康な喫煙者が少々の毒くらいでは動じないから心配無用である。

(肺ガンの多くは喫煙によるものではなく、ペットが原因だと私は考えます。)


そうすると、戦争しそうな人たちにタバコの無料化をお勧めすると言うのはいかがでしょうか。

お互いに平和な社会を望むのならばそれもまた良しです。







   つづく。












新学問一派。この世の唯一絶対的な学問の確立を。

2017-07-10 | 学問
 7月10日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


私たち現代人が犯している最大の過ちとは、

この世界に存在する唯一絶対的な真実から目をそらし、逃げ、欲望にしがみつく以外に生きる道が見いだせないところにある。

それは一見、本能のまま、快楽のまま、今この瞬間を精一杯生きている愛しい姿にも見えなくもないが、

この世の唯一絶対的な真実から逃げていては問題がさらに増すばかりである。

本来この解決は世界宗教家たちの出番なのだが、「なんちゃって宗教家」しか見当たらないのが現実だから、

いっそのこと、新しい学問を創造することが重要ではないかと考える。

その学問とは法則性を伴った誰一人として逃れられない真実による学問である。

問題なのは、この唯一の絶対から我々があまりにも遠くかけ離れた現状だという認識が重要だ。

なぜなら、この「絶対」による恐怖感に憑りつかれてタブー視しているからである。

重要なのはこの恐怖感を取り除く方法であり、これさえ除けば「後は野となれ、山となれ。」だ。

実際、私自身、恐怖からの解放を実現している。

私はけっして特異体質ではなく、むしろ、かなりの出来損ないだ。

従って私に出来るのだから誰にでも出来るということになるから責任重大。私の説明能力に掛かっている。


自然の法則はいつだってシンプルイズベスト、単純さの中に真実が隠されているように、

神々は我々に判りやすく「たった一つ」を示されているのであるから、

そこから全てを考え見出すことが「新学問」という答えである。

それでいてこの「新学問」は万能。応用可能。ありのままを映し出す鏡でもあり、

現代学において解決できない方向性に一光を放つ役目を果たす。


私たちはただ、「恐怖からの解放」を志すだけで良いのである。

すべての社会現象をまき散らす得体の知れない正体は、この「恐怖」によって牛耳られているのだから、

この「恐怖からの解放」こそが自由・平等・友愛へのマスターキーであり幸福への扉が開かれる。


必ずや、「新学問」が世界貢献、人類貢献を達成するものと確信しているから、

こう、ご期待!








   つづく。








もう一つの不確実性。なぜ、心理学が学問だと認められないのか?

2017-07-03 | 社会問題
 7月3日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


もう一つの不確実な学問。心理学についてです。

なぜ、心理学が学問だと認められないのか。

なぜ、心理学はとかく悪用されがちなのか。

なぜ、心理学好きな人たちは嫌われるのだろうか。

この三つの疑問を手掛かりに心理学を美しい学問へと変える方法を見出します。


答え。 「ウィン・ウィン」 が心理学に足りない。

つまり、心理学を学問に認めさせる方法は、

心理学の基本理念を「ウィン・ウィン」とすれば達成だ。

なぜなら、ウィン・ウィンを目的とする心理学が成立すれば、

グローバル社会にとっては必須教科となるからだ。

実際、現在の心理学とはどうゆうものかよく見ると、

1、相手の心を読んで悪用し、

2、相手の行動をコントロールして悪用し、

3、相手を上手くマネージメントする、

最悪の評価が与えられているのが現状だ。

これではいつまでたっても人間関係が上手く行かないのも無理はないし、

まして金儲けの為に応用されていては元も子もない。

そう言えば、心理学に長けている人を見ると、他人をコントロールするのが大好きである。

コントロールする側は快楽かもしれないが、される側はごめんだ。


現状を分析すると、社会は良い方向へ向かっているとは必ずしも言えないように、なぜだか解らないが悪い方向へと突き進む。

そこで一度、社会を単純化して考えると、

人間は一人では生きていけないように、二人ではいがみ合う。

三人では競い合い、四人では対立を起こす。

多数ならどうなるのか? 人間が集まれば集まるほど、首を絞め会う。


つまり私たち人間に問題があるようです。

それともやはりこの世に問題があるのかもしれません。(両方かな?)

言い方を変えると、「テレビに思想はあるのか?」「心理学に思想はあるのか?」です。 

無責任は情報によるコントロールでは痛み分けでは済まなくなるし、

感情人間と欲望社会とでは世界に不確実性がさらに増すのも無理もないことだから、

従って、心理学の基本理念に「ウィン・ウィン」を取り入れることが人類貢献だと結論付けます。




  つづく。








EUと英国について。

2017-07-02 | 社会問題
 7月2日 日曜日

 こんばんは。 酒好きの思想家です。


世界が動揺している問題です。

結論から言うと、

西ヨーロッパ諸国をEUだけでは問題解決に時間が掛かり過ぎてしまうから、

巨大組織EUと単独の英国とで協力しながら西ヨーロッパ諸国を発展していく。

言い方を変えれば、英国のEU離脱という、「離脱」この一字に囚われるのではなくて、

「離脱」 ではなく 「分断」 でもなく 「分離」 である。

なぜなら、融合と分離を繰り返す社会システムが自然原理だと考えるからです。

イメージとしては細胞分裂による進化と保存、これでウィン・ウィンだ。

実際、世界平和の実現と開かれたグローバル社会において

EU単独で成しえようとするのは難しいのが現状だから、

英国が率先してEUから融合と分離を繰り返して問題解決を繰り返せば、

短期的な答えと長期的な答えが見えやすくなると考える。

重要なのは開かれた社会であって隠し事の少ない社会だから、

間違っても自己中心的な意地の張り合いだけは避けなければならないように、

現代の我々が必ずしも正しいという保証はどこにもない。

目的はヨーロッパの発展が世界の発展につながることがウィン・ウィンだから、

英国にはその実力があると私は思うのですがいかがでしょうか。



   つづく。