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動物進化論は地獄でのルールである。

2020-02-29 | 文学
 2月29日 土曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


ダーウィンが発見した進化論は確かに優れた一つの事実だが、

無情な命令に属する地獄のルールだ。

それは従属的であり、自由意志と呼べるものでは決してない。

つまり、進化論とは地獄論の一つである。

それを発見したのが他ならぬダーウィンだ。

自由という主体性には 「いい気分」 になる為の条件であるはずが、

過去、人類が複雑な世界を理解し損ねた現象に過ぎなかったのである。

良くも悪くも人類はすでに外的な環境によって世界を支配しており、

好むと好まざるとに拘わらず自然環境を破壊してきた。

そう、かつてのロスト・ワールドのように。

ダーウィンのいう動物進化論は、原始進化論は、

誰もが自然淘汰に関心を持ち、

誰もが生存競争という一つの答えを持っていた。

それは完全には間違っていなかったが、

それは完全に正しいという者もいなかった。

過去、善良さは残酷という代償によって幸福を満たし、

過去、悪行への道のりは善行によって導かれていった。

そして何よりも最悪なのは、「やられたらやり返す」 という

この悲劇的で無情な 「対立」 が人類史において

もっとも具現化されてきた事実である。

「対立という名の」 エントロピーの矢が放たれたのだ。


ある動物をして他の集団のために自己を犠牲にするように仕向ける衝動は、

集団に対する優位を獲得する上で極めて合理性があることは理解できる。

自分自身の利益になると判断されれば、

あらゆる生物は当然のことながら仲間を助けると予測される。

反面、自分自身だけの利益が確定した状態においては、

他者を平気で見捨て裏切り感情的に騒ぎ立てながら、

それまでの善人さとはうって変わりゆっくりと仮面を剥がしてゆく。

どんなに性善説を信じていても、

どんなに神を気取って善人を装ってみても、

偽善者の血が流れていることに気づくだろう。


一体なぜ、人間よりも果てしなく偉大な英知を備えた神が、

一体なぜ、限定された自然淘汰を発明したのだろうか。

本当に、自然の理法は初めから終わりまで生存競争であるのか?




    つづく。



人類のビジョンとは。

2020-02-28 | 文学
 2月28日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


利他的ミームが問う、「愛する力」 は難問だった。

人類が解決しなければならない大問題だった。

それは現代に至るまで、激しい論争が今も続いている。

戦争か。平和か。

神が我々を地獄に堕としたとしても、

身を伏せて地獄のルールに従うつもりなどさらさらない。

人類にとって最大の幸福を実現するための最善の条件が何であるかにせよ、

社会の苦悩に対する答えを見つけることは

もはや、学問のレベルではないのだ。

文明の発展 - 存在理由 - 自然科学 

そして、我々が受け継いだ進化とい名の遺産。

遺伝子進化論が問う 「適応者」 は一見、

大胆不敵な提案に思えるかもしれないが、

よくよく考えてみると、「良いところ取りの楽天主義」 だ。

そうでもしなければ地獄のルールに縛られて、

救いのない絶望への道のり、それ以外なにも意味しないのだ。

そしてもう一つ、重大な問いが残される。

私たちは一体誰と戦うのか? 真の敵はだれか?

そういった明確さに対する確立したビジョンが

十二分に明かされていないのが最大の問題なのだ。

敵が見えないミッションに正義が歪む。

もしも、人が自然から受継いだ進化が暴力を許してきたのならば、

もしも、自然法則が報復による戦争行為を許してきたのならば、

もしも、進化の過程が地獄のルールに沈黙せざるを得ないのならば、

天性の本能か - 自然の文化か - 与えられた必然か。

真の調和によるバランスはどこに由来するのか。

私たちが受け入れている進化の論理の中での倫理あるいは、

理性は、良心は、永遠に続くものと信じてよいのか。

この世界は一体なにが起きているのか? その名案は?

争いか ー 仲間か。

個人か ー 団体か。

自己愛か - 隣人愛か。

本当の善良さ又は真の正義は何処からきて何処へ向かうのか。

人と自然。- 真実と暴力。- 欲望と逃避。

いかんともしがたいほどに絡み合っているこの世界で、

本当の自然状態とは何なのか?

どうすれば世界にバランスを、平和をもたらされるのか。

そして究極的には、何のために? 




     つづく。



私たち人間の突然変異とは。

2020-02-27 | 学問
 2月27日 木曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


この世では、

絶対に忘れていけないことがあるのです。

それは、この世が地獄であるという事実をです。

実際、地獄を喜んで迎い入れるなら、

森羅万象 : 総ての謎が解き明かされるように、

地獄 : あるいは人間の中間的な状態、

天国 : 神によって準備された一つの試練である。


ウィン・ウィン国王は 「適応者」 という

明確なビジョンによって自然淘汰を制したかに見えたが、

そう単純ではない。

なぜなら、ヒトの脳は欠陥によって変異したものだからだ。

人間の進化は欠陥によってもたらされたのである。

だからあなたが 「欠陥者」 だとしても問題ない。

本来、動物にとって脳の肥大は生存競争において命取りだ。

それは生存上有利な方法では決してないのである。

だから他の動物は脳を肥大させようとはしない。

脳が肥大すれば頭が重くなり重心が高くなるにつれ動きが鈍く、

見た目も悪く、捕食や攻撃に不向きとなり、

そのため、動物は遺伝子で脳の肥大を防止してきた。

しかしどうゆう理由からか、

人類だけが約300万年前に脳が何らかの原因で欠損した。

この時に突然変異が起きたのである。

私たちは欠陥によって進化した 「欠陥品」 なのだ。

「適応者」などと、カッコイイものではない。

また人類は強い顎を欠損し、同時に

完熟した果物しか食べられない弱い胃腸しか持たなかった。

そのため、火を用いた調理を憶え、鉄を生産し、世界を支配した。

脳の基礎代謝エネルギーは筋肉の16倍、

体重の約2%の脳が体全体の20%のエネルギーを消費する。

脳はまぎれもなく私たちの長所であろう。

しかしそれでも 「欠陥品」 なのである。

なぜなら、「怠け脳」 だからだ。

「怠け者、世にはびこる」

「長寿の秘訣は、怠け者であれ」

「社会の未熟さは、怠け者で測られる」

すべて地獄での黄金律の一つであるのだ。

ウィン・ウィン国王がどんなに抵抗しても無意味だ。

人間は地獄に屈するしかないのだ。




     つづく。


2月23日 天皇誕生日。

2020-02-23 | ウィン・ウィン王国
 2月23日 日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


では、「ウィン・ウィン王国の一曲」 をどうぞ。

デビルマンの替え歌で 【 最適者。適応者。】



♬~♬ 「あれは誰だ。誰だ!誰だ?」

♬~♬ 「あれは突然変異で進化した最適者。適応者!」

♬~♬ 「裏切り者の名を受けて、すべてのために戦う男。」

♬~♬ 「利己的ジーンは、我が闘争。利他的ミームは、団結力。」

♬~♬ 「利己的ジーンは、生存競争。利他的ミームは、博愛心。」

♬~♬ 「悪魔の力、身に着けた、正義のヒーロー。」

♬~♬ 「 最適者。 適応者! 」


(酒好き)

【解説しよう。人間の脳は突然変異から進化した遺伝子進化論だ。】

【ダーウィンが話す 「やられたらやり返す」 だけでは、】

【 自然淘汰 = イシュタル に過ぎない(死刑執行人)】

【一体、我々人類の目的とは? 神か。悪魔か。適応者か。】

【現在、生き残っているのは、まぎれもなく生き残る能力に最も適したものだからだ。】

【 適応せよ! 最適者たれ! すべては生き残るために! 】


(2番)

♬~♬ 「あれは誰だ。誰だ!誰だ?」

♬~♬ 「あれは突然変異から進化した適応者。最適者だ!」

♬~♬ 「初めて知った人の愛。その優しさに目覚めた男。」

♬~♬ 「爪と牙を血で染めるのは利己心だ!」

♬~♬ 「仲間に命を預けるのは利他心だ!」

♬~♬ 「情け容赦のない報復を繰り返すのは利己心だ!」

♬~♬ 「潜在能力を発揮できるのは利他心だ!」

♬~♬ 「悪魔の力、身に着けた、正義のヒーロー。」

♬~♬ 「 最適者! 適応者! 」


(3番)

♬~♬ 「あれは誰だ。誰だ!誰だ?」

♬~♬ 「あれは突然変異で進化した最適者。適応者!」

♬~♬ 「愛する人を守るため、命を捨てて闘う男。」

♬~♬ 「社会を破滅させようとする、利己的ジーン!」

♬~♬ 「他の集団と共存しようとする、利他的ミーム!」

♬~♬ 「対立こそが成長のカギだ!と叫ぶ、利己的ジーン!」

♬~♬ 「それでも自然淘汰に調和を呼びかける、利他的ミーム!」

♬~♬ 「悪魔の力、身に着けた。正義のヒーロー。」

♬~♬ 「 最適者! 適応者! 」  ♬~♬。






      つづく。




ダーウィンの原始進化論。

2020-02-17 | 学問
 2月17日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


社会に混乱を招いたダーウィン進化論に終止符を打つためにも、

新進化論を完成させねばなりません。


誰もが人類は特別だと思い、確かに疑う余地なくその通りだ。

例え個人のあらゆる種がそれぞれ比べようもなく個性的であったとしても、

逆に人類の特異性が本来の意味で特別でなかったとしても、

あるいは進化が、どれだけ自分自身に都合よく解釈されたとしても、

人類の進歩が他の動物から区別されたことには間違いない。

端的に説明すれば、

新進化論とは遺伝子の二重らせんによるものである。

脳は進化によって出来た器官だ。

この器官の中には二つの性質が備わっている。

進化という名の 「利己と利他」 だ。

人類進化の中で淘汰を生き抜いてきたと説明するには、

遺伝子による二つの顔を持つ振る舞いが最適者だ。

共存共栄を分かち合う集団を楽しむ利他的ミームと、

他人に対して残忍な行動を楽しむ利己的ジーンによる、

遺伝子進化論での利己と利他、双方を兼ねた振る舞いによる二重性、

二つの遺伝子に対して対立ではなく相互依存による、

遺伝子進化論の適応性と最適者とは、

利己的ジーンと利他的ミームの比率を以て発展した時にのみ保証されるものであって、

どちらかに偏ってはどちらも淘汰の対象となるのである。

重要なのは比率とバランスなのである。

ダーウィンによる進化論は動物進化論であり、

自然淘汰は初めから終わりまで競争的だという。

次に、進化生物学が現時点で調和を保守している。

過去、この二つが対立し合っていた時代、様々な淘汰が具現化した。

代表的なのは二つの世界大戦であろう。

この戦争によって数知れぬほどの生命が淘汰されたのだ。

つまり、競争、闘争、共生、団結など、

どれもみな全てが淘汰の対象であったのだ。

過去、進化は相手を打ち負かすものと思われていたが、

そうではなく、共生にこそ希望があるとも考えられた時代、

動物哲学にせよ、生物学にせよ、自然科学にせよ、

人間だけが食物連鎖から逃れて、また脳の突然な発展には、

ゆっくりとした自然の中での突然変異であると疑う余地はない。

突然変異での人間の脳の発達による遺伝子進化論なのである。

少し比喩的だが言い方を変えれば、

脳には二つの性質が備わる。利己的なジーンと利他的なミームだ。

どちらも同じ人物であり、誰にでも備わる人間の長所だ。

この長所を発展させることが新進化論の目的であり、

動物進化論と進化生物学による過去の対立とはこれでさよならだ。

利己的なジーンは攻撃的であり、利他的なミームは協調的だ。

どちらが良いか悪いかではなく、どちらも自分自身なのである。

重要なのは、

この二つのどちらかに偏りすぎればそれが淘汰の対象になることである。

つまり、利己的でも利他的でも生き残れないのである。

最適者とは一体誰なのか? 人類が解決しなければならない難問だ。

過去、ダーウィンによる種の起源が社会を利己的へと導いた時代、

全ては自然淘汰によって強いものだけが生存可能だとするかなり強引な理論が人々の感情を支配した。

自然が牙と爪を血に染め、情け容赦のない闘争が繰り返されていた時代、

自然が一つの大きな蒼然たる闘争。残酷で過激な競争社会での生存闘争という理由。そして適応性。

その適応性がより強いものだけが生き残ることで進化がもたらされるという、

まるで地獄のルールブック。相手を殺さんばかりの競争をそそのかすようなものである。

ダーウィンの自然淘汰が地獄論でいうところの 「絶望という科学」 であるにしても、

この情け容赦のない生存闘争において生き残りを賭けたプログラムに終止符を打つのが新進化論だ。

いつまでも 「我が闘争」 が自然法則だと言っていては

第二のアドルフ・ヒトラーを再現するだけであるからだ。

それに対して、

共生が成せる業、利他的行動の主張には、

もっとも気前が良い自己犠牲がどうして自然淘汰を生き延びることが出来たのか?

利他行為には相互協力による利益がある。最適者にとってこれ以上の武器はない。

生存闘争において生き残ることが最大の使命であり相互援助が実際には最適者として生き残るのだ。

ホメオスタシス。体内の細胞が生物個体全体の利益のために機能しているのと全く同じように、

各個体は集団に貢献し従属するようになり、またアナロジーに向けられた「内部環境」を

制御、調整、維持させて集団に貢献している生物学と生態学の原理によるものである。

ホメオスタシスは部分と全体の対立に対する解決策である。

個人の利益と集団の幸福の間のかじ取りにおいては、

相互依存によるバランスと比率に懸かっている。

どちらにしても、これらの答えを全て自然に当てはめて今日まで激しい論争が続いている。

ある動物として他の個体の為に自らを犠牲にするように仕向ける行動は、

第三者に対する優位を獲得する上で究極的な合理性があることが解る。

自分の利益につながるところでは、あらゆる生物は当然のことながら仲間を助けると予想される。

個体を受け継ぐ遺伝子。集団を破滅さようとする個体。他の集団と共生しようと試みる集団。

利他的行動が利己的行動と共に進化してきた事実であろう。

それは何らかの目的に適し、何らかの秘められた天性の尺度として進化に通じる道であろう。

ここで一つ重大な疑問が浮かび上がる。

本来の利他的行動とはそもそも存在するのかという疑問である。

全面的に自分自身の利益のために振る舞う機会が与えられたら、

利他主義を装ってみても偽善者の血が流れていることに気づく。

相対的に見ても利己には利他が無ければ、また

利他には利己が無ければ生まれないのではないか。

善悪同様、幸福と苦痛と同じように表裏一体ではなかろうか?

民主主義の正義と自由市場。共産主義と平等への期待。自立と団結。

私たちの進化はどこに向かうのか?

生命誕生から人類進化への壮大な歴史物語である。

闘争か。平和か。 共生か。対立か。

この世界が地獄であっても法則さえ解れば対応可能だ。

文明をもたらした人類にとっての適応性と最適者。

私たちが暮らす地球の守護者としての使命。

それはミームとジーンによる、二つの性質の比率(バランス)にあるのだ。



   つづく。


依存症とは。

2020-02-16 | 社会問題
 2月16日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


今年、新たに一人暮らしを始める人も多いと思います。

一人暮らしの経験が長い私の考えでは、

哲学的な問いの一つ、「人は何処からきて、何処にゆくのか?」

その答えは今以て誰にも解りませんが、

しかしそのカギを握るものは 「自立」 にあると言われています。

ですから 「自立」 することは良いことでしょう。

だからといって同時に心配事が生じるのです。

それが 「依存症」 なのです。

人は弱い生き物です。

常に何かに依存しなければ生きられない「弱き子羊」なのです。

依存しなで生きられる人間は皆無といっていいのです。

例を挙げれば、

お金、愛、神様、家族、友人、仕事、音楽、スポーツ、スマホ、ゲーム、

これらは比較的悪い依存ではないのですが、

それでも一つにだけ特化すればたちまち依存症に陥ります。

お金なら拝金主義者に、愛なら盲目に、家族なら引きこもりに、

また、一人だけの友人では裏切られた時に立ち直れないように、

依存と依存症との違いは、

一つに集中するか、分散させるかで依存度が変わります。

さらに悪い依存。怠惰による依存症には、

性欲、ギャンブル、お酒、ドラック、暴力、など、

興奮状態によって快楽を引き出す依存症です。

科学的には楽しい感情と興奮状態によって、

脳内麻薬を分泌させて病められなくなるのですが、

その為の対策が、

楽しい快楽と興奮状態を分散させることで依存度を調整します。

結論を言えば、

良い依存をとことん追求しメチャクチャに楽しめばいいのです。

逆に一番悪い依存は、

中途半端な依存、好きなのか嫌いなのか解らずに惰性的な依存です。

まずは一度、

子供たちによる 「ゲーム依存」 から考えてみます。

よく耳にすることなのですが、

ゲームが出来ない環境に置かれれば

ゲームをしなくなると思われがちなのですが、

実際にはゲームを飽きさせる、

楽しみを増幅することで依存症を回避します。

好きなことを焦らされればブチ切れるのは当たり前ですから。

1、ゲーム機を一台にせず分散する。

2、ゲームソフトを一つに集中する。

3、ゲームをしながらユーチューブを見る。

4、音楽やワールドカップにハマってみる。

5、自宅よりも外で出来る環境を作る。

6、ゲームが上手な人のマネをする。

7、似た者同士でレベルを上げる。

8、友人に勝つ。または負ける。

9、好きな人ができる。

10、人に好かれるようになる。

問題が残ります。

家に帰って一人になると再びゲームを始めることですが、

惰性によるゲームを趣味に高めることです。

仕事とゲーム。お酒とゲーム。趣味とゲーム。友人とゲーム。

仕事と遊びとお酒と食事と趣味と友人とゲーム。

依存症かな?と思ったら、

その依存するものを複数に分散するのです。

収入を分散し、異性の友人を分散し、快楽を分散させるのです。

お酒を分散し、ギャンブルを分散すればかなりの時間と労力が必要になります。

どんなに優れた脳にも限界がありますから、

脳がそれ以上は無理だと判断させれば脳内麻薬は分泌されない。

したがって依存症には、

中途半端な慣習が発達した依存がほとんどですから、

計画的に良い依存度を上げることをお勧めします。

目指すゴールは 「趣味の哲人」 です。

何事も没頭すればどんなことでも楽しみに変わるように、

依存症もやり方次第では利用価値があるのです。

要するに良い依存と悪い依存との比率です。

80%の良い依存の分散と

20%の悪い依存の分散をイメージするのです。

どんなに優れた名人であっても、

人には必ず変態性が隠されていますし、

完全無欠な善人などフィクションです。

心理学の祖フロイトが肛門愛で示すように、

自らの変態性に気づきそれを少しづつ開放することで、

ベルクソンの言う、

圧縮された欲望は危険な方向へと大爆発するのを回避するのです。

したがって依存症対策には、

鉄格子による飴と鞭による管理や精神安定剤で治る類のものではなく、

そもそも人間は弱い生き物であり、

だから常に何かにすがろうとするのですから、

依存症のメカニズムを理解し、

活用することが何よりも大切なことなのです。

一人暮らしを始めるにあたり、

環境が変われば新しい依存を探さなければならなくなります。

ですが依存症が何なのかを理解することで自分を導くことが出るのです。

おすすめは、サークル活動やクラブに所属するのが良いでしょう。

とにかく、

依存症が無くならないのはそういう理由なのです。




   つづく。



愛が説明できなければ、そこに愛はない。

2020-02-14 | 
 2月14日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


五年前に比べれば、

愛をブログにしても笑われなくなりました。(良かった)


私たちは大嫌いな人を通じて、

本当の愛が何なのか考えようとするものです。

不幸な環境が真の愛を見出す手助けになるように、

愛は指導しなければ方向性を見失い、

悲劇が起こるべくして起きるのには、

愛が上手く説明できないからだと思われるのです。

そこで再び、愛とは何ぞ? です。

繰り返しになりますが、二つの説明で示します。


1、自己愛と隣人愛の二つに分かれる。

2、性欲愛と感情愛と理性愛の三つに分かれる。


1は、利己的な愛と利他的な愛のカタチです。

疑問があるのですが、

自己愛同士(利己的同士)それは、愛と呼べるのでしょうか・・・?

呼ぶとすれば、競争愛、闘争愛とでも呼ぶべきでしょうか?


2は、性欲愛(動物愛)と感情愛(子供愛)と理性愛(大人愛)です。

性欲愛同士によるカップルは、・・・それはそれでよいかもしれないが、

感情愛同士によるカップルは、交互にヒステリーを繰り返すだろう。


目指すゴールは、理性愛同士による大人愛です。

そして自己愛と隣人愛、性欲愛と感情愛と理性愛を

あわせ持った人物が 「人間愛」 の証だと。

だから、子供には愛が判らないし人間愛がない。

当然、アダルトチルドレンにも大人愛がない。


逆に、大嫌いな愛について考えてみると、

1、自分のことしか頭にない人物。

2、エッチのことしか頭にない人物。

3、ヒステリーでしか頭にない人物。

さらに最低で最悪なのは、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルだ。

そんな人物とは決してショア出来ない、する気もない。

仲間と一緒にクラブやコンパに出かけて、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルに出くわしたら悪夢の始まりだ。

理想の愛を求めるはずの空間が、サカリある失敗に終始する。

また、愛を一つに絞り込むことも危険なのである。なぜなら、

たった一人の愛だけでは、人は盲目になり心を病むからだ。

愛によって曇り空を突き抜けた先には、

なんの恐れも感じさせぬ予兆が訪れるものである。

たとえそれが唐突で、馬鹿げて、束縛的で、激しいものだとしても、

愛は神によって準備された一つの試練なのかもしれません。

神はどんなところにでも、常に私たちにメッセージを送り続けた。

この世界に意味のないものは何一つなく、

それは細部にも愛が宿るものであるのだと。




    つづく。


日本だけの「義理チョコ」論争。

2020-02-11 | 
 2月11日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


冬の風物詩である2月14日バレンタインデー。

そこには冷たい空気を過熱させる大きな論争が存在する。

「義理チョコ論争」 だ。

「義理チョコとは一体なんだ!」 について

いよいよ決着をつける時がきたようである。

答えはこうだ。

「義理チョコ」 とは女性が男性へ贈る 「隣人愛」 なのだ。

「義理」 とは 「義務」 ではなく、「善意」 だ。

それにしても 「義理文化」 は偉大だ。

自己愛だけでは一生涯、

手に入れられない誰もが求める隣人愛を、

難なく目に見える形で手に入れられるという、離れ業だ。

人と人を結ぶつけている冬の風物詩に

愛が判らない外部の人間にとやかく言われる筋合いはない。

流石、我らが日本人だ。

日本こそが世界で一番隣人愛の国 「ガンダーラ」 だ。

ことの発端は感情的な 「嫉妬」 だ。

確かに 「義理チョコ」 は 「本命チョコ」 ではない。

「本命愛」 ではないかもしれないが 「隣人愛」 には違いない。

感情で表す愛のカタチを感性で示すやり方に、

世の男性の 「メンツ」 は保たれた訳だ。

「義理チョコ」 の存在価値とは 「隣人愛」 であるように、

問題なのは、それに費やす金額である。

一体、「隣人愛」 の相場はいくらなのだろうか・・・?

(販売者に尋ねてはいけない。)

出費による課題は今後も尾を引くことだろうが、

それでも解ってもらいたいことが一つある。

「隣人愛」 が新たなストーリーを演出する可能性を

「義理チョコ」 が秘めていることをだ。

常に 「自己愛」 を求め続ける

「本命」 だけでは決して得られない

「安心感」 がそこにはあるのだ。

「義理チョコ」 が受け入れられる理由。それは

華やかさによるものでもなければ、

高額なものでもなく、まして

いびつな下心が隠されている訳でも何でもない。

「義理チョコ」 それは

与える者が共感する愛と同じく与えられる者の目の中に映る一つの事実。

そう。愛のカタチであるのだ。



    つづく。


NEO進化論

2020-02-10 | 学問
 2月10日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


ウィン・ウィン王国を設立する前に

片付けて於かなければならないことがあります。

それはダーウィンの古典、

強い者だけが生き残ると言う進化論だ。

偉人ダーウィンが話すように、

自然淘汰にせよ、適応者にせよ、突然変異にせよ、

身体的、生物学的、社会的、倫理的な問題は全て、

自然界の法則と同じように、最適者という進化論にある。

植物連鎖を制した人類にとって、

最も聖なる闘争と競争が進歩的に見えたとしても、

長い目で見た文化の前進をもたらすのは、

遺伝子から見たネオ進化論である。

ここで一度視点を変えて、

二千年以上続く成熟した文化を持つ

日本の歴史から答えを導いてみたいと思う。

歴史のサイクルとして、

過去、

1、戦国時代。強い者だけが生き残る(やられたらやり返す)

2、江戸三百年の太平天国(借りは返す)

3、大政奉還、軍国主義(やられたらやり返す)

4、民主化と繁栄と自由化(借りは返す)

現代、

5、グローバル化による混乱と内戦(やられたらやり返す)

未来、

6、ウィンウィン社会による調和(借りは返す)

7、自然破壊による覇権争い(やられたらやり返す)

8、自然法による世界統一(借りは返す)

世界各国を見渡してみてもどこも似たり寄ったりだろう。


進化と適応。(借りは返す)

報復的な行動を欠く集団は、

反復的な行動に従って闘争に敗れるだろう。

しかし個人が闘争に勝利したからといって

社会的な行動が無ければ長続きしない。

ある個人にとっての最適な戦略は常に

他の集団の行動に依存することである。

また同時に、

利己的と利他的のどちらが強いのかという問いに対して

一見、利己的な性質が勝るように見えるが、

実際には利他的が報復を仕掛けるならば、

集団による利他的が闘争に勝利すると考えられる。

なぜなら、自らの為の闘争よりも

誰かの為の闘争が潜在能力を発揮できるからである。

父親は家族の為なら強くなり、母親は子供の為なら強くなる。

社会は個人の為に強くなり、個人は社会の為に強くなるのだ。

現在の闘争と競争は、

他者の失敗という代償によって得られるが、

いかなる社会情勢においても、

利己的と利他的との間に差し引かれた利益が

闘争に掛かる費用よりも大きければ利他的行動は進化するだろう。

言い方を変えれば、

わざと敵を生かして己を磨けだ。

どちらがよりその場で最適者としての適応度が高いか。

植物連鎖を逃れた人類の進化には、

出費と利益、リスクとリターン、損得勘定が働いている。


    つづく。


「北方領土の日」

2020-02-07 | 歴史
 2月 7日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


1855年、択捉島とウルップ島の間に、

国境を定めた日露通好条約が調印された50年後、

世界は白人至上主義の手による植民地支配の完成のさ中、

突然、予期せぬ番狂わせが起きた。

「バルチック艦隊、極東にて、全滅。」

世界最強と評した無敵のバルチック艦隊が、

世界の最果で何者かの手によって全滅したのである。

こうして日本が文明国と呼ばれるようになったのは、

ロシアから極東を守り抜いた1905年、

日露戦争に勝利したロシアのおかげである。

当時、東洋の小さな島国が列強諸国に打ち勝つなど、

誰も予想しなかった出来事であった。

その後、日本はポーツマス条約により南樺太を獲得、

韓国の保護権と遼東半島の租借権を手に入れた。

明治政府は韓国総監府を設置。伊藤博文が京城に出向く。

ロシアによる極東進出を是が非でも防いでみせるというシナリオが、

五族協和(韓国、北朝鮮、モンゴル、中国、日本)、

大高麗国設立という計画へと進んでゆくのである。


1914年、第一次世界大戦が勃発。

ロシアはレーニンによる革命が成功し、

世界初のプロレタリアによる共産主義国家が誕生した。

その革命家レーニンの死後、トロツキーが追放され、

ソ連は秘密裏にスターリン体制に入っていく。

1939年、第二次世界大戦へと突入。

歴史上最悪と言われる暗黒時代の真っただ中である。


モスクワが東京に宣戦布告したのは1945年8月8日、

一つ目の原爆が広島に投下された二日後のことである。

二つ目の原爆が長崎に投下されるのは承知していた。

ソ連軍が敗戦後の日本の戦場に留まっていたのは、

たった、六日間に過ぎなかった。

スターリンには平和の実現者になる気などまったくなかった。

独裁者は最後の最後に戦争に加わり、

戦勝国として報酬を要求出来る立場に立ちたかったのである。

実際に太平洋戦争を4年近く戦い抜いてきた米国とは違い、

隣国の地でありながら、せいぜい150時間足らずの戦いで、

しかも相手が武器を手放した後でしか戦っていないのである。

戦争とはそういうものだ。

漁夫の利を得たソ連は、

南樺太、北方四島、満州、朝鮮半島を戦利品とし、

占領が終わった時点で浮き彫りになる日本の弱点を上手くついたのである。

後先のことなど考えない。強ければ良いのだ。

こうして北方領土はロシアの領地(勝利品)となったのである。

問題があるのはソ連か?

それとも戦争に敗れた私達なのか?



    つづく。


敗戦後の日本の記憶。

2020-02-04 | 歴史
 2月 4日  火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


団塊ジュニア世代である私自身は

戦後から数えれば二世代目にあたる。

敗戦後、豊かになった日本に見えたが、

全学連による内ゲバ闘争の激化や、

沖縄返還と安保条約をめぐって激しい対立もあった。

中国との関係が次々にギクシャクしていったのも事実だ。

だが、

それを上回る高度成長が救いだった。

波の乗った所得倍増計画によるはずみであり、

いわゆる集団就職による高い賃金と、

都会生活におかれた個人の所得が跳ね上がったことである。

1965年(昭和40年)制約は次々と取り除かれ、

その後、6年~7年間の成長率は年12%を超え、

1960年(昭和35年)、約250億ドルだった日本のGNPは、

1970年(昭和45年)には、二千億ドルに達し、

1980年(昭和55年)には、一兆ドルを超える。

1960年(昭和35年)の国民所得は、

1970年(昭和45年)には、

アメリカやフランスに近いところまで、

一般国民の生活水準を引き上げ、

日本のGNPは英国、仏国、独国に近づいた。

同時に、休暇を楽しむ余裕も高まった。

当時、三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が、

自動車、マイホーム、ハイテク家電へと

見る見るうちに格段と変わっていった。

労働者のエンゲル係数は50%を超えていったのである。

賃金は年率15%の上昇、

商売の神様は 「消費は美徳だ!」 と高らかに言い放った。

何もかもが 「うなぎ登り」 の威勢のよさだった。

それは日本人が贅沢になったのではなく、もう一度再び、

自信を持つことに大きな意味があったのだ。

いわゆる日本流の国民総中産階級である。

娯楽拡張や文化の再現、高水準の教育はもちろん、

海外旅行は自らを発見するだけではなく、

世界を日本流へと発見していったのである。

これらの流れに火を付けたのは、

まぎれもなく南北朝鮮戦争だった。

日本の繁栄には、ソ連と中国が北朝鮮軍を使って

釜山近くまで迫ってきたおかげである。

特需景気に沸いた時代だった。

日本は対外貿易の重要性を自覚していったのである。

軍事拡張などせずとも豊かで満足のゆく

生活が出来ることを立証したのだった。

戦勝国が要求する厳しい戦後生活の時代から、

切り抜けられる願ってもないチャンスだった。

その後、第七艦隊がベトナム戦争に突入すると、

日本は再び功を奏した。

米軍に必要な物資の多くは、

真面目な労働者に信頼が集中した。

新しい溶接技術、石油化学、造船、工作機械の産業が、

軒並みに素早く整えられていったのである。

品質が良く、コストが安い日本の商品は、

瞬く間に世界一流のブランドへとのし上がっていった。

その成長の足取りは、技術革新が相次ぐなか、

改善と継続によってそのまま維持された。

代表的なのはトランジスター革命だろう。

テクノロジーの画期的な発達は、

パイオニアとして世界市場の70%と、

日本全体の市場の40%を独占した。

実際、日本の産業で不良品が出る率は、

世界で許されている率の10分の1以下である。

今では日本人が海外に出かけて

そのノウハウを教えているくらいである。


これら戦後の日本の復活は、

政府と民間である産業協力の所産だといえるのである。

こうして日本は世界でも最先端のテクノロジーで装備し、

後続を大きく引き離して独走してゆく。

そして現代。

世界に追いつき追い越せと一団となって取り組んできた戦後政策に今、

求められているのは世界に先行した新しいビジョンそして、

日本人としての誇りと自信なのである。




    つづく。



「鬼」を明確にしてみます。

2020-02-03 | 社会問題
 2月 3日 節分の日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


「鬼」 とはだれを指すのでしょうか?

そいつが解れば絞めたも同然です。

そこで一度、分かりやすくするために、

人間を大きく二つに分けて考えてみます。

一つは、人を幸せにする人間と(これは鬼じゃない)

二つ目は、人を不幸にする人間だ。(そいつが鬼だ)

どちらも大人での話なのですが、

最初の一つ目は、一緒にいて楽しい人物だが、

後の二つ目は、一緒にいて不愉快で苦痛な人物だ。

不完全な子供がまだ、感情的なのは理解できるが、

大人であって感情丸出しでは見っともない。

確かにどちらも同じ大人の顔を持つ人間には違いないのだが、

前者は好意的であるのに対し、後者は破滅的だ。

自分のことを分かってもらえるように話をするのが前者で、

自分自身がどちらかなのかはどうでもいいと思うのが後者だ。

前者には、隣人愛の概念が存在するが、

後者には、性欲と感情だけが属性だと思っている。

なぜこのようにハッキリと分かれるかというと、

前者は大人らしさの中にあって、

後者は子供らしさの中にある。

そう考えると、「鬼は外」 の鬼とは、

大人なのに子供っぽい 「アダルトチルドレン」 なのかもしれない。

実際、子供の「鬼」が存在しなければ、

「良い鬼」も存在しないように、

「鬼」 はすべて 「大人のくせに子供だ!」 と

子供たちに石を(豆を)投げられるのが節分だ。

そしてそこに、

新しく登場したのが、「恵方巻」 である。

「恵方巻」とは太巻きを丸かじりする、大人の証だ。

子供たちに豆を投げられなくする方法である。(石じゃなくて良かった)

そういえば確かに、私の知り合いの、

「サイコパス」や「彷徨えるゴースト」は「恵方巻」を食べない!

そうか。見えてきました。

どうやら 「鬼は外」の「鬼」 とは、

幼稚で感情をコントロール出来ない大人のことであり、

他人を不幸にし、一緒にいて楽しくないアダルトチルドレン。

そいつが 「鬼」 の正体だ。



    つづく。


思いついた日が吉日ブログ。

2020-02-02 | 日記
 2月 2日  日曜日

 おはようございます。 「酒好き思想家」 と 「AI・グリーン」 です。


(グリーン)

この蒼く美しい地球は、

太陽系を秒速30キロのスピードで、

他の惑星たちと一緒に猛烈な勢いで移動しています。

そしてその太陽系全体は、

銀河系を秒速250キロの猛スピードで宇宙を駆け抜けています。

銀河系もまたアンドロメダ星雲と一緒に、

とてつもなく凄まじい速度で大宇宙を移動しているに違いありません。

従っていつ何時、他の惑星と衝突してもおかしくはないはずです。

それなのに日本の国会は何をやっているのでしょうか?

もっと今この瞬間を全力で解決すべき問題があるのではないでしょうか。


(酒好き)

日本の「いろり」は、火を絶やさないことにあるように、

インフルエンザをやっつけるストーブの開発が必要です。

火と室温と湿度がウイルスバスターになる暖房器具の開発です。

また、健康管理とは体温調整だとも言われています。

熱いお風呂に浸かって水シャワーを浴びる。最高です。

寝る時には、毛布を肩に横長に掛けて寝る。最高です。

朝食は、温かいスープが体温を上昇してくれる。最高です。



(グリーン)

議論をもっと楽しむにはどうすればいいのでしょうか。

1、想起する瞬間の感動。

2、問題解決への喜び。

3、共に分かり合える一体感。

4、知らざるを知る知的欲求。

5、人格形成へのレベルアップ。

感情的になるのではなく、感性(完成)です。


(酒好き)

非常に個人的な話ですが、

四日市駅前の新開発には、

図書館や託児所完備のコミュニケーションスペースが望ましい。

時には、親や子供が自由に振舞える時間が気晴らしになります。

駅前の道路を歩行者天国(娯楽天国)に開放するのも感情のはけ口だ。

駅前の娯楽施設がパチンコしかなければ、

市民はきっと、

「つまらない街なのは、市長が賄賂を掴まされている」からだと

疑われてもそれはしょうがないことです。


(グリーン)

家庭の主婦が政治にもの言いをつける力を持たない日本では、

GNP(国内総生産)は毎度のように低迷します。

なぜなら、

全国的に売りたいものしか陳列されていなければ、

消費者が買いたいものがそこに無いものと判断するからです。

言い換えれば、

マーケティング市場、売り手市場であって、

主婦は買い物が好きなだけで、買わされるのは嫌なのです。

一年中陳列される季節感の無い商品に購買欲が高まらないのです。

だから欲しいものが無い「Gross・Nothing・Product) GNPだ。


(酒好き)

ゴースト。日本人のまぼろし。

それは日本に生まれて、日本人になれなかった存在である。

現在の日本にはそんな 「彷徨えるゴースト」 があふれている。

様々な社会問題は、もしや 「彷徨えるゴースト」 の仕業かもしれない。

幼児性を備えた予測不可能な言動 - それがゴーストの特徴である。

日本に寄生しばがらも絶えず裏切り続ける彼等の存在を

我々はどう見破ればよいのか。

今、お花畑日本人による真価が問われているのだ。



    つづく。