酒好き文化風俗研究者

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ハロウィンはアート?

2019-10-28 | 日記
 10月28日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


誰でもいい。

文句が言える相手がいることは感謝である。

これからも文句が言える隣国に感謝である。

それともう一つ。

韓国の自信はどこにあるか。

そうか!

韓国最大の自信は米軍に守られた自国軍か。

そうすると、

その自信が根底から覆されたらどうなる?

北朝鮮がやっていることはそうゆうことなのか。

「米軍を捨て我らと共に!」 なるほど。







ハロウィンはアートか?

確かにスピリチュアルな存在だ。

目に見える者と目に見えない者との共存である。

重要なのは社会貢献である。

どうやら霊的存在との共存には人間力を高める必要がある気がする。


そこで、ハロウィンにお聞きしたいと思います。

死と現代医学についての質問です。


なぜ? 悪人ほど長生きするのでしょうか?

もしかして現代治療は間違っているのではありませんか?

何事もなく幸せにあの世へ送りとどけるだけで良いかもしれません。


また、癌を克服することは本当に正しいのですか?

癌で死ななくて一体何で死ねば感謝できますか?

癌が怖いのではなく、死が怖いのであれば、

医学が出来ることは癌を完治することではなく

死の恐怖を取り除くことだと考えます。

そうだとすると医師の仕事は苦痛を取り除き

幸せにあの世へ送ることが死命となります。

ただ死亡診断書を書くだけが医者ではありません。

善く生き、善く死ぬ。これが医学の基本理念ではありませんか?




ハロウィンに捧げます。


様々なハロウィンたちが、

種類の異なる意識を吸い上げ可能にする奇跡を想像するのは、

そこに山、川、岩、木、広大な空に点在する

変化に富んだ多様な現象が広がる様子を見て取ることができるだろう。

そして私はそれらをよく練られた個別の形態に還元することが出来るのだ。

私はなんと懸命に、そして優雅にブログが書けるのだろうか。

私には感じる。何者かの存在を。

キーボードが置かれ、指が触れた瞬間、ひとりでに動き出す。

非常に複雑で決して過剰にならず、常にバランスが保たれている。

偉大な芸術家による最善の側面には、

自己を失った時に、つまり別の何者かに乗っ取られた時に現れる。

自己を失う時、思うに無意識が私を動かすのだろう。

これは最高の芸術であり、驚異すべきことだ。




    つづく。



現代アート論(その3)

2019-10-21 | 社会問題
10月21日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


歴史を忘れた民族に未来はない。

歴史を直視できない国民に未来はない。

過去、日本と朝鮮半島は一つになり、

共に列強大国に立ち向かい東アジアを統一、

世界を植民地支配という暗黒時代から独立へと導くのである。

敗戦後、日本と朝鮮半島は分断され、

二度と団結しないよう対立しているのが現代である。

なぜなら、もしも再び日本と朝鮮半島が手を組むなら、

考えるだけでも恐ろしいからである。





人生はアートだ!・・・忘れてました。


アートは見る者に何を与えるのか。

たとえ、負の遺産でも芸術作品として展示される環境に置かれると、

それが何であれ芸術作品になるという二流のアーティスト論に対し、

例を挙げれば、大きめの鏡を前に映し出されたあなた自身が、

アートにとって重要な言葉を必要としない感性が生み出されるのは、

偉大な詩と同様、アートは日常的で不完全な感情をふるい落とし、

見る者を感性へと作品それ自体に引き付けるからである。


従ってこのブログはアートである。なぜなら、

ブログ上に書かれたものは空想ではなくできごとであるからだ。

スピリチュアルな感性と同時に、

現実をシンプルにすることで日常生活に喜びが感じられるからである。

感情を感性に高めて喜びを獲得すること、

それこそが私が行っている行為である。

概して私たちの生活は常に変化する感情的社会であって、

真実についての本質的な知識を必要としているのである。

現代アートの目的も同様に、

見る者の想像性に関してさらに洞察を得るための手段を与えてくれるものである。

実際、私たちはみな、外界から不完全な情報を受け取って、

独自の方法で完全なものへと仕立て上げてゆく。

アートが曖昧なのはそのためである。

感覚刺激は光学的なものであり、目が刺激されて生じる生物学的現象である。

対して、知覚とは感覚刺激とは異なり総合的に脳が関与する。

過去の経験や記憶、仮説の検証など学習に基づいて得られた知識と統合し、

それらに意味や有意性、価値を得ることでアートのプロセスとなる。

文脈がアートを提供してくれるのである。

問題なのは、その情報量が少なければアートとして不快なものとなり、

本質的にアートが快をもたらす理由は、

一般にそれによって想像的な自己が刺激され、ある種の芸術作品を前にして

ポジティブでスピリチュアルな経験がもたらされるからである。

視覚から得られる情報は真に脳による想像物であり、

私達が知覚するものは、現実と同時に生じるファンタジーである。

つまり、快をもたらすか不快をもたらすか。

事実に対する新たな事実がアートだ。




    つづく。


バカ・アホ・マヌケを定義します。

2019-10-17 | 日記
 10月17日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


米国識者の話では、

「日韓対立は米国政府が日本を支援し、米軍が韓国を支援した結果だ」と。

なるほど。

日韓関係が良好であっては都合が悪いという訳だ。

また、米国外交官の話では、

「韓民族は感情的になりやすく、時代に取り残されてきた」と。

なるほど。

負けず嫌いで妬んでいるのか。





ここで一度、

解りやすくする為に「バカ・アホ・マヌケ」を定義してみます。

結論から言うと、

「バカ・アホ・マヌケ」とは、「世間知らず」であると定義します。

なぜなら、私たちはみな同じ頭脳を持っているからなのです。

実際、私達の脳は人と比べても大差がないように、

「バカ・アホ・マヌケ」は実在しないということになる。

実在するのは、「バカ・アホ・マヌケ」ではなく、

「怠け者の世間知らず」 という訳なのです。

確かに、誰も好き好んで「バカ・アホ・マヌケ」を目指さないように、

それでも「バカ・アホ・マヌケ」がこんなにも多いのは、

ひとえに、「怠け者」だから「世間知らず」になった次第である。

だからもし貴方が「バカ・アホ・マヌケ」であればそれは根っからではない。

「世間知らず」 が原因だからだと結論付けられるのです。

この世に「バカ・アホ・マヌケ」はいない。いるのは「怠け者の世間知らず」だ。


人の幸せは脳に比例すると言われるように、

怠け者 = 世間知らず = 「バカ・アホ・マヌケ」 だと。

従いまして、今後からは「貴方はバカ・アホ・マヌケだ!」と言わずに、

「貴方は世間知らずですね。」と理性的に話せば、

「なるほど私は怠け者なのか。」と会話が続きます。

「バカ・アホ・マヌケ」と言うより知性的でエレガントだ。


逆に、「バカ・アホ・マヌケ」ではない人の基準はどうなのでしょう?

そしてここで言う「世間知らず」とは何を指すのでしょうか?

そのヒントはおそらく、私たちの苦労にあると考えられます。

なぜなら、自ら発生する苦労は自らに適した苦労しか発生しないからです。

「世間知らず」 には 「怠け者」 に見合った苦労しか発生しない。

そして何より重要なのは、この苦労が死ぬまで続くという事実からみても、

自分自身の「バカ・アホ・マヌケ加減」の良い目安になると考えられるのです。


しかしそれにしても驚くほど良く出来たシステムだ。

まさに神業。間違いました。地獄業だ。

やはり、そうなのか・・・。



     つづく。



ブルータス。

2019-10-09 | 社会問題
 
 10月9日 水曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


大統領!

「韓国はもう、中国や日本に対して「法を守れ!」とは言えないのでしょうか?」

大統領!

「韓国は立派な先進国の一員であるはずなのに、法に背いて良いのでしょうか?」

大統領!

「あなたが大統領を辞められた後に、訴えられる可能性は?」

大統領!

「金正男暗殺についての韓国政府のコメントは?」

大統領!・・・・・・・。






安倍総理の所信表明演説で気づいたことを述べます。


安倍総理。

これまで私たちは様々な問題に取り組んでまいりました。

私たちの友情は今も健在であります。

昨日、

所信表明演説や政策論をサポートしてきた人々が、

とかく安倍総理の目を盗んでは中傷したり矛盾したことを行うのに対し、

偽りのない理性的な原理原則へと国家を導くためにも、

今回ばかりは安倍総理とその関係者との間の問題につきまして

検討しフィードバックを行うことをお許しください。


誰が書いたのかは知りませんが、

はじめとおわりの所信表明です。

ブルータスが見つかりました。お前もか。

びっくりしました。

安倍総理が差別的で軍国主義者に聞こえるではありませんか。

説明いたしますと、スピーチのおわりの部分では、

「人種差別」「有色」「アフロ・アメリカン」「戦死者」「悲惨な戦争」「植民地」

など、普段でさえも使わない文言が目白押しなのです。

このスピーチライターは今すぐクビにすべきです。二流です。

スピーチのはじめの部分についても

また全体を通じても言えること 「暗い」 のです。

本来ならばこう書くべきです。

「今年は日本にとって歴史的な一年です」

そして戦争のない平成に感謝しつつ、

令和に希望を感じられるスピーチであるべきなのです。

国民と共に明るい未来を共感できるスピーチが理想的です。

私にはこれまでの安倍総理のスピーチとはまったく違って聞こえたのです。

これでは日本にとっても諸外国にとっても非利益であると存じます。


私はこれまで総理のお助けを得て、

様々なお話をさせていただけたことを心から感謝しております。

もし安倍総理が今後も多くな課題を私に命じてくださるならば

私は総理からこれまでの恩にお応えするために、

ウィン・ウィン国王をスピーチ・ライターにお雇い下さい。

必ずや、日本と世界を正しい方向へ導くことをお約束いたします。

   



     つづく。



戦争を回避するには。

2019-10-08 | 社会問題
 
10月8日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


先日、韓国軍の発表によると、

「韓国軍は南北の和解と協力を導く平和の軍隊だ!」

そうだが、平和の軍隊などない。平和を守る軍隊の間違いだ。

また、韓国は日章旗にこだわりを感じているようだが、

それは、いつの話だ?

そういった過去志向では夫婦関係も難しいはずである。

なぜなら、夫婦喧嘩では決まって、過去を持ち出すからである。

「以前、あなたは人前で私に恥をかかせたでしょう!」

「それは、いつの話だ?」




戦争を回避するにはどうすれば良いかを考えてみます。


思いついたことは、

軍隊のグローバル化がやはり正しいと考えられます。

これだと軍部による暴走が難しい。

逆に言えば、各国に独自の軍隊が存在するから暴走しやすくなる。

そう考えると、

EU連合はやはり正しいのではないでしょうか。

また、対テロ対策として有志連合も平和への対策に有効だと考えられます。



国内に目を向けるなら、

日本は核兵器を持つべきか、持たざるべきか、

議論することは賛成ですが、

私は勇気を振り絞って持たざるべきだと主張します。

今ある平和、あるいはこれからの平和についての

私たちの改善と夢見る目的は、

良心で受け継がれてきた社会契約が、

理不尽な隣国への批判に耐え忍ぶか、

それとも核保有国となり国難に立ち向かい、

けりをつけるにしても、

恐らく世界中が大反対するに決まっている。

今日の争いと不和に引き裂かれた世界では、

これまでにも増して差し迫って必要なのは核兵器ではなく、

日本を何ものとももたらすような平和なるものを与えられるには、

中立国家の樹立こそ世界を照らす光照とならんことを。



   つづく。