酒好き文化風俗研究者

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「シェアする?」

2017-10-30 | 社会問題
 10月30日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


そうか! 「シェア」 すればいいんだ!


核ミサイルも「シェア」すれば = 無いものと同一だから、これかな?

お金も自分のものとは考えずに、「シェア」すれば格差も幾分楽しくなる。

クルドにせよ、カタルーニャにせよ、台湾独立問題にせよ、

「私達のものだ!」 と主張せず、仲良く 「シェア」 すれば感情的にならずにすむ。

そう考えると、グローバル社会の基本方針は 「シェア」 ですね。


会社も社長のものではなく社員と「シェア」し、

国家も政府のものではなく国民と「シェア」し、

競争社会も「シェア」すればみんなハッピーウィンウィンだ。


当然、「シェア」にはメンテナンスが必要になるが、

それもみんなで「シェア」すれば良いし、

逆を思えば、「独占」 するから 「対立」 し 「衝突」 するように、

感情的な人物はおそらく、「シェア」するのが下手なはず。

コミュニケーションスキルが重要です。


閉鎖的な家族関係でさえも、動物愛ではなく、隣人愛ならば家族も「シェア」可能だ。

感情的に陥りやすい家族だからこそ、隣人愛による家族同士の「シェア」が有効になる。


なるほど!

良いもの、良いことはみんなで「シェア」すればいいのか!

悪いことは悪いもの同士で「シェア」するように!


そうすると、「シェア」出来ないことが芽生えれば

それが悪であり社会問題の原因なのかもしれません。


「シェア」出来ないのは何かな?


・・・・・・・・・・・・・・・・欲望、見栄、わがまま・・・最悪だ。






   つづく。





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感情対立を起こせば「ダーク・サイド」確実だ。

2017-10-23 | 文学
 10月23日 月曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


感性には感情の知らない道理があるにしても、

そこに激しい感情を煽れば対立も容易となる。

なぜなら、

感情は本質であるが万能ではなく、

感情では善悪の判断を誤るからである。

私達が感情人間であることは疑うまでもないが、

我々の感情や直感などはどれも当てにはならない。

だから、他人をコントロールするには、感情で反応させることである。


あなたが他人を傷つけるのは、感情であって、感性ではない。

ヒステリーや逆ギレは、感情であって本来の人格ではない。

あなたが嘘つきなのは感情であって、本心ではない。


危険なのは、

言い訳を失った瞬間、感情から生まれる衝動が、

対立を引き起こし、気が狂い、激しい感情が圧縮して爆発された状態である。


現象論では、感情的認識など存在しないことになる。

判断は感覚レベルの知覚であり、感性は崇高なものと位置づける。

人間の感情は正しく解釈された感情ではなく、生きる為に必須な感情でもない。

感覚認識論者たちの意見を借りるなら、

この世界の知りうる根源的事実から始めなければ説明にならないように、

そこには行動から育まれる感性の他に原因を持たない根源である感情が存在することに気づく。

感性でないものの存在は動物的な感情を暗黙のうちに含んでいるから、

感情の比較や対立は、感情的なものの存在を自然的なものへとその感性に導かなければ存在しているとは言えないのだ。


判断するのは感覚なら、行動するのは感情で、責任を引き受けるのが理性ならばそれで耐えられるのだろうか。

または、判断するのが感性ならば、行動こそが真実となり、そこで初めて結果に責任が持てるのではなかろうか。


感情は動物に与えられたものであり、自らの経験に従って感情を磨き感性に到達するように、

その人の感情の気質と習慣を見れば大体どんなダークサイド行動を取るかが判るように、

感情だけでは判断を鈍らせて苦痛を伴い、怠け者へと転がって行く。

経験や体験から切り離された感情は害にしかならず、全ての悪意はそこから出てくる動機によって結果となる。

感情的な単細胞ほどすぐに興奮して衝動を起こし、暴言を吐くように、感情レベルが低いと苦痛である。

感情とは原始的で動物的な存在でもあるから、単細胞生物ほど刺激を与えるとすぐに興奮するように、

したがって、感情人間を煽ればダークサイド。

足の引っ張り合いを無意識で行う「ロスト・ロスト社会」が容易となる。








  つづく。











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パラノイア(超心配性)

2017-10-16 | 日記
 10月16日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


「サイコパス・レポート」 です。


サイコパスを調査していて気付いたことは、

サイコパスの真逆に位置する人、それがパラノイア(超心配性)である。

パラノイアとは気づきの高い人であり、よく気が付く人のことで、

反対にサイコパスはビックリするほど心配などしないのである。

そう思えば、

漸次的な改善が得意な日本人の多くはパラノイアかもしれません。


例えば、

出かける前に雨が降ってきた場合、

普通の人は、「少しくらい雨に濡れてもしょうがない」と思うが、

パラノイアは、「お気に入りのレインコートで傘を差せばバッチリ」、

サイコパスは、「めんどくさい。代わりにお前が行け!」 である。

また、給料日前で小遣いが無い場合、

普通の人は、「無駄使いをやめよう」 と考えるが、

パラノイアは、「無いなら工夫しよう」 と考え、

サイコパスは、「嘘をついて騙せばいい」 と考える。

それに、仕事中の場合、

普通の人は、「凡事徹底、決められた事を真面目に熟す」 のに対して、

パラノイアは、「危険予知、最悪を想定して最善を尽くせ」 であり

サイコパスは、「全てが必然で必要。心配するな。何とかなる」 だ。


どうでしょうか? 何か気になりますか?


もう一つ、気付いたことがあります。

宮本武蔵や中村天風氏のように、

若い頃はサイコパス、晩年はパラノイアである。


現時点での私の見解では、

心拍数の違いであると仮定し、

呼吸法によって心拍数を自在に操れば

人は誰でも、サイコパスでありパラノイア、つまり超人類である。

超人類については他の要素、アドレナリンやドーパミンなどを

いつでもコントロール出来る人のことでもあるが、

サイコパスとパラノイアを兼ね備えた人だとも言えるのである。


上手く行けば、

この研究を続ければきっと、

「人類みな超人類」 に進化するかもしれません。

(AI人工知能に勝つ方法はこれかな?)


ひょっとしたら、

あなたも私も超人類になれるかも!!!。

もしかして、

あなたと私は超人類かもしれない!!!。



今回の 「サイコパス・レポート」 を終了します。


 「バーイ・ホナー」。








    つづく。



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感情を感性に高める「愛と死と」。

2017-10-09 | 文学
 10月9日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


 感情は悪か? 感性こそが正しさなのか?


その答えは、

感情を感性に高めれば判る問題だから、

重要なのは、その方法である。


「愛の欠如」が人類を不幸にしているとしても、

もう一つ忘れてはならないことがある。「死の恐怖」だ。

「愛と死」 この二つが我々の感情を感性へと導く。


どの道、死からは逃げられないから、

いっそのこと、死を受けて立つ覚悟が必要だ。

心配はいらない。武士道や人生を極めた人々はそうしてきたから。


本来、「愛と死」は英知であり霊性であって真理である。

動物愛を人間愛に変えられる崇高なものである。

ウィン・ウィン国王の使命はここにあると考えます。


今年でちょうど20年、考え続けた 「死想論」 です。

出だしは優しく始めます。


感情を感性へと高める方法は、

英知と霊性を手に入れる方法とは、

現実を直視することであり、思い込みを捨てることである。

この世にある唯一の絶対的な現実である真実とは 「死」 だけだから、

この 「死」 から目を逸らさないことが英知であり霊知である。


したがって、現代の老人たちから感謝や愛が感じられないから、

死から逃げていると断定できるのである。

せっかくのチャンス、英知や霊知が目の前にあるのに、もったいない。


病気や癌も治りますが、病気や癌など怖くない。むしろ楽しみだ。

怖いのは逃げるからで、感情である本能が原因。

その本能である感情を「愛と死」によってブレイクスルーし感性に高めれば三位一体、

恐れることは何もなく、それどころかハッピー・ウィン・ウィンだ。


実際、現代の老人たちは「死から逃げる」ことしか考えないから、

節約だとか、ゴミの分別だとか、温暖化などと、つまらないことばかりする。

それでは若者たちから 「長生きはエコじゃない。エゴだ。」 と

言われてもしょうがないし、地獄に堕ちてもしょうがない。


死はなにも老人だけのものではなく、万人共通の真理だから、

「武士道とは死ぬことと見つけたり」 であり、

「死ねますか?」 この問いに答えることである。



感情を感性に導く方法が「死想論」で可能なら

今後もウィン・ウィン国王がウィン・ウィン社会創造に力を尽くします。




  つづく。




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ローマ法王へ。ウィン・ウィン国王です。

2017-10-02 | 文学
 10月2日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。



感情を感性に導く教育こそが本物の宗教である。


社会の分断や人間対立の根源が我々の感情によるものならば、

その感情を感性に高めることが可能ならばウィン・ウィンだ。

なぜなら、

本能的な感情だけでは善悪の判断がつかないが

感性には崇高な英知が宿るからだ。

実際、高級な感性である感謝や感動、共感能力には美しさと同様、心が正しく導かれるものであり、金銭では買えないほどの喜びや幸福、満足感が備わっているからである。

私たちの日常の怒りや不安、疲労や混乱は

脳にその原因があるにしても、

その脳に疲労をもたらしているのが、感情である。

良い感性は疲れを癒すが、悪い感情は疲労感を得る。

従って真の教育とは、感情を感性に変える教育だと断言する。


代表的なものは、「愛」 です。

「愛」とは概念でもあるのだから、頭の中に「愛の概念」が無ければ

その人物に 「愛がない」 ことになる。

だから、「愛の概念」を明確に説明できることが感情を感性に導くためには重要だ。




「愛って何ですか?」 あなたは説明できますか?






偉大なるイエス様が説かれるように、

我々人類の最大の課題は、「愛の欠如」 だと言えるのだから、

その「愛」を世界に伝えるためには、ローマ法王のお力が必要不可欠だと考えるのです。



感情を感性に導く為の方法の一つは 「愛」 があります。

「愛」とは、1、性欲愛 2、感情愛。

この二つは動物愛。人間愛ではない。

重要なのはその次の 3、理性愛だ。


その「理性愛」を判り易く二つに分けて良く見ると、

一つは、「自己愛」であり、

もう一つは、「隣人愛」だ。

どちらも大切な 「愛」 には違いなのだが、

どちらも極度にバランスを失っては混乱が生まれるように、

「自己愛」だけでは、自らが幸せであるには他人が不幸でなければならず、

「隣人愛」だけでは、他人の幸せを思うあまり自らを犠牲にさらしてしまう。

別の言い方で表すと、

「自己愛」とは「子供愛」で、

「隣人愛」とは「大人愛」だ。

「愛するよりも、愛されたい!」 のは子供愛だ!

現代の私たちは少々偏った「愛の概念」に縛られているのかもしれないし、バランス感覚が崩れると愛が偏るのか、愛が先に乱れるから社会が混乱するのか、それとも幸福がそのバランス感覚を冒して対立を招いているのかよく判らないが、

何であれ、いつの時代もバランスをもたらす者こそが 「救世主」 誕生物語なのである。











   つづく。








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