酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

ウィン・チュー食堂。(日曜の早朝)

2019-04-14 | グルメ
  3月14日 日曜日

 おはようございます。 

 酒好き思想家(店長) と 年上の女性(初のお客様)です。


突然ですが、イメージしてください。 (ハイ。)

「お風呂」、チィ・チィ・チィ・チィ (・・・。)

「ベッド」、チィ・チィ・チィ・チィ (・・・。)

「コタツ」、チィ・チィ・チィ・チィ (片付けました)

「車の中」、チィ・チィ・チィ・チィ (リラックスかな)

「日向ぼっこ」、チィ・チィ・チィ・・(解りませんね)

答える前に、まずは一曲。      (・・・。)


♬~♬「Force Force 信じる力をもっと!」

♬~♬「Force Force 愛する力をもっと!」

♬~♬「Force Force 私を導く力を与えたまえ!」♬~♬。



答えは、

「インスピレーション・ひらめく場所」でした。 (パチパチ)

理由ですが、

どうやらインスピレーションを得る方法があるみたいです。

1、リラックスはその通り、大当たりです。(パチパチ)

2、一人きりの空間が大切なようです。 (フムフム)

3、体を温めることが一番重要なのです。 (そうなの) 

なぜかと言うと、

科学的には解りませんが、仮説を立ててみました。

リラックスした状態で体を温めると、

体内微生物の一つであるミトコンドリアが活性化するというものです。

ウィン・ウィン王国流で説明するなら、

体内幸菌ウィン・チューが活動し出して

ミーム(遺伝子)に直接何らかの指示を送り、

脳内幸せ物質、セロトニンやドーパミンなどが働き出すというものです。


そこでひらめいたのですが、気になることがあるのです。

食事中、私たちの体温は上昇しますよね。

ですが、食事中に一度も閃いたためしが無いのです。

おそらく血流か何かが関係しているものだと思いますが、

重要なのは、食後のお風呂にあるのです。

もちろん、コタツでも構いませんし、布団の中でもOKです。

とにかく、体を温めてリラックスする。これです。

そこで問題なのですが、

食事中、何を食べた後にその「閃きの源泉」が隠されているかがポイントだ。

ここからがウィン・チュー食堂の腕の見せ所なのですが、

確定はしていませんが、とにかく一度試して下さいませんか。

「暖かいスープ」をです。

温かいスープでお腹を満たすのです。

要するに、「汁物」 ですね。

理由はよく解りません。

お茶漬けでも構いません。消化の良い暖かい汁物がいいかと。

体と心と内臓をいっぺんに温めてくれるものが望ましい。

それに安上がりですしね。

思い出して見てください。

なぜ? 「シメ」にラーメンなのでしょうか?

なぜ? 寝起きに味噌汁が飲みたくなるのでしょうか?

そうです! それなのです。

私たちが普段何気に食べている 「汁物」 には

とてつもない秘密が隠されていたのです。

そしてそれらが、

インスピレーションを生み出す 「一品」 だったという訳です。



ウィン・チュー食堂。まだまだこの先が楽しみです。


   つづく。

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物語の完成。

2019-04-13 | 文学
  4月13日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


これまで数々の物語を通じて、様々な困難を克服してきた。

宇宙の原理はウィン・チュー(愛)とし、

この世が地獄という法則を説き、

悪が根絶しないことについて述べた。

資本経済による「見えざる手」にも言及し、

悪行が利益に、正義には悪が不可欠だとも触れた。

社会には、人生には 「必要悪」 がなければ

共産主義の二の舞になることも論じた。

そして 「愛」 があれば全てが許される理由も理解できた。

死の恐怖を克服する方法があることも分かった。

さらに今後の世界を生き抜くためには、

ウィン・ウィン主義が極めて重要な思想としてそのやり方も検討し、

ウィン・ウィン経済理論が「愛ある経済活動」だとも認識した。

地球の真の支配者は 「虫」 であることは既に承知であり、

体内微生物幸せ菌 「ウィン・チュー」 が人類を浄化し、

男尊女卑社会に調和を齎すことにも同意していただいた。

そして最後に、

内なる神と大いなる神との融合した祈り方、

ミーム(遺伝子)が人類をさらに進化させることも取り上げた。

女性たちが核なき世界を実現できると署名してくれもした。

私たちは実に多くの社会問題を解決してきたのだ。

もちろん、これで終わりだとは考えていない。

私たちの行方にはこれまでにない更なる飛躍が必要となろう。

それには、AI人工知能の活用も視野に入れてきた。

未来は決して破滅ばかりではないことも実証できた。

13日の金曜日がイエス様の命日で大切な日であることも判明した。

今後は私たち一人一人の取り組みが重要であることにも同意を得られた。

現代人はもっと大いに語らなければ過去と未来を繋げる役目を果たせない。

確固たる確信は伝染する。平和を信じ、独占を軽蔑し、

愛を語らなければ我々の使命は果たせないのである。

集団への継承を見守り、集団への誇りを受け継ぐのである。

この社会には奇麗事に隠された裏の欲求があるように、

現実という厳しさとの共感と秘密があるのだ。

過去の分析なんてものは、学説を説明する為にあるのだから、

それよりも大切なことは、愛による行為にある。

愛は言葉から発する意識から成るものだ。

世界で最も重要なのは 「愛」 である。

私たちが 「愛」 を語らなければ何も変わらないように、

「愛」 は出せば成る。

私たちには夜も眠れない心配事や不安が存在する。

人は何の為に生きているのか時々解らなくなるのだ。

本当に困った時ほど、「愛」 が必要となろう。

確かに、

私たちは知の全体を一望し得る思想を身に付けることは出来ないかもしれない。

しかし、毎日を少しでも楽しく生きられるのであればそれで構わない。

共に考え、知恵を出し合い、人生のビジョンが明確になり、

志と呼ぶに相応しい、熱い情熱が全身に伝わってくる、

社会に全世界に対してこの問題を提起したいのである。

定理や公式や定義よりも、物語を重視して。

私たちがこの世の不条理に負けて思考を停止しては地獄の思うつぼである。

この世に神はいない。信ずるのは 「愛」 だ。

世界を科学すると未だ謎だらけである。

世間の常識を用いなければ最高の真実は解き得ないように、

知識や手段なしには対象の理解はない。

対象の理解が無ければ活動は有効ではない。

囚われていた主題から解放されるには、ある程度のユーモアもまた必要だ。

木を見て森を見ず、大きな思想は細部に宿る。

目標は世の中を変える研究をやることである。

人類は物語を共有するという天賦の才能が備わっているのだから、

愛のある新しい物語が世界には必要であると、

ちょっと自信過剰ではあるが確信しているのだ。


  つづく。

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平成最後の理由。

2019-04-12 | 
  4月12日 金曜日

 おはようございます。 年上の女性(イメージ)です。


国民の全ての人たちの幸福を生み出し、

愛と知恵によって平和の美しき絆を維持しておられる

あの高貴な陛下を私たちが忘れられるでしょうか。

愛されるべき徳高い国民たちよ。

私たちの幸福はいつの時代も陛下の御心一つに御座います。

この度の退位には、さぞやお考えがあることと存じ上げております。

誠に勝手なる私の想像で恐縮ですがお聞きくださいませ。

この度の退位のご決断、陛下御自身のお体を案じたわけではなく、

皇后さまのお体をお気づきになったことだと思う次第でございます。

先日行われた行事に皇后さまがご参加されず、

また、雅子様が付き添われたかと考えた次第であります。

なぜかと申せば、陛下御自身が退位をお決めになられるには

それ相当の理由があるからでございます。

それは皇后さまへの「愛」以外にお見受けできないのです。

平成最後の理由には、陛下の「愛」以上に何がありますでしょうか。

お二人の結びつきに発揮される純潔の力、

「愛」による国家の決断を感じられる時、それは幸福であります。

陛下は退位をお望みになられました。

歴史的に見ても素晴らしい退位だと共感致します。

お二人の「愛」が全てですから、相応しいことと同意されますことでしょう。

そうで御座います。皇后さまの優しいお姿から感じられる、

理性と笑顔のお声に誰が逆らえるというのでしょうか。

陛下の簡素で慎まし装いが、皇后さまで得られます輝きによって、

愛する美しさは最も好ましいと思われる真理の一つに見られます、

誰が哀しみや憐れみを感じることがありましょうか。

天皇陛下の愛による影響と平和をそらさぬ才知によって、

国民は法に従い、和平を維持し、愛を尊ぶ。

優しい教訓と優雅なお話によって

次の世代に正しく受け継ぐべきを成すことであります。

愛ある純潔な守り人であり、尊い絆であるとともに、幸福と繁栄のために、

平和と自然との秩序をいつまでもお守り下さいませ。


    つづく。

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何故、日本人は性善説でいられるのか?

2019-04-11 | 
  4月11日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


日本人の宗教心の源泉とは。

日本人に 「愛」 があるのか。

何故? 世界の中で日本人が

性悪説ではなく、性善説でいられるのか不思議である。

どうやら日本人は一神教に重点を置かないことを得意としているようである。

基本的には仏教徒なのだが、しかし

どうやらそれだけではなさそうなのだ。

なぜかと言うと、日本人が奇麗好きで掃除好きなのは、

神様と一緒に生活しているからだと考えられるからである。

つまりは、多神教だ。

多神教を説明するなら、

いたるところに神様が存在し、人と神様とが共同作業化している状態だ。

日本人は欲すると否とに捉われず、神様を身近に感じているのである。

たとえ権力を持った者が働く人たちに対して非常に優しい心の持ち主であるのは、

神様との合理的発想が無意識に行われている国、日本だからである。

だから、10万円入った財布を交番に届けられるのです。(私もです)

誰かが見ていなくても、神様と一緒ですから嘘も裏切りも少ない。

ゴミをポイ捨てするどころか、

他人が捨てたゴミまで普通に拾うことが出来るのは神様と一緒だからなのです。

そう考えると、仏教よりかは神道に影響をかなりの部分で受けている気がします。

その理由には、一年中、自然災害が多く厳しいからではないかと考えられる。

常に日頃から神様と共存しなければ不安がぬぐいえないのです。

逆に、神の概念が無い民衆では、隙あればすかさず物を平気で盗むように、

不法投棄が捕まりさえしなければ問題ないことだと公然という。

社会秩序についてきっぱりとした原理を説明することは、

それがどの様な原理であっても、ほぼ間違いなく、神の概念が調和に導く。

毎日の生活習慣を誰かに教わることなく、

正当化できるそんな方法には、神の概念を創り出すことが重要なのだが、

そのような過程には必ずしも意識的な操作では上手く行かず、

自然的で普遍的な頑固なまでに抵抗不能な「目に見えない力」が必要となる。

個人の生命よりも高次の生命、すなわち国民の生命に国家の生命があって、

それより更には、集合体維持の為に自らを犠牲にすることが出来る国民性、

私たちは自分の為には死ねない。しかし愛する人の為なら死ねる。

さらには、集団の為になるならば、何も恐れず喜んで命を捧げられるのである。

真に神様によって日本人が何を意味するかを説明する以前に、

真に神様が属する文化伝統についての啓示が与えるものが役立つだろう。

人間の知識の限界の自覚から、どの個人にも、どの集団にも、

何者かに知られていることの全ての実感から得られる実践的結果すなわち、

支配的ないし排他的もしくは強欲的で犠牲的な

ムチ打つ主人の仕事を引き受ける可能性とほぼ同じようにあり得ないのである。

日本人に 「愛」 があるかだって?

冗談じゃない。多神教とは 「愛」 でいっぱいだ。

もしろ逆に言わせてもらえば、世界には少しばかり神の存在が少なすぎるのでは?

一神教と違って、多神教は一つの神様をそれほどまでには働かせない。

どうりで、日本人の方が優しいはずだ。神様に優しいのだからウィン・ウィン、愛だ。

さらにはもう一つ。

仏教徒とのバランスにあるのだ。

言わずとしれた仏教典だが、

諸行無常、四苦八苦、一切皆苦、この世は地獄であるように、

真面目な日本人の目には人生とは修行であって、

人の道は、重き荷を背負って遠き道を行くが如し、急ぐべからずだ。

したがって日本人の神様に対する理論はこのように、

多神教による適切な概念を構成し、かつ、

自然発生的に生成したきた改善や工夫に対して、

全体の貢献を多神教と共に生活を築き上げてきた実績にこそ、

日本人の社会秩序の内で思想の意識的部分が日本人の情緒、感受性へと、

そうなるべき発想力が社会の全ての生活の中心の大部分に宿るという事実になるのである。


    つづく。

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これだ! 手紙を書こう。

2019-04-10 | 日記
  4月10日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


拝啓、

みじめな過去にこだわり続けた民族よ。感情と苦力の民よ。

聞くことが貴方たちにとって一番ためになるだろう。

どうして貴方たちは無理に私達に言わせようとするのか?

何故、それほどまでに独房に身を捧げようとするのか?

一番幸せなことは、貴方たちには到底解るまいのに。

生まれ違ったこと、怠惰でいること、いてもいなくても同じであること。

しかし、貴方たちにとって最善なことは 「必要悪」 であることだ。

感情を抜きにして、よくよく話を聞くことが出来るだろうか。

貴方たち種族、否、人と動物との間に存在する 「問題児」 だと。

だから貴方たちは、憎しみを攻撃に変え我がこととする。

貴方たちは多くの遊戯から音楽や食文化を残してくれさえすれば良い。

歌と踊りでもって人はより高い共同体の一員であると表明されるように、

貴方たちは全て夢の世界を生み出すことにかけては感性的だ。

いや、それさえどちらでも構わぬ。

そんなものが無くとも、世界は幸せを維持できるのだから。

そこで今日は貴方たちを思って一文を草するのが良いと思われる。

というのは、貴方たちの重荷、つまり差し迫っているか、

或いは確実に到来するであろう善悪の重荷、それから解放されるまでだ。

確かに貴方たちはこの重荷に他の全てと同様、

愚痴をこぼさず賢人に相応しく今も耐えられておられるし、

これからも耐えてゆかれるに違いないのだが、しかし、

貴方たちに何か書置きしたくなった時、感情思想を贈るに相応しい人、

世界が楽しんでくれる社会は、まず貴方たちだと思ったのだ。

実はこの手紙はまことに楽しいもので、

書くほどにあらゆる感情が失せたばかりか、愉快で平和な気分にさえなるのである。

本当に書くことはいくら称賛しても、し過ぎることはないものにさえなったのだ。

手紙を贈る者は、生涯のあらゆる時を苦痛なしに過ごすことが出来る。

もちろん貴方たちについても同様に、これまで多くのことを語ってきたし、

これからも多くのことを語るつもりだ。

貴方たちが何も答えないことは既に解っているし、

聞かれたとしても答えられないことも承知している。感情だから当然だ。

根拠がなく、思い付きで、昨夜の話を繰り返せないのは、まあ当たり前だ。

いや、そればかりか 「うそ」 しか言えない。驚きだ。

「本当のことは・・・」 どうして言えないのだろう?

それだけで済むならまだマシなのだが、ことはさらに重大である。

貴方たちには明日が解らないのだ。

ただ、昨日の感情で頭がいっぱい。明日は昨日の続きでしかない。

だから、過去を憎まなければ明日を維持できない。

そうだとも。まさしくこれが感情だ。

貴方たちの行動パターンは実に分かりやすい。

1、まず「嘘」を言い、

2、ばれたら「逆ギレ」し、

3、相手が強ければ「泣く」。

4、そして開き直って「逃げる」。

これが貴方たちの生きる道であるなら、

どうしてよいやら、つらいのは貴方たちである。


    つづく。

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今、この時をもっと楽しみませんか。

2019-04-09 | 日記
4月9日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


よく、子供の頃から 

「楽しくないな。」と思っていたことがあるのです。

それは、手品を見ていた時のことです。

周りにいる人が直ぐにタネ明かしをすることなのです。

「もっと手品を楽しみたいのに。」と普通は思うのですが、

分析好きなのか、手品嫌いなのか、自分が偉いのか、

よく解りませんが、せっかくの時間がつまらなくなりました。


プロレスや相撲を見ていても同じ様な人達がいます。

「あれは八百長だ。本気なら死ぬはずだ」

分かってます。言われなくても。

それにしてもです。あのボディーアタックは凄いの一言です。

なぜ?もっと素直に今を楽しまないのでしょうか。


ついこの間です。食事に行く機会がありました。

そこにもいたのです。また同じような人達がです。

料理を食べながら原価計算して、「これは損だ、これは儲かる」

と言って自慢げに話しているのです。

一体、何しに来たのでしょうか。この人たちは。不快にさせます。


ある給料日の出来事です。

お金が振り込まれたのに文句を言っているのです。

「せめて今日くらいは」、と思うのですがそうはいきません。

確かに、色々あるのが世間です。

愚痴の一つくらい良いでしょう。

ですが明日は無いのでしょうか。今日をもっと楽しみませんか。


そう考えると、ひょっとして、

資本主義と共産主義が対立し混乱した理由は、

今この時を楽しむことが下手な人達が原因かもしれない!

誰だって、「ああでもない、こうでもない」と

お互いに否定し合えば、嫌でも対立するに決まっています。

なぜでしょう?

やはり感情だけでは善悪の判断が下せないのでしょうか?

それとも自らの自尊心を満たしたいのでしょうか?

どちらにしても問題児です。

そうだ! ちょっと思い当たる節があります。

隣国の韓国です。そうだったのですね。

韓国は明日が判らず、過去に目を向けているから、

今この時を楽しめない。そう言えば

感情的なところは同意するし、

自分が世界で一番偉い人物だと考えているところも同意できる。

結局は子供と同じ、いや待てよ、

子供にも今を楽しむ子供と、今を楽しまない子供がいるように、

何かそこには不安定要素が隠されているようです。

その不安定要素とは?


    つづく。

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「愛」は金儲けに必要か?

2019-04-08 | 文学
  4月8日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


みなさんはこう不思議に思うかもしれない。

「愛で金儲けができるのか?」 と。

「愛があれば厳しい生存競争を生き残れるのか」 と。

「勝つか負けるか解らない時に愛が必要なのか」

そう思うかもしれない。

だが現実には、神を味方に付けずに天下は取れない。

中国が世界の覇者になれないのは、神が不在だからである。

古い資本社会の寿命は尽きた。

新しい資本社会は神との遊戯の中にこそ存在する。

独占と競争とを和解させる為に確固とした原則と明確な目標を

発見しようとすることは、それほど難解なことではない。

過去マネーゲーム、確かにこれも必要悪なのだが、

類似する経済学者の資本論による計画された欲求に対する公認の賛美には、

何か欠けているものがあると感じられるのもまた事実である。

この重要な問題に対して私たちはやがて近いうちにかなり正確な回答を見出すだろう。

資本独占の支配から愛ある経済活動ウィンウィン主義への転換期である。


今日、ウィンウィンによって資本主義と共産主義の矛盾を基本的に解決してきた。

数百年間続いた階級社会による搾取制度の歴史は終結し、

ウィンウィン経済論が世界で実践可能だという基本的な解釈も説明された。

悪徳が栄えるという矛盾に対しても、ある程度のバランスを実現することは可能だ。

マネーの方向性は集団社会と個人主義による分布に示されるように、

現在は全体の20%の人々が80%の富を持ち、

その分布を20対60対20にシフト出来るならばやがては、

富の分配50対50が可能で、将来80%の人々が富を手にする。

そして再び20%の人々が反対勢力となるこの繰り返しだ。

マネーの基本原理は、それを一定不変の大義たらしめるようなものを何も含んでいない。

そして決定的な厳格な規則も自然法則も何もない。

過去私たちは、マネーに忠実に従ってきたが、

「愛」 がそのマネーの方向性を変えることが出来る。

最も強い動機とは、欲望から愛を満たす欲求にこそ持続可能社会だと考えるのです。


   つづく。



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ゴルフはスポーツ?

2019-04-07 | 日記
  4月7日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


世界中のゴルファーをあえて敵に回せば、

ゴルフはスポーツなのだろうか?

それとも、娯楽か、もしや必要悪なのか?

確かにスポーツ自体、必要悪に違いないのだが、

その中でも特に目を引くスポーツがゴルフだ。

カートに乗り、キャディーに運ばせ、賭けをし、ケータイが鳴り、接待まで行う。

プロゴルファーの顔を見よ。真剣そのものだ。大金が懸かっているからだ。

ゴルフがスポーツであれば、

18番ホールまでには感動的な幾つかのドラマがあるはずだ。

だが、顔色一つ変えないプレイヤーから想像できるのは、あれはビジネスだ。

「ゴルフは人生ドラマだ!」とでも言えるなら山登り同様、

子供からお年寄りまで楽しめるスポーツだと認定されると思うが、

おそらく、一部の人達の娯楽で良いのだろう。

チャリティーイベントを開く理由には、

傷ついた良心と自尊心をなだめる為ではなかろうか。

もしも、お金がかからないスポーツにゴルフが進展したとすれば、

現在のゴルフファンは激減するだろう。

このブームも終末に近づくと予想される。

勿論、気持ちは解らなくはない。

最高の時間を過ごせるのだから「余計なことを言うな」と言いたいのも理解できる。

これも「必要悪」の一つであるなら、なおさら重要だ。

それにしても、豊かさとは面白いものである。

豊かさが新しい問題を提供してくれるからだ。

ゴルフが大好きでお金があり、様々なコースやプレーが楽しめる。

その中から一つしか選べないとしたら実に苦痛だ。

どれかに決めた瞬間に他のプレーを諦めなければならないし、

上司とか、友達とか、大会に出場した方が良かったかもしれないし、

いや待て、接待に使えるから一生懸命に練習に励む人もいるだろう。

一番良いのは、全部やることだが、そんなことは現実的に言って逆効果だろう。

かと言って、どれか一つを選べば結局、

後悔しながらゴルフ場を去ることになる。

大空の下で起きることは、すべて熱心に努力を重ね、

知恵を最大限出し尽くしても、

ゴルフの腕前が上がれば上がるほどに、

悩みも増して苦痛も深まる。やはり、

ゴルフは人生ドラマかもしれない・・・。


     つづく。

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ウィン・ウィン経済論。お金に愛があるか?

2019-04-06 | 社会問題
  4月6日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


経済に新しい概念、次元を附与されるなら、古い理論は使えなくなる。

マルクス資本論とアダム・スムス国富論、この二つを足して二で割ると、

導き出されるその答えは、投資によって社会が前進するウィン・ウィン経済論だ。

このウィン・ウィン経済論の根底にあるものは、「愛」 であり、

「愛」 があれば、この世の法則 「必要悪」 も調和する。

経済に欠けた最大のものは、

自分自身の関心(マネー)に他人を結び付ける 「愛」 にある。

自らの関心(マネー)の方向性が集団に結び付く時、

全生命を懸けて打ち込める自信(パワー)が沸き上がる。

逆にこれが欠けた毎日は、退屈で、いい加減で、身勝手な、自己中心的な行動へと

つながることなき無目的が、悪意ある関心(マネー)へと人を向かわせる。

一体何時になれば、揺るぎない経済活動が実現するのだろうか? 

なぜ? 関心(マネー)は求めるが善悪は傍観するのか。

関心(マネー)を経済学と称するビジネスマンの英知であるなら、

何を不安がり敬遠しているというのだろうか。

ここで逆説だが一度、

勇気を出して、熱意をもって、集めた資本を社会に差し出してみることだ。

得る前に与えるならばウィン・ウィンの道が開かれる。

愛とウィン・ウィンで集団社会に提供するのである。

まかり間違っても元々ではないか。

汝は、自らの良心のみ恐れ、それに従う者に、

断固として実践する自信と勇気が経済理論として異議を持ち得るように、

統べての経済は、凡ての生活は、全てのマネーは、

社会の実践的な毎日に直結する限りにおいてその意義を持ち直し得る為には、

私達の関心(マネー)による裏付けの無い綺麗事だけでは長続きしない悲しい現実だ。

関心(マネー)は私達に、否、私自身に具体的な生活を動かす限りにおいて意味がある。

生活と経済の一致。関心(マネー)とウィンウィン(愛)との一致。

それらバランスが労働意欲として、幸福で慎ましく楽しい毎日の成果主義である。

この社会で生き抜く為に従うべき労働観念には、

日常生活の安定の中から生まれるものでなければならない。

社会正義や道徳観念をどれほど巧妙に積み重ねても上手く行かないのは、

いかにも 「必要悪」 という法則との遊戯にこそ、

真にウィン・ウィン経済という幸福論の名に値する。


ウィン・ウィン経済論の根拠は 「愛」 にある。

「愛」 が関心(マネー)の根拠となる。

「愛」 を定義するなら、認識であり、認識されたものは実在する。

経済活動は認識出来ないものとは、関係を築けない。

その関係を築けないから 「愛」 が無い。

「愛」 が同一性の原理だと結び付くまでは、経済活動に自由は無い。

自由は単純に言えば可能だ。「愛」 を原理的に認識しさえすればいいからだ。

実際、「愛」 の無い人とはシェアしたくないように、

「愛」 と 「自由」 は内部にある。むしろ外部が立ちはだかる。

あらゆる関心(マネー)は、知的なものであれ、友情的なものであれ、

何らかの欲求には違いないのだが、「愛」 がバランスを現出させるのである。


    つづく。

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ウィン・チュー食堂。(夜間の部)

2019-04-05 | グルメ
  4月5日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


説明しよう。

ウィン・チュー食堂とは、

日中は、「幸せ細菌」 ウィン・チューを体内で育てる食堂であるが、

夜間は、「必要悪」 を開放して健全な心体を保つ為の食堂となるのだ。


ウィン・チューの素晴らしさは既に説明済みだ。

宇宙は、ウィン・チューで示されているというようにロマンがあり、

人生とは、ウィン・チューで始まりウィン・チューで終わる

「醒めても胸の騒ぐなりけり」 である。

それはまるでこの世界の秩序を守るかのような勢いを感じられるもので、

同時に、ウィン・チューの限界が秩序の限界のように私達の限界がある。

実際、ウィン・チューがエレガントでパーフェクトなのは、

私達の生まれ持った能力だけではなくて、

それを神がお望みになり考案されたからである。

つまり、ウィン・チューとは事実上、「愛」 であると言っていい。

だから、社会生活に対してウィン・チューで答えを導き出すことが自然的だ。

不完全性定理でもって、自然秩序を含む形式的体系が矛盾するのは、

その体系内では真とも偽とも証明出来ない命題が存在するのだが、

ウィン・チューがそれを確固たる命題に変え、真の証明可能とする。

最大の矛盾とは、神の不在によるものだが、

幾らかの「必要悪」は顕在するにしても、

善悪の、損得の、バランスによる秩序はウィン・チューが回復する。


説明はこのくらいにして、

今日は、「夜間営業・必要悪食堂」 について考えてみたいと思います。

分かり易く言えば、「酒、タバコ、ギャンブル、カラオケ、上司の愚痴」だ。

ストレスと感情を開放する時間と空間が我々にはどうしても必要だ。

そもそも、居酒屋という概念が出現した時期とは、

今から約250年前の江戸時代であるが、

全世界を見渡せば、約2,500年前のメソポタミア文明にまで遡る。

当時ビールは「泡の立つ飲み物」として労働者に飲まれていた。

一日中、汗を流して働いた男たちが仕事帰りに「ちょっと一杯」と

酒場を楽しんだのはどうやら私だけではないみたいだ。

もちろん、江戸時代にはビールはないが、

上方より船で運ばれる極上の銘酒から

「中ぐみ」「下り酒」など、その日の気分に合わせて楽しんでいた。


そこで最近、疑問があるのです。

酒好きの一人として言わせていただくが、

「強・炭酸」は悪酔いするのである。

ビールにせよ、缶酎ハイにせよ、ドンペリニヨンにせよ、

こんなに旨くない(あえて不味いとは言わない)

お酒を飲まされたのでは売り上げが激減するのも当然だろうと思う。

日本の酒造メーカーは「必要悪」が判っていないのだろうか気がかりだ。

私たちはいつでも善人でいるのは困難、苦痛、ストレスであるから、

酒場で哲学を想起する時間と空間が必然で必要だ。

それが 「ウィン・チュー食堂」 の夜の部の

存在価値であり存在理由であるのだ。


     つづく。



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花粉症対策を考える。其の六

2019-04-04 | メンタルヘルス
  4月4日 木曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


(ウィンウィン国王)
緊急事態発生! 警戒警報!
「ヴィー、ヴィー、ヴィー」

(ミーム・遺伝子)
体内に外敵アレルギー花粉が潜入した模様。
現在、鼻周辺に被害。さらに拡大中。

(ロストロスト大王)
全セクションに次ぐ!戦闘態勢に入れ!
作戦コード「オメガ・01・ブラック」
作戦内容「外敵花粉を撃退せよ」。

(ウィンウィン国王)
花粉と交信せよ。
「我々は敵対する意思はない」
「お互い話合おう」

(AI・グリーン)
報告します。外敵は主に鼻から潜入。
クシャミ鼻水による苦痛の被害多数。
周辺の人達に笑われています。

(年上の女性)
こちら医療班。全てに人命救助を最優先にします。
医療コード「アルファ・03・ブルー」

(ミーム・遺伝子)
防御シールド42%低下。
マスクだけではこれ以上は無理です。

(ウィンウィン国王)
チャンネルを開け。
「現在、我々は外敵に侵されている」
「至急、援軍を要請する」。

(AI・グリーン)
メインスクリーン・オン。
外敵アレルギー花粉が更にこちらに急接近。
回避モードを取ります。

(年上の女性)
クシャミ鼻水による不快感が上昇。
このままでは全体の士気に影響が出ます。

(ウィンウィン国王)
各自、対策を述べよ。
一刻も早くこの状況を回復したい。

(酒好き思想家)
外からの救助を待つのではなく、
我々の手で防御すべきです。
自衛防衛システムを発動してください。

(ウィンウィン国王)
保安部隊!直ちに体温を上昇させよ!
花粉症は体温低下が原因かもしれない。

(ロストロスト大王)
室内にいる者は、部屋を暖め霧吹きで湿度と外敵を倒せ。
外にいる者は、厚着をして汗で防御せよ。

(酒好き思想家)
熱い飲み物で体温を一時的に上昇させてください。
乾燥は花粉に有利です。
濡れタオルで外敵花粉を床に叩き落しましょう。
楽しんで!

(年上の女性)
ラウンジ・食堂を臨時に医療室にします。
食事と運動を通じて体温維持に努めます。

(ミーム・遺伝子)
報告します。先程よりか幾分楽になった模様。
クシャミ鼻水が収まりつつあります。

(AI・グリーン)
現在、体温が78%回復。
既に防御シールド(マスク)は新しく替えました。

(ウィンウィン国王)
警戒警報解除。
被害報告。
保安部隊を医務室に回せ。

(酒好き思想家)
いつ再び、外敵に襲われるか分りません。
一時間後にシチュエーション・ルームに集合してください。

(ウィンウィン国王)
我々は常に危険に晒されている。
現代人は少しばかり無防備だ。
自主的な自衛権は我々の唯一残された権利である。
生命維持機能には高度に発達した
防衛システムが必要不可欠なのである。



「こうして今日も無事に、幸せな毎日が守られたのであった・・・。」


     つづく。

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1ダースの質問(イエスかノーか)

2019-04-03 | 社会問題
  4月3日 水曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


マルクス・レーニンからの質問表。

1、計画的社会主義は、独占資本主義であり帝国主義化する。

2、共産党独占的地位とは、ブルジョア政治家と呼ぶに相応しい。

3、解放すべき宗族との闘争に真のプロレタリア革命がある。

4、階級社会の下では、賄賂、腐敗、消費能力が低下する。

5、侵略的自治区は専制政治であり、植民地政策だ。

6、労働組合(巨大トラスト)は、プロレタリアートを分断させない為にある。

7、富の分配と公平。労働分配率50%。

8、情報隠蔽が人々をお金依存にさせてゆく。

9、大企業による合理的統括が、下層プロレタリアートに陥れて格差となる。

10、AIIB高利貸国家による一帯一路政策が寄生性だ。

11、ブルジョアジーとプロレタリアートによる平和的和解が支配的和解となっている。

12、中国共産党はマルクス・レーニン主義を本当には理解していないと感じられる。

                                 以上。

中国は「民族の偉大なる復興」

を成し遂げる気があるのであれば、

この質問に答える義務がある。

もし、答えられなければその時は、 「アウト」 だ。


     つづく。



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「ウィン・ウィン主義」による世界経済統一。

2019-04-02 | 社会問題
  4月2日 火曜日

 おはようございます。 グリーン・DE・クリーンです。


今からおよそ200年前、

マルクスが資本論を、アダム・スミスが国富論を書き示した時に、

資本主義は経済学者の圧倒的多数によって、

まるで自然法則のように取り扱われ、実際そうなった。

マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、

アダム・スミスは、経済活動の本質と感情分析によって、

資本主義は生産の集積を生み出し、その蓄積はまた次の

発展の特定の段階で急成長をもたらすことを実証したが、

現在の経済学者たちは資本主義を一種のゲーム理論に、

MBAという欲望ゲームの攻略法でもって、今さらながらにして、

しかも口をそろえて「マルクス主義は論破された」と言明し続けているのは

よほど現代の経済理論に自信が持てないものだと思われる。

だが、事実は頑固だ。否応でもそれは考慮に入れなければならない。

マルクスとアダム・スミスが示す共通点を見出すならば、

例えるなら保護貿易か?自由貿易か?

という点でのお馴染みのお国柄の間の相違は、

独占的な形態もしくはその逆の双方の利益に叶った

本質的な相違を条件付けるものに対しての、

ウィン・ウィン主義という経済理論の誕生には総じて、

資本主義の発展の競争の段階の社会的かつ根本的で感情的で文化的な自然法則である。

これまでの欲張りで古い資本主義体制が今後の美しい資本主義体制によって

終局的にとって代えられるには多少の時間がかかることと思われるが、

もしくは、美しいウィン・ウィン共同体と肥ったブルジョア資本家との

経済衝突が起こりうる可能性が無い訳ではないのだが、

過去、カルテル・トラストが極度に傾き無分別な政策が

物価を激しく騰貴させ大暴落へ向かわせた歴史から学べば、

現代の金融市場の株高は新しい秩序への中休みにも見て取れる。

問題なのは、過度に激化しすぎた競争社会である。

競争社会は独占企業を予防し、企業協定は物価安定として、

その結果は、健全なる社会活動が形成される予定だった。

確かにとりわけ、技術上の開発や改良の工程には適していた。

生産能力が消費を上回り、得た利益が共有財産として社会発展へと

形式的には自由競争が少数の独占企業を上回ることを期待した。

その結果は言わずとしれたものとなる。

現代には新しく、時代に適した美しい経済理論が必要だ。


ウィン・ウィン主義による経済理論というものは、

グローバル化が進む中での統一的概念による持続可能な発展、

今日までの統一的規制なしに展開される資本と生産による

無政府状態がますます国家と企業との経済的感情の溝が埋まらない。

より一歩高い見地から世界経済の広い領域を見渡せることができる機関が、

世界経済が国民にとっての幸福に直結し、またあるところでは規制をかけ、

生産手段をウィン・ウィンの観点で管理していくことが、

とくに生産者と消費者との間の不断の調和による配慮となろう。

互いの情報交換によって生産を指導するのは、

相互の独立した世界市民による経済欲望を知らない、

良心的な者たちの 「見えざる手」 によるものである。

情報を提携し独占し利用する企業に対しては、

特定のウィン・ウィン機関の手に帰属することとなろう。


    つづく。

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世界経済統一を考える。その3.

2019-04-01 | 社会問題
  4月1日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


本質的には、これは資本主義の圧力に対する

共産主義のいつもながらの不平不満なのであるが、

ただ現代の場合は、その共産主義がいつのまにか

帝国主義へと、AIIBが高利貸し国家へと変貌を遂げているのである。

社会主義と帝国主義との古い闘争は、

いつしか新しい局面に、予想を超えた展開段階で繰り返されている。

共産党ブルジョアジーによる貨幣資本の膨大な累積は、

以前の共産主義とはとても比べ物にならないような手段でもって、

規制の多い労働者からの搾取が人民の本質を台無しにしている。

したがって現代の帝国主義とは、日本や米国ではなく、

社会主義資本国家を指すことは言うまでもない。

資本主義と共産主義との相対的関係性で見れば解るのだが、

物質とエネルギーが交換可能なように、

資本主義と共産主義が交換されていることに気づく。

いつのまにか社会主義国家が独占資本主義と発展し

知らずのうちに帝国主義へと拡大しているのである。

本来、富の分配では金融寡頭制、金融の独占か?それとも

お金は共有財産か?の議論のはずだが、

全体のたった2%ほどのブルジョア貴族のご機嫌が腐敗を日常化し、

生産工程は依然、監督付きで、得た利益は私的である。

社会主義による「世界の工場」の失敗には、

政府が賄賂でもって中小企業の成長を大企業が独占した結果であろう。

プロレタリアートの上層が買収する経済活動による

プロレタリアートの下層を労働者に陥れる格差社会が、

共産党と宗族たちによる仁義なき戦いに明け暮れる反抗勢力となる。

目的を明確にすれば、

ブルジョア共産党による独占的地位が、プロレタリア革命によって

奪い返すことが真のプロレタリアートの義務である。

世界中の指導者たち自身も、

社会主義国家に何か新しい条件を形成する必要を認めないわけにはいかなくなるのだ。


    つづく。

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