酒好き文化風俗研究者

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多数決は自信のなさ。

2015-07-03 | 日記
自信のない者同士が多数決をして無理やりそれに従う事が本当に正義なのか疑問である。

ベンサムの説く最大多数の最大幸福論は私も大好きだが、

みんなの意見は大体正しいとする選択は消極的で曖昧だから結局は誰も責任を取らなくなります。

確かに多数決は楽である。みんなの顔色をうかがえば考えなくてすむからだ。

少数派意見には耳を傾けずに自らの意見を主張しないやり方は責任ある大人の判断とは言い難い。

勿論、一人の幸せと10人の幸せとを比べれば10人の幸せが優先される事は理解できる。

一人が犠牲になれば100人が生き残れるとしたら犠牲はやむを得ないとするのが現代社会だからだ。

それなら常に犠牲者を確保して置かなければならず、増々少数派の意見はもみ消されることになる。

それもまた単純で良いのだが、考える事を忘れた者達に従った挙句に責任を取らされるのもまた考える事を忘れた人達である。


世界の常識ではディベートによって決断を完成させるやり方ですが、その為には一人一人の意見が何よりも重要だ。

意見の無い者は存在しないのと同意語だから、意見の無い者はみんなの為に犠牲を強いられる。

だが、良い意見だと思う。みんなの意見を一つに完成させる為に協力することが出来れば責任が生まれ、また、意見の無い役立たずを識別できる簡単な方法だとも考えられるからだ。

実際、その他大勢の人達とは派閥の原因でもあり、現実問題から逃避し、複雑にする混乱者だから弾かれてもしょうがない。

何よりも重宝がられる人とは自らの意見を述べる問題解決者だからである。

それにディベートには意見だけでなく人間性も高められるし、意見の一致はコミュニケーションの一致にも役立つ。

逆に、下手くそなディベートとは意見の違いに腹を立てる人のことだが、子供の感情論ではなく意見を戦わせる場なのだから、その人物を攻撃しても話が先に進まない。

問題があるのは多数者の方である。事前に打ち合わせをし、同意を得る方法は自らの自信の無さを隠しているように見えるからです。