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選ばれしインテリジェンスは勇者か賢者かそれとも遊び人か。

2015-07-26 | 社会問題
私達が暮らすこの社会は、なぜだか解らないが、望むこととは正反対の現象が日々起こる。

幸せを追いかけるほど、困難が増し、苦しみを選択すればさらに苦しくなる状況では、

いつしか人は不安定で矛盾だらけになり、秩序や調和や安心でさえも、「ああ、無情」の真っただ中にある。

あらゆる決定を論じながら、その行動に疑問を持ち、自然的な法則性のある問題解決に臆病で、団結が時に破滅を招き、良ければ良いほど、悪くなる。

いかなる善行も動きの無い生ぬるく生気に欠けた人間の感情に反する正統からは生まれない。

改めて言うまでもないが、社会的な善悪は全て秩序ある人間社会から生まれている。

それでいて私達はこれが善で,あれが悪だと誰も断言する事ができないように、自然の変化と同様、我々に出来る事はその最先端に立つことだけである。


自然はコントロール出来ないように、私達自身もコントロールされるのを嫌う。まして他人に管理され指示されることは誰も望まない。

それは自由な社会性の乱用であり、自然法に適していないし、やぶさかでない。

支配関係に見られる多くのパワーコントロールは、自らの欲望に従い悪意を正当化し、正義を乱用する。結果が全てであり、勝てば官軍である。女性たちは良き犠牲者である。

むしろ支配が必要なのは、社会を私物化しようとする、一部の男性の方にある。そこにこそ女性管理者である「グレートマザー」の務めとなる。

支配と管理には市民法と同じ様に、共同体による合議知が必要である。コントロールする側は快楽だろうが、される側はごめんだ。

支配関係とはちょっと変わった習慣から生じるように、社会秩序とはコントロールを見出したら消滅するというまるで善悪との遊戯である。

こうしたシンプルで複雑な、惰性的で理不尽に対応するのがインテリジェンスの人達だ。

インテリジェンスの人達は極端な主観主義と極端な客観主義との接合による両義性を持つ。つまり、あいまいだ。

インテリジェンスの人達は何事においても矛盾している。インテリジェンスとはカオスである。

そして複雑な社会的カオスにはカオスであるインテリジェンスの人達で応戦する。

インテリジェンスの人達はカオスとロゴスの中での緊張した生命体であり、自然カオスによる一時的な自立ゾーンでの雨宿りでもある。

強い雨の中ではライオンもウサギと寝転ぶように、真実は大抵、共存のどこかにある。

現実はなかなか明確には分類出来るものではないが、その複雑さの果てに単純な真実が隠されているものである。