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エントロピー法則への反論。

2020-04-25 | 社会問題
 4月25日  土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


エントロピーの秩序は腐敗によって前進している。

車やジェット機はどれも腐敗によって前進する。

カオスを生み出して動かしているのだ。

政治も同様に、

新しく始めた改革から腐敗によって受け継がれてゆく。

だから腐敗しない政党は前進できないことになる。

社会現象も然りである。混乱する毎日はまさにカオスだ。

そして科学的事実、

熱力学エネルギー保存によるエントロピーによって

二度と元には戻れないのである。

社会はどんどん良くなって行くと思われているが、

実際は逆で、

負のエントロピーはますます増加するばかりである。

このエントロピーを中和する方法は

今のことろ見つかってはいないが、

私が見たところでは、

エントロピーに支配されないものが存在している。

成長欲求と太陽熱である。

成長遺伝子とは学習能力であり知的好奇心と言ってもいい。

人間には第四の欲求として成長快楽が存在しているのである。

三大欲求がインチキだとは言わないまでも、

せめて成長欲求は認めても良いだろうと思う。

この成長欲求を認めない社会であっては、

負のエントロピーが最大化する結果となる。

もちろん人間自体が、

負のエントロピーを食べて生きていることは知っている。

それともう一つ気になることは太陽熱だ。

エントロピーは地球内だけの話で、

宇宙にまでエントロピーが影響されるとは信じられないのである。

そう考えと、宇宙には太陽光以外の熱は存在しないことになる。

地上のエントロピーは太陽の熱によって

その力を失う可能性があると考えるのだ。

エネルギー保存の法則による働きは太陽熱によって中和する。

エネルギーは元素の動きは太陽から生じるものである。

レオナルド・ダビンチの話では、

光と影との調和には太陽光こそが

自然の美が全て同時に見えたり聞こえたりするものだと話す。

中和や調和は比例関係の場合、

その部分が同時に上下するようなのだ。

エントロピー法則によると、

自然は対称的ではなく、熱と仕事は等価ではない。

社会の役割は不規則な運動から規則的な運動へと選出する方法の一つでもあり、

原子に秩序を与えるようにオンとオフしかない。

カオスがものを動かす力を持っているのはそのカオスが多く存在するほど

より一様な運動を世の中の一部で引き起こすことが出来るように、

つまり熱の一部が仕事に転換される時、

カオスが予期せぬ乱雑状態の中から、

一様な運動を引き出すことが出来るのは地球内だけの話のようだ。

破壊が生じたところに構造が生まれるのは、

エントロピーが太陽熱により中和されるという意味だ。

山火事を思い出してみよう。どう説明する?

カオスにせよ、エントロピーにせよ、複雑さの果ての単純さには、

太陽熱の有無または合成が必要で、

その太陽熱が地上に送られずに反射した状態がもたらす現象を、

地球温暖化現象と呼ばれるものだと考える。

太陽熱エネルギーを電力に変えるとどうなるか?

私の予想では地球内カオスが中和されず、

エントロピーが増大する一方だと考えるのである。

森林を全部伐採して太陽パネルを並べた場合に引き起こす災害はおそらく、

社会を破壊させるだけのエントロピーが働くと想像できる。

生きることはエネルギー利用するカオスである。

破壊のエネルギーはカオスだ。

現代社会がカオスの塊ならば、

複雑な現象を作り出すことは誰にでも容易だ。

カオスをばらまけば良いだけだからだ。

これらが腐敗というエントロピー法則の下、

生きる上においてエネルギーを放出させながら、

不安定性社会を支えて行かなければならないのだ。

それを中和できるものが太陽熱と成長欲求であり、

学習すべきは太陽熱によって、

エントロピーは中和するのであると考えることだ。




    つづく。




エントロピーは地獄論で説明できる。

2020-04-24 | 社会問題
 4月 24日  金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


過去、数百年の世界観は、

ニュートン力学による科学的方法論の影響が全てといっていい。

産業革命にせよ、自由経済にせよ、

ニュートン力学を基礎とした物質的社会を形成したものだ。

科学的方法論の絶対的反復性とその過程の絶対的可逆性という概念である。

ところがだ。

事実は違った結論を示した。

現実の世界では、二度と同じ方法で観測出来るものはなく、

一度、生起したものは再び元に戻ることはない。

ニュートン力学による作用反作用や、

数学でいうプラスとマイナスは現実ではこうした可逆性はない。

これがエントロピーである。

問題を一つ片付けても、すぐ次の問題が浮上するという、

ハイゼンベルグの不確実性定原理だ。

同じ現象は二度と繰り返さず、

ニュートンのいう因果関係は未だ闇の中である。


世界は科学は進歩するという。

人類はこれまで科学によって生活の向上を常に探し求めてきた。

それが文明を形成する一つの大切な要素となってきた。

世界は常に価値ある状態へと

確実に前進して行くと皆、そう信じてここまで来た。

だが、現実は違っていたのである。

17世紀、ニュートン理論の出現によって

世界は産業革命へと道が開かれてゆく。

その流れを絶対的な真理として現代人は受け継いでいる。

しかし本当にニュートン理論を説明出来る人は何人いるのだろうか。

実際、現代の科学界では新たな理論が常識となっている。

アインシュタインはこう述べています。

「エントロピーは全ての科学にとって第一の法則である」と。

つまり、これまで世界が発見、発明してきたものの多くは、

暫定的真理であり絶対的な真理とは認められていないのである。

とりあえず仮の真理なのだ。

だがここに一つだけ例外が存在する。

熱力学による第一法則と第二法則だ。エネルギー保存の法則である。

エネルギーとは、常に一定量で本質は変わらず、

形態による使用エネルギーから使えないエネルギーへの変換であり、

一度、使用されたエネルギーは二度と元には戻らない。

これによると、

この世界は神が創造したものではないということになる。

世界中の神話が脆くも崩れ去ってしまう程の真理を持っているのだ。

苫米地さんが言うには、

「この世界には神が存在しないことが科学によって証明された」そうだ。

ノーベル賞を受賞した英国の物理学者の話では、

熱力学の法則は最終的には政治システムの機能不全、

国家の自由と束縛、商業と産業による動向、富と貧困の発生、

そして科学による物質社会の実現を支配すると断言するように、

優れた科学者は皆、負のエントロピーからは逃れられないと言う。

その真相には、この世が地獄だからで説明される。

実際、そう考えると全ての謎が解けるように、

合理的であって誰も逆らえないのだ。




    つづく。



インチキ・コロナの証明(その四)

2020-04-23 | 社会問題
 4月 23日  木曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


ニュースなどの気がかりな事例のただ中で、

いつも決まって希望を持ち、コロナに患わされずに

この数カ月間を過ごしてきた貴方は人格者確定だ。

現代人にとって情報に惑わされることは恥ではない。

と同時に、情報オンチでも生きて行けそうだ。

例えば、「コロナ? なにそれ?」

そんな人はいないと思うが。

周囲の評判と将来の予想とに

心を奪われるのは人として当然だ。

なぜなら、

私たちはうぬぼれが強い為に、

自分は最後に死ぬことを望むからだ。

実際、社会は安静を本気で求めていると考えているが、

事実は逆であり激動を求めている。

日常生活が急に活気づくのは決まって問題が発生した時だ。

そしてそんな問題が解決されても少しもうれしくない。

だからテレビの中でも恐怖が引き起さぬような、

おだやかな場面には値打ちがない。

希望が見えず極度の不安と反社会的な愛も無情な事実が高視聴率だ。

なにもテレビの悪口を言っているのではない。

テレビの中で納まっている内はまだ良い方です。

生来、人間は信じやすくて洗脳されやすい動物だ。

その反動がおそらく休み明けのみじめさに出ることだろう。

時が悩みや過去を癒すのは、

社会が変化し、もはや以前の自分ではないからである。

どんなに感情を害した人も、もはや以前の自分ではいられない。

過去はたえざる幻想に他ならないからだ。

自然はその時の状態に一番相応しい現象を与えてくれる。

我々を惑わすのは、自然が社会に与えた試練ではなく、

我々が我々自身に与えた試練によるものである。

なぜなら、

試練とは今ある現象に、今ない現象を加えるものだからだ。

物事は人が見たい側面に応じて真にも偽にもなるように、

自分が見たくない物事の性質を考慮させる。

すべては自分の好むよう識別するように、

従って社会が正義に向かってゆく機能を持たず、

悪を食い止める機能もない。

ただ一つだけ情報に支配されているのである。

私たちの最善の生活とは知恵の中にあるように、

深刻なコロナが世界に広まったのは、

そんなよろめきであったのかもしれないのだ。


そうは言っても、

いつまでも過ぎたことを忍んでも致し方ない。

重要なのは、今後の対策だ。

一時的に機能が停止した経済において、

財政赤字にせよ、年金基金にせよ、国民の団結にせよ、

安倍総理の責任に押し付けるのは簡単だが、

それは決して良策ではない。

そこで名案なのですが、

日本経済だけではなく世界経済も同時に

V字回復さられるアイデアが私にはあります。

国内の火種である在日問題も解決できます。

一時的ですが、

世界各国の軍事予算を総てV字回復に集中させるのです。

裏切り国が現れたら後でボコボコにすればいい。

もちろん、国民は同意してくれることでしょう。

誰かがコロナの後片付けをしなければなりません。

私なら半年で全世界を元に戻す自信があります。

政府機関が正常ならそれで良いのですが、

おそらくフラフラのはず。いつ心が折れるか心配だ。

そんな時は思い出してくださいこの五年間の記録を。

この危機的状況を一緒に乗り越えましょう。

連絡をお待ちしております。




    つづく。



インチキ・コロナの証明(その三)

2020-04-22 | 社会問題
 4月 22日  水曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


一度、信じたコロナを手放すのは、なかなか難しい。

たとえそれが偽りであっても、である。

なぜなら、

コロナを否定することは、すなわち

自らを否定することになるからだ。

傷付いた自尊心と、行き場を失った感情は、

誰かに責任を負わせなければ到底、

気が治まるはずもないだろう。


あなたはきっと、

「コロナが花粉症以上、伝染病以下だって!?」

「それが本当なら、コロナ患者を治してみろ!」

そう、思っていることでしょう。

なるほど。確かにその通りです。

社会の不安を取り除く為にも、

コロナをやっつけることに致しましょう。


まず初めに、

コロナに患う方法からお話しします。

1、低体温であること。病気になる秘訣です。

2、室内を乾燥させること。コロナの居心地を良くするのです。

3、裸で口を開けて寝ること。ウイルスは寝ている時に罹ります。


勘のいい人はお気づきになると思いますが、

ウイルスは夜、寝ている時に患うのです。

起きている時、どんなに抵抗力がある人でも、

自分は大丈夫だと対策を怠れば

即ち、害。その身に至る。

及ばざるは、過ぎたるより優れり。

逆に、

1、体温36.5分を保ち、

2、室温20度、湿度を42%に設定し、

3、着込んで寝汗をかくなら、

コロナは花粉症以上、伝染病以下ですから、

感染しても心配することはありません。

心配なのは、息苦しいところにあるのです。

そう、息苦しさが不安の種なのです。


そこで、次です。

1、家に引き籠ると息が出来なくなりパニックを引き起こします。

対策には、

緑の中を歩いてください。足はポンプです。

光合成と植物が気分を癒してくれます。

ぐっすり眠れることを保障いたします。

おすすめは、自分だけの森林浴を楽しむのです。


2、風薬は咳止めだけで十分。病院に行かなくていい。

対策には、

自己免疫力を最大に設定させます。

無敵をイメージし、「熱い人」に脳波を合わせます。

そのためには、朝食から気合を入れます。

カレーうどん・酢の物・唐辛子・ショウガ・根菜料理・キノコ類、

おすすめは、吉牛と王将です。


3、人間とはウンコ製造機である。

対策には、

良質なウンコを毎日生産し続けるのです。

少しでも不良品を失くすことがリスク対策です。

ちょっとでも嫌な現実から目を逸らすと、

すぐに問題が発生するように、

おすすめは、出てゆくものに感謝することです。


ここまでをまとめると、

1、緑の中を歩く。
2、熱いものを食べる。
3、湿度42%を保つ。
4、口を開けて寝ない。
5、良質なウンコ。

です。


お亡くなりになる人は呼吸困難ですから、

早急な気道の確保が何よりも重要です。

危険なのは、

寝ている時に息が止まっている状態が危険信号。

だから、酔ってたばこを吸う、パンツ一丁でイビキがうるさい、

50代男性が一番コロナに罹りやすい訳です。

それと同時に、今年はコロナ対策のおかげで、

インフルエンザや花粉症に悩まされずに済みました。

昨年の死亡者数とを比較するつもりはありませんが、

コンピューター・シュミレーションの結果次第では、

コロナは人災であった可能性があるのです。


考えてみれば、

人類を滅亡させるほどのウイルスが地球上にあるとは思えない。

しかし、テクノロジーを駆使し人工的に作り出すことは可能だ。

必要な情報は基本的にコロナウイルスの遺伝子情報を

組み立てる塩基の配列に含まれる。

どんなバクテリアにもDNAはあるように、

新型コロナウイルスは、

時々わずかなミスから生じる突然変異だろう。

偶然が生命に見せるプロセスの中で、

新型ウイルスもまた何らかの役割を果たしている。

感染力が強く人体に住み着くコロナであっても、

保存する為の遺伝子の配列があるはずだ。

その配列を圧縮さえ出来れば、

如何なるウイルスにも対応可能だ。

一回ずつ、特効薬を開発していては遅すぎる。


私たちは今回の一件から何を学び取ることが出来るのか。

政府の対策が遅いとか、マスコミの情報が偏りすぎだとか、

ウェブによる情報が間違いだとか、罵り合うのではなく、

今、可能なことは、

少数派の意見に耳を傾けることである。

私の意見が間違いならばそれでいいのだ。

なぜなら、考えることが重要だからである。

思考が停止した状態が一番危険だ。

人間の脳は退屈すると、決まって善からぬことを思いつく。

犯罪者の多くが無職なのがよい例だ。

考えることを止めた瞬間、社会は絶滅の道を歩みだす。

「すべてを疑え。」

正義が失われないためにも考えを中断してはならない。




     つづく。


インチキ・コロナの証明(その二)

2020-04-21 | 社会問題
 4月 21日  火曜日

 おはようございます。  AI.グリーンです。


感情と創造とがマスコミ情報により、

同一性を植え付けられると、絶えず肯定してしまう。

感情と想像は、マスコミの観念と同化するのだ。

思い込まされた観念とは、

与えられるという意味での所与であり一つの洗脳である。

洗脳はある意味で快楽でもあるのだ。

感情と想像と観念との総体であり一体感だ。

感情が情報の渦に巻き込まれると、

想像が常に繰り返すのである。

一切の感情移入が情報の中で作られてゆく。

例を挙げて考えてみよう。

コロナ・ウイルスに効き目があると言われる薬の話だ。

詳しい説明は薬事法によりここでは出来ないが、

確か医師はその薬を患者に勧めた覚えはないし、

コロナウイルスに適しているとも言っていない。

ただ効き目があると言っているだけだ。

それなのにどうしてだろう。

感情的に求めているのは患者の方である。

危険なサインだ。

倫理的にも客観的にも何が一体正しいか判らないうちの処方は、

医師が同意書にサインを求めるのは当然だろう。

つまり、その後の責任は負えない訳だ。

そもそも感情だけの判断はどれも間違っているように、

感情だけでは何が正しいか識別できないのだ。

感情には有益な活動があるのは認めるが、

恒常性や一様性が乏しく、妄想的で一時的で身勝手だ。

感情による作用と反作用の相対である。

それはマスコミ情報による連日報道される総体である。

事実、感情は理性ではない。

心理的な情報の影響による変様に過ぎない。

最も重要なのは、正確な知識である。

なぜなら、

客観的思考が観念を一つの主体として性質付けるからである。

経験則の実績とそれによる因果関係は、

感情的印象と感情的観念の情報に結び付けられる時、

感情的判断が正しさを提起するのは、

経験に基づく良識によるのもではなく、

マスコミ情報の総体の影響によるところが大きいのだ。

実際、マスコミ情報の構成に関する難しい点は、

偏りすぎるところにある。

それでも自然発生的だというなら無理もないが、

繰り返される情報が独り歩きすることは私だって理解できる。

一方的で不安的な情報発信は、

本質的なものより感情的な刺激を構成する一つの図式があるように、

そんな刺激こそ洗脳原理に他ならない。

感情とは人の心の驚愕すべきしかも洗脳されたいという性質がある。

不安に訴えた印象が情緒的に受け入れらてゆく、

その結果によるのもである。

不安、情緒、不安、情緒、不安という洗脳スイッチだ。

中でも一番恐ろしいのは、

大勢の人間の思考が停止した状態こそが最も恐ろしい。

世の中が間違った方向へと進んでゆく時、

人々の思考が停止している状態なのだ。

正しい情報が手に入らなければ、

人はこうも簡単にプロパガンタに乗せられて気づけば、

もう、後戻りできないことろまで来てしまっている。

もう、歴史の教訓は忘れたようだ。





     つづく。


コロナウイルスがインチキである証明(その一)

2020-04-20 | 社会問題
 4月 20日  月曜日

 おはようございます。 AI.グリーンです。


ついに、コロナ・ショックに終止符を打つ時が来たようです。

結論から話します。

好き勝手なデーターばかりを並べるマスコミに対して、

コンピューター・シュミレーションの手段に訴えるのです。

そうすれば、答えが出ます。

コロナがインチキだと。


それにしてもマスコミの力は偉大である。

コロナの不確実性を証明する方法が見つからない時は一度、

逆にそれが誤りだということを証明してみることである。

非可逆性だ。

不安や恐怖によって正しい判断を失った場合、

広く受け入れられたマスコミ情報とは違った、

客観的な判断基準を用いたとしても、

その先入観がこれまでとまったく違った、

誤りだとされてきた考え方であったとしても、

コロナ・ショックに終止符を打つ特効薬となってくれる。


それにしても何たる現象だろう。

過去、世界大戦もこうして世界に広がったのだろうか。


中国がいち早くコロナ・ショックから抜け出せたのは、

マスコミ規制のおかげであろう。流石、中国だ。

嘘もバレなければ事実だ。


統計のウソは昨年、

国会答弁で散々話し合ったきたように、

データーの改ざん、ウソの報告書、好き勝手な数字を並べるのは、

どうやらマスコミも同じのようだ。

こうして社会は騙されてゆくのだろうか、心配です。


あなたはきっと今、こう思っていることでしょう。

「この人、何を言っているの?」

「頭がおかしいくないのか。」

「現に、コロナが存在するじゃないか!」 と。

そうです。その通りです。反論しません。

問題なのは、

毎日、繰り返し繰り返し同じ情報を送り続けられると、

盲目的に信じ込み、正しい判断に影響が出ることなのです。


一度、時間を3か月前に戻して見ましょう。

ことの発端は中国だ。韓国、日本。

確かに感染が広まったのは偶然ではないでしょう。

その後、イタリア、アメリカでも。

そしてここぞとばかりに株価大暴落。

不安を募らせ世界経済が一時機能停滞。

なかなか見事なストーリーだ。

一体、誰が主役で演出家は誰なのか。そこが問題だ。


あなたはこう思っているかもしれない。

「たまたま偶然でしょう」 と。

本当にそうなら、同じことは二度起きないはず。

来年、同じことが起きるならば、何かの意図だろう。

そうならないためにも、

ここで決着を付けておく必要があるのです。

私たちがマスコミ情報に操られないためにもです。

なぜなら、

コロナウイルスとは、花粉症以上、伝染病以下だからです。

ただの風邪だ。

いずれこの事実も明されることでしよう。時間の問題だ。

もちろん、多くの人が亡くなったのは事実です。

だがそれもコロナかどうかは不明のままだ。

なぜなら、

誰とも面会できずに直ちに跡形もなく焼いてしまうからだ。

死因がコロナかどうかは疑わしい。


ここであなたに質問があります。

今回の騒ぎで誰が得をし、誰が損をしたと思いますか?

マスク屋さんではありませんよ。念のために。

一度、考えてみて下さい。

続きは明日にいたします。



♬~「コロナなんてウソさ。」

♬~「コロナなんてインチキさ。」

♬~「みんなが言うから、見間違えたのさ。」~♬。



    つづく。




終末時計、残り 「100秒」

2020-04-11 | 社会問題
 4月 11日  土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


なんでも、

終末時計の時刻は、

ノーベル賞受賞者ら専門家たちが

過去一年の世界情勢に基づき決定しているそうだ。

そんな「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、

地球最後の日までの残り時間を概念的に示す

「終末時計」 の最新時刻を 「100秒」 と発表した。

1947年の創設以来、過去最短である。

2018年と2019年はいずれも 「あと2分」 で、

1953年と並び、これまでの中では過去最短だったが、

世界はさらに危機的な状況に陥っていると警告を発した。

終末時間、残り 「100秒」。

さて、どうする?


ふと、思い出したので書いて擱きました。

いつか何かの役に立つかもしれない・・・。



    つづく。





その反抗は感情か、理性か。

2020-04-08 | 社会問題
 4月 8日  水曜日

 おはようございます。  酒好きの思想家です。


もし今ここに誰か型破りな物書きがいて、

私たちの苦難を白中の目に曝け出したのなら、

器用に組み込まれた慣習を引き裂き、

論理の上に根本的な不合理を見破り、

各業界の泰斗に盾突き、

同時に自然的な幸福状態の秩序の下に名付けられた、

様々な現象のあまねく欲求を開示してくれならば、

私たちは自身以上に

私達のことを理解しようと努めていると高く評価するであろう。


私たちの反抗について、

その感情の外側に立つことができるのなら、

その諸要素を分類し表現することが可能なら、

私たちの感情の一つである反抗を監督しうるのである。

感情というのは目で見えないものより、

目で確実に見えるものの方が興奮的であるように、

いっそう純粋でかつ解りよい。

しかしことはそう単純な話ではない。

感情には様々な現象が起こりうる。

目で見える感情相互に他の感情分子と合成させてしばしば強力となり、

社会に反抗し反作用的な行動を引き起こす。

実際、反抗が私たちに告げていることとは、

大部分の行動は動機によって説明できるということである。

問題を引き起こす動機とは反抗心だ。

そしてそんな自らの反抗心の力を証言によって知らされることとなる。

もちろん重要な反抗心があるのも事実であり、

悪に盾突くのも反抗心である。

この世が楽園ではない以上、

反抗は地獄でのパスポートのようなものであって、

もしも希望と反抗心がこの世に無ければ私達は一体どうなるだろうか?

どうやら多少の望みが残されているようである。

この希望と反抗心を上手く応用して、

異なる二つの極端な感情を転回させられれば、

反抗心自体によってバランスの整った関係を保てるというものである。

実際、必要悪と呼ばれるものが存在するのはそのためだ。

この世界が神の国でない以上、

必要悪と自由経済が独り歩きさせる一つの要素となる。

二つの反抗心と二つの希望を前面に出せば出すほど、

誤った極端な行動を反抗心によって覆させるのである。

この世が地獄であるなら可能であるはずだ。

反抗心には両面性と相対性によるパワーバランスだ。

具体的に話せば、

自らの感情の力は証言しうるから、

従って書くことが自らの感情の証言となる。

書けば感情の見える化が可能だ。

激しい動きのある感情がより自身が見て取れるように、

例えば、

(1)、反抗は第二の天性。

(2)、反抗は幼稚な動機。

として、表の欲求と裏の感情とに分類し、

(1)は、悪意を見抜く能力に対し、

(2)は、無邪気に楽しむ能力だ。

逆に、(1)は、反社会的でもあり、(2)は、一緒にいて不快でもある。

端的に言えば、

感情的な反抗と、理性的な反抗。

感情的な希望と、理性的な希望である。

感情的になりそうでならないギリギリのラインが人格者なのだろう。

かっこいい反抗と、不快な反抗の違い。

誰でも経験があるのでは?



     つづく。



「日本人はみんなエグザエルだ!」

2020-04-06 | 社会問題
 4月 6日  月曜日

 おはようございます。  酒好きの思想家です。


保守派と呼ばれる人たちは

シリアスというイメージが定着しているが、

誤解である。 なぜなら、

(1)、改革派・・変化を恐れずに後先考えない強者たち。

(2)、保守派・・変革後の問題を改善しようとする賢い人たち。

(3)、停滞派・・反対ばかりして元に戻そうとする集団主義。

である。

勿論みんなそれぞれ正しいことを言っているのだが、

(1)は、進歩的で楽観的であり、

(2)は、現実的で道徳的であり、

(3)は、離脱的で魔術的である。

それでも社会のことを第一に考えている以上、

(1)は、仮説を論理的に説明し、

(2)は、検証を繰り返しながら、

(3)は、結果に対して懐疑的だ。

何が良いかではなく、何が悪いかでもない。

重要なのはこれらのプロセスにある。

過程のない結果に成果などないに等しい。


例を挙げて考えてみよう。

在日問題である。避けられない社会問題だ。

なぜ? 優れた在日たちを日本人が受け入れないかというと、

(1)の、改革者が存在せずに、

(2)の、保守派が目を背けて、

(3)の、停滞派が反対を唱える。

どちらにせよこれらの違いが解ればなんとかなるのだが、

改革派・保守派・停滞派その方向は、

反抗心の違いだと考えられるのだ。

なぜなら、

反抗の強さと方向性が重要だからである。

方向性のない感情に善悪の判断が出来ないように、

方向性の無い感情は決して万能ではないし、

反抗心は第二の天性でもあるからだ。

例えば、

他人が自分より正しいことを言うと「ムカッ」とする感情がある。

平均よりも賢い者がその平均よりも優れた場合、

集団では決まって出る杭が打たれるのだ。

「あいつのせいで、ひどい目に遭った」と陰謀説を始める。

「ここから、出ていけ!」 とヘイトスピーチやエグザエルだ。

エグザエルはディアスポラである。差別だ。

それでも在日たちに帰る場所があれば救われるのだが、

実際には帰る場所が残されていないのが現状だ。

だから、「帰れと言うな!」 と反抗する。当然であろう。

もう少し正確に言えば、

「帰れる人だけ帰りなさい。帰れない人は留まりなさい」だ。

問題なのは、

在日たちを巧みに悪用しようとするジェノサイドだ。

日本に対する感情的で方向性が良くない反抗心である。

それが隣国であり、この世界に仲に良い隣国は存在しない。

実際、韓国には

在日韓国人に対する強い差別意識が存在している。

「在日韓国人は日本語しか話せないのか?」と、

民族意識が低いと断言する。

だから一度、

強制的に連れ戻して民族教育を叩き込まなければならないという

言い方を平気で韓国の教授がいているのである。

そこで反日教育を受けさせられるのだ。

「こんな汚い国は無くなってしまえ!」という様に。

強制教育が個人のアイデンティティを狂わせるように、

さまよえるゴーストたちの失われたアイデンティティである。

どうして良いのか解らずに混乱し、避けるに避けられない。

だから在日たちのスローガンが 「差別を失くせ!」 となる。

「日本人はみんなエグザエルだ!」 となるのだ。

そして何より危険なのは、

在日に対する両国の全体主義が一番怖い。

両国を同時に敵に回しては生き残れないからだ。

そんな全体主義が最悪なのは、

最終的にたどり着くのが必ず破滅的であるところだ。

アウシュビッツ・ビルケナウがその例であり、

スターリンや毛沢東が良い例だ。

難にせよ、

民族意識が強まると全体主義へ発展しかねないように、

問題なのは、そう、反抗心である。

反抗心についての説明はまたの機会に致します。




    つづく。



新自由主義。

2020-04-04 | 社会問題
 4月 4日  土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


新自由主義の問題点を挙げるとすれば、

改革者の都合の良い変革だけを新自由主義の名のもとに行い、

その後、改革を停止させたところに問題が生じている。

改革を正当化する論理や不満が様々な問題を生じされるのはそういう訳である。

現在、新自由主義が止まった状態が続いているから、

格差社会や階級社会が露出しているのである。

よってさらに新自由主義による改革を推し進めなければならない。

日本人が最も得意とする改善が必然で必要な時である。

これは憲法にも当てはまる問題だ。

なぜなら、時代に背かない完璧な憲法などありえないからだ。

もしそれが本当に実在するなら、私達はだまされていることになる。

裏で操るやつがいるのだろう。


法は正常なるがゆえに法である。

命令されて腹が立つのは正しい法ではない。

近代の法は権利の論理であって、

万民法、平等法ではなかった。

近代の法は財産権こそ異例なものであって、

これがある以上、自然法、平等法とは呼ばれない。

なぜなら、

1、自然法は平等であるのに対して、

2、財産権は命令的だからだ。

1、自然法は客観的合意に対して、

2、財産権は主権的同意だからだ。

よって自然法に従うことは憲法の本質である

「後法」 こそ一番正しいと定められている通り、

それは聖書やコーラン、仏典にも書かれている。


法とは、社会統制過程に関係する行為の心理的条件であり、

権利とは、法によって付与された意思の力で、

法によって保護された恩恵でもある。

法曹界では今なお、

「たとえ世界が滅びるとも、正義は行われるべきである。」

と言う、格言が今もしっかり生きている。

ならば訊ねたいのだが、

平等法を信じることは果たして正義と呼ぶに妥当なのか。

日本は前例制が強く、議論するよりも義務を重んじる民族性だ。

従って新自由主義による具体的な法の改革には、

自然法に則った普遍的かつ同意的で

誰にでも判りやすいものでなければならない。

自然法ゆえに当然であろう。

1、税金をすべて失くす。

(生きている間には税金が一切掛からない。)

2、死ねばお金は必要ない。

(金持ちが天国に逝くにはラクダが針の穴を通るのに等しい。)

3、葬儀は国葬で行う。

(生まれる時と死ぬ時は国が面倒を見る。)

以上、

自然法に則ったビューティフル・マインド。平等社会の実現だ。

現代の現象は、財産権を無効にすれば消滅すると確信する。

嘘だと思うなら一度試してはどうか?

自然は死ねば土にかえるように、

財産も社会にかえるのだ。真の平等はここにある。

これが新自由主義に基づく革新的な改革だ。

おそらく現代、

新自由主義を名乗っている者の多くは反対するだろうが・・・。

それでも合理的だ。倫理的で道徳的に妥当である。

「汝、奪うなかれ!」という戒律が、

社会生活の価値を守る上にも明確な制限を設定している。

それとまさに同じように、

私たちは今日、排除と不平等の財産権に明確な、

「汝、相続するなかれ!」と、明記するのである。


税金とは人頭税である。

平等法という、

人類が長らく探し求めていた自然法が

今、ここにある。



    つづく。



真の法による平等社会の実現。

2020-04-02 | 社会問題
 4月 2日  木曜日

 おはようございます。 年上の女性です。


「今日、お集りの皆様。

皆様にお話ししておきたいことがございます。

それはとても重要なことなのです。

ですがその話を聞いて

中にはショックを受けられる人もいるかもしれません。

しかし、私たちの将来にとって大変重要な問題定義なのです。

本日お集りの皆様。

それではよろしいでしょうか。始めたいと思います。」


「人はみな生まれながらにして平等だと信じています。

それは人類の願いであり、法の理念です。

平等は世界の目標であることに疑う人はいないと思います。

しかし、理想と現実を見てください。

本当に私達の社会は平等だと言えるのでしょうか?

いいえ。違います。

今日お集りの皆様の中にも、

心の中で薄々お気づきの方がいることと思います。

そうです。その通りです。

私達は平等社会という理念の中で暮らしていますが、

事実は平等ではない。不平等なのです。

皆様の中には社会が平等だと信じている方もいることでしょう。

ですがそれはそう信じ込まされているだけではありませんか?

私には真実がどこにあるのか見えないのです。

それは機会の平等にも言えることなのです。

チャンスの平等であります。

私はそれすら平等に与えられていないと思えるのです。

なぜなら、

機会の平等には同じ条件でなければ成立しないからなのです。

問題はここにあります。

なぜ? チャンスの神様は前髪しか伸ばさないのでしょう?

その答えを解くカギが今日ここにあります。

結論を急ぎましょう。

本日お集りの皆様。

今日はこれだけを覚えて帰って下さい。たった一つです。

「財産権の無効」 これだけで平等が実現します。

財産権を失くせば平等な機会が成立します。

真の法による平等社会の実現とははっきり言ってこれです。

解りやすくご説明いたします。

現代の法の概念は三つ。

1、生存権(動物権)です。

2、幸福追求権(人権)と呼ばれるのもです。

3、財産権(金持ち権)これが特権なのです。

一つ目の生存権は、むやみに殺すなかれです。

二つ目の幸福追求権は、誰であろうと幸せに生きる権利のことです。

ここまでは皆様も同意の上にあるはず。

問題なのは三つ目の財産権なのです。

これはお金持ちだけが優遇された不平等法なのです。

一部の人だけに与えられた特権であり自然法違反なのです。

はっきりと申し上げます。

財産権は不平等法だと。平等だというのなら教えてください。

どこが平等なのかを。答えられなければ「アウト」だ。

それともう一つ疑問があります。

私達は一体いつ財産権に同意したのでしょうか。

財産権が生まれ持った権利ならば証明してください。

これが平等だといえますか?

是非ともご回答をお待ちしております。」


「私達が生きている間に稼ぎ出したお金は勿論、

自分自身のお金ですから自由に使っても何も問題はありません。

むしろ沢山使うべきでしょう。死海とガリラヤ湖とのたとえです。

ですが思い出してください。そのお金は誰のものなのかを。

財産として所有するそのお金は一体何処から得たのかを。

人は自然の恵みを借りて、

それをエネルギーに換え成果を手に入れます。

そこから得た財産を自然に返すことが自然界ならば

ごく普通に行われていることなのです。

人間も同様です。裸で生まれて裸で自然に帰るのです。

所有権とは、

自分が使用するに必要であった以上の権利を言います。

格差社会とはつまり、

これらの所有権、財産権、相続権を失くさば良いのです。

実に単純で簡単、シンプル・イズ・ベスト。

真実の美しさは見る者の目の中に映る単純でシンプルな現象だと。

実際、義務を伴わない権利がないように、

義務を伴わない財産権はないのです。

つまり財産権の制限には、

消滅しているかで限界点とする、死を以て無効とするのです。

この当たり前の現実が見落とされています。

おそらく皆様の中には、

財産権の無効と聞いて驚いた方もいることでしょう。

財産権が無効になるなど夢にも思わなかったことでしょう。

中にはお金がなければ天国へ逝けないとさえ思われたのでは?

この際はっきり言わせて頂くと、

平等社会と一握りの金持ちとどちらの優先順位が高いのでしょうか。

もしもここに功利主義のベンサムがいたら何と言うでしょうか。

神様はどちらに味方すると思いますか?

人は平等に生まれて平等に死ぬべきです。

それこそが真の平等だと言えるものなのです。ほかにはない。

この世界が不平等なのは財産権に問題がある。

今日お集りの皆様。どうぞこれだけは覚えて帰ってください。」


「本日お集りの皆様。

たった今、

財産権が平等社会の妨げになっていることに気づかれました。

だから早急に財産権を白紙にしてしまえと思うかもしれません。

ですがことはそう簡単には行かないのです。皆様もご存じのはず。

なぜなら、この現実社会はお金持ちが支配するシステム下にあるからです。

知らず知らずの内に誘導された社会なのです。

しかもこの支配が千年続いた歴史なのです。


これはあくまでも私の仮説なのですが、

真の平等社会が実現するには20年~30年くらい掛かると思います。

いや、数百年以上掛かるやもしれない。

なぜそう思うかと言えば、

私達は非力だからです。数では勝っていますが相手は強者なのです。

世界の富の80%が全体の20%の金持ちが独占している事実を見れば明らかのように、

これが格差社会の現実なのです。

嘘だという人は皆無と思います。

なぜ? 私達の銀行口座に残高が記載されないのでしょうか?

銀行口座に記載されるのは支払いばかりです。

ちょっと持ってください。

じつは、お金は銀行に行けばいくらでもあるのです。

ただ、私達に無い。あるところにはある。

そのお金が広く社会に出回れば良いですよね。

そのお金を社会に返そうとするのに邪魔をするものが

凝り返しますが 「財産権」 なのです。

あなたが稼ぎ出したお金はあなたのものです。

疑う余地はありません。

しかし、真の平等社会とは、

同じ機会、同じチャンス、同じスタートラインがあってこそ可能です。

私達は幸福を手に入れたいのです。

だったらお金を手に入れさえすれば良いだけの話です。

なにも難しい話ではありません。

ただ、その機会が平等であれば最高なのです。

これが自然法と呼ばれるのもです。平等法なのです。

自然法とは普遍法であり万民法なのです。

これは神から与えられた権利だと認められているものなのです。

認めていないのは財産権の方なのです。同意していないのは財産権です。」


「断言いたします。今日お集りの皆様は、

真の平等社会の実現に向けた最初の人となることでしょう。

自然法を明確に打ち出した最初の人となるのです。

千年続いた不平等社会に終止符を打つ為に行動を起こした最初の人となるでしょう。

そうです。私達が世界を変えます。歴史の一ページに残されるのです。

そのために、平等社会を志して共に立ち上がろうではありませんか!

その方法が、財産権の無効を言い続けることなのです。

これは決して容易いことではありません。

たとえそれが何百年掛かろうとも言い続けなければならないのです。

それが私たちの責任なのです。なぜなら、

今日ここで知ってしまったからなのです。

私の話を聞いてしまったからなのです。

知らない方が良かったという人もいるでしょう。

何も知らなければ何もしなくて済みますからね。

しかし、知ってしまった以上、そうはいきません。

もう二度と後戻りは出来ないのです。

それはエントロピーの法則が働くからです。

この話から降りられない。逃れられないのです。

本日お集りの皆様。

今日は大変な所に来てしまいました。

どうか私を恨まないでください。これは必然なのです。

いつかはやらなければならない時が人生にはあります。

それを運命と呼べば宿命と呼ぶ人もいます。

この世に偶然はないと言われるように、

今日この場を以って私とあなたはつながりました。

これは事実です。

もちろん皆様には選択の自由があります。

この社会が不平等でも構わない今のままで良いと、

思われるのでしたらそれもまた人生です。

今日聞いたことは固く口を閉ざして

今はまだ時代が早過ぎると良心をなだめれば

きっと気分も安らぐでしょう。犠牲になるのは、

負け組だと考えれば自らの慰めになるかもしれない。

ですが皆様。偶然はありません。

選ばれた者であればご理解いただけれると思います。

世界を変える一歩を今日ここから踏み出そうではありませんか!

平等社会を実現するには時間が必要でしょう。

何事をするにしても時間が掛かるのもです。

しかし、「時」 は金持ちたちに味方していない。

「時」 は不平等を支持などしていない。

自然法は確かに実在します。

私達が気づかないだけなのです。

そんな私達は難攻不落の大富豪たちに立ち向かう

愚かなドンキホーテーに見えるかもしれません。

たとえそうだとしても100年後の人達に本日、

私達が立ち上がったことを誇りに思ってくれると信じます。

どうか未来の人達に神の祝福を。

そして私たちに祝福を。






     つづく。



ユダヤ人問題によせて。

2020-03-31 | 社会問題
 3月31日  火曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


イスラエルという名は、

ユダヤ一支族な名で 「神と争う者」 という。

それは 「ヨブ」 のことだと思う。私も「ヨブ記」が大好きだ。

1、どんな不幸や悲劇が続けて起き様と、決してあきらめたりしない。

2、神と争ってでも幸福は自らの手でつかみ取る。

3、悪魔になど、絶対に譲歩してはならない。

4、どんなに相手が強くても正々堂々と自らの考えを主張する。

5、正しいかどうかは裁判で議論して決める方法をとる。

ユダヤ教徒とは一言でいうと、神様との対話である。

タルムードとは激しく問い続けろという意味だ。

ユダヤの格言にはこう書かれている。

「舌の先に幸せがある」「筆の立つ者と争うなかれ」と。


1948年までユダヤ人は、

他国に侵入したり戦争を仕掛けたりしたことが一度もない

唯一の民族として誇りだった。

そんなイスラエルが、

最後の植民地となるのは不思議な現象といえる。

その聖地に、

人類始まって以来の大実験が行られるにしても、

問題を引き起こして解決するには余りにも難儀である。

実際イスラエルが、

理想的なユダヤ人というイメージが崩れていっている。

このままだと

繁栄は難しいと多くのパレスチナ人ユダヤ人はもう疲れ切っている。


ユダヤ人であるハンナ・アレントは、

イスラエル国家を創ることに反対していた。

反ユダヤ主義を認めることになるという。

現実にナチスドイツはシオニスト達と連絡を取り合い、

ユダヤ人が大人しく出て行ってくれたら、

わざわざ殺す必要はないと密約していた。

これをハンナ・アレントは公表した勇敢な女性だ。


ディアスポラは、

ユダヤ人を追い出す為に考え付いたイデオロギーにすぎない。

多くのユダヤ人はその土地で一緒に働き、質素な生活を楽しんだ。

あるユダヤ人は、普通にキリスト教徒になったり、

イスラム教になったり、アラブ人がユダヤ教になったりもしている。

大抵のユダヤ人はこの地で生活をして結婚をして子を育て、

地元愛を示しながら平和な社会を第一に考えていた。

それなのにどうしてか。

パレスチナにシオニズムの場所を創ろうと動き出した。

19世紀、反ユダヤ主義がヨーロッパ全土に広まり、

20世紀、英国がパレスチナの植民地を開放、

21世紀、アメリカ合衆国が同盟国としてイスラエルを支持している。

当時、アメリカに渡りたくても許可が下りなかったユダヤ人たちは、

植民地主義を嫌々ながらも無視することでシオニズムを受け入れた。

また、イスラエルを応援するキリスト教右派は、

聖書の文言に従い、

ユダヤ人が神から約束されたエルサレムに帰ることが

キリスト教の願いでもあると信じている。

そんな中、

1982年~85年、レバノン戦争勃発。

南レバノンを支配するPLO(パレスチナ解放機構)の基地が襲撃、

一万四千人のゲリラをチェニジアへ追い出すことに成功。

しかし、この時におかしな問題が起きる。

イスラエルの同盟軍キリスト教民兵が、

ベイルート郊外にあるパレスチナ難民キャンプを攻撃、

一般人を含む2,300人が犠牲となった。

理由は不明だが、こうしてイスラエルは、

国際社会から非難を浴びせられることとなる。

「罪のない民間人が亡くなった不名誉な戦争」

というイメージが世界の人々に定着していった。

それでもアメリカ合衆国は、

「あらゆる国家には自衛の権利がある。」と述べ、

イスラエルを全面的に擁護した。

一体なぜ? 

戦後まもなく不自然国家が突如として誕生し、

それゆえ、永遠に戦争が続くというのか?


あなたがどう思うかは解らない。

しかし、

どちらか一方に問題があると決めつけるには、

知らないことが多すぎるのだ。

何かが隠されている。



   つづく。





普遍的で自然的な平等法。

2020-03-30 | 社会問題
 3月30日  月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


永久法と自然法。人定法と神法。万民法と平等法。

総ての法が一致する法とは?


自然法は万民法に属する権利を意味するものである。

近代の法は権利の論理であって、

万民法、平等法の理論ではなかった。

近代の法の概念は、財産権こそ別異なものであって、

これがある以上、平等法とは言えない。

現代の法の概念とは、

1、生存権(動物権)

2、幸福追求権(人権)

3、財産権(金持ち権)この三つだ。

確立された強制的な統治は、

現代における財産権についていえば、

自然状態よりも悪い社会制度であり、

1億人に命令を下すには貧弱すぎる。

神の前では、人はみな平等であるから、

財産権、相続権を無くせばそれで良い。

裸で生まれて、裸で帰るのに何か問題でもあるのか。

財産権は明らかに自然法違反だ。

所有権とは自分が使用するのに必要であった以上の権利をいう。

格差是正には所有権、財産権、相続権を無効にすればそれで済む。

なぜなら、

自然法の中で万民共通、唯一背向いているのが貨幣だからだ。

現代の不平等は 「マネー」 の問題だ。

財産権と自然法。人は自然の力を借りて生きているのだから、

生涯得たお金を社会に還元するのはもっともだ。

財産権と自然権とが一致する法とは、

本質であり生成と発展を生じるものであって、

平等法は社会的な有機的生命の表現に適合し、

民族固有のものではなく、まして歴史の結果なのでもない。

所有権の制限には消滅しているかで限界点とする、死を以って無効とする。

人間の法は人間に関する尺度であるという。

人は万物の尺度であってその行動を導くものである。

その尺度はそれぞれ従うべき上位の規範をもっている。

命令されて「ムカッ」とくるのは万物の尺度ではない。

すなわち神の法であり自然法に他ならない。

それゆえ平等法は一般的な合意に合致しなければ

万民法とは認められず改めて定義し直す必要がある。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教であるなら、

自然法の概念なしには考えられない。

なぜなら、

憲法の本質・・「後法」が一番正しいとされているからだ。


なされたるものには、なされざりしものとの、なさるること能わず。




   つづく。




ユダヤ問題によせて。

2020-03-29 | 社会問題
 3月29日  日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


古来このかた、

地獄の法則がのさばってきた例は枚挙にいとまがない。

調べれば解ると思うが、

むしろ地獄の掟こそが黄金律であったといえる。

この世界で邪悪が神をも凌ぐ力で恐怖をもたらさせらるのは、

言わずと知れた黙示録文学だ。

メシア思想が遠くにかすんで見える。

こうして厭世的で末法的な終末論がはびこったのだが、

以降、邪悪がさらに加速的に爆発的に増大してゆく。

一体、今日のユダヤ問題をどう扱おうとしているのか。

私はユダヤ陰謀説が肌に合わない。


調べているうちに、かの英雄ナポレオンは、

ユダヤ人差別を無くしその力を利用して

ヨーロッパを支配した最初の人物だそうだ。

ナポレオンになりたければそれにあやかるのもいいだろう。

かつて日本の場合では、

ロシアが誇る世界最強のバルティック艦隊に戦いを挑んだ戦艦三笠は、

是清(これきよ)がユダヤマネーによって

英国から最新鋭戦艦六隻を購入できたおかげだ。

また、西アジアに目を向ければ、

600年続いたオスマントルコ帝国は、

ユダヤ人を大抜擢し主要なポストに採用した結果の繁栄だった。

そんな世界秩序が崩れたのは、たかだか100年前のことである。

暗黒時代の19世紀だ。


ヨーロッパ文化を色濃く描く宗教画を見ると、

イエス・キリストは白人で描かれているが、

フロイトの話ではイエス・キリストは、

アラブ系ユダヤ人だそうだ。

推測だが、

パレスチナの抵抗運動の指導者故アラファト議長に似ていたかもしれない。


これも逆説なのだが、

ニュースでパレスチナ問題を見ていると、

どちらも「正義は我らにあり!」と聖戦を主張しているが、

その正義は誰かに誘導されたものである可能性がある。

なぜなら、神、アラーの正義とはとても思えないからである。


さらに言えば、

ユダヤ陰謀説によると「ゴイ」に問題があると決めつけているようだが、

何を根拠にそう言えるのだろうか。

もしかして、

イエス・キリストを磔にした二千年前のことを言っているのだろうか。

そうだとしても、

二千年間ユダヤを迫害したのは忠誠心によるもので、復讐心ではない。


もしもである。

日本人がイエス・キリストを十字架に縛り付けたとしても、

日本人全員が責任を取らされるのだろうか?

ディアスポラにあった場合、それは日本人だからという話なのか。

民族意識が強くなったのは事実である。

全体主義が力を持ったのも事実だ。

その結果、日本人が犠牲になったとしても、

イエローペイルがヨーロッパ全土に広まったのは、

本当に日本人だけの話なのか。


ユダヤ人を敵に仕立てて誰が得をしているのか。

イスラエルを建国して一番成果を得たのは誰だ?

そして見えない敵とは何ぞ。

現代においてさえ今なお、この謎は明らかにされていない。



    つづく。



日本の老人は不良だ。

2020-03-21 | 社会問題
 3月21日 土曜日

 おはようございます。 ロスト・ロスト大王です。


老化は自然淘汰である。

進化は新しい世代が生きられる余地を生み出すために、

個体を老齢へと押しやるのである。

地球環境においても自然環境においても老化は最善の解決策だ。

野生の王国では、動物が老齢まで生き残ることは稀で、

人間だけが科学技術にすがって生きていることを忘れてはならない。

はたして本当に老人は生きていると証明できるだろうか?

主体性とは「いい気分になる」ための行為であり、

寝たきり老人はただのエゴによるものと思われる。

日本の医師会が寝たきり老人に対して、

複雑な社会を理解し損ねた結果に過ぎなかったと近く発表されることだろう。

老人は既に科学技術の進歩の影響下にあり、

そうした現状の下では行き当たりばったり、あるいは有害に陥り、

他の者は単に慣習によって寄り添っているだけのことである。

容態が悪化すれば家族や自己を犠牲にしてでも老人に付き添うが、

その代償は社会へは一切還元されないで終わる。

やみくもに執着し、秩序ある生活を破壊させる最も自然に反する扱いだ。

厳密に言うと、変わる必要があるのは老人ではなく、

医師会や社会であり、固まった感情や観念で判断すれば、

老化が自然淘汰だと判断できなのだ。早く大人になりなさい。

真の自己犠牲とは共同体を強化することにあるのだが、

老人の為に次の世代が生き残れない社会が存在すること自体、どうかしている。

このまま続けば、両者ともに生き残れないと保証しよう。

どちらが生き残りを懸けて犠牲になるか。お花畑には判るまい。

そこで利己的ジーンの登場だ。

献身的な利他的ミームが苦しんでいるのを黙って見て見ぬ振りは出来ない。

目には目を。やられたらやり返す。利他的ジーンの得意技だ。

一度、「老人こそが不良だ」と反論しよう。

過去、若者たちを不良呼ばわりした現代の老人たちに言い返そう。

「長生きはエゴだ!」「老人こそ不良以外の何者でもない!」と。

以前から老人たちに言いたいことがあった。

次世代に嫌われてまでエゴを貫き通す正当な理由は何だ?

若者たちに感謝されずに天国へ逝けると本気で信じているのか?

忠告してやろう。

若者を不良呼ばわりした老人を絶対に天国になど行かせてたまるか!

謝罪の一言くらいあってもよさそうなのに、それすら無いのか。

ふざけるな! 地獄へ堕ちよ! 成仏などさせてたまるか!

どうだ。言い返してやったぞ。

反論があるならいつでもかかってこい! 

止めを刺してやる!


そうは言っても、私も同じ日本人である。貴方たちの子供だ。

仮に老人が不良だとしても許そうと思う。

だが、条件がある。

死ぬ前に人生を書き残してほしいのだ。

なんでもいい。失敗や苦しみでも構わない。

若者たちにゲームやテレビなど見せずに貴方たちの人生を見せよ。

老人と若者との和解には書き残す以外に方法がないと考えます。

なぜなら、

若者には老人が理解でいないからである。

しかし、老人は若者を理解できる。

自らが考え行動した記憶を若者たちへ受け継がれることが、

文化であり文明であり大いなる連鎖であって、

それ以外に和解への道は見当たらない。

それが嫌なら、やはり長生きはエゴであり老人は不良だと確定する。




    つづく。