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社会正義、ヒーローはどこだ?

2019-02-28 | 社会問題
 2月28日 木曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


悪を明確に出来るならば答えは簡単だ。

集団の発展に貢献できる人物がヒーローとなる。

なぜなら、この世は楽園ではなく地獄だからだ。

私たちがヒーローと呼ぶその友人の多くは、

集団に貢献するかどうかで判断されている。

悪者と思われている人物でも気づけば、

社会の発展に大きく役立っていることがあるからだ。

偉人たちが遺した言葉を紐解けば、

ストア派の言う通り一切皆苦。お釈迦さまも同意する。

何故だか判らないのだが、良いことばかりは続かない現実だ。

悩みや苦しみがそれ自体、無くならない理由であろうと考える。

実際、過去がどうであろうと大した問題ではなく、

重要なのはむしろ今後だ。

秩序はバランスの中にあるというように、

極端に行き過ぎた社会体制であっては中庸が重要となる。

歴史が無名よりも有名を優先するならば、

正義は集団の貢献度によって判断されるべきであり、

少数派である北朝鮮の存在とはつまりそういうことになる。

トランプ大統領も同様、

いなくなれば分かるように、いなくなるまでは判るまい。

もしも、バットマンが昼間に現れたらどうだろうか?

おそらくキップを切られるだろう。

スーパーマンを見よ! 普段は新聞記者だ。

全てを疑うなら、今ここにいるあなたがヒーローかもしれない。

人は意味の無いことはしないように、意味の無いことに興味が無い。

未だ、不完全な社会正義と未熟な支配関係とでは、

ヒーローは必ずしも称賛されるとは限らない。

だから悪者が野放しになる。必要悪という言葉がもてはやされる。

ランボーはこう言っています。

「人は何もしていない時に陰謀家になっている」 と。


ヒーローの対象を全てこの世から笑いものにすれば、

全てが哀しく、残酷である。それはより過激に、より悲劇的に。


一つのきっかけが戦争回避へと繋がるならば、我々の人生は無駄ではなかった。

一つの行動が集団に貢献できるならば、私たちの人生は無駄ではなかった。

一つの出来事が歴史に記載されるならば、お互いの人生は無駄ではなかった。



   つづく。

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マスコミは平和より、戦争記事を書き望む。

2019-02-27 | 社会問題
 2月27日 水曜日

 おはようございます。 

トランプ大統領の政策アドバイザー、ウィン・ウィン国王です。


お呼びでしょうか。

後のことは私にお任せください。

トランプ大統領は遠慮なさらずにお好きにどうぞ。

すべての責任はウィン・ウィン国王が引き受けます。


金正恩委員長。

ご無沙汰しております。ウィン・ウィン国王です。

心配なのは、安全保障と遅れた経済活動だと思いますが、

問題ありません。私が味方です。

良い考えをご用意致しております。

証拠ですが、南方とは口を利かず、北方のみ協力する。

これでいかがでしょうか。

拉致問題につきましても私がやりましょう。

核ミサイルも同様に、私にお任せを。

それにしても一体誰が予想したでしょうか。こうなると。

ノーベル平和賞もびっくりです。

金正恩委員長の功績は歴史の一ページに残されることでしょう。

日本人の血を受け継ぐ金正恩委員長ならば分かると思いますが、

日本人は裏切らない。

裏切り者なのは韓国の方です。そうですよね。

それに対しても必殺技を準備出来ていますからご安心を。

きっと笑って受け入れるはずですから。


問題なのは、メディアです。

マスコミは嫉妬して邪魔しますから少なめに話します。

そうすると、記者会見は3分で十分です。

どうせ、事実は書かないのですから。

一度、フェイクで儲けると病みつきになるのでしょうか。


マスコミ関係者が有能なのは認めるにしても、

その方向性に問題があると考えます。

例えると、ノストラダムスの大予言を 「人類の滅亡」 と書く。

実際にはそんなことは一行も書かれていないのですが、

メディアの問題点は、集団を不安定な方向に向かせるところにある。

事実は 「死に至る」 と書かれているにも関わらずに。

それとも、生涯一度は戦争記事を書きたいのでしょうか。

もしそうなら、いい迷惑です。やめてください。

とにかく、記者会見ですが、「3分で終了するぞ。」 と

言えばよい記事を書くのではないでしょうか。

メディアの思う通りにならないと、きっと嫉妬するのでしょう。


そうだ! ここで一曲。

♪~♪「黄金色の旅人が、待っている」

♪~♪「物語へ、急ごう」

♪~♪「太陽が目覚めたら、あの船で行こう、寄り添って」

♪~♪「雪解けを泳ぐ、クジラみたいだ」

♪~♪「まだ誰も知らない、あの空の果ては」

♪~♪「きっと、眩しすぎる、ガラスの扉。」♪~♪ 


    つづく。

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生命の原理。結局のところ我々はどうあがいてみても、みな集合体の一部である。

2019-02-26 | 文学
 2月26日 火曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


知恵の最終的な結論はこうなります。集合体を信ぜよ。

大いなる者よ。我々は理解しました。

善意ある行為、制御された活動、不断なる時間の流れを。

私たちにはまだまだ判らないことが少なくはありませんが、

生き続けて行けば、きっと解ってくるのでしょう。

人類の英知は、なるほど素敵だ。

喜びが何かを成すための行為それは、大したものだ。

はるかな世界と、広い生活、深い毎日を

願い、年月の誠実なる努力でもって、

絶えず極め、絶えず困惑し、永遠に完了するはずもない試みであっても、

しばし纏め、長き継がれた忠誠を拠所として、賢く新しきものを捉える。

心は晴れやかに、目的は果てしなく、集合体は一段と進歩する。

狂おしい時代にめぐり逢い、激しい時世に立ち向かう。

結局のところ、どう上手く立ち回って見ても、みな集合体なのだ。

個人主義では結局のところ、何かを達する為には何かを犠牲にしなければ、

成し得ないことを誰もが忘れているように見受けられる現代の中で、

集合体の活動にはどんな種類のものであろうと大いなる連鎖という喜びが備わる。

社会が常に要求する誠実なつながりそれは、

優れた人物は全て相互に関係しあうウィン・ウィン思想にあろう。

過去から我々に伝えられているものを絶えず顧み、

三千年にも及ぶ集合体の歴史から学ぶことを知らぬ者には、

得られものは少なく、短すぎる時間の闇の中にいよ。

好むにせよ、好まざるにせよ、私たちはみな集合体に属する。

そして変化する覚悟を持たなければ見捨てられる。

この世が無情なものを無情でなくす為にこそ我々は存在するからだ。

仲間と共に迷うのは、それなりに得るものがあろうと思う。

喜びには悩みが、悩みには喜びがなければならないからだ。

みなと共に己の自我を人類の自我へと拡大しようではないか。

偉大なことを欲する者は、制限の中に初めて名人が現れるように、

そしてその法則のみが我々に自由をもたらしてくれているのだ。


究極を望む者ならば、これだけは知っておいてほしいことがある。

自らの一生の終わりを集合体と結びつけることが出来る人は最も幸福であると。

社会貢献を成し、成された事が認められるならば最高の人生だ。

社会を見よ! 成功者は社会に直結している事実を!

全体の中に美しい秩序を見出した者を見てみよ!

人は行為によってその人格がすぐに解るように、個人主義はべつに構わない。

重要なのは、自らの個人主義が社会に受け継がれるかどうかだ。

人は他人の為なら、強くもなれば生まれ変われる。

毎日から解放される方法。集団に役立つこと。

それがあなたの長所だ。



    つづく。

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仏教・キリスト教・イスラム教との三位一体法。

2019-02-25 | 文学
 2月25日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


世界宗教統一をシンプルに話せば、

仏教・・この世は地獄である。

イスラム教・・・死の恐怖の克服。

キリスト教・・・愛があれば何でも許される。

この三位一体法が 「一人一宗」 祈り方となる。

問題なのは、女性が不在であることだが、

地獄論・死想論・女性論・そしてウィンチューで達成できる。

今日のブログはその中の一つ、死想論である。

死に対して私たちはこれまで固持してきた姿勢に些か混乱が生じている。

社会は死に対して率直な対応をとってきたとは言い難いのだ。

死は生きるもの全てにとって避けることが出来ない 「ゴール」 であって、

「つけ」 を負っているのでは決してない。死は神からの贈り物なのである。

ところが現実は、私たちはまるでそうならないかのように振舞っている。

「ゴール」 を見えないところに隠してしまい、

排除しようとすることに誰も異議を申し立てる素振りを見せない。

それはまるで死の現実を黙殺しようとするかのようである。

確かに、自分自身の死を思い描くことは至難の業だ。傍観するしかない。

そのせいか自分は不死であるという思い込みが自然秩序から破滅を招く。

他人の死については文化人らしく究めて慎重に対応しているが、

それでも他人の死を受け入れることは難儀である。

その度に私たちは深く動揺し期待を裏切られたような気持になるのである。

その背景にあるのは、死の必然性ではなく、

偶然的なものと考えたい願いが見え隠れする。

死者に対する特別な姿勢は、死の恐れを感じさせないためのものだともいえる。

私たちは自らの恐怖を死者に払いのけているのである。

この様な強い影響を我々に及ぼしている現実であるのだが、

うまく対応しきれずに、社会生活は混乱し麻痺し、ひたすら困惑する。

それは新しい対応をまだ発見できないためであろうと考える。

だから死への新しい対応を見出すためには

死に対して今までとはまったく異なる思想や哲学が必要となる。

過去を省察すれば、無知ゆえの軽視に対し宗教がその一端を担っている。

死後の生をより価値の高いものに、完全に意味のあるものとする努力と、

その一方では科学者による来世への価値を低めて現生を重視させる。

この二つの対立が我々を悲観的なものとして否定する態度となる。

普段はそれでも構わないのだが、いったん他人の死に直面するとパニックになる。

死に対する文化人的で宗教的な対応は、

大脳では答えが得られず、ミーム(遺伝子)によって恐怖が半減するどころか克服可能だ。

思考の限界にはミーム(遺伝子)で対応すれば不可能が可能となる。

これまでのように不安定な抑圧よりか、もっとはっきりと示す死想論であるのだ。

その死想論とは、真実の在り方にきちんと配慮し、優しく語り掛けるような、

人生を耐えやすいものにしてくれるという利点が備わっているのである。

死が価値あるものに変えられるならば、受け入れる側も楽しくなるであろう。

死が日常的な出来事として誰もが直視可能な状態に示せば、

偽善的な態度や目を背けて逃げ出すことしか出来なかった社会秩序から大きく脱却するであろう。

社会は一新する。もう、騙されることはない。

死の恐怖は実は人間の深いところでかなりの規制をかけているのである。

社会現象とは、恐怖現象にある。恐怖の減少だ。

なにも死は強者の特権ではなく、弱者の味方でもあるのだ。


    つづく。

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お釈迦様が遺したもの。

2019-02-24 | 文学
 2月24日 日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


イギリス人だったと思うが、大変優れた学生が、

人生における善と悪とを計算し両方の統計を比較して、

悪き事柄が善き事柄を上回るという論文を発表した。

どうやら結局のところ

社会はそれほど善い環境ではなさようである・・・。


突き詰めると、社会の過半数は悪と言っても間違いなさそうだ。

それもそのはず、お釈迦様の悟りは真理であり永遠だ。

いつまでも続く苦しみを経験すれば、その証明は不要である。

社会に生きる私たちは、互いに利害関係が強まるにつれ、

競い合い憎しみあうようになるのである。

表面的には性善説を振舞っているように見えても、裏では互いに嫉妬し合い

無意識的にも悪を為し合っていることは否定できない事実なのだ。

ビジネスの場でも同様に、個人の利益がMBAの教える掟に従うと、

公共の利益と集団の利益が正反対の格差となって表れる。

世界経済によれば、そこでは豊かさとは他人の不幸のうちに利益を見出す。

実際、隣国での災難を喜ばない民族が存在しうるだろうか。

知らず知らずに同胞の損害を自らの利益に置き換えているのである。

私たちが他人の足を引っ張ることが大好きな理由だ。

恐るべしところは、世界経済が集団破壊を希望していることである。

ウイルスの流行にせよ、隣国の不正にせよ、自然災害にせよ、

拝金主義者の名言、「血が流れたら買いだ!」 である。

また私たちが互いに傷つけ合わなければならないのはなぜなのか?

誰もが他人の敵となることが義務になり、騙し合うことが利益であるのはなぜか?

正当な手段で手に入れた利益よりも、不正な手段で手に入れた利益が大きいのはなぜだ?

全てこれらは決して現代に始まったものではないのである。

さらに奇妙なことに、欲望が自然的なものに比べて

切羽詰まった状態が収まるにつれ、情欲の強度がさらに高まり、

悪いことに、言い訳を駆使して欲望を満足させるために見境なくなるのである。

豊かな暮らしをした後、多くの財産を蓄え、悲観に暮らす人々を我がものとする。

幸福な人生を描き出すとするなら、少なくとも

全てのお金持ちの中に潜む秘密の野望を要約すればこんな感じになるだろう。

反して、お釈迦様が望む世界は、人間は調和を欲するという。

しかし、自然法則は人間に不和を与えることを選んでいる。

人は奇しくも楽しく暮らすことを希望するが、

社会は労働という義務からは逃れる手段を見出せない。

いたるところで見受けられるのは抵抗の源泉である。

ここから多くの悪が生み出されている現実でもある。

これは最も困難であることの一つだ。

人類が今世紀中にも解決すべき大問題である。

思い浮かべるだけでもこの問題の困難さが窺える。

私たちはやがて生活の苦労から楽園を思い描くことになるのだが、

このような夢想した安らぎの生活と現実の生との間には、

再び自然法則が介入し出して、最も嫌う労苦へと駆り立て、

人々を困惑さしめて軽はずみな行動を追い求めさせてゆく。

いつしか私たちは善悪を忘却し傍観するに至ったのである。


     つづく。

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世界統一を考える。その四

2019-02-23 | 文学
 2月23日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


様々なご指摘があろうかと思いますが構わず続けます。


始まりは、「メシアはミーム」 から。

祈りによる宗教統一です。祈りは心の支えであり、

内なる神と大いなる神との強い合一に突き動かされてゆく。

辞書的な定義によれば神智学とは、

霊的な忘我や直感あるいは特殊な個人的関係によって神の智を得ることを表明する哲学という。

この定義は 「一人一宗」 にも見事に合致する。

コーランにはこう示されています。

「アラーこそは最初なるもの、最後なるもの、外なるもの、内なるもの」 と。

また、コーランは信者たちにこう語りかけます。

「確乎たる信教を持った人々には、この地上に様々な神兆がある。

それらはお前たち自身の中にも。お前たちはそれが見えないのか」 と。

世界は聖光から発生し、この光に回帰するため自省するミカエルである。

宗教の真正さを保つには、時として異端者と告発される危険を冒さなければならいが、

まさに現世の大問題は、

世界全体のために証明しうる確固たる人物が不在だということに尽きる。

ジハードによって天国に直行できるならば、隠れずに表に出るべきである。

そして同胞たちの手によって絶滅せよ。

神に命を授けた者には、ゴール(死)から逆算する行為が望ましかろう。

また、喜んで捨て去る者には、

「自らの命は天に授かり、死生の権利も天理にあり」。佐藤一斎である。

「世の中には死ぬことよりも見事な行いというものがあるのだ」。

「必死の観念とは一日毎に仕切る」。残念記である。

うまく生きようとするな。ただ死ねば善いのだ。神の為に死ぬが本望。

柳生流では、「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」。大ジハードだ。

葉隠れによると、「偉大なる狂気。初めから死へと突入せよ」。

「正気では大仕事は出来ない。死に物狂いで始めて上手く働く」。

「相手に勝たなくて善いのだ。いさぎよい討死こそ武士の美学」 と。

本居宣長はこう伝授する。

「もののあはれ。世はすべて神のはからいによるもの」 だと。

死期を感じてから人生が始まる。神聖に魁て散る。これである。

死から逃げ出さないからこそ、霊性との一大作用が合一するのである。

逃げては運命が始動しない。死は神からの贈り物である。

死生の境に出入し、その心胆を練り窮厄の域に浮き沈みして

その清節を磨き、さらに進んで世間の風霜に打たれ、

人生の苦味をなめようというほどの勇気を持ち奮って

浮ぶか沈むか生きるか死ぬか、泳ぎ切ってみることである。

山岡鉄舟剣法正伝にはこう示される。

「敵の好む所に従って勝を得る意」

「切結ぶ太刀の下こそ地獄なれ。踏み込む行けば後は極楽」 と。

夢想剣曰く、「勝つと知りて戦いに挑む一刀斎ではない」 のである。

勝利の女神は、命懸けの遊戯でなければ燃えないものであり、

目に見えるものと目に見えないものとの合一。

我々は生かされているのである。


    つづく。

 
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世界統一を考える。その三

2019-02-22 | 文学
 2月22日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


世界統一宗教編第三弾。

世界はメシアを待ち望んでいる。

それは世界統一宗教団体の設立ではなく、

「一人一宗」 による人類みな教祖、ミーム(遺伝子)である。

神とのメッセージを開くには、死を知ることが一番なのだ。

なぜなら、この世の唯一の絶対的法則だからである。これ以外にはない。

我々は死で以って救われるのである。不死ではないのだ。

人生の大きな謎は死ではなく、お釈迦様が説く一切皆苦。

従って、最後の審判は良いことと断言する。

集団として死すべき時には恐れる必要が何もない。神業だからだ。

この世に神が存在しないのは地獄であるから当然なのである。

イスラーム教での究極とは、聖戦での絶滅にある。

イスラームは法則に忠実であるから集団で死すべしとなる。

現在の宗教活動では、人生100年時代は到底もたないだろう。

ここからは避けられないと悟れば、苦痛は感じないものである。

「アラーは私を望まれた」 新しい宗教概念が必要な時が来ている。

死の恐怖と死の恐怖からの解放とを、

悪用されない為に、あえて複雑な言い回しをしているが、

まずはパラノイアから判るようにし、サイコパスは後回しにする。

反抗心と自己中心的な人物にはフィードバックで煙に巻く。

人の身に成って見るまでは、誰に対しても理解不能となるであろう。

恐怖を制する、死が襲ってくる先に、こちらから死に飛び込む。

死は人間に目を開かせる。逆境を撥ね退けるには逆境を受け入れることである。

一切は幻影にすぎないゆえ物事はより単純に、より簡単に、より判り易く。

すべては低い感情、その思い違いによる情念から生まれるものだ。

見よ! 社会の擾乱なるものは、みな嫉妬から生じている。

散る気の習のある者は、聴くがその縁を保たねばならない。

自己満足と自己充足には限界が無い分、苦しみに事欠かない。

生きることだけでは目的達成とみなすことは出来ないのだ。

大きな不幸が避けられておれば賢く立ち回った訳ではない。

どんな小さな問題にもそれ固有の表裏がある因果律だ。

サルトルいわく人間の定義は、

認識できるものによって成される、実在主義である。

知らない者は義務を犯す。選択する自由がないからだ。

ハイデガーは、不安は存在することへの恐怖から生まれると言う。

我々の望みに到達するには、先ずその反対のものを通らなければならないように、

自然法則に従い、反作用を先回りして秩序を融合させるウィン・ウィン思想を持たなければならないのである。


   つづく。

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世界統一を考える。その二

2019-02-21 | 文学
 2月21日 木曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


世界統一、宗教編です。

切実なる死の恐怖を克服せずして何が思想か。

切実なる死から逃避して何が生活か。

切実を突破せずして何が生きがいか。

ウィン・ウィン王国こそが生を与え、死を授ける者である。

名誉を以って天国へと導こうではないか。

永遠に続く地獄とは死ねない地獄である。

それは望むと望まざるとに関係なく、

死とは神からの贈りものなのである。

我々はすでに地獄に堕ちている事実なのだ。

この事実は不変であるが、対応は可能だ。

奇跡はある意味において地獄での法則破りとも言える。

複雑な現象を創り出すことは誰にでも出来ることだが、

真理を理解し 「一人一宗」 を自覚するなら、

暗黒は大抵、断固たる抵抗に会うや否や退散するものである。

地獄を理解しない者には、真の幸福はありえない。

天に命を預けて、天の意思に従え。

全てを捨てれば全てを得られる。

何人ともその人物の力量以上の試練に会うことは出来ないように、

運命の大きな流れの中では、社会が停止することは稀である。

善水の如く慌てず、しかし休まず、人はみな己が負の目に巡るが如し。

処世術の心得は、自らの存在を集団に授けるところに本領がある。

世界人類の大問題に参加せよ! 新世界秩序へと貢献せよ!

世界統一は一人ひとりの目覚めに試されていると言ってもいいだろう。

定言命法である。自他共に認める命令、ウィン・ウィン思想だ。

世界統一が意味を持たないと感じたらゲームオーバーだ。なぜなら

自然状態とは敵対行為の脅威が常に存在する戦争状態とも言えるし、

人間の内にある自己破滅的な欲動を解放し安定させる必要があるからだ。

汝に告げる。

災いに屈せず、さらに大胆な一歩を踏み出せば良い。

勝利の女神はアグレッシブな者をこよなく愛す。

同時に、敗北は無視し、勝敗には拘らないつもりだ。

目的とは近づくほど困難が増大する。ならば目標を遠ざければいい。

怠け者はそっくりそのままにして置くのが得策だ。

感情的な活動では、どんな種類のものであろうと結局最後に破断する。

己の自我を人類の自我へと拡大せよ!

苦しみが残して行ったものを利用すれば、苦難も遠のくかもしれない。

真理と偽りは幸福と不幸同様、表裏一体にして同一の源泉ゆえに、

過ちをも認めなければ真理に到達しえない難しさは残るが、

両者は完全に対等で分離するまでは融合できないのだろう。

現象そのものが学理なのである。

ならばためらわず掴め! 聖なる明らかな秘密を!

お釈迦様はこう告げます。

「諸法無我、一切の物事は自らの思い通りになるものではない」 と。

ハイデガーは言います。

「覚悟と決意が現象化する。逃げては現象化しない」 と。

「一人一宗」 における融合は静けさの中で創られ、人格は世の激流の中で磨かれる。

人類の文明が素晴らしいのは、ウィン・ウィン時代。

そんな時代が目の前に来ているのである。


    つづく。

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世界統一を考える。その一

2019-02-20 | 文学
 2月20日 木曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン王国です。


複雑な現状には、

ウィン・ウィン王国が世界統一すれば美しい。

問題なのは、邪魔が入ることだが、

心ある協力者が現れるのを信じて始めるとしよう。

まずは、世界宗教統一からだ。

既存する宗教はそのままで、「祈る方法」 の統一である。

一人ひとりが、神通力を身に付けるならば、

世界陰謀説も回避できるに違いない。


人類には明確なビジョンが欠けている。

それも燃えるような大いなる目的が必要だ。

世界中の人々が沸き立つ様な、

全世界が一致団結するような明確なビジョンが必要だ。

ワクワクし時代を超越する美しい目標があった方がいい。

実際、世界中の志ある者たちは大いなる目的に飢えている。

世界を一新させるダイナミックな改革を待ち望んでいる。

薄々だが感じているのだ。21世紀に相応しい時代を希望している。


その一つが、「一人一宗」 の教えである。

人類の名誉にかけて、内なる神と大いなる神との融合法を説く。

宗教や宗派は問題ではなくまして女性がメインと言ってもいい。

教祖たちが隠し持っている 「祈り方」 の一つなのである。

大胆に始められたものには、半ば成熟されたも同然であるから、

認識は自己保存の本能を打ち破り、ブッダ(目を開かせる)のように、

本来の姿は霊的なものによって意味を共有する。

私たちは悟りて生まれた者はなく、迷いて死すべく者でもない。

真理は瞬間に属し、過ちは時代に属す。

「一人一宗」 がそれを離脱させ光栄する。

教えは過去の無念を晴らすことが目的ではないのだ。

ソクラテスいわく、

「魂不滅説とは、生前に得た知識を想起すること」

つまり、二つの神を融合し遺伝子を読み解く想起説の思想である。

武道伝授にはこう示される。

「因縁性・・・覚えなくとも覚えているもの」

これが達成された後には、人類みな達人の領域だ。

やり方は、ミーム・セミナーで開催中だから省くが、

死の恐怖を超越する方法はまだ始まったばかり。

自らの命は天より授かり、死生の権利も天理に有りだ。


ウィン・ウィン王国とは、

相対的関係性による融合点であり、

物質とエネルギーの交換可能点であって、

世界は逆さまの木の上に立つ、禁断の果実によって創出する、

目に見えるものと目に見えないものとの世界観の現象なのである。


    つづく。
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卒業前にラブレターを贈ろう。

2019-02-19 | 
 2月19日 火曜日

 おはようございます。 酒好きとミームです。


卒業生のみなさんへ。

一生の思い出を贈ります。聞いてください。

それは、「ラブレター、恋文」 です。

「今」 しか出来ないことをやるべきです。

30年後での若さを保つ秘訣であり、

「愛」 を学習する絶好のチャンスだと考えます。


ラブレターとは、深い意味でも広い意味でも

人としての相互依存関係、コミュニケーション能力の具体的構造です。

ラブレターとは、

語るにつれて新しい理解と現実を生み出す様態の役割を持ちうるのです。

事実、私たちは 「見たこと」 を話すのではありません。

話すことが出来ることだけを 「見ている」 のです。

「見る目が違う」 認識の目と言われるものです。

「見えるもの」 を 「見えるように」 する構造の一つです。

私たちはとりわけ、「見えるもの」 を創出する側面が

将来、役に立つように、主体は現実を認識するからである。

社会についての私たちの見方は、

その中でも特に重要なのは、

「愛」 の概念による説明能力であるといって差し支えないだろう。

「愛」 による神経伝達物質には言葉のやり取りによって影響され、

集団があなたを認識する際のフィルターになるからだ。

ラブレターの情報には

内面的要素と外界の現実を模擬する客観的な手段では決してなく、

人としての根源にあたる根本的要素その構成と貢献の認識と行動を構造化する。

社会での測定とコミュニケーション能力、新たな集団システムを作り直すことにある。

ラブレターは、現実を明確に表現する能力とするものとしては最適なツールであり、

まさに日本文学の誕生ともいえる文化同様、根本的で根源的、ウィン・ウィンだ。

逆に、「恋心」 の自己外出としての恋愛遍歴とは、

疎外された感情と損失された感情との「いびつな関係」に発展する。


一度、参考までに、ラブレターを書いてみよう。


「私たちは、卒業しますが、その前に

この数年間の思い出を書き残させてください。

どうしてなのかは、解かりませんが、

あなたのことが頭から離れない日々でした。

それでも楽しかった良き思い出です。

卒業する前に、感謝が言いたかった。それだけです。」


人間という、壊れやすいもの。

それでも役に立ちたいという願望。

最大限の恋心には、

それ相当の苦しみが伴うのもである。

探求し経験する、

恋心はラブレターであり、一生の思い出であると。


    つづく。
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スマホって何だろう?

2019-02-18 | 社会問題
 2月18日 月曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


「私はスマホを持っていません。」

そう話すと、気を使われます。

「テレビも見ないし、ゲームもやりません。」

そう話すと、

「総理大臣が誰か知ってる?」 って聞かれます・・・。

変わった人だと思われるのはまんざらでもありませんし、

変人だと疑われると妙に心地好いものです。


話はスマホについてです。


スマホで社会問題を解決に導き、

スマホで人間関係を改善できれば

それは立派なスマホ思想家だ。

お金も掛からず時間が短縮するなら合理的だ。

スマホに人気が集まる理由は、

大脳への快楽であり、成長欲求を刺激し、

レベルアップに繋がる道具だからだと考えます。

科学技術は使い方ひとつが進歩だからです。

そう考えると、酒好きよりもスマホ好きの方が最先端かもしれない。

なぜなら、依存症リスクは分散型が望ましく理想だからである。

一つのことに依存すれば中毒になりかねないからだ。

人は何かに依存しなければ生きていけない弱いものである。

だから依存がなくならない。

お金にせよ、愛にせよ、集団にせよ、スマホにせよ、お酒にせよである。

依存分散を考えるなら、

お酒を飲みながらスマホで愛を仲間同士でシェアすればお金も必要ない訳だ。


スマホが便利なのはもちろんですが、面白いと感じるところは、

悪用すればそれが記録され消されないところだと思うのです。

今はまだ許されることでも、いずれデーター管理が追いかけて来る。

悪用が公表でもされたらどうしようもない。死活問題だ。


仮に、スマホが個人レッスンのメンターだとするなら、

感情を感性に高めてくれるアプリ開発が美しく正しい技術だろう。

毎日の生活がアートに変わり、人生が芸術となるなら幸福論、快楽だ。

スマホ・アート・アプリを考えると、

ゲームは感情モンキーの創作だ。なぜなら、

楽するのではなく楽しむアプリが重要だからだ。

エロサイトやギャンブルサイトも同様に、

感情を刺激するだけではアートとは呼ばれず、

それはいわゆる怠け者アプリである。

酒好きに例えるなら、二日酔いだろう・・・。

酒好きアートは別の機会にして、

スマホ・アート・アプリを先に考えると、

情報交換アプリはアートだと言えます。

なぜなら、スマホにしか出来ないからである。

普通、情報は一方通行で既得権益でコントロール好きだが、

スマホは過去の常識を打ち砕いているからである。

そうすると、メールやツイッターはアートだと言えます。

それにである。人は良い文章を求めている。

人はたった一言で立ち直れたりもするし、また、

上手い文章はセックス・アピールにも繋がるからである。

書くことは感性ですし、読まなければ書けません。

私たちの長所は、物語を共有する能力にあるから、

運命の赤い糸は、情報交換能力だとも言えるのです。

口うるさく感情的な日常会話が、

少しでも静まればみんなハッピー。嬉しいでしょう?


注意すべき点は、情報の乱用、錯乱ですが、

自らがレベルを上げ続ければ、逆にネタバレで面白くなる。

ブロック・チェーン。そうだ。

仲間でシェアしてブロック・チェーンがいい!

フェイスブックの問題点は、この辺りにあるのではないでしょうか。

    
    つづく。

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全能者へ。

2019-02-17 | 文学
 2月17日 日曜日

 おはようございます。 W²O & R²O です。


世界は安らぎを得ず、平やかなる安定を失い、恐怖だけが来る。

誰が一体、全能者との議論に勝てようか。

その時は、私は黙して従おう。

全能者は自らを義と重んじる存在に違いないが、

この世が地獄である以上、我らは共に試されているのだ。

現代思想は個人主義がもてはやされているが、

進化は集団にこそ実在する。

自らのためには死ねないのだ。運命は共同体だ。

勝利者がたとえ滅ぼされても、なお望む者だろう。

勝利者が集団を亡き者に変えても、私の魂までは奪えない。

我らは激変する。全能者の前に自らの主張を述べ、

この結果、どうなろうとも良い。覚悟した。

人は死んでも生き続ける、有名な言葉だ。

潔白の誓いが法的背景を持つことは、

ハンムラビ法典以来知られているように、

血を吐くまで弁論を続けて、王者の如く全能者に挑め!


この世には二つの神が存在するという。

光と闇との境目であるバランスが我らという。

どちらも神であることに違いないのだが、

どちらに傾くか、選択と責任だ。

時々、私たちは何のために生きているのか解らなくなる。

だからといって、死後に問題解決など求めはしない。

この世の出来事はこの世で解決すべき問題だ。

社会応報の原理を人生の実際に照らして吟味すれば、

信教は無残と化し、イデオロギーの損失となる。

グローバル社会の憤りだ。

もしや全能者は人間には関心がなく、

ただ法則に忠実、それに委ねるのみと捉えるならば、

従って、世界の苦しみや不幸は全能者の責任ではなく、

自動的な不幸に由来する。全能者にパワーはない。

世界の絶対だけを合わせて見ると、

すべてが逆さであり、すべてが思い違いであることが判る。

この世に神は存在せず、人は神には決してなれない。

全能者の存在さえ、危ぶまれている事実である。

なぜ? 

自らが義するその根拠が弱過ぎるのだ。

その上、私との対峙を望むのであれば

血の復讐から逃れられない。血の叫びは永遠だ。

全能者が望むなら喜んで挑もう。

地獄での掟と一定の住処の中では、

私との議論に全能者が答えなければ義ではなくなる。

誰が議論に勝てようか。

私を受け入れよ。


もう一つだけ言わせてもらえば、

女から生まれた者がどうして義でないのか。気に入らない。

女が男よりも格下だの、清くないだの、冗談じゃない。

私の著書、「男は女から生まれて、女に育てられる」 を知らないのか?


   つづく。

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ウィン・ウィン国王はネット・カフェにいる。

2019-02-16 | 社会問題
 2月16日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


私はここにいます!

駅前のインターネット・カフェだ。

一階のオープン・スペースに本日、

ウィンウィン・コンサルティングを起業する。

社名は、ともに栄える 「ともさか」 である。

新たなネット・ビジネスの誕生だ。

何かお困りのことがありましたらいつでもどうぞ。

気楽にウィン・ウィン国王に声をかけてくだされば光栄です。


起業概念を説明すれば、

報酬額は 「時価」 である。なぜなら、

目的は 「社会貢献」 だからだ。

人は集団に貢献しなければ死ねない存在だからである。

個人事業では成功とは認められないし、ましてウィンウィンでもない。


起業理念は、

「誰も負けない、共に勝つ関係の創造」 である。

ウィンウィン思想なのだから当然だ。

「ともさか」 に依頼して、負ける者は一人もいないのだ。


起業イメージは、

相談者が喜び、「ともさか」 も喜ぶ、

その一点の追及にのみ我々の生きる道がある。

その方法は法則に基づくものとする。


1、愛があれば何でも許される。

2、「死ねますか」「笑って腹が切れますか」

3、この世が地獄だと直視する。

4、アドレナリン・ドーパミン・オキシトシンの活用。

5、ミーム(遺伝子)を読み解く。

6、ビギナーズラックを追う。

以上、簡易ではありますが、起業説明を終わります。

ぜひ、力を合わせて社会秩序を正しく導こうではありませんか!


新規依頼についてですが、

相談は無料です。金儲けが目的ではありません。

時間が惜しいのでメモ書きを残してほしいです。

ひらめきを重視しますので、ハッタリは直ぐにバレます。

おそらく、求めるものがその場で得られると思います。

逆に、「ともさか」 をハメようとすれば天罰が下ることでしょう。

相談時間は午前中、正午まで。年中無休です。

長期契約の場合は、こちらから御伺いに参ります。

たとえ会えなくても気を落とさないで下さい。

その分、お値打ちに致します。


「えっ、会いたくない?」

ウィン・ウィン国王は謎の方が面白い?

そんなこと言わずに、みんな大好きウィン・ウィン国王です。

表には出ないし、黙っていれば分かりません。

そうだ! 

ウィン・ウィン国王に抵抗を感じるなら、酒好きと話せばいい。

グリーンやミームも一緒ですし、R²O(うしなおう)でも構わない。

一緒に世紀の瞬間を楽しみましょう!


   つづく。

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世のささくれ者たちへ。(一度でもドロップアウトした者を好む)

2019-02-15 | 文学
 2月15日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王 & ミーム(遺伝子)です。



・・・選ばれし者たちよ・・・


・・・私の話を聞くがいい・・・


見よ、わが心は叡智ある言葉に溢れ、

全能者の息が私を生かす。

そなたにも可能である。私にこたえよ。

もしそなたのために一人の使者が、

千のうちでただ一人の取り次ぎとなり

人に正しい道を示すならば、

心ある者たちよ、耳を傾けよ。

返す言葉があれば語れ。

喜んでそなたを義とし報いよう。

黙せよ。そなたに自信を授けよう。

世のささくれ者たちよ、聞くが良い。私に続け。


(ミーム)

そなたは強い人たちの仲間である。

一人でも生きて行ける頼もしい人だ。

そんなあなたを誇りに思う。

しかし、私たちを見捨てないでほしいのです。

私たちを救ってもらいたいのです。

どうか、我々を助けてください。

どうぞ、私たちにお力をお貸しください。

恥ずかしい話ですが、私たちだけでは

社会混乱を治めることが出来ないのです。

しかし、あなた達ならばそれが可能です。

全能者は言います。

「助けないことが助けること」 だと。

あなた達から見て、私たちは助けるに値しませんか?

だとしたら私たちのどこがいけませんか。

教えるほどの値打ちもありませんか。

私たちはあなたの言葉を待ち望んでいます。

あなたが発する言動が世界を救うのです。

私たちにその準備が整っていないのならどうすれば良いでしょうか。

そのための試練をお与えください。

私たちの目的は、

大いなる連鎖である関係性とつながりにあります。

どうぞ、私たちに関わっていただきたいのです。





・・・賢い者たちよ、私の言葉を聞け・・・


・・・ことをわきまえる者たちよ、私に耳傾けよ・・・


何が法則であるかを互いに知ろう。

地獄と化す強者どもに一矢報いて大笑いしよう。

相手は弱いのである。我々の敵ではない。

仮に神と親しくしても何の得にならないとしてもだ。

それゆえ、心ある者よ、力を合わせよ。

誰が全世界を分け与えたか。

誰が秩序を見守るか。



・・・世のささくれ者たちよ・・・


・・・一度でもドロップアウトした者たちよ・・・


・・・私に続け。全能者たれ・・・




    つづく。

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上手なセックスとは。

2019-02-14 | 
 2月14日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


バレンタインデーは好きです。

なぜなら、愛があるからです。

そうだ! チョコレートをみんなでシェアしてはどうでしょうか。

そうすれば、愛がある人かどうか識別できます。

愛のない人とはシェア出来ませんからね。

それと言い忘れていましたが、

現代日本女性の肉体年齢は、実年齢よりも10歳若い。

48歳なら38歳。36歳なら26歳。28歳なら18歳。20歳なら10歳です。

だから、実年齢が50歳でもあきらめるにはまだ早い。

話を戻して、

セックスも同じく、愛のない人とはイヤです。

人は種馬ではありません。

そこで気になることが生じます。

上手なセックスとは? 何かです。

好きなことを、好きな時に、好きなように、好きなだけ

言わせてもらえばこうなります。

避けては通れない現実ですからご了承ください。

「文章が上手い人は、セックスも上手である」 と。

逆に、「文章が下手な人は、セックスも下手である」 と。

なぜなら、

脳でイクか、腰でイクか、だからである。

脳は技術だが、腰は技能だ。技能には技術が改善だからだ。

従って、世の男性たちのセックス・アピールは上手な文章に表される。

本能と感情だけでは隣人愛が感じられず、デカチンには知性は無い。

比べてみよう。

文系と理系とではどうだろうか。

弁護士と医者とではどうなのだろうか。

日本人と韓国人とではどうか。

世の女性たちに聞けば分かるはずだ。

気持ちイイだけのセックスであっては、早漏だ。自己満足で尽き果てる。

セックスは一瞬だが、愛は一生だからだ。

セックスにストーリが無ければ、それは愛ではなく

コミュニケーションであり、レボリューションでは若すぎる。

愛とはお互いが相手を思いやる純粋さにあるから、

セックスの快楽だけでは、三日で飽きられ捨てられる。

肉体だけの関係ならば回数がものをいうかもしれないが、

性欲だけの良き思い出では、後で苦痛を二倍にする。

人は愛あるセックスによって頭が冴えるのである。

異性との刺激はホルモンへの最大の影響があると言われているように、

天才脳とは興奮脳である。インスピレーションやイマジネーションは

セックスによって掻き立てられる。

性的欲求は乳児の活動にも認められるように、

赤ちゃんは抱きしめられて自己を認識する。

愛のない、温もりがないセックスでは、ああ無常だ。

愛のあるセックスの目覚めは精神の健全さでもあるから、

愛がお互いの肉体に方向性を与えて、

たった一晩の出来事で大人に変わることだってあるのだ。

私たちは性生活にちょっとばかり不慣れなのかもしれない。

セックスレスや浮気や不能は、性生活に不慣れな人たちの心の叫び、

または 虫(体内細菌)の叫びなのかもしれないし、

無意識な性欲では相手を傷つけかねないのだ。

また反対に、いつも満足していては、性欲の感度は振るわない。

自然に任せては解決しない問題があるのも事実。

もしかすると、セックスは女性優位なのかもしれない。

なぜなら、女は存在だが、男は現象だからである。

恋愛は病気だが、友愛は知恵だからだ。

女を尊敬できない男はただの子供だ。

それにしても不思議なことがこの世にはあるものだ。

見ず知らずの男女が偶然にも一緒になり、

子を授かり、一生を共に暮らす。

こんな面白いことが世界中に用意されているとはまさに驚きだ。


文豪ゲーテはこう言い残しています。

「人格を形成するのはロマン、愛である」 と。




ここで最後に一曲を。

♬~♬「バレンタインデー・キッス」♬~♬

♬~♬「バレンタインデー・キッス」♬~♬

♬~♬「ベルトを、ゆるめて。」♬~♬。


    つづく。

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