酒好き文化風俗研究者

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卵かけごはん & のりたまふりかけ。

2015-03-31 | グルメ
卵料理の美味しいお店は他に何を食べても美味しいお店ですが、その中でも卵かけご飯がめちゃくちゃ美味しくて、のりたまふりかけがサービスなら一生の思い出になるのは私だけでしょうか?

世界中で卵かけご飯が食べられるのは日本だけですが、卵かけご飯と海苔との相性は最強。それをふりかけにしてくれたのが「のりたま」だ。

日本人の食文化は奥が深い。高級料理だけが和食ではないように、庶民の味方であってこそ和を食するものである。

なぜ、卵かけご飯の話をするかと言うと、ダイエット中だからです。

ダイエットで気づいたことは食べることに対して初心に戻れることのようです。

私にとってその初心が卵かけご飯と「のりたま」なのです。

忙しさとストレスでどうやら感謝を忘れていたようです・・・。反省します。


娘が父を嫌いになる訳は。

2015-03-30 | 日記
仕事仲間に年頃の娘を持った友人がいますが、その友人はどうも家族の中で最近は個人プレーが多いらしいのです。

話によると母が娘を遠ざけている風に感じるらしい。とても気にしているが考えすぎだと思う。

娘が年頃になると父親を嫌いになるのは動物的な本能らしい。父とは違う種を残すためだそうだ。

だから、父の匂いが不快に感じ、その匂いと違った男性を好きになる。動物はそうやって強い種族を作って来たみたいだ。

私の考えでは、優秀な女性は日本人以外の男性と結婚してはどうだろうか。国際結婚は有能な人が多いし、ハーフの子供達はみな優れている。

だらしない日本人男性に見切りを付けるのも日本人男性の為になるかもしれない。

母は娘の見方だから、父は母に従って、無理に良い父親を行わなくても今しばらく個人プレーで楽しんでみてはどうだろうか。

孫が生まれた時に、安心できる父であるために。



現在の選挙はやっつけ選挙だ。

2015-03-29 | 日記
現在の選挙はやっつけ選挙である。
なぜなら、
誰が当選しても同じだからだ。

選挙期間も短いからたった一度の立候補では政策も解らなければ人柄も解らない。

だから、インターネットを使った政治活動は解りやすいし、本の出版も信用になる。

そうなれば口コミもしやすくなるだろうし、批判や敵に対しても対応が出来る。他人の足を引っ張るのも選挙活動だからだ。

選挙には政策がつきものだが、おもしろい政策が見当たらないのは日本だけではないらしい。選挙は勝つことに意義があるのは世界共通のようだ。

投票する側も選挙日は一苦労する。早く終われと思っている。

私たち国民はわくわくする選挙を望んでいる。その為には、やはりわくわくする政策が必要なように、橋下大阪市長が良い例だ。

毎年言っていますが、今度の選挙は賄賂や献金、汚職に対抗する新人議員に期待しています。

もう一つ、面白い選挙活動としては「たった一回きりの議員」である。この「一発屋議員」が政治の世界を変えるものと信じております。

「二世議員」や「なんちゃって議員」より「一発屋議員」です。



世界中の人達はもっと泣いたほうが良い。

2015-03-28 | メンタルヘルス
強さは誇りではない。人間の弱さこそ希望なのだ。

人は泣く動物であるのだから、泣かないことは非人間的と言える。

泣き虫は恥ではない。むしろ問題なのは驕る強者の方にある。泣かない人間は自らの無知に気づかないだけの臆病者に過ぎない。私達に必要なのは涙である。

自己啓発セミナーには涙が必要不可欠なように、人は泣かなければ新しく生まれ変われないものである。

自らの為に泣き、人の為に泣く。その感情が失えばおのずと争いが始まるものである。

世界を見てみろ。涙を忘れた人達が人を苦しめている事実である。

だから、涙は弱さではない。泣かない人間に問題があるのだ。


桜は見るもの。庭に植えると大変です。

2015-03-26 | 日記
実家には20年物の桜の木がありますが、一年中管理が大変です。

その桜の木の名は「しのぶ」と私が勝手に呼んでいます。

桜はみんなで見るものであって、庭で育てるものではありません・・・。

桜の木の生命力は強力です。真っ二つに切っても翌年には綺麗な桜が咲きます・・・。

一年中、鳥たちの止まり木で、その下はフンだらけで困っています・・・。
初夏になれば、毛虫でいっぱいになり、晩秋には落ち葉でいっぱいです・・・。

毎年、毎年、どんどん大きくなるので手入れはかなり大変で桜の木のパワーにはかなりの労力を使います・・・。

桜が毎年こんなにも美しいのは、生命力なのかもしれません。
私が咲かないのは生命力が桜の木に負けているからかもしれません・・・。

私は長男ですので、今後この土地を駐車場にしようと考えていますがこの桜の木が邪魔でしょうがありません・・・。

父が植えた桜。母が毎年楽しみにしている桜。私はこの桜の木を切るのが忍びないです・・・。



集団的自衛権の行使って一体何ですか。

2015-03-25 | 社会問題
日本が韓国と協力して北朝鮮の脅威から自国を守ることは集団的自衛権かもしれないが、日本が中国と協力して中央アジアに進出するのは集団的自衛権ではない。

日本がタイやフィリピン、インドネシアと協力して中国の脅威から東アジアの治安を維持するのであれば、それは集団的自衛権かもしれないが、アメリカと協力してアフガニスタンや中東に自衛隊を派遣するのは集団的自衛権ではない。

日本が戦争に協力しすれば同盟国は心強いかもしれないが、強い日本を自慢したいのであれば集団的自衛権は集団的自衛権ではない。

集団的自衛権を定義すれば、東アジアの共存共栄と世界の平和理念である。侵略して支配したいのであれば、そう言えばよい。

また、日本がアメリカから自立する為の準備が集団的自衛権であるなら大賛成だが、アメリカの予備軍となるなら大反対だ。

集団的自衛権の行使には確固たる明確なビジョンが必要なように、安倍総理にはそれが出来ると信じている。

国家や家族を守るための自衛権はジョンロックの言うように正当だが、自国の営利を守る為だけの自衛権は不当であって自分勝手ではないだろうか。

日本が強い国になることを反対する国があるのは解らなくもないが、日本国が強くなることは世界の平和に繋がるものと確信している。

日本はもっと堂々と東アジアの平和は日本が守ると宣言すれば同盟国の強化にもつながるのではなかろうか。


死刑は反対の意見です。

2015-03-24 | 社会問題
残念なことですが、この世は楽園ではない。
この世で起きた出来事は、この世で解決しなければならないように、間違ってもこの世の出来事をあの世に責任を押し付けるのは過ちだと考えられる。

日本人なら自決すれば「あっぱれ」となるが、世界的に見ても死刑では「邪魔者は消せ」という感じで、犯罪者が自らの責任を果たした事にはならないのではなかろうか。

裁判では時間とコストが掛かりすぎるから暴力は手っ取り早く一手段となるように、社会が暴力は無くならないと考えているなら、死刑は効率は良いかもしれないが合法的であるとはとても安易すぎる。

実際、犯罪者が自らの罪を脱出する方法はさらに自らの罪を重ねることであるように、不正を犯してしまった時ほど、急に自分を愛おしく感じるものであるのだから、罪と罰は妥協せずに追求すべきであると考える。

最悪なのは、共存共生の社会において、自己中心的で反社会的な動機が最悪の悪人となる。
どんな犯罪にしろ不正にしろ、何か異常な感情が無ければ存在しえないのだから、痛みが無ければまた同じ事を繰り返すように、反省だけでは不十分であるのはよく解る。

重要なのは、犯罪者の共通点だ。どんな犯罪者でも「自分は優れている」と信じている。自らの無知には気づかないようである・・・。

犠牲になるのはいつだって善良な人達である。

良い人達が脅える社会を創り出していてはダークサイド、ブラック社会の見本のようだ。

確かに人は死ねば終わりかもしれないが、何か汚いものを隠しているだけで問題解決になるとは到底思えない。

一つの社会問題を終わらせれば、また次の社会問題が発生するように、悪人をも生かして社会に貢献させる方法が必要だと考えます。


季節の変わり目は寝不足で体調不良です。

2015-03-23 | 日記
良いことがあっても、悪いことがあっても、どちらにしても季節の変わり目は体調を崩します。

情緒不安定な所は、まるで子供と同じです。

知り合いの桑名警察の刑事さんが言っていました。この時期は犯罪も多いそうです。

私も夜、興奮して不眠症です。毎日が楽しくて眠れません・・・。

元々、寝るのが上手ではない方ですが、睡眠は私にとっても最大の悩みです。

布団に横になるのは極楽のはずが、眠れないと地獄に変わる苦痛は最悪です。


伝統には遊びたがる子供心が無いと受け継がれないもの。

2015-03-22 | 日記
私達の幸福感は楽しみ尽くす以外に方法はない。

歴史や文明は量によって引き継がれるが、文化は質によって伝統を感じる。

その文化や伝統は、生活の内から生まれるものであって、歴史や文明よりも文化伝統の方が一歩リードしているように思われる。

文化伝統の強度は長さによって計られるのではなく、美しさや楽しさによって受け継がれるものである。

そして何より重要なのは、非合理的な解決が文化となり伝統となる。綺麗事だけが美しく楽しい訳ではない。

その美しさや楽しさの担い手が子供心であるネオテニー性だ。

ニーチェは言います。
「本来の人間性には遊びたがる子供が隠されている」と。

我々人類の問題点は、その成長の過信にあるのではないでしょうか。

ネオテニー性とは心を取り戻す生活習慣であり、忙しすぎて心を亡くした大人達の初心でもある。
実際、疲労は人を危険な臆病者に変えてしまうからだ。

また、危険なのは人間以外の動物には攻撃本能を適度に制御出来るのに対し、人間だけがそのメカニズムを上手く機能していないと言われている様に、その習慣を変える一番の方法が遊び心であるネオテニーである。

世界中の人達がサッカーと言うゲームに異常なほど熱狂するのも伝統にあたるかもしれない・・・。


ブロガー達はもっと大いに語らなければ社会を繋げる役目を果たせない。

2015-03-19 | 日記
書くことは楽しい。インスピレーションを文章にすることはもっと楽しい。

一流とは楽しい気分なしでは何もしないそうだ。

生きている実感は手で書き残すように、楽しさにはパワーがある。

感傷的になりそうでならないのが最高の芸術だと言うからだ。

理屈を説明するには楽しくなければ長続きしないように、神は紙の上で語りかけてくるものである。

セネカはこう言っている。
「言葉は意味する重みよりも、言葉の持つ音の響きの方が大きい」と。

思いを語る時は単純で整ってなくても良いらしい。

ブロガー達はもっと大いに語らなければ過去と未来を繋げる役目を果たせない。

確固たる確信は伝染する。国家を論じ、友愛を語らなければ使命は果たせない。民族の継承を語り、民族の誇りを語るのである。

人には他人には言えない裏の欲求があるように、現実と言う厳しさとの共感と秘密がある。

分析や統計は仮説を説明するためにあるのだから、まずはその仮説を創れば良いことになる。答えは決して一つではない。

何を行うか、よりもなぜ行うかである。ブログを書くことは、そもそも説明できないことを発見するところにある。成果は論議から成るものであり、論議はブロガー達の縁を結ぶ。

人は優れた一行、優れた一言を待ち望んでいる。
人は良い言葉に飢えている。
世界で最も重要なのは良い文章である。
ブロガー達が語らなければ何も変わらないのである。メッセージは出せば成る。

人は何の為に生きているのか時々解らなくなるものである。

苦しい人生を耐えやすく変えられるのならばそれだけで良いのです。


以前、禁煙したら十九キロ太りました・・・。

2015-03-18 | メンタルヘルス
私の苦い思い出の一つに煙草を止めてから半年で体重が19キロも増えた経験があります。

その後も痩せる気配が感じられなかったので再び煙草を吸い始めました。まったく何のための禁煙だったのか。失敗談です。

煙草を止めて何か良いことがあった訳でもなく、19キロ太って何か良いことがある訳もない。最悪な健康管理だ。

私の取柄はハードワークだから、私のダイエット法は不眠不休で働くしかなさそうである。

タバコは三日で一箱だが、止めようとは思わない。また太る危険がある。肥満は万病の元だ。

ブログ仲間が言っていたように、たばこの増税同様に肥満にも課税すべきかもしれない・・・。




真面目な労働者は金ばかり貯り使う時間がなくて困っている。

2015-03-17 | 日記
景気の良い話である。

お金が無いのは働かないからだ。

一生懸命に働けば毎日がクタクタで充実しているからお金を使う時間も無ければお金を使わなくても幸せだ。

実際、勤労者はお金の使い道に迷っている。

だから、真面目な労働者は誰か一緒に貯金を使ってくれる恋人を探している。

女性は男性を顔で判断せずに貯金通帳で判断した方が良さそうである。顔だけではどうせ直ぐに飽きるのだから・・・。

私達が幸せを目指すのは人間の義務であり、それを放棄すれば動物と同じだ。

労働社会とは自然法則によって義務化されているものであり、私達の生活は生存競争と相互依存の組み合わせで成り立っている。

そして何よりも重要なのは、勤労者の報酬と目的性である。明確な労働観念が無ければ心が折れてしまうからだ。

スピノザはこう言っています。
「人は不確実なものの為に働かなければならない」と。

その為に私達の一生とは、重き荷を背負って遠き道を行くが如し。徳川家康の言う通りである。



戦後七十年談話。

2015-03-16 | 日記
過去の歴史認識を正しく持てば謝罪などする必要はない。
なぜなら、
日本は強い立場だからだ。歴史がそれを証明している。

中国が今年、反ファシズム戦争勝利の軍事パレードを派手に行うのは武器をインドやアフリカ諸国に売るためであって、歴史を繰り返さない為ではない。

また、日本は戦後七十年、そろそろアメリカから自立しても良さそうなものだが、そう簡単には行かないらしい。

それならまず初めに集団的自衛権を持つことは妥当だと考えます。生存権を無視しては生きる権利と責任が果たせないからだ。

集団的自衛権に反対するのは在日なのか、それとも臆病者に成り下がった日本人なのか。どちらにしても現実を見て見ないふりをするのはもう、うんざりだ。犠牲になるは決まって良心的な生活者である国民なのだから。


ブログを書く人と書かない人ではかなりの人間力に差がでる。

2015-03-15 | 日記
現在はYouTube動画が人気ですが、私はブログ派だ。

文章には魂が宿る。私達は書き残す以外に方法はない。

ブログを書くことは脳を鍛えるに最高の方法であり、情報交換は絆でもあり、インスピレーションは自己成長の源だ。

仕事の経験やお金の積み立ての様に、ブログを続けることは信用になる。継続こそ力なりだ。

何を考え、何を努力しているのかが目に見えて解るからだ。

口先では感情的になりやすいことでも文章にすれば問題解決に繋がりやすくなり、感情での議論も少なくてすむ。

コンテンツを上げるには書く前に読むことだが、そこに気づきが生まれれば面白いブログになる。

自らの思いを発信することは喜びの場であって、現代人にとってブログを書かない人達には信用がおけない。