酒好き文化風俗研究者

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サクラたより。

2020-03-20 | 
 3月20日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


桜がなぜ? 咲きながら散るのか。

それは日本人に愛されたいために、

来年まで大切に保存されるために、

桜は自らを咲き誇りながら儚くとも可憐に散りゆくのです。

淡いピンク色は日本人の好みによるもの。

それが桜にとっては生き残るただ一つの戦略なのです。

確かに、桜には脳がありません。しかし、

日本人をコントロールする力は備わっているのです。

桜だけではありません。

紅葉にせよ、アジサイにせよ、彼岸花にせよ。

昆虫を動かし、人を動かし、社会を動かしているのです。

桜は日本人の好みを知っているのです。

だから、植物に話しかけると良く育つのです。

人が望めば花木たちはそのように育つわけです。

「念ずれば花、開く」ですね。

私たちが花木に心を寄せるのには、

人間本位による理性や論理による結果ではなく、

逆であって、花木に私達が影響を受けた結果なのです。

もしかすると、人間がどれ程バカ・アホ・マヌケであっても、

植物に従うなら正してくれる可能性があるかもしれません。

そう考えると、愛とは自然環境に操られているのかも!?

言い方を変えれば、

愛は環境の変化にどのように対応するかによって、

愛は絶え間なく変化してゆく、

自然に対して適応する能力であるともいえるのです。

愛は自然を必要とし、自然は愛を必要としている。

そう考えると、私たちはもっと自然に操られて良いのでしょう。

確かに人は環境が過酷で悲惨だと愛にすがりたくなる様に、

日本の四季の美しさは、自然環境が厳しいゆえの愛のカタチである。

自然は無関心で(感情がない)、意図とは無縁で(意思がない)、

だが、傾向は持っている(方向性はある)のです。

桜も同様、あらゆる植物、菌類、昆虫、動物には、

一つの共通祖先が備わっているように、

何らかのシグナル伝達システムがあるようなのです。

そんな伝達システムによる蒼然たるスケールは、

生命の領域のあらゆる側面に影響を及ぼし、

それでいてはっきり考察されることはない。

植物の知性の研究の最前線では、

非常に興味深い側面に光を当てている。

私たち人間にとって自分たちとは異なる方法で

思考する伝達システムが植物にはあるというのです。

事実、脳だけでは知性が生まれないことは間違いありません。

脳は魔法の器官ではなく、単独では何も作り出すことは出来ない。

人類最高の天才脳ですら、それ自体では胃よりも知的なわけではない。

どんな知的な反応をするにしても、

体の他の外からの影響から届けられる情報が必要不可欠なのです。

ひょっとして、全ての昆虫たちは

植物によって動かされて繁栄しまた敵対しているのかもしれません。


桜が持つ不思議な知性と人間の脳による共感作用。

いつの時代もどこかで繋がっているような神秘。

そう考えると、なんだか「ほっと」しますよね。



    つづく。




命日での祈りを続けます。(いずれ主が私に微笑みかけられるその日まで)

2020-03-13 | 
 3月13日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


主よ。お許しください。

二千年間もの長きにわたり神の子イエス様に

十字架を背負わせた罪深き子羊たちをお許しください。

主が、お望みであるなら、蒼白い馬に乗り、口から刃を突き出した、

七人の天使を引き連れた神の使いをどうかこの世界に示されよ。

そうでもしなければ子羊たちは、

愛すべき主を永遠に十字架に縛り付けて、

信者に誓いを祈らせるのです。

主は、それをお望みであるはずがありません。

主は、言われました。

「むなしいものに魂を奪われ、欺くものによって誓いを立てる」と。

心に思うままに、主よ。われらが父よ。

この世で従うべきはただ一つ。

心を呼び求めることをしない者よ、

それ故にこそ大いなる苦業を味わうがよい。

絶えず死の縄が絡みつき、奈落の激流が人々をおののかし、

黄泉のしもべが世をめぐり、苦業の仕掛けが張り巡らされ、

大地は地獄の業を示し、昼は飢え、夜は震え、

知ることは空しく、絶えず死に脅える。

私は心を尽くし、主に感謝を捧げます。

地獄の門から私たちを引き上げて下さる方よ。ご覧下さい。

心ある方よ。今や目覚めよ。地を治める方よ。諭を受けよ。

畏れ敬って神に誓い、おののきつつも喜び歌え。

人に口づけを。自然の憤りを招き道を失うことのないように。

救いは何処に。この世界が神と共にありますように。

主よ、偉大にして畏るべき神よ。

主を愛し、神の戒めを守り、苦業を示される精霊たちよ。

この地に堕ちた迷える子羊たちの祈りにどうか耳を傾けて下さい。

私たちは神のお望みのままに、この世の苦業を畏れ従っております。

願わくば神よ。どうか今、

主を憐れみ続けた者たちに天の裁きを。ヨハネの黙示録を。

今この時、我らが神よ。

無常にして反抗など許されない畏るべき神よ。

神は我らに命と死をお与えになる方。

天の采配は、神に伏して拝む以外にないのです。

天にまします我らが神よ。

あなたのお望みを我らに示し、従うべき光をお与えください。

世の企てはとこしえに深く、

黄泉の計らいは代々に続く。いかに災いなることか。

主が導かれた使徒たちはみな、

憐れみを招き、世界に苦しみをことごとく与える。

主が、お救いになる魂を、

いささかもなく黄泉へと導いてゆく。

主よ、私は信じます。

この世界で苦業の恵みを見ることを。

主を待ち望むことはせずとも、

この地で雄々しくも、魂を磨き高める。

いずれ、神の元へと待ち望むその日まで。



    つづく。



モテ期とは?

2020-03-03 | 
 3月 3日  ひな祭り

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


40億年にもわたる生命史のものの見方は、

ミトコンドリアを真核細胞の進化をど真ん中に据えている。

人との古い付き合いであるミトコンドリアを理解することは、

「モテ期」にとって短期的な行動を左右するということになる。

ミトコンドリアは私たち細胞に必要なエネルギーを作る発電所のようなものだ。

ミトコンドリア無しでは高等生物の生活などまったく考えられない。

最も決定的な根拠は、分裂して増殖していく二重らせんのDNAを持っている。

そんなミトコンドリアは母系だ。

母から娘に受け継がれてゆくのである。

男系が保有する「Y遺伝子」とは違ってミトコンドリアは母系であり、

男性にはミトコンドリアは存在しない。存在するのは、

母から生まれる時に譲り受けたミトコンドリアだけである。

従って、男性は大人になるにつれミトコンドリアを補充しなければならず、

日々、街中を歩き回り出会いを求めてお金を使い果たしているのはそのためだ。

恋愛の主導権が女性である理由が、ミトコンドリアなのである。

そんなミトコンドリアが 「モテ期」 と呼ばれるものだ。

それは幸せを感じさせられる神経伝達物質セロトニンに作用させる。

ミトコンドリアが神経系と情報伝達とを果たしているだけでなく、

人の感情を興奮状態にさせ異性を狂わせる脳のスペクトルに影響を与える。

体内微生物の隠された半分の内の一つと出会うことで、

一見、無関係な幅広い人間関係との出会いに対処できるスキルと、

効果的なコミュニケーション行為は、驚くまでもない日常的なことだ。

実際、脳内物質オキシトシンは利他的行為で分泌されている「愛」だ。

そんな体内微生物であるミトコンドリアを私は「ウィンチュー」と呼ぶ。

この幸せ微生物「ウィンチュー」は、長い時間を経て入念に作られた

遺伝子命令の自発的コードを備えた生きた有機的オペレーションシステムだ。

「幸せ」という無くてはならないシステムを働かせている「ウィンチュー」は、

私たち祖先が誕生した太古の社会システムを形作り、

私たちが知るこの世界を今も動かしている。

「ウィンチュー」という名の幸せコードは目には見えず

それは 「モテ期」 を通じて理解される。

時々、エラーが出て過ちを犯し性混乱が生じることもしばしだが、

そんな時に必要な「利他心」を持ちさえすれば直すことは難しくない。

逆に、「利己心」であってはどうなるかは周知の通りだ。

「自己愛と隣人愛」 よく考えた方が良いだろう。

そんな「ウィンチュー」による「モテ期」とは、

培養できる微生物ミトコンドリアを中心としている。

「ウィンチュー」による神経伝達物質は、相手に付着して定着し、

感情を乗っ取り、情報を交換し、エロスに必要な代謝の懸け橋に役立ってきた。

そうすることで男女関係のコミュニケーションは現代まで守られてきた。

ミトコンドリアを頼りにしている「モテ期」は、

生存競争と同じくらい重要な自然淘汰の上に成り立っていることを知り、世界を驚かせた。

「モテ期」による愛の社会は教科書に書かれたテキスト的なものではない。

「ウィンチュー」による「モテ期」に組み込まれた衝動性は、

時の試練に耐えうる力さえも与えてくれる。

そしてそのような愛の力が、

複雑な人間関係が作用する社会活動に、しばしの幸福感を満たすのだ。

さらに付け加えれて話せば、今後「ウィンチュー」が人々の

潜在能力を発揮させる新たな理論が次々と証明されることになるだろう。

そして「ウィンチュー」による「モテ期」は、

毎日の生活における男尊女卑や男性主導社会、

恋愛の主導権が女性にあることを改めて教えてくれることになる。

現代、行き過ぎた競争社会が「ウィンチュー」と共に進化するという認識が広まれば、

自然淘汰の真っただ中にある私たちの居場所に対する新しい見方が浮かび上がる。

そんな見方が過去、根本的に異なる者同士の古い考え方がひっくり返され、

社会に愛が受け入れられた素晴らしい一歩を踏む出す日が来るのもそう遠くはないだろう。

「モテ期」とは、

過酷な生存競争社会に愛をもたらすミトコンドリアだ。









     つづく。







愛が説明できなければ、そこに愛はない。

2020-02-14 | 
 2月14日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


五年前に比べれば、

愛をブログにしても笑われなくなりました。(良かった)


私たちは大嫌いな人を通じて、

本当の愛が何なのか考えようとするものです。

不幸な環境が真の愛を見出す手助けになるように、

愛は指導しなければ方向性を見失い、

悲劇が起こるべくして起きるのには、

愛が上手く説明できないからだと思われるのです。

そこで再び、愛とは何ぞ? です。

繰り返しになりますが、二つの説明で示します。


1、自己愛と隣人愛の二つに分かれる。

2、性欲愛と感情愛と理性愛の三つに分かれる。


1は、利己的な愛と利他的な愛のカタチです。

疑問があるのですが、

自己愛同士(利己的同士)それは、愛と呼べるのでしょうか・・・?

呼ぶとすれば、競争愛、闘争愛とでも呼ぶべきでしょうか?


2は、性欲愛(動物愛)と感情愛(子供愛)と理性愛(大人愛)です。

性欲愛同士によるカップルは、・・・それはそれでよいかもしれないが、

感情愛同士によるカップルは、交互にヒステリーを繰り返すだろう。


目指すゴールは、理性愛同士による大人愛です。

そして自己愛と隣人愛、性欲愛と感情愛と理性愛を

あわせ持った人物が 「人間愛」 の証だと。

だから、子供には愛が判らないし人間愛がない。

当然、アダルトチルドレンにも大人愛がない。


逆に、大嫌いな愛について考えてみると、

1、自分のことしか頭にない人物。

2、エッチのことしか頭にない人物。

3、ヒステリーでしか頭にない人物。

さらに最低で最悪なのは、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルだ。

そんな人物とは決してショア出来ない、する気もない。

仲間と一緒にクラブやコンパに出かけて、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルに出くわしたら悪夢の始まりだ。

理想の愛を求めるはずの空間が、サカリある失敗に終始する。

また、愛を一つに絞り込むことも危険なのである。なぜなら、

たった一人の愛だけでは、人は盲目になり心を病むからだ。

愛によって曇り空を突き抜けた先には、

なんの恐れも感じさせぬ予兆が訪れるものである。

たとえそれが唐突で、馬鹿げて、束縛的で、激しいものだとしても、

愛は神によって準備された一つの試練なのかもしれません。

神はどんなところにでも、常に私たちにメッセージを送り続けた。

この世界に意味のないものは何一つなく、

それは細部にも愛が宿るものであるのだと。




    つづく。


日本だけの「義理チョコ」論争。

2020-02-11 | 
 2月11日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


冬の風物詩である2月14日バレンタインデー。

そこには冷たい空気を過熱させる大きな論争が存在する。

「義理チョコ論争」 だ。

「義理チョコとは一体なんだ!」 について

いよいよ決着をつける時がきたようである。

答えはこうだ。

「義理チョコ」 とは女性が男性へ贈る 「隣人愛」 なのだ。

「義理」 とは 「義務」 ではなく、「善意」 だ。

それにしても 「義理文化」 は偉大だ。

自己愛だけでは一生涯、

手に入れられない誰もが求める隣人愛を、

難なく目に見える形で手に入れられるという、離れ業だ。

人と人を結ぶつけている冬の風物詩に

愛が判らない外部の人間にとやかく言われる筋合いはない。

流石、我らが日本人だ。

日本こそが世界で一番隣人愛の国 「ガンダーラ」 だ。

ことの発端は感情的な 「嫉妬」 だ。

確かに 「義理チョコ」 は 「本命チョコ」 ではない。

「本命愛」 ではないかもしれないが 「隣人愛」 には違いない。

感情で表す愛のカタチを感性で示すやり方に、

世の男性の 「メンツ」 は保たれた訳だ。

「義理チョコ」 の存在価値とは 「隣人愛」 であるように、

問題なのは、それに費やす金額である。

一体、「隣人愛」 の相場はいくらなのだろうか・・・?

(販売者に尋ねてはいけない。)

出費による課題は今後も尾を引くことだろうが、

それでも解ってもらいたいことが一つある。

「隣人愛」 が新たなストーリーを演出する可能性を

「義理チョコ」 が秘めていることをだ。

常に 「自己愛」 を求め続ける

「本命」 だけでは決して得られない

「安心感」 がそこにはあるのだ。

「義理チョコ」 が受け入れられる理由。それは

華やかさによるものでもなければ、

高額なものでもなく、まして

いびつな下心が隠されている訳でも何でもない。

「義理チョコ」 それは

与える者が共感する愛と同じく与えられる者の目の中に映る一つの事実。

そう。愛のカタチであるのだ。



    つづく。


日本人の労働観、「はたらく」とは「隣人愛」である。

2020-01-26 | 
 1月26日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


先日、女子高生と労働観念や仕事とは何かについて

いろいろと話をしていて気が付いたのですが、

日本人の労働観念である 「はたらく」 とは、

「はた」 を 「らく」 にするから

「はたらく」 ことであるように、

この労働観は、まぎれもなく 「隣人愛」 だ。

日本社会とは 「愛」 で満たされているのである。

「義理」 と 「任侠」 も同様に。

続けて言えば、

人に感謝されるからお金が得られると考える日本人には、

報酬とは感謝の代価であって、

欧米諸国が言う、

罪びとが背負った罰による労働では決してない。

だからなのか、ダークスーツがよく似合う。

いくら欧米諸国が日本に、

どれほど優れたエキスパートを送り込んでも、

「愛ある労働者」 に勝てない訳がここにあるのだ。

もしも、マルクス経済学に日本の労働観が備わっていたら、

こんな競争社会になっていなかったに違いない・・・。

実際、社会経済の進歩は競争原理によって、

徐々に過激で過剰な生産的な創造性を糧に、

生産、消費、拡大が繰り返されるのだが、

一つ重要なことを忘れてしまっている。

「愛ある労働」 である。

アダム・スミスが言うように、

人はみな、手持ち資金から

最大の価値を引き出す有利な使い道を見出すことを常に努力する。

その際、一般的には社会の利益に役立ちたいとは考えていないし、

どれだけ社会の役に立つのかも判らない。

人々の頭の中にあるのは、

あくまでも自分自身が得することであり、損することは最も嫌う。

だが、自分にとって何が本当の利益かをよくよく考えれば、

「愛ある労働」 こそに導かれることが、

自分では意図していなかった目標や成果が、

しばしば自分で意図していた以上に

社会の利益を効果的に促進しているのである。

「幸運な人物」 とは、

自らの幸福が社会の幸福に直結していると自信を深める。

また、

アンナ・アーレントが言うように、

肉体の消耗と回復という定められた循環には、

「愛ある労働」 による

労働の苦難の後に喜びが訪れ、

疲労の後に安楽が訪れるという循環であるように、

「愛ある労働」 が無ければ、

ずっと苦しみの中にとどまり続けなければならない。

なぜなら、

疲労と回復の循環運動のバランスが崩れるからである。

アンバランスの例を挙げれば、

消耗の後に回復が訪れず、そのまま

悲惨な状態が続く貧困と困窮の生活。

また、労働を避けて肉体が消耗することがなく、

それゆえに回復の代わりに怠惰が訪れ、

幸福の場所に不毛が訪れるという巨富の生活。

見栄は張れるが基本的な幸福感を台無しにしているのである。

「愛ある労働」 とはつまり、

「はたらく」 を通じて消耗と回復の連続から成り立っており、

大きな喜びは役に立った後でしか訪れない。

そして常に 「幸福」 にとどまろうとする企みは

不幸にも必ずと言ってよいほど失敗に終わるのだ。



      つづく。



日本人に愛があるのか?

2019-12-24 | 
 12月24日 火曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


韓国はキリスト教?であるから、

当然、隣人愛があるはずだ。

愛が無ければキリスト教徒とは呼ばれない。

重要なのは日本に愛があるかが問題だ。

新渡戸稲造の「武士道」曰く、

日本人には隣人愛の概念が欠けていると説明されているが、

冗談じゃない! とんでもない誤解だ。

日本人独自の愛とは具体的な形で表されているのである。

隣人愛と自己愛とが融合しようとするはっきりした強い愛が存在している。

それが、「義理と人情」である。

義理は隣人愛、人情は自己愛だ。

義理のしがらみ、情の綱というように、

義理は公事、人情は私事、義理は利他的、人情は利己的、

義理が忠義となり名誉であり誇りとなって愛である。

「利得にさときものは、義理にうとく候」と昔はいう。

だから日本人は高倉健が大好きだ。

「義理と人情、秤に掛ければ義理が重たい男の渡世」。

自己愛と隣人愛とでは少しばかり隣人愛が重いのである。

一風変わった愛の表現ではあるが、具体的で判りやすい。

もちろん、女性にだって「義理と人情」は存在する。

まして女性でも人情よりか義理を重んじる文化、美しい愛だ。

現代、「世間知の無い世の中だ」と言われる理由には、

「義理と人情」が薄れてゆく、愛の無い社会だと言えるのである。

極論で言えば、任侠道とは「愛」、仁義は「愛」なのである。

自信をもって言う。

日本人こそが、具体的な愛の形で溢れている社会なのだ。

他にもある。

感情を内に秘めることを美徳とする日本人ならではの

「わび」「さび」とは、感情ではなく感性であって、

世界では「アイラブユー」が感情表現となるが、

日本人は「忍ぶ恋」が感性的な愛の表現となる。

どちらが良いかは感情による判断だが、

感情だけでは善悪の判断がつかないように、

感性では共感することが日本独特の文化的な愛となる。

感情を外に表す外国と、感情を内に秘める日本との違いだ。

愛には新しい理解と現実を生み出す力としての役割を持ちうる。

事実、私たちは愛することが出来ることだけを見ている。

憎しみだって愛の一種だ。

愛についての私たちの見方は、

私たちの感情的見解と言葉のやり取りで決まってゆく。

従って、愛を口に出さなければ愛が無い人になる。

どちらにせよ、私たちの愛を認識する際の概念となるのだ。

「義理と人情」それは、

広い意味で人間の相互依存関係の具体的な構造であり、

ウィン・ウィン愛なのである。



    つづく。


13日の金曜日ブログ。

2019-12-13 | 
 12月13日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


とかく、韓国を何かと「悲劇の民族」と呼ぶのを止めてほしい。

韓国が歴史を直視したくないのは、その為である。

だからと言って、どんな悲劇的な歴史が展開されても、

必ず最後にはハッピーエンドで終わると信じているのだ。

韓国人の本質には、韓流ドラマにある、「ムオッ」だ。



13日の金曜日ブログ。

イエス様を十字架から解放するための活動です。

必ず奇跡が起きると信じます。


ちょっと、過激な仮説ですが、

世界がゆがんで見える理由には、

二千年間、イエス様が十字架に縛り付けられているからだと考えます。

馬鹿にするなら、一度試しにやってみるだけの価値があると思います。

新生キリスト教の誕生として歴史に現代が刻まれることでしょう。

実際、イエス様のお望みは「愛」です。

十字架による「死の恐怖」ではない。

世界はユダヤとの対立に終止符を願う。

神の復活を本気で叶えるなら良い考えがあります。

イエス様を十字架から解くのです。

必ず奇跡が起きる。自信がある。


先月、ローマ法皇が大嘗祭に合わせて日本を訪れましたが、

ローマ法皇と大嘗祭との関係。なるほど、どうやら

ローマ法皇は日本人に何かメッセージを残していったようである。

もしかすると、日本にとって歴史的瞬間だったのかもしれません。

やっぱり、天孫降臨とはユダヤ使徒だったのかな。

だから日本神には偶像も無く、中心に向かうほど空っぽか。

そんなユダヤ使徒との契約が「三種の神器」で、

「外は、ずぶずぶ。内は、ほらほら。」。

院政が何だったのかというと、

常に天皇の背後に何かが隠されてきたということである。

日本社会の担い手になってきたのは、

お寺でもなければ、神社でもなく、まして

コメ文化でもなければ、武士でもなかったのである。

「平等院」あれは「神の前ではみな平等」なのか。


重要なのは、そんなユダヤ使徒との契約を、

日本人が二千年もの間、守り抜いたという事実である。

それが先月、一緒になった。

「日本人とユダヤ人との繋がり」なかなか面白そうなタイトルだ。


そんな日本人だからこその考え方がある。

人類の救済はやはりイエス様ご自身であろうと。


「神よ。願わくば どうか私達に正しく見る目をお与えください。」

「神よ。どうか私達に一歩を踏み出す勇気をお与えください。」

「歴史、ただそれだけの理由でいがみ合うのを見るのはもう、うんざりだ。」


    つづく。


13日の金曜日とローマ法王。

2019-09-09 | 
 9月9日 月曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


無責任ヒーローを定義するばこうなります。

「一度、合意すれば全て過ぎ去ったという形で済ますことができるものではない」と。

そう、おっしゃったのは貴方ですから。

つまり、「従軍慰安婦像」 あれは、

無責任ヒーローの象徴であって、これでウィンウィンです。

なぜなら、「無責任だぞー(像)」・・。




皆様。

いよいよ待ちに待った 「13日の金曜日」 が遣ってきます。

みんな大好き! 「イエス様の命日」 です。

なぜ? 今まで

「13日の金曜日」 が不吉であったのかを説明すると、

「命日」 にイエス様がこの世に戻られたら、

自らが十字架を背負っているからです。

「愛」 ではなく 「十字架」 を。

したがってこの様に断言致します。

「なされたるものは、なされざりしものとなさるること。
イエス様の命日に自らが十字架を背負わせてはならない。」 と。


聖書は本来、

全人類をお救いになろうと書かれたこの書物の中に、

信者を企て人々の眼をくらまし、弱者を惑わすことに長け、

それを聖職としているシステムに役立つだけで、

実際、聖書がどんなに優れた真理を私たちに授けて身に着けたとしても

それを読み解く能力が、我々には不吉なものであると察している。

「愛」ではなくて、もう一方の「死」でしか見出されなかったのである。

「汝が欲せざることを汝にするなかれ。」

「汝が十字架に架けざることを汝にするなかれ。」



努力するのは愛。

怠けるのは欲望。

他人が自分より劣っていると得意になり、

他人を認めるのは謙虚の証。

命令されると不快な感情がわき上がり、

感情を振り返るのは懺悔すること。

神に安息すれば希望の光が生じ、

難なく突破するのは大器の表れ。

疲れ果てたさまは失意の底であり、

負けず嫌いが競争心を燃やして、

人を押しのけ叩きのめすのが怒りの感情。

なにも抵抗せずに失うのは臆病心であり、

突然倒れるのは心が折れた瞬間。

他人が倒れると嬉しい気持ちになり、

愛する人が泣かされるのを見ると気の毒に思い、

復讐心が正義に代わる。

焦って感情を露わにすれば恥をかき、

たえず他人に追い越されるのは悲惨である。

絶望感が信教を強要させ、

いつしか神の法が裁きになる。

そして一度定めた戒律が独り歩きしているのだ。



あなたと一緒にいたいと思うのは愛の始まり、

イエス様の死を「愛」とするか「憎しみ」なのかは、

「ルペー・ガニハ様」 貴方がお決めになることです。



   つづく。



平成最後の理由。

2019-04-12 | 
  4月12日 金曜日

 おはようございます。 年上の女性(イメージ)です。


国民の全ての人たちの幸福を生み出し、

愛と知恵によって平和の美しき絆を維持しておられる

あの高貴な陛下を私たちが忘れられるでしょうか。

愛されるべき徳高い国民たちよ。

私たちの幸福はいつの時代も陛下の御心一つに御座います。

この度の退位には、さぞやお考えがあることと存じ上げております。

誠に勝手なる私の想像で恐縮ですがお聞きくださいませ。

この度の退位のご決断、陛下御自身のお体を案じたわけではなく、

皇后さまのお体をお気づきになったことだと思う次第でございます。

先日行われた行事に皇后さまがご参加されず、

また、雅子様が付き添われたかと考えた次第であります。

なぜかと申せば、陛下御自身が退位をお決めになられるには

それ相当の理由があるからでございます。

それは皇后さまへの「愛」以外にお見受けできないのです。

平成最後の理由には、陛下の「愛」以上に何がありますでしょうか。

お二人の結びつきに発揮される純潔の力、

「愛」による国家の決断を感じられる時、それは幸福であります。

陛下は退位をお望みになられました。

歴史的に見ても素晴らしい退位だと共感致します。

お二人の「愛」が全てですから、相応しいことと同意されますことでしょう。

そうで御座います。皇后さまの優しいお姿から感じられる、

理性と笑顔のお声に誰が逆らえるというのでしょうか。

陛下の簡素で慎まし装いが、皇后さまで得られます輝きによって、

愛する美しさは最も好ましいと思われる真理の一つに見られます、

誰が哀しみや憐れみを感じることがありましょうか。

天皇陛下の愛による影響と平和をそらさぬ才知によって、

国民は法に従い、和平を維持し、愛を尊ぶ。

優しい教訓と優雅なお話によって

次の世代に正しく受け継ぐべきを成すことであります。

愛ある純潔な守り人であり、尊い絆であるとともに、幸福と繁栄のために、

平和と自然との秩序をいつまでもお守り下さいませ。


    つづく。


何故、日本人は性善説でいられるのか?

2019-04-11 | 
  4月11日 木曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


日本人の宗教心の源泉とは。

日本人に 「愛」 があるのか。

何故? 世界の中で日本人が

性悪説ではなく、性善説でいられるのか不思議である。

どうやら日本人は一神教に重点を置かないことを得意としているようである。

基本的には仏教徒なのだが、しかし

どうやらそれだけではなさそうなのだ。

なぜかと言うと、日本人が奇麗好きで掃除好きなのは、

神様と一緒に生活しているからだと考えられるからである。

つまりは、多神教だ。

多神教を説明するなら、

いたるところに神様が存在し、人と神様とが共同作業化している状態だ。

日本人は欲すると否とに捉われず、神様を身近に感じているのである。

たとえ権力を持った者が働く人たちに対して非常に優しい心の持ち主であるのは、

神様との合理的発想が無意識に行われている国、日本だからである。

だから、10万円入った財布を交番に届けられるのです。(私もです)

誰かが見ていなくても、神様と一緒ですから嘘も裏切りも少ない。

ゴミをポイ捨てするどころか、

他人が捨てたゴミまで普通に拾うことが出来るのは神様と一緒だからなのです。

そう考えると、仏教よりかは神道に影響をかなりの部分で受けている気がします。

その理由には、一年中、自然災害が多く厳しいからではないかと考えられる。

常に日頃から神様と共存しなければ不安がぬぐいえないのです。

逆に、神の概念が無い民衆では、隙あればすかさず物を平気で盗むように、

不法投棄が捕まりさえしなければ問題ないことだと公然という。

社会秩序についてきっぱりとした原理を説明することは、

それがどの様な原理であっても、ほぼ間違いなく、神の概念が調和に導く。

毎日の生活習慣を誰かに教わることなく、

正当化できるそんな方法には、神の概念を創り出すことが重要なのだが、

そのような過程には必ずしも意識的な操作では上手く行かず、

自然的で普遍的な頑固なまでに抵抗不能な「目に見えない力」が必要となる。

個人の生命よりも高次の生命、すなわち国民の生命に国家の生命があって、

それより更には、集合体維持の為に自らを犠牲にすることが出来る国民性、

私たちは自分の為には死ねない。しかし愛する人の為なら死ねる。

さらには、集団の為になるならば、何も恐れず喜んで命を捧げられるのである。

真に神様によって日本人が何を意味するかを説明する以前に、

真に神様が属する文化伝統についての啓示が与えるものが役立つだろう。

人間の知識の限界の自覚から、どの個人にも、どの集団にも、

何者かに知られていることの全ての実感から得られる実践的結果すなわち、

支配的ないし排他的もしくは強欲的で犠牲的な

ムチ打つ主人の仕事を引き受ける可能性とほぼ同じようにあり得ないのである。

日本人に 「愛」 があるかだって?

冗談じゃない。多神教とは 「愛」 でいっぱいだ。

もしろ逆に言わせてもらえば、世界には少しばかり神の存在が少なすぎるのでは?

一神教と違って、多神教は一つの神様をそれほどまでには働かせない。

どうりで、日本人の方が優しいはずだ。神様に優しいのだからウィン・ウィン、愛だ。

さらにはもう一つ。

仏教徒とのバランスにあるのだ。

言わずとしれた仏教典だが、

諸行無常、四苦八苦、一切皆苦、この世は地獄であるように、

真面目な日本人の目には人生とは修行であって、

人の道は、重き荷を背負って遠き道を行くが如し、急ぐべからずだ。

したがって日本人の神様に対する理論はこのように、

多神教による適切な概念を構成し、かつ、

自然発生的に生成したきた改善や工夫に対して、

全体の貢献を多神教と共に生活を築き上げてきた実績にこそ、

日本人の社会秩序の内で思想の意識的部分が日本人の情緒、感受性へと、

そうなるべき発想力が社会の全ての生活の中心の大部分に宿るという事実になるのである。


    つづく。


女性の幸福論。

2019-03-08 | 
 3月8日 金曜日

 おはようございます。 「ミーム」と「年上の女性」です。


女性たちの幸福が男性たちの幸福に直結するなら社会は幸福です。

男性たちの幸福が女性たちへの幸福に直結していない状況下では、

女性たちの幸福は女性たちで考える以外、しょうがないようです。

そこで思いつきました。

一人の男性よりも、男性分散型ブロックチェーン表。


「         (セフレ) 

           ||

         (ダーリン)

           || 

(悪友)=(親友)=【あなた】=(メンター)=(本との出会い)

           ||          

       (ビジネスパートナー)

           ||
          
         (ライバル)               」


解りにくいところはご了承ください。

説明します。

一人の男性だけでは女性を幸福にすることが難しいのが現状です。

また、危険な男性との付き合い方には分散型をおすすめします。

女性は何かと依存度も高いため、(一度ハマると見えなくなる)

一人の男性にすべて託さず、複数で管理するブロックチェーンです。

例えば、

7人の魅力的な男性がいます。月曜日~日曜日の男です。

日曜はダーリン。月曜はビジネスパートナー。火曜はメンター。

水曜は家族。木曜は趣味。金曜は年上の友人。土曜は年下など。

分散するなら依存も危険もお金の心配も減るものと考えられるのです。

また、男性たちにとってもウィン・ウィンです。

なぜなら、

「いい男」 はすでに絶滅してこの世にはいないからです。

女性のすべてを任されるほどの 「いい男」 はもういないのです。

だから、

「いい男」探しはサッサとあきらめブロックチェーンで幸せを見つけます。

ブロックチェーンで 「いい男」 にあなたが組み替えるのです。

世の女性たちがやるべきことは、

あなたと付き合う男性をどこのポジションに当てハメるかが幸福論となります。

できるだけ適任者を選出することで、掛持ちは男性の負担になります。

また今後、仲良くなりたい魅力的な男性に出会った場合には、

どのポジションに相応しいかを検討してから付き合います。

仮に、ビジネスパートナーが複数いてもあなたにそのスキルがあればいいのです。

もちろん、男性たちも同じように、女性たちをブロックチェーンしますから、

パートナーに対して雑な扱いをするようでは簡単に切られると思います。

重要なのは 「愛」 です。その反対が 「嫉妬」 ですからね。

友人は誰の前にでも広がっているものです。

その中にある友情を見出すのは、それに働きかける者だけですから、

男女関係の形式は愛の一つの秘密となって、

友情も恋愛と同じく、深く入り込めば入り込むほど、

シンプル・イズ・ビューティー。

ブロックチェーンが注目に値するのはその意図にあるように、

男女の友情が成立するにはその方法によるものだと推測するのです。


   つづく。


女性が輝く社会を考えます。

2019-03-07 | 
 3月7日 木曜日

 おはようございます。 「ミーム」と「年上の女性」です。


どうやら男の美学だけでは

世界平和が実現出来ない事実が判明した現代にとって、

大切なことに気が付きました。女性たちの美学の重要性です。

もしかすると、女性たちのレベルが社会のレベルなのかもしれません。

世界平和と女性の美しさは比例するかもしれないのです。

一か月前、女性の美しさは「幻想」を抱かせることにあると言いましたが、

その「幻想」がより分かりやすくないと相手に伝わりにくい。

もちろん、「幻想」には目的が明確でなければ男性には勝てないように、

男に勝つには「かわいい」イメージだけでは難しい。

男に勝つイメージ、幻想とは、「年上の女性」だと私は考えます。

「年上の女性」という女性の美学、女性論です。


いびつな社会現象には、愛の欠如によるものだと考えられるように、

女性の団結と愛があれば何でも許されるのですから、

現在の世界情勢の混乱には他ならぬ女性たちの傍観にあると思われるのです。


「ちょっと待って。女は何もしていないでしょ。」


そう、それがいけないのです。いえ、何もしなくていいのですが、

世の男性たちを正しく導く目的を忘れて、ほったらかしではかなり危険。


「だって、ゆうことを聞かないから。」 問題はそこですね。


ゆうことを聞かせられるなら社会は一新すると考えられるのです。

女性たちが変われば社会が変わると確信しています。

仮に失敗しても気にしません。何もしないからいけないだけですから。

まず、女性たちの美しさについてですが、

どんな野蛮な人間であっても心惹かれるものであり、

その美しさは外見で判断されるよりも「幻想」を

抱かせることが出来るかどうかで判断されているから、

「年上の女性」という明確なイメージが心に響くのです。

「かわいい」では響かない。ホントです。

だからといって、悪用はダメですし、悪用されてもいけませんから、

女性たちの共感能力、コミュニケーション能力が必要不可欠だと考えます。


愛による問題点を先に挙げると、

性欲愛(動物愛)と感情愛(子供愛)だけの恋心では、

周りが見えなくなり破滅的な恋愛に発展しかねないから、

何よりも重要なのは、隣人愛(大人愛)による人間愛です。

相手とシェア可能かどうかで判断できます。

シェアして磨かれる隣人愛ですが、先に女性が気づきます。

なぜなら、私自身、女性に磨かれているからです。また、

私のことが解るのは女性で、優れた男以外には理解されませんから。

感情的になりやすい女性もいると思います。

芸術家タイプに多く見られますが、一緒に汗を流すシェアがいい。

後のことは、ウィン・チューでイチコロです。

ウィン・チューが宇宙に放つエントロピーの矢です。


女性の美学については今後も考えますが、

今日はここまで。バーイ・フォナー。


   つづく。


宇宙とウィン・チュー。

2019-03-03 | 
 3月3日 日曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


ウィン・チューが世界を救う?

ウィン・チューの大切さを説き始めてから一年。

何事においても前例が無ければ、「この人、大丈夫?」 

と思われるのも当然ですが続けさせてください。

今日は少し視点を変えて、

宇宙とウィン・チューについて語ります。


地球の真の支配者は人間ではない。

虫である。人も虫である。

人体の9割が細菌(微生物)で出来ているように、

つまり人間とは虫だ。

この美しい地球は虫の惑星なのである。

宇宙を構成する主要元素には、

水素・酸素・炭素・チッ素、

ヘリウムを除けば人体を構成する主要元素と同じであるように、

人も宇宙と同じ成分で出来ている。

つまり私たちは宇宙の一部分だ。

「自分」 とは 「自」然の「分」身だということになる。

「私たちは虫」 であるその体内細菌の中には、 

「恋する微生物」 という生命の神秘が存在していて、

春になるとその微生物たちが騒ぎ出し、

高間の原の季節。恋が人を盲目にさせたりもするのですが、

恋の80%はH²Oでなりたって、

残りは酸素と二酸化炭素との交流とも言えるように、

宇宙の視点立って総合的に見れば、

人間とは恋する物質だと言えるのである。

宇宙とは知られざるウィン・チューで構成されているのだ。

問題なのは、そのウィン・チューが瀕死の状態なのである。

この状態が今後も続けば、

社会が、人類が、宇宙が、存在しなくなりかねないのである。

大変だ! 我々のせいで宇宙に莫大な影響を及ぼしかねないのである!


「この人、大丈夫?」 とお思いでしょうが、正常です。ご安心ください。


恋をすること、夢見ることが

豊かな時空間を形成する第一歩なのかもしれないのです。

いかがでしょうか? 

ウィン・チューの世界観を堪能されていただけたでしょうか。


人生とはウィン・チューで始まり、ウィン・チューで終わる。

生まれた赤ちゃんへの最高の贈り物はウィン・チューであり、

死の床にある者への最大の贈り物はウィン・チュー。

私たちの唇が一つひとつの物語になりますように。

子に口づけを。道に迷わぬように。

死の憤りを口づけで救われますように。

あなたの祝福がウィン・チューの上にありますように。



    つづく。


嫉妬? 嫉妬社会なのか?

2019-03-02 | 
 3月2日 土曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


私たちが日々迷惑する人たちの行動を極端に単純化すれば、

困惑する社会それは、「嫉妬社会」 ではなかろうか。

愛が無いのだから当然である。

私たちが直面している社会問題の多くには、

愛の欠如による 「嫉妬」 にあるように思われます。

例えば、

いじめにせよ、セクハラにせよ、ヘイトにせよ、コピペにせよ、

愛があれば消えて無くなる現象だといえるでしょう。

移民で揺れる集団秩序も同様に、

愛があるならば国家シェアも可能なのですが、

どうゆうわけだか、愛のない人とは長続きしない。

なぜかと言うと、

喧嘩するには感情が必要だからだ。冷静ではいられない。

感情から嫉妬が生まれるのか、嫉妬するから感情的になるのか、

とかく、感情的な人と一緒では疲れること間違いない。

そこで大切なことは、

愛があれば仲間が集まり、

仲間が集まれば新しい出会いが生まれ、

その出会いがあなたに喜びと自信を与えて、

自信が幸せを引き寄せ、やがて感謝でいっぱいだ。

そして感謝がさらなる幸運を呼び寄せてくれる。

愛のある人生は文字通りハッピー最高だ。

なぜなら、

ほんの少しの愛であっても、心にゆとりをもたらしてくれる。

ほんの少しの愛であっても、人を美しく見せてくれる。

ほんの少しの愛であっても、再び私たちはやり直せる。

愛とは、あなたでなければならない使命に気づかせてくれる。

愛とは、あなたでなければ始まらない運命を導いてくれる。

愛とは、あなたでなければ見られない世界に共感を得られる。

愛とは、あなたでなければ一緒にいられないと感謝される。

愛に始まる純粋感覚は、

本能的で直感的である。理屈は後で考えればいい。

愛に始まる知覚の判断は、

隣人愛による目に見えるものと目に見えないものとの一体感にある。

愛に始まる創造性は、

常識と美しさの中にある。そこには英知があり霊的で芸術的である。


感情を感性にレベルアップさせるには、愛の概念が欠かせない。

あなたと私との仲であっては、相対的関係性においても、

共感して、感動し、感謝する隣人愛が融合と融和、何よりも重要だ。

そう。現代は嫉妬社会なのである。


ここでいつもの質問をします。


あなたに愛がありますか?  

答えられなければ、アウトだ。


   つづく。