酒好き文化風俗研究者

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ゲームオーバー。

2019-06-30 | 社会問題
 6月30日 日曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


トランプ大統領。お待たせしました。

先日、日本のタンカーが何者かに攻撃を受けましたが、

ひょっとすると、あれは「せどり船」かもしれません。

つまり、イランが米国に協力したことになります。

金正恩委員長が我々との友情を無視するならば、

トランプ大統領。

次はイランとの交渉を始めるだけです。

その前に、

金正恩委員長が歴史上の人物であるなら話は別。

個人的には、金正恩委員長は嫌いじゃないのですが、

金正恩委員長がどう思っているかは解らない。

だからこの際、嫌なら切ろうと思います。

心配ありません。

いつまでも隣国に脅かされて自滅するだけですから。

「時」を味方につけられない指導者にようはありません。

それとも、

金正恩委員長が私と友人になると言うのであれば、

それならばトランプ大統領同様、

金正恩委員長のためにブログを書きましょう。

ゲームを続けるのか、終了させるのか。

やるのか、やらないのかだ。


  つづく。



競争共栄(喰うか、喰われるか)

2019-06-29 | 社会問題
 6月29日 土曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


これまでウィン・ウィン思想が

人と社会とにバランスをもたらす

極めて重要な役割の類似が明らかになりつつある今、

我々の世界を見る目は変わらずにはいられなくなる。

世の初めから隠されてきたもの、自然法則の半分を知るには時間がいるが、

それでも日々、競争しながら共生する、進化の根本は理解できる。

政治にせよ、経済にせよ、宗教にせよ、

自然原理という悪徳が繁栄する不思議な世界に、

ほとんどの社会現象は有害となって私たちの前に立塞がるが、

しかしだからといって、それだけの深く私たち自身と

目に見えない何者かの意思との主要な部分の一体となっている。

良くも悪くも我々はこの世界の真理を理解できるかけがえのない存在である。

視野が広がり、社会あるいは人との関係において

成長や共存などにおける計り知れない価値に気づく。

例えば2000年間、人類は見えない 「敵」 の脅威に脅えてきた。

歴史を恨み続け、競争に明け暮れ、それでも進化の過程を信じてここまで来た。

自らの 「敵」 を排除するという考えは何時しか我々の慣習に定着した。

その結果、おびただしい数の憎悪を我々はあまり気にしてこなかった。

確かにパワーバランスを強化すれば一時的には安心が得られても、

長期的には強敵化し逆襲してくるに決まっている。

新たな 「敵」 を生み出すのだ。

今や自己防衛手段だけでは平和を維持できないまでに拡大しつつある。

「敵」 を一つ倒すといった危険な 「賭け」 に依存してしまった。

それらが意味するものは一体何なのか。

 ― 競争と共生 ― 進化にとって決定的に重要な二つ ―

その働きはどうやら私たちが考えてきたこととは違うということだ。

互いに競争しあいながら共生することは可能であり、

実は必要で必然であったということである。

もちろん 「敵」 と戦うことに異論はない。

私たちが敵対者と関係を持つことには大きなコストと犠牲が強いられるだけである。

過去の経緯を振り返りながら安全保障や経済活動には、

考えの違いが進むべき道筋を不安定な方向へと歩ませる。

だが、自然法則と共存するならば安全保障のあり方を決めることは容易くなる。

実際、私たちは世界を大きく変えてきた。

堂々たる経済、豊かな生活、様々な真理を手に入れてきた。

思い出してみよう。

私たちは自らに牙をむくことを得意げにしていることを。


自然法則の全体像については未だ不完全なのだが、

ある種の慣習を変えようとする能力は私たちにはある。

混乱する資本主義社会の名誉回復は、

周知の通り難題であり危険もあることだろう。

そもそも壊さずに助長することが最善なのかもしれない。

過去数世紀、多くの偉人たちが人類の進化に光を当ててきた。

この過程では実際、多くの人々を幸福へと導いた。

同時に、有害な働きを生み出していることにも薄々感じている。

21世紀の初めに自然法則の知られざる扉が開かれようとする、

高次な共存共栄社会の実現へという疑えない事実が明らかになる。

我々は何者で、何しにきたのか。

ウィン・ウィン思想を通じて複雑な社会現象をどう定義し直すか。

私たちは今、問われ始めたばかりだ。




   つづく。




G20の皆さんへ。ウィン・ウィン国王です。

2019-06-28 | 社会問題
 6月28日 金曜日

 おはようございます。 ウィン・ウィン国王です。


寡頭政治の支持者たちは、

「自然的なもの」 と定義される方法のほうが、

直接民主主義よりも魅力的で有効であるように考えているが、

それらはしばし、ヒエラルキーの形成 ― 言い方を変えるなら

ダーウィニズムによる 「強者による支配」 もしくは 「自然淘汰」―

誰が言ったか忘れたが 「神が自然を創り、悪魔は人を創った」 ―

自然発生的なものだと主張している。

なんでも、この考え方に従えば、

人間社会はこの掟からは逃れられないそうだ・・・。


少数が権力を握る政治システムでは、

確かに生存競争の最先端に位置していることは同意できるが、

いわゆる、「ダーウィニズム」 ― もしかすると

社会の混乱の根本原因は、我々の思い違いにあるかもしれない。

なぜなら、ダーウィンの名著

「自然淘汰による種の起源について、生存を求める闘いで有利なものが維持されること」

これが正式タイトルだが、

実際、誰も最後まで読んでいない気がするからである。

なぜそう思うかと言うと、

動物哲学的には弱肉強食なのだが、生物学的には我々は共生生物、

生き残るために何かしら共存しているからである。

ダーウィンは晩年、

「地上に生息している生物はどれも、それぞれ進化の過程で適応している。さもなければ既に滅んでいたはずだ」と。

有機物同士による物理的相互作用が自然界にもたらした進化の結果ではなかろうか。

持続可能な社会に対する技術的な解決策には、

科学によるものだけではなく価値観の問題だと結論付けます。

「種の起源」 による生命最後の砦には、

全体を通じてどんな地球に住みたいのか、この一点にかかっている。

生命を有する個体が辿る一生は、

その個体を通り過ぎてゆくものであると同時に、

その個体が本質的に有しているものである。

したがって、他者との共生意識において言えることは、

属性が確立されるものであって、個人だけでは確立されない。

属性は必ずしも単一体の生命体やモジュール体に付属している訳ではなく、

長い年月をかけて個別の能力として受け継がれる。

事実、生命は種に従属しており、それ以外にはない。

明確なビジョン ― 

明らかにそれを次世代に伝える生命の所有者であると同時に種の進化であり、

厳然たる事実を受け入れるには

深いところで共生についての福音を継続させることにあるのです。



    つづく。