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救世主のテーゼ。

2015-07-13 | 社会問題
救世主を定義すればこうなる。

「救世主とは、より多くの救世主を生み出した者が救世主である」と。

従って、釈迦にせよ、モーゼにせよ、イエスにせよ、ムハンマドにせよ、沢山の預言者を生み出しているのだから、まぎれもなく救世主と言える。

しかし、疑問が残る。宗教戦争はどう説明するのかと。

仮に、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がこの世界に存在していなかったら、恐らく今以上に辛く過酷で悲劇的な「ああ無情」が待ち受けていたに違いない。

なぜなら、戦争指導者は女性ではなく、まして神でもなければ聖戦でもなく、それどころか、「思い込み」による「思い違い」の無知が原因だからだ。

従って私達に必要なのは「救世主」であり、その救世主に必要なものはその目的論的論証である。

アリストテレスが生きていたらきっとこう言うだろう。

「世界統一にとって一番相応しい人間とは、この世界を誰よりも上手に楽しめる者のことであり、力の強い者が支配によって制覇するのでもなければ、怠惰な臆病者でもない。それは世界統一を果たした時に全ての民に幸福を分け与えられる者のことである。つまり自らが世界を所有しない者である」と。

そう考えると、世界統一は個人プレーであってはならない。「チーム地球人」とはやはり団体戦だと考えられるから、協調性が備わっている女性が望ましいと思われる。

実際、人間の大権利である自己保存でさえ、3回繰り返せば、憎しみや怒りが込み上げてくる現実の中で、私のやり方とか、あなたのやり方という手段ではなく、やはり人類には何らかの明確なビジョンの協調が必須であり、国家も同様に、今までかみ合わなかったものも、より話し合えるようになるのではなかろうか。

自分の事しか考えられないと人生に価値が認められないように、リーダーが自分の事しか考えなければこの世は悲惨だ。

反対に私達の目指す目的が同じ時、我々はさらに進歩し、レベルが上がる。共通の敵?を探さなくても共存共栄は可能である。ビジョンがそれを信じさせてくれるからだ。ビジョンの良いところは、それは必ず達成することにある。


世界の心配事は人類の共通の問題であると同時に、個人が解決するカルマでもあって、心配事に目を奪われて、大切なビジョンを置き去りにしているのではなかろうか。

問題や心配事とは一度表面化して軽く見えてしまえば消えて無くなるように、現代は一度立ち止まって問い直してみると楽になる。

逆に問い直されない妄想や思い込みの強さほど酷なものはない。

人類の問題とはいったいどこから生まれてくるのだろうか?

また、現代の救世主はいつ現れるのだろうか。