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第218回 歴史の中のアカザ

2017-05-26 | エッセイ

 いきつけのお店のマスターが、久しぶりに、アカザの育成に燃えている。うまく育てて、立派な杖を作るという夢があるのです。お店の屋上で世話したり、館山でも育てたりと、maiちゃんや、園芸部まで巻き込んでの奮闘努力ぶりは、お店のHPでもすっかりお馴染みになってます。

 「アカザって、アルカリ性の土壌じゃないと育たないんですよ。コンクリートって、アルカリ性でしょ。だから、ビルの解体跡地なんかに、誰も世話してないのに、アカザが元気に育ってるのを、以前、見たことがあるんですけど、すごく口惜しかったですね」とはマスターの弁。見事な葉と、杖になる茎の部分の画像です。



 さて、そのアカザですけど、司馬遷の「史記」のなかで、ちょっとしたエピソードとともに登場するんですね。まさに「歴史的な」植物というわけです。
 まずは、その前段として、孔子の弟子達をめぐる知られたエピソードを紹介しなければなりません。
 
 孔子には、70名からの弟子がいたらしいのですが、その中で、一番金持ちだろうとされてるのが、「子貢」なる人物。今で言う財テクで財を成したと言われています。
 その子貢が、ある時、孔子に「富んでいても驕らず、貧しくても人にへつらう事がない人はどんなものでしょうか」と、暗に自分のことを褒めてもらいたくて質問するんですが、孔子の答えがふるっている。

 「まあよいだろう。だが、貧しくても、道を楽しみ、富んでも礼を好む人には及ばない」
 仁とか徳とかを説いた孔子ジイさんも、小気味よく嫌みを飛ばしてくれる。
 
 一方、貧しい弟子の代表が「原憲(げんけん)」なる人物。

 で、「史記」での記述ですが・・・

 「史記の風景」(宮城谷昌光 新潮文庫)を読むと、金持ち「子貢」が、貧しい「原憲」を訪ねる場面が描かれてるというのです。

 原憲のすまいは、湿地にあって、まわりには「アカザ」が生えている。一丈四方の家で、屋根も、戸も「よもぎ」でつくられていて、雨漏りもひどい。そんな家で、原憲は、琴を弾いたり、歌を歌ったりしている。

 そこを、子貢が訪ねるのだが、道が狭く、馬車が通れないので降りて、歩く。
 その時、原憲は、「桑の葉の冠」に「アカザの杖(つえ)」で、出迎えます。

 あまりの貧しさを見かねた子貢が「あなたはなんと苦しんでおられることか」と言うと、原憲は「財産のないことを貧しいと言い、学んだことを実践できないことを苦しいというのです。私は、貧しくはあるが、苦しんでいない」と、ピシャリと言い返します。

 言われた子貢は、一生その軽率な言動を恥じることになるのですが、それはさておき、当時から、「アカザの杖」は、まさに「自由人の象徴」だったということですね。
 別名「仙人杖」とも呼ばれ、のち「三国志演義」で張角(ちょうかく)に「太平要術」という不思議な本をさずける南華老仙という老人も、「アカザの杖」をついていた、とあるそうです。

 マスターも、自作のアカザの杖を何本かお持ちで、見せていただいたことがありますけど、いや~、そんなにスゴいもんだとは知りませんでした。ただの杖じゃないんですね。持てば、気持ちだけでも、「自由人」になれそう(ひょっとしたら仙人になれるかも)。

 今育てているアカザは、順調にいけば、この夏にグ~ンと成長して、冬には、杖ができるという。
 「今度こそ、会心の杖を作りたい」とのマスターの意気込みと決意。応援してます。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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