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第503回 司馬遼太郎のリヴァプール

2022-12-16 | エッセイ
 若い頃からアイルランドに憧れていました。きっかけは、何かの本で読んだ丸山薫の「汽車に乗って」という詩の冒頭(旧かな)です。
 汽車に乗って/あいるらんどのやうな田舎にゆかう/ひとびとが日傘をくるくるまはし/
 日が照っても雨のふる/あいるらんどのやうな田舎にゆかう/

 サラリーマン時代は、ギネスビールにハマり、首都ダブリンあたりのパブで、現地の人たちとワイワイできたらなぁ、なんて夢を抱いていました。手前のイギリスまでは何度か行く機会があったのですが、もう1歩が遠かったです。そんなわけで、司馬遼太郎の「愛蘭土(アイルランド)紀行 1」と「同 2」(朝日文芸文庫 1993年)を古書店で目にした時は、迷わず購入しました。

 読み始めたのはいいのですが、1巻の半ばあたりでも、司馬はロンドンあたりをうろうろするばかりで、大丈夫かいな、と心配になりました。が、そこは氏のこと、アイルランドと切っても切れないイギリスとの関係史などに想いを馳せ、関連する施設を訪問するなどの「予習」の時間だったのです。その一部ですが・・・
 イギリスの支配下にあったアイルランドは、第1次大戦後の1922年に、自由を勝ち取り、第2次大戦後の1949年に、アイルランド共和國が誕生しました。
 人口は350万人で、大きな産業はなく、農業が中心です。中堅サラリーマンの税率は58%、付加価値税率(日本の消費税相当)は25%ですから、暮らし向きは大変そう。
 宗教の面では、90%がカトリックというアイルランドに対して、イギリスは、プロテスタントとそれに近い英国国教会が主流です。そんな両国が仲が悪いのも無理はありません。アイルランド人が、イギリス人を罵って言う定番が「このプロテスタント野郎!!」だ、というのを読んで、(不謹慎ながら)頬が緩みました。

 さて、予習を終えて、ロンドンのユーストン駅から西海岸のリヴァプールへ、2時間32分の鉄道旅です。世界初の大都市間を結ぶ本格的な路線として開業し、かつては重要な輸送の担い手でした。でも、司馬の車両には他に4組の乗客がいただけ、というのが今のリヴァプールを象徴する旅立ちです。
 おいおい分かってきました。司馬がこの地に立ち寄ったのは、そこがイギリスでありながら、極めて「アイリッシュな街」だからなんですね。左がその夜景です。落ち着いた港町の風情です。右の地図をご覧ください。赤丸は、右下から左上へ、ロンドン、リヴァプール、そして、アイルランドの首都ダブリンです。

 地図でおわかりのように、リヴァプールは、アイルランドの首都ダブリンのほぼ対岸に位置します。産業革命当時は繁栄を誇りました。東部の工業都市マンチェスターで作られた製品をアメリカなどに向けて輸出する重要な港だったからです。
 また、アイルランドでの厳しい生活に見切りをつけた人々がまず目指したのがこの街でした。留まる人々もいましたが、大望を抱いて新天地アメリカを目指した人々も多く、かのケネディ大統領やレーガン大統領のご先祖もここから新天地を目指しました。その結果、在アメリカのアイルランド系の人口は、2000万から4000万人ともいわれます。在イギリスは100万人、そして、リヴァプール市民の4割がカトリックだというのが、何より象徴的です。

 大きな産業もない中、重要な観光資源となっているのが、(いまだに)かの「ビートルズ」です。司馬の訪問時も、ビートルズ観光ツアーが続々とやって来ていたといいます。氏にビートルズは似合わない気もするのですが、そこにアイリッシュなものを感じた氏の薀蓄(うんちく)話に、しばし耳を傾けてみましょう。
 Beatlesというバンド名の由来については、諸説あるようです。beetleなら、カブト虫ですが、イギリスには棲息していません。当時流行していたBeat(ビート)音楽に逆らって、Beatless(ビートのない)をもじって、Beatlesとした、との説は説得力があります。
 4人のメンバーのうち、リンゴ・スターの出自はよく分からないそうですが、他の3人はアイルランド系とされています。厳しい生活の中でもユーモアを忘れなかったアイルランドの人たちの血が流れているのでしょう。こんなエピソードを紹介しています。
 アメリカ公演での記者会見で、記者が「ベートーヴェンをどう思う?」というバカな質問をしました。「リンゴ・スターは「いいね」と大きくうなずき「とくに彼の詩がね」」(本書から) と答えたといいます。
 女王陛下から勲章を受章した時には、第二次大戦でもらった軍人が抗議のため、勲章を返上する騒ぎが起きました。それに対するジョン・レノンの言葉です。
「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ」(同)反骨精神もなかなかのものです。

 リヴァプールからは、船でなく飛行機でアイルランドの首都ダブリンを目指す司馬の一行に時代の流れを感じました。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
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