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第300回 笑い納め2018年

2018-12-28 | エッセイ

 いつもご愛読ありがとうございます。おかげさまで、「芦坊の書きたい放題」も区切りの300回を迎えることができました。200回の時と同じく、「単なる通過点」と言う気持ちに変わりはありません。
 これからも楽しく読んでいただけますよう一層の努力、工夫に励むつもりです。引き続きのご愛顧をよろしくお願い申し上げます。代わり映えのしないイラストで恐縮ですが、ささやかに、300回を祝ってみました。



 さて、奇しくも、今回が本年最後の記事になります。何かと気ぜわしい年の瀬、新年ですので、恒例により、笑い納めのお気軽、お気楽ネタをお送りします。

 出典は、これも恒例の「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)です。登場人物も時代背景もいささか古いですが、エピソードをそのまま引用してお届けしますので、お楽しみください。

★ 新珠三千代が京都で中村勘三郎と共演している時、ある日終演後、挨拶にゆき、「中村屋さん、きょうもこれですか」とマージャンのパイをならべる手真似をするつもりで、つい間違えて、男女が仲良くする手つきをしてしまった。

★ 戦前、義士銘々伝が絶品だった前の一龍斎貞山は、悪口がうまかった。
弟子で顔色が浅黒い男がいた。そのくせ、おしゃれで、クリームを塗ってはテカテカした肌を喜んでいた。貞山が苦笑して、「何だい、その顔は。まるで大掃除の時に、たんすの裏から出て来た白足袋みたいじゃないか」

★ 東京っ子の南田洋子は、NHKの「横堀川」に出ていた頃、関西弁を一生懸命おぼえた。
のちに述懐して、「はじめはつらかったわ。夜、夢の中で、大阪の言葉が活字になって、口から出るんです」

★ 永井荷風の日記「断腸亭日乗」を岩波の全集で見てゆくと、週に一回乃至二回、日付の上に*というしるしがついている。研究家が何だろうと思い、散々考えた末、ハッと気がついた。これは性のいとなみを記録していたとしか思えないというのである。
そのペースは、晩年近くまで、変わらなかったそうである。

★ 文学座の中堅の男女優が昭和38年に大挙脱退した。ショックを受けていた杉村春子に、小津安二郎監督と里見弴が電報をくれた。
「オレガツイテル サトミ オレモツイテル オヅ」

★ 藤森成吉は視力が弱かったのか、劇場へゆくと、最前列のいわゆる「かぶりつき」にかけて見ていた。ある劇団の女優が、劇場の支配人に「いちばん前にいられると、どうも困るんです」という。
「そんなにこわいのかね」
「いいえ、あの先生、最前列で芝居を見ながら、大きな口をパクパクさせてジャムパンを召し上がるんですもの」

★ 戦争中に、三宅坂に陸軍の参謀本部があった。都電の車掌が「サンボウホンブ前」と告げた。その車内に、芸者が二人いた。若い一人が隣の先輩に「サンボウホンブって何ですか」と質問した。ところが姉さん芸者も即答できない。ちょっと考えた末に、こういった。「陸軍の軍人さんの検番のようなものじゃない?」

★ 地方に巡業に行った役者が、町で牛鍋を食べ、さて勘定ということになると、予想の半分位の値段であった。おどろいて外に出ると、大きな看板が出ている。女優がいった。
「ただし馬肉と書いてあるわ」
よく見たら、但馬(たじま)肉であった。

★ 佐藤慶という俳優は、案外ひょうきんな人で、シャレもよくいうそうだ。
NHKのテレビ小説の「チヨッちゃん」の父親の医者の役をしていたが、病気で注射を打つ場面のリハーサルで「おチューシャこわいよ、別れのつらさ」とつぶやいたので、一同が抱腹絶倒、本番が1時間延期になった。

 いかがでしたか?無事に笑い納めていただきましたでしょうか。

 なお、新年のご挨拶に引き続き、通常の記事は、1月11日(金)からアップの予定です。

 皆様、どうか良いお年をお迎えください。



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