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第507回 半藤さんの屁っぴり薀蓄話

2023-01-20 | エッセイ
 作家の半藤一利さん(故人)は、昭和史を中心に歴史を掘り起こし、多くの著作を世に送り出してきた方です。私もずいぶん愛読してきました。綿密で膨大な考証を重ねる作業って大変なのでしょうね。時に息抜きのような軽いエッセイもお書きになり、それにも親しんできました。
 今回は、「江戸時代の屁の名人録」(「ぶらり日本史散策」(文春文庫)所収)からの蘊蓄(うんちく)話に、私なりのネタも書き足して、「香り高く」お届けするつもりです。最後までお付き合いください。

 前フリでは、氏が「漱石ぞな、もし」(文春文庫)で紹介した2句が引用されています。
 <口切(くちきり)にこはけしからぬ放屁哉(かな)>(漱石)
 口切ですから、商売か行事が始まるところなのでしょう。そこへ放屁とは縁起でもない、失礼な、と怒りとユーモアを交えた漱石らしい句です。
 <屁もひらず沈香(じんこう)もたかず年の暮れ>(一茶)
 1年を無事に終えた感懐をこんな句に仕立てる手がありました。

 話は、屁の上品な言い方である「おなら」の語源に及びます。「鳴らす」からというのが通説ですが、半藤さんはこんな説を紹介しています。もともとは、宮中の女御たちの隠語だったというのです。有名な和歌「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂いぬるかな」を踏まえて、思わずとりはずしたときに「九重に匂う」から「お奈良」と称した、というもの。う~ん、高貴な香りがして、説得力があります。

 さて、本題の江戸時代に入って、浮世絵師の北斎が、屁の句を作っていたと言うのです。
 <赤兎馬(せきとめ)の屁に雲長も苦笑い>
 三国志の世界です。雲長とは関羽将軍のこと。その将軍の愛馬が千里を一気に駆け抜けるといわれた赤兎馬。駿馬といえども「屁」くらいするだろう、との諧謔精神です。
 <誰が嗅いでみて譬(たと)えたか河童の屁>
 小さい頃、簡単にできることを「屁の河童さ」と言ってましたが、江戸時代からあったんですね。
 <木魂(こだま)して天地にひびく井戸屋の屁>
 当時は井戸があちこちにあり、「井戸屋」という商売がありました。綱一本で井戸の底に降り、垢を取ったり、修繕したりします。そんな井戸屋が仕事中に放つ屁は、きっと天地に響いたことでしょう。庶民の生活ぶり、仕事ぶりを彷彿とさせます。

 江戸時代と屁、ではずせないのが、かの平賀源内の「放屁論」です。こちらの方。

 私もごく部分的に読んだだけですが、「へ」という言葉のもじり、「屁」をめぐるあれこれ話に感心したことを覚えています。半藤さんも、同書から、「屁っぴり男」の話題を、意訳して引用しています。両国の見世物小屋での「演技ぶり」です。
「この男、まずは舞台中央にうつ伏せに横たわり、尻をまくる。そして芝居の三番叟(さんばそう)の下座(げざ)のヒューポンポンに合わせて一発また一発、つぎにププププと梯子(はしご)屁、つづいてプィンプィンと数珠(じゅず)屁、それからこんどはトンチンシャンの三味線に合わせて曲屁を奏で、最後に「淀の水車」と銘打ってプープー放ちながら体をくるりくるりと回転させたそうな。」できることなら、「見て」「聞いて」「嗅いで」みたかったスゴい芸です。

 半藤さんのあとで、いささか気が引けますが、私なりのネタをご披露します。まずは、句から。
 <汝(なんじ)らは何を笑うと隠居の屁>
 小さい頃、母親から教わりました(どんな母親?)。年をとると、肛門の筋肉が緩んで、屁をした自覚がなくなる、というのが母親の説明でした。でも今は、耳が遠くなったり、恥の感覚がなくなることを揶揄している、と私流に解しています。
 <嫁の屁は五臓六腑を駆けめぐり>
 お酒だったら、「しみわたる」のでしょうが、亭主、舅、小舅に気を使って、出すに出せません。内に籠って「駆けめぐる」・・・哀しくも笑える句です。

 最後(っ屁)は、落語のマクラでような聞いた気がする小噺です。タダならなんでも頂戴するというケチな男に、ある男が言います。
「なんでも有り難く頂戴するんだな?じゃあ、両手を揃えてオレの尻のとこへ出しな」
 そこへブーッと一発かまされたケチ男。両手をそのままに、畑へ駆け出しました。
「お~い、どうすんだぁ~」
「畑に撒くんです~。ただの空気よりは栄養がありますから~」

 いかがでしたか?いささか尾籠な話題にお付き合いをいただきありがとうございました。それでは次回をお楽しみに。
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