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第506回 4回も脱獄した男がいた

2023-01-13 | エッセイ
 学生時代、友人たちと北海道貧乏旅行で網走刑務所を訪れました。「(高倉)健さんが、ふらっと出てきそうだね」などと笑いあったのを思い出します。現在の同刑務所の正門です。

 先の戦争を挟んで、この刑務所も含め4回も脱獄した男の話を、吉村昭の「破獄」(新潮文庫)で読んだのは随分前です。最近、氏のエッセイ「史実を歩く」(文春新書)を読み、この作品が出来上がるまでの綿密な取材ぶりを知るとともに、男の超人的な知恵と工夫などにあらためて溜息が出ました。その驚くべき「手口」とその人生にしばしお付き合いください。

 昭和10年、未解決となっていた準強盗致死事件の主犯として、のちに脱獄を繰り返すS(小説では「佐久間清太郎」との仮名)が、共犯者とともに逮捕されました。二人は青森刑務所柳町支所に拘留され、裁判でSは死刑を、共犯者は懲役15年を求刑されました。そして、まもなくSが脱獄したのです。部屋の扉の錠は合鍵で開けたらしく、自由に開閉できるようになっていました。この時は、3日後に逮捕され、合鍵の作製方法を供述しています。入浴時に手桶のタガを外し、房に持ち帰ります。入浴時にふやかした掌を鍵穴に押し付け型取りです。鍵は尻を洗うフリでタガをコンクリートに押し付けて削り、成型したというのです、並外れた知恵と執念です。裁判で無期懲役となり、宮城刑務所へ移管されたものの、空襲の激化により、一時、小菅刑務所(東京)に収容された後、秋田刑務所に送られました。

 ここで2回目の脱獄をしたのは、戦中の昭和17年6月です。鎮静房と呼ばれる1坪足らずの頑丈な部屋の上方3.2メートルにある天井の明かり窓(直径30cmで金網入りガラス製)を破っての脱獄でした。脱獄して3ヶ月後、Sは小菅刑務所の看守長のもとに自首してきました。小菅に在監中、なにかと親切にされた恩義を感じて、と後に供述しています。とはいえ、2回も脱獄した凶悪犯ですから、今度こそというわけで、昭和18年4月に、冒頭で話題にしました網走刑務所に送られました。大正5年以来、17年間脱獄なしの記録を誇っていた堅固な刑務所です。

 なんとそこでも、昭和19年8月に、3回目の脱獄を決行するのです。手錠のナットが外され、環が開いていました。囚人監視用の視察窓を枠ごと外して脱出、通路を走って壁を這い上がり、天窓のガラス板を破って逃走しました。それにしても、手錠のナットと、窓枠をどんな方法で外したのでしょう。毎朝の食事についてくる味噌汁を、根気よくネジの部分にかけ続けたのです。やがて塩分でネジの鉄が腐食し、脱獄できた、というわけです。知恵と執念、そして、作業などで所内を移動する際、可能な逃走ルートを観察する抜け目のなさが、ものを言いました。
 敗戦後の昭和21年8月、北海道の滝川で逮捕され、札幌刑務所に収容されました。そこでは、日に3度の検身、房内検査の実施など脱獄阻止に万全を期すのですが、昭和22年4月1日未明、またもや、4回目にして最後の脱獄を敢行します。床板の一部が横に切断され、板が斜めに浮き上がっていました。床下を這って、獄舎の外へ脱出したのです。今回は、力技での脱獄でした。

 昭和23年1月、道内琴似町の巡査に逮捕されました。Sと気づいた巡査はタバコをすすめ、おだやかに事情を聴くなどしたため、Sは素直に逮捕されました。敗戦直後の混乱期でもあり、GHQの指示は二転三転しましたが、東京の府中刑務所へ収容と決定し、米軍提供の有蓋貨車を特別に仕立て、厳重な監視のもと、送り込まれました。
 そこでは、所長の温かい扱いで、Sは脱獄の意志を失い、模範囚として、刑に服したことが知られています。吉村としては、それを小説に書き込むためには、当時の所長鈴木英三郎氏(小説中では、「鈴木圭三郎」の仮名)への取材が必須です。いろいろアプローチを試みましたが、刑務所長という職責もあり、色よい返事はもらえませんでした。そこで吉村は、「破獄」の書きかけの原稿を送るなどし、ようやく取材ができたのです。

 吉村が聞き出したSが到着した時のエピソードです。看守が驚く中、所長は、Sの手錠と足錠をその場で外させました。所長から見せてもらった回想メモを吉村は引用しています。
「所長(私)は、これから何時でも会おう、今日は疲れているであろうから、顔や体を拭きゆっくり休息するよう言い、彼を獄房に連れて行くよう命じた。彼は丁寧に頭を下げ、何年ぶりかで重い手錠足錠から解放され、勝手の違った足取りで室を出ていった」(同エッセイから)
 また、秋田刑務所での脱獄の時、3.,2メートルもの壁をどうやって点ったのかの実演までさせています。「房のコーナーに行き、両足の裏を一方の壁に、両掌を片方の壁に密着させ、掌をずり上げ足もずり上げて天井まで昇り、片手を伸ばして電燈を取り外した」(同)
 頭だけでなく、肉体能力も飛び抜けていたことがわかります。

 Sには入浴、軽作業への従事もさせ、厳重な監視体制の気配は見せず、一般の受刑者と同じ扱いをしたといいます。温情に応えたSは、模範囚として過ごし、所長の尽力により、昭和36年12月12日に仮出所しました。所長はその前年に退官していましたが、Sは毎年、新年の挨拶で鈴木氏を訪れていたといいます。そして、昭和53年12月に、71歳でドラマチックな人生を閉じました。Sの執念もスゴいですが、鈴木所長の人間味溢れるエピソードを引き出す吉村の取材への執念も負けず劣らずです。
 最後は、「ちょっといい話」になりましたが、いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
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