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第445回 不思議な関西商法<旧サイトから>

2021-10-29 | エッセイ

 <旧サイトから>の第7弾になります。その後、現サイトで「関西商法の秘密」として、広告宣伝、鉄道などを取り上げ、シリーズ化するきっかけになった記念の(?)記事です。
 文末に、リンクを貼っていますので、合わせてご覧いただければ幸いです。

★ ★以下、本文です★ ★
 今でもあれは不思議な商売だったなぁ、と思います。

 大阪市営地下鉄の回数券をバラ売りする商売が、小学生の頃にありました。家族での買い物といえばもっぱら大阪市内の心斎橋にあるデパートと決まっていました。阪神電車でターミナル駅の梅田まで出て、そこから市営地下鉄に乗り換えます。

 さて、当時、地下鉄の駅の改札付近の薄暗いスペースに、エプロン姿のオバちゃんが、そう、10人ほどでしょうか、切符の立ち売りをしていました。ネットから拾ってきた画像です。

 10枚分の料金で、11枚綴りになっている回数券をバラ売りするのです。11枚売って、1枚分が、オバちゃんの儲けになるという、いかにも効率の悪い、ニッチな商売です。
 当時は全線均一料金でしたから、売る方も買う方も手間はかかりません。調べてみると、1960年時点で、20円でした。100枚売れて、儲けは200円ほどです。貨幣価値を考慮しても、利は薄く、しかも一日中、立ちっぱなしですからキツい仕事です。

 そんな逞しいオバちゃんたちを支えていたのが、関西、大阪人のやさしさじゃなかったでしょうか。
 切符は窓口で買うのが当たり前の時代、無愛想な駅員から買うよりは、「おおきに」の一声を添えて売ってくれるオバちゃんの方が圧倒的に人気です。私の父親も、母親の分は、必ずオバちゃんから買っていました。普段は気難しく、口うるさいのに「意外と優しいとこもあるんやな」と感じたのを覚えています。
 もちろん、大阪市もこんな商売を認めていたわけではありません。取り締まる手段がなく、黙認みたいな形だったのでしょう。

 そんな中、1967年、地下鉄に区間料金制が導入されました。1区20円から、6区70円までの体系で、経営改善のための「値上げ」ですが、結果的にオバちゃんたちの商売に少なからぬ影響を与えました。
 行き先によって料金が変わりますから、オバちゃんも、切符を売り分けなくてはなりません。

 「難波まで」「動物園前まで2枚」「玉出までなんぼかいな」
 その都度、「え~っと、ちょっと待ってくださいよ」と料金表に目を落とすオバちゃん。
 売る方にも、買う方にも面倒な仕組みになってしまいました。

 当時の新聞も、新料金体系の導入(実質値上げ)ということよりも、その導入で戸惑うオバちゃんたち、そしてお客さんたちの様子を同情的に伝えているものが多かったように記憶しています。それだけ定着していた商売だったわけです。

 追い打ちをかけたのが、1970年の大阪万博でした。

 例によって、世界の人々に恥ずかしくない街にしましょう、みたいなありがちなキャンペーンに、「けしからん」オバちゃんたちを追放したい市の思惑が一致して、オバちゃん達は一掃されてしまいました。
 IC式のプリペードカードと自動改札が当たり前の昨今から見れば、いずれ消える運命だったでしょう。でも、つくづく不思議な商売だったなぁ、と懐かしく思い出します。

 冒頭でご紹介した「関西商法の秘密」シリーズへのリンクです。<第235回 広告宣伝編<第257回 立ち飲み編><第280回 鉄道編><第352回 えべっさん
 是非お立ち寄りください。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


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