★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第514回 ナチスの略奪絵画と謎の男

2023-03-10 | エッセイ
 少し前、名画好きのナチス幹部が、贋作画家の詐欺にものの見事に引っかかり、億円単位の損失を蒙った話題をお届けしました(第490回 ナチスを騙した贋作画家ー文末にリンクを張っています)。
 今回お届けするのは、ナチスが美術館や個人から略奪した世界の名画のその後と、それにまつわる謎の男の話題です。NHKの「アナザー・ストーリーズ」(2022年7月1日放映)をネタ元にしています。最後までお付き合いください。

 きっかけは、2010年9月、ミュンヘンからチューリッヒに向かう国際列車内でのことです。国境で税関職員による通関チェックが行われました。ある老人のところへ行くと、その男はいきなり3枚の白封筒を見せ、「何も申告するものはありません」と告げたのです。その奇妙な行動は報告書に記載されました。当日の帰りの便にその老人が乗り合わせているのに係官が気付き、封筒のことを尋ねると、その男は2枚の封筒を見せました。「1枚はどうしたのか?」と更に訊くと、男は激しく動揺し、興奮しだしました。不審に思って身体検査をしてみると、9000ユーロ(120万円)入りの白い封筒が出てきました。
「父親が画商で、昔、売買した絵画の金がスイスの銀行にある。それをおろした」との説明に、税務当局は絵画の裏取引を疑います。
 そして、2012年、その男のミュンヘン市内のマンションで、極秘裏に、税務当局により家宅捜索が行われました。そこで見つかったのは、ピカソ、マティス、シャガール、ルノワールなど国際的な名画1200点、1300億円相当という途方もない大コレクションです。持ち主は、あの列車の男で、コルネリウス・グルリットといい、父親は、ナチスの4大画商の一人と言われた人物だと当局は知りました。とんでもない「事件」に発展する可能性が出てきたのです。
 当局は、秘密裏に美術史家に絵画の調査を依頼します。絵画の中には、ナチスが独自につけた管理ナンバーのシールが残されているものがありました。ナチス作成で、戦後も残されていたリストと照合することで略奪された作品が含まれていることが判明しました。

 約1年間、極秘の調査が続きました。当局も扱いに苦慮したフシがあります。一つの壁は、ドイツ民法の規定です。いかなる事情があれ、30年間、持ち続ければ、所有権を主張できる、というのがそれです。でも、モノがモノだけに、税金だけ払って1件落着、というわけにはいかなくなりました。税務当局が、本人に裏取引を持ちかけていたのではないか、とも言われています。これ以上詮索しないことと引き換えで、絵の所有権を放棄する、とか、死後は、国へ寄贈するとか、のような。
 そんな不可解な動きを、2013年11月、週刊誌「フォークス」がスクープしました。担当した記者は、トーマスとマルクスの二人。大量のナチス略奪絵画の調査が行われているらしいとの噂、税務当局の良心派からのリーク情報を出発点に、取材が行われました。
 一番難航したのは、本人の特定です。インターホンで呼んでも応答はありません。近所の聞き込みでも、本人につながる情報は得られません。ドイツ人なら持っているはずの住民登録、税金ナンバー、健康保険の登録もありません(のちに、オーストリア国籍を取得していたためと判明します)。
 それでも、ナチス調査専門家の協力を得て、50年前の住民登録台帳から、母親(ヘレネ・グルリット)の名を見つけ出し、男の名前は、コルネリウス・グルリットであり、かの画商の息子であることが判明しました。生きていれば80歳のはず。編集長の英断により、本人への取材は抜きで報道されました。「救われた宝」「発見された絵画が再び謎の男のもとに返されるならば、この衝撃的な発見は悲劇に終わる」などの文字が踊り、大きな反響を呼びました。
 税務当局は記者会見を開いて、事実を認めました。その結果、世界中から取材が殺到し、遂に、買い物に出かける本人の写真が撮影されました。こちらです(番組から)。

 メディアが競った取材結果を集約すると、こんな事実が浮かび上がってきます。父親は、1956年、交通事故で亡くなりました。戦後、しばらくは、ナチスから名画を守った男、と称された時期もありましたが、膨大な絵画コレクションを私物化していたことになります。それを引き継いだ息子のコルネリウスも、それらをどう扱っていいものか分からず、ひたすら身を潜める生活が始まりました。時々、絵を売って生活の糧とするつつましい生活が続いたのです。冒頭の国際列車内でのやり取りと符合します。
 2014年5月、コルネリウスは、81歳で亡くなりました。あまりにも膨大で、いわく付きの遺産を引き継いだばかりに、世間の目を逃れ、隠れるようにして生きるしか術(すべ)がなかった彼の人生を思うと、ちょっと暗く、重い気分になります。

 さて、膨大なコレクションのその後です。略奪されたことが判明している400点は、ドイツ連邦共和国美術展示館で保管され、持ち主が名乗り出るのを待っています。ただ、現在までに返還されたのは、わずか14点とのことです。残る作品は、ベルン美術館での公開に備えて、修復作業が行われています。返還すべきは返還した上で、一日も早く公開されることを願わずにはいられません。私が観に行くことは叶わないでしょうけど・・・・
 いかがでしたか?冒頭でご紹介した記事へのリンクは、<こちら>です。それでは次回をお楽しみに。