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正午
季節外れの藤の花
現実での音楽活動が忙しくなるほどに
生きることに通じる気付きは幾つも舞い降りて来る
それは当然そうなのだ
何故なら
音楽は直で命を使って営むものだから
ただ
その気付きを
何かに書き留めておかないと忘れてしまうような気がして
こんな風にPCに書いているが
結局は
閃いたままの純粋な気付きは
閃いた直後には
もう
深層心理の彼方へと放り込まれ深く沈んでしまい
後で取り出すことも出来ない
素晴らしい発見をいくらしても
文章のプロではない自分は
その気付きをこの手で捕まえ
この現世に言葉として残すことが出来ない
とはいえ
自分の深層心理の中にはストックされてはいるので
音楽を用いた時にだけ
それらは再利用することが出来る
それはもちろん言語ではなく
音の中織り込まれて
聴き手の心にぶん投げられるのだ
現実世界で人間関係をスムーズに運ぶために
施している「気遣い」
のようなものは一切使用せず
音に織り込まれたものは
聴き手の方へと乱暴にぶん投げられるのである
何故
そんな乱暴なことをするかって?
それは
人は全て利己的な特性を以って生きざるを得ないから
それでいて群れの中でしか生きられないという
非常にやっかいな性を背負わされている
そして芸術というのは
その部分を抉り出してオーディエンスに見せなければ
ただの茶番になってしまうから
。。。
実はさっきから
今夜の気付きをなんとか文字化しようとしてるのだが
やはり文章のプロではないので稚拙な文章にしかならない
。。
音楽を突き詰めれば突き詰めるほど
それは
瞬間的に得て
次の瞬間には消え去るものだと知ることになる
人が音楽について
語れば語るほど
それはむしろ
音楽とは違う異物になってしまう
例えば沢山在る中の一つとして
こういうような容易には外に出せない想いを
人は
抱えたまま
大抵は人生を終えるのだと思う
それでも
笑っていられるにはどうすれば良いか
が
この先の自分の音楽の課題である