Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

巡るということ

2009-08-13 | ギターの栄養





この先の仕事ライブ用に
久しぶりに、ちゃんとエレキを弾いてる

勘を取り戻してるところっていうか






久しぶりに弾いたら、エレキは楽しかった

昔は苦しかったんだけど...





それは
「自分がここに居るんだ」っていう音を
エレキでいくら築こうとしても得られなかったから当時苦しかったのだ


三十代の半ば過ぎから、自分の中でメイン楽器をガットに絞り込んだ

僕が物心付く前から、趣味で父が弾いていたのを聴かせていたというガットという楽器は
持って鳴らせば不思議に「向かいたい方向」がスッと解った
そういう感覚はエレキには無かった

うまく言えないが
僕の後天的な努力を越えた深いところに摺り込まれているのだと思う

こうして僕のメイン楽器となったガットは
自分の深層心理にまで関わってゆくような、僕にとっては物凄く濃い楽器となり
そう簡単に「楽しい」などと言えなくなっているんだな、と
そういうことをエレキを弾いて思い出した

逆に言えば
もう、自分の中ではガットがちゃんとそこまで深く成立したから
そこに「居場所」を確保できて
だからかつては苦しかったエレキが、今はある意味
気楽に弾けるから楽しいのだろう


でも気楽だからといって適当に弾いてるのではない

音楽のもつ楽しみ方は様々だから
ちゃんとその中に入るようなプレイにはなっている

でも、かつての僕はそれだけでは嫌だったんでしょうね

他人には理解されなくても、自分の深層心理にまで届く楽器
自分だけの言葉
自分だけの居場所、が欲しかったんだろうと思う

僕にとっての音楽とは
そこが存在しなれば、無いも同じ
今もそう



そのガットの音を掻き消してしまう大きな音量の楽器に対しては
本当に毛嫌いして遠ざけてきた

ガットを、よりベターに響かせたくて、僕が
大きい音量のドラムと一緒に演奏することを避けるようになってずいぶん経つけど
それがまた、えらく久しぶりにドラムと一緒にライブをやる
ぼくはエレキじゃなくガットのままで

8/15
@JESSE JAMES 立川

今回の立川で御一緒させていただくドラマー、茶谷君からは
音の中にはっきりとしたリスペクトを感じ
リハでサウンドも心地良くまとまった

楽器の持つ大小の音量差だけの話ではなく
やはり音楽は「人」、「心」、「リスペクト」、
シェアしあう行為であった

自分を目一杯膨らませることが
相手も膨らませることになる不思議で素敵な行為

音がしっくりこない時は必ず
メンツの中に「音のエゴイスト」が混ざり込んでる



結局、エレキをまた弾いたように
今回またドラムと演奏をともにするように
この世にあるものを自分勝手になど排除出来ない

もうこりごりだと思っても続けることで時が一巡し
以前と状況が変わって行く


こんな体験をすると
この先、ただ楽器を慈しみながら弾き暮らすだけで心から満足

そう思えてくる










コメント
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