さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 128-137

2017年04月24日 | 桂園一枝講義口訳
128 樹陰夏月
なかなかにならの若葉のひろければかへるひまより月ぞみえける
一七八 なかなかにならのわか葉の広ければかへるひまより月ぞ見えける 文化十年

□「中々に」、けつくに、もつけの幸、なまなかといふ事也。なまなか転じてなかなかになりたる方なるべきが、俗言が雅言に転ずることはなきやうなれども、なまなかといへ、よくわかるなり。其の「ま」が「か」になれば、即ちなかなかなり。
「広ければ」、広はにしげる上に広業の若葉が滋るなり。けつく、ひろさにとなり。なまなかと云ふて、少しも古人にかはらぬなり。「なま」は「なま」なり。なまわかき、なま公達など言ふて、「な」はなりながら、ばんじゃくの事なり。「なま」の「なか」なり。生熟とある生なり。然らば「なまなか」の所に「中々」とあるかといへば、さもあらざるなり。「なまなかにくはず」は、よかりし、「なまなかに行かず」はよけれ、といふかと思へば、左様にはつかはぬなり。ともすれば、風のよるにぞ青柳の糸は、なかなかみだれそめける。さて「中々」は、上よりしては、二、三句へだててつかふなり。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくなり。此れ、古人のつかひなれなり。風がよると、中々にみだれるとなり。御前が世話する故、けつく邪魔になるとなり。「中々」は、「よる」の方につくなり。「みだれ」の方にはつかぬなり。なまじいよる故にみだれたるとなり。「なまじいみだれる」とは、つづかず。此れ一寸はなれるときこえる也。

○「中々に」は、つまるところ、もっけの幸、「なまなか」という事だ。「なまなか」が転じて「なかなか」になった方であるべきだが、俗言が雅言に転ずることはないようだけれども、「なまなか」といえ(ば)、よくわかるのだ。その「ま」が「か」になると、つまり「なかなか」だ。
「広ければ」は、広葉にしげっている上に、(さらに)広葉(業は、誤植か。)の若葉が繁るのである。つまるところ、広さ(のゆえ)に、というのである。「なまなか」と言って、少しも古人に変わるところはない。「なま」は「なま」だ。なまわかき、なま公達などと言って、「な」は(そのままの)語義を保ちつつ、盤石の(安定した)語彙である。「なま」(という意味)の「なか」である。「生熟」とある「生」だ。では(逆に)、「なまなか」の所に「中々」とあるかというと、そうでもない。「なまなかにくはず」は、よいが、「なまなかに行かず」はいいかというと、そのようには使わない。ともすれば、風が吹き寄せることにも、「青柳の糸は、なかなかみだれそめける」(などと使っている)。さて「中々」は、上(の句)からかかる時は、二、三句へだてて使う。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくのである。これは、古人の慣用だ。風がよると、「中々」に乱れるというのである。お前さんがよけいなことをするから、つまりは邪魔になるよ、と言うのだ。「中々」は、「よる」の方に付くのだ。「みだれ」の方には付かない。なまじっか寄るせいで乱れたというのである。「なまじいみだれる」とは、つづかない。これはちょっと離れると(意味が)聞こえるのだ。

□今この「中々にならのわかば」のうたは、反て、けつく、といふ事にすれば、うちつけに聞えるなり。併し、「なまなか」が元来故、けつくでもなきなり。此の所よくよく吟味すべし。(富士谷)御杖、歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」。いそがしい中に、「なまなか」ひまがありて、となり。なまなか惜まれにけるとは、つかはぬなり。さて御杖は、「なまなか」のつかひかたは、しられたれども、置所が千年以前とはちがふなり。古人のは、二、三句へだてて仕ふなり。

○今この「中々にならのわかば」の歌は、かえって、つまるところ、という事にすると、唐突に聞える。しかし、「なまなか」(という意味)が元来の意味だから、つまるところでもないのだ。ここの所をよくよく吟味するといい。(富士谷)御杖の歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」(というのがある)。いそがしい中に、「なまなか」ひまがあって、というのである。「なまなか惜まれにける」とは、つかわないのだ。さて御杖は、「なまなか」の使い方は、知っておられたけれども、置き所が千年以前とはちがう。古人のは、二、三句へだてて使うのである。

□さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」なり。それ故ここに景樹の説あり。先づ松山になみこえ、さらば浜千鳥かへりて、あとはのこさざらまし。されば「かへりて」は「かへりて」にてすむなり。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違ひてつかひよきなり。「かへりて」の詞はしらべがなくなるなり。よほど考へねばつかはれぬなり。それ故「かへりて」といふ事に「中々」をつかふは知りてつかふなり。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかはりがなき故に幸に五六百年「中々」が「かへりて」の所になる故に知りて仕ふなり。景樹の疎漏ではなきなり。調をいとふの所為なり。後世にいたりて吟味の足らぬやうに云ふべけれど、さにはあらず。いづれ間違もの故、とてもの事に後世幸に狂乱と云たるに付きて落着したるなり。

〇さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」である。だからここに景樹の説がある。先づ松山になみこえ、そうしたら浜千鳥は帰って、あとは残さないだろう。だから「かへりて」は「かへりて」ですむのである。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違って使いやすい。「かへりて」の詞はしらべがなくなるのである。よほど考えないと使うことが出来ない。それだから「かへりて」という事に「中々」をつかうのは知っていてつかうのだ。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかわりがないために、幸に五、六百年「中々」が「かへりて」の所になるものだから、知って使うのである。景樹の疎漏ではないのである。調を大切に思っての所為である。後世にいたって吟味が足りないように言うかもしれないが、そうではない。どの道間違っているのだから、とてもの事に(ただしようがなくて)「後世幸に狂乱(ならん)」というところで落着としておくのである。

※「ともすれば風のよるにぞ青柳のいとはなかなかみだれそめける」「拾遺集」三二よみ人しらず。以後、「なかなかに風のほすにぞみだれける雨にぬれたる青柳のいと」(西行)など多数。

129 題知らず
大空に月はてりながら夏のよはゆくみちくらしものかげにして
一七九 題不知 大空に月はてりながら夏夜はゆくみちくらし物陰(ものかげ)にして

□実景なり。夏の夜道を行ふきりにたれも見る事なり。月は夏は白きなり。はきとするなり。夏咲く花は大方白きなり。それ故あきらかなり。
さて夏の夜は至て短し。日の横に行くが故なり。それゆゑ入りこむ月はことのほかよくさし入るなり。「ものかげにして」は、ものかげで、と云ふことにあたるなり。

〇実景である。夏の夜道を行ふきりに誰もが見る事である。月は夏は白いものだ。はっきりとするのである。夏咲く花は大方白いものだ。それだからあきらかなのだ。
さて夏の夜は至て短い。日が横に行くためだ。だから入りこむ月はことのほかよくさし入るのである。「ものかげにして」は、ものかげで、と言うことにあたるのだ。

※結句の「~にして」、近代の「アララギ」で多用された語法である。現代だと、やや勿体ぶった感じに聞こえるようである。

130
夏虫のけちなんとするともし火のかげだにまたであくるよはかな
一八〇 夏むしのけ(消)ちなんとする燈火(ともしび)の影だにまたで明(あく)る夜半(よは)かな 

□「けちなん」、今は消しなんなり。「けす」は「けつ」といふが古のつかひかたなり。けす、けつ、かはりめのことは、又別にいふべし。
夏虫は、けすつもりはなきなり。此方の見えるよりして云ふなり。とふとふ夜明けにとられるなり。

〇「けちなん」、今は「消しなん」である。「けす」は「けつ」といふのが古(いにしえ)の使い方だ。けす、けつ、の変わり目のことは、又別に説くことにしたい。
夏虫は、けすつもりはないのだ。こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ。とうとう夜明けに(あかりを)とられ(ておわる)のである。

※「とふとふ」と表記してあるが、「とぶとぶ」ではなく、おそらく「たうたう」だろう。

※「此方の見えるよりして云ふなり」を、「こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ」とあえて注した。ここは、景樹が歌を解釈する時にどういう点に気を配っていたか、ということを端的に示している。歌そのものは平凡だが。

131 夏草
蓬生のそこのなつぐさおりたちてはらひしまでを(ママ)人もとひけん
一八一 蓬生(よもぎふ)の庭の夏ぐさおり立(たち)てはらひしまでぞ人もとひけむ

□此うたよろしくもなきなり。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿にはよもぎ多きものなり。荒れたる宿のかはりになるなり。それ故また、「夏草」とつかふなり。「よもぎふ」とばかり云へば、こたへぬなり。蓬はゆべき場所の、といふ程のことなり。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり。俗にいふ「おりきつて」と云ふに同じ。「たつ」は、きるの意あり。
払うて世話やいたまでは人も来たが、「はらはぬ」になりたるゆゑ、人もこぬなり。云ひ合せたやうに人がこぬとなり。「人もとひけん」、「ける」といへば誰れもわかるなり。「けん」といへば、ここに暗に合したる所をきかすなり。夏草のしげりきつた時分はあつき故に人はこぬなり。こぬのはやはり、はらうたまではきたけれども、こぬのはやはりはらうた故じやとなり。

〇このうたは、特段いいというほどのものでもない。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿には、よもぎが多いものだ。「荒れたる宿」のかわりになるのである。それだから、また、「夏草」と使う。「よもぎふ」とばかりいえば、(響きが)強すぎない。蓬が生えるような場所の、という程のことである。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり(※)。俗にいう「おりきって」と言うのに同じ。「たつ」は、きるの意がある。
刈り払って世話をやいた(頃)までは人(恋人、または夫)も来たが、「はらはぬ」(こと)になってしまったので、人もこないのである。言い合わせたように人がこないというのである。「人もとひけむ」、「ける」といえば誰でもわかる。(しかし、)「けむ」といえば、ここに暗合した所をきかせるのである。夏草のしげりきった時分は暑いので人はこない。こないのはやはり、(草を)払った頃まではきたけれども、こないのはやはり払ったせいじゃ、というのである。

※二句目は、あきらかに改稿されて「庭の夏ぐさ」よりも抽象的になっている。三句目の「を」は「そ(ぞ)」の誤記の可能性があるが、これも改稿とみると、当初の荒々しさをやわらげているともいえる。

※「おりたち下の類なり」、「下」は略字か。「けり」とよんでもよいし、文脈でみると、おりたち(了)おはんぬ、か。

132 風前夏草
風ふけば秋にかたよるこゑすなり夏野のすゝきほにもいづべく
一八二 風ふけば秋にたかよる聲すなり夏野のすゝき穂にもいづべく 文化十年 五句目 穂にハイデネド

□風ふけばかたよるなり。其かたよるは、秋に近づくやうなるをいふなり。出づべく思はるるなり。

〇風がふけばかたよるのだ。そのかたよるのは、秋に近づくような気候をもいうのである。(秋になって穂が)出るように思われるのである。

133
川岸の根白高がやかぜふけばなみさへよせてすゝ(ゞ)しきものを
一八三 河岸のねじろ高がや風ふけば波さへよせて涼しきものを 文化四年 五句目 涼しカリケリ

□「すゝ(ゞ)しかりけり」でもよき歌なるを、「ものにを」(※誤植「ものを」に)したるなり。
高がや、根の白きものなり。根白がやとは、つかはれぬなり。高がやの見ゆる、音さへすゝ(ゞ)しきにとなり。さて「物を」と詞を残すには及ばねども、詞がくづれるなり。それ故に折合せるなり。此れ言語の大法なり。 

○「すずしかりけり」でもよい歌であるが、「ものを」にしたのだ。
高がやは、根が白いものである。「根白がや」とは、使われないものだ。高がやが見えている、(その風にそよぐ)音だけでもすずしいのに、というのである。それで「ものを」と詞を残す必要はないのだけれども、(「すずしかりけり」では)詞が崩れるのである。それだから折合せたのである。これが言語の大法というものである。

※原文、「ものにをしたるなり」、誤植か。「ものを」にしたるなり」と解釈した。

※さりげないふうに作ってあるが、見立てと実景のあわいにあるものを、調べとしてとらえた、なかなかいい歌である。

134 夏草露
かげふかき蓬が末をふくかぜにけさもこぼるゝさみだれのつゆ
一八四 陰ふかき蓬が末をふく風にけさもこぼるゝ五月雨(さみだれ)の露 文化十年 二句目 庭ノヨモギヲ

□よもぎに埋れきりたる閑居のさまなり。「末を吹く風」、晴れたる景色なり。露はない形なるに、やはり名残ありて、今朝もきのふの五月雨の露がこぼるゝなり。

○よもぎに埋れきっている閑居の様子である。「末を吹く風」は、晴れた景色である。露はない形であるが、やはり名残があって、今朝も昨日の五月雨の露がこぼれているのである。

※これも前の歌と同様に何気ない風でありながら、一、二句に繊細な観察が働いており、なかなかいい歌である。

135 
蜻蛉のとぶひの野べのなつくさもわくれば下につゆこぼれけり
一八五 蜻蛉のとぶひの野辺の夏草もわくればしたに露こぼれけり 文化十四年

□かげろふ、とんぼなり。赤ゑんばなり。かげろふのとぶ、とつかふは、炎熱の形なり。

○「かげろふ」は、とんぼである。赤とんぼだ。「かげろふのとぶ」と使うのは、炎熱の型(慣例)である。

※「ゑんば」はトンボの異名(小学館『国語大辞典』)。

136 江戸にありける時野夏草といふことを
むさし野は青人草もなつふかし今さくみよの花のかげみむ
一八六 むさし野は青人草(あをひとぐさ)も夏深し今さく御代の花のかげ見む 文化十五年

□江戸の風、専ら有職を好み、文字を好みて世が開くるなり。しづしづとして何ごともはなやかなり。京都は六十位の人の如し。江戸は二十斗の人のうきうきしたる国なり。今より五十年もたたば、りんときまるなり。江戸と京とは、老若を以てくらぶべし。追々文化ひらけるなり。青人草々は、沢山なることなり。衆人なり。青い草のみならず人草も、となり。今さく御代六月も末なれば、秋近し。今追付さくとなり。御代の栄華をいふなり。此外夏草によそへたるなり。青人草、平田篤胤の書に日本扶桑木二本見えたる国なり。唐より見えたるなり。木に日をかくなり。木の中に日を見るが東の字なり。日本はあきらかとよむ。木の上に日があがりたるやうすなり。不老不死の薬、日本の米なり。扶桑国近くなる時は海水琉璃の如く見ゆるなり。況やそれに参りこんだる人は色も青く見ゆるなり。吉野の一目千本へ入る時は人面ことごとく桜色を帯びて酒に酔ひたる如くに見ゆるなり。今人の青きかたより日本に青人草といふなり。

○江戸の気風は、もっぱら有職(学問や諸芸百般)を好み、文字(を読むこと)を好んで社会が開明的である。(また)静かでゆっくりとしていて、何ごともはなやかである。京都は六十歳位の人のようなものだ。江戸は二十歳ばかりの人がうきうきしている(ような)場所である。今から五十年もたてば、(二つの都市の優劣は)はっきりと決まってしまう(だろう)。江戸と京とは、老若(の年齢差)でくらべてみるといいだろう。(江戸は)次第に文化が開けていっている。「青人」の「草々」というのは、(人が)沢山いることである。衆人の意味である。青い草だけではなく人草も、という意味である。「今さく御代」は、六月も末なので、秋が近い。(そこに)今追って咲くというのである。御代の栄華を言うのである。このほか夏草(の盛んなさま)になぞらえたのである。「青人草」は、平田篤胤の書に(次のようにあるが)、日本は、扶桑の木が二本見えた国である。唐の国から見えたのだ。その木に日を掛けているのである。その木の中に日を見るのが、東の字である。日本は「あきらか」とよむ。木の上に日があがった様子である。不老不死の薬は、日本の米だ。扶桑国が近くなる時は、海水が琉璃のように見えるのである。ましてそこに入り込んだ人は色も青く見えるのである。吉野山の一目千本へ入る時は、人の顔がことごとく桜色を帯びて、酒に酔ったように見える。(それと同じように)今の人の青いようすから、日本で青人草と言うのである。

※ここは、「講義」のなかでもっとも興味深い一節と言ってよいだろう。江戸と京都とのちがいを一見して将来を見通した詩人らしい直観が光る。また、平田篤胤への言及もおもしろい。

137 題しらず
春風につのぐみそめしつのくにのなにはのあしは今ぞかるらん
一八七 はる風につのぐみそめし津国(つのくに)の難波(なには)のあしは今ぞかるらむ

□大阪にてよみし実景の歌なり。芦にのみ、つのぐむといふなり。五、六百年此のかた荻に見ゆるなり。つのぐみ、つのくにと重ねたるなり。あしは夏刈るなり。夏刈りといふなり。花の出ぬさきなり。

○大阪で詠んだ実景の歌である。芦にだけ「つのぐむ」と言うのである。五、六百年このかた「荻」だと見られている。「つのぐみ」、「つのくに」と(掛詞にして)重ねたのだ。あしは夏に刈るものである。(これを)夏刈りと言う。花(の穂)が出ない前である。

(本文 一行あけて、「鵜川より海辺見蛍迄闕(欠)席」とあり、小字で「資之曰鎌田用ありて聴聞に出でざりし也」と追記がある。)


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