さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

まだまだ暑いので (一部訂正)

2018年08月28日 | 現代短歌
 二〇一八年の夏はことに暑かったので、すずしく秋の扉を開けてくれるような歌を読みたいと思う。伊藤一彦歌集『遠音よし遠見よし』から。

林中に黄蓮華升麻の花食べし鹿うつくしくなり秋待たむ
  ※「升麻」に「しようま」と振り仮名。

下句の句割れが、「鹿うつくしくなり」という様式的な語の運びにアクセントを与えて、当たり前にならないようにしている。

からみあふごとくに見えてからむなく水は仲間と渓谷走る

飲むときに千年を超ゆ水彦の棲むと思へる渓流の水

 雨が降ってから川の水となるまでに千年もかかるという水は実際にあるそうだ。「からみあふ」ように見えて「からむな」き水が、「仲間と渓谷」を「走る」のだという。これを読む時に生まれる幸せな感じはなんだろう。ここには伊藤一彦の円熟した歌境がある。先頃、この歌集につづけてもう一冊歌集を出したばかりの著者である。あれは詞書が読み物としておもしろい本である。この『遠音よし、遠見よし』にもそういう要素はあって、若山牧水に関係して作られた歌で、解釈に迷うような歌には、たいてい詞書が付けられている。

  「海越えて鋸山はかすめども此処の長浜浪立ちやまず」(『砂丘』)

かすみたる鋸山をながめつつ小枝子がことを思ひ出でしか    伊藤一彦

 詞書として引いてある短歌に『砂丘』とあるのは、牧水の歌集のことで、「海越えて鋸山はかすめども」とあるのがなかなかよい描写句。「小枝子がこと」は「小枝子のこと」、「思ひ出でしか」は、「思いだしたか」の意。

 著者には2015年刊の『若山牧水 その親和力を読む』という好著がある。牧水が惹かれた小枝子という女性は、かの大歌人に身を賭した恋をさせるほどのすばらしい女性だったとはとても思われない。それは若気のいたりと言ったら気の毒なような、不幸なこだわりであったが、そのあたり伊藤一彦の本を読んでみたら、また別種の感慨を得られるかもしれない。

 ※今見たら、「思ひ出でしか」のここでの私の訳が書き間違っていた。動詞「思ひいづ」連用形+過去の助動詞「き」の連体形+疑問の助詞「か」で、「思い出したのか」。これを「思い出した」だと、牧水でなくて作者が思い出したことになる。「しか」を「き」の已然形ととっている。それもまったくのまちがいとは言えないが、しかし、ここは牧水の気持をおもいやっているのだから、疑問形であろう。

西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』

2018年08月15日 | 現代短歌
 タイトルや装丁や帯に、やや過剰な自己プロデュースの要素を感じて、初見の瞬間は少し引いたのだけれども、めくってみると、おもしろいじゃん、ということになった。でも、このタイトルは、どうしても村田沙耶香の芥川賞受賞作品『コンビニ人間』(二〇一六年七月刊)の、コンビニのおかげで自分の生きる意味が見出せたという、究極のマイナス型自己喪失≒肯定小説を読んだ時の奇異な感じを思い出してしまうところがある。それを織り込んだうえでのこのタイトルということになるわけだ。 

あなたのそのえくぼに小指入れられる仲になるためまずは働く

たいへんだ心の支えにした棒が心に深く突き刺さってる

はじめてのいのりのようにうまく手を組めないまんま二人歩いた

愛すれば花ふることもあるだろうこの曇天の四条大宮

 四首とも相聞歌として読んでいいと思うが、二首めはちがった読み方ができるかもしれない。これだけ自己対象化をきっちりやりながら、同時にけっこう濃い諧謔を込めたユーモアを滲ませることができるのだから、たいしたものだと思う。こういう短歌作者がぞろぞろと出て来ているのだから、それは現代短歌はおもしろいわけだ。

「欠席」を丸で囲むと消えていく明日のわたしの小さな椅子は

独り身のバイト帰りの自転車の俺を花火がどぱぱと笑う

求人の「三十歳まで」の文字がおのれの寿命のようにも読める

せいしゃいんとうようレモンはいつまでもカップに浮いてしぶくなっちゃう

一億総活躍社会のかたすみで二人静養生活しよう

 ただ社会システムにやられっばなしでいるだけではないのだ。これらの歌のように、言葉のところでは結構打ち返しているのである。現在の若者に強いられている日本の経済全体の低賃金システム、若年層労働力搾取システムを変えないと、どうにもならないのだけれども、本当に、当事者にしてみればたまったものではない。そういうことが、痛みとして、でも深刻にではなく、詩としてのウイットをこめて伝えられている。そこがとてもいい感じだ。

身めぐりの本 その四

2018年08月13日 | 
 お盆休みだけれども、あまり集中していないので、本を動かすことにした。三時から四時にかけて家の上を猛烈な雷雲が通過し、どかんどかんと周囲に落雷する音を聞いた。私の場合は、母の亡魂に自分の不甲斐ない生き方を叱られているような気がしてしまうので、謹んで過ごすほかはなかった。雷がすぎてこれを書きはじめたら、少し体調が戻った。

・『露伴評釈 芭蕉七部集』 昭和三十一年一月、中央公論社刊
便利だろうと思って買ったのに、ほとんど利用した覚えがない。岩波の全集の方は、あちこちに散らばってしまっていて、場所に心当たりはあるけれども、全部はまとめて見つからないだろう。とすると、当面はこの本しかないわけだが、いささか前の所有者が使い込んで疲れた感じの古書なので愛情がわかないのか。こういう場合は、ハトロン紙のカバーをかけたりすると気分が変わる場合がある。

・桶谷秀昭『ドストエフスキイ』 昭和五十三年、五十四年五月第三版、河出書房新社刊
 ぱらぱらめくってみると、魅力的な登場人物の名前がいくつも出て来る。ただ、気のせいか「精神」という単語が目に飛び込んで来るたびに、とてもうっとうしく感じたのはどうしてか。

・森本和夫『デリダから道元へ』1989年6月刊、福武書店刊
 頭の調整用に買ったのだけれども、今日はぜんぜん読む気が起きないので、直ぐ脇に置いた。

・辻邦夫『詩への旅、詩からの旅』装丁栃折久美子 一九七四年一二月、筑摩書房刊
 これもお酒を飲みながら読む本ではなかった。

・与謝野迪子『思い出 わが青春の与謝野晶子』1984年8月、三水社刊 
 これは与謝野光の奥さんの書いた本である。たしか夫の光氏も本を出していて、それも所持しているが、さてどこにあるやら。

・川田順造『富士山と三味線 文化とは何か』2014年1月、青土社刊
 これは新刊で買った覚えがある。「現代に生かすべき初期柳田の先進性」あたり、再読に値するのではないか。末尾の「虫かご風の家」の植物記・昆虫記が魅力的な本である。

・大庭みな子『三匹の蟹・青い落葉』昭和47年11月、51年12月刊4版、講談社文庫
 解説平岡篤頼。吉本隆明が推奨していたのが頭にあったので買ったまま読んでいない。いつか読もうと思う。

・辻原登『熱い読書 冷たい読書』二〇一三年八月刊、ちくま文庫
 ちとむずかしめだが、読んでおもしろくないような本は一切とりあげられていない気がする。選りすぐりの読書案内で、座右の書としたい。私の偏愛するグラックの『シルトの岸辺』がとりあげられているのもうれしい。

・オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』一九九二年一月、二〇〇二年二四刷、晶文社刊
 これは「ブ」で買って来た。へーえ、と思って。たしか皆川博子が『博士の本棚』で取り上げていた。私はたしか入試問題集でオリバー・サックスの名前をはじめて目にした。入試問題は、日本人の一般教養と基礎教養を嵩上げするのに貢献している。オリバー・サックスの名前は医学部などの問題に頻出してもよい。

・松島松翠編著『現代に生きる若月俊一のことば』2014年、家の光協会刊
 先日ネットで買った。「現代」に「いま」と振り仮名がある。たぶん某医大の汚職理事に若月俊一を尊敬するような人は一人もいないだろう。めいわくなのは、真面目な卒業生諸氏である。若月俊一については、このブログだと南木佳士について書いた一文で取り上げた。

・福岡賢正『隠された風景―死の現場を歩くー』二〇〇四年一二月、二〇〇九年十月第四刷、南方新社刊
 ペットの処分にあたっている人の現場に取材し、食肉用動物の屠畜に従事している人々に聞き取りをして書かれた本。自殺者の遺書を読むという章もある。

〇どうも置き方が悪かったらしく、背中の本が氷河のようにずるずるとこちらに向かってすべり落ちはじめた。それをあわてて止めてから、また書く。

・今村順子編訳『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』二〇一八年七月刊
 新刊。字も大きく行間も広いので、読みやすい。ありがたい本だ。

・デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』二〇一八年六
月刊、ちくま文庫
 衝撃的な絵について淡々と語る。どきっとするようなことを突然ぱっと言うところに凄みがある。芸術作品は一瞬のひらめきと、そのときの成り行き次第な面があるということもわかっておもしろい。

・小林亜津子『改訂版 看護のための生命倫理』2004年11月、2014年3月改訂版第6刷、ナカニシヤ出版刊
 良書である。臨床的実践例30ケースで学ぶ「看護倫理」入門、と帯にある。平易な問題提起と行き届いた実例の提示があり、類書の見本とすべき内容。私は医療看護系志望の学生たちにこれを読ませたいと思った。

☆ 追加 ついに出た、という感じの高校生向け小論文の名著。

・『石関の今すぐ書ける看護・医療系小論文』2018年3月刊、東進ブックス
 私がふだん小論文・作文指導をしている時に言っていることとまったく同じことが書かれていたので、実は作文・表現指導の本を書いてみようかと思っていた気持ちが、半分ぐらいなくなった。半分ぐらいというのは、私は言語論や段落論や複文についての研究を参照しながら書いてみたいので、そこは違うので。しかし、実践的にはほぼこれで決まりかな、という簡潔で行き届いた仕上がりである。これにいまは書名うろ覚えだけれども、定番の「吉岡の小論文10章」とたしか河合塾刊の「理科系の小論文」の三冊で足りる。あとは自分で新聞を読み、新書を読み、ニュースを見て考えろ、だ。吉岡の本は、大学生になっても使えるよ、と言って買わせている。

※後日少し文章に手を入れた。18日に追記した。

松谷明彦『人口減少時代の大都市経済』2  

2018年08月13日 | 暮らし
 (承前)
「 いま一つ大都市地域の社会資本について懸念されることがある。近年、次々と展開される大規模再開発についてである。この場合、主体は民間施設であるが、近い将来、急速な縮小が予想される大都市地域の投資能力を食うという点では、公共施設となんら変わりはない。問題は、その再開発施設がこの先も大都市地域にとって有用かつ優良な社会資本として存続し得るのかという点である。つまり、その再開発施設が十分に活用され、維持管理と更新投資が的確に行われるのかという問題であるが、まずは、その再開発の背景と未来を考えてみよう。」

 この十数年のうちに、私がよく利用していた相模大野や、東海道線沿線の辻堂や戸塚が、だいたい同じような感じに再開発が完了した。商店街だった一角が消えてテナント化し、大規模店が参入している。けれども、たとえば辻堂の駅近くのビルのスーパーに入ってみると、食料品などの価格が低くおさえられている。家賃は高いはずなのだが、薄利多売でのりきるかたちなのではないかと思う。または、家賃をあまり高く設定できないのかもしれない。心配なのは相模大野である。人口に比してショッピングエリアの規模が広すぎ、商店の数も多すぎる気がする。テナントはどこも経営が苦しいのではないだろうか。だから、ずっと気になっていた。この本にはこの問題についての言及がある。

「 日本の大都市を表象するものは、何といってもその物量であろう。(略・海外の先進国の都市ではそうではない。)そうしたまさにモノに囲まれた風景を、われわれ日本人はごく当然のごとく受け止め、それこそが大都市的な豊かさと思いがちであるが、世界的には特殊日本的な風景と言うべきなのである。

(略・過度の機械化によりわずかな稼働率の低下が収益構造に重大な悪影響を及ぼすために、常にそれだけのモノを売り切らなくてはならないために、モノが溢れる。)

当然流通機構は肥大化する。近年、次々と展開される大規模再開発は、ビジネスセンターやショッピングセンターの域を超えた集客装置としての性格を持つ。人を集め、巨大な複合施設のなかで時間を過ごさせることで、通常の購入行動を超える消費を喚起しようというわけである。

(略・日本の市場は均質的、均一的な需要構造であり、極端にいうとひとつの商品にひとつのタイプの商品しか存在しない。多種類の仕様のバリエーションがあったとしてもタイプは同じである。そのために売り方が一つになる。また、顧客もひとつということになる。)

商品のタイプは一つ、売り方も一つ、顧客も一つとなれば、大量仕入れ、大量販売にうってつけである。大量に仕入れ、店頭に大量に並べれば、たいていの通行人が足を止め、手に取ってくれる。大都市に店舗が高密度に展開され、かつそれぞれの店頭に商品が溢れるのは、人口密度が高く通行人が多いということだけでなく、それらの通行人のほとんどが同じ消費パターンにあることが大いに関係している。東京とパリでは需要構造が違うということである。 」

「 様々な大規模再開発施設やそれらの高密度な店舗は、今後とも日本経済の一角として顧客を惹き付け、付加価値を生み出し続けられるのだろうか。基本的には否定的にならざるを得ない。前章で、機械化と大量生産を軸とした現在のビジネスモデルはすでにその持続可能性を完全に失っていることを指摘した。つまりそうした店舗に対する生産側からの必要性は間違いなく激減する。
そして均質的・均一的な消費構造を生み出した終身雇用・年功賃金制もまた、近い将来確実に崩壊する。(略)日本の需要構造は大きく変わらざるを得ない。 」

 近年外国人観光客の増大が報じられているが、スクウェアの乏しい日本の都市に魅力を感じない人たちは、どんどん大都市離れをしていっているのではないかと思う。それが地方の魅力の発見や、新たな観光スポットの創出につながっているのは、考えてみれば皮肉な現象である。また、中国の人たちの消費行動が歓迎されているが、それは彼らの大部分が一定程度日本人と同じ均質的な消費者だからであろう。

 引用が長くなるのでまとめて言うと、「 人口減少時代にあっては、大都市は、再開発ではなくリノベーションによる都市機能の維持向上をこそ考えるべきだろう。 」というのが本書の重要な提言である。

 お金を持っていない人が何もしないでいられる場所では、会話・おしゃべりができることも条件のひとつである。私の見聞したいくつかの公共の施設では、本やベンチが置いてあって無料で利用できるものの、そこでは静粛であることが求められている。利用する人たちは、個々に切り離されており、子供たちの歓声は聞こえず、高齢者は孤独なままである。また地域の会館などでは、サークルなりなんなりに加入しないとそこでの利便性を手に入れることはできない。市内在住という資格が要り、登録する必要がある。これらのスペースは、スクエアからは程遠いのである。

 実は貧しい大都市の社会資本、という現実に日本人は目を向ける必要がある。逆に言うと、今後地方都市で重点的に何をやっていけばいいのかということは見えるはずである。大都市と同じことをしない、大都市はモデルではない、ということがヒントになる。

 地方では郊外型のショッピングセンターが一般化しているけれども、これは自動車を利用しないといけないし、そこにお金を持たないですごせるスクエアが存在するわけではない。行政に可能なことがあるとすれば、すでに設置されてしまったショッピングセンターの脇に、無料ですごせるスペースを併設するかたちが考えられる。多くは駐車場となっている場所をその分の対価を支払ってスクエア化し、維持管理の仕方を地域のボランティアや利用者自身に担ってもらうかたちである。これはひとつの例だが、これは菜園でも果樹園でも花園でもいいのである。そこにベンチや簡易なカフェがあればいい。

 江戸川区に住んでいる私の知人のおばあさんは、駅近くのスタバだったかドトールだったかのコーヒー店に行くのが日課だと言っておられた。しかし、ほとんど誰とも会話することはないのである。また、お金を払わなればそこにはいられない。

 他人と交流し会話をすることが高齢者の健康維持に役立つ。とすれば、スクエアの維持費用など、医療費や介護費の大きさに比べたらずっと低いはずである。行政はあらゆるアイデアを駆使して、日本の都市の自由度を高め、資本に専有され尽くした公共スペースを、お金を使いたくない(使うことができない)人たちのために開放するスクエアを設置してゆく必要がある。

※ 追記。
 と、こう書いてからしばらくして、相模大野の伊勢丹の撤退が発表された。当方の危惧が的中したと言うべきか。だいたい西口の商業ビルなど作らなくても、従来の街路沿いの店が生きて機能していたのに、それをわざわざつぶしてテナントのビルを建て増した結果がこうなったのである。この打撃は大きい。 

 こうなったら、すでに建ててしまった建物の使い道を速いうちに再度練り直して、起死回生のアイデアをひねり出すほかに手立てはないように思われる。

 ひとつ考えられるのは、シニア向けの映画館である。これは地域の高齢者割引に割引料金を無料または格安のチケットなどで引き当てて、間接的な市の援助を行う。周辺には、高齢者がたむろできるスペースを設けるとともに、半官の子供の預かり施設や、子育て中のファミリー向けの設備を充実し、「都市の縁側」機能を目に見えるかたちで演出する。なお、映画館は、海老名にある映画館などをモデルにするのではなく、かつての池袋文芸座をモデルとするべきだ。安価、格安にして、大スクリーンでテレビドラマやスポーツ中継を見せるのでもいいかもしれない。サッカーチームや、野球チームとタイアップしてもいい。改築費用はかかるが、いまのままで続けていても、二十年もしないうちに駅周辺の商業施設の半分が閉鎖されているか、安易な「アウトレット」に占められているようなことになりかねない。
                                     (10.9日追記)


松谷明彦『人口減少時代の大都市経済』 1

2018年08月13日 | 地域活性化のために
 私は以前にも書いたことがあるけれども、今の時代の問題を解決するにはどうしたらいいのか、というようなことについて書いた本は存在するし、きちんとアイデアは出されているのである。賢者の言葉というものはすぐそこにあるのであって、要は、それをまともに受け止めて、どうしたらいいのかということをきちんとプランニングしてゆけばいいだけなのに、それをしていない。手をこまねいている。無為無策である。それではだめだ。

たとえば、松谷明彦の『人口減少時代の大都市経済』をめくっていて、本当にそうだなあ、と思った部分がある。

「歴史的な経緯もあるだろうが、ヨーロッパの都市には、必ずと言っていいほど市街地の中心部にスクェアと呼ばれる空地が存在する。まさに空地というべきであり、周りにあるのはシティーホールや教会といった公共建築物ぐらいのもので、さらには周りはすべて道路といった空地も多く目にする。どこも随分と人で賑わっていて、日がな一日絵を描いている人もいれば、読書をしている人もいる。たいていはパラソルかテント張り程度の仮設のカフェがあり、わずかなお金で昼食までとれる。高齢者も多いが若い人も結構いて、制服を着た若い保母たちが子どもを何人も乗せて乳母車を押しているのも日常的である。そうしたゆっくりとした時間の流れのなかで、都市に住む人々の双方向の「関わり合い」が年齢を超えて進行している。

 およそ日本では見かけぬ風景である。まず日本にはそうした空地がない。探すとすれば公園だが、日本の公園は遊具やモニュメント、通路といった施設が密度高く配置されていて、人々がくつろげる空間はないに等しい。また、使用目的を特定して事細かに作られているため、利用の仕方まで決められている感があり、人々が思い思いに時を過ごすなかで、ごく自然に関わり合うという場からは程遠い。

 いま一つは、市街地再開発事業等によって生み出された都市空間だが、たいていは周りがすべて店舗や飲食店で、それらの店に用のある人だけが利用し得る空間、いわば店頭の一角というのが正確なところだろう。なぜならそこでお金を使わずに時間を過ごすことはおよそ不可能だからで、ヨーロッパのスクウェアとの比較では都市空間と呼ぶことすら躊躇される。」(略)

「しかし人口減少社会にあっては、お金をかけずに時間を過ごせるということが飛躍的に重要になる。前節で、これからは生涯を通じた年平均所得が減少する、人々はお金のかからない生き方を探し求めるべきだと述べた。そして、高齢社会だからこそ年金制度は維持し難いのであり、もっと多くの政策手段によって多様な高齢者対策を講ずるべきだとも述べた。だから空地が重要なのである。」

 ポケットにお金がないと、日本の都市には居場所がない。すべてが資本に買われているスペースであり、ぎっしりと利害のからんだ地面しかない。通り過ぎている分には気にならないが、一定時間お金を使わないでそこにいたいと思って見まわしてみると、おどろくほどくつろげる場所がない。そもそもベンチの数が乏しい。スクエアの有無という観点から比較してみるなら、日本の大都市は絶望的なまでに貧しい姿を示しているのが現状である。

「…お金を渡すことで高齢者の生活を支援するのではなく、高齢者の生活コストを引き下げることでその生活を支援する。ここで言えば、年金というフローで対処するのではなく、都市内の空地といストックで対処する。そうした政策の転換であり、多様化である。」

 ここでいう「公園」は、建物の中の部屋などでもかまわない。そういう使われ方をする空間を行政や地域の資本が協力して生み出す構想力が、ここではもとめられている。

 財布に一円もお金を入れないで一日街で快適にすごせるかどうか。市会議員や市役所のメンバーがそうやって一日を過ごしてから議論をする、というような体験方のワークショップが有効だろう。学生さんたちもやるべきだ。もちろん国会の「勉強会」の方々も、この本をテキストにしておやりになったらいいかと思う。

美志二〇号

2018年08月10日 | お知らせ
 短歌研究誌「美志」の二〇号ができた。ほしい人は私のところに何冊かまだあるので言ってください。今号はいつものメンバーのほか、若手歌人二名に詠草をお願いした。知る人ぞ知る若手の西巻真さんと、新設の「未来」紀野恵欄でスタートをきった左久間瑠音さんである。ほかに渡辺良さんの「金井秋彦さいごの歌」や、江田浩司さんの先に物故された合田千鶴を追悼する文章、それから追悼詩がのっている。私も西城秀樹を追悼する詩を載せたので、一冊が何となく死者についての話題で占められてしまった。

そのほかに武藤雅治さんに「良寛像覚書ー「世の中」としての草庵」という文章を寄稿していただいた。江田さんはほかに「山中智恵子の破調の歌と非規範意識に注目して。そのⅢ」で、富士谷御杖の「言霊倒語説」と山中短歌の関係に触れている。嵯峨直樹さんは作品九首をのせた。

合田さんの二冊めの歌集を依頼されてまとめられたのは江田さんであるが、発行に至っていない。娘さんとの連絡がつかないという話も聞いた。費用に問題があるなら、いま流行のクラウド・ファンディングをよびかけたらどうだろう。合田さんはオランダ在住だったし、漆の関係でオランダ人やイギリス人の知人が多い。

私は「近世と近代をつなぐもの」という文章を載せた。これは、十年ほど前に書いた論文を書き直したものである。香川景樹と中村憲吉と尾上柴舟の歌について論じている。

ついでに。拙著『香川景樹と近代歌人』の紙媒体として作った本は、藤沢のジュンク堂にだけ置いてあつたが、ひきあげたので、ほしい人は直接私までお申し込みください。あとは、「桂園遺稿」の日記の一部の訳をはじめたのだが、みごとに挫折したので報告しておきます。

今橋愛『としごのおやこ』

2018年08月08日 | 現代短歌
 帯に次のうたがのっている。

いきてたらいいことがいっぱいあるって
むかしのわたしにいうてやりたい

女ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
40でやっと

 これを読むと、ひとつの命を授かって、そこで根源的な自己肯定を得られたひとのしあわせ、というようなことを思うわけで、「むかしのわたし」は、そういうことがこれっぽっちもわかっていなかった。関西弁で、そう「いうてやりたい」。

 私は自分のいささか自意識過剰の教え子の諸君に、「『自意識の鉄鎖』と、大正時代に辻潤というひとが言っていたけれど、その人は自由な生き方を通して、この前の戦争の末期にほとんど餓死に近いかたちで死んだ人なんだけれども、その人にしてそういう言葉を書きつけている。自意識とか、自尊心というものは、苦しいもので、私自身は、それが四〇歳をすぎたら何だか急に楽になった覚えがある。だから、だまされたと思って、それまでは苦しくても死んだりしないで生きていた方がいいよ。」なんていう、わけ知りっぽい中高年のせりふを、年に一度はかならず言う事にしている。

 というわけで、この帯のうたは二首ともよくわかるのだ。ただし私は死にたいというようなことは思ったことがほとんどなくて、というか、思ってもすぐ忘れることにしていて、自分に興味のあることがこの世には多すぎて、そんなことを考えている暇がなかった。色恋で喪失の経験に悩んでいる人には、宇野千代さんの、それにしても私の立ち直り方は目にもとまらぬほどに早かった、というセリフを紹介しておこう。結核の血がふとんについている画家のふとんにもぐりこんでも病魔に侵されなかった千代さんだもの、まあ、生命力がすごいのかもしれないが。

 ここで少し脱線するけれども、結核は、その人の一代か二代前の人が罹患していると、その子孫はかかりにくい免疫ができるのだという。たぶん母乳を通して伝わるのだとは思うが、宇野千代さんもそうだったのではないかと思う。それで、結核に罹患して直った昭和の世代の日本人の血液を研究用にきちんと保管しておいたらいいのではないかと、私は思うものだ。それとも、すでに取り組んでいるところはあるのだろうか。近頃は国が国立大学の基礎研究の予算を削っているそうで、そんな予算はないのかもしれないが。これは高齢者の結核治療にも使えるし、応用もききそうなアイデアだと思う。あとは、別に結核に限らないのでは?

 元に戻って、

女ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
40でやっと

という歌の「女」を「短歌」に読み替えて、

「短歌」ありけり
何かから解き放たれて
息を吐きだす
今橋愛の歌集でやっと

というように、私は言ってみたいのだが、どうだろう。本当に待望の一冊だ。補足して説明すると、私は自己否定全盛の世代の流れにある人間なので、こういう率直な自己意識を開放したよろこびを尊いものに感ずるのである。そこには、一種の眩しさのようなものが存在する。ただし、それはまるで手放しのものであるわけがなくて、そこににじむかげりを読みこんでいく楽しみがある性質のものである。たとえば、

おおみそかと
ついたちのあいだには
やねがあるような気がしつつ わたった

 こういう一首をあげるだけでも、今橋愛の微細な言語感覚と、大幅な修辞の一歩によって、自意識的なもだもだしたこだわりを飛び越える仕方がみえて、すがすがしい。ここには、たとえていうなら、人気の動物写真家の岩合光昭の写真で、ふつうの猫が溝を飛びこえる際にライオンのように見えるアングルから撮っているのと似たような仕掛けがある。「やねがあるような気がしつつ」だけでも非凡だけれども、そのあとの「わたった」の前の一字あきが、すばらしい。溝を跳ぶ時の気息のようなものが活写されている気がする。

ドナルド・キーン キーン・誠己『黄犬ダイアリー』

2018年08月06日 | 日記
 今日は代休で家にいるので、広島平和記念式典を見ることができた。安部首相が核兵器のない世界、非核三原則ということをきちんと言った。これは戦後日本の国是である。東アジアを非核地帯とすること、これが日本の夢であるが、現状はアメリカの核の傘に覆われながら、対米追従しているのにすぎない。

罪なきを一撃に焼きほろぼすは憎しみによるか怖れによるか   玉城徹『香貫』

 前々日の「毎日」記事では、B29乗組員のインタヴューの録音テープが見つかり、原爆資料館に寄贈されたということである。原爆投下ののち旋回して現場を離れたエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツの証言として、「光に包まれた時、鉛のような味がした。きっと放射線だろう。とてもほっとした。さく裂したとわかったから」と語っていた。墜落して日本軍に捕らわれた際の用意に、自殺用の拳銃と青酸カプセルも携行していたという。
「ブリキの中にいて、外から誰かにハンマーでたたかれているような音が響いた」という証言もなまなましい。
飛行機に閃光が届いた瞬間、口の中に鉛のような味がしたというのは、彼らも被爆したのだろう。口中の唾液の成分が、放射線によって分解して、そういう味がしたのにちがいない。
五日の新聞では、ハワイに渡っていた人が焼け跡の市内を撮影した写真が紹介されていた。一階がつぶれた時計店の写真は、衝撃波のすさまじさを示している。
  ※     ※
昨日めくっていた本は、『黄犬(キーン)ダイアリー』(二〇一六年平凡社刊)。これは、ドナルド・キーンとその養子のキーン誠己によるエッセイ集で、キーン氏一代の仕事の背景を簡略に知ることができる。
当時ドナルド・キーンは、日本語通訳として軍務に携わっていた。「原爆投下の機密」という文章によれば、沖縄上陸作戦の際の約千人の日本人捕虜を連れて航空母艦でハワイに行き、司令部に報告に行ったところ、日本に行かないかと言われて同意した。

「私は、軍用機で西に向かい、グアム島で待機することになった。そこで、今度は長崎への原爆投下を知った。まとわりつく熱気と湿気に汗を滴らせながらラジオを聞いたが、ショックだったことがあった。二つ目の原爆投下について、トルーマン大統領が「jubilantly(喜々として)」発表した、というくだりだ。
広島にしても、長崎にしても、十万人を超える多くの市民が、熱風と爆風、そして放射線の犠牲となった。そのときの被爆で、六十八年たった今も苦しんでいる人たちがいる。当時原爆被害の実態は分かっていなかったが、それにしてもその威力は絶大で終戦は時間の問題だった。なぜ、原爆を二度も投下する必要があったのか、正当化できる理由は何も考えられず、私は深く思い悩んだ。」  「原爆投下の機密」

開戦のニュースを知った思い出は、次のように語られている。

「夕方、フェリーでマンハッタンに戻ると、夕刊紙「インクワイラー」に「日本、真珠湾を攻撃」と大見出しが躍っていた。ゴシップ紙として知られていた同紙なので「また変な記事を」と一笑に付し、ブルックリンの自宅へ帰った。」 「真珠湾攻撃の日」

そして運命的な日本人の「日記」との出会い。

 「翻訳局は、私が日本研究にのめり込む原点でもあった。壮絶な戦闘があった南太平洋西部のガダルカナル島で回収された日本兵の日記を私は翻訳した。血痕が残り、異臭を漂わせた日記には、物量で圧倒的な米軍の砲撃におびえ、飢餓とマラリアにさいなまれた苦悩がつづられていた。死を予感して「家族に会いたい」と故郷に思いをはせる記述には心を揺さぶられた。」   「六十九年前の手紙から」

 「源氏物語」との出会いは、次のように語られている。

 「当時、十八歳の私はナチス・ドイツの脅威に憂鬱だった。ナチスはポーランドに侵攻し、フランスも占領していた。ナチスの記事が載った新聞を読むのは苦痛だった。第一次世界大戦で出征した父が大の戦争嫌いで私も徹底した平和主義者。「war(戦争)」の項目を見たくないので百科事典の「w」のページは開かないようにしていた。
 そんなある日、私はニューヨークのタイムズスクエアでふらりと書店に入った。目についたのがウエーリ訳の『源氏物語』。日本に文学があることすら知らなかったが、特売品で厚さの割に四十九セントと安く、掘り出し物に映った。それだけが買った理由だった。
 ところが、意外にも夢中になった。暴力は存在せず、「美」だけが価値基準の世界。光源氏は美しい袖を見ただけで女性にほれ、恋文には歌を詠む。次々と恋をするが、どの女性も忘れず、深い悲しみも知っていた。私はそれを読むことで、不愉快な現実から逃避していた。
 『源氏物語』のテーマは普遍的で言葉の壁を越える。日本人が思う以上に海外での評価は高く、十か国以上に翻訳されている。英訳もウエーリ訳のほか、日本文学研究家のサイデンステッカー訳と私の教え子のロイヤル・タイラー訳がある。その中でも、私にはウエーリ訳が一番だ。」   「『源氏物語』との出会い」
   ※    ※
 ふたたび玉城徹の歌を引く。目の前で鴉と鳶の闘いを見た一連「烏鳶図(うえんず)」おしまいの歌。

黄なる鳶黒き鴉らたたかふといふといへども相傷はず

 ※「相傷はず」に「あひそこな(はず)」と振り仮名。

 争闘しても殺し合うわけではない。鳥の方が人間よりもましかもしれない、という諧謔もかすかに漂う。


詩を一篇

2018年08月05日 | 日記
※ 消してあったが、2019年1月2日に見直して復活させる。暑い夏に「発狂」しそうになって作った詩だ。アメリカのテレビの都合に左右される真夏のオリンピックを思うと、今から関係者、陸連の知人などの消耗した顔が思い浮かぶ。このところ国は、難題をふって来る上司みたいなものである。大震災がちかづいているのにオリンピックをもってきてしまった国を筆頭として、消費税の財務省、「教育改革」の文科省、彼らはむしろ新規に仕事をしない方が国民のためであると私は思う。私なりに平成の後半十年を言うと、それは官害と老化企業悪の極まった年々であった。この間に民主党が官の財務特権に挑戦して人材不足と軽慮から大失敗をやらかして、貴重な改革のチャンスをフイにしてしまったことも惜しまれる。人間というのはプライドがある存在だから、権力や世論を背景に強引に何かをすすめようとしても事は動かないのである。 

今日は詩を一篇。題。鹿鳴く夕べに

びーん、びーんと
耳に響くかん高い声で
鹿どもが鳴き騒ぐ
脚と脚とを交錯させて

金網越しに目を合わせると
光の目だ

 たくさんの俺が映っている
 鹿どもの目に

今晩は金星だけが輝いている
あとは街の灯が明るすぎて
弱い星は見えない

 弱いのは そこのあなただ

この鹿どもの存在意義はなんだろうか

 肝はきっと くすりになるし
 顎は 林檎割りに使えるし
 角は 刀掛けに
 ふぐりは 味噌煮に
 鹿どもの目玉は 純粋な恐怖の形状のまま
 いつまでも未使用であり続けるだろう

或る鹿いわく
「きみの魂はまだ固まりじゃないから
再度沸騰した食塩水に投下してのち
そいつが冷めて固形化するまで待て」

或る鹿はステップを踏んでのちに歌った
「ふじわらやー 踏めばふじわら
ふみふみてー 富士の裾野に
魂(たま)もやし 焼けよもろこし
もろこしのー 香りたちたつ
もろこしをー むさぼり食えば
よろこびに 後尾(しりお)ぷるぷる
玉ころがしは 糞ころがしぬ 
さればそは きみがたまにそ あにしかめやも」

びーん、びーんと
響く声を交錯させて
脚と脚が入り乱れる
鹿どもの鳴き騒ぐ夕べ
 
 あ、あっついなあ