さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 251-260

2017年07月02日 | 桂園一枝講義口訳
251
山吹のはなぞ一むらながれけるいかだの棹やきしにふれけん
四七四 山吹のはなぞ一むらながれける筏のさをや岸にふれけむ 文化十三年

□大井川にて詠みし歌なり。
○大井川で詠んだ歌である。

※これは京都の大堰川。念のため。

252 
わが門の前のたな橋とりはなて折る人おほし山ぶきの花
四七五 わが門の前(まへ)の棚(たな)はしとりはなせ折(をる)人おほしやまぶきの花 文化二年 二句目 前のイタ橋

□橋辺山ぶき、の題詠なれども、此歌題詠にしてはおもしろからぬなり。棚橋、たなを釣りたる如くなるを云ふなり。ならの朝の歌、よみ人知らず。「古今」に「駒の足折れ前の棚はし」。「とりはなて」、「万葉」に「さのゝ舟橋とりはなて」、などなどあるなり。

○「橋辺ノ山ぶき」、の題詠であるけれども、この歌はその題の歌にしては(あまり)おもしろくない。「棚橋」は、棚を釣ったようになるのを言う。奈良時代の歌の、よみ人知らず。「古今」に「駒の足折れ前の棚はし」。「とりはなて」は、「万葉」に「さのの舟橋とりはなて」、などなど(の用例が)あるのだ。

※この講義によれば三句目、「桂園一枝 月」の「とりはなせ」を「とり放て」と直したことになる。
※「まてといはばねてもゆかなむしひて行くこまのあしをれまへのたなはし」よみ人しらず「古今和歌集」七三九。
「かみつけのさのの舟橋とりはなしおやはさくれどわはさかるがへ」「万葉集」三四三九。二回も言っているので「とりはなて」は誤記ではないだろう。このかたちで覚えていたものか。
※「ならの朝の歌、よみ人知らず。」とあるのは、「萬葉集」一四五の山上憶良の歌の事か。「国歌大観」新訓は「あまがけり」だが、併載の「西本願寺本」傍訓では「トリハナス」。「とりはなす ありがよひつつ みらめども ひとこそしらね まつはしるらむ」。

253  
春の日のながくもかけて見つるかなわがうたゝねの夢のうきはし
四七六 春の日の長くもかけて見つるかなわが転寝(うたゝね)の夢のうきはし 文化十三年

254
春の野のうかれごゝろは果もなしとまれと云ひし蝶はとまりぬ
四七七 はるの野のうかれ心ははてもなしとまれといひし蝶はとまりぬ 文政十年

□童謡の古きに、「蝶よとまれ、菜のはにとまれ」とあり。
春の夕の歌なり。てふは早くとまるものなり。

○童謡の古いものに、「蝶よとまれ、菜のはにとまれ」とある。
春の夕の歌である。蝶は早くとまるものだ。

※254は、人口に膾炙した歌。

255
てふよてふよ花といふ花のさくかぎりながいたらざるところなきかな
四七八 てふよてふよ花といふはなのさくかぎり汝(な)がいたらざる所なきかな 文化二年

□多田の山、ふみのうちにあるなり。伊丹にありし時、多田山に至りし時のうたなり。多田山の山奥に小庵あり。それに休息して詠みたるなり。奥山のいほにて見るだに、蝶はとひ入なり。花と名つくかぎりは、となり。

○「多田の山」は、書物のうちにある。伊丹にいた時、多田山に至った時の歌である。多田山の山奥に小庵があった。それに休息して詠んだのだ。(世を捨てたような)奥山の庵で見る(時で)さえ、蝶は訪ね入るのである。花と名のつくかぎりは、というのである。

256
里中のかき根までをぞすさみける野べのあそびに暮しあまりて
四七九 さと中の垣ねまでをぞすさみける野邊のあそびに暮し余りて 文化十年 三句目 アサリける

□此れまた実景の歌なり。東野に出でゝ摘物したるに、日が高く残る故、白川の里などの垣根をあさるなり。「すさむ」、凡(※そ)「すゝむ」やうなれども、少し異り、「大あらきの森の下草生ぬれば駒もすさめずかる人もなし」とあり。されば、なす業をかけて「すゝむ」の意あり。気分の趣(※当て字)く方にすゝむの意あるなり。「夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水いくむすびしつ」。皆其の所作をこめてすゝむるなり。
畢竟此の歌「くらしあまりて」の結句におもしろみあるなり。

○これまた実景の歌だ。東野に出て菜摘みをしたのだが、日が高く残るので、白川の里などの垣根をあさったのである。「すさむ」は、だいたい「すすむ」(の意味の)ようであるけれども、少し異り、(「古今」に)「大あらきの森の下草生ぬれば駒もすさめずかる人もなし」とある。そうであるから、為す業(いましようとしていること)を掛けて「すすむ」の意がある。気分のおもむく方に「すすむ」の意味があるのだ。「夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水いくむすびしつ」(基俊)。皆その所作を込めて「すすむる」のである。
畢竟この歌は、「くらしあまりて」の結句におもしろみがあるのである。

※「おほあらきのもりのした草おいぬれば駒もすさめずかる人もなし」「古今」八九二。 
※「夏の夜の月まつほどのてずさみにいはもるしみづいくむすびしつ」藤原基俊「金葉和歌集二度本」一五四。


257
ちゝこ草ははこ草生る野辺に来てむかしこひしくおもひけるかな
四八〇 ちゝこ草はゝ子ぐさおふる野辺に来てむかし恋しく思ひける哉 文化二年 四句目 恋しト

□「ははこ草」は、今云ふ「ほをこ草」なり。ははこ餅ひをも作るなり。ちち草は、ははこの葉のせまきを云ふなり。
○「ははこ草」は、今言う「ほをこ草」である。ははこ餅をも作るのである。「ちち草」は、「ははこ」の葉のせまいのを言うのである。

258 うぐひすのなきてとどむる聲をさへ物とも聞かで春は行らん
四八一 鶯の啼(なき)てとゞむる聲をさへ物ともきかで春はゆくらむ 文化十年

□春をとどむるは、なべての情なり。その上になきて、こゑを出してまで止(※とど)むるなり。
○春をとどめたく思うのは、多くの者の情である。その上にないて、声を出してまでとどめ(ようとす)るのである。

259
今よりははとり少女ら新桑のうらばとるべきなつは来にけり
四八二 今よりははとりをとめら新桑(にひくは)のうら葉とるべき夏は来にけり 文化二年 初句 今ハトテ

□「はとり」、織機つめなり。くれ綾とも云ふなり。新桑、くはの新芽の出たるなり。新草、新枕など云ふくせあるなり。新春をにひはるとはいふべからず。
稽古の為めには、例を推して詞をつかふべし。例のなきは、古へよりわるき故なるなり。稽古には例外の詞はつかはぬなり。此れに拘泥すれば、又古くよりわるきもあるなり。よくよく思惟すべし。
「新桑」、「万葉」の詞なり。ことの外しほらしき詞なり。「万葉」の詞あらあらしきとのみは思ふべからず。「うら」、末葉なり。西京では、下のことを「うら」といふ所もあり。弓のうらはずは、下はずなり。

○「はとり」は、機織り女である。「くれ綾」とも言う。「新桑」は、桑の新芽が出たのだ。新草、新枕などと言う使いぐせがある。(でも)新春を「にひはる」と言うことはできない。
稽古のためには、例をたしかめて詞をつかうといい。例のないのは、昔から(それが)よくないからである。稽古には例外の詞はつかわないのである。これにこだわると、又古くから悪い例もあるのである。よくよく思惟すべきである。
「新桑」は、「万葉」の詞である。とりわけてしおらしい詞である。「万葉」の詞は荒々しいものとばかり思ってはいけない。「うら」は、末葉である。西京では、下のことを「うら」という所もある。弓の「うらはず」は、「下はず」(のこと)だ。

260
白樫のみづえ動かすあさかぜにきのふの春のゆめはさめにき
四八三 しらがしのみづえ動かす朝かぜにきのふの春の夢はさめにき

□かしのみづえは、よく目だちて早きなり。「白樫」とは、樫の葉は白きなり。白き木は多くあれども、かしと云へば調よきなり。
「みづえ」、みづみづしく潤色含んで居る枝なり。
「動かす」、そよぐ意なり。「わつさりと桜さめての木のめがり」といふ発句なり。実景なり。「うごかす」と云ふ中に、朝のねむりをゆすりさますやうなにほひあるなり。

○「かしのみづえ」は、よく目立って(芽生えが)早いのだ。「白樫」と(いったの)は、樫の葉は白いのである。白い木は多くあるけれども、「かし」と言えば調がいいのである。
「みづえ」は、瑞々しく潤色を含んで居る枝だ。
「動かす」は、そよぐ意だ。「わつさりと桜さめての木のめがり」という発句である。実景である。「うごかす」と言う中に、朝のねむりをゆすりさますようなにおいがあるのである。

※259この前に引いた歌とともに、景樹畢生の名歌のひとつ。この自注は、なかなかよい。「調べ」の説明にもなっている。「白樫」は、岩波旧体系本が正宗敦夫と同様に「しらがし」と濁る。窪田空穂系は「しらかし」。「万葉」はむろん「しらかし」だろうが、江戸から明治にかけて景樹の弟子たちはどう読んでいたか。


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