さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

良薬をもとめるこころ 土屋文明の歌を読む。『續續靑南集』より 

2020年03月29日 | 現代短歌
※引用に当たり旧活字を新活字に改めた。

「小泉の家伝薬附思椎屋」より。
・題。こいずみのかでんやく、付くるに椎屋を思ふ。

幼き命助けしといふ家伝薬今手の上に我は八十

・おさなきいのち たすけしという かでんやく、今手の上に。われは八十
・幼い頃の私の命を救ったという、その家伝の薬が今手の上にある。私はすでに八十歳だ。

わが歌ひし忘れぬ医師の君ありて小泉家伝薬届けくれたり

・わがうたいし、わすれぬ医師の君ありて、小泉かでんやく とどけくれたり
・私がかつて歌にしたことを、忘れなかった医師の君がいて、小泉家の家伝の薬を届けてくれたのだ。

或は絶え或はつながる人の世の縁は細く我が見る古方錠

・あるいは絶え あるはつながる人の世の えにしはほそく わがみるこほうじょう
・或る者は音信が途絶え、また或る者は細くつながる人の世の縁というものがあって、今ここに私が見ているのは古い方形(に切った)錠剤だ。

薬ひとつにつながる世の人いくばくぞ思ひ顧る其の大方亡し

・薬ひとつに つながる世のひと いくばくぞ。おもいかえりみる、そのおおかたなし
・この薬ひとつにつながるこの世の人は、幾人ぐらい居ただろうか。思いをめぐらしふりかえってみると、その大方はもうこの世の人ではない。

不慮に死なせし前の児あれば父と母遠き薬をも頼みし心

・ふりょに死なせし まえ(さき)のこあれば 父と母 遠き薬をも たのみしこころ
・注意が足りずに死なせてしまった、先に生まれた児があったので、わが父と母は、遠方の名薬だというこの薬を頼みにして、わざわざ取り寄せてくれたことだ。(私が今あるのもその薬のおかげなのだ。)

腰にさす秤一目のかすりにて薬買ひ弱き子を育てたる

・こしにさす はかり、いちもくの かすりにて 薬買い、弱き子を育てたる。
・腰に商売道具の秤を差して、一目模様の絣の着物を着て日々辛苦して働きながら、薬を買い、病弱な子を育ててくれたのだ。わがちちははは。

  我も忘れ人も知るなきひめはぎに寄りて談りしえび野思ほゆ

・われもわすれ ひともしるなき ヒメハギに 寄りてかたりし えび野おもおゆ
・私もほとんどその人のことを忘れてしまい、家人も知らない人だが、故郷の家に植わっていたヒメハギの木の近くに立って父母と談話していた(※その薬屋の)「えび野」という人のことを、今ふいと思い出した。(「えび野」の「えび」を漢字で何と書くかは知らないので書けない。) 
※おそらくは富山の薬売りに頼んで遠国の薬を調達してもらったのであろう。

高千穂の峯を近々我等五人ゑらぎよろこびき椎屋一人亡し

・たかちほの みねをちがぢか われらごにん えらぎよろびき。椎屋ひとりなし
・(亡くなったひとといえば)高千穂の峯がよく見える旅行で我々五人の一行は歓談し愉快な時をすごしたが、その時にいた椎屋君はもういない。

  何枚か持ち来し短冊一枚も書かぬにいやな顔もせざりき

・なんまいか もちこしたんざく、いちまいも かかぬにいやな かおもせざりき
※「アララギ」では「来し」は「きし」ではなく「こし」と読んだ。四句と結句は句またがり。
・(その椎屋君が)何枚か持って来た短冊を私は(気乗りしなかったので)一枚も書かなかったが、別にいやな顔もしなかった。

名を知らずかざし遊びしがくうつぎ今わが庭に広島より来て

・なをしらず かざしあそびし ガクウツギ いまわがにわに、広島より来て
・名前も知らずに手に取って賞玩した咢空木の木は、今わが庭に植えられている。広島から持って来られて。

 五、六首目を注するうちにこころよい涙が思わずこみあげた。人の親の子を思い、親を思い、良薬を祈りもとめる気持は古来不変である。


藤原龍一郎『202X』

2020年03月21日 | 現代短歌 文学 文化
 土曜日の「朝日」読書欄に金原ひとみが「絶望にわずかな風穴を開ける」という題で、大谷崇著『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』についての感想を書いている。と打ってみたら、本文の枕とするには重すぎることに気がついたが、えいままよ、削らないでこのまま行くことにする。この真っ赤な色の装丁の歌集、藤原龍一郎さんの作品集も「絶望に風穴を開ける」ものであるのだ。そうして、大噴火している。

 今はジャズの上原ひろみのアルバム「Hiromi’Sonicbloom 」を聞きながら藤原龍一郎の歌集をめくっているのだが、これが不思議と合う。

 雑誌の初出で見たときに、藤原さんなかなかやってるなあ、と思っていたから、本書の前半に怒濤のように噴き出す怒りのうたの数々については、本当に溜飲が下がるぜ、というところ。この一、二年はひどいことが多すぎるから、よけいにそう感じられる。

  政府広報メール届きて「議事録ヲ修正スル簡単ナオ仕事」です
  
  さなきだに無敵モードは成立しパノプティコンは呪文にあらず

  愚かなる宰相ありて知性なく徳なくそして國滅びき、と

  不起訴不起訴とニュースは告げるニッポンのロゴスとはかく虚しき光

  藤圭子自死の夏とぞ記しおく青きコーラの壜は砕けて

  湾岸に驟雨きらめきぬばたまの自主規制なる闇のやさしさ

しかし、何回目かにめくってみた今日は、下町育ちの作者の幼年時代の思い出や、父のことをうたった歌に心が寄った。

  夕汐の香こそせつなけれ深川平久町春の宵

  材木の木屑の山を横に見てズックの踵踏みて走りき
 
  ラジオから聞こえる歌に声合わせ「黒いはなびら、静かに散った」

 数々の芸能人やプロレスラーの名前が歌の中に入って来てさまになるのは、藤原龍一郎をおいて他にない。昭和の歌謡も芸能人もすでに滅びゆくものの暮色に染まって、胸をしめつけるような哀切な思いにひとを誘うのである。



種苗法「改正」 を論ずるならこの本『売り渡される食の安全』山田正彦著(角川新書)

2020年03月21日 | 政治
 コロナ騒ぎにまぎれて国会ではいろいろと策動している気配がある。日本文化と日本国家の根源を脅かすような法律をこれ以上国会で通させてはならない。

そのうちに天皇陛下が新嘗祭でお食べになるお米や、伊勢神宮をはじめとした全国の神社でお供えするお米も、外資の種子会社から購入した種子でないと法律違反になることになりかねない。

そうだよなあ。農産物の種というのは、たしかに大市場に違いない。そのうちに旧モンサント系の企業に官僚が天下りすることになるのだろうか。頼むぜ文春、日刊ゲンダイというところである。まったく、愚かな官僚には右も左も怒るべきなのだ。

「…種子の開発にはお金と時間がかかるため、資金力のある企業でなければ参入が難しい。企業は数えるほどとなり、お米の値段は企業の思いひとつで上げられてしまう。多様な品種はみるみる淘汰されるだろう。」(36ページより)

あとは、最近書店の店頭にこの本を見かけなくなった。一冊買いながらこれを平積みにしてくれ、とU堂で言ったのに、ひと月経っても反応が無かった。あとは、『暴走する能力主義』(ちくま新書)も無かった。これも現体制のあり方に対して強い警鐘を鳴らしている書物である。

ついでに、平成天皇と安倍首相との角逐をわかりやすく描出してみせたのは、菅孝行著『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)である。これは三島ぎらいの人にも薦められる。

一ノ関忠人『群鳥』

2020年03月08日 | 現代短歌
・一ノ関忠人歌集『群鳥』1995年12月 角川書店刊
  以下引用は原著の旧活字を新活字として引く。

  弥生雛飾らむとして妻ぞゐる火をはらみ爛爛とかがやくまなこ

  黄に熟れて稲穂おもたき田の畔(くろ)にたたずみをればためらひふかし

   ※「稲」「穂」「畔」原書は旧活字。以下同様。

  満身にみどりご笑ふその笑ひわれには視えぬものにわらへり

  政治死の美学を説きて陶然たる父亡しすでに秋立つけはひ

  卯の花の粒だつ花のこぼればな踏めるこころは逸楽に似む

  えいさらえい声のみ聞きて曳かれゆく餓鬼阿弥陀仏われは人恋ふ

  声低く鳥鳴けばこの十年のためらひがちなる生を思ふも

  荒寥となびき臥したる夏くさはら踏み入れば鶸(ひは)の群れ翔びたちぬ

  このゆふべ子ぞ生れたると告げやらむ死にたる人は言(こと)なけれども

 自分のいまにつながる伝統的なものの持つ力に対して、心服し、または抗いつつ生きる逡巡を歌いとどめた作品集である。これは現代ではむしろ希少種となってしまった悩みの姿であり、この濃厚な父系と師系とから背負わされるものに対して、どうしても応答してゆかねばならない作者の苦悩が、ここに引いたようなすぐれた自然詠へと昇華されている。生々しい性愛のイメージを時に喚起しながら、零落の神のうそぶきは、常に作者の背中に聞こえている。そこに生ずる、そらおそろしいような実存のおののきが、これらの歌を結晶させたのだ。



『金井秋彦歌集』

2020年03月08日 | 現代短歌
見づらいので昨日の記事を編集し直します。

・『金井秋彦歌集』 2013年7月 砂子屋書房刊

  若描きのディフィの〈港〉の絵を貼りぬ春の日射しの明るむ壁に  金井秋彦

  巻雲のかがやく朝の屍の髪に風の触れゆくやさしさが見ゆ
    ※「屍」に「し」と振り仮名。

 一首目のような明るい歌がある一方で、金井秋彦には二首目のような歌が多々ある。対幻想のなかにある自身と女性をともに「屍」と呼ぶ歌が、歌集『水の上』にはいくつもある。ここには作者固有の秘められた悲劇があるのだが、その具体はついに明かされない。画家になることを断念してのち、生活者としてあり続けるほかはない作者の現実の仕事は痛苦に満ちている。

  わがつくりしギルドも商人はみな狡くおおかたは掠めあいて潰(つい)えぬ 

  商圏という語さえ理解し得ざりし彼らにも生の怨みは重く

  帰りきてしばし寝(い)ねまた係争の場へ出でてゆく病む身責(せ)めつつ

 壮絶なリアリズムの歌である。ここをごまかしていくら歌を作ったってだめなのだ。今の時代は、そういうものが多すぎる。



御糸さち『ひとりでプリクラ』

2020年03月01日 | 現代短歌
 これは文庫版の私家版の歌集である。作者の周辺の人に手渡しで配っているものだろう。

吉野家で目撃された翌朝に牛丼と呼ばれ牛丼となる

作者は、こういうひりひりするような歌が作れる人なのだなと思う。ここで思い出したのは、先日手に入れた松谷みよ子の詩集『とまり木をください』だ。一篇だけ引いてみようか。

  仮面

目がさめたとき
死にたい とおもうのです

また一日がはじまる
いじめられる一日がはじまるとおもうと
死ぬことを 考えるのです
でも 死んではいけない
死んではいけないって

いっぱい いっぱい
自分にいいきかせて
のろのろと たちあがるのです

枕もとにおいてある
仮面をかぶると
それは わらいがおです

 こんな感じの詩が十三篇収められていて、詩の前後に司修の絵がついている。いじめで悩んでいる人たちには、ぜひ読んでもらいたい詩集だ。

話はもどって、歌集『ひとりでプリクラ』の作者の御糸さちさんは、非正規労働者で低賃金と不安定な雇用にあえぎつつ、まだ小さい子の母親であり、自分に向いた仕事を探すのに四苦八苦している。けれども、生命力があって、負けない気概を持っている。「でも 死んではいけない」って、「いっぱい いっぱい/自分にいいきかせて」、「たちあが」っている一人なのではないかと思う。

内定の返事もメール 誰ですか?文字は冷たいとか言う人は

二週間わたしは試供品である時給千円の価値があるかの

ここには「発生期の酸素」特有のイキの良さがあって、言いたいことがあふれるほどあるということが、読んでみるとわかる。作者は2019年度の「未来」年間賞を受賞した。だから、この歌集はそれより以前の作品を集めた習作集のようなものなのかもしれない。日本中の働く母親の大半が抱いている思いを代弁するような歌が、この小歌集には詰まっているが、「歌人とは悲しいときに悲しいと言えば添削されるいきもの」という歌は、一般の人には、にわかにはわからないだろう。短歌のセオリーとして、すぐに「かなしい」とか「さびしい」とか言ってはいけませんよ、というものがあって、これはあくまでも原則的なものだから大歌人だって別に「かなしい」と普通に言っている歌はいくらもあるのだけれども、初心者へのアドバイスの一つとして、こういう言い方があることを言ったものだけれども、これは外してほしかった。ほかに

階段をひとつ飛ばしで翔け上がる一泊分の荷物が跳ねる

モザイクのかかったような隣室の友らの声を聞きつつねむる

こういう歌を読むと、この人は短歌と相性がいい人なんだな、ということがすぐにわかる。ちょっとした出来事を瞬間的にスケッチしてそこにその時の自分の心情をすくいあげて示す手際が心地よい。

※ 昨日は一年前の「短歌往来」四月号を何となくめくっていたのだけれども、特集「ハード・ワーキングをうたうⅧ」がなかなかおもしろく、そこに「学生アルバイト短歌 二〇一八 」という田中綾の評論が載っていて、そこに引かれている歌と御糸さちさんの歌の間には共通する時代の空気のようなものがあると思った。
 それによると田中は労基法を短歌型式に「翻訳」するという授業をやっているのだそうだ。その内容は、川村雅則ゼミの『学生アルバイト白書』に掲載されていてネット検索も可能だという。