さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

井上法子歌集『永遠でないほうの火』 1

2016年06月30日 | 現代短歌
 眼鏡を外していて手に取ったせいか、冒頭のブランショの本からの引用がめんどうくさく感じられた。それで、読むのをやめようかと思ったのだが、見始めたらそうもいかなくて、こういう歌を私がどんなふうに読むかという事を、書いてみようかと思ったので、一種のライブ感覚で以下に書いてみることにしたいが、何か出てきたらいいと思う。それで、巻頭一首め。

かわせみよ 波は夜明けを照らすからほんとうのことだけを言おうか

 のっけから、この歌の持つ音楽的な高低アクセントの配置に、一気に魅了されてしまったので、冒頭の「引用がめんどうくさい」などという理由のない反感は、さっさと打ち消して、大人しく読むことにしたのである。

 分析してみよう。二句目の「ナミワ ヨアケヲ テラスカラ」の七五調が、「ナミワ」で高調しておいて、それを下句の「ほ(HО)んと(ТО)うのこ(KО)とだけを〈WО〉言お(О)うか」という、岡井隆の母音律理論でいう所の「オ」段の音の頻出につなげてゆく技巧が、何とも心憎い。それだけではない。初句の「かわせみよ」という自由詩的な出だしに続けて、 
「波は夜明けを照らすから」は、七五調である。やや「波は夜明けを」が跳ね返りすぎる感じはあるが、それを再び口語脈の「ほんとうのことだけを言おうか」という低音で抑制して引き締めてみせるあたり、なかなかのものである。

 それで、歌の意味内容の方だけれども、これは二首めを読むと、何やら蓬莱山のようなものへのユートピア憧憬の心情が、示唆されている。「かわせみ」は、そこから飛んできたもののような感じに、二首めが配置されているのである。あとまで読み進むと、この「かわせみ」は、『和泉式部日記』の冒頭の「ほととぎす」のような存在だということがわかるのではあるが。

もうずっとあかるいままのにんげんのとおくて淡い無二のふるさと

 現下の「人間」が、「もうずっとあかるいまま」のわけがない。だから、「あかるい」のは、「にんげんのとおくて淡い無二のふるさと」である、ということになる。ここで一段めの意味だけの読みをしてはいけない。「もうずっとあかるいままのにんげんの」という上句には、神のために自爆して果てている(た)ような「にんげん」への嘆きがこめられている、と踏み込んで読むべきだ。この「にんげん」にどこまで社会性を付与できるかが、この一巻の深度を決めるところがあると思うのだが、いまのところは抽象的な詩美の構築をめざすという枠内にとどまっている気配がある。「とおくて淡い無二のふるさと」は、天国のような、理想郷のようなところ、なのか。三首め。

こころでひとを火のように抱き雪洞のようなあかりで居たかったんだ

 ここまで読んで、なんだ、「ほんとうのこと」とは、相聞的な感情だったのか。お決まりの短歌の文脈を持ち出してみせている。しかし、ここはそのような外貌のもとに別のことを語ろうとしているかもしれないのだから、用心しつつ読む。「雪洞」には、「ぼんぼり」と振り仮名あり。四首め。

抱きしめる/ゆめみるように玻璃窓が海のそびらをしんと映せり

うまい歌だ。五首め。

波には鳥のひらめきすらも届かないだろうか 海はあたえてばかり

「海にいるのは、あれは人魚ではないのです」という中原中也の詩があったが、海の詩はたくさんあるから、読者は何かしら、自分の知っている既読の詩を下敷きとして感じたらいいのだろう。これはやや平凡。

終ったあとの火のさびしさを言い合えば火に泡雪を降らせる渚

どうかな。この歌を読んで私の感情は、少しだけ冷える。うますぎる。「渚」に「なぎさ」の振り仮名。續けて同様の上手な五首をさっと読む。(もちろん、うまい歌ですよ。)一連の十二首めの歌。

ひかりひとつ奏で終えても(ほら ふるえ)にんげんは詩のちいさな湊

 「湊」に「みなと」と振り仮名。「ひかりひとつ奏で終えても」というのは、性愛の営みの比喩である。と同時に、言語による詩の制作それ自体の比喩でもあるだろう。相聞の物語として詩を論じてみせるあたり、むろん作者はただ歌がうまいだけではないのだ。ただ、「にんげんは詩のちいさな湊」と言うとき、何かを回収しようとしている感じがするのである。それは、「近代文学」でもいいし、「短歌型式」そのものでもいいし、「現代短歌」もそうなのかもしれないが、大きな<物語>を回収しようとする方向に加担しているところに保守的性格を感じる。これだけでは、<詩>が<詩の型式>に収斂していくことを是とするだけではないのか。いや、私自身がそれを否定できない者の一人であるし、別にそれが悪いと言っているのではないのだけれども…。こういう、無いものねだりをしたくなるほどの才能、であることは、絶対的に確信する。この続きは、またの機会に。  (翌朝見直して字句を訂正しました。翌々日に、再度加筆しました。)
※ 2020.6.21付 一ヶ所訂正 blog閲覧者のご教示により一ヶ所訂正しました。

終ったあとの火のさびしさを言い合えば火に淡雪を降らせる渚  を
終ったあとの火のさびしさを言い合えば火に泡雪を降らせる渚  と直しました。


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武藤雅治歌集『あなまりあ』

2016年06月27日 | 現代短歌 文学 文化
 積み上げた本の中にまぎれていた歌集が、やっと出てきた。いま見ると八〇ページしかない。道理で厚みがないわけだ。それでも一ページ三首組みで、数えてみると二二一首あった。まず、さまざまに工夫した表現技巧の見られる歌を引いてみよう。

なまたまごのきもちとゆでたまごのきもちとはどちらがきもちがいいか
あつちからみればめざはりのえだもこつちからみればなくてはならない
男の、ために黒い日傘を差してひぐらしの林の奥に消えてゆく、女たち
ベンチにすわりみんな値札のやうなものぶらさげて待つてゐる顔ばかり

 これは、単純に読んでいて楽しかった。もう少し掘り下げて論じてみようか。

朝からまたテレビに笑ひごゑはながれてあたまが貧乏になるではないか
ほしぞらを見よ美しく生きやうなどとはもはや誰ひとりいふことはない
日本はダメだとはじめて言つたのは啄木たぶん啄木だつたのではないか
  ※石川啄木の「啄」は、文字化けを避けるため正字にしていません。
ひとつ灯のしたにあつまるかほとかほとかほとかほがみんな昆虫のかほ

 生活時間のなかには、小説家の椎名麟三の語彙で言うと、その「陋劣さ」に身もだえしたくなるような瞬間が、たくさん仕掛けられていて、一首めの朝から聞こえて来るテレビの「笑ひごゑ」なども、その一つにちがいないのだが、すべての出来事は避けようもないのだから、黙々として引き受ける。それが生活者というものではあるけれど、かつて詩人の千家元麿は、私と空の星とはつながっているという確信を堂々とうたいあげたものだった。株価と円相場のグラフに一喜一憂しているようなこの現代日本の生活には、そういう美しい心情が失われている、と二首めで作者は言いたいのだろう。

時々そういう現実への耐え難さが我慢の限界に近づくことがあって、それを四首めでは、昆虫の「かほ・顔」が累々とひしめくという表象をもって作者は表現しているのである。一首めの「あたまが貧乏になる」ような感じとも共通する空無感から、こういう歌が出て来る。

 三首めについて。啄木の「時代閉塞の現状」という文章は、かつて文学青年だった人の場合は、たいてい体に浸み込んでいる文章で、ここには引かないが、卓を叩いて議論をする青年の姿を描いた詩が、この一連の歌の下敷きになっている。私なども、何かというとすぐに「時代閉塞」などと口走ってしまう癖があるので自戒したいところなのだが、これだけ情報が統制された国に生きていながら自由だと思っているような人には、こういう焦慮はわからないかもしれない。そういう情報統制の一例として、TPP条約のことがある。

あめりかといふからだに見えない敵として棲むあめりかといふからだに

 作者が私と同じ考え方の人かどうかはわからないが、現在TPP条約に賛成している政治家・評論家はすべて買弁である。念のために説明しておくと、買弁というのは、他国の利益のために自国の利益を売り渡す人間のことである。私は「あめりかといふからだ」の一部だろうか。わからない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。最低限読み取れることは、違和の自覚だろう。こんなふうに日常生活の中で実感することの積み重ねのなかから語るという思想が、武藤雅治の歌にはある。たぶんこれは、若い頃の思想が歳月を経て生きる思想として結晶したかたち、スタイルなのである。その自由闊達な破れ方、外れゆき方が、この歌集の文体となっているのだが、そこのところのこだわりを押さえないと、単に奇をてらうものとみなされたり、若手の流行の文体とひとつものにされてしまう可能性があるので、私はここに釘を刺しておくのである。
 

 





無題 期間限定

2016年06月26日 | 政治
 当たり前の事だけれども、詩歌というものは、それを読んだり書いたりするという事への強い欲求がない時には、なくてもいいようものである。それなのに、詩歌についての本を出す人が絶えないのは、よほど詩歌というものの持つ魅力が大きいのであろうとも思うが、故ウンベルト・エーコの対話集のなかに「ヴァニティ出版」という言葉を見つけて、なるほど自分などのやっていることはそれにちがいない、と妙に納得させられたのは、日頃からそういう自覚があるからで、ここで何か負け惜しみのような事を言っても始まらない。

 古本で清水精一著『大地に生きる』(河出書房新社 二〇一二年刊)というのを見つけて、この本は二〇代にサンカに興味を持った時に読んでコピーを作ったことのある本なのだが、およそ自己顕示欲というようなものとは縁のない書き物で、なんでこんな本を新装版で礫川全次という人が出せたのか、不思議である。

 以前国会図書館で見た時は、私の記憶違いかもしれないが、簡単に複写できないというハンコが押してあった記憶がある。でも、私は別の図書館で見つけてコピーしたのだったが…。そういう点では、いまグーグルのやっている本(や雑誌もあるのか)の読みこみ作業は、日本ではチェックがきかないだけに怖いところがある。ТPPに関する協約では、そういう細部にも踏み込んで検討しなくてはならないと私は考えている。

 現在の自分たちに想像力が及ばないことについてまで、予測不能な事柄について、見切り発車的に確定してしまうというのは、あぶないのではないか。私はこのごろ、野中さんのような政治家の意見が聞きたいと思うのである。この記事は、実務に当たっている人をめがけて書いたつもりである。

※しばらく消してあったが、トランプがTPPにもどるかもしれないというような記事も見たので復活することにした。


武藤雅治『花陰論』

2016年06月22日 | 俳句
 梅雨の頃というのは、四月に始めたことが一通り軌道に乗って安定してくるかわりに、多少疲れが出てくる時期でもある。ここにあらためて皆様のご健康をお祈り申し上げる。

 武藤雅治さんの歌集『あなまりあ』というのが届いて、今度の歌集は、なかなかいいのではないかと思ったから、知人と二、三人でやっている読書会のテキストに選んで、けっこう丁寧に読んで話し合った。ところが、その本が白くて薄い本なので、どこかにもぐってしまって捜しても見つからない。そのうちに去年同じ著者から届いた俳句集『花陰論』が出てきた。分かち書きの句である。ふたつ引いてみよう。

木陰を
抜け
影が少し
ずれてゐる

六月や
樹々のしづくの
ごとき
人影

 「人影」には、「かげ」と振り仮名がある。淡い。分かち書きによって、陰翳が強調され、ひとつひとつの言葉が持つ響きのやわらかさが、痛ましいまでに顕わとなっている。何でもない言葉が、イメージの映像をきちんと結んで息づいて、気配のようなものを伝えることができている。

『あなまりあ』については、別にまた書いてみたいが、これは、最近の武藤氏の歌集では出色のものだろうと思う。管見では、この歌集の前の歌集の抄出でひどく通俗的な歌が引かれていた。そういうところで、一人で一匹狼的にやっている歌人が、あまり好意的に扱われない場面を私は何度も見たことがある。まったく短歌というのは、自分の間尺に合ったところでしか読めないものではあるのだ。

天野匠歌集『逃走の猿』

2016年06月12日 | 現代短歌
 私は著者が介護師の仕事をしている事を知っている。でも、この歌集は、それを表立てて見せようとしていない。そういった、わかりやすい中身を話題として先立てて読もうとする視線を、あえてはねのけて、中年期にさしかかろうとする自らの日常をまず歌おうとする。

  自転車をぐいぐいと漕ぐこの朝の湿る職場を引きよせて漕ぐ

 湿る職場。どんな職場なのであろうか。

  柔らかきこころとなるを常として夜勤明けとは艶なる時間  
※「艶」に「えん」と仮名。
  全盲の老女に降っているのかと問われて気づく硝子の雪に
 
ここには、どんな面白みのない現実の場においても自然を意識することを忘れない日本人の美しいこころがけが、表現されていると言えるだろう。続いて巻末に近い一連から引く。

  特養の朝は静かだ部品まで肉の色した補聴器が鳴る  
  みそ汁に沈む入れ歯はMさんのものか食器を下げんとするに
  介護士の憂き役どころ思うとき床にかすかに箸落ちる音
  右の目は看護主任を左目は彷徨中の老女を目守る
  四階の認知症フロアの窓に見る何事もなき孤雲のひかり
  もみぢ散り視野ひろがると仰臥せるひとの云うなり色のなき空

 しずかに息をしながら目を見開いて、対象をまじまじと見つめている仕事の場の緊張感が、文体にまで浸透している。素材にもたれることなく、韻律を通して、近代短歌以来の写生の技法も踏まえながら、しっかりと構築的に生の現実を捉え直している。しかも、それは非情なまなざしではない。あくまでも愛情に満ちた、普通の生活者の優しみに満ちた、はげましの言葉なのだ。「孤雲のひかり」と言い、「もみぢ散り視野ひろがる」と言わせる。これは凡百の職場詠ではないと思う。

  眠れずにあおむく暁のひとときを身のうちに棲む逃走の猿
      ※「暁」に「あけ」と振り仮名。
 猿が逃げ出したというニュースが伝えられたことがあった。その時に、こんなふうに思っている人がいたのだと今思う。生活者なら、誰しもこうした感情を少なからず抱えて生きている。生の深処に錘をおろして生まれる歌。近代短歌のバトンをしずかに受け継ぐこうした作品が存在することも、現代短歌の世界のぶ厚さを示すものである。

永谷理一郎歌集『忘れ物を取りに帰ろう』

2016年06月11日 | 現代短歌 文学 文化
 1931年熊本市生まれ。この年代の方が口語短歌を選んでいる時には、現代のはじめから口語短歌が目の前にあった若手歌人とちがって、往々にして根深い理由がある。一つには戦時中の時勢に鼓吹された万葉調、ひいては五・七の音数律への拒否感、もう一つは戦後の自由詩のもたらした解放感の忘れがたさが根底にあるのである。旧制中学・新制高校の頃に詩歌に親しんだという著者は、2006年から「泉」短歌会に所属して、中川菊司らの薫陶を受けたという。中川菊司は、知る人ぞ知る洒脱な口語短歌の作り手で、私は以前その作品のアンソロジーに解説を書かせてもらったことがある。
 一読して、タイトルの「忘れ物を取りに帰ろう」という言葉には、戦後の自由詩の翻訳の匂いがすると私は思った。事実作者は、あとがきで「大学時代にかけては小野十三郎、村野四郎、西脇順三郎や大島博光訳のアラゴン、エリュアールなどに傾倒していました」と書いている。

忘れ物を取りに帰ろう 目も耳も口もふさがれた屠羊のメモを
忘れ物を取りに帰ろう 焼夷弾が降り注いだ夜の恐怖のメモを
忘れ物を取りに帰ろう 子らすべて国に奪われた老婆のメモを
忘れ物を取りに帰ろう 敗戦後の無限に開けた青空のメモを
忘れ物を取りに帰ろう 友が死んだ血のメーデーの怒りのメモを
忘れ物を取りに帰ろう 道を埋めたフランスデモの連帯のメモを

 この「忘れ物を取りに帰ろう」という呼びかけは、老齢の著者の過去への郷愁と存念を呼び起こしながら、歴史の記憶の継承を訴える、と同時に惜別を述べてもいるという、なかなか複雑な心事の託された言葉なのである。桜桃忌の一連の末尾には、1948年、高校三年の時の歌が収録されている。以下の三首めがそうである。

太宰没後六十年の桜桃忌 斜陽世代もメロス世代も
太宰の死の立会人に名があった わが師山岸外史の名前も
太宰治 虚無の痙攣 彼は死んだ 笑えない自殺だ だから笑う

 あとがきには、「私の短歌は一字アキが多すぎるとよく指摘されますが、これは詩の行替えに代わるものとしてご容赦願いたいところです。」とあるが、三首めもそう思って読むといいかもしれない。高齢になっても初発の感動に立ち戻ろうとする精神、そこから始まるものは必ずあるということだ。集中には、会社員生活を退いて、タンスに千本のネクタイが残されたという歌がある。母親をめぐる複雑な物語を思わせる一連もある。直接的な政治批判の歌もある。多岐にわたった中身は読み飽きしない。俊足軽装の日本語で言いたいことは残らず言っている作品集で、これを出した著者はなかなか気分が爽快だろうと思う。


坂を登る夢

2016年06月09日 | 日記
転居した知人に手紙を出したいのだが、名簿も住所録もどこかにもぐってしまっていて見当たらない。弱ったな、と思ううちに日はどんどん過ぎて行ってしまい、そのせいか知らないが、こんな夢を見た。

私は車を運転していて、ずいぶん急な坂だなと思いながら懸命にアクセルを踏んでいる。坂はどんどん急になっていって、これは駄目かもしれない、どうしよう、と思ったところで目が覚めた。加えてその坂には、どんぐりのようなものがいっぱい落ちていて、それを踏みつぶしながら上がっていくのであるが、初めのうちはずるずるすべる感じがあった。

 私の夢のなかの車道には、さまざまなバリエーションがあって、ぜんぜん見覚えのない道の場合もあるし、幼い頃に親しんだ親戚の家の裏山の坂が原型になっている場合もある。たいていあまり人はいなくて、一人で道を歩いていることが多いようだ。

 というわけで、これが手紙の返事が遅い言い訳になるかどうかわからないけれども、気にしてはいるのです。だいたい私は自分のうまくない手紙の字をみるのがいやで、メールの返事はするけれども、手紙に関しては筆不精と言っていいのである。世の中には、メールの返事が一週間ぐらい来ないという人もいて、パソコンのメールだと三日も開かないことは私もあるから、仕事以外の私的な場面では、そういう反応の遅さは許されてもいいのではないかと私は思っているのだが、通常はなかなかそうもいかないようだ。三時半に目が覚めてこれを書き始めて、合間にメールの返事を一通出した。少し頭痛がするので、もう一度寝る。

 



柏崎驍二歌集『北窓集』

2016年06月05日 | 現代短歌
 平成二十二年から二十六年にかけての作品を収める。この歌集が斉藤茂吉短歌文学賞を受賞したニュースと同じ紙面に、著者の訃報が載っていたのは、残念なことである。同じ頃に短歌の入門書なども刊行されて、何か今後の活躍が期待できる雰囲気が感じられていた矢先の出来事だった。昨年の砂子屋の連載では、私は次のような文章を書いている。

草の実も木の実も浄き糧ならず鳥よ瞋りて空に交差せよ  柏崎驍二『北窓集』(2015年)
   ※「瞋」は「いか」る。振り仮名あり。
このところ続けて何冊も著書を出して、精彩を発している著者の歌集である。この歌集は、あの震災以後に出された詩歌の本のなかで、佐藤通雅の『昔話』とともに、もっとも信頼できるもののうちの一つであったと私は思う。著者は、自分の経験に照らして、何のてらいもなく自然に自己の感慨を歌にしている。その無欲な歌の姿が、胸にひびく。
  東日本の震災の経験によって問われたり試されたりしたものは、日常のなかでの思想の在り方だった。もう少しくだいて言うと、自分が他人との関わり方のなかでどういう生き方についての感覚を持っているかということが、不断に問われた。もっと言うなら、生きていることの根拠のようなもの、自分がもっとも心を寄せているもの、それから価値を見いだしているもの・大切にしているものについての考え方を、否応なしに問われることになった。人々は、誰もが現実の厳しさを突きつけられながら、自分の言動の是非について、いちいち具体的に判別し、弁別し、決断し、断念し、受容しながら、生活というものを維持して来なければならなかった。とりわけ東北地方の、被災地に住み、また被災地に関わりの深い地域に住む人々にとっては、そうだった。
  人間は情念を持った存在である。そうして日本人は、周囲の自然環境に対してその情念を密接にかかわらせる文化を育てて来たから、津波による一地域の自然と文化の壊滅は、深い傷跡を残した。その傷は簡単に癒えるものではなく、言葉は時に無力ですらある。しかし、それをあるがままに受け止めて、人は日常の中での思想を生み出しながら生きていくほかはない。そのことが<復興・再生>という浮いた言葉を経験の底から支えているのであって、スローガンは、倒れかけたり、沈みかけている人を救う事はできないのである。
  短歌の言葉は、贋金を洗いだして人間の気持ちのなかにある本当のところを言い当ててしまう作用を持つ。だから、私は被災地の歌人の言っていることが一番信用できると思っている。すぐれた歌人は、自分の言葉の生理に反した言葉は決して口にしないからである。

  九月十九日の回だった。けっこうよく書けていると自分では思うのだが、いまネットで検索してもまったく出て来ない。忘れられた文章なのだろう。震災から五年たって熊本で新たな地震が起こった。いずれは東京直下、東海、南海トラフ大地震と、立て続けに起きるはずの天災にわれわれは立ち会わなければならない。まったく無常というものを、繰り返し実修させられて来たこの数年間だった。
柏崎驍二の歌は、こんなようなもの思いに応えるものを持っている。

  貧も苦も考へやうさ畑の辺に通草の花のむらさき垂るる      一一五
  毛無森といふ地名なれ春山の茂りて郭公も山鳩も啼く
  昭和二十年七月十四日とぞ記す手を引かれ我が逃げし日ならむ   一三六
    で         うみやま
  沖さ出でながれでつたべ、海山のごどはしかだね、むがすもいまも
  幸福とか不幸とかいふ価値観を去らねばならぬ、なあ鷗どり  

 三首めは解説が必要で、昭和二十年七月十四日は、釜石が艦砲射撃を受けた日。この歌の前に、その時亡くなった児童を祀る祠を詠んだ歌がある。「貧も苦も考へやうさ」とか、「幸福とか不幸とかいふ価値観を去らねばならぬ」とか、日々の生活の経験の中から出て来た箴言のようなつぶやきが、胸にしみる。それは木々や鳥に囲まれて生きることの喜びに支えられた、生を肯定する思想なのである。

前田愛の近代小説入門講義『女たちのロマネスク』

2016年06月04日 | 
 副題に<「にごりえ」から「武蔵野夫人」まで>とある。朝日カルチャーの口述筆記を元にして作られた本だ。本のタイトルは、一時代前の読者を意識した時代の衣装を身に付けている。わたしは前田の主著『都市空間の文学』をずいぶん昔に読んだ覚えがあるが、内容はほとんど忘れた。近代日本の小説入門としては、むしろ軽装備のこちらの本の方がいいのではないだろうか。有島武郎の章から引くと、

  「無意識の世界を言葉で表現するのは非常に難しいわけです。しかしここのところ(『或る女』の第十三章)は、これが大正時代に書かれた小説とは思われないくらい新鮮な描き方で書かれている。志賀直哉の『暗夜行路』はまちがいなく大正から昭和にかけて書かれた小説の中で屈指の名文です。しかし名文というのは、言葉によってつかまえられた世界というものを限定してしまうわけです。こういう『或る女』の文章は、一つの言葉があると、それに次の言葉がくっついてどんどん繁殖していく。あるいはもう少し別の言い方をすれば、核分裂を起こしていく。言葉が爆発するという趣きがこの第十二章から十三章にかけてはあるわけです。」

 こう述べて、前田愛は、完成度が高い後編を評価する本多秋五とちがって、むしろ文章にも荒っぽいところがある前編を評価する。

  「『或る女』を明治の新しい女性の因習に対する闘い、そういう思想的に、あるいはイデオロギー的に読むのではなくて、むしろ葉子の中の無意識の世界、あるいは葉子の身体、そういうところに視点をずらして読むと、確かに文章的には難はあるにしても、前編の方が魅力的出来ないか、そんなふうに思うわけです。」

 いまの日本では、一時期の「名文主義」みたいなものへの嗜好、つまり教養や蓄積がものをいう世界へのリスペクトが、薄れてしまっている事が問題ではあるのだけれども、この前田愛の視点は、いまでも生きているし、現代の作家や何かを作り出そうと思う人達が参照するに足る言葉であると私は考えるのである。



『仰臥漫録』の新聞批判

2016年06月03日 | 政治
 正岡子規の『仰臥漫録』という本は、子規晩年の日録であるが、明治三十四年九月二十六日には、次のような記述がある。片仮名は平仮名とし、句読点を付して、現代仮名遣いで一部を写してみる。

「…昨日も今日も、夕飯食わぬ内に、はや眠たき気味あり。此(この)模様にては、やがて昼も夜もうつらうつらとして、日記書くのもいやになるような時来(きた)らんかと思う。」

と言ってから、これに続けて、

「新聞雑誌を見て面白しと思いしことの、今に脳裏に残り居る者を試に列記せんか。
       其一
 ビスマルク曰く、新聞とは紙の上にすりつけたるインクなり。  ※「インク」に傍線あり。
       其二
 曰く、お山の大将曰く、総領の甚六曰く、石部金吉曰く、大馬鹿三太郎曰く、知らぬ顔の半兵衛曰く、権兵衛曰く、助平曰く、何曰く何、済々たる多士
       其三
 黒船浦賀に来りし時の狂句
    オドカシテヤツタトペルリ舌ヲ出シ  ※これは、原文のまま。「ペルリ」に傍線あり。
       其四
 田舎芝居の舞台にて大勢の役者がせりふを割って一句ずついうとき、一人の役者が次の役者のせりふをいうてしまいしに、次の役者は何というべきすべも知らず当惑せしが、やがて曰く、
    拙者のせりふがござらぬわい

 これを見ると、新聞人だった子規が、どれだけ醒めた眼で当時の言論界の様子を俯瞰していたかということがわかる。其一の「ビスマルク曰く、新聞とは紙の上にすりつけたるインクなり。」という句は痛烈な皮肉で、最近の日本の新聞などは、そのインクすら溶けてしまって、判読しがたくなっているというところではないだろうか。其三の句は、現代仮名遣いにすると、「おどかしてやったとペルリ舌を出し」となる。アメリカ艦隊の提督の名をもじっているわけである。
 
 これを現代にあてはめてみるなら、最近の「リーマンショック前夜」という経済見通しなどを見てペロリと舌を出したくなったのは、何も「ペルリ提督」だけではないかもしれない。現代の日本にも、「拙者のセリフがござらぬわい」というような輩が大勢いそうな気がする。
 もちろんこの私も「田舎芝居」の「大勢の役者」の一人ではあるのだが。