さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 279-287

2017年07月29日 | 桂園一枝講義口訳
279
何となく袖ぞつゆけきいつのまにことしも秋の夕べなるらん
五一二 なにとなく袖ぞ露けきいつのまにことしも秋のゆふべなるらむ 

□「初秋夕露」と云ふ題詠なりし。
何となく、とはさびしき工合より云ふなり。「古今」に「夜や更けぬらん袖の露けき」とあり。さて「けき」と云ふ詞は「めく」と云ふ程なり。ぬれたと云ふことではなきなり。ぬれるやうな、と云ふ時に「けき」とつかうなり。
いたからぬに「いたし」と云ふ、又は「死ぬるやうにあつた」など云ひ、又「足がすりこぎになりたる」など云ふ形容なり。「露けき」と云ふも同様なり。真淵は「露けき」などをとがめて云ひたり。此れは見そこなひなり。程々に云ふがよきのみ。云ふは却てみそこなひなり。平日ある上には「血の涙」などのことをいうても、ことやうには思はぬなり。歌になるとうそを云ふやうに思ふはあやまりなり。
夢をねがふ人はゆめを忘れて始めて夢あり。道を願ふ人は道を忘れて始めて道あり。夢になりとも見たき見たきと思ふ心の人は、ゆめを見てゆめとは思はぬなり。すべて千歳以来のまちがひを解きたるものは「古今」の序なり。よくよく見るべし。

○「初秋夕露」と言う題詠であった。
「何となく」、とはさびしい具合から言うのである。「古今集」に「夜や更けぬらん袖の露けき」とある。さて「けき」という詞は、「めく」と言う程度である。ぬれたといふことではないのである。ぬれるような、という時に「けき」とつかうのである。
痛くもないのに「痛い」という、又は「死にそうだった」などと言い、また「足がすりこぎになった」などという形容である。「露けき」というのも同様である。真淵は「露けき」などをとがめて言った。これは見そこないである。程々にいうのが良い(という)だけ(のことである)。(それをいちいち)言うのは、かえって見損ないである。平生ある上では「血の涙」などと言っても、別の事とは思わないのである。歌になるとうそを言うように思うのはあやまりである。
夢を願う人はゆめを忘れて始めて夢がある。道を願う人は道を忘れて始めて道がある。夢であろうとも見たい見たいと思う心の人は、ゆめを見てゆめとは思わないのである。すべて千年来のまちがいを解いたものは「古今」の序である。よくよく見るべきである。

※278も279も景樹は和歌の時代の人なので、当時はこういう歌が大事だったのである。しかし、この二首は、景樹を熟読し、中学生の頃に熱心に模倣した長塚節に、無意識のうちに影響を与えているだろう。ただちに連想するのは有名なあの秋の歌である。

280
心なき人はこころやなからまし秋の夕べのなからましかば
五一三 こころなき人は心やなからましあきの夕のなからましかば 享和三年 三句目 なかルラム

□同言を連ねて卅一文字を作るなり。「心なき人」とは初雪に小便するやうな人なり。「秋の夕べ」などに心のとまらぬ人なり。
「心なき」は情なきなり。「心ある」とは風雅なる人のことになるなり。「中将」に、心ある人にて所々にて歌よみなどして、とあり。
秋の夕べになれば老若男女みな物あはれなり。「幼子のひとり飯食ふあきのくれ」といふ句もあり。秋の夕になれば心なき人もこゝろが出来てくるとなり。
秋の夕べがなかつたならば、心なき人は、ないづくめになるべしとなり。

○同言を連ねて三十一文字を作っている。「心なき人」とは、初雪に小便をするような人である。秋の夕べなどに心のとまらない人である。
「心なき」は情がないのである。「心ある」とは、風雅な人のことになるのである。「中将」に「心ある人にて所々にて歌よみなどして」とある。
秋の夕べになれば老若男女みな物あわれ(に感ずるもの)である。「幼子のひとり飯食ふあきのくれ」という句もある。秋の夕になると心なき人もこころが出来てくるというのである。
秋の夕べがなかったならば、心なき人は、ないないづくめになるであろうというのである。

※「中将」は「在五中将物語」の「伊勢物語」にはない。後期物語にありそうだが、わからない。あればどなたかご教示願いたい。

281
秋風になびくを見ればはなすゝき誰が袖よりもなつかしきかな
五一四 秋かぜにまねくを見ればはなすゝきたが袖よりもなつかしき哉 文化三年

□「尾花の袖」、ならの末に袖にみたてたり。「秋の野の草のたもとが」云々、秋の野の草を一人の人としたてゝ其人のたもとが「花すゝき穂に出る」とは、あらはれたることを云ふなり。「仲哀記」に「花薄穂に出づるわれや」とあり。まめなる所には花薄穂に出すべきこともあらず、とあり。
「穂に出づる」とは即ちあらはれて出づることなり。それよりして草の花のあらはるゝを穂と名づけたるが、もとなり。今は「ほに出づる」といへば草木がもとになりたるやうなり。言語の転変なり。
秋草のたもととなるは花すゝきじやそうな、あらはれて招く袖のやうに見ゆるといふうたなり。此れよりして草の袂、花薄の袖などしきりに言ひ出せり。
今秋風のもの哀れなるになびきて招く故に、いよいよあはれになつかしき哉、となり。なつかしきことの限りなり。

○「尾花の袖」は、奈良の末に袖に見立てた。「秋の野の草のたもとが」云々、秋の野の草を一人の人と仕立てて、その人のたもとが「花すゝき穂に出る」と(いうの)は、あらわれたことをいうのである。「仲哀記」に「花薄穂に出づるわれや」とある。「まめなる所(誠実な人の通うところ)」には、花薄を穂に出すようなこともない、とある。
「穂に出づる」とは、すなわち現れて出ることである。そこから草の花があらわれるさまを「穂」と名づけたのが元である。今は「ほに出づる」と言えば草木が元になったようである。言語の(意味の)転変である。
秋草の袂となるのは花すすきじゃそうな、あらわれて招く袖のように見える、という歌である。ここから「草の袂」、「花薄の袖」などと、しきりに言い出すようになった。
今秋風のもの哀れであるのになびいて招く故に、いよいよあわれになつかしき哉、というのである。なつかしきことの限りである。

※二句目、これは改稿したのだろう。
※ 「花すすきほに出ることもなく」は「古今集」仮名序にもある言い方。「秋の野の草のたもとか花すすきほにいでてまねく袖と見ゆらむ」ありはらのむねやな「古今和歌集」二四三。「古今和歌六帖」三七〇一など。
※「仲哀記」とあるが、記紀の該当部分にはないので言い間違いか。天保八年十一月、七十歳ではじめた講義だから、調子のいい時も悪い時もある。

282
いはねどもつゆわすられず東雲のまがきに咲きしあさがほの花
五一五 いはねども露わすられずしのゝめの籬(まがき)に咲(さき)し朝がほのはな 文政七年

□恋をこめて言ふなり。しのゝめに帰る時、朝貌が麗しき事であつたとなり。いつそれを見たぞやと言はれては、どうも言はれぬなり。それが「いはねども」なり。

○恋(の題の気持)をこめて言うのである。しののめに帰る時、朝貌が麗しき事であったというのである。いつそれを見たのかと言われては、どうも(はっきりと)言うことができないのである。それが「いはねども(言わないけれども)」である。

283
出づる日の影にたゝよふ浮ぐもをいのちとたのむ朝がほの花
五一六 いづる日の影にたゞよふうき雲を命とたのむあさがほの花 文政六年

□あまりよきともなきに入れたり。
「出づる日の影にたゝよふ浮雲」は、山の端の雲なり。其浮雲は、はかなき雲なり。それをさへ命とたのむなり。

○あまり良い歌でもないのに集に入れた。
「出づる日の影にただよふ浮雲」は、山の端の雲である。その浮雲は、はかなき雲である。それをさえ命とたのむのだ。

284
夕日さす浅茅が原にみだれけりうすくれなゐのあきのかげろふ
五一七 ゆふ日さすあさぢが原に乱(みだ)れけりうすくれなゐの秋のかげろふ

□「淺茅が原」は野辺なり。高木などのなき浅茅まじりにしてあさぢ多き野原なり。あさぢは、せの短きものなり。
飛去飛来でとんで居るを「みだれけり」と云ふなり。
かげろふ、あかゑ(ん)ばなり。今はやんまと訛れり。かげろふは、八百年程になれり。七百年前、「源氏」かげろふの巻は「蜻蛉」なり。もとは、かげろふは陽炎がはじめなり。うらうらと動くものなり。それよりして糸ゆふにも言ふなり。又虫にも云ふなり。

○「淺茅が原」は野辺である。高木などのない浅茅まじりで、「あさぢ」が多い野原である。「あさぢ」は、背の短いものである。
「飛去飛来」で飛んでいるのを「みだれけり」と言うのである。
「かげろふ」は、「あかゑ(ん)ば」のことだ。今は「やんま」と訛(なま)っている。「かげろふ」(という歌語)は、八百年程になった。七百年前、「源氏」の「かげろふの巻」は、「蜻蛉」である。もとは、「かげろふ」は「陽炎」がはじめである。うらうらと動くもの(のこと)である。そこから「糸ゆふ」にも言ふのである。又虫にも言うのだ。

※繊細溢美の「新古今」調で、写実の味も感じられるこういう叙景歌は、景樹の得意とするところ。要するにどんな歌風もこなせたのである。景樹が「古今」崇拝だから「古今」調だなどというのは、子規の言葉を鵜呑みにした読まず嫌いの弁である。
概して『桂園一枝』では、『桂園遺稿』などで初出が確かめられない、制作年次のはつきりしない歌に秀歌が多い。ということは、文政十一年に『桂園一枝』を編むにあたって別の手控えのなかから付け加えたり、あらたに作りおろしたりした歌に秀歌があるということになる。

285
しきたへの夜床の下のきりぎりすわがさゝめごと人にかたるな
五一八 敷妙(しきたへ)のよどこのしたのきりぎりすわがさゝめ言(ごと)人にかたるな 文化四年

□夫婦かたらふ床下に鳴くきりぎりすなり。
○夫婦が語らう床下に鳴くきりぎりすである。

286
とにかくにつゆけき秋のさがならば野を分けわけてぬるるまされり
五一九 とにかくに露けき秋のさがならば野をわけわけてぬるゝまされり

□秋のならひならばと云ふこと也。その中にもわるならひと云ふことに思ふべし。さがより嵯峨野にかけるなり。
○秋の習いならばということである。その中にも「わる習い」(あまりよろしくない趣味)ということに思うとよい。「さが」から「嵯峨野」に掛けているのである。

「以下欠席」
※五三五までとぶので、十五首ほど欠落した。中には、次のような歌がある。

五二〇 さと人はいはほきり落(おと)す白河のおくに聞ゆるさをしかの声 北の山ふみに見ゆ

五二一 おぼつかな塵ばかりなる浮雲にかくれ果(はて)たる三か月の影 文化十三年

五二五 照(てる)月は高くはなれてあらしのみをりをり松にさはる夜半かな 享和二年 一、二句目 月カゲハハルカニナリて

五二七 帰るべく夜は更(ふけ)たれど鴨河(かもがは)のせの音(と)は清(きよ)し月はさやけし 享和三年

五三〇 月てればつらつら椿(つばき)その葉さへみなしらたまと見ゆるよはかな 

287
こともなき野辺をいでゝもみつる哉鵙がなく音のあはたゞしさに
五三五 こともなき野辺をいでゝもみつるかな鵙(もず)が鳴音(なくね)のあわたゞしさに 享和二年

□津の国ゐな野の中に、円通庵に居たる時のうたなり。もずの音は、きらきらとしめころすが如きなり。
○津の国のゐな野の中に、円通庵に居た時の歌である。「もずの音」は、きらきらとしめころすような感じのものだ。

※佳吟。さながら近代短歌。享和二年は、例の「筆のさが」一件で深く傷ついていた頃の歌だから、伝記的にも合うところがあって、尖った神経にふかく突き刺さって来るもずの声に対する感覚には、実感がこもっている。


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