さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

三井甲之の手紙

2018年03月27日 | 俳句
一太郎ファイルの復刻。「未来」の松山大会があった頃の文章である。この頃は「みぎわ」に三井甲之についての斉藤真伸さんの連載もあって、それを側面から盛り立てるつもりもあったか。後年の超国家主義者に化けてしまう前の甲之について一本をまとめることは、決して無意味ではない。

読みへの通路 その四十六
 三井甲之の手紙    さいかち真

子規記念館の「子規と鉄幹・晶子」という展示を見て来た。城下の古書店で、虚子碧梧桐生誕百年祭実行委員会刊の『碧梧桐とふるさと』という昭和四八年刊の小冊子を拾い出して、帰りの空港のロビーで見ていると、こんな一節が目にとまった。

「八月二十二日。晴。
 甲之君来書中に「俳句新傾向の事小生門外より真の味ひは相分り不申候へども積極的方針と開展の生命の活躍せることは分らずながらうれしく存候空間的調和の輪郭の整頓よりも時間的節奏の内容の動揺にフレツシユの生命の横断面を見むとすると同時に同時的外物の関係よりも継起的(生硬の訳語)人心の感動を現はすに印象的技巧の誇張と省略とを以て、力ある表現をなさんとする点に於て善き意味に於てのモダーンの精神を得たるものとして俳句史上重要なる意義あらんとひそかに考え居候」とある。一読過したのみでは意味が受けとり難いが、再三繰り返して読むと、甲之君の言はんとする意味が略推察される。例之ば

灘光り打ち浴びて解夏の僧と在り

といふ句を説明して、単に解夏の僧と居る時に灘が明るう夕日の反射か何かで光つた、と、冷静に客観的に叙するに満足せず、其灘光りと元来は没交渉、自分の心とに、一種の交渉ある如く感じて、「打ち浴びて」と強めていふのが、即ち冷静に見れば無関係な二つの事実を、熱情的に交渉のある如く結びつけるのが、旧来の俳句には多く類を見なかつた例だなどというてゐたけれども、これらが「空間的調和の輪郭の整頓よりも時間的節奏の内容の動揺」を叙する一例と見れば、如何にも早わかりがする。それに「灘光打浴びて」といふ調子なども、「印象的技巧と省略とを以て力ある表現をする」好適例である。」(『続三千里』)

手紙を寄越したのは三井甲之。河東碧梧桐の伊予遍歴は明治四十三年。晦渋な用語の問題は措くとしても、ここに見られる俳句の「新傾向」にまつわる両者の理解の水準には驚くべきものがある。

俳句について注記しておくと、上五の「灘光り」は、「光り」が動詞的に見えるが、「灘光」と名詞的に受け取るべきだろう。つまり、「灘光(を)(私が)打ち浴びて」という意味。「解夏の僧」というのは、俳句の季題で、夏安居つまり夏の修行を終えた僧のこと。作者は、ゆったりと緊張を解いている僧と並びながら、海面にするどく反射しながら射す強い日の光を、まともに頭から浴びている。

 手紙をざっと意訳する。「俳句の新傾向の事は、わたくしなど門外漢のため真の味わいは分かりませんが、そこに積極的な方針があり、いきいきと切り開かれつつあるものが存在するということは、よく分からぬながら、うれしく思って見ているところであります。それは、空間的調和をもとめて物事の輪郭を整頓して示すことよりも、時間的節奏の内容が動揺する相に、フレッシュな生命の横断面を見ようとするのと同時に、同時的な外物の関係の描写よりも、継起的(生硬な訳語ですが)人心の感動を現はすことに重きを置いて、印象的な技巧の誇張と省略によって、力ある表現をなそうとする点において、いい意味においての近代的な精神を獲得したものとして、俳句史上重要な意義があるものだろうと、ひそかに考えているところであります。」

 伊藤左千夫らの離反によって雑誌「アカネ」をつぶされた三井甲之と、後々守旧派の巻き返しに会う碧梧桐は、その文学意識において今日を先取りしていたのだった。

百々登美子の歌集『天牛』

2018年03月25日 | 現代短歌
百々登美子の歌集『天牛』を取り出す。一九八九年砂子屋書房刊。知る人ぞ知るすぐれた歌人であるが、もう少し読者が増えてほしいような気がする。私の若い友人たちはあまり読んだことがないだろう。やはり季節の歌を引いてみたい。

いづ方も堪へてあるべし暮るる日の誘ひに見し三分の桜

 三分咲きの桜は、まだ寒さをこらえて咲いているようなところがある。いづ方も、はどの桜の木も、というような意味だが、用事で訪れていた場所の近くに有名な庭があったのかもしれない。夕暮れ時の桜の花である。まだ早いけれども、と言って見るように誘われた。

汚れより身を引き離すごとくして立春の階の高みへのぼる

 小高い公園や寺院の奥の院を目指して階段を上っていくのだろう。俗塵から身を「引き離す」かのように。すがすがしい春の気分と、潔い、清新なものを好むらしい作者の心が伝わる歌だ。

水泥より翔ちし小鷺の白をもて身の慄へとす浅春の夕ぐれ

 「浅春」に「はる」と振り仮名。水泥は、最初スイデイと読んでいたが、全体に固い印象になってしまうので、「みどろ」と読むことを思いついた。小鷺の歌を私は作ったことがないが、四句目の「身の慄へとす」という言葉の斡旋は、凡庸でない。いわゆる身体感覚に引き付けているのだろうが、そうすると「小鷺の/白をもて」の「白をもて」が、それだけではない含みを持っているようだ。この白さは、感動にふるえる、はっとおどろく、というような気分を呼び起こしつつ、一首前に引いた「汚れより身を引き離す」心意にかかわる。初句に戻って、水泥は塵労の現実世界である。汚泥ということばもある。中世和歌に通じていた安田章生がほめそうな歌だ。
 全体に求心的かつ観念的な歌風で、後記に斎藤史や原田禹雄への感謝の言葉がみえる。