NHKの大河ドラマが吉原を舞台としているので、ドラマの二回目以降は、ほかのことをしている方が楽しいので見ていないが、何となく書くことにしようと思ったのが以下のことだった。
村松梢風の自伝的な小説『女経』は、書名の通り女性遍歴を連作短編としてまとめた放蕩記であるが、経は「経験」の経であるとともに、「お経」の経でもあるのかもしれない。
お経をあげる、というのは、とむらう気持ちを含む。申し訳ない、すまなかったという気持ちもあるのである。とは言いながら、男性優位社会のいい気な書き物であるという一面があることは、仕方がない。それは、そういう時代であったのだ。だいたいものを書き始めたきっかけが、お金に窮して吉原での経験を書いてみたらどうかというところから始まったというのだから、すさまじい。
この本の装丁を担当しているのが棟方志功である。その古書が意外と安価だし絵に興味のあるひとはごらんになっては、というのがひとつ目。
もうひとつ放蕩記でものすごいのが岩田専太郎で、私はこの画家の絵は中学生の頃に「毎日新聞」の画集の広告をみてうっとりしたのが焼き付いているから、本人の自伝をみつけた時はうれしくてならなかった。遊ぶ金を作るために挿絵をかいていたというところが、村松梢風などと似ている。
あとは、詩人の金子光晴が画家の英泉について書いた文章のなかで、明治時代以降にも残存していた江戸文化についての偏愛を語っている。これは、平凡社の古い美術の叢書に入っていて忘れがたい文章だ。
吉原に発する文化のことをイメージしたかったら、上記三冊に加えて、女性の側から描いたものとして瀬戸内寂聴の『女徳』などもあわせて読んでみるといいのかもしれない。
村松梢風の自伝的な小説『女経』は、書名の通り女性遍歴を連作短編としてまとめた放蕩記であるが、経は「経験」の経であるとともに、「お経」の経でもあるのかもしれない。
お経をあげる、というのは、とむらう気持ちを含む。申し訳ない、すまなかったという気持ちもあるのである。とは言いながら、男性優位社会のいい気な書き物であるという一面があることは、仕方がない。それは、そういう時代であったのだ。だいたいものを書き始めたきっかけが、お金に窮して吉原での経験を書いてみたらどうかというところから始まったというのだから、すさまじい。
この本の装丁を担当しているのが棟方志功である。その古書が意外と安価だし絵に興味のあるひとはごらんになっては、というのがひとつ目。
もうひとつ放蕩記でものすごいのが岩田専太郎で、私はこの画家の絵は中学生の頃に「毎日新聞」の画集の広告をみてうっとりしたのが焼き付いているから、本人の自伝をみつけた時はうれしくてならなかった。遊ぶ金を作るために挿絵をかいていたというところが、村松梢風などと似ている。
あとは、詩人の金子光晴が画家の英泉について書いた文章のなかで、明治時代以降にも残存していた江戸文化についての偏愛を語っている。これは、平凡社の古い美術の叢書に入っていて忘れがたい文章だ。
吉原に発する文化のことをイメージしたかったら、上記三冊に加えて、女性の側から描いたものとして瀬戸内寂聴の『女徳』などもあわせて読んでみるといいのかもしれない。