さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 39~43

2017年02月26日 | 桂園一枝講義口訳
39 三吉野の青ねが峰のしらくもはまがへもあへぬさくらなりけり
八九 み吉野の青根が嶺のしらくもはまがひもあへぬ桜なりけり 文化四年

□「あへぬ」、「あへず」物の折合ぬ事なり。合ず、合ざる事也。立合はれぬことなり。そこまでゆかずにしまふなり。まがひさうなことを「あへず」なり。
「神のいがきに這ふ蔦も秋にはあへずうつろひにけり」。秋に立合はれぬなり。「幣もとりあへず」、取りさうな所を取らぬ也。「流れもあへぬ紅葉」、流れんとしてちよいと引かゝつたる也。
「俗のかたなも取敢へず参りたり」は、一転して妙なり。
「青根峰」、青き峯なり。「松杉苔」何にも青きなり。青き所に白くかつきりと見ゆるは白雲じやが、と紛ふ事でもなき桜也。是「青根が峯」にさく故也。花と雲とを分明にわかつ也。
「青根」、山の頂上なり。又嶺といふ也。

○「あへぬ」、「あへず」は、物の折り合わない事である。「合わず」「合わざる」事である。立ち合われぬことである。そこまで行かずに終わってしまうのだ。見分けが付かなくなりそうなことを「あへず」といったのである。
「神の齋垣に這ふ蔦(葛の誤記)も秋にはあへずうつろひにけり」(と言うように齋垣に這ふ蔦も)秋には立合うことができないのである。「幣もとりあへず」取りそうな所を取らないのである。「流れもあへぬ紅葉」が流れようとして、ちょいと引っかかっているのだ。
「俗の刀(世間に流通したわかりきった構え)も取り敢えずすることにいたしましょう」(という体の作為)は、一転して妙手(ともなるもの)だ。
「青根峰」は、青い峯だ。松杉苔どれも青いのだ。青い所に白くくっきりと見えるのは白雲じゃが、(など)と見まちがいようもない桜である。これは青根が峯にさくためだ。花と雲とを分明にわかつのである。
「青根」は、山の頂上だ。(これは)又「嶺」とも言う。 △ここは、以前の誤訳を直した。

※掲出歌の「まがひ」「まがへ」の異同は、本文の通り。「古今集」より著名な三首の語句を引用。貫之「ちはやぶる神のいがきにはふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり」、菅原朝臣「このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに」、はるみちのつらき「山河にかぜのかけたるしがらみはながれもあへぬもみぢなりけり」。

□「ち」に「み」を添ふれば「みち」也。通路、雲路、播磨路などの「ち」なり。此「ね」と同様なり。あまり短き故言ひがたく聞きがたし。それ故に「みち」、「みね」と云也。又「谷」にはいつでも「みたに」とはいはぬ也。「谷」は「み」を添へずとも分る故也。雅俗の事ではなき也。
「ね」に限りて「青根が嶺」「筑波根の嶺」と云也。「ね」に限りて重ね(ママ)るわけは、山はさきのとがりを以て一山とするなり。稲荷山は三になる故に三つの山、三の峯也。其山の一つは嶺を以て分つなり。たとへば一頭二頭といふ也。総体をひくるめて頭とさへいへば、その人一人の事なり。今も「比良のね」といへば比良の山といふ事のかはりなり。一頭といへは一人といふ事と同例なり。そこで「青ね」といへば青山といふ事なり。筑波根といへば筑波山といふ事なり。一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)也。「谷」の「みたに」、「ち」の「みち」といふやうな事はなき道理なり。
「筑波根に布をさらす」と「万葉」にあるは、つくば山にあるなり。それを真淵、本居などはやはり嶺と見たる故訛れり。 
 
○「ち」に「み」を添えれば「みち」だ。通路、雲路、播磨路などの「ぢ」である。この「ね」と同様のものだ。あまり短いので言いにくく聞きにくい。それで「みち」「みね」と言うのだ。また谷に入っても「みたに」とは言わない。谷(という言葉)は、「み」を添えなくても分かるからだ。雅俗の事(による「み」の添加)ではないのである。
「ね」に限って青根が嶺、筑波根の嶺と言うのだ。「ね」に限って重ねるわけは、山は先の尖りを以て一山とするのだ。稲荷山は(尖りが)三つになるので、三つの山、三の峯である。その山の一つ(ひとつ)は、嶺で分つのである。たとえば一頭、二頭と言う。全体をひっくるめて頭とさえいえば、その人一人の事だ。今も「比良のね」と言えば「比良の山」と言う事の代わりである。一頭と言えば一人と言う事と同例である。そこで「青ね」と言えば「青山」と言う事だ。「筑波根」と言えば「筑波山」と言う事だ。「一頭の人のあたまは大きし(ママ)小さし(ママ)」、ということだ。谷の「みたに」、ちの「みち」と言うような事は、ない道理である。
「筑波根に布をさらす」と「万葉集」にあるのは、筑波山にあるのだ。それを加茂真淵や本居宣長などは、やはり嶺と見たために誤ったのである。
 
※語釈に目が行ってしまって、歌の方は何だかどうでも良くなってしまう。それぐらい景樹の語釈はおもしろい。なお、この「まがふ」という、類似のものの発見による古代的な修辞は、景樹が好んで用いたものである。 △「根」以前の誤記を正した。

40 林中桜
つね見ればくぬ木まじりのはゝそ原はるはさくらの林なりけり
九〇 常見ればくぬぎ交りの柞(ははそ)原春はさくらのはやしなりけり 文化三年

□「古今集」の花の始にさくらと先出だせり。歌を見れば花とよめり。花といへば諸木の花なれども八分は桜の事なり。一体は桜といふ題と花といふ題はちがふ筈なり。「古今」までは分れたり。其後は花といへばさくらなり。今「古今」の例にまかせて、まづ「林中桜」を出せり。「くぬ木」、「くに木」ともいふ也。「柞」も柴によきなり。「くぬぎ原」、「柞原」、その斗ど、いとある故に「原」と云。常はなにも見所なき「くぬぎ・柞」の青葉ぢやが、と也。桜が十分一あつても目だちて、すべて桜のやうに見ゆるなり。
 △これも以前の誤記を正した。

○「古今集」の花の始に「さくら」と先ず出している。歌を見ると、「花」と詠んでいる。「花」と言えば諸木の花(のこと)であるけれども、その八分は桜の事である。一体は「桜」という題と「花」という題は、ちがう筈だ。「古今」までは分れていた。その後は「花」と言えば「さくら」のことだ。今「古今」の例にまかせて、まず「林中ノ桜」(という題)を出してみた。「くぬ木」は、「くに木」とも言う。「柞」も柴によい。くぬぎ原、柞原(は)、その斗度(広さ)がとてもあるために「原」と言う。常は何も見所のない、くぬぎ、柞の青葉じゃが、というのである。桜が十分の一あっても目立って、すべて桜のように見えるのである。

※景樹に「写実」という考え方はなかったが、実景か実景でないかという意識はもちろんあった。それも相当に強く持っていた。その上で題詠には題詠の似つかわしさを求め、ひとつの素材にはひとつの素材に相応の本意ということを考えて歌を作ることを景樹はよしとした。この歌には写実的な味があり、そこが魅力である。景樹一世の秀吟の一つと思う。

41 田家桜
しづのをがかへす垣根の小山田にまけるがごとくちるさくらかな
九一 しづの男がかへす垣ねの小山田にまけるがごとく散桜かな 文化十二年

□さくらちる頃、即田をすく頃なり。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くは、蒔くためなり。そこへ蒔くごとく散るなり。

○さくら散る頃すなわち田をすく頃である。田を鋤(※異体字。扁が耕の字と同じ)くのは、(種を)蒔くためである。そこへ蒔くかのように(花びらが)散るのだ。

42 山花未開
打はへてかすみわたれるきのふけふさかぬもをしき山ざくらかな
九二 うちはへて霞みわたれるきのふけふさかぬもをしき山桜かな 文化二年

□以下花の題也。故に改めて花を出すなり。夫故「未開」を出だす也。待ちわぶるにつきて、此「未開」の題のある也。「菊花未開」「郭公未偏」など、皆心に待つ情に随ひてある題なり。「うちはへて」、どこもかも横にものをすつと渡す也。この「うつ」は強くするなり。「うちはへて」十分長閑なる気色なり。花よいかに何しにさかちぬのや(※さかぬのちや、の誤植か)、と也。此のどかな日になりたるに、まだ咲かぬも惜いことかな。花は散るをこそ惜しきことに思ひしに、さかぬも惜しき事がある、と也。是新き趣向なり。

○以下は、花の題だ。それで改めて花を持ち出した。それで「未開」(未だ開かず)を出すのだ。待ちわびる(ということ)にかこつけて、この「未開」という題があるのである。「菊花未開」(菊花未だ開かず)、「郭公未偏」(郭公未だ遍からず)など(の題は)みんな心待ちにする情(こころ)に随ってある題だ。「うちはへて」と言うのは、どこもかしこも横にものをすっと渡す(ことを言う)。この「うつ」は、(語勢を)強くするのである。
「うちはへて(この歌にみえるものは)」十分長閑な風情である。花よなにゆえ、どうして咲かぬのじゃ、というのである。のどかな日になっているのに、まだ咲かないのも惜しいことだなあ、花はその散ることを惜しいものと思っていたのに、咲かないという惜しさもある、というのだ。これは、新しい趣向である。

○43 尋山花
たつねはやみ山さくらは年々のわれをまちてもさかんとすらん 
九三 たづねばやみ山ざくらはとしどしのわれを待(まち)ても咲(さか)むとすらむ 文政六年

□いつも林丘寺の山の一本の花は格別ぢやが、といふやうな心あてのある花なり。「み山ね」を「みね」といへば、一こゑか二こゑになる故に、ちと大きくなるなり。「み山」も何となく大きくなりて聞ゆるなり。是〈ならはし〉によりて、かやうになる也。道理と〈ならはせ(ママ)〉とはちがふなり。これ故「深山」「太山」と書く事が後世始まれり。「万葉」にはなきことなり。「真山」「美山」など書くは、今では反て通ぜぬなり。「万葉」になき故それはならぬといふわけはなき事也。万葉が「枳」ではなきなり。今此「み山ざくら」も奥深き山のやうにつかふなり。端近くある山のは、世の春を知るなれども、「深山さくら」は知らぬ、と也。此方の行くを待つてゐるも知れぬといふになるなり。我を見てさかねばならんと思ふぢやあらう、というてもよきなり。

○(この歌に詠んであるものは)いつも林丘寺の山の一本の花は格別じゃが、というような心あてのある花だ。「み山ね」、「をみね(小峰)」と言えば一声(一音)が、二声(二音)になるために、ちょっと大きくなるのだ。「み山」も何となく大きくなって聞こえるのである。これは習慣によってこうなるのだ。道理と習慣づけとは違うのである。これ故「深山」「太山」と書く事が、後世始まった。「万葉」にはないことだ。「真山」「美山」などと書くのは、今ではかえって通じない。(でも、)「万葉」にないから、それはいけないという理由はない事である。(だからといって)「万葉」が枳(からたち、役に立たない木)であるというわけではない。今この「み山さくら」も奥深い山のように使っているのである。端近くにある山の(花の木)は、世の春を知っているようだけれども、深山ざくらは知らないというのである。こちらの行くのを待っているかもしれないということになるのである。自分の姿を見て、咲かねばならんと思うのじゃろうよ、と言っても良いのである。

※ このあと44-48のカテゴリーが和歌になっていたので、八月に直した。他にこのページの細部を直した。

槇さん、中川さん、菊地原さんをしのんで

2017年02月26日 | 現代短歌 文学 文化
一太郎ファイルの復刻。同人誌「砦」十号にのせた文章が出て来たから、無駄なところを削って載せてみたい。ここには、ばりばりの現役の方もいる一方で、すでに故人となられた方が多くある。特に折に触れては思い出す槇さん、中川さん、菊地原さんをしのんでここに掲載する。こうして歌の言葉は生きて残っていくともいえるのである。

 「砦」の一〇号は、「死・タナトス」がテーマである。日本の中世の思想家たちが喝破したように、「生きる」ということは、不断に死に近づくこと、つまり「死に続ける」ことである。だから、裏返して言うと、死について語ることは、すなわち生きている現在を語ることである。死を主題化して考えようとする時には、自分がどういう文化・社会に所属しているのか、その中にあって何を自分が願っているのかが、浮き彫りになってくる。

そうすると、死への考察から現在への考察に向かう回路は、このテーマを設定した段階で、初めから用意されていたことになるだろう。

万歳はすでに死語とぞ言ひながらためらはずして叫ぶバンザイ
    菊地原芙二子
右手高く挙ぐるはナチスの名残ゆゑドイツ青年Sは指立つるのみ

この頃は日本の民主主義のメッキがだいぶはがれてきて、彼我の差を思うことが多い。一人一人の市民としての意識の成熟の度合は、どう見ても西欧先進国の人々より日本人の方が低い。こういう認識を過激に言い放ってしまえば、次のようになる。

今、日本はファシズム国家――立ったまま夢を見たまま朽ちゆく死体
森本 平
滅びへ死へと向かう国にはお似合いの暴徒になることすらできぬ民
死んだ国ではみんなが死んでいるそうだ死んだら終わりあばよさよなら


天皇のために死ぬこと悪くなし ヤマンバギャルを戦場に送れ
  山下雅人
致死量の近未来の苦さかな「渋谷タウン」といふカクテルは


政財界のトップは、バブル崩壊後も失政と保身のための失策を重ね、国も企業も負債はすでに天文学的数字にまでふくらんでしまっている。その一方で、不況は人々の精神的な活力を奪ってしまっているようにみえる。加えて、本来もっとも先鋭なはずの若者や学生は、衆愚と化して消費的生活の安らかな継続を願うだけ……。ここには情熱がなく、怒りが不足している。こんな日本と日本人に対して、右の二人の作品は嘲笑を叩きつけているのだ。

高島裕は、同じ号の森本平歌集『個人的生活』の書評として次のような文章を書いた。

 「普段何気なく見過ごしている街の中の文字の断片が、作品という形でクローズアップされて並べられたとき、私たちの住む世界が、いかにおぞましく、腐蝕してしまっているかを思い知らされてしまう。安全や平和を訴える空疎なかけ声、あさましい欲望を誘い出すための甘いフレーズ、匿名の他者から金を巻き上げるための美辞麗句――私たちは、すぐに底が割れてしまうような浅く、腐蝕した言葉たちにまみれて生活している。それは、死という相補物を奪われた私たちの〈生存〉の貧しさ、おぞましさに通じている。」
(「死を奪還せよ!」)

高島裕もまた、短歌というジャンルにおいて文学の否定性を保持し続けている表現者の一人だ。

乗るバスが村に到れば浮かびくる死者たちの顔ほほ笑むばかり
   今井正和
札束にキスしたき今の心まで殺めえぬ吾が仮面のひと日

 今井作品。郷里の秩父に戻るバスの中で思っているのは、祖母や妹の在りし日の姿であろうか。この人の歌には、時々読み手の心をしんとさせるものがある。

父への憎悪を松盆栽に向けながら母は狂気を深めてゆきぬ  
              浅野まり子
母の死を語るは禁忌の稚き日われに神様は瞑りいましき

 浅野作品。短歌でなければ表現できなかった記憶の中の深い傷痕に触れたものだろう。
 
林檎焼く匂い充ちくる部屋にいてわが残り時間ふいにわらえり     
              布施 恵
わが裡のルミザンドロープ融けぬまま電飾の街の塵となりゆく
 ※「電飾」に「ひかり」と振り仮名。

 布施作品。一連は「聖書」のイメージをライトモチーフとしている。一首めの「ふいにわらえり」に不気味な感じをうけた。二首めのミザントロープは、人嫌いの意。

さりげなく死を「お迎へ」と言ひにけるホスピス君の清しき瞳よ
伊田登美子
老いづきて薄らに刷きし化粧なれ眉の片方を描き忘れたり

 伊田作品。二首めは、忘れるということの哀れさと悲しさが繊細に伝えられる佳品。

直筆の古き草稿とりいでて偲ぶ夜のこれ愉悦のごとし(辻征夫氏五首)
永田典子
料理屋のネオンを詠みて非凡なる処女作昭和二八年

 永田作品。辻征夫ほどさりげなく詩の中で死に触れたひともいなかった。彼の詩に出てくる思い出の街も人もみんな死者と言ってよいのである。
 
たくさんの欠落持ちて生きて来し空虚といへばそうもいえるが
        ※「空虚」に「あそび」と振り仮名。
霧生吉幸
ぬかるみを歩いてきたが見返ればどこにも付いていない足跡
中川菊司
辛うじて輪郭はまだ残ってる 髭剃るたびに見る朝の顔
丹念に磨いた空の向こう側を〈時〉はせわしく歩き続ける

 定年退職後の男の感慨には、どこかで共通する部分があるのかもしれない。懸命に生きてきた営みに区切りがついてしまった空しさ……。霧生作品も中川作品も、自分の人生の意味を問い返している。

 中川さんの「存在停止」の一連は、なかなか読みごたえがあっておもしろかった。もう少し引いてみたい。

夜明けからヘリコプターが鳴り響きぼくの死体が探されている
中川菊司
冬の蚊が畳に止まりそのまんま毛くずのように動かなくなる
「生まれてきてごめんなさい」川下へ行くほど川の水は汚れる

というような風変わりでユーモアに富んだ作品がある。

安らいだり或いはほほえんだりする名前つけられ新しき老人施設
       福留フク子

海に向かひ石投げあひし無心なる少年少女のいづかた知れず  
  鈴木八重

両作品とも、人生の無常にふれている。

もやひなす池の面輪のしれぬ世のしれぬひとりの面輪かたしき
  青柳千萼
快楽そを知れよ知らざる孤のいゑにあらぬ方より磁気あらしくる
 ※「快楽」に「けらく」と振り仮名。

ぱらいそはしらざるとてもゆきの塔あいのしづくはしれぬ世のそれ

四ページ五〇首の大作であるが、初読の際には理解できない歌がかなりあった。青柳作品は、中世和歌の読み方を参考にしつつ読むとわかるものがある。一首めの歌は、非在の恋人を思い寝するという設定の歌であり、二首めは、快楽というものを本当に知ったことがない主が住む「孤の家」に、「磁気嵐」のような誘いがかかるというのである。二首ともエロスの対象を失った相聞歌として読める。そういう歌を作る作者が、「『藤原定家』断章」という文章を今号に寄せているのもうなずけるものがある。定家の代表歌である「見渡せば」の歌にしても、「春の夜の」の歌にしても、あるべきものが非在であるところに究極の美を見ようとするものである。さて、もう一度一連を見直してみると、夢幻能のイメージが濃厚であり、楽器を奏する者は、みな死霊。美衣をまとって巷を歩む者は、遊女。三首めの雪のしずくは、あの世からの「あいのしずく」。これは「愛のしずく」と読めばいいのか。さらに、念の入ったことに、作者は自分自身のことを「我」と言わずに「汝」と言う韜晦癖があるようだ。見立てを見破るのが解読の鍵である。

廃屋のごとくなりたるマンションに解体作業の幌かけらるる  
   高橋まさを

高橋まさをさんは、八ページ百首の大作だ。

臓器移植専用クローン生るる日の道に蹴るべき礫ひとつなく
 ※「礫」に「いし」と振り仮名。
            田村哲三
十六種の表情操作の可能なるロボット・ベビーの性別告げず

ここには最近話題になった素材を扱った歌をあげてみた。一連は、場所があちこちに動くせいか、通して読んだ時の印象がやや散漫だが、掲出歌はなかなか健闘しているのではないだろうか。北海道在住のこの作者は、年鑑でみると昭和五年生まれである。

明日あれば又一日がある曇天の重さにゆれる透析の管
生田和恵
力なき眼のおくのつよき芯そこより右に私が立つ
  ※「眼」に「まなこ」と振り仮名。

 生田作品、読みすすんでゆくと、二十二首めと二十三首めで掲出歌に出会った。これだから、短歌はやめられない。これはいい歌だと思う。

日めくりをパタリと繰られ朝はきて君と掬ひし半熟卵 
 朋 千絵
キーロックする仕種さへ思ひ出す電話も鳴らぬ土曜の深夜

 相聞歌が主体となっている若々しい一連。

切りたての爪の不細工ながめつつ待つ五分前、青山一九時
    朋 千絵

 これは、一連の最初から引いた。

残り時間想ひ見上ぐる宙重しわたしは何をしたいのだろう
ブルーハワイすこしすすりて思ふかなあの時はこんなものだったかしら
槇 弥生子

 一連はそこはかとない倦怠感と、相聞的な情緒にあそぶ女性の内面のむなしさを表現している。

おしまいに。たまたま砂子屋書房の現代短歌文庫の『佐伯裕子歌集』をめくっていたら、樋口覚の解説の文章の次のような一節が目に飛び込んできた。

「戦前の、戦後のどんな死も、どれも等価である。軍人、歌人の死と生活者の死に、もちろん優劣の差はない。」

清田由井子『歌は志の之くところ』

2017年02月26日 | 現代短歌 文学 文化
清田由井子『歌は志の之くところ』(うたはしのゆくところ)

 私が深く信頼している歌人の一冊目の評論集である。しなやかで確かな言葉の運びに、読んでいると自然に引き込まれるところは、さすがである。
 
 それで清田さんの本をみていると、私がその昔「現代短歌・雁」に書いた文章が引かれていた。それは伊藤一彦の『空の炎―時代と定型』という本について触れた部分で、

「私もこの『空の炎』を読んだ際、筆者が抽出している中山明や早坂類の歌を論じた「自体精神と猫」には少なからず共鳴をいだいたことを覚えている。たしかに伊藤一彦には筆者のいうように「並々ならぬ青春の歌への浸透力」があり、その読みには「青春の時間へのありあまるほどの共感と痛みの感覚が存在する」のである。」     「凝視に賭ける」 
  ※引用にあたり文意の変わらない範囲で一部に手を加えた。

 とあった。このあと筆者は中山明の歌を論じていく。

叫ぶことすくなくなりし日々のためとほくにわたしを喚ぶ川がある
                    中山 明

たましひが青く澄むまで竿先にふるへる糸を矯めてゐにけり
    ※「矯」に「た」と振り仮名
 
これのよの無惨にかかはりゐるときもしかと天上の風を聴きをり

殉死者のごとくやさしくやはらかく未来は僕を待つてゐたのだ

 若者にしてはやさしすぎるような静かな歌い口である。くやしさすらもたぬようなあきらめ、けれど、これは逆説的に作者の強がりでもあり、静かなニヒリズムのせいであるのかもしれない。「天上大風」という有名な書がある。江戸後期の歌人で書家でもあった良寛の書である。天上、大風と二行に分けて書いてあり、飄々とした文字は無邪気でやさしく、どことなく憂愁をおびている。凧にするために書いたものだといわれているが天上の風の音が寂しくきこえてきそうな感じだ。文政年間、良寛のくらす越後では大へんな大風が吹いた。良寛の大風の歌も残されている。「しかと天上の風を聴きをり」、良寛についての連作の中の歌であり、良寛により心救われているようにも感じられる。(略) 
 

日常といふ窓ぎはをよぎりたる猫の幾匹をおもひゐたりき

くらやみの猫のごとくにしなやかに寄り添ふものをかなしみにけり

新しき職場にもある人脈の苦きえにしをかさねてゆかな

 〈日常〉への視線の向け方に期待感があり、歌と日常を一体にしてしかも抒情の質を保つ静かな語り口だ。 
                   「凝視に賭ける」

 この七首の抄出にあらわれている清田由井子の感覚は冴えわたっていると感じた。良寛について触れた文章も、よく知っていることでありながら、あらためて筆者の文章にこう書かれると味わいがある。文章が生きているのである。

このあとに続けて清田は志垣澄幸の歌集『水撃』の歌に触れてゆく。

熱きもの見てゐたりけり葦むらより出でし一羽が水撃ちて翔ぶ

 この一首から『水撃』のタイトルをつけているが、水鳥が翔びたつ前に羽ばたきをしながら水面を走る意味からきているのだという。そういう豊かな自然の中に生死の重さや、やさしさを静かに見つめている。(略)

ふたたびを生れて見ることあらざらむ森にひかりの遠くより及ぶ
                      志垣澄幸
やうやくに神の手およびきし齢野をめぐり樹々の凋落に遭ふ

日のいまだとどかぬ庭に寒椿身じろぎもせず花首落とす

海神がまた人を呑む昏さかな青きはまりて暗黒の潮

 力量をおしかくすように自らを沈めて歌いだす謙虚さは何にも増して作者の存在を主張する自愛の歌であり力量の歌である。(略)

足元をたしかむるごと踏みしめて歩みぬ峡の闇ふかし
志垣澄幸
積まれたる空瓶の山天地のなべての光まつはりて耀る
       ※゜天地」に「あめつち」と振り仮名。
風邪病みて休める汝の椅子の面に座骨のくぼみ二つ残れり

 身近にある現象をまるで天からの賜物のように受けとめてそれにそぞくやさしく充実した視点が何ともすばらしいのだ。発想の新奇でも大言壮語でもない。今という貴重な時間、そして作者の周囲の存在、そういう様々な現象を細やかに掬い上げてゆく。」 
                    「凝視に賭ける」
 短歌型式そのものが思想を醸し出すとしたら、短歌の思想というものは、ここで清田が言うようなものであるだろう。清田の言う「志」とは、そのように事物と人間、自他に向き合うなかで日々試されながら形成されてゆくもののことなのである。

前田透『短歌と表現』

2017年02月24日 | 現代短歌 文学 文化
 前田透に『短歌と表現』という文集があって、そのなかに「現代短歌鑑賞」という評論がある。1978年当時の短歌誌に掲載された作品を素材として、当時の代表的な歌人九人について六百字程度で論評したものである。とりあげられているのは近藤芳美、山田あき、宮柊二、加藤克巳、山本友一、葛原妙子、森岡貞香、上田三四二、佐佐木幸綱の九人で、みごとに一人一人の作者の作品の特徴を捉えた批評の言葉には、讃嘆の思いを抱く。

 森岡貞香についての文章から引いてみよう。

「雁行しつつ鳴きしかなよわき雷のとほく雲の中をとほりゆく  森岡貞香

 作者の歌について、危うさの魅力というような評が聞かれるが、危うさとは何だろう。自己の確固たる言語秩序を固守して譲らぬこと作者のごときは稀れである。韻律主義の立場からはこの歌のような、また

 茶房の日覆ひあがりて日は顔を打つ さみしきは何とか言はむ
                    (「短歌現代」7)

のようなものは、たしかに短歌韻律が自壊する瞬間に賭けたものである、と見られようが、作者の内部を進行する律はとどめようがなく、それが短歌語のタクトに従わぬとしても、作者としてはどうすることもできぬであろう。そういう、いわば極限状況で歌っているのが森岡貞香である。

掲出の歌は鮮明でまぎれがない。この瞬間にこそ作者の魂が映像し、この瞬間をおいてはない、というタイミングを捉えている。そういった方法を確立した作歌者として、はっきりした軌跡をえがいているのがこの作者であると思う。「よわき雷のとほく」は「雁行しつつ」とタブって一首に奥行を与え「雲の中とほりゆく」は雷と雁とに重なりあって美しい哀感をかもしている。」
                     (前田 透) ※読みやすいように改行した。

 こういうものをみると、すぐに何でも書いてしまえるインターネットの環境が、決して文章修行や批評の質の向上にとって良いものであるとは限らないということがわかる。移り変わりの激しい、忙しい時代であるからこそ、いま自分の目の前に居る人達の、その前の代の人たちへの敬意を取り戻して、虚心に書かれたものを読むことが大切だと私は思う。

『桂園一枝講義』口訳 36~38

2017年02月19日 | 桂園一枝講義口訳
36~38

36 前のおほいまうち君東山の花御覧しける序我岡崎に立入らせたまひし又の日のつどひに「山家春」といふことをよめる

山里ははるそうれしきもゝしきの大みやびともおとづれにけり

八六 山ざとは春ぞうれしき百式の大宮人も音づれにけり 

◇前の大臣が東山の花を御覧になったついでに我が岡崎の家にお立ち入りになった又の日の集いに「山家春」ということを詠んだ(歌)

□徳大寺實祖(ルビ、さき)公なり。「東山の花御覧じ云々」用捨して書きたり。実は殊更に岡崎へ渡らせたまひしなり。又の日でなく直に其日ではいかゝ(ゞ)と筆者いへり。しかし又の日がよきなり。その日にすれば大宮人に御覧に入るゝ歌になるなり。それではあまり山家の人にしてはなめなめしき也。かへつて無礼になるなり。翌日いふ故にうれしく、ありがたく聞ゆるなり。
「我やどの桃の一木に山人の真袖ふれたるけふや何の日」などゝ其日歌よみて奉りし事もありし。其外いろいろありし也。
「百しき」大宮人の枕詞なり。「宮」の枕なり。百の石の敷きつみて立てたる宮也。こゝの百式の出づるは、うれしき百しきと云也。「もゝしぎ」と濁らぬこと知るべし。此歌きのふのなつかしき様子あるべし。

○徳大寺實祖公である。「東山の花を御覧じ云々」というのは手加減して書いたのである。実はわざわざ岡崎へご訪問なさったのである。又の日ではなく直ちにその日ではどうかと筆者が言った。しかし、又の日がいいのである。その日にすれば大宮人に御覧に入れる歌になるのだ。それではあまり山家の人にしては失礼で、かえって無礼になるのである。翌日に言うからうれしくありがたく聞こえるのである。
「我やどの桃の一木に山人の真袖ふれたるけふや何の日」などと其日に歌を詠んで差し上げた事もあった。そのほかにもいろいろあったことだ。
「百しき」は、大宮人の枕詞だ。宮の枕だ。百の石を敷き積んで立てた宮だ。ここのところで「百式」という語が出たのはうれしい百しきと言うのである。「もゝしぎ」と濁らないことを知っておくとよい。此の歌には、昨日のなつかしい様子あるだろう。

37 ことしもやまた中空にあくがれんさけりと見ゆる山ざくらかな

八七 ことしもやまた中空にあくがれむさけりとみゆる山桜かな 文政七年  

□「花始開」の題なりしなり。一番に目につくより出しかけたり。
清水の角の桜などなり。京都さきがけの花なり。
「又中空にあくがれん」、花に身をなぐる也。「あくがるゝ」は心こゝにあらざるの詞なり。「花よいかに春日うらゝに世はなけ〈「り」の誤植〉て霞の内に鳥のこゑこゑ」「風雅集」にあり。なぐり歌なれどもうらうらとしたる気色、今も此様子なり。

○「花始開」(花はじめて開く)という題であったのだ。一番に目につくことから(この題を)出して当座の題とした。
清水の角の桜などである。京都で最初に咲く花だ。
「又中空にあくかれん」というのは、花に身を投げるのである。「あくがるゝ」は心ここにあらざるという詞である。「花よいかに春日うらゝに世はなりて霞の内に鳥のこゑごゑ」という歌が、「風雅集」にある。(身を)投げた(つまり作者がわが身を放り出したような)歌であるけれども、うらうらとした気色は、今もこの歌と同じ様子である。

※「なぐり歌なれども」は、「投ぐ」の連体形「投ぐる」を「投ぐり」と言ったものか。

※中空は景樹の好きな言葉であったらしく、「中空日記」という刊本もあるぐらいであるが、そういう嗜好なり審美的な感覚というものは、「新古今」や「源氏」への親炙によって培われたものである。

※調べの整った佳吟。「風雅集」というのは景樹の思い違いで、『玉葉集』伏見院の歌(629)「花よいかに春ひうららに世はなりて山のかすみに鳥のこゑごゑ」である。景樹の歌の新味には、相当に「風雅」「玉葉」あたりから来た要素があっただろうということが、こういう言葉からも伺われる。このことは間接的にだが、川田順が戦時中の著書で指摘している。

38 大空のよそにおもひし白くもにこのごろまがふ山ざくらかな

八八 大空のよそに思ひししら雲にこのごろまがふ山ざくらかな 文化四年

□「大空」は「よそ」の詞、枕につかひ馴れたる也。「よそ」といふ詞、今も云詞に同じ物を、へだてたるあちらづらに当ること也。
よそ物をへだつる事、そは外の意なり。大空は遠方にあるもの故に丁度枕詞にする也。又「白雲のよそ」ともつかへり。よそに思うた白雲に、と也。此頃「花が似たり」といふなり。
さて桜は甚親しきものなり。春といへば花をまつ位のもの也。然るによそにおもひし白雲に此頃まがふとはうとうとしく思うた、雲に親き物がまがふといふは聞えぬやうなれども、是趣也。疎きにまがふ程のさくら故雲までが花ゆゑ親くなる意なり。

○「大空」は「よそ」の枕詞として使い馴れているものである。「よそ」という詞は、今も言う詞に、同じ物を隔てた「あちらづら」(向こう側)に当たることを指す。
よそ物を隔てるという事は、それは「外」の意味である。大空は遠方にあるものだから、丁度枕詞にするのだ。又「白雲のよそ」とも使っている。よそに思った白雲に、という意味である。近い時代になって来ると、「花が(雲に)似たり」と言うのだ。
さて桜はたいへん親しいものである。春と言えば花を待つぐらいのものである。それなのによそに思っていた白雲にこの頃まぎれて見えるとは、うっとうしく思った雲に親しく(感ずるもの)が、まぎらわしいと言うのは、腑に落ちないことのようだけれども、これは趣(おもむき、趣向)というものだ。疎く感ずるものにまごう程のさくらだから、雲までが花のおかげで親しくなるという意味である。

※これも類歌の洪水に埋もれてしまいそうな歌だが、講義を読むと妙に納得させられるところが、さすがである。地方の名望家などは、こういう歌や解説やらで十分満足できたのではないかと思う。

 


小文集 1

2017年02月18日 | 現代短歌 文学 文化
一太郎ファイルの復刻。このうちの何本かは『解読現代短歌』に収録したが、「ギンスター通信」とともにオウム事件について言及した文章が時代を感じさせる。


   されど日常     
  
 近刊のいくつかの歌集を素材として、思いつくままに書いて見ようと思う。

   十日分の食品トレイを落とし込み獣の檻のごとく蓋をす
                          飯沼鮎子

 歌集『サンセットレッスン』から。近年は環境への配慮の意識が高まったこともあって、スーパーマーケットの入り口などに食品トレイの回収箱が設置されることが普通になってきた。何でもない日常生活の一齣であるが、「獣の檻のごとく蓋をす」と言うことによって作者が心のうちに抑えこんでいる何かが伝わる。「十日分の食品トレイ」とともに、私は日々に堆積してゆく澱んだ気分を捨て去る。でも、その行為には同時にうしろめたさのようなものがつきまとっている。平凡な日々の生活は、それが平凡であるということの罪深さをともなうものだ。人間が生きるというのは、どうしてもそういうことなのである。

   感情を逃れゆくこと味のない水をあなたと飲むということ

夫も子供もいて自分も塾の講師として働いている。そういう生活の中で、自分自身の「感情を逃れゆくこと」が必要になるような局面がある。決してお互いに言ってはならないし、考えていることが悟られてもならないような思い。「味のない水」は生活だ。それは守られなければならない。でも、

   精神の罅とあなたは言うけれど或る日真水が沁みだしてくる

この「真水」は偽らざる本当の気持、というようなものでもあるし、本然の自由への願いと言ってもいいものである。

   スイッチをだれかがオフにしたようにふいにたばこが光うしなう
                                北村望

 歌集『ブルーグラデーション』から。ここには、ほとんど作者自身の感想がのべられていない。けれども、「スイッチをだれかがオフにしたように」という散文的で平凡な直喩が、思いのほかに効いている。一首は、唐突に減衰してゆく火への注視を通して、生気を失った日常の空しい感覚を何程かはつかみ出しているのだ。

   一ミリにも満たぬ瞳がきらきらと水の中からわれを見つめる

 地味な歌だが、かすかな内面の充実感のようなものと、一人だけでいることの閉塞された感じが同時に伝わって来る。

   羊歯のように生きてゆかねばならぬことに気づくのが少し遅すぎたようだ

 全体に淡い印象の作品が多いが、日々壁のようなものにぶつかりながら真摯に生きる姿は、一冊の歌集を通して十分に伝わってくる。

   キャリアとは無理難題を投げぬことおしくらまんじゅう押されて泣くな   
                          藤井靖子
   発言をするたび「鉄の女」とあだ名をくれる男等がいる
   「ええやろ」で閉じられそうな会議ゆえ序列を乱し発言をせり

 歌集『曇り日のランナー』から。歯切れがいいことばづかいで、新米の医師が職業人として成長し自立してゆく過程がうたわれている。男性主導の気風を色濃く残している男たちに、作者は真っ向から立ち向かっている。一首めの「おしくらまんじゅう押されて泣くな」には、仕事にかける意地のようなものがこめられている。二首めは、会議で女性が堂々と発言することを冷やかす男たちの姿を描き、三首めは事なかれ主義への抵抗を示すものだ。意見に男と女の区別などあるものか。 短歌は、日々の界面に打ち込む杭である。
                     (「白夜」)

新しさと昔のモデル

  静かなるメーデーの日よ故里の樹木は沁むるごとく緑す
 雪冠ややきらめきてマグノリアのすべてのつぼみ天に向きおり

これは星河安友子歌集『青葦のパレット』(一九七七年刊)に収められている作品である。時を越えて読み手のこころをゆさぶる、詩の魂のようなものがここにはある。一首め、一九五〇年代の匂いがする、どこかなつかしい作品。二首めの初出は『未来』一九五八年五月号。清潔な抒情は、類を見ない。花芽が暗示するものは生硬でストイックな青春の姿でありながら、全体のイメージは華麗でおしゃれだ。一冊しかないという歌集を著者に借りて送ってもらった時に、添えられた手紙の中に次のような文面があった。

「今、若い皆様が、実験作品を発表されています。どれもオリジナルだと御自分は思っていらっしやると思います。すべてとは申しませんが、私はそこに昔のモデルを見るのです。歌人には歌人のことばの好みがあり、かつて私が選んだ言葉、それが長い時を経て又使われています。もちろん、その間に高齢化・高学歴化により現在の作品は熟し洗練されています。が、私には新しいと感じるより懐かしく思われ『私作ったことがあったわ…』と言に出てしまうわけです。」

星河さんには、このことばを発する資格があると私は思うし、それは『青葦のパレット』一巻を見ればわかることである。今日の新人が、少し長い時間の流れの中に置いて見た時に、前の世代と同じことをやっているだけだという批評は、なかなか辛口で痛快ではないか。後からやって来た作者たちは、先行世代の作品をもっと虚心に読まなくてはならない、と思う。また、にもかかわらず、新しさはさらにいっそう求め続けられなければならないとも思う。
しかしそのためには、かつての名歌集の復刻や再発掘がもっともっと必要であると私は思うものだ。                 (「短歌往来」一九九四年八月号)

道浦母都子歌集『夕駅』紹介

 集中には一部で議論になった〈世界より私が大事〉の歌も収められている。九〇年代は著者にとってどういうものだったのか。「朝日新聞」の書評欄、NHKのテレビ番組への出演など公的な活動が増す一方で、作者の「孤心」は深まりを見せて行っているように思われる。吐息のようにもらされた歌の数々は、限りないいつくしみに満ちて、記憶の中の刺を包み込もうとするかのようだ。然り。これは真正の「をんなうた」にちがいない。
しじゆう
   投げ出してしまえばよきに四十代疲れ世代の人恋いごころ
              ※「四十」に「しじゆう」と振り仮名。

   この国に死刑あること私刑裁くために死刑に処すということ
   うたは慰謝 うたは解放 うたは願望 寂しこの世にうたよむことも
              ※「願望」に「ゆめ」と振り仮名。

   生と死の汽水のごとし雨の後の無風時間の河口に立てば  
煙り雨しずかに森を潤せる夕べとなりて一人が沁みる
  (「未来」)




    「武器の歌」一首

   謀略にむかうこころをとどめえぬゆうベ釘箱に華やぐ釘ら  
                     伊藤一彦 歌集『瞑鳥記』より。

  人のこころの中には、自分でもどうしようもない暗がりがある。それをこの歌では「謀略にむかうこころ」と言ってみた。何があったかはわからない。騒ぎたつ思い、めちゃめちゃに走り出そうとする不毛な思考に苦しめられた経験は、誰にでもあるだろう。

 東京の地下鉄サリン事件や、四月十九日に横浜駅で起きた異臭さわぎにおののきながら、何冊か歌集をひっくり返して見ているうちにこの歌が目にとまった。こじつけのようだが、謀略もまた、現代の武器の一つではないか。

 さらに、釘は、生産と堅実な構築の道具であるとともに、誤ればぐさぐさと敵なるものの背中に刺さりかねない狂暴な情動そのものの喩である。しかし一歩踏みとどまってみれば、あからひく日に染まりながら木箱の中で静かな重みをたたえている釘は、内なる焦慮を浮き上がらせないための重しともなるのだ。物は、固い質実をさらしながら、激しく何かを拒み耐えている作者の姿をうつしだす。それは著名な.一首、

   男ありゆうベのやみのふかみにて怒れるごとく青竹洗う

の「竹」にしても同様である。ある時期、成就してはならない殺意の一点に向かってせりあがりつつ緊張を持続している精神というものはたしかに在った。伊藤一彦の作品によってもそれを知ることができる。                                 (「未来」一九九五年八月号)


松田みさ子著『青あらし』を読んで 戦後的な経験の原点から

 本書は三部構成で、Ⅰ章とⅡ章に自伝的な文章を、Ⅲ章に旅行記や出会った人々の思い出などの各種の随想を収めている。中でも、Ⅰ・Ⅱ章のおもしろさは格別であり、テンポがよくて歯切れのいい語り口に、知らず知らずのうちに引き込まれて、一気に読み進んでしまう。

 初恋の人の結核による病死から始まって、その生い立ちと郷里美川村からの出立、戦後四年目の全造船玉野分会での解放感あふれるいきいきとした賃金闘争、夫の解雇処分による転職とその後の離婚、女手ひとつでの子育て、東京に移住して順天堂大学病院に就職し、そこで労組副委員長になったこと、戦後の看護婦の人間回復の闘いとも言うべき病院闘争にかかわったための馘首処分、その処分撤回を求めての十五年に及ぶ裁判闘争、闘争による組合の借金を完済するまでの行商の日々、裁判にまつわるエピソードの数々、とこう書き出してみるだけでも、実にドラマチックな経歴の持ち主であり、その疾風怒濤の人生絵巻に、ただただ目を見張るばかりである。誇らずおごらず、あくまでも謙虚でありながら、強い生活意志をもって困難な闘いの日々を十全に生き抜いた、地味だけれども晴れやかな人生の軌跡がここにはある。 

 序文において筆者は、大学病院ストとその後の裁判闘争に触れて、「造船所での時と同じように、思想がどうというより、なにかこの社会の、もやもやしたもの、不正義、人をねじまげるものに立ち向かう年月であった。」とのべているが、著者の一本筋が通った生き方は、この一行に集約されていると言えるだろう。「はじめてのストライキ」の章のおしまいの方にも、次のような言葉が見える。

 「共に闘った多くの人々が失ったものは何だったか、得たものは何だったか。私自身について言 うならば、失ったものは生活手段であり、糧である。得たものは計りしれないくらい大きかった。 一口でいうなら、生きるとはどういうことか、ということであった。ようやく人間になった気が したことである。」

 何という感動的な、心を打つ言葉だろう。これは、戦後の「自由」と「人間解放」にかかわる貴重な歴史的証言と言えるのではないだろうか。

 さて、Ⅰ・Ⅱ章を今あらためて読み返しながら気がつくことは、各小節の枕に必ず一首の歌が掲げられていることである。短歌には、散文とは別の語気がこもっており、たとえば、

   うち深く溜める泪を鞭として檄を書きつぐ指萎ゆるまで

という、「病院スト」の章の冒頭に見える一九六〇年の一首など、「うち深く溜める泪を鞭として」という硬質で引き締まった修辞には、この当時の新しい短歌と共通した要素が感じられ、しかも、実際の労働争議の前線において、このような作品が生み出されていたということが私には興味深い。散文のざっくばらんな語り口だけではなく、よく選び出された一首一首の歌の気息に注意して読んでみると、著者のまっしぐらな生き方を支えたものが、ほかならぬ短歌だったのだということがよく了解できる。そして、師の渡辺順三をはじめとする「人民短歌」の人々との出会いが持つ格別な意義も、Ⅲ章以下を読むうちに見当がついてくる。付録の章におさめられた「プロレタリア歌人のこと」という短文には、小名木綱夫の絶詠、

   賃金のどれいならざる誇りもてはたらきしことわれは謝すべし

という極貧の中で屈しなかった人物の、誇りやかな一首が引かれている。こういう人間的な高潔さは、かつての庶民の多くが持ち伝えていた美徳であった。さらに、本書のあちこちに散見する、性にまつわるユーモラスで自然な語り口は、本書の内容を明るくしている。「奇才の人」の一文における、赤木健介老の朝床のエピソードなど、凡百の人であったらとても書けるものではないだろう。「蛇寺」の随筆にしても、その根底に流れているのは女人のエロスである。
 このよどんだような世紀末に、本書を通して、貧しかったけれども誇りやかだった戦後的な経験の原点をふりかえってみることは、意義あることにちがいない。
(「多摩歌人」?年?号)

   小高賢著『宮柊二とその時代』 核心を突いた作家論

 宮柊二という歌人には、わかりにくい部分がある。それは、師の北原白秋との関係の中で、ほかならぬ白秋に「君の歌は瘤の樹をさするやうだ」と最初に言われたものである。なぜ彼は白秋のもとを去り、さらに幹部候補生への任官をこばんだのか。何が戦後の宮柊二に「恥」の意識を起こさせたのか。なぜ、戦後になって「孤独」を思想にまで高めた歌人が、歌壇ジャーナリズムの上で活躍し、結社経営に情熱をそそぐようになったのか…。著者はこれらの大きな論点に一つずつぶつかって行く。わかりやすい言葉で、時代状況と作家の中の芯のような部分との対応を、的確に描き出して行く。

  歌集『群鶏』の章では、「悲歌」によって精神的な成人式を経てから、「群鶏」の一連で白秋から自立する姿を描出する。戦争への対処のしかたと『山西省』における文学的真実の構成をたどったのち、戦後の宮の『小紺珠』以降の三歌集については、「一兵士が戦後を生きていたのだ」というようにとらえてゆく。「孤独派宣言」の「一市民」は、シチズン(市民)と言うよりもソルジャー(軍人)というように理解した方がいいという解説は、納得させられるものがある。本当に宮に新しい時代が訪れたのは、『多く夜の歌』の新聞の選歌を引き受けた時期であったと概観する。

 本書において著者は、率直で自己客観視をともなった語り口によって、強い説得力のある文体を生み出した。
     (「短歌新聞」)

ギンスター通信

2017年02月18日 | 現代短歌 文学 文化
一太郎ファイルの復刻。以前、田中槐さんが中心になって出していた「青の会」会報というコピー雑誌があった。それに連載したコラムである。一度ここに全文をのせた。そののち一度引っ込めて、一部字句を直した(2017.4.27)。論旨や内容に大きな変更は加えていない。そののちもう一度引っ込めて、また出すことにした。(2018.3.10)

ギンスター通信


 「もしも、海の中のイソギンチャクが思考するとしたら…。」「どんなに彼は豊かな瞑想をすることだろう。」(ヴァレリー)

 瞑想というのは。そういうとてつもない時間の流れの中にあるものであり。われわれはそうした異次元の境位を仮構しないと、生きられない動物であるのだが。もう一度、さらにまた再び、よく見回して、聞くことを心がけよう。すっかりセメントとアスファルトで固められてしまった川の土手に立ち、自らの身の内に吹き出した毒の気配を、感じ取ろうではないか。本来、「経済活動」には、何の意味もないのだと、感じられる瞬間が、ある。「教育」もそう。無益の花だよ。

 「もしも、海の中のイソギンチャクが神だったら。」「彼はあらゆることを実現し、また実現しないだろう。」
 少なくとも奇跡を行ったりはしないだろうさ。(そう。)妻が哺乳瓶の形を模した糊を買ってきたので、すっかりぼくは不愉快になってしまった。(あってはならない混同だ。)そこに一線が引かれている、そういうところでは、注意深くならなくてはならない。

(四行を削除した)

(注)「ギンスター」は、ドイツ語でエニシダの意。クラカウアーの初期の小説の名でもある。以下は「未来」若手の「青の会」会報に連載した短文。)
                (「zo・zo・rhizome」一九九五年七月号 )


 NHK取材班の「太平洋戦争日本の敗因」が角川文庫になって出始めた。その1「日米開戦勝算なし」の表紙は、手旗を打つ水兵の後ろ姿だ。

近藤芳美の

  果てしなき彼方に向ひて手旗うつ万葉集をうち止まぬかも
  
という著名な一首を思い起こす。

 私の父は少年の海軍兵士だったが、手旗信号の練習でずいぶんいじめられたそうだ。無理な姿勢になった時に、「ハイ、そのままー」と訓練担当の意地悪な上官が指示を出す。
「体でおぼえさせる」ということらしいが、手のこんだ新兵イジメである。
「そのまま三十分」。
全身に玉の汗が流れ、手足はしびれて感覚がなくなる。身動きすれば「一打入魂」などと書かれた「精神棒」でお尻が真っ青になるまで殴られる。もしくはビンタ。「根性をたたき直してやる」ということらしい。

 フィリピンの軍政で、日本国が早くから民衆の支持を失った原因のひとつに、一般の兵隊が道行く人々にやたらと「ビンタ」を張ったことがあった。フィリピンはスペインの植民地だった関係で由緒ある教会が多く存在していたけれども、日本軍が教会を武器の保管場所としたために、米機の爆撃でほとんど破壊された。そう言えば『俘慮記』には印象的な教会の十字架の描写があった。

 フィリピンには「パション」という受難劇の伝統がある。「パション」は口誦の叙事詩で、ラテン語の読めない信者たちは、タガログ語で語られる「パション」によって初めて真にキリストの教えの何たるかを知り得た。神の前での人間の平等。兄弟としての信徒…。そこから近代のフィリピン革命が起ち上がったのだった。(その後ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』という映画を見たが、イエズス会の歴史には興味深い事実がたくさんある。)
(「zo・zo・rhizome」一九九五年八月号 )


 「しかし私は象を撃ちたくなかった。」(『象を撃つ』オーウェル評論集1.平凡社刊)

個人の善意というものがいかに信用ならないものか、ある状況の中で、個々の人間の判断と行為はどのように変化してゆくものなのか、個人の「意志」の正当性を測ることがどれほど難しいものなのかを、ジョージ・オーウェルの短編小説『象を撃つ』は、鮮やかに描き出している。私がどのように「個人」でありたいと願っても、私が為すことは植民地の支配者であるイギリス人の行為として、かの被支配地の住民たちには受け取られてしまうということ、そして、そのようにしか自分も振る舞えないのだということを痛切に思い知らされる、滑稽で残酷な話の帰結。

 ここには書くことによって縦横に自らの行為を炙り出す<複眼>というものがあり、そういった<複眼>によってしか見破る事のできない政治や国家体制の虚構というものがこの世には存在するのだということを、生涯を通じて実践的に暴露していったのがオーウェルのペンだった。

 『象を撃つ』のように、自分が裸の王様だった事実を認めるということは、真に公正な精神の持ち主でなければかなわないことだ。人間は弱い存在だ。時に身ぶるいしながら耐えなければならないような現実というものは、ある。そこに、事態の本質をしかと見すえた上でオーウェルのような深刻ぶらない軽快な語り口というものはあっていいのだ。
      (「zo・zo・rhizome」一九九五年九月号 )


 赤子というのは微妙なものだ。ちょっと体を冷やすとひゃっくりが出る。暑すぎると汗もが心配だ。おしめが濡れると、火がついたように泣き出す。この「火がついたように」というのは、まったくうまい言い回しだ。アア、という声が聞こえるたびに、びくっとしてベッドの所に飛んで行く。少し泣いたからといって、おしめが変えてあれば問題はない。それなのに大きな目を開けたままなかなか寝ようとしない。今日が十一日目。少し遊んでいるのかもしれない。こんなふうに声を出す度にすぐ抱き上げてあやしてやっているうちに、「抱きぐせがつく」わけか。ミルクを飲んでおなかがいっぱいになると眠ってしまう。ミルクはだいたい三時間おきに与える。眠りに落ちると、笑うような泣くような苦しいような、実に不思議な表情をする。「表情」以前、の不定形な状態にあるのだろう。これからしばらくは、「言語」以前の状態をたっぷり観察することができるにちがいない。

 言語というのは、ひとりひとりにとっての「パンドラの箱」だ。それなのに産まれて初めてひとが発語する瞬間の記録というのは、どうしてあんなにも感動的なのだろう。大江健三郎の小説『新しい人よ目覚めよ』を読んだのは十数年前のことだが、今から思えばあの小説のいちばん素敵な場面は、主人公の少年が重い障害による知の薄暗がりから一歩踏み出して、はじめてことばを口にする瞬間の描写だった。
(「zo・zo・rhizome」一九九五年十月号 )

 5
 知人から『正座』という句集をいただいた。少しめくってみると、なかなか面白い。作者の可知あきをは、序文によると、昭和六十年に脳梗塞にかかって以来、病臥することが多いらしい。でも、句はからっとしていて天与のユーモア、それから俳句という文芸が可能にする自由さにあふれていて、病気の暗さを感じさせない。思わず笑ってしまった句を引く。

  万歩計蝶も遠くへ行きたがる
  年寄が蝌蚪をいぢめてをりにけり
 老醜の一歩手前のちやんちやんこ

どれも老いの風景に取材しながら、痛烈である。「万歩計」をベルトにつけて、やたらと遠くまで歩くのを誇りにしたがるのは、健康を気づかう人々にありがちなことである。私の母が現にそうだ。蝌蚪と見るとやたらに嫌って塩だの石、火まで持ち出したりするのは、農業の経験のある年寄なら当然の反応かもしれないが、これはおそらく自分の盆栽を庭に並べて賞でているといった類の人物の、いじいじとした思い込みの激しい蝌蚪つぶしなのである。老醜のちゃんちゃんこを着るのは誰でもよいが、こう言った瞬間、あからさまになるのは自らの老醜である。

  仰臥位は天への正座翁の忌
  冬麗のぬすつと橋に鞄置き

ことんと胸のうちに落ちるようにわかる句がある。この二句、並んでいる。「鞄置き」に納得できるのがうれしい。 (「zo・zo・rhizome」一九九五年十一月号 )


 「青の会」のシンポジウムのあと二次会に出て思ったことは、「未来」には実に多くの若者がいて、短歌に取り組もうとしているということだった。ある結社には<若手の会>というのがあって、そこにも多くの二十代歌人が集っているのを知って、うらやましいことだと思っていたのだが、とんでもない、「未来」の方が層が厚い。これは大変なことだ。この若いひとたちのエネルギーがひとつに結びつけば、大きな文学運動ができる。「青の会」も「ぞ・ぞ・りぞーむ」も、揺るがせにならない潜勢力を持っていると言うべきだ。何が起きるのだろう。何も起こらないのかもしれない。どちらでもよい。可能性は大だ、ということである。

 今度の会では、裏方にまわってくれたカメラ担当のUさんのような人の存在を忘れることはできない。疲れてしまってもうやりたくないという人もいるかもしれない。でも、収穫は大きかった。お互いの顔を見ることができたのである。「わくわくリゾーム」は、二度目もやるべきだと思う。単なる勉強会かもしれない。でも、それでいい。
 ※以下、二行削除した。
                 (「zo・zo・rhizome」一九九六年一月号 )


 戦後詩人たちの「短歌嫌い」というのは、戦後ずっと誇らしげに語られ続けた神話のようなもので、短歌は戦後詩人たちからずっと差別され屈折したかたちで語られ続けて来た。のっけから、近代的な精神を持って生きようとする者にとって折口信夫の文章くらい耐え難いものはない、と嫌厭の情をあらわにしつつ『折口信夫論』を書き出す松浦寿輝もその例外ではないのだが、折口を論じながらいつしかジャック・デリダのアントナン・アルトー論まで引っ張り出して来るあたり、手に汗握らせるおもしろさである。おかげさまで、ぼくなどは折口を経由してはじめてデリダの読み方を教えてもらったような始末だ。大嘗祭の時に天皇のところに降りて来る神が男性なのか女性なのか、ずっとぼくは不審に思って来た。松浦によれば、それは明確に男神である。

「大嘗祭の『ミタマフリ』において天皇が神を迎える、ちょうどそれと同様に、日本語のエクリチュールにおいては、仮名が漢字を迎えるのだ、それによって言葉が『発生』するのだと言えはしまいか。」このアナロジーはおもしろすぎるし暴論のようでありながら、実に大きなことを指示している。詩を作る者にとっての真理、への言及なのである。

 ここでふと、『土地よ、痛みを負え』の文体の全体としての雄々しさの意味を考える。小泉千樫的なしなやかな短歌の文体に対して、『土地よ、痛みを負え』は松浦の文脈での「漢字」に当たるのではないか。短歌が<近代>を受肉した痛み、という読みの方向において。
(「zo・zo・rhizome」一九九六年二月号 )


 今日は地下鉄サリン事件の井上嘉浩被告の公判の一回めだ。井上被告は極刑を免れないだろうと思う。むごいことをやってしまったものだ。教祖麻原をみんなが死刑にしたがっているが、無理もない。ぼくとて許せないと思うし、憎悪も覚えるのだが、さて、彼を死刑にして気がすめばそれでいいのか。オウムの殺意を醸成したのは、バブル経済のようなものを引き起こした欲まみれの日本社会そのものである。人々は、彼を殺して鏡に映った醜い自分の顔を忘れようとしているのではないか。さらに、オウム事件の被告たちの死刑を言いたてる大声によって、死刑廃止論の小さな火がかき消されようとしている。

 同じ日の新聞は、HIV訴訟の和解を原告団が受け入れたことを報じている。この訴訟を通じて、印象的な若者たちが登場した。中でも原告の一人川田龍平さんの顔は忘れられない。あのパセティックでひたむきな表情には、胸がしめつけられる。

 二人の若者が、ずいぶんと異なった人生を歩んでいるものだと思う。ただ、ひとつだけ共通している点がある。それは、二人とも絶望に直面しているだろうことである。その上で、一方には希望があり、一方にはあまりそれがなさそうだということが、何となくわかる。希望がないということに、同情するひとは少ないと思うが、どうなのか。希望がない井上被告に近いということが、自分の中にはないのかどうか。
 省みて、自分が希望ということばをこのごろ使ったことがないのに気がつくのである。
(「zo・zo・rhizome」一九九六年四月号 )


 たとえば、一行めに、こう書くとする。

眠らない子供

このあとに、

眠らない子供
が眠らない子供の内側で
眠らない子供でない
  などということは たぶん ない

などと書くと、自由詩らしきものになる。ここで、

蓑虫や風といっしょに眠らない子供
眠らない子供がいて満開の桜

なんて感じにすると俳句らしきものになる。

めでたさや吾子の放屁に年新た

程度にくだくと、川柳めいて来る。有季定型だと、

眠らない子供いく人銀河冴ゆ

みたいなやや耽美的な世界にもなる。短歌となると、こう
は行かない。

 一夜さを眠らぬ吾子に背をむけて妻は嗚咽をこらへるごとし

こうして作ってみたものの、何だか古い。

眠らない子供のための王国でキャンディーを売るモンロー、ジャクリーン

とりあえず面白ければいいんだけれども、弄物喪志という言葉もある…。お茶を濁してごめんなさい。 (「zo・zo・rhizome」一九九六年五月号 )


      
   極私的歌枕       
     
 先日、半年かかってワープロで書きためた何十頁かの原稿を、保存のミスですべて消去してしまったのに気が付いた。ディスクの中をいろいろ探してみたけれども、途中の草稿も見当たらない。今日は四月一日で、花曇りの空はうす暗く、二歳半の一人娘がベランダの前の三坪ほどの庭で、犬の縫いぐるみを空に放り上げては、アハハハ、アハハハハハという愚かしい笑い声をたてているばかり。肝油ドロップを一粒口に含む。何十年も前から、同じ少年の顔が、この容れ物の缶には印刷してあったような気がする。手首の腱鞘炎対策で購入したものだ。

 家に入って来た娘が、石油ファンヒーターの蓋を耳障りな音をたてて持ち上げては放したりして気を引こうとしている。次に空の哺乳瓶を足元に転がし、相手にしないでいると、それをまた拾って、食べかけのまま置いてあったバナナを取りに向こうに行き、また戻って来てこちらを見ながらバナナをかじっているのを、さらに相手にしないでいると、部屋を出て行った。そうすると今度は、妻がやって来て、田園都市線を使って東京方面まで出るとしたら大手町にはどういう行き方がいいと思うか、と聞くから自分で調べたらどう、と突き放すように言うとこれも部屋を出て行く。

 手洗いモードにしてセーター類を洗っている洗濯機の、間を置いて動くモーターの規則的な音が響いている。子供は一日中何かをしゃべり続けている。ばい菌マン。新幹線。赤い靴。ミニーちゃん。おんも行こう。いちごケーキ。キティちゃん。インディーちゃん。わんちゃん。うんちした。あんぱんまん。お帽子かぶってる。ねんねしなさい。らっしゃい、いらっしゃい。痛い、たい。

 ぼくの歌枕は、この四畳半の書斎なのかもしれない。七本の本棚と三つの小机。千数百冊の本。子供に壊されたカセットデッキ。足元に散乱するゴミ。バスケットボール。座布団二枚。積み上げられたカセットテープ。他の本の土台と化した百科事典。段ボール箱。散らばった小銭。重ねられた手紙と資料とプリント。あちこちにわけて置かれている文房具。それらに時々子供がぶつかって突き崩すために雪崩が起きる。一冊の本を捜しているうちに時間がたち、あきらめて翌日にふっと目を上げるとそこの書架に横積みにされていたりする。からすが阿呆阿呆とさっきから鳴いている。消えたディスクの記憶のことをいつまでも残念がっていても仕方がないだろう。

 …思い出した。桜ヶ丘の境川べりから建設会社の広い工具置き場がある敷地の方に上がって行く畑道の途中に、一本の桜の木があって、ここをランニングのコースとして走ったためにたまたま目にした木なのだが、疲労困憊して小暗い坂を走りのぼり、視線を上に向けると白々とした花が青い空いっぱいに輝いて咲いているのを救いのように感じながら、残りの力をふりしぼって走り続けた時の至福の思いは忘れ難いものだった。これをぼくの四月の歌枕としておこう。

眩みつつ見上げし花はマラソンののち幾年も身内にそよぐ

(「zo・zo・rhizome」一九九?年?月号 )


丸山豊「愛についてのデッサン」注解

2017年02月16日 | 現代詩 戦後の詩
一太郎ファイルの復刻。「美志」四号に掲載、一九九三年四月のものである。

詩集『愛についてのデッサン』をてがかりとして

 九州では、丸山豊は知られた詩人だったようだが、ぼくの周辺では語られたことがないので、何か書いてみるのもいいのではないかと思って、こうして書き始める。テキストは、土曜美術社の「日本現代詩文庫」の巻二十二である。小節ごとに番号を付し、ひとつずつ読んでゆくことにする。

愛する
だから私は身じろぎしない
私は聞かない
私は見ない
私は強情な点になる
愛だけがとぼとぼ歩いてゆく
貧血した顔で

のっけから、この詩の中の「愛」(以下かぎかっこ省略)が通念としての愛とは全く異なったものであるらしいことがわかる。「貧血した顔で」「とぼとぼ歩いてゆく」愛って何だろう。それは、「強情な点」となった「私」の愛である。何か私の愛には、自己完結した硬さがあって、そのために、きっとひどく気ままでかたくななのである。わが子のためと言って自分の虚栄心から子供を塾にやる母親とか、国民のため、と言って実は自分の利権をあさるのに血眼になっている政治家とか、みんな自分が「強情な点」となっているくせに、「自分は〇〇を愛している」と公言してはばからない。世の中の先生と呼ばれる人種の大方が、こういう愛の持ち主ではないだろうか。そして、それは普通のひとがおち込み易い愛の擬制なのである。


おまえをだきしめる
私のことごとくと
おまえのことごとくとが
稲妻の夜のハサミをつくる
このハサミで切りすてるのだ
愛の尊厳を

どうして「愛の尊厳を」切り捨てなくてはならないのか。この不意打ちは何か。「おまえ」も「私」も、なぜか「愛の尊厳」に値しない存在であるかのようである。夫婦なのか恋人同士なのかは、知らない。二人して共に「だきしめ」あいながら、愛の尊厳を「ハサミで切りすてる」ような、そういう生き方しかしていない、と言うのだ。「私のことごとく」と「おまえのことごとく」、二人の全存在をあげて「愛の尊厳を」「切り捨て」ているのだ。何という、つらい苦い認識だろうか。しかもこういう愛は、実はよくありがちなものなのかもしれないのだ。


心が弱り
日がかたむくとき
愛もまたいやらしく笑う
梅干のように
さむざむと燃える愛の力を信じるな
愛をにくめ

ここまで読むと、2の読みは少し変調をきたす。「おまえ」と「私」は自己意識の運動の表現なのかもしれない。「いやらしく笑う」愛とは何か。私を安易に救ってしまう愛のことである。夕暮れの心弱りを救ってしまう、惰弱な、めそめそした、みみっちい食卓のお友達の梅干のようないじけた愛である。そんなものに救われてはならない。むしろ「にくめ」、と詩人は言う。


場の牛のように
愛がないた
いやな予感のする場所で
もっとも明快な方法で
あっけなく
愛は
その重さだけの肉になる
二月の光にちらちら燃えて
下水溝へながれてゆく血

詩人の要請は劇越である。われわれは、愛すれば、すぐにその見返りをもとめる。無償の愛なんていうことを言いたいのではない。ほとんど癖になっている心の習慣が、「その重さだけの肉」を求める。断末魔の愛は、「場の牛のよう」になくしかない。無制限で、無限定であるべき愛が、交換の対象となり、売り買いされるということが、われわれの身の周りには起こっている。寄附をもとめ、喜捨をもとめ、布施をもとめ、寄付金の額が愛の大きさを示すものとなったり、愛の真剣さのあかしだったりする、そういう愛を見聞きしたことはないか。介護労働時間を貯金しようというアイデアがあるらしい。笑えない寒々しさである。すばらしく合理的で、等価交換的で、何かが決定的に失われている。たぶんあまりにも「あっけなく」愛が「その重さだけの肉にな」っているからではないだろうか。もちろん、その着想を抱いたひとに罪は無く、ここに立ち至った社会の帰趨に問題があることは言うまでもない。


公園
裁判所
河岸の塵埃焼却場
愛はおだやかに通りすぎる
愛の身勝手だけが
下水道のように
くらくふかく町にのこる

公園にも、裁判所にも、河岸の塵埃焼却場にも、愛の出番はある。愛の名によってひとはひとを裁いているのだろうか。わからない。しかし、法の運用にも情状酌量というものがあるだろう。あれは愛ではないだろうか。公園の親子、恋人達。行政サービスという愛。それらもろもろの愛の景色も、詩人は容赦しない。ふわふわした愛を許さない。気分の、ひとをあざむく、ことばだけの、見せかけの、こころの弱さにだけに訴えかける愛が、一見あたたかい「おだやか」な外見の中にしみ込んでいて、日々われわれを欺き続けているのではないか。詩人は「愛の身勝手」を多くそこに見いだす。愛の名において、行使されている権力と、生活事象のもろもろの中に、つまり人間のすべての営みの中に、愛の虚偽が充満している。かくしてこの詩は、眠そうないんちきな愛への賦活剤となる。


石を摩擦して火をつくる
そんな具合に
やっとこさ愛をそだて
遅々とした成熟をまっている
この竪穴住居のまわりを
豹よ
みどりの目をしてうろつくがよい

「この竪穴住居」というのは、小さな「マイホーム」と考えてもよいであろう。そこで抱かれるごく平凡な安逸の夢というものの中に、詩人自身もいるのかもしれない。そういう自身を鞭打つように、詩人は「豹よ」という呼びかけをする。ダンテの『神曲』冒頭では、豹は肉欲のシンボルだった。別にそういう寓意を考えなくとも、「豹」が無限定な、愛への不支持者として、不安な中絶を暗示するものとして、さらには生の原型的な過酷な欲求を想起させるものとして、呼び出されているということに変わりはない。


燃えたり
溶けたりする
わがままになったり
やさしくなったりする
しかし
あれは愛ではない
あれは愛ではないのだから
私生児のように市場のむこうをあるけ
月夜のドブに沿ってあるけ

「燃えたり/溶けたり/わがままになったり/やさしくなったりする」愛は、どこにでも在るものではないか。われわれが通常経験している愛には、こういうところが無かっただろうか。あえて、詩人はそれに異を唱える。「しかし/あれは愛ではない」と。正道を、世の中の公の道を堂々と闊歩してもらっては困る、と。「私生児のように」という表現が差別的だ、なんて言ってみても仕方がない。ここでの私生児は毅然として「愛ではない」ものを拒否しているようなのだ。「月夜のドブに沿ってある」くものというと、犬か猫をすぐに思いつく。「燃えたり/溶けたり/わがままになったり」するものが愛じゃなかったら、いったいどういうものが愛だというのかと、混乱する人も多いであろう。詩人は、愛というあいまいな概念を追いつめているのである。読者も、ともに追いつめられ、かつ追いつめなくてはならない。詩を読むという経験は、そのような自由の試練なのだ。


愛はたちまち消えるが
その力はかたちをかえ
サナギのような囚人になる
やさしい愛をにくみ
愛の名をにくみ
やがて
砂の流れる法廷へ立つ
手錠のまま太陽を見すえる

「サナギのような囚人」となった愛というのは、人間の弱さが生むものだろう。愛してから手ひどく裏切られると、こうなるひとがいるという。「やさしい愛をにくみ」さらに「愛の名をにくみ」、こわばったこころとなって愛に敵対し、正反対のところへ走ってゆく。「砂の流れる法廷」とは、その虚無的なこころの闇の謂であろう。そうやって「愛の名をにく」んでしまったひとは、罪人のようなものなのであろう。「手錠のまま」、「太陽」つまり生命力の根源のようなものを、さびしい反抗者の視線をもって見上げるしかないのであろう。よく知られたカミュの小説を思い出す。


愛に
手ごたえがありそうな
ありがたい時刻には
からりと晴れた世界から
金色の縄が垂れてくる
そしてしずかにゆれながら
リンチの準備をととのえる
あらかじめヨダレをふいて
うやうやしく排尿をすます

「愛に/手ごたえがありそうな/ありがたい時刻」、こういうものに身の覚えがないひとはいないだろう。うまくいっているという満足感に、生きている喜びを得られる瞬間。その時私の存在は無条件に世界に肯定されているようにすら思われるのだ。すると唐突にも、鮮明な、メキシコの空のような明るい高みから、救いを暗示するような「金色の縄」があらわれる。詩人はここでも意地が悪い。報われたと思った時に、愛の成就の満足のうちに、何と「リンチの準備」がすでに始まってしまっているというのだ。これも、実は身に覚えのあることではないだろうか。そのように、愛は油断のならないものである。愛は自我の世界への安定にかかわるものであるがゆえに、常に背中にエゴイズムを張り付かせている。

10
しずかに
死の灰のふる島で
かたい咳をする
喬木にもたれる
独断をする
手紙をやぶる
ナマコをかじる
そして今日もまた
ダメおしをくりかえす
こんなに愛してる
愛してると

これは第五福竜丸の事件を思い出させる詩の文句である。さらにぼくはベトナム戦争のことを、思い出したのである。アメリカ合衆国のやったことのすべてが、「民主主義」への「愛」のためではなかったか。原爆とて、「民主主義」に対する愛のグロテスクな発露の産物だと、言えないことはないのである。現にアメリカ合衆国人の多くは、今でもそう言うではないか。原爆は、戦争を早期に終結させ、さらにこれ以上犠牲者が増えることをとどめることに役立った、と。「かたい咳をする」のは作者自身ともとれる。それが、次の行に進むに従って、追及の度合と論難の調子を強めてゆき、もっと他者一般、世界全体への弾劾に変わってゆくところが、この詩の一筋縄では行かない所である。「独断を」し「手紙をやぶる」というのは、実行家の姿のスケッチである。政治家の姿を思い浮かべるのが常識的な線だろう。

11
生まれた町の
砂と石との広場で
皈還兵は眠る
愛が
アリほどの重さで
片方のまぶたを這えば
まぶしそうにうす目をあけて
ウソみたいに遠い空をみるのだ

この詩集が出されたのは、一九六五年である。年譜によると、作者が五十歳の時。太平洋戦争では、ビルマの前線部隊で軍医として数々の辛酸をなめた人である(インパール作戦についての本に詩人の名前が出てくる)。そうすると、帰還兵は作者自身ととってみてもよいであろう。ここには、かろうじて生還した作者の感慨が盛り込まれているように思われる。「砂と石との広場」というのも、空襲によって焼け野原となった都市の姿を、異国の港町風に言い換えたことばとは考えられないだろうか。「愛が/アリほどの重さで/片方のまぶたを這」うような感覚というのは、おそらく、生還したことのむずがゆさ、羞らいの表現である。詩人は、生きているということのまぶしさに「うす目をあけて」「ウソみたいに遠い空をみ」たにちがいないのだ。ごろんと横になって……。 あの戦争を経験したあとで、こういう精神を強靭に立ち上げた詩人がいたということを、ぼくは忘れたくない。忘れないために、ぼくは書く。  
   ※丸山豊『月白の道』

『石本隆一評論集成』

2017年02月16日 | 現代短歌 文学 文化
〇『石本隆一評論集成』という大部の書物が、石本晴代さんの手によって刊行された。その前の『全歌集』とあわせて、一人の歌人の一生の仕事が目に見える二冊の本のかたちをとって、どんと後進の者たちに手渡されたのである。

 私はこの歌人には会ったことがないのだが、難解な事柄をわかりやすく書く努力を惜しまないでいて、同時に深く丁寧に掘り下げてゆくその語り口に好感を持った。その一方で、繊細鋭敏にして誇り高く、時には矯激と言ってもいいほどの激しさをもって、言葉に関する祀りごとを執り行い続けた神官の気配も併せ持った文章を書く人だと思う。文章のそこここに、何やら穏やかでない白刃がひらめくような神経の糸がびーんと張って、時に感性のほとばしるようなところは神がかりである。ものすごい迫力だ。好き嫌いをきっぱりと言っているから嘘が無く、読んでいておもしろい。自分のなかの少しだけこの人に似た部分をそそのかされる。

 と、ここまで書いてみて思い当たったのは、若い頃に石本隆一のところにいた何人かの中堅の歌人を私は現在知っているが、みんな少しずつそういうところがある。感性のほとばしる瞬間を論理の言葉に繋ぐことに賭ける、とでも言おうか。もしかしたら、知らず知らずのうちに石本隆一の影響を受けたのではないか。そういう意味では、石本隆一の独特な志向性は、後の歌人に受け継がれているのである。詩というものを神秘化して語らないためにも、また同時に詩の秘儀を殺さないためにも、この書物のことは語られなければならない。

 私は本を読むのが遅いので、まだ第一部の「前田夕暮」のところを拾い読みしただけだ。今後は第二部の「香川進」の文章、第三部の歌人論・作品論以下を時間をかけて読んでゆく楽しみがある。



蒼井杏歌集『瀬戸際レモン』 改稿

2017年02月11日 | 現代短歌
この人は身体性のようなものを言葉の底に置きながら歌の言葉を操れる人で、こういうのは天性のものだから、多少の失敗をしても本能的に軌道修正をして、何と言ったらいいのか、「歌」としか呼ぶほかはないものの場所に戻ってくることができる。

だから、この『瀬戸際レモン』の歌が私はどちらかというと苦手なのだけれども、それは私がこういう歌を読むには年を取ってしまったということもあるし、また、「未来」の今年の二月号が手元にあって、歌集に載っている歌よりも作者がいま作っている歌の方が私にはおもしろく感じられるので、むしろそっちの話をしたいせいもある。これは好みの問題だから、仕方がない。何首か引いてみることにしたい。

はしさきで高野豆腐をくぼませる すくわれなかったこれはたましい

ああこれは、いやなわたしだプルタブをしゅぱっと引けば手首にちって

このひとはもういないのだと思いつつあとがき読めば縦書きは、雨。

 こういう読み手を不意打ちして、攻めて来るような歌がある。一首目の「すくわれなかったこれはたましい」は倒置だけれども、四・三、三・四のぎくしゃくした感じをうまく利用しているところが巧みである。「すくわれなかった」と言ってみせて、高野豆腐ごとき〈ケ〉の素材に自らの「たましい」の問題を重ね合わせてみせる。
 
 それから二首目の「ああこれは、いやなわたしだ」が五・七調なのに注意したい。若手の歌にありがちな三句切れではない。そうして三句目の「プルタブを」で声を低くしておいて、四句目の「しゅぱっ」という擬音語を呼び込むあたり、短歌のリズムにうまく乗っていて心地よい。この歌も自意識の屈折具合とその自己対象化の手ぶりが堂に入っていて、痛快である。こういう言葉に肉があるということが本能的にわかっている人には、ずっと歌人でいてほしい。次の歌集が早く見たい作者である。