さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

奥田亡羊『男歌男』について

2017年04月30日 | 現代短歌
護岸ブロックにずどんと広き道は尽き無人の電話ボックス灯る 奥田亡羊

 私のイメージだと、椎名誠のようなアウトドア好きでやんちゃで、よく飲み食いし、多少マッチョな感じが漂うのが「男」を自称する人の通例なのだが、奥田氏の歌集に現れて来る人物は、そのどれにも該当しなさそうだ。妻や子供のことを衒いなく真っ直ぐに歌うのが「男歌」なのだとしても、それをあえて「男」にかぶせて「男歌男」に独り歩きさせるまでもないではないか?などと首をひねりながら読んできて、この歌に出会った。

 無骨でがらが大きい。あんまり細かいことは気にしない。護岸ブロックにずどんと広き道は尽きるのだ。夕暮れの電話ボックスは、無人なのだ。これでいい。ほかには何もない。孤独だ。妻子がいても、「男歌男」は絶対に孤独だ。歌集をみると、妻子とは三ヶ月に一度しか会えないらしい。もうひとつ引く。

    長歌 雲はあれども

煙突に 上りたるまま 降りて来ぬ 男ありけり 風船で
上りたるまま 降りて来ぬ 男ありけり 見上ぐれば 空
はあれども その空に 雲はあれども おじさんと 呼ば
れし男 みな逝きて 遙けくなりぬ 広きその空

 少しユーモラスでもの哀しい。茫洋とした空無へのあこがれだ。浪漫的な自己滅却へのあこがれだ。だから、「男歌男」は、少なからず浮世ばなれしているのだ。

黒き傘さして運河を下りゆく 娘よ、父は雨に降る雪

 この「雨に降る雪」って、何だろう。自己を主張しようとしても、すぐに周囲に溶かされてしまうような存在ということか。そうではなくて、あえて雨に自己を投企する雪、必敗の存在であることを引き受けようとする者だ、という意味だろう。

穴を掘る青空高く土を放る心を放る気持ちよくなる

無造作に書き殴りたる下書きのような時間を父として生く

 ここで「男歌男」というのは、あまり神経質にならないでこういう歌を「無造作に」作る男のことだろう、と私なりに答を出してみた。無造作に作って成功すれば、右の二首のように愛唱性のあるものになる。

男歌男が空を飛ぶわけは飴をくれたら説明しよう

きょう畳に突っ伏しているこの俺は蘇鉄かがやく切り口に過ぎぬ

 これは仕事にまつわる歌らしいのだが、現実の苦悩を作者は押し隠して直接に表現しようとしない。二首目の「蘇鉄かがやく切り口」には、するどい具象性と象徴性があるが、苦悩の表明はここどまりだ。己の苦しみを語ることに作者は寡黙である。

「あとがき」に、<「男歌」には、様々な意味があるが、つきつめれば信頼と肯定の歌なのだと思う。閉塞感の増す現代に、今なお「男歌」は可能なのか。>とある。少なくとも家族の存在する意味を作者は疑っていない。「父」であり、「子」であることの意味も信じている。子供と一緒にいられることは幸福だ。それ以外の場所では、「男歌男」はちょっと滑稽で、へんてこな存在なのだ。

植林のような仕事か映像は五十年後に意味あらばよし

器の水こぼさぬように歩みおり解雇のぞみしのち三日ほど

宇田川とかつて呼ばれし道の上に川風と会う 川よおやすみ


 


 

『桂園一枝講義』口訳 144-152

2017年04月30日 | 桂園一枝講義口訳
144 夏浦風
浦風はゆふべすゝ(ゞ)しくなりにけりあまの黒かみいまかほすらん
二〇五 うら風は夕(ゆふべ)涼しく成(なり)にけり海人(あま)の黒かみいまかほすらむ 享和二年

□うら風のある間は、あつかりし浦でありしが、夕べすゝしうなる也。
〇うら風のある間は、暑かった浦だが、夕方すずしくなるのである。

145 扇
草も木も知らぬ間のあきかぜはあふぎのかげにやどりてぞふく
二〇六 草も木もしらぬあひだの秋風はあふぎの陰にやどりてぞ吹(ふく) 文化四年 五句目 やどルナリケリを訂す

□別に意なし。やすらかなり。
〇別に(説くほどの特段の)意味はない。やすらかな歌である。

※歌の漢字と仮名の表記をみていていつも思うことだが、元の板本は文字を目でみて楽しむという目的も兼ねていたから、歌を意味だけで読んでいたわけではないのである。極端なことを言うと、仮名がきれいに書かれていて音読した時の調べがここちよければ、それはいい歌なのだ。景樹のテキストの漢字と仮名の表記の交代はざっくばらんなところがあって、助詞の変更には細かい神経を用いるけれども、表記に関しては弟子ともどもあまり神経質ではない。精力的で微細な注意力を持っており、粘着的なところもありながら、一方で、どこかのんきで鷹揚に構えたところがある。そんなふうな人柄を思うのである。

146 閨中扇
いまはとて打ちおく閨のあふぎかなぬるまや秋のこゝろなるらん
二〇七 いまはとて打おく閨のあふぎかなぬるまや秋のこゝろなるらん 文化四年 オキケル閨の ※結句、「桂園一枝 雪」(東塢塾文政十一年)でも「ん」

□「いまはとて打ちおく」、閨の中ではたはたとあをぎて、よほどすゝしくなりたる故に、「今は」とておく。おくとね入るなり。
〇「いまはとて打ちおく」というのは、閨の中で、はたはたと(扇を)あおいで、よほどすずしくなったので、「今は(もういい)」と言って(扇を)置く。置くと寝入るのである。

147 扇罷風生竹
ならしつる扇のかぜとおもはましおくれて竹のそよがざりせば
二〇八 ならしつるあふぎの風と思はましおくれて竹のそよがざりせば 文政三年

□「文集」にある。風生竹にた(ママ)る故に扇もやむ、といふ意にて持合なるべし。「ならしつる」手馴すなり。鳴すとはちかふなり。なるゝは幾度もすることなり。扇はいく度も手馴し、久しくつかふなり。「ならしつる」、扇をよほど使うた故にさしおく。然るにそよそよと風が当るなり。竹の風がおくれて出で来た故に竹風は竹風と知りて、すゝ(ゞ)しきなり。もちと早くふかば扇の風と思うてしまうであらうとなり。

〇「文集」にある。風生じて竹に(※「あ」脱字)たる故に扇もやむ、という意味で(風と扇が)持ち合い(五分五分)だろう。「ならしつる」は、手馴すのである。鳴らすのとはちがうのである。「馴るる」は幾度もすることだ。扇はいく度も手馴し、久しく使うのである。「ならしつる」は、扇をよほど使ったためにさし置く。それなのにそよそよと風が当るのだ。竹の風が、遅れて出て来たので、竹風は竹風と知って、すずしいのである。もうちょっと早くふいたら扇の風と思ってしまうだろうというのである。

※「白氏文集」「風生竹夜窓間臥」巻一九から「和漢朗詠集」に入り、「源氏物語」に引かれる。景樹は随所に「白氏文集」を踏まえたり引いたりして用いている。また「源氏物語」を踏まえた歌も作っている。「古今」注釈の大家だからそれは当然のことだが、「白氏文集」は往古も当代も歌詠みの必読文献だった。

※「竹の風が」講義の全体をみると、現代の主格の「が」が頻出している。終止の「~だ」「~た」も散見する。弥冨の仕事は厳密でまちがいは少ない。こんなに読みにくいものをよくぞ活字に起こしておいてくれたと思う。

148 避暑
うつせみの此の世ばかりのあつさだにのがれかねても嘆くころ哉
二〇九 うつせみのこの世ばかりのあつさだにのがれかねても嘆く比(ころ)かな 文化十二年

□暑きところをのがれて、凉処につくなり。畢竟は納凉なり。うつせみの仏者のうたなり。昔座禅をしきりにしたる時分よみたるうたなり。こん世の罪障を思ひやるといふことを下にふんでよむなり。此の世斗のあつさをなげく。それに付きても、と也。「うつせみの世」、うつゝしみの世といふ事也。現身なり。今なり。うつゝの身なり。天子をうつし神といふ類なり。

〇暑いところをのがれて、凉処につくのだ。つまるところは納凉である。うつせみの仏者の歌である。昔座禅をしきりにした時分に詠んだ歌だ。(むろん)今世の罪障を思いやるということを下に踏んで詠むのである。この世ばかりの暑さを嘆く。それに付けても(暑い)、というのである。「うつせみの世」は、うつつしみの世といふ事だ。現身だ。今だ。うつゝの身だ。天子をうつし神と言う類だ。

149 泉
こゝろしてくむべき物を山水のふたゝびすまずなりにけるかな
二一〇 こゝろしてくむべき物を山水のふたゝびすまず成にけるかな 享和二年

□貫之の山の井は、浅き故にあかぬとせられたるは、「万葉」に岩間をせばみ汲まれぬ
故にあかぬと也。それを貫之は「にごりてあかぬ」とつかはれたり。手柄なり。今はどつと濁りたる故、一向あとがくまれぬとなり。

〇貫之が(「拾遺集」の歌で)山の井は浅いために「あかぬ」(くむことができない)とせられたのは、「万葉」に岩間がせまいので汲むことができないとあるからである。それを貫之は「にごりてあかぬ」と使われたのである。手柄である。今はどっと濁ってしまったために、ぜんぜん後が汲むことができないというのである。

※詞書「しがの山ごえにて、いしゐのもとにてものいひける人のわかれけるをりによめる」、「むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな」貫之。「古今集」四〇四。「拾遺集」巻第十九、雑恋一二二八。

※「古今和歌六帖」二五七五に「人まろ」作として、「むすぶ手のいしまをせばみおく山のいはかき清水あかずもあるかな」があり、景樹はそちらで記憶していたのだろう。「古今和歌六帖」は景樹が若い頃に首っ引きで読んだ本にちがいないのだ。この歌は「新千載集」に「題しらず」として採録されている。 それにしても、古歌に言及すればするほど、掲出歌は劣ってみえる。多少実景めかした味はあるが。

※手元に届いたばかりの雑誌に次の歌をみつけた。

横雲の「実景」を見て確認し外廊下から家内に入る    小川佳世子

「未来」二〇一七年五月号 小川さんには拙著も送ってある。こういうかたちで「実景」などという歌になじまない言葉を取り入れて歌う才気に脱帽する。横雲の「実景」というのは、むろん作者のユーモアである。「横雲」という言葉を使って歌にしても「つくりもの」めいてしまうから、こう言ったのだ。

150 
山かげの浅茅が原のさゝ(ゞ)れ水わくとも見えずながれけるかな
二一一 やまかげの浅茅が原のさゞれ水わくとも見えずながれけるかな 文化九年

□「さゞれ水」、少しの水なり。さゝは、いさゝかのさゝなり。さゝは、小なり。ちいと流るゝが、さゞれ水なり。どことなくわく故に流れてある也。凉しき様子をいへり。

〇「さざれ水」は、少しの水だ。「ささ」は、「いささか」の「ささ」である。「ささ」は、小だ。ちいっと流れるのが、「さざれ水」である。どことなくわくから流れてあるのである。涼しい様子をいった。

151 泉為夏梄
夏くれは世の中せはくなりはてゝ清水のほかにすみところなし
二一二 なつくればよのなかせばくなりはてゝ清水(しみづ)の外(ほか)にすみ所なし 文化二年 初句 夏サれば

□清水の近所より外になきなり。すみ所清水の縁なり。
〇(これは)清水の近所以外ではない。「すみ(梄み・澄み)所」は清水の縁語である。

152 暁風如秋
水無月のあかつきおきにふきにけりまだ立ちあへぬ秋の初風
二一三 みな月のあかつきおきに吹(ふき)にけりまだ立(たち)あへぬ秋のはつかぜ 文政六年

□かやうの題は、手を出すと気色なくなるなり。只いひおろすのみなり。
暁おき、あかつき露などいふ。のゝ字を入れぬ、入るゝとの例になれり。さて朝おきは、歌にはいはぬもの也。「あへぬ」、向へゆくと、手前へもどるとの二つある也。こゝは向へ及ぼすなり。秋は実は立ぬがたつ也。又秋になりてから秋立あへぬといふは夏じややら、秋じややらといふことにいふ也。其時々による也。こゝの「立ちあへぬ」は、まだ立たぬ也。「ながれもあへぬ紅葉也けり」、これはしがらみにかかりてある故に流れぬ也。又「氷とけ流れもあへぬ」といへば流るゝなり。

〇このような題は、(無理に技巧に)手を出すと(かえって)趣が無くなるのである。ただ言いおろすだけにしておくのだ。
「暁おき」は、「あかつき露」などと言う。「の」の字を入れない場合と、入れる場合との例になっている。それで「朝おき」は、歌には言わないものだ。「あへぬ」は、向こうへ行くのと、手前へもどるのと二つある。ここでは向こうへ及ぼすのだ。秋は実際は立っていないものが立つのだ。又秋になってから秋が立たないと言うのは、(今は)夏じゃろうか、秋じゃろうか、という事柄に言うのである。その時々によるのである。ここの「立ちあへぬ」は、まだ立たないのだ。(古歌に)「ながれもあへぬ紅葉也けり」というのは、これは、しがらみにかかってあるから流れないのだ。又「氷とけ流れもあへぬ」と言えば流れるのだ。

※「しがの山ごえにてよめる 山河に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり」はるみちのつらき「古今集」三〇三。

 

『桂園一枝講義』口訳 138-143

2017年04月29日 | 桂園一枝講義口訳
138 蚊遣火
いをやすくねん為めこそはおくかびの烟に夜たゝ(ゞ)うちむせびつつ
一九九 いをやすくねむためこそはおく蚊火(かび)のけぶりに夜たゞ打むせびつゝ 享和元年

□「いをやすく」ねる、熟睡なり。いねる又ねるといふ。い(傍線)といふは、発語でもなきなり。いと云ふは、ねて性根のなくなりたるなり。いま云ふ寝入りといふ場なり。ねるとは横になりたるなり。いねるとは、性根なくうまいするなり。夢(ルビいめ)などねめとは云はれぬなり。本居宣長「古事記伝」六〇巻目に、いは体語、ねは用語といへり。とんとわからぬことなり。い、ねを、体、用に分つとは、いふに足らずと景樹書き置きたり。たれが云うたとも、かゝざれども本居の「古事伝(ママ)」をさしていうたるなり。「ねん為めこそは」、ためにこそといふ意なり。烟にねぬ、あやにくなることをよむなり。「夜たゝ(ゞ)」、ただは一筋の事故にすつと夜通しなり。ねんためにこそとあれば、面白からず。凡調なり。ねんためこそは、とする故に、うたになりたるなり。よつてこゝに入れたり。

○「寝(い)をやすく寝」る、というのは熟睡である。「いねる」は、又「ねる」とも言う。「い」というのは、〈発語〉でもないものだ。「い」というのは、寝て正体がなくなっているのである。今で言う寝入りという場面である。「ねる」というのは、横になっているのである。「いねる」とは、正体なく「うまい」することである。「夢(ルビいめ)」などは、「ねめ」とは言わないのである。本居宣長の「古事記伝」六〇巻目に、「い」は〈体語〉、「ね」は〈用語〉と言っている。(が、これは)とんとわからないことである。「い」「ね」を、体と用とに分かつというのは、言うに足りない(間違った説だ)と景樹は書いて置いた。誰かが(同じことを)言ったとしても、書いていないとしても、本居の「古事伝」のことを指して言ったのである。「ねん為めこそ」は、「ためにこそ」という意味である。「烟にねぬ」というのは、思い通りにならなくてあいにくなことを詠むのである。「夜ただ」の「ただ」は一筋の事だから、ずっと夜通しである。「ねんためにこそ」とあれば、面白くない。(それでは説明的で)凡調である。「ねんためこそは」、とするから、歌になるのである。よってここに入れた。

※〈発語〉は、前野良沢らによって、便宜のために「助辞・助語・発語」というように並べて用いられたオランダ語の翻訳のための文法用語。(服部隆「江戸時代のオランダ語研究における「助語・助詞」)。

※例によって宣長説批判があるが、宣長の方面についてこの注では触れない。この段をはじめ、景樹の説く種々の文法説についてはそちらの専門家にお任せしたい。 

139 
おく山の室の妻木をたきたてゝ蚊遣せぬ夜もなきすまひかな
二〇〇 奥山のむろの妻木をたきたてゝかやりせぬよもなきすまひ哉 文化三年 五句目 なきがワビシサを訂す ※「むろ」の横に「杜松」を併記してある。

□むろ木をたくことは、京都がおもなり。前よりたくことか、近世か。何分むろをたくなり。古歌になきやうなれども、今まさしくたく故につかひ試みたるなり。「奥山のむろの妻木をたき立てゝ」といふにて古歌めきたるなり。むざとつかへば頓と面白からぬ也。新しき事をつかふことの心得なり。
むろを云ふに奥山には及ばぬなり。そこを歌にいふなり。山陰のむろでも岡べなるでもつかぬなり。足引の山桜戸のといふにて、御殿宮殿の桜の戸がよく見えるなり。つかひかたで、おもしろくなりたるなり。さて定家郷(卿の誤植か)は、桜戸は山里の戸とおもはれたり。此れは大なる誤りなり。妻木、木ぎれなり。つみとらるゝほどの木を妻木といふなり。たき立てゝは、きびしくたくなり。蚊遣せぬ夜もなき住ひは、岡崎の藪蔭など即ちこれ也。

○むろの木を(蚊遣として)焚くことは、京都がおもである。以前より焚いていたのか、近世になってからか。何分むろを焚くのだ。古歌にはないようだけれども、今まさしく焚くのだから使って試みたのだ。「奥山のむろの妻木をたき立てゝ」と言うので古歌めいたのである。(そうした丁寧な)配慮もなく使えば少しも面白くないのである。新しい事柄を使う時の心得である。
(普通は)「むろ」を言うのに「奥山」には及ばないのである。そこを歌に言うのだ。「山陰のむろ」でも、「岡べなる」でも付かないのである。「足引の山桜戸の」と言うことによって、御殿、宮殿の桜の戸がよく見えるのである。使い方で、おもしろくなったのである。ところで定家郷(卿の宛字か)は、「桜戸」は山里の戸と思っておられた。これは大きな誤りである。「妻木」は、木ぎれである。つみ取られるほどの木を妻木というのである。「焚き立てて」は、きびしく焚くのである。「蚊遣せぬ夜もなき住ひ」は、(この景樹が住む)岡崎の藪蔭などが、すなわちこれだ。

※「榁(むろ)」は、ねずの古名。

※定家と言っているが、「あしひきの山ざくらどをあけおきてわがまつ君をたれかとどむる」が、「万葉集」二六二四、「古今和歌六帖」一三七五にある。作歌当時は「古今和歌六帖」から知って用いたのだったろうと推察する。確証ではないが、この「講義」全体の内容から特に享和年中の万葉調作品には、「古今和歌六帖」を参照したことが多かったろうと私は推測するのである。藤原定家「拾遺愚草」より、「足びきの山さくら戸をまれに明けて花こそあるじたれを待つらん」二〇一六。「国歌大観」では「山さくら」が清音になっているがどうか。

※この歌、講義の「岡崎の藪蔭」という語にユーモアが漂う。市井の隠というところ。近代では谷崎潤一郎が、岡崎に暮らした景樹をなつかしんだ随筆をものしている。ちなみに谷崎の歌には旧派の調子があり、景樹をくさした狭量で党派的な新派系統の近代歌人とはちがって、景樹歌集にもおそらくは博文館刊本等で親しんでいたものと思われる。

140 
をとつひもきのふもふりし夕立はけふもふるらし雨づゝみせん
二〇一 をとつひも昨日も降しゆふ立はけふもふるべし雨づゝみせん 文化二年

□夕立三日といふなり。をととひ、ともいふなり。をと日、乙(傍線)。昨日のもひとつあとになりたるなり、を取りてしまひたる日なり。雨つゝみ、雨用意なり。つゝみは、用心することなり。すべてつゝみは、たしなみ、用心することなり。つゝみにしの字を入るゝ時は直にわかるなり。つゝしみなり。つゝとは、物につとゝと念を入るゝことなり。一つ一つしむなり。つゝしむとつゝむと同様ではなけれども、つゝより出づる、同家なり。「万葉」につゝみなくとあり。病のなきことなり。病は甚だつゝしむべきことなり。其つゝしみのなきは、やまひのなきなり。つゝみなくとも転ずるなり。つゝみを又つゝがなくとも云ふ也。つゝが、がわからぬ故に、つゝがといふ虫か云々など、うがつ説あるなり。

○(俗に)夕立三日と言うのである。おととい、とも言う。をと日、乙(※甲の次、の意)。昨日のもうひとつあとになったのである、(の「あとになった」というの)を取ってしまった日である。「雨づつみ」は、雨の用意である。「つつみ」は、用心することである。すべて「つつみ」は、たしなみ、用心することだ。「つつみ」に「し」の字を入れる時は直にわかる。「つゝしみ」である。「つつ」とは、物に「つと、つと」念を入れることである。一つ一つ「しむ」のである。「つゝしむ」と「つゝむ」と同様ではないけれども、「つゝ」より出るところは、同根である。「万葉」に「つゝみなく」とある。病のないことである。病は非常につゝしむべきことだ。そのつゝしみがないのは、病がないのである。「つゝみなく」とも転ずるのである。「つゝみ」を又「つゝがなく」とも言うのだ。「つゝが」がわからぬ故に、「つつが」という虫が云々などと、うがつ説があるのである。

※「けふもふるらし」の方が「けふもふるべし」より響きがやわらかい。「講義」で改めたのだろう。概して講義では語の響きが滑らかさを増す方に直している。

141 
夕立はあたごのみねにかゝりけり清滝川ぞいまにごるらん
二〇二 ゆふ立は愛宕の峯にかゝりけり清瀧川ぞいまにごるらむ 文政六年 四句目 清瀧河ハ

□元来夕立は、夕べに雲がたちて雨がふる故に、そこで夕立は「かゝる」といふなり。「清滝川にごる」に対して、おもしろし。さて、「愛宕の峰」と出すが妙なり。併し「愛宕」の字聲、余程出しにくきなり。前後の料理がむつかしきなり。愛宕でなければならぬ工夫をよく知るべし。「小倉の峰」でもおもしろからぬなり。寂蓮「高根をこゆる夕立の雨」と△(ママ)てあれども、同様にしてもらうてはならぬなり。

○元来夕立は、夕べに雲がたって雨がふるために、そこで夕立は「かかる」というのである。「清滝川にごる」に対して(いて)、おもしろい。さて、(ここで)「愛宕の峰」と出すのが絶妙なのだ。しかし、「愛宕」の字聲は、余程出しにくいものだ。前後の料理がむつかしいのである。愛宕でなければならない(という)工夫をよく知るべきである。(ここが)「小倉の峰」でもおもしろくない。
寂蓮(の歌に)「高根をこゆる夕立の雨」と△(ママ)あるけれども、(これが)同様の語の斡旋だと考えてもらっては困るのである。

※ この歌、簡明で調子が張っており、力強い。「高根をこゆる夕立の雨」は不明。記憶違いか。

142 夕立早過
あまりにも夕立ぐものはやければあめのあとだにのこらざりけり
二〇三 あまりにもゆふだつ雲の早ければ雨のあとだにのこらざりけり 文化十二年 四句目 雨のあとサヘ

□何の名残もなく早きなり。
〇何の名残もなく早いのである。

143 湊夕立
茜さす日はてりながら白すげのみなとにかゝるゆふだちの雨
◇茜(あかね)さす日はてりながら白菅(しらすげ)の湊にかゝるゆふだちのあめ 文化四年

□此歌など、真に何んでもなきなり。併しこの歌、よほどさはやぎたる歌なり。白菅の湊でなくても、よきなり。又、茜と白菅とがおもしろし、といふでもなきなり。何分夕立の景色妙にして、詞がおもしろきなり。たとへば「茜さす日」は、「てりながら」「足曳の山路」にかゝるでもよけれども、それでは何でもなきなり。

〇この歌など、真に何んでもないのである。しかし、この歌は、よほどさわやいでいる歌だ。(別に)白菅の湊でなくても、よいのである。又、茜と白菅と(の取り合わせ)がおもしろい、というのでもない。とにかく夕立の景色に妙味があって、詞がおもしろいのである。たとえば「茜さす日」は、「照りながら」「足曳の山路」(という語)にかかるのでもよいのだけれども、それでは(あまり)何でもなさすぎるのである。

※精緻流麗。これは堂上和歌の美学を存分に吸収した景樹の面目を示す歌で、良い。「雪玉集」あたりにも通う歌の風情とでも言おうか。

『桂園一枝講義』口訳 128-137

2017年04月24日 | 桂園一枝講義口訳
128 樹陰夏月
なかなかにならの若葉のひろければかへるひまより月ぞみえける
一七八 なかなかにならのわか葉の広ければかへるひまより月ぞ見えける 文化十年

□「中々に」、けつくに、もつけの幸、なまなかといふ事也。なまなか転じてなかなかになりたる方なるべきが、俗言が雅言に転ずることはなきやうなれども、なまなかといへ、よくわかるなり。其の「ま」が「か」になれば、即ちなかなかなり。
「広ければ」、広はにしげる上に広業の若葉が滋るなり。けつく、ひろさにとなり。なまなかと云ふて、少しも古人にかはらぬなり。「なま」は「なま」なり。なまわかき、なま公達など言ふて、「な」はなりながら、ばんじゃくの事なり。「なま」の「なか」なり。生熟とある生なり。然らば「なまなか」の所に「中々」とあるかといへば、さもあらざるなり。「なまなかにくはず」は、よかりし、「なまなかに行かず」はよけれ、といふかと思へば、左様にはつかはぬなり。ともすれば、風のよるにぞ青柳の糸は、なかなかみだれそめける。さて「中々」は、上よりしては、二、三句へだててつかふなり。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくなり。此れ、古人のつかひなれなり。風がよると、中々にみだれるとなり。御前が世話する故、けつく邪魔になるとなり。「中々」は、「よる」の方につくなり。「みだれ」の方にはつかぬなり。なまじいよる故にみだれたるとなり。「なまじいみだれる」とは、つづかず。此れ一寸はなれるときこえる也。

○「中々に」は、つまるところ、もっけの幸、「なまなか」という事だ。「なまなか」が転じて「なかなか」になった方であるべきだが、俗言が雅言に転ずることはないようだけれども、「なまなか」といえ(ば)、よくわかるのだ。その「ま」が「か」になると、つまり「なかなか」だ。
「広ければ」は、広葉にしげっている上に、(さらに)広葉(業は、誤植か。)の若葉が繁るのである。つまるところ、広さ(のゆえ)に、というのである。「なまなか」と言って、少しも古人に変わるところはない。「なま」は「なま」だ。なまわかき、なま公達などと言って、「な」は(そのままの)語義を保ちつつ、盤石の(安定した)語彙である。「なま」(という意味)の「なか」である。「生熟」とある「生」だ。では(逆に)、「なまなか」の所に「中々」とあるかというと、そうでもない。「なまなかにくはず」は、よいが、「なまなかに行かず」はいいかというと、そのようには使わない。ともすれば、風が吹き寄せることにも、「青柳の糸は、なかなかみだれそめける」(などと使っている)。さて「中々」は、上(の句)からかかる時は、二、三句へだてて使う。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくのである。これは、古人の慣用だ。風がよると、「中々」に乱れるというのである。お前さんがよけいなことをするから、つまりは邪魔になるよ、と言うのだ。「中々」は、「よる」の方に付くのだ。「みだれ」の方には付かない。なまじっか寄るせいで乱れたというのである。「なまじいみだれる」とは、つづかない。これはちょっと離れると(意味が)聞こえるのだ。

□今この「中々にならのわかば」のうたは、反て、けつく、といふ事にすれば、うちつけに聞えるなり。併し、「なまなか」が元来故、けつくでもなきなり。此の所よくよく吟味すべし。(富士谷)御杖、歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」。いそがしい中に、「なまなか」ひまがありて、となり。なまなか惜まれにけるとは、つかはぬなり。さて御杖は、「なまなか」のつかひかたは、しられたれども、置所が千年以前とはちがふなり。古人のは、二、三句へだてて仕ふなり。

○今この「中々にならのわかば」の歌は、かえって、つまるところ、という事にすると、唐突に聞える。しかし、「なまなか」(という意味)が元来の意味だから、つまるところでもないのだ。ここの所をよくよく吟味するといい。(富士谷)御杖の歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」(というのがある)。いそがしい中に、「なまなか」ひまがあって、というのである。「なまなか惜まれにける」とは、つかわないのだ。さて御杖は、「なまなか」の使い方は、知っておられたけれども、置き所が千年以前とはちがう。古人のは、二、三句へだてて使うのである。

□さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」なり。それ故ここに景樹の説あり。先づ松山になみこえ、さらば浜千鳥かへりて、あとはのこさざらまし。されば「かへりて」は「かへりて」にてすむなり。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違ひてつかひよきなり。「かへりて」の詞はしらべがなくなるなり。よほど考へねばつかはれぬなり。それ故「かへりて」といふ事に「中々」をつかふは知りてつかふなり。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかはりがなき故に幸に五六百年「中々」が「かへりて」の所になる故に知りて仕ふなり。景樹の疎漏ではなきなり。調をいとふの所為なり。後世にいたりて吟味の足らぬやうに云ふべけれど、さにはあらず。いづれ間違もの故、とてもの事に後世幸に狂乱と云たるに付きて落着したるなり。

〇さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」である。だからここに景樹の説がある。先づ松山になみこえ、そうしたら浜千鳥は帰って、あとは残さないだろう。だから「かへりて」は「かへりて」ですむのである。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違って使いやすい。「かへりて」の詞はしらべがなくなるのである。よほど考えないと使うことが出来ない。それだから「かへりて」という事に「中々」をつかうのは知っていてつかうのだ。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかわりがないために、幸に五、六百年「中々」が「かへりて」の所になるものだから、知って使うのである。景樹の疎漏ではないのである。調を大切に思っての所為である。後世にいたって吟味が足りないように言うかもしれないが、そうではない。どの道間違っているのだから、とてもの事に(ただしようがなくて)「後世幸に狂乱(ならん)」というところで落着としておくのである。

※「ともすれば風のよるにぞ青柳のいとはなかなかみだれそめける」「拾遺集」三二よみ人しらず。以後、「なかなかに風のほすにぞみだれける雨にぬれたる青柳のいと」(西行)など多数。

129 題知らず
大空に月はてりながら夏のよはゆくみちくらしものかげにして
一七九 題不知 大空に月はてりながら夏夜はゆくみちくらし物陰(ものかげ)にして

□実景なり。夏の夜道を行ふきりにたれも見る事なり。月は夏は白きなり。はきとするなり。夏咲く花は大方白きなり。それ故あきらかなり。
さて夏の夜は至て短し。日の横に行くが故なり。それゆゑ入りこむ月はことのほかよくさし入るなり。「ものかげにして」は、ものかげで、と云ふことにあたるなり。

〇実景である。夏の夜道を行ふきりに誰もが見る事である。月は夏は白いものだ。はっきりとするのである。夏咲く花は大方白いものだ。それだからあきらかなのだ。
さて夏の夜は至て短い。日が横に行くためだ。だから入りこむ月はことのほかよくさし入るのである。「ものかげにして」は、ものかげで、と言うことにあたるのだ。

※結句の「~にして」、近代の「アララギ」で多用された語法である。現代だと、やや勿体ぶった感じに聞こえるようである。

130
夏虫のけちなんとするともし火のかげだにまたであくるよはかな
一八〇 夏むしのけ(消)ちなんとする燈火(ともしび)の影だにまたで明(あく)る夜半(よは)かな 

□「けちなん」、今は消しなんなり。「けす」は「けつ」といふが古のつかひかたなり。けす、けつ、かはりめのことは、又別にいふべし。
夏虫は、けすつもりはなきなり。此方の見えるよりして云ふなり。とふとふ夜明けにとられるなり。

〇「けちなん」、今は「消しなん」である。「けす」は「けつ」といふのが古(いにしえ)の使い方だ。けす、けつ、の変わり目のことは、又別に説くことにしたい。
夏虫は、けすつもりはないのだ。こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ。とうとう夜明けに(あかりを)とられ(ておわる)のである。

※「とふとふ」と表記してあるが、「とぶとぶ」ではなく、おそらく「たうたう」だろう。

※「此方の見えるよりして云ふなり」を、「こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ」とあえて注した。ここは、景樹が歌を解釈する時にどういう点に気を配っていたか、ということを端的に示している。歌そのものは平凡だが。

131 夏草
蓬生のそこのなつぐさおりたちてはらひしまでを(ママ)人もとひけん
一八一 蓬生(よもぎふ)の庭の夏ぐさおり立(たち)てはらひしまでぞ人もとひけむ

□此うたよろしくもなきなり。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿にはよもぎ多きものなり。荒れたる宿のかはりになるなり。それ故また、「夏草」とつかふなり。「よもぎふ」とばかり云へば、こたへぬなり。蓬はゆべき場所の、といふ程のことなり。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり。俗にいふ「おりきつて」と云ふに同じ。「たつ」は、きるの意あり。
払うて世話やいたまでは人も来たが、「はらはぬ」になりたるゆゑ、人もこぬなり。云ひ合せたやうに人がこぬとなり。「人もとひけん」、「ける」といへば誰れもわかるなり。「けん」といへば、ここに暗に合したる所をきかすなり。夏草のしげりきつた時分はあつき故に人はこぬなり。こぬのはやはり、はらうたまではきたけれども、こぬのはやはりはらうた故じやとなり。

〇このうたは、特段いいというほどのものでもない。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿には、よもぎが多いものだ。「荒れたる宿」のかわりになるのである。それだから、また、「夏草」と使う。「よもぎふ」とばかりいえば、(響きが)強すぎない。蓬が生えるような場所の、という程のことである。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり(※)。俗にいう「おりきって」と言うのに同じ。「たつ」は、きるの意がある。
刈り払って世話をやいた(頃)までは人(恋人、または夫)も来たが、「はらはぬ」(こと)になってしまったので、人もこないのである。言い合わせたように人がこないというのである。「人もとひけむ」、「ける」といえば誰でもわかる。(しかし、)「けむ」といえば、ここに暗合した所をきかせるのである。夏草のしげりきった時分は暑いので人はこない。こないのはやはり、(草を)払った頃まではきたけれども、こないのはやはり払ったせいじゃ、というのである。

※二句目は、あきらかに改稿されて「庭の夏ぐさ」よりも抽象的になっている。三句目の「を」は「そ(ぞ)」の誤記の可能性があるが、これも改稿とみると、当初の荒々しさをやわらげているともいえる。

※「おりたち下の類なり」、「下」は略字か。「けり」とよんでもよいし、文脈でみると、おりたち(了)おはんぬ、か。

132 風前夏草
風ふけば秋にかたよるこゑすなり夏野のすゝきほにもいづべく
一八二 風ふけば秋にたかよる聲すなり夏野のすゝき穂にもいづべく 文化十年 五句目 穂にハイデネド

□風ふけばかたよるなり。其かたよるは、秋に近づくやうなるをいふなり。出づべく思はるるなり。

〇風がふけばかたよるのだ。そのかたよるのは、秋に近づくような気候をもいうのである。(秋になって穂が)出るように思われるのである。

133
川岸の根白高がやかぜふけばなみさへよせてすゝ(ゞ)しきものを
一八三 河岸のねじろ高がや風ふけば波さへよせて涼しきものを 文化四年 五句目 涼しカリケリ

□「すゝ(ゞ)しかりけり」でもよき歌なるを、「ものにを」(※誤植「ものを」に)したるなり。
高がや、根の白きものなり。根白がやとは、つかはれぬなり。高がやの見ゆる、音さへすゝ(ゞ)しきにとなり。さて「物を」と詞を残すには及ばねども、詞がくづれるなり。それ故に折合せるなり。此れ言語の大法なり。 

○「すずしかりけり」でもよい歌であるが、「ものを」にしたのだ。
高がやは、根が白いものである。「根白がや」とは、使われないものだ。高がやが見えている、(その風にそよぐ)音だけでもすずしいのに、というのである。それで「ものを」と詞を残す必要はないのだけれども、(「すずしかりけり」では)詞が崩れるのである。それだから折合せたのである。これが言語の大法というものである。

※原文、「ものにをしたるなり」、誤植か。「ものを」にしたるなり」と解釈した。

※さりげないふうに作ってあるが、見立てと実景のあわいにあるものを、調べとしてとらえた、なかなかいい歌である。

134 夏草露
かげふかき蓬が末をふくかぜにけさもこぼるゝさみだれのつゆ
一八四 陰ふかき蓬が末をふく風にけさもこぼるゝ五月雨(さみだれ)の露 文化十年 二句目 庭ノヨモギヲ

□よもぎに埋れきりたる閑居のさまなり。「末を吹く風」、晴れたる景色なり。露はない形なるに、やはり名残ありて、今朝もきのふの五月雨の露がこぼるゝなり。

○よもぎに埋れきっている閑居の様子である。「末を吹く風」は、晴れた景色である。露はない形であるが、やはり名残があって、今朝も昨日の五月雨の露がこぼれているのである。

※これも前の歌と同様に何気ない風でありながら、一、二句に繊細な観察が働いており、なかなかいい歌である。

135 
蜻蛉のとぶひの野べのなつくさもわくれば下につゆこぼれけり
一八五 蜻蛉のとぶひの野辺の夏草もわくればしたに露こぼれけり 文化十四年

□かげろふ、とんぼなり。赤ゑんばなり。かげろふのとぶ、とつかふは、炎熱の形なり。

○「かげろふ」は、とんぼである。赤とんぼだ。「かげろふのとぶ」と使うのは、炎熱の型(慣例)である。

※「ゑんば」はトンボの異名(小学館『国語大辞典』)。

136 江戸にありける時野夏草といふことを
むさし野は青人草もなつふかし今さくみよの花のかげみむ
一八六 むさし野は青人草(あをひとぐさ)も夏深し今さく御代の花のかげ見む 文化十五年

□江戸の風、専ら有職を好み、文字を好みて世が開くるなり。しづしづとして何ごともはなやかなり。京都は六十位の人の如し。江戸は二十斗の人のうきうきしたる国なり。今より五十年もたたば、りんときまるなり。江戸と京とは、老若を以てくらぶべし。追々文化ひらけるなり。青人草々は、沢山なることなり。衆人なり。青い草のみならず人草も、となり。今さく御代六月も末なれば、秋近し。今追付さくとなり。御代の栄華をいふなり。此外夏草によそへたるなり。青人草、平田篤胤の書に日本扶桑木二本見えたる国なり。唐より見えたるなり。木に日をかくなり。木の中に日を見るが東の字なり。日本はあきらかとよむ。木の上に日があがりたるやうすなり。不老不死の薬、日本の米なり。扶桑国近くなる時は海水琉璃の如く見ゆるなり。況やそれに参りこんだる人は色も青く見ゆるなり。吉野の一目千本へ入る時は人面ことごとく桜色を帯びて酒に酔ひたる如くに見ゆるなり。今人の青きかたより日本に青人草といふなり。

○江戸の気風は、もっぱら有職(学問や諸芸百般)を好み、文字(を読むこと)を好んで社会が開明的である。(また)静かでゆっくりとしていて、何ごともはなやかである。京都は六十歳位の人のようなものだ。江戸は二十歳ばかりの人がうきうきしている(ような)場所である。今から五十年もたてば、(二つの都市の優劣は)はっきりと決まってしまう(だろう)。江戸と京とは、老若(の年齢差)でくらべてみるといいだろう。(江戸は)次第に文化が開けていっている。「青人」の「草々」というのは、(人が)沢山いることである。衆人の意味である。青い草だけではなく人草も、という意味である。「今さく御代」は、六月も末なので、秋が近い。(そこに)今追って咲くというのである。御代の栄華を言うのである。このほか夏草(の盛んなさま)になぞらえたのである。「青人草」は、平田篤胤の書に(次のようにあるが)、日本は、扶桑の木が二本見えた国である。唐の国から見えたのだ。その木に日を掛けているのである。その木の中に日を見るのが、東の字である。日本は「あきらか」とよむ。木の上に日があがった様子である。不老不死の薬は、日本の米だ。扶桑国が近くなる時は、海水が琉璃のように見えるのである。ましてそこに入り込んだ人は色も青く見えるのである。吉野山の一目千本へ入る時は、人の顔がことごとく桜色を帯びて、酒に酔ったように見える。(それと同じように)今の人の青いようすから、日本で青人草と言うのである。

※ここは、「講義」のなかでもっとも興味深い一節と言ってよいだろう。江戸と京都とのちがいを一見して将来を見通した詩人らしい直観が光る。また、平田篤胤への言及もおもしろい。

137 題しらず
春風につのぐみそめしつのくにのなにはのあしは今ぞかるらん
一八七 はる風につのぐみそめし津国(つのくに)の難波(なには)のあしは今ぞかるらむ

□大阪にてよみし実景の歌なり。芦にのみ、つのぐむといふなり。五、六百年此のかた荻に見ゆるなり。つのぐみ、つのくにと重ねたるなり。あしは夏刈るなり。夏刈りといふなり。花の出ぬさきなり。

○大阪で詠んだ実景の歌である。芦にだけ「つのぐむ」と言うのである。五、六百年このかた「荻」だと見られている。「つのぐみ」、「つのくに」と(掛詞にして)重ねたのだ。あしは夏に刈るものである。(これを)夏刈りと言う。花(の穂)が出ない前である。

(本文 一行あけて、「鵜川より海辺見蛍迄闕(欠)席」とあり、小字で「資之曰鎌田用ありて聴聞に出でざりし也」と追記がある。)

『桂園一枝講義』口訳 118-127

2017年04月23日 | 桂園一枝講義口訳
※ひとつ番号が重複してしまったので、翌日に直した。

118
住む人の袖のひとつにくちにけり草のいほりのさみだれのころ
一六八 すむ人の袖もひとつに朽(くち)にけり草の庵(いほり)のさみだれの比(ころ) 文政五年

□わびしい草庵ずみの人なり。草の庵の朽つるのみならず、人の袖もくつるとなり。わびしい形容なり。
「朽つる」は、ぬれることをくちるともいふ也。きびしくぬ(濡)るなり。「朽果」といへば、くさり-なくなる也。なくなるを「朽る」といふが、もとなれども、「ぬれる」といふことを「朽る」といへば、胸がもえるといふも、燃る迄をいふ也。「ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。ぬれることのつよき也。「庵」、いほなり。「いほり」は、「庵入」なり。庵に居るなり。やど、やどり、宿入なり。これで段々転じて来るなり。その転ずる時は、「り」の字は、らりるれろ通して、ものに入りてしまふこゑになるなり。それ故「いほり」で「庵」の事になるやうになる也。

○わびしい草庵ずみの人だ。草の庵が朽ちるのみならず、人の袖もくちるというのである。わびしいことの形容である。
「朽つる」は、濡れることを「くちる」ともいう。きびしく濡れるのである。「朽ち果つ」というと、くさってなくなることだ。なくなることを「朽る」といったのが、もとであるけれども、「ぬれる」ということを「朽る」というと、胸がもえるというのも、燃える迄をいうのである。「(相模の歌、うらみわび)ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。(この歌の「くちなん」は)濡れることが強い(様子を言う)のである。「庵」は、「いほ」だ。「いほり」は、「庵入」だ。庵に居るのである。「やど」だと、「やどり」は、「宿入」だ。これで段々転じて来るのである。その転ずる時は、「り」の字は、「らりるれろ」どれも、ものに入ってしまう声になるのである。それだから「いほり」で「庵」の事になるようになるのだ。

※二句目、「袖の」「袖も」ちがいあり。

※「うらみわびほさぬそでだにあるものをこひにくちなんなこそをしけれ」「後拾遺和歌集」八一四 相模。


119 五月雨欲晴
さみだれの雲間に見ゆる夏山はやがてもそらのみどりなりけり
一六九 五月雨の雲間にみゆる夏山はやがても空のみどりなりけり

□欲の字、もと「ほる」、「ほれ」。物に深入するなり。得たきものじや、と云ふ所へなるなり。もとは、きよろりとする事なり。「ほりす」を「ほつす」と音便で云ふ也。日本では此の「欲晴」の字は、「す」ばかりに仕ふ也。「はれんす」とよむべし。さみだれに雲間はなきもの也。その雲を空と見るは、ちらりと間がある故なり。その間に見ゆる夏山の緑と思ひたるが、やがてすぐに空のみどりぢやとなり。

○欲の字は、もとは「ほる」、「ほれ」。物に深入りすることだ。得たいものじゃ、と言う所へなるのである。もとは、きょろりとする事だ。「ほりす」を「ほっす」と音便で言う。日本ではこの「欲晴」の字は、「す」ばかりに使う。「はれん(と)す」と読むべきだ。さみだれに雲間などないものだ。その雲を「空」と見るのは、ちらりと間があるせいである。その間に見える夏山の青と思われたものが、そのまますぐに空の青色だ、というのである。

※ここで言う「みどり」は古代みどりである。「常盤山松のみどりも久方の空の色とやかはらざるなん」契冲。こちらもよい。

※この歌、なかなかの佳吟。空が出て来る景樹の歌は概していいものが多いが、色彩語の使い方が印象的である。

120 五月雨晴
三芳野のたぎつ河内はさみだれのはれて後こそおとまさりくれ
一七〇 みよしのの瀧(たぎ)つ河内(かふち)はさみだれの晴てのちこそ音まさりけれ

□いづくも瀧のあるところの河内を云ふべけれども、吉野に限りて云ふなり。

○どこ(の場所で)も、瀧がある河内(川の深い淵の意)ということを言ってよさそうなものだけれど、吉野に限って言うのだ。

※結句、「まさりけれ」「まさりくれ」ちがいあり。「まさりくれ」は活字起こしの際の誤記だろう。変体仮名の「け」が「く」に見えることはある。この歌は、単純な内容だけれども、下句に実感がこもるところがあり、悪くない。初夏の気配を伝える清爽な歌。万葉調でもあるので、隣の歌と同じく享和年中の作か。

121 夏雲
大空のみどりになびく白くものまがはぬ夏になりにけるかな
一七一 おほぞらのみどりに靡(なび)く白雲のまがはぬ夏に成(なり)にけるかな
享和三年 青雲ニ白雲マジリ大空ノハレタル見レバ夏ニハナリヌ 文化十三年改作

□緑の空に、白雲がすいすいと竹箒でたはいたやうになびく雲がみえる四月の気色なり。緑に白きは、「まがはぬ」枕かたがた出す。

○緑の空に、白雲がすいすいと、竹箒で手(た)掃いたように、なびく雲がみえる四月の景色である。「緑に白き」は、「まがはぬ」の枕として出す。

122 夏山
ふる雪にうづもれながら五月雨のくもまをいづるこしの白(高)山 
(「白山」の字の横に「高」とあり。弥冨が誤記と認めて訂した。)
一七二 降雪にうづもれながらさみだれの雲間を出(いづ)るこしの高山

□越の白山でもよからん、と云ひたる人もあれども、上に降雪と云ひたる故、白はいひともなきなり。

○越の白山でもよいだろう、と言った人もあるけれども、上に「降雪」と言っているので、「白」とは言いたくないのである。

※だから絶対に「高山」でなくてはならない。たぶん実景だろう。

123 
水無月のそらにかさなる白雲の上に奇しきみねはふじのね
一七三 六月(みなづき)の空にかさなるしら雲の上に奇(あや)しき峯はふじのね 文政四年 二句目 大空ニタツ

□「夏雲多奇峰」をよむなり。「かさなる」は、多き所なり。
此かさなるは、奇しき白雲なるに、其上に、も一つ奇しき峯はふじと也。

○「夏雲多奇峰」(という題)を詠んだ。「かさなる」は、(雲が)多い所だ。この「かさなる」のは、めづらかな白雲であるのに、その上に、もう一つめずらしい峯は富士だというのである。

124 夏衣
なれがたく夏のころもや思ふらん人のこころはうらもこそあれ
一七四 なれがたく夏の衣やおもふらむ人のこころはうらも社(こそ)あれ
文化二年

□もと更衣のうた也。更衣に少しうときやうなる故ここに出す。夏衣はうらのなき単衣なれば、人のかたを衣やなれがたく思ふなるべし、となり。もこそ、もぞ、は一つ格ある也。ゆるめる詞なり。よわりもぞする、などつかふなり。うたがはしてまだ手にとらぬ所と云ふ程の所につかふなり。うらはあるにちがふ事はないが、ありもこそすれ、となり。

○もともとは更衣のうただ。(聴講者が)更衣に少しうといようだから、ここに出す。夏衣は裏地のない単衣だから、(心のうらがある)人間を衣の方がなれがたく思っているだろうよ、というのである。もこそ、もぞ、は一つ格がある(言葉)だ。ゆるめる詞である。「よわりもぞする」などと使う。歌を交わして、まだ手にとらない所というほどの場所に使うのである。裏(本心、誠意)があるのに違いはないが、(そこをあえて)「ありもこそすれ」というのである。

125 水鶏
卯の花のかきね見えゆくあけぼのにそことも知らずくひな鳴なり
一七五 卯花の墻(かき)ね見えゆく曙(あけぼの)にそこともしらず水鶏(くひな)なくなり 文化二年 四句目 そこと定メず

□ほのぼのと夜あけて、卯の花が見えるほどの時にどことも知られず、夏になつたわい、くひながなくと也。はかなき云ひかたを二つ合せて云ひたるなり。

○ほのぼのと夜があけて、卯の花が見えるほどの時間にどことも知られず、夏になったわい、クイナが鳴くことだというのである。はかない言いかたを二つ合せて言ったのである。


126 夏月
とけてねぬ子持がらすの一こゑにやがてあけゆく月のかげかな
一七六 とけてねぬ子もち烏の一声にやがて明行(あけゆく)月のかげかな 文化十二年 三句目 宵鳴にを訂す

□五月雨に烏、子をうむ也。烏は夜半に一こゑ発するものなり。烏のくせ也。子持烏のならひ也。「万葉」に「子持烏の」とあり。一声に子故に鳴きたる一こゑじゃ。夜明のためではなきが、短夜故、それが直に夜明のためになつたと也。

○五月雨(の時期)に烏は、子をうむ。烏は夜半に一声発する(習性がある)ものだ。烏のくせだ。子持烏のならいである。「万葉」に「子持烏の」とある。「一声に」、子故に鳴いた一声だ。夜明のためではないが、短夜だから、それがただちに夜明のために(鳴いたのと同じことに)なったというのである。

127
夏ふかみ木がくれ多き山ざとの月のひかりはふけてなりけり
一七七 夏深み木がくれおほき山ざとの月の光はふけてなりけり 文化三年

□夏ふかき故に木がくれが多きなり。さて此の句、月にかかつて出づるなり。なつのよの月は、白きなり。白き色は、空にあり。下は木がくれ多きなり。夏のみどりのしげり多き故にくらきとなり。山里でなくてもよけれども、此れは実景なり。黒谷の山中にて、夜よみたる時の歌なり。「月の光はふけてなりけり」と云ふ詞の使ひ方はなき也。「あかぬ色香は折りてなりけり」と云ふが、うらやましさに此の下句をよみたり。「木がくれ多し」は「後撰」にあり。

○夏ふかいために木隠れが多いのだ。さてこの句、月にかかって出たのである。夏の夜の月は、白い。白い色が空にある。下は木隠れが多いのだ。夏のみどりの茂りが多いために暗いというのである。山里でなくてもかまわないけれども、これは実景である。黒谷の山中で、夜(吟行して)詠んだ時の歌だ。「月の光はふけてなりけり」という詞の使い方は、ないものだ。「あかぬ色香は折りてなりけり」というが、うらやましさにこの下句を詠んだ。「木がくれ多し」は「後撰」にある。

※ 「春くれば木がくれおほきゆふづくよおぼつかなしもはなかげにして」「後撰集」を踏まえる。結句の語法、参考までに「よそにのみあはれとぞみし梅花あかぬ色香は折りて成けり」「古今集」素性。

岡井隆『マニエリスムの旅』の詞書

2017年04月17日 | 現代短歌
一太郎ファイルの復刻。「未来」に以前載せた文章の一部を改稿してここに再掲する。いま副題をつけるとしたら、短歌の「私性」論というところか。

 詞書を用いたテクストの重層化という方法は、今日ごく見慣れたものとなったが、それを確実なものとしたのは、岡井隆の歌集『マニエリスムの旅』(一九八〇年刊)の影響が大きかった。二度目の『岡井隆全歌集第Ⅱ巻』の別冊でも読むことができるが、歌集の解題というかたちで、「連雀転位考」という懇切丁寧な文章を巻末に寄せ、岡井のそれまでの実験が、一つの安定した方法として成熟を遂げたことを一般読者にわかるようなかたちで明らかに示したのは、塚本邦雄であった。

 私自身の印象では、この歌集はいわば谷間の産物で、その前に出された歌集に一度十全に表現し終えている内容を再度歌い直したもののように思われる。タイトルも様式的な繰り返しをしている、という作者自身の意識を反映したものだと思う。

 ジュネットなどを持ち出すまでもなく、小説を論ずる時に、「語り手のテクスト」と「作中人物のテクスト」を別のものとして論ずるのは、今日常識である。短歌の場合、両者が重なっているものだという暗黙の前提が、近代短歌のなかで形成され、強化された。周知のように古代の和歌においては、それは比較的自由なものだったのである。

 詞書があると、先に出て来る詞書の文章は、「語り手のテクスト」という要素を強く持ち、その後に出て来る短歌は、「作中人物のテクスト」という要素を強く持つようになる傾向がある。詞書のあとの短歌においては、定型によって言葉の様式性が強調されるために、演技的な自意識を持って作っているのだという提示の仕方が強調されることになる。

ところで、『マニエリスムの旅』において、詞書は往々にして短歌そのものであったり、短歌と散文の中間的な詩的組成物であったりする。ということは、詞書も演技的な自意識を持って作られているという認識を読み手に強く強いてくるわけである。これは場合によっては、反転することもあり得る。

 しかし、簡単に言うと、詞書は、一定の制約を受けながら、ほぼ何でもありという自由度を持っており、ここに自由詩を持って来ようが、日記の断片を持って来ようが、引用を持って来ようが、それは作者の思いのままなのである。短歌は一見すると小説よりも不自由にみえるけれども、詞書を導入したとたんに、語りの「水準」(ジュネット)の設定において、ほとんどアナーキーと言っていいような自由を獲得するのである。ここのところは幾度も強調しておいていいだろう。すると、あたかも短歌の負性であるかのように言われたことのある機会詩(オケージョナル・ポエム)としての性格は、文芸ジャンルの中で最大の強みを持っているということもできるのである。

 ただ基本的に詞書は、短歌の連作や歌集の中にあるという約束の場に置かれているかぎり、読み手の意識としては、主役はあくまでも短歌であり、詞書は従である。そうして、後に来る短歌作品と前にある詞書には、連歌の付句のような微妙な照応と応対が存在することが暗黙のうちに要求されている。つまり詞書は、あとに添う短歌から完全に独立した自由なテクストではない。

 さらにまた、連作の場合、先に出てくる歌が「語り手のテクスト」となり、後に出てくる歌が「作中人物のテクスト」の要素を強く持つといったことが起きて来る。それらは全体としてひとつの物語言説を作りだしているのである。


『桂園一枝講義』口訳 108-117

2017年04月17日 | 桂園一枝講義口訳
108 関子規
せき守のうちぬるひまにかよふらんしのび音になく時鳥かな
一五八 関守の打(うち)ぬるひまにかよふらんしのび音(ね)に鳴(なく)ほとゝぎすかな 文政八年

□「人知れぬわが通路の関守はよひよひごとにうちもねなゝん」とあり。「ひと目の関」、「波の関」、目がありて通さぬ波のせきは、波がうちて通さぬなり。

○「人知れぬわか通路の関守はよひよひことにうちもねなゝん」と(業平の歌に)ある。「ひと目の関」は「波の関」で、人目があって通さない波の関は、波が打って通さないのである。

109 社頭郭公
あし曳の山田の原のほととぎすまづはつこゑに神ぞきくらん
一五九)あし引の山田の原のほととぎすまづはつこゑは神ぞ聞(きく)らむ 享和二年

□伊勢の山田の原。「こゝをせにせんほととぎす」とあり。見れば郭公のなくべき所なり。音羽山か、いかにも子規のなくべき所なり。「こゝをせにせん」と思ふなり。「初声」、はつものは、まづ神に供へるよりしての思付なり。

○伊勢の山田の原である。(西行の歌に)「こゝをせにせんほととぎす」とある。見るといかにも郭公の鳴くような所である。音羽山が、いかにも子規のなくべき所だ。「こゝをせにせん」と思うのである。「初声」は、初物はまず神に供えるというところからの思い付きである。

※「きかずともこゝをせにせん郭公山田のはらの杉の村立」「新古今」巻第三夏歌 題しらず。

110 郭公稀
初こゑを一こゑなきていにしより山ほととぎすことづてもせぬ
一六〇 初声を一声啼(なき)ていにしより山ほとゝぎすことづてもせぬ

□「山」の字、やくにたつなり。此の題の意は、盛になきたるが、ふとやみて聞かぬ、或は六月ちかくなりたるな、と也。

○「山」の字が、役に立つのである。この題の本意は、(ほととぎすが)盛んに鳴いていたのが、不意に止んで聞こえない、或いは六月近くなったな、というのである。

111 杜鵑帰山
ほととぎすかへる山にはこゑもなし世にふるほどやなきわたりけん

一六一 時鳥かへる山には聲もなし世にふるほどや鳴(なき)わたりけむ 文政六年 四句目 世にスム 

□六月下旬の歌なり。帰りし山には、といふことなり。郭公山にかへりてからは、頓と鳴かぬなり。帰りたらば山に鳴くかといへば、帰るころは、最早山でもなかぬなり。世にへてありしほどに、鳴きわたりたりとみえるなり。

○六月下旬の歌だ。帰った山には、ということである。ほととぎすが山に帰ってからは、とんと鳴かないのである。帰ったら山で鳴くかというと、帰るころは、もはや山でも鳴かないのである。(それが、このうつつの)世に過ごしている間に(だけ)鳴いて飛びすぎて行ったようにみえるのである。

※言い古された素材だが、景樹のこの歌には一種の愛唱性がある。


112 菖蒲
あやめぐさかりにのみくる人なれば池の心やあさしとおもはん
一六二 あやめ草かりにのみくる人なれば池の心や淺しとおもはむ

□恋のこころなり。かりにくる、かりそめに真実なしに来るなり。池の心や、心にやの意。池が浅い人ぢや、と思うであらうとなり。心は底なり。ただなかなり。物の真中、ただなか、どんぞこ、みな物の上へうつし仕ふなり。

○恋のこころである。「かりにくる」は、かりそめに真実(の心)なしで来るのである。「池の心や」は、心であろうかの意。池が浅い(誠意が薄い)人じゃ、と思うであろうというのである。「心」は、底のことである。ただなかである。物の真中、ただなか、どんぞこ、みな物の上へうつして使うのである。

113
刈りふけば軒端にあまるあやめぐさ根のみながしと思ひけるかな
一六三 刈ふけば軒ばにあまるあやめ草根のみ長しと思ひける哉

□菖蒲は葉の長きものなり。根を長きとは昔よりいふなり。葉も長きぞよとなり。

○菖蒲は葉の長いものだ。その根が長いというのは、昔から言っていることだ。(それだけでなく)葉も長いことだよ、というのである。


114 澤菖蒲
住の江のあさざはぬまのあやめぐさ松とかはせる根ざしなるらむ
一六四 住の江の淺ざはぬまのあやめ草松とかはせるねざし成(なる)らむ 文政十三年

□いままのあたり行きて見れば、いよいよわかるなり。

〇今、目の当たり行ってみれば、ますますわかるのだ。

※戦前の写真などあればここに挿入したいところ。

115 櫨橘薫袖
たちばなのなつかしき香ににほふ夜はわがそでならぬ心ちこそすれ
一六五 たちばなのなつかしき香に匂ふ夜はわが袖ならぬここちこそすれ

□移り香の多い袖は、なつかしき人の香のやうな、となり。

○移り香の多い袖は、(「古今」集の歌にある、昔の)なつかしい人の香のような(気がするものだ)というのである。

116 
にほひをばいかにせよとか立花のはなちる袖にかぜのふくらん
一六四 匂ひをばいかにせよとか橘のはなちる袖に風の吹(ふく)らむ 文政十二年

□立花の香、蓮の類とは違ふなり。「古今」に詳に解く。
梅のちるは、花が軽き故わきにゆくなり。橘は重き故にそこにたまるなり。「たちばなの花ちる里も」と「万葉」にあり。里の中の庭也。花散る庭といふ事を、里といふことはりをすてて、調べをいたわるなり。古人のまはりどほいやうなるののあるのは、調をいふ也。「万葉」は最も詞を大事にせり。「万葉」はあらく、言葉をざつと仕(使)ふと思ふは、ひがごとなり。されば梅散る里といひても、とんとおもしろからぬなり。橘故妙があるなり。「いかにせよとか」、つよくつかふなり。あかざるものの重りて、おもしろくなつかしき気色をいふなり。

○立花の香は、蓮の類とは違うのである。「古今(和歌集正義)」に詳しく解いてある。
梅が散るのは、花が軽いので脇に行く。橘は重いのでそこにたまるのだ。「たちばなの花ちる里も(ママ)」と「万葉集」にある。里の中の庭だ。花散る庭という事を、里という理を捨てて、調べをいたわるのである。古人の歌に回りくどいような表現をしたものがあるのは、調を言っているのである。「万葉」は最も詞を大事にする。「万葉」は荒く、言葉をおおざっぱに使うと思うのは、間違いである。それだから「梅散る里」と言っても、とんとおもしろくないのである。橘だから妙味があるのである。「いかにせよとか」(の句は、言葉を)強く使うのである。嘆賞する思いが(ますます)深くなって、おもしろくなつかしい様子をいうのである。

※「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き」「万葉集」一四七七、大伴旅人。

117 五月雨
ふりそむる今日だに人のとひこなん久しかるべきさみだれの雨
一六七 ふりそむるけふだに人のとひ来なむ久しかるべきさみだれの雨 文政十年

□初さみだれの歌なり。今日なりとも人のくればよいがとなり。「(古今和歌)六帖」に「春雨のこころは君を知りつらん七日しふらば七日こじとや」。春雨の長いことは知りてあらうのに、春雨のふるを言だてにして、こじといふは、七日もふらば七日も来ぬつもりか、となり。今はこれとはちがへども、およそ此のやうすにて、ふりそめたら長いことはし(知)れてあるとなり。「五月雨」とばかりも雨なり。「さみだれの雨」といふても同じ。さ、あめだれ。さばへ、さなへ、さつき、五月のことには、多く「さ」といふことがつくなり。何を「さ」といふか知れねども、何分五月のものを「さ」といふ也。「日本紀」に五月蠅をさばへとあれば、五月を「さ」といふなり。「たれ」は、天より落つることをいふ也。「あられ」は「あれたれ」、「しぐれ」は「しぐたれ」也。「みぞれ」は「水たれ」なり。さて、今「たれ」などいふことは、今いへば語勢がのろりとなれども、昔はきびしく聞こえたりと見ゆ。今も「たれ」に「なだれ」といへば、つよくなるなり。昔は「たるみ」といへば「瀧」のことなり。今「たれる」といへば、ぬるいやうなり。時代のちがひなり。

○初さみだれの歌である。今日なりとも人が来ればよいのだが、というのである。「(古今和歌)六帖」に、「春雨のこころは君を知りつらん七日しふらば七日こじとや」。春雨が長く降ることは知っているだろうに、春雨が降るのをはっきりとした言い訳にして、来ない(つもりだとか)と言うのは、七日も降ったら七日も来ぬつもりか、というのである。今はこれとはちがうけれども、およそこの様子で、降り始めたら長くなる(長く来ない)ことは知れていますよ、というのである。「五月雨」とだけ言うのも雨だ。「さみだれの雨」と言っても同じだ。「さ、あめだれ」だ。さばへ、さなへ、さつき、五月のことには、多く「さ」ということがつく。何を「さ」というかはわからないが、何分五月のものを「さ」というのである。「日本紀」に「五月蠅」を「さばへ」とあるので、「五月」を「さ」というのである。「たれ」は、天より落つることをいう。「あられ」は「あれたれ」、「しぐれ」は「しぐたれ」だ。「みぞれ」は「水たれ」だ。さて、今「たれ」などという言葉は、今言うと語勢がのろい感じになるけれども、昔はきびしく聞こえたものとみえる。今も「たれ」に「なだれ」と言えば、強く聞こえるのである。昔は「たるみ」というと「瀧」のことだった。今「たれる」というと、ぬるいように聞こえる。時代のちがいだ。

種子法の廃止

2017年04月14日 | 農業の未来
 豊洲や森友で盛り上がっている間に、実はとんでもないことが進行していた。以下は、日本農業新聞 2/2(木) 7:00配信 より引く。

 農水省は、稲、麦、大豆の種子の生産や普及を都道府県に義務付ける主要農作物種子法(種子法)を廃止する。民間事業者に都道府県の種子や施設の提供を進め、種子の開発を活発化させる狙い。ただ、公的機関による育種が後退し、種子の安定供給に支障が出かねない。民間の参入機会が広がることで、外資の多国籍企業による種の独占を招くといった懸念の声もあり、慎重な検討が求められる。

以下は、種子法の全文。短いし、読みやすいので、目を通してほしい。

「 主要農作物種子法
(昭和二十七年五月一日法律第百三十一号) 最終改正:平成一八年六月七日法律第五三号


(目的)
第一条  この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についてほ場審査その他の措置を行うことを目的とする。

(定義)
第二条  この法律で「主要農作物」とは、稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆をいう。
2  この法律で「ほ場審査」とは、都道府県が、種子生産ほ場において栽培中の主要農作物の出穂、穂ぞろい、成熟状況等について審査することをいい、「生産物審査」とは、都道府県が、種子生産ほ場において生産された主要農作物の種子の発芽の良否、不良な種子及び異物の混入状況等について審査することをいう。

(ほ場の指定)
第三条  都道府県は、あらかじめ農林水産大臣が都道府県別、主要農作物の種類別に定めた種子生産ほ場の面積を超えない範囲内において、譲渡の目的をもつて、又は委託を受けて、主要農作物の種子を生産する者が経営するほ場を指定種子生産ほ場として指定する。
2  その経営するほ場について前項の指定を受けようとする者は、農林水産省令で定める手続に従い、都道府県にその申請をしなければならない。

(審査)
第四条  指定種子生産ほ場の経営者(以下「指定種子生産者」という。)は、その経営する指定種子生産ほ場についてほ場審査を受けなければならない。
2  指定種子生産者は、次条の規定により交付を受けたほ場審査証明書に係る指定種子生産ほ場において生産された主要農作物の種子について、生産物審査を受けなければならない。
3  ほ場審査及び生産物審査(以下本条において「審査」という。)は、指定種子生産者の請求によつて行う。
4  都道府県は、指定種子生産者から前項の請求があつたときは、当該職員に、審査をさせなければならない。
5  審査の基準及び方法は、農林水産大臣が定める基準に準拠して都道府県が定める。
6  前項の農林水産大臣が定める基準は、主要農作物の優良な種子として具備すべき最低限度の品質を確保することを旨として定める。
7  第四項の規定により、審査を行う当該職員は、その身分を示す証票を携帯し、関係者の要求があつたときは、これを呈示しなければならない。

(ほ場審査証明書等の交付)
第五条  都道府県は、ほ場審査又は生産物審査の結果、当該主要農作物又はその種子が前条第五項の都道府県が定める基準に適合すると認めるときは、当該請求者に対し、農林水産省令で定めるほ場審査証明書又は生産物審査証明書を交付しなければならない。

(都道府県の行う勧告等)
第六条  都道府県は、指定種子生産者又は指定種子生産者に主要農作物の種子の生産を委託した者に対し、主要農作物の優良な種子の生産及び普及のために必要な勧告、助言及び指導を行わなければならない。

(原種及び原原種の生産)
第七条  都道府県は、主要農作物の原種ほ及び原原種ほの設置等により、指定種子生産ほ場において主要農作物の優良な種子の生産を行うために必要な主要農作物の原種及び当該原種の生産を行うために必要な主要農作物の原原種の確保が図られるよう主要農作物の原種及び原原種の生産を行わなければならない。
2  都道府県は、都道府県以外の者が経営するほ場において主要農作物の原種又は原原種が適正かつ確実に生産されると認められる場合には、当該ほ場を指定原種ほ又は指定原原種ほとして指定することができる。
3  第三条第二項の規定は前項の指定について、第四条から前条までの規定は同項の指定原種ほ又は指定原原種ほにおける主要農作物の原種又は原原種の生産について準用する。

(優良な品種を決定するための試験)
第八条  都道府県は、当該都道府県に普及すべき主要農作物の優良な品種を決定するため必要な試験を行わなければならない。」
 
 これは日本の文化と国益を守るための、大切な法律だ。三月の末に、アメリカの意向にさからえない農水省と、自民党の買弁政治家たちが、この法律を廃止してしまった。これをいったいどれだけの報道機関が問題視して、大きくとりあげたか。このことは、豊洲や森友の問題よりも、今後の国民生活にじわじわと長期にわたって影響を及ぼすであろう。

たぶん、ТPP交渉の中でアメリカに要求されたことを受けたかたちでの法律整備なのだろう。種子の会社と言えば、遺伝子組み換え種子の大手、モンサントなどの名前がすぐに思い浮かぶ。モンサントがわからないと言う人は、堤美香の本など見て勉強したらいい。

一番守らなくてはならないところで死守する気持がない。彼らは、日本産の「種子」がどうなろうと、知ったことではないのだ。いくら愛国を言ったって、行動がそれを裏切っている。

 ※しばらく消してあったが、五月十二日付けで復活させることにした。最初のものよりも少しトーンダウンさせてある。

山上たつひこのこと 雑記改題

2017年04月12日 | 日記
 少しでも身の回りの整理をしないでいると、だんだん封筒の切れ端のようなものが積み重なって行って、山のようになってしまう。セルフ・ネグレクトの生活、とでも言ったらいいか。いそがしいと、ついそうなる。それを片付けはじめると、半日はあっと言う間だ。みすみす休日の貴重な時間が奪われていく。せっかくの休日を空費して、気付いた時にはもう夕方の四時頃だ。

―八丈島の、きょん。

…なんて言っても、若い人は、わからないか。苦しい現実を破壊的で不条理なギャグでごまかそうとする、必死のユーモアが、「八丈島の、きょん」だったので、「猫パンチ」というのもあったかな。(山上たつひこの漫画です。)

猫パンチをくれてみたいのが、あのことだ。誰も命令をくだしていないのに大きな建物が建ったり、検査数値が百倍になったりならなかったり、もう何でもありの無責任体制。これを戯画とみて笑っている場合ではない。己の写し絵なわけだから。今後の日本社会の先行きを占うためにも、ここはけじめをつけておかなければならない。鉄面皮の代表のようなナンバーツーには、詰め腹を切らせたい。大将には、もう一度唐紙を破る勇気を起こして記憶を取り戻し、「男らしく」謝罪してもらいたいものである。

それにしても、空気を読むのに敏感なひとたちの右往左往する姿はどうだろう。こういう連中が、戦時中は先頭に立って旗を振ったのである。バスに乗り遅れるな、というやつである。だから、まったく信用ならない。と言うより、こういうドミノ倒しの「ドミノの駒」を信用してはならないのである。他人のふんどしで相撲をとるというのは、こういうひとたちのことを言う。

―八丈島の、きょん。

※追記 山上たつひこの『大阪弁の犬』という本が「フリースタイル」という出版元から2017.11.25日付で出た。藤沢のジュンク堂で漫画のコーナーに置いてあった。はじめわからなくて店員に訊ねてしまった。これは文藝棚にも置いてほしいと思う。格調の高い文章が集められたエッセイ集なのである。

いま、ふっと心づいたのだけれども、この本で語られている、山上たつひこの初期の自らの漫画の描法への違和感というのは、要するにナルシシズムへの警戒ということなのだろうと思う。

 『光る風』が学園紛争時代に政治的なメッセージをこめた漫画として世代的に支持されてしまうということがあって、それをあえて捨てて顧みない、絵のタッチまで変えないと気が済まなかった、というところに、自分の表現衝動に正直であろうとする作者の独特のこだわりがあったのだろうと思う。

 学園紛争自体が、端的に言うと若者たちのナルシシズムの爆発のようなところがあった。私は、長崎という人が、当時「造反無理」という落書があったことを報告している文章を読んだことがある。それはとてもみっともないことだから、あなたは(ぼくらは)こんなにみっともないんだよ、はずかしいんだよ、という漫画を、作者としては意地でも描く必要があったのだ。そこのところで諧謔のセンスがピカイチだったから、いまだに山上たつひこの名前と作品は忘れられないのである。
 
 ついでに書いておくと、私には企画の才能があるので書いてみると、ビートたけしの週刊誌連載の毒舌漫談は、全集にして、立派なキンキラキンの本にして刊行すべきである。一冊ごとに表紙は、一流のアーティストのデザインにして、表紙カバーの裏側は、多様な人物の顔写真やヌード写真などであるべきだ。そういう楽しい本を手にしたい。



『桂園一枝講義』口訳 102-107

2017年04月09日 | 桂園一枝講義口訳
102 
ほととぎすたゞ一こゑのなごりゆゑ明がたまでの月を見しかな
一五二 郭公たゞ一聲の名残ゆゑ明がたまでの月を見しかな 文化四年 二句目ヒトコヱナキシ

□「たゞ一こゑのなごりゆゑ」に「明がたまで」も「月を見し」となり。名残にひつぱられたとなり。そのものゝあとに面影の残る也。もとは波の余波なり。「なごろ」ともいふなり。海の波の名なり。大風が吹いた明日も明後日もやはり、といといとよせるなり。ねから常にまたもどらぬなり。波のこりといふことなり。あれたる面影が残りてある也。「月を見しかな」、後悔したるうたなり。「やすらはでねなましものを小夜ふけてかたぶくまでの月をみしかな」。見合せずしてねるであつたものを、更るまでも月を見たことかな。

○「ただ一声の名残ゆえ」に「明がたまで」も「月を見し」というのである。名残に引っ張られたというのである。そのもののあとに面影が残るのだ。もとは波の余波のことである。「なごろ」とも言う。海の波の名である。大風が吹いた明日も明後日も、やはり「といといと(十年一日)」寄せるのである。「ね」から常にまた戻らないのだ。波残りということである。荒れた面影が残ってあるのだ。「月を見しかな」は、後悔した歌だ。「やすらはでねなましものを小夜ふけてかたぶくまでの月をみしかな」。見逢うことなくしてそのまま寝るものであったのに、夜が更けるまでも月を見ていたことだなあ(という気持ちだ)。

※「といとい」二字にわたる繰返し記号。「出雲弁の泉」のホームページによると、以下の通りで、ここでの意味にかなっている。〈【いちぼつといとい】共通語。にたりよったり、どこも同じ、十年一日のごとく。用例。今年も、また、いちぼつといとい百姓せなえけんの。用例訳。今年も、また、十年一日のごとく百姓(仕事)をしなければいけないね。採取者。金本[東出雲]/【いちおちといとい】金沢[松江]/【えちぼつとーとー】KEN[八雲](記録者:金沢)〉 これは、方言に古語が残存している例と思うが、数年前に奥村和美氏に「万葉集」に「とい(ゐ)波」という語があることをご教示いただいた。「とゐ波」(「日本国語大辞典」の項目にあり)。 ※「おきみれば とゐなみたち」「万葉集」二二〇。 11.26追加

※「ねから常にまたもどらぬなり」、「ね」は根か。音(ね)の線もあるか。

103 雨後郭公
夕ぐれの雨のはれまをあしひきの山ほととぎすなきてすぐ也
一五三 夕ぐれの雨のはれまを足曳の山ほとゝぎす鳴てすぐなる 文化三年

□数よみしたる当座の中の也。晴間とつかへば又ふるやうなれども、このところは実景なり。晴間といふことは実は知れぬこと也。二度目のふり出す時は、「ま」といふこともあるべき也。晴れたまゝまに、もはや「ま」にはならずして、晴るゝも知れぬなり。されば晴れぎはといふほどの所なり。それゆゑ間といふが晴れたる所にもなるなり。

○定数歌を詠んだ時の当座題の中の一首である。「晴間」と使うと又降るようだけれども、このところは実景である。晴れ間ということは、実はわからないことである。二度目の降り出す時は、「間」ということもあってよいだろう。晴れたままに、もはや「間」にはならないで、(そのまま)晴れるかも知れないのである。だから「晴れぎわ」というほどの所である。それだから「間」というのが、晴れた所にもなるのである。

※なにげない歌だが、好吟。参考までに、「名残まで暫し聞けとや郭公松の嵐に鳴きて過ぐなり」「秋篠月清集」。

104 郭公一聲
ほとゝぎすおいのねぶりの嬉しきはたゝ(ゞ)一こゑにさむるなりけり
一五四 時鳥老のねぶりのうれしきは只一聲に覚るなりけり

□老は、ねざめをかこつものなり。それがうれしきは、郭公故じや、と也。

○老人は、寝覚め(の時間の無聊さ)を苦にするものである。それがうれしいのは、(聞こえてきた)ほととぎすのせいじゃ、というのである。

105 
五月をやまちかね山のほとと(ママ)ぎすこよひ一こゑなきて出づなり
一五五 五月をやまちかね山のほとゝぎすこよひ一聲鳴ていづなり 文化十年 五句目 鳴きてスク(グ)なり

□まちかね山、真に杜鵑のなきそうなる所也。行きてみるべし。
五月、聲大きに多くなる。故人より杜鵑のおのが五月と定めたるなり。また卯月の中じやに、さ月を待ちかねるそうじやとなり。古歌にも「忍びねを待兼山」、「子規まちかね山」とはつかへり。「郭公が待兼山」とつかふは、景樹始めて言ひ出せり。「今宵」といひ、「一こゑ」といひ、「出づ」といひ、皆まちかねた工合なり。「こよひ一こゑなきてけるかな」でもすむなれども、それでは詮なきなり。五月になりて鳴くことにも會読したり。かやうに聞ゆるもなきことにはあらぬなり。「さ月まつ花橘」の類なり。衆人のきくにまかせてよきなり。第一義、第二義、第三義とあるは、やはり同一義なり。二義は少し落るでもなきなり。卯月の中にといふは第一義なり。五月といふは第二義なり。畢竟は同じ意なり。

○「まちかね山」は、本当に杜鵑の鳴きそうな所である。行ってみるとよいだろう。
五月、聲大きに多くなる 故人より杜鵑のおのか五月と定めたのである。まだ卯月の中じゃのに、五月を待ちかねるそうじゃというのである。古歌にも「忍びねを待兼山」「子規まちかね山」とは使っている。「郭公が待兼山」と使うのは、景樹が始めて言い出した。「今宵」といい、「一声」と言い、「出づ」と言い、皆待ちかねた工合である。「こよひ一こゑなきてけるかな」でもすむのであるが、それでは詮のないことである。五月になって鳴くというようにも読み解いている。そんなように聞くこともないではないのである。「五月まつ花橘」の類である。衆人の聴くにまかせてよいのである。第一義、第二義、第三義とあるなかでは、やはり同一義である。二義は少し落ちないでもない。卯月のうちに、というのは第一義である。五月というのは第二義である。(まあ)畢竟するに同じ意味のことである。

106 杜鵑遍
あしひきの山ほととぎす山にのみなきしこゝろやみだれそめけん
一五六 あし引の山ほととぎす山にのみ鳴し心や乱れそめけむ 文化四年

□行きわたりて、どこの里にもなかぬはなきなり。「処々数声馴」などはわけが違ふなり。 遍はゆきわたるなり。「山ほととぎす」、山の子規、山なるものゝほととゝぎす也。「万葉」に山ほととぎすとあるは、六首よりなきなり。「古今」「わかやどの池のふぢなみ咲きにけり山ほととぎすいつかきなかん」。山がやくにたつなり。「八代集」の山郭公、大方山が役にたつと「正義」にかきおきたり。それを某の問に「古今」の最末の一首の山はいかゝ(ゞ)といへり。これは無理なる問なり。山がやくにはたゝねども、しらべをさへぬなり。「源氏」に山藏(※「籠」の誤植か)し給ひて、うきことあれば山にさけるなり。
子規は山にゐてうき世に出て人に知られてはならぬといふて山にのみ鳴きしが、その心が性根がぬけて、みだれむちやむちやになりたるなり。うきことは恋に最も多きなり。「古今」に「いでわれを人なとがめそ」、「大船のゆたのたゆたに物思ふころぞ」、しのぶべきこひを「いで」と名のり出でゝみだれる景色なり。此方はこひにこまりて居るのじや。色々と思案中じやが、其がおまへがたのさはりになるやうなことはあるまいがぞや。と云ふ意なり。みだるゝは忍びのもれるなり。

○(子規が)行きわたって、どこの里にも鳴かない場所はないのだ。「処々数声馴」など(と)は訳が違うのである。「遍」はゆきわたるのだ。「山ほととぎす」は「山の子規」、山にいるほととぎすである。「万葉」に山ほととぎすとあるのは、六首を超えない。「古今」に「わかやどの池のふぢなみ咲きにけり山ほととぎすいつかきなかん」(というのがあるが、ここでは)山が役に立つのである。八代集の「山郭公」は、大方山が役に立つと「正義」にかいておいた。それをある人の問いに「古今」の最末の一首の山(の場合)はどうか、と言った。これは無理な問いだ。「山」は役には立たないけれども調べをさまたげないのである。「源氏物語」に(貴人が)山籠なさって(いる場面があるが)、憂き事があれば山に避けるのである。
子規は(もともと)山に居て憂き世に出て、人に知られてはならないと言って山にだけ鳴いていたのだが、その心が、性根が抜けて乱れてむちゃくちゃになったのである。憂きことは、恋の場合に最も多いものだ。「古今」に「いでわれを人なとがめそ大船のゆたのたゆたに物思ふ頃ぞ」。(これは)忍ぶべき恋を「いで」と名のり出て乱れる景色だ。こっちは恋に困って居るのじゃ。色々と思案中じゃが、それがお前さん方の障りになるようなことはあるまいが、という意味である。乱れるのは、忍んだ思いが洩れるのだ。

※「処々数声馴」は、「詩経」の詩句を念頭に言ったか。

※「源氏に山藏し給ひて」は、意味不明なので「山籠し給ひて」の誤植と解釈した。

※「古今の最末の一首」がどの歌をさすのかわかりにくいが、景樹がここで引いているのが、夏歌の部で杜鵑が出てくる最末の歌なので、それをさすものととった。「山ほととぎす」と「山」を付加することの効果を言っている。

107 野郭公
ほとときす鳴音ほのかにきこゆなり遠さと小野の松のむらたち
一五七 ほとゝぎなくねほのかに聞(きこ)ゆなり遠里(とほざと)をのゝ松の村立(むらだち)  文政八年

□少し手ばなしたる歌なり。実景也。住吉に度々逗留したり。雨天などは別してさかんになきたり。御領野のあたり。
遠里小野の松の村立のあたりといふことなり。「のあたり」がなくても、そのことと聞えたればよきなり。
遠里小野、今は「おりをの野」といふなり。昔を見るに足る所なり。

○少し手放した歌だ。実景である。住吉に度々逗留した。雨天などはことに盛んに(ほととぎすが)鳴いた。御領野のあたりだ。
「遠里小野の松の村立、の辺り」ということである。「の辺り」がなくても、そのことだとわかれば良いのである。
遠里小野は、今は「おりおの野」と言っている。昔の様子を見ることができる場所である。

※遠里小野(堺市遠里小野町)

※横浜市では青葉区の万願寺の裏手に梅雨のはじめにやって来る。保土ヶ谷区の今井町のあたりでも聞ける。田園都市線の青葉台の駅からちょっと離れたあたりでも聞ける。道路の多さや造成の進み具合とはあまり関係がなくて、鳥が昔から使っている通り道や、ポイントになる緑地の内容と関係があるようだ。あとは概して公立の公園は木の消毒がきつくて、自然保護の思想が感じられない。ほととぎすも好んで利用しないようである。