さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 306-308

2017年08月12日 | 桂園一枝講義口訳
306
ましらなく杉の村立下に見ていくへのぼりぬすせのおほさか
五五四 ましらなく杉の村立(だち)下(した)に見て幾重(いくへ)のぼりぬすせの大坂

□此れ即ち本坂越なり。「すせの大坂」、ことの外大なる坂なり。幅ひろくして至りて高きなり。深き谷を両方に見おろすなり。杉の梢を下に見るなり。猿など大なるが居るなり。即ち晴天に通りたるなり。段々上に上り峠に至ると深く下になるなり。猿などもはるかに下に飛び居るなども見ゆるなり。すせの坂といふなり。大なる坂故に「大坂」と景樹いふなり。「くぜの大坂」など例にしていふなり。

○これはすなわち本坂越である。「すせの大坂」は、ことのほか大きい坂である。幅が広く至って高いのである。深い谷を両方に見おろすのだ。杉の梢を下に見る。猿など大きいのが居るのである。すなわち晴天に通ったのである。段々上にのぼって峠に至ると、(今度は)深く下りになるのである。猿などもはるかに下に飛び居る様子なども見えるのである。「すせの坂」というのだ。大きな坂であるので「大坂」と景樹は言うのである。「くぜの大坂」などを例にして(そう)言うのである。

※佳吟。

307
思ひやれ天の中川なかばきてたゆたふたびのこゝろぼそさを
五五五 思ひやれ天(あめ)の中河(なかがは)なかばきてたゆたふ旅の心ぼそさを

□此れは京より江戸に行く道にてよむなり。「天の中川」は、天龍川なり。此れをこゆる一町前に村ありて小なる杉橋あり。此が京と江戸との真振分となり。それ故天龍川が調度半分なり。
天龍川、急流にしてまことにたゆたふなり。心細く思ふほどのながれ渡りなり。早きこと矢を射るごとくなり。棹の「かへさを」を持つて居る位なり。恐ろしき所なり。「中空日記」にも「再うたふ」と出せり。「たゆたふ旅」とかかるなり。それは舟の縁語なり。

○これは京から江戸に行く道で詠んだのだ。「天の中川」は、天龍川である。これを超える一町前に村があって小さな杉橋がある。これが京と江戸との真振分(本当の真ん中)であるという。それだから天龍川がちょうど半分なのである。
天龍川は、急流で本当に揺れ動いているのだ。心細く思うほどの流れ渡りである。早いことは矢を射るようだ。棹の「替え棹」を持って居る位である。恐ろしい所だ。「中空日記」にも「ふたたび歌う」といって出した。「たゆたふ旅」と掛かっているのだ。それは舟の縁語である。

※「中空日記」については、奈良女子大学附属図書館のホームぺージが便利。そこから引くと、「たらちねを思ふねざしの深かりし誠のはなは冬がれもせず。天龍川をわたる。さかまく流れいと早きに、さす棹弓に似て舟箭のごとし、思ひやれ天の中川なかばきてたゆたふ旅のこゝろぼそさを、となげきたる、春のこゝろも更に立かへりて、ふたゝびうたふめり。わたりはてゝ永田の松原をくるに、風はけしう吹て堪がたけれは、まづ浜松にやどりをもとむ。」とある。引用に当たり和歌に濁点を加えた。「中空日記」は「土佐日記」などの語り口を模している。本文中に置いてみると、景樹の即詠の非凡さがよくわかる。

308
沖つより夕こえく(「く」一字誤植)れば山松のこずゑにかゝるふじのしらゆき
五五六 沖津より夕越(ゆふこえ)くれば山松の梢にかゝるふじのしらゆき

□沖つを出でゝほどなくさつた峠にかゝるなり。実景なり。見る人は知るべし。夕べでなくともよけれども、調度夕べなりしなり。また夕べの方、妙(たへ)なり。
○沖つ(興津)を出て程なく薩埵峠にかかるのである。実景だ。見る人は知っているだろう。夕べでなくともよいのだけれども、ちょうど夕べであったのだ。また夕べの方が、霊妙だ。



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