2021年夏、蝦名泰洋は北の星座へと旅立った
南の野樹かずみに〈光の箱〉を託して
という帯が、加藤治郎によって書かれている。
巻末の蝦名泰洋の作者プロフィールに、1956年青森県生まれ、2021年7月26日永眠。とある。この本は、蝦名泰洋と野樹かずみによる両吟集である。野樹かずみによるあとがきに、次のように書かれている。
「 昔の両吟の原稿を発掘したと蝦名さんに伝えたときに、
「雪の日の足跡のよう感熱紙にかすかに残る歌の文字読む」と書いたら、たちまち、
「文字ならばすべてがうそになりそうで白紙のままに置く京花箋」と返ってきて、
なんと、また両吟がはじまりました。
二〇一三年の冬、一八年ぶりに再開した両吟は、それからえんえんと続きました。」 150ページ
この本の最初の章をめっくてみて、蝦名の歌から立ち上って来る気息に自分の同年代の気配を私は感じ取って、共感するのである。また、それに応じる野樹さんのジャンプ力、言葉のバネの力が軽快で心地よい。
約束のバス停留所会えるまで雪は鼓動を速めつつ降る 泰洋
降る雪を見上げているとぐんぐんと体が空へのぼっていった かずみ
薄い背中わずかながらに気にかかる左右の翅の長さのちがい 泰洋
十字架の影であったとふと気づく空飛ぶ鳥も飛べない鳥も かずみ
実感を踏まえたうえで言葉がはばたく遊びに興じているということが、わかって、こういう行き方もあったのだな、と改めて思う。
ステップ・バイ・ステップ今日はキッチンのゴミ出しをまずしようと思う かずみ
カーテンが日ざしの量をはかりおり歌はゆりかご歌は墓石 泰洋
なんとなく自身の早世を予知していたかのような蝦名の「歌は墓石」という作品である。
ここ過ぎて生きのびるため少女らはお喋りをするたくさん笑う かずみ
生誕祭からだを返す日はあれどこころを返す日はなかりけり 泰洋
この集成をめくりながら、蝦名さんというひとの無垢の魂のようなものの所在に触れた気がした。それに応ずることのできた野樹さんの相互共鳴器としての詩性にも感心した。
理想的な詩歌人の「友人」と「友情」のかたちが、ここにはあるのだ。こういうのが、漱石の言っていた〈ブリス〉だろう。少しだけ紹介されている連句や詩についての蝦名さんのアフォリズム的な文章をもっと読みたい気がした。
南の野樹かずみに〈光の箱〉を託して
という帯が、加藤治郎によって書かれている。
巻末の蝦名泰洋の作者プロフィールに、1956年青森県生まれ、2021年7月26日永眠。とある。この本は、蝦名泰洋と野樹かずみによる両吟集である。野樹かずみによるあとがきに、次のように書かれている。
「 昔の両吟の原稿を発掘したと蝦名さんに伝えたときに、
「雪の日の足跡のよう感熱紙にかすかに残る歌の文字読む」と書いたら、たちまち、
「文字ならばすべてがうそになりそうで白紙のままに置く京花箋」と返ってきて、
なんと、また両吟がはじまりました。
二〇一三年の冬、一八年ぶりに再開した両吟は、それからえんえんと続きました。」 150ページ
この本の最初の章をめっくてみて、蝦名の歌から立ち上って来る気息に自分の同年代の気配を私は感じ取って、共感するのである。また、それに応じる野樹さんのジャンプ力、言葉のバネの力が軽快で心地よい。
約束のバス停留所会えるまで雪は鼓動を速めつつ降る 泰洋
降る雪を見上げているとぐんぐんと体が空へのぼっていった かずみ
薄い背中わずかながらに気にかかる左右の翅の長さのちがい 泰洋
十字架の影であったとふと気づく空飛ぶ鳥も飛べない鳥も かずみ
実感を踏まえたうえで言葉がはばたく遊びに興じているということが、わかって、こういう行き方もあったのだな、と改めて思う。
ステップ・バイ・ステップ今日はキッチンのゴミ出しをまずしようと思う かずみ
カーテンが日ざしの量をはかりおり歌はゆりかご歌は墓石 泰洋
なんとなく自身の早世を予知していたかのような蝦名の「歌は墓石」という作品である。
ここ過ぎて生きのびるため少女らはお喋りをするたくさん笑う かずみ
生誕祭からだを返す日はあれどこころを返す日はなかりけり 泰洋
この集成をめくりながら、蝦名さんというひとの無垢の魂のようなものの所在に触れた気がした。それに応ずることのできた野樹さんの相互共鳴器としての詩性にも感心した。
理想的な詩歌人の「友人」と「友情」のかたちが、ここにはあるのだ。こういうのが、漱石の言っていた〈ブリス〉だろう。少しだけ紹介されている連句や詩についての蝦名さんのアフォリズム的な文章をもっと読みたい気がした。