さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

音についての雑談

2017年11月04日 | 音楽 芸術
 この頃は、中古店におもむいて、昔自分が買えなかったCDを買い込んで来て聞くことが多い。いずれAIなどの力で旧モノラル録音の音源が、現在の録音のように聞ける時代がやって来るにちがいない。その際には、使っていた楽器の雑音とか、録音時の温度や湿度、ホールの響き加減などまでが別の音源からのデータ解析によって係数的な処理が為され、うまく調整されて、過去の録音がすべて「ハイレゾ」のように甦るのではないかと思う。音楽好きの人間には、身の毛のよだつような空想ではないだろうか。

 とは言いながら、私の音楽環境は、ケンウッドの小型コンポ用のアンプに、旧いソニーの木製中型スピーカーをつないだだけのものであるが、アップライトピアノの下にスピーカーを置いてあるせいもあって、かなりいい音がする。いまはルービンシュタインの弾くショパンのノクターンをかけているのだが、はっきり言って聞くという行為に際して、音源の質はあまり関係ないのである。

 かつて小林秀雄が、ゴッホの絵について論評して、複製の方が感動的だと書いたことがあった。これは極端な例だが、音楽にもそういうところがある。中公文庫に著書が収録されている音楽評論家の「あらえびす」氏は、小さな音でレコードをかけて音楽評論の筆をふるったのだということである。隣室に住んでいる人がまったく気がつかなかったというエピソードが残っている。壁の薄い昔の日本の木造住宅での話である。そう言えば、若者が大きな音でレコードをかける姿が風刺漫画などにも出て来た時代があった。その前の昭和時代の小説では、近所の蓄音機を大きな音でかける人について話題にしているのを読んだ記憶がある。
いい音に淫することは、果たして良いのかどうか。

 たしか長嶋有の短編に、「タンノイのエジンバラ」というのがあって、私はかなり以前にこれを授業で取り上げたことがある。母子家庭の小さな女の子が、この音いいねと言ってスピーカーの前に坐り込む、という一節があった。タンノイのエジンバラは、究極のスピーカーなのだそうだ。主人公はたしか遺産相続の品としてそれをもらいうけて自室に置いていた。たまたま高級な贅沢品をもらってしまう、というような話は、なかなか楽しい。他人のことでも、読んでいて心が安らかである。自慢たらしくないところがいいのと、自分とまったく関係がないと感じられるところから、豪勢さに伴う自由が感じられるからだ。たとえば『千夜一夜物語』の大金持ちになった主人公の話も純粋に楽しい。夢とか何とかいうのではなくて、聞いたり読んだりしても妬ましくないからだろう。人類というのは、ねたみやすい種族なのである。

 ここで一つ思い出したことがある。引いてみよう。養老孟司と宮崎駿の対談集の一節だ。

「宮崎駿

 デジタルで映像を作りますとね、風景にならないんです。フィルムだと、パーコレーション(フィルムの両サイドの穴)を歯車で送るとき、どうしてもガタというか、ブレが生じます。撮影の時にもブレが生じて、複合されるわけです。それで映画は息づくんですね。」     『虫眼とアニ眼』


 このあとに、なるほどそうか、と思う一言が来るのであるが、例によって私はその部分は引用しない。

 要するに「ガタ」や「ブレ」をおもしろさと感じないような「アート」は、「アート」に値しない、という価値観を宮崎駿は語っている。

 まとめにくいが、作り手が完全に仕上げたはずの映画の本当の最後の仕上げは、パーコレーションの偶然によって生まれた。ここから敷衍すると、音楽もそういう要素がないといけないのだ。生の出来事は常に一回性であり、その一回性が保障されないところに楽しみはうまれない。

 スーパーやコンビニでいつも同じ音楽をかけているところがあるが、私はそこで働いている人はその音に倦むのではないかと思う。自分だったらそうだ。そうすると、それは長い目で見たら個人の創意や労働意欲をそぐことにつながらないか。

 経営者の都合で環境音楽というものをなめてかかってはいけないのである。手抜きをすることは、生活と労働の質を落とし、結果的にその企業や店の力を減退させる。それほどに影響力のあるものだと私は思う。もっとも、わざと不愉快な音を流してなるたけ長居させないという技術もあるかもしれないが、これは何をか言わんやで、そういうのを悪魔の技術というのだ。

 伊勢丹だったと思うが、ブランド・イメージにつながるような匂いを店内でくゆらせているのだそうだ。またその匂いをかぎたくなるようなアロマ効果を期待している。こういう感覚というのは、なかなか好ましいところがあって、われわれの文化というものは、そういう気遣いの集積によって維持されているのである。私はこの前の選挙で調子を狂わされたので、二週間も歌集評が書けなくなってしまって、いま何とか調子を戻そうとしてこういう文章を書いているのである。私は国民・選挙民の一人として、愚弄されているという感じがいまだに抜けない。こんな国に自分が生きているのか、と心底がっかりさせられたのである。

 まあ、切り替えることが大切だ。新規巻き直しというやつだ。新しく目標を立てることにしよう。

園田高弘のベートーヴェン

2016年09月19日 | 音楽 芸術
 連休中の雑読書のなかに園田高弘の名前が出て来た。私は、二十代前半のある日のこと、何気なくFMラジオのスイッチを入れたのだった。そうしたら園田高弘の演奏するベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ、作品110だったと思うが、その後半の音が流れて来た。衝撃を受けて、全部聞いてみたいと思った。私にベートーヴェンのピアノ・ソナタと出会う端緒を作ってくれた、という意味において、いまでも私は園田高弘の名前が忘れられない。言うならば、それは、日本人の弾くべート―ヴェンだった。

 二〇〇二年に糸井重里が出した『経験を盗め』という対話集のなかで、水道局の技師前田學(この人は、水を匂いだけでどこの水か判別できる)と、『絶対音感』の著書で知られる最相葉月が鼎談を行っている。園田の名前は、こんな具合に出て来る。

(最相) 絶対音感のある方も、戦時中は国のために駆り出されたことがあったそうです。ピアニストの園田高弘さんは、その聴覚力から、敵機がどの角度からどのくらいの高さで飛んでくるのかを感知するため、東大の聴覚研究室で実験を受けられたんです。目隠しをして、いろいろなところで鳴らされる音に対し、高度何メートル、方位はどこだというのを答えるわけです。前線で人間レーダーのようなかたちで実用化しようとした手前で、終戦になったんですけど、その精度は九〇パーセント以上の正答率だったそうです。

 このエピソードは、これ自体ものすごくおもしろいものだと思うが、最相は、私にとってもっと重要な知識を提示してくれていた。

(最相) ドレミファソラシドでいうとラ、A音ですね、その国際規約が周波数四四〇ヘルツ。コンサートマスターがA音を出し、それをもとにしてみんなが音合わせをして、演奏を始めるということをしています。ただ、国によって、あるいはオーケストラによって、そのA音を自分たちの好きなように独自に変えていたりするんです。(略)アメリカは四四〇ヘルツが多く、四四二もあります。ヨーロッパでは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは四四五から四四六ヘルツ。ベルリン・フィルはひと頃、四四七ヘルツくらいでやってたそうです。日本のN響は四四二でしたか。

 こんなことは、音楽に詳しい人には常識なのかもしれないが、昔から私は、どうして岩城宏之さんの指揮するN響の演奏するべート―ヴェンの交響曲が、垢抜けないけれど懐かしい、みたいな気がするのか、その理由がわからなかった。演奏技術のせいには思えないので、ずっと不思議に思っていたのであるが、こういうことだったのだ。たぶん、戦時中のSPレコードやラジオ、それから湿気も関係があって、日本人には戦後もずっと四四二ヘルツが最適だったのだ。今は音楽の響く部屋と都市全体が、おおむね乾燥していて、欧米並みの四四五から四四六ヘルツ、四四七ヘルツも平気になっているのだろう。ヘルツ数が高い方がおしゃれな気がする、というのは、耳に珍しいところのある音の方が、新しいもの好きの人間には、おもしろく感じられるからということで説明がつく。