さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

中江俊夫『沈黙の星のうえで』昭和40年10月刊より

2017年09月30日 | 現代詩 戦後の詩
寝床の脇に積んである本の中から、一冊抜き取って披いてみると、まことに時宜に適うような詩が目に入ってきたから、少しばかり長いけれども全編引用してみよう。これを読むうちに読者の気が紛れたら幸いである。

詩集『沈黙の星のうえで』昭和40年10月刊より

  めくる   中江俊夫 

季節をめくる 風をめくる
昼と 夜をめくる
時間をめくる
ことばをめくる 沈黙をめくる
生をめくる
心臓をめくる
瞼をめくる

(明日はない)

夢をめくる
欲望をめくる
愛をめくる 花びらをめくる
存在をめくる 秩序をめくる
神をめくる
天体をめくる
無をめくる

(明日はない)

商標をめくる
会社をめくる
社長の背広をめくる 脱税をめくる
カバンをめくる
書類をめくる 伝票をめくる
課長をめくる
不渡手形をめくる

(明日はない)

トランプをめくる
かるたをめくる
頭の皮をめくる
顔をめくる
秘密をめくる
青空をめくる
星空をめくる

(明日はない)

パンのみみをめくる
鼻紙をめくる
キャベツや たまねぎの皮をめくる
かん詰のふたをめくる
じゃがいもの皮をめくる
カレンダーをめくる
便箋をめくる

(明日はない)

厚ぼったい毛布をめくる
薄汚れたシーツをめくる
ぺしゃんこな敷きぶとんをめくる
すりきれた畳をめくる
こわれかけた床をめくる
白ありのくった土台をめくる
重たい土をめくる

(明日はない)

ベトナムをめくる コンゴをめくる キプロスをめくる キューバをめくる 
民族をめくる 死骸をめくる
アメリカをめくる ソ連をめくる
中国をめくる 台湾をめくる
インドネシアと マレーシアをめくる
争いをめくる
世界中をめくる めくれるだけめくる

(明日はない)

田舎をめくる 農村漁村をめくる
祖先をめくる
山林地主をめくる 野山をめくり 海をなぎさからめくる
因習をめくり 村八分をめくる
むしろをめくり 農協漁協をめくり 宿屋をめくる
坊主と 寺をめくる

(明日はない)

新聞をめくり 雑誌をめくり 活字をめくる
独占資本と マスコミをめくる
死をめくる 女優をめくる
スカートをめくる おま〇こをめくる
黒い魂をめくる
胎児をめくる
恐怖をめくる

(明日はない)

※引用了

[解説と解釈]
 無関係な方々の検索にかからないように、一箇所あえて伏字にしてある。

 一行あけた(明日はない)までをセットにして一連と数えることにして、詩は全体で九つの連で構成されている。一連目と二連目までは、極大のものが相手になっていて、まじめな感じがする。三連目以降は、下世話な日常生活の事柄が取り上げられてきて、ユーモラスである。七連目では当時の紛争地と対立勢力の名があげられる。八連目は日本全国津々浦々、九連目でジャーナリズムや芸能界が何となく想起されてから、詩はどうにかおわる。ここでの「女優」はマリリン・モンローかもしれない。

 そもそもこの、「めくる」というのは、どういう意味の動作動詞なのだろうか。ありとあらゆるものを飲み込んで「めくって」しまう。ここには、「めく」られてしまったあと、そのモノは、消えて見えなくなってしまうような気配がある。「めくる」という語は、最強の否定の表現なのだ。しかし、同時に「現前」の瞬間自体は肯定されている。「めく」られるものには、良いもの、素晴らしいものが含まれる。

 「めくる」という言葉には、「引っくり返す」とか、「覆す」というようなニュアンスが感じられる。そうしてから転換、または展開してしまうのである。 「明日はない」というのは、その「めく」られたモノが明日はもう無いと言っているようだ。同時に「明日」というものが「ない」。あるものを「めく」ってしまったら、その結果として「明日」は無くなるのだよ、と言っているようにも解釈できる。きれいさっぱりめくってしまって、ああせいせいした、という気配も、ないではない。無。無こそがもっとも願わしい。

 それと同時に、めくって、めくって、めくってしまって、その果てに「明日はない」のだから、「めくるな」と作者は言いたいのかもしれない。めくってばかりいるんじゃない。めくるな、と。こういう矛盾したメッセージを、各連ごとに挿入される(明日はない)という言葉が発散している。「めくるな」とは、他者に対してだけではなく、作者自身に向けても発せられているメッセージである。どうしてあなたと私はさまざまなモノを「めく」り続けるのか。そうやってすぐにリセットしたがるのか。そんなふうに、やり過ごしてばかりいるンじゃない、と。

「めくる」という言葉には、多分に本や雑誌や新聞をめくる、というようなニュアンスが伴っている。「めくる」ためには、手や指先の動きが必要となるからだ。それほど大変ではなく、けっこう簡単に、やすやすと「めく」れるのである。スマホの画面もそんな感じだ。ここでまた、元の疑問に戻る。「めくる」というのは、どういう意味の動作動詞に置き換えられるだろうか。

通り過ぎる。忘れる。台無しにする。看過する。適当にごまかす。やりすごす。見ないようにする。考えないようにする。

こんなニュアンスを含み持っているかもしれない。

ところで、あるシチュエーションにおいて、「めくる」ことを強いられるのは、ひどく屈辱的だ。これは、仕事で働いて一定の報酬を得るために頭を下げるのとは、訳がちがうのである。日頃から「めく」られないようにしたいものである。と言うより、まずは「めくる」ことを疑ってみないといけない。自動的に「めく」っているみたいだけれど、何で私とあなたは「めく」るのか、「めく」られてしまうのか。

もしかしたら、「めくる」という語は、「生きる」ということの同義語なのかもしれない。それは抗いようのないことなのだから。とは言いながら、そこに「明日はない」という断言が連続する時、「めくる」ことは即座に絶体絶命の危機にぶち当たってしまうのである。その危機の感覚こそが、作者にとっての詩であり、詩的な文明批評なのだ。強烈な異議申し立てだ。でもまあ、かなり乱暴な感じのする詩ではある。論理性が、にょきっと突き出て聳え立っている。良くも悪くも「荒地」派の詩なのだ。



上條雅通『文語定型』

2017年09月24日 | 現代短歌
私は作者が還暦を過ぎて第二の人生を同じ会社に再就職して働いているということを知っている。けっこう仕事の歌が多いのだけれども、そのどれもが味わい深いものだ。母の挽歌も胸にしみる。

 俯きて入りたる路地に高々と投げ上げしごとく白き月照る

 少女にて大空襲に生きのこりわれを生み賜ひ今し絶えたり

 曇天の昼の米原風さむく男いくたりか「のぞみ」を捨てぬ

 集中には月をうたった作品がいくつもあって、そのどれもがいい歌だ。三首目は、むろん新幹線の列車を降りたというだけなのだが、誇張法を用いることによりサラリーマンの運命のようなものが漂う歌に仕上がっている。これはちょっと古いタイプの「男」の像かもしれないが、人生黄昏の感慨を、いぶし銀のようににじませた、しぶい男の歌なのだ。

 右ひだり尾根そびえたつ谷底に駅と街あり行く人二、三

 小説の郡奉行の決心をおもひみるべしふゆの夜道に

 用一つ終へてしとどに濡れゐたる車を降りぬそば啜らむと

 こういう仕事の途次で取材して作られた歌が、どれもいい。孤独で、清々しくて、かすかな悲哀感が漂っている。

 今日もまたプツシユサンドと注文しプレスサンドと直されにけり

 うつすらと風邪気味なれば旨くなき煙草二本目に火をつけにけり

 作者は含羞の人だから、ユーモアが感じられる歌は多少自分を責める方向に行く気配がある。いまや少数派の喫煙者でもある。自己プレゼン世代ではないので、蕎麦の歌がさまになる。人生は旨くなき二本目の煙草のようなものだ、と言って絵になる。でも、歌を作りながら生きていられることは幸せだ。そういうことを直接に言った歌もある。おしまいに。

 取柄なき小さき庭も秋の夜は幼きわれを酔はす虫の音

 落日を見むと来たれど山ぎはの雲に入りたる鈍き没りつ陽

 身辺に薄の野原がなくなって、最近は都市部では馬追虫やえんま蟋蟀やキリギリスの声をまったく聞かなくなってしまった。私は作者より年下だが、子供の頃虫の声に酔った年代だ。常に自然の景色を恋うている。二首目、壮麗な落日ではなく、鈍き没りつ陽をうたうところがいかにも作者らしい。

2011.4.9の文章

2017年09月13日 | 現代短歌
☆ 以下は、2011年の「一太郎」ファイルの復刻である。これは某誌が休刊してしまったために陽の目を見なかった。

歌集・歌書プロムナード 
     
 電気はいつでも使えるもの、電車はいつでも乗ることができるものと思って疑わなかった生活が、根底からくずれたのが、今度の地震だった。都市の住民は、知らず知らずのうちに自分の生活のリスクを地方に押し付けて暮らしていたのである。原発の危険は、実はみんなが知っていた。科学技術は万能ではないということもわかっていた。安全神話ではなくて、自己暗示に近かった。「だまされていた」のではない。自分で自分の耳と目をふさいで、危険と隣り合わせの現実を見ないようにしていたのだ。むろん十分な安全対策を怠っていた国と会社の責任は問われてよい。けれども、やはり徹底的に油断していた。自然を甘く見ていた。
 地震のあと一週間ほど、新聞は見るけれども短歌関係の本や雑誌にさわる気がまるで起きなかった。ただ気持ちがさわがしく、手先を動かす仕事や、身のまわりの片付けだけを続けていた。その時にたまたま取り出して、たちまち心が立ち直るというか、ものを読むというところまで気持ちを引き戻してくれたのが、少し前のものだが次の歌集である。

〇水沢遙子歌集『空の渚』(不識書院)

 一集が言語の結晶体として凛然として屹立している気韻に打たれた。硬質で磨き抜かれた文体の弾みに、こちらのだらだらした気分が正されて起き直ったような具合である。作品世界に明滅する光と影に、生きて年月を重ねることのかなしさが、端然として明晰に、くもりなく表現されていることに驚く。

  やうやくに追ひて入りたる夢のなか手をあげてひとは星辰を撫づ

  透明の水のつばさといふ喩へうかべつつ聴くさびしき詠唱 (ルビ、アリア)

  三人目のひとの明るさ夜の夢のふたり角(ルビ、かど)だつ場に入りきて

 死者の視線にたえられる作品、というようなことを思ってしまって、しばらく文字が読めない日が続いていた。今見ている作品は、大量死の死者のまなざしにたえる作品であるのか、というような事であったのだが、そんな重荷をやすやすと担い得る詩歌があるとは、思われなかった。でも、自らの内側に死というものを抱え込んでいる言葉は、死者の目からみたら安らぎともなるのではないかと思った。そういう詩ならあるだろうと思われた。それが、水沢遙子の歌に私の心が寄った理由である。次に示すのは、阪神の大地震のことをうたったものである。

  大地震の十数秒の轟音を今に喩ふるものを知らざる

  その冬の花は凍てゐき一月の山茶花地震の記憶をひらく

  身に重く病負へども母はわがうつつにありき大地震の冬

このあとは、以前から書き溜めてあった原稿となる。

〇玉城徹著『左岸だより』(短歌新聞社)

 手にした時にうれしさが込み上げて来る本だった。限られた読者にだけ届けられていた著者晩年の通信の文章と短歌作品が、すべて一冊にまとめられている。二段組で一二八一ページという大冊だが、見やすいし、めくりやすいので、どこからでも入っていける。玉城徹の個人的な経験が、自ずから思想史や詩歌史として読めるように感じられるのが、本書のおもしろいところである。玉城徹は、強烈に自分の物の見方を打ち出しながら、同時に常に自分を冷徹に突き放している。断章を引いてみたい。

「〇わたしも、何も世間離れをするつもりはない。人並みに、欲も見栄ももつ。執着もある。
 〇それでも、歌というものが、余りにも、世俗の競争ばかりでは、味気ない。人の心を清くするところが少しもない歌は、どうも心もちが善くない。 
 〇自分がその中の一員だからというので、近代や現代を偉いもののように思うのは、歴史の捏造である。」

 しばしば諦観、傍観の言葉をもらししつつも、同時に痛烈で激しい。最後まで心の情熱を持ち続けた人の語録である。そうでなければ、七年間でこれだけの分量のものが書けるわけがない。

〇古島哲朗著『短歌寸描』(六花書林)

 この本は、一人見開き二ページで一〇七人の有名無名の歌人を取り上げた作品の鑑賞本である。その中には片山貞美や高嶋健一など玄人好みの歌人の名前がみえる。佐賀の草市潤の名がある。私は「牙」の山部悦子と、一時二宮冬鳥の「高嶺」にいた西田嵐翠の歌を、この本ではじめて知った。冬鳥門下三人衆の一人という江島彦四郎の名も教えられた。短歌の世界は奥深く、地方歌人には、埋もれたいい歌人がたくさんいるのだ。

 筆者は福岡生まれ、のち愛知に移住。そのため九州をはじめとした地方在住の歌人を丁寧に見る目を持っている。全体の記述には人知れず秀歌を残して来た人々への敬意と哀惜の念が、自ずからにじむ。取り上げる作品の選出にあたって、歌風にはこだわらないが、市中にあって脱俗の気を養っていた歌人への嗜好をにじませている。また、後記を見ると、これが最後の本だという。この機会に著者の『現代短歌を〔立見席〕で読む』をさがしてみようと思った次第である。

〇久津晃歌集『宇宙銀鼠』(角川書店)

 若い頃に結核を病み、「重篤の時期、私には短歌以外何物もなかった。それによって、私は一命をとりとめたと今でも思っている。」と歌集の後記に記している。作者は、戦後早くに「アララギ」の先進だった金石敦彦に親しみ、「未来」を通じて多くの知友を得た。そうして妻の山埜井喜美枝とともに、福岡で長年九州歌壇を担って来た。本集では、傘寿をこえて自在な歌境に達した作者の生死の境を見つめた歌群に心をうたれる。

  人形が涙を流す場面にて地上遥かに太鼓鳴りつぐ

  腰落し尿(ルビ、「尿」ゆまり)する犬紐ゆるめじつと見てゐる老いも屈みて

  じやんけんをしてゐるやうな心地にていのちと向ふ年末年始

さはさはと風が過ぎゆく葉月尽緑の蛇が木をのぼりゆく

  老いるとは死ぬより辛きことながら老いねばならぬ生きてゐるゆゑ

〇楠見朋彦歌集『神庭の瀧』(ながらみ書房) 

 作者は、塚本邦雄の評伝を書いて、昨年前川佐美雄賞を受賞した。古典和歌をもとにした沓冠(ルビ、くつかぶり)の十首をもって一連を構成したもので全二十連のうち半分近くを創作している。塚本門下らしい修辞へのこだわりを見せた一冊だ。冒頭の一連は、
「大空をかよふまぼろし夢にだに見えこぬ魂(ルビ、たま)の行(ルビ、ゆ)く方(ルビ、へ)たづねよ」

という「源氏物語」からの引歌を「まぼろしとゆめのあひ 何ど終ることはなく」と十音二句に変換したものだが、むろんこれは師の塚本邦雄への挽歌なのだ。

  野宮をもとほるわれとすり硝子ごしの世界を見切りしあなた

 右の歌は、塚本の「五月来る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり」を連想させる。

  鳥髪に来てわれはわが夢の客もはや何者も醒めざるしじま

  ラジウムとひかりおぼめく螢かご提げてをり幽明のさかひに

 二首とも山中知恵子の歌を踏まえているだろう。現代の本歌取りと言えないことはない。これだけ豊かな語彙を使いまわせる作者は、若手の中ではそう数はいないだろう。もう少し引くと、

  氷室より運べるごとき言葉かな盛夏の君にシュガー・クラッシュ

  父親となるには一年(ルビ、ひととせ)も要らず吾妻線の溪ぞきらめく

 私には、右の二首程度に肩の力を抜いてもらった方が読みやすい。歌はこれでいいではないかとも思うのだが、そこを敢えて挑戦的な試みを続けてゆこうとするのは、「玲瓏」の血筋というものだろうか。

〇宮崎信義歌集『いのち』(短歌研究社)

 二〇〇九年一月二日に九十六歳と十ケ月で亡くなった口語自由律の歌人宮崎信義の最後の歌集である。没後の刊行だが、タイトルは生前の著者から娘に手渡されたノートの表紙に書いてあったもの。「山」という連から。

  私ののぞみは山が沈んでいく時に一緒に沈んでいくことだ

 「いのち」という連から。

  私のいのち見えるだろうか空を飛ぶ一羽の鳥のいのちが見える

  私のいのちがあなたに移る不滅のものこそいのちなのだ

 二〇〇七年の肺炎で入院した時の歌。

  ここしばらくいのちが居坐っている天気予報に似ているな

  絶筆から。

  今度こそはほんとの一人旅棺には杖や菅笠入れといて

 いずれも解説を要しない歌である。九十歳をこえた人の「いのち」への思念が、やわらかい澄明なつぶやきとして、偶然にゆだねられた「いのち」そのものの本質と対話する姿を通して、読者の前に差し出されている。

〇東直子著『耳うらの星』(幻戯書房)、『十階 短歌日記2007』(ふらんす堂)

 私は東直子のエッセイを読むのが好きだ。以前読んだ『今日のビタミン』はとてもおもしろかった。今度の本も、大人の好奇心と童心がうまく溶け合った、少しくすぐったくて、とぼけた文章の味わいは変わらない。ふらんす堂のホームページにのせた短歌の方は、私も近年は好みが気難しくなっているので、全部にうんと言うことはできないのだが、至って平易なその詠みぶりには、修辞の高度さと、ポピュラリティーとのバランスをうまくはかろうとしていることが感じられる。

  文字のある紙をさかさに読んでいるように見るものすべて不可解

いつかふいに会えたりしてね炎天に一度蒸発したはずだけど

 一首めは風邪をひいたという内容の記事に、二首めは猛暑の日の日記が詞書的に添えられている。私は『耳うらの星』を強く推薦したいが、この人のエッセイは、学校の教科書の教材に使えるとずっと前から思っているのである。著者は、自分の心にうまれた興味や関心の動きを、上手にすくい取って文章にする技に長けているのだ。

〇木畑紀子著『曙光の歌びと―「桑原正紀」を読む』(短歌研究社)

 筆者は、桑原正紀が妻を介護するなかで詠んだ歌を、〈愛〉についての思想を表現したものとして読み取ろうとする。第一部は、歌人論と作品論であり、第二部は個々の作品鑑賞に当てられている。これだけすぐれた文章の書き手に選ばれた桑原は、幸せである。

 「桑原の妻の歌の数々を、介護詠という狭い範疇にくくるのはまちがっている、と私は思う。個の体験をとおして、現代に喪失された愛の本質を桑原は問うているのではないだろうか。」と言うのである。学園紛争を経験した世代のうちでも最も良質な人々が失わずに抱き続けている、魂の純粋な核のようなものの美しさを、木畑の文章に感じ取ることができる。

〇渡辺良著『バビンスキーと竹串』(かまくら春秋社)

 メディカルエッセイ集と副題がつけられているが、この本も木畑と同様に、自己の良心に忠実に従いながら職務を遂行してきた一人の医師の魂の記録である。書かれてある思想は具体的で、しかも病者に接する痛みを語る言葉に深みがある。作者の内省的な歌を知る者には、たまらなく魅力的な文集であるが、筆者は決して声高に語ろうとしない。ロンドンの地下鉄の車内でロシアの詩人マンデリシュタームの短詩に出会うエッセイなどは、二、三ページだけれども強烈な印象を残す。

〇菊地孝彦歌集『声霜』(六花書林)

 一九六二年生まれの著者の第一歌集である。仙台の人だ。高瀬一誌を師と思いながら歌を作ってきて、没後十年近く経って編んだものだという。高瀬を知る人には、あとがきに書かれている著者の心の動き方が、よくわかるだろう。

  盗人のごとく我が家に入り来ぬ寝息の傍をゆらめきながら

  堆き過去と現在に挟まれてセルロイド製下敷きのごとき現在

  感情といふはさびしき川にしてゆふぐれどきをこゑさかのぼる

  モノクロームのごとき日常などといふギャグみたいなことは言うてくれるな

 どれもうまい歌であり、これだけの作者がわざわざ進んで世の中に出ようとしないというのが、渡辺良も含めて、詩歌人というものの不思議な生態ではある。
    
〇染野太朗歌集『あの日の海』(本阿弥書店)

 島田修三の帯文には、「歌集の底を冷えびえとした水のように流れる静かないらだちと鋭利な批評」があると書かれている。デスペレートな気分をユーモアにまぎらわして自己戯画化する手つきが島田修三ばりで、おもしろく読める第一歌集である。
 
自らに溺れたときのあの寒さ原爆ドームの真上の空は

  教師にも入校証が配布され二学期 たしかに戦後を知らず

  馬跳びの馬になる夢見ていたと職員室で打ち明けられた

  「鬱王子」とぼくを呼びたる生徒らとセンター試験を解く夕まぐれ

 軽快な文体。「鬱王子」を救うのが無邪気な生徒達だというのは、わかる気がする。

日記 

2017年09月10日 | 日記
 今日は、知友と西田政史の歌集を間にはさんで歓談し、そのあとは、いつものように古書を何冊か買ってから家に戻った。

 電車の中から読み始めたのは、河野多恵子の或る小説で、すぐに読み終わったものの、こんな悲しい小説もまたあるものではない。続けて手に取ったのは、J・M・クッツェーの『恥辱』という小説で、今朝のテレビで某政治家の失墜の話題で盛り上がっているワイドショーの画面をたまたま見てしまっていた胸糞が悪さが尾を引いていたものだから、そういう気持ちの悪さを党派的とかなんとか誤解されないように上手に表現するのには、クッツェーほどの才能が要るのだなと思ったら、自分の非才が悲しくなって、ビールのあと買ってあったワインを半分ほどあけてしまった。

 しかしながら、まったく酔えなかったため、もう一冊、これは邱永漢の『香港・濁水渓』(中公文庫 昭和五十五年刊)という小説を読み始めたら、黒岩重吾の初期の小説に雰囲気がそっくりだった。その解説(進藤純孝)から引いてみようか。

 「世間の風は冷たい。だが、その風で頭を冷やさなければ、人間は生きることの意味を忘れてしまう」 (香港)より

「戦争がないだけで、平和と言いながらその中身は、「青空の下の牢獄」でしかない奇妙な時代を三十余年程、媚びて生きる人、威張って生きる人の雑踏に漬かって来ると、両作品が飢えて求めた「人間らしく生きることのできる世界」が、今日なおさらに希求されていることに思い当たるのである。」

 というような言葉が書きつけてあって、スマホをいじる「自由」はあるかもしれないが、「戦争がないだけで、平和と言いながらその中身は、「青空の下の牢獄」でしかない」ような現在というのは、まるごとわれわれの現在にほかならないではないかと、思ったのであるけれども、こういう「文学的」なまとめ方はまるで駄目なのではないか思ったところから、私の近年の新聞精読という日々がある。それでも二日酔いなどでひっくり返っていたりすると、読み落してしまうことはあり、たまたま私事がたてこんでいたために、「種子法の廃止」に気がついたのは、まったくあとの祭の時点であった。

 ここ十年か二十年以内に穀物の大不作ということが起きるとしよう。その時に、飢えて苦しむのは、年金生活者の引退政治家たちだけではなく、その子孫も含まれるのである。その時には、利子もへったくれもなくて、みんなが一様にあえいでいようというものだ。だから、自民党と農協の方々には、本気で日本の未来について話し合ってもらいたいと思う。

 私が言いたいのは、日本の政府には、食料についての危機感が足りない、もしくはあっても優先的に考えるつもりがない、ということだ。ジョージ秋山の『アシュラ』という漫画が事実上の「発禁」になったのは、私が小学校の時のことだった。東北の飢饉の中で、斧を使って人を殺しその肉を食べて生き延びる子供が主人公の漫画であった。このままでは、いつそんなことにならないとも限らない。だいたいひとは、ありそうもないことを指摘する言葉には、耳を貸さないものである。「想定外」だからである。

もっとも世界的に食料が不足した場合に、もっとも被害を受けるのは、最貧国とその国の住民で、先進国の住民が飢えて死ぬようなことはまずないだろう、というニヒルなものの見方もないではない。しかし、そういうものの考え方自体が、きわめて不道徳と言うか、非倫理的なものである。

※四月二十日に少し手を入れて再度アップする。


西田政史『スウィート・ホーム』

2017年09月03日 | 現代短歌 文学 文化
砂糖もミルクも入れないアイス・ティ―みたいな五十代の日々を背景にして、でも心には二十代の憂鬱な気分を、「エバーグリーン」の永続性で保ち続けてきたことがよくわかる。詞についての感性だけは老いないから、言葉の感覚は依然として第一級で、深まったのは欝気分だけ。そんな感じの西田政史の歌集がとうとう出た。

 作者は今度の歌集で自分のいちばん内奥に秘めたもの、孤独のいたみのようなものを、ソフィスティケートされた文体で語ることに見事に成功している。日常の時間は硝子細工のように人工的に構築され、維持されているのであり、私の個的な危機は、常に自覚的に修辞的に統御しながら語られるものでなければならないということを、作者はよくよく知っている。しかし、それは、根源的に不安な自我の場所から発出された震えを、一種の悲劇的なおびえのようなまさぐりとして、言葉の上にとどめているのである。

世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり
    西田政史

歌集巻頭の一首。つまり作者は、生きる事への絶望から語り始めるわけだ。
「世界よりいつも遅れてある」というところに、1993年の第一歌集刊行以来の沈黙ということが影を落としているかもしれないが、基本的に一歩退いた生の感覚、自分の生を外側から見守るような詩の言葉というものを信じる作者の方法意識が、こういう言い方を呼び起こすのだと、私は思う。むろん、ここに私的な事実性から来るものを想像してそれを感じ取ってもいいのである。それは歌集を最後まで読んでから見当のつくようなものであるだろうから。

 明け方の樹液のごとくやさしかれ二千年後の日本人たち

 この歌が二千年後に残っているとしたら、この歌を引用したことによって私の名前も残るのだろう。必敗のアイロニーである。

 笑はないで欲しいヤクルトを飲みながら三度日本を愛すと言つても

 思想まで気分に濡れるこの国で神を取り替へつつ生きてゆく

 日本の複雑すぎるのどかさにだれかがビートルズを聞いている

 歌人がものを申すというのは、こういうことだ。これ以上でも、これ以下でもない。無為な自分と、陋劣な現在の時間と倦怠感にあふれる巷の言葉たち。

 昇りつめ総てを開きたるのちはきみの瞳を流れる花火

 うつくしく息詰めているきみの手のしんと線香花火が落ちる

 こういう甘い感傷のにじむ歌を作らせたら、西田の右に出る者はないと、かつて思った。

 きみを連れて帰り着きたい 二十代激しく睡りつづけた日々へ

この歌に反応するのは、私の感傷だが。嘱目詠らしいものを引く。

いらいらと信号を待つかたはらにひくく十字をきる影がある

無造作に打ち捨てられてゆくものを拾ふ老人たちとの夜明け

「アララギ」系の歌人だったら、こういう淡いところを対象にして金井秋彦みたいに沈めて歌っていけば、また別の境地があると思うので、こちらの線も捨てずに作っていってほしいと思う。

ここには引かないが、第一章の「アンドロイドの記憶」の一連がいい。第二章「亜細亜の底の形而上学」の連作はどれも傑作である。ここまでにいくつか引いたが、第三章もいい。今日はここまでをメモとして記しておく。

姫街道の歌 追記

2017年09月02日 | 短歌 歴史
 景樹の引佐細江の歌のことを書いてから、しばらくして、宮城谷昌光の『他者が他者であること』(文春文庫)という本をタイトルにひかれて買ったら、はじめの方のいくつかの短文に井伊家のことが書いてあった。こういうのもコンステレーションなのだろう。姫街道ゆかりの引佐市の風光について、現代の小説家の筆で語られるのを目にすることができるのは、うれしいことである。

「夕暮れどきの浜名湖ほど美しいものはない。
 湖西連峰のむこうに落ちてゆく太陽の赤みを帯びた光が、青い湖面にきらめき散って、夜の色に混融するまえの色彩のたゆたいは、観る者を陶然とさせてくれる。」「近水広陽」より 宮城谷昌光

 私のパソコンのデスクトップには、引佐細江の写真を使っている。嵩山(須瀬山)には行ったことがないので、いつか行ってみたいと思っている。歌を一首引く。

ましらなく杉の村立(だち)下(した)に見て幾重(いくへ)のぼりぬすせの大坂  香川景樹

○これはすなわち本坂越である。「すせの大坂」は、ことのほか大きい坂である。幅が広く至って高いのである。深い谷を両方に見おろすのだ。杉の梢を下に見る。猿など大きいのが居るのである。すなわち晴天に通ったのである。段々上にのぼって峠に至ると、(今度は)深く下りになるのである。猿などもはるかに下に飛び居る様子なども見えるのである。「すせの坂」というのだ。大きな坂であるので「大坂」と景樹は言うのである。「くぜの大坂」などを例にして(そう)言うのである。 (「桂園一枝講義」より)

 「ましらなく」の歌は、白居易の詩を踏まえた佳吟である。
 
 宮城谷昌光の文によれば、引佐町の龍胆寺の庭は小堀遠州作だということだ。景樹の歌は、片桐石州の「きれいさび」に通ずるところがあると私は思っている。小堀遠州の庭にもそういう要素はあるだろう。冬は寒い風が吹くそうだが、何にせよ、日本一と言っていいくらい風光明媚な地に住んでいたら、心はさわやかで、くだらぬ名望欲や金銭欲とは縁のない生活ができそうだ。