さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

森田茂 「ベニス」

2023年01月15日 | 美術・絵画
 夕映えの寺院や塔が、黄金の輝きを発している夕暮どき、建物の屋根や壁から反射した光が、空の色と反照し合いながら、わななくように震え、この都市を特徴づける運河の水面の光をきらめかせている。塔や伽藍の間からあふれ出した光は、空の光彩と一体化して反照し合っている。画家はその光の交響を大胆な力強いタッチで鷲掴みしている。からだの中から、皮膚と血管、目と指先を眼前の風景に溶かしこむようにして、筆を動かしている。だから、画家の肉体は、この絵の中にありありと生きて溶け込んでいる。

 もしかしたら人は、画面中央左の塔が明らかに左に傾いていることを奇異なことと思うのだろうか。それを言うなら、画面中央右側のドームの建物も、注意して見ると右に傾いているのである。ここにあるのは、遠近法でもなく、画面の主知的な構成への関心でもない。眼前にきらめいているベニスの街全体から受ける印象を、直接に表現しようとする強い欲求があって、何とかしてそれを伝えようとして即興的な精神を発動した結果こうなった、というような画面なのだ。近年の高齢者中心となりつつある公募展の大半の絵に乏しいのが、こういう精神である。

 色彩の基調をなしているのは、緑と黄色である。こんなふうな緑の使い方は、私は見たことがない。大胆で独自である。黄色も絵の具のチューブから画面にじかに押し付けて定着したのだろう。所によってすさまじく盛り上がっている。その一筆一筆が、自己存在を証明する出来事へと転化している。または、そうあらねばならない、という意思をもって迷いなく色としての絵の具が置かれている。

 別の日に。しばらく見ないでしまってあった絵を取り出して黄袋を払うと、たちどころに燦爛とした色彩と絵筆の調子が目を打って来た。それは生の躍動感となって、微動し、反射する光となって、風景をゆらぎの相のもとに開示している。だから、画面のなかに静止しているものはないのである。

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