さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

喜多昭夫『いとしい一日』

2021年01月31日 | 現代短歌
 雨戸を開けた時に本が崩れて、それを積み直したときに鼻先にこの本が来たので、書名が目に入った。緊急事態宣言が出て、見知った飲食店が次々と店をたたんでいくような危機的な状況のなかで、みんなが、それぞれの現場で、生活の中で、「いとしい一日」を生み出していくほかに、今という時をすごす仕方はないのだろうと、あらためて思い、それから本の表紙の薔薇垣に囲まれた自転車の写真をながめて、ページをめくりはじめると、いきなり作者の高校時代にタイムトリップして青春の時間に引き込まれる。

  好きになるのを否めない聖子ちゃんカットが起立、礼して揺れる

  オバちゃんであることをまず確認してプレイボーイをそっと差し出す

  雲図鑑いろんな雲があふれてて僕のからだは雲になりたい

  マッチ箱ひとつが柩となることを死んだ蛍が教えてくれた

 聖子ちゃんカットは、むろん松田聖子の髪形。プレイボーイは雑誌名。輸入物はマジックで消した部分があって、バターでこするとそれが消えるという話をためしてみたけれど本がべとべとになっただけで駄目だった、というような当時の青少年の笑い話もある。てれくさいのだ。雲図鑑の歌もマッチ箱の歌も実に上手い。

  家族みんなはらたいらさんに全部賭けおじゃんとなったクイズダービー

 三章までは楽しく読んだが、四章に「リュウへの手紙」という一連が来る。リュウは岡井隆のことである。この本が出たのは2017年十一月だからまだ岡井さんの生前だ。それに歌人の名前や短歌の催しが出て来る歌は、だいたい読み流したい気がしたのである。それだけで作者の軽妙なユーモアは自立しているのに、歌人の名前が出てくると、余計なものがまつわりつくような気がして、いやだ。せっかく「いとしい一日」を見つける手がかりが見つけられそうだったのに、ちょっとふざけすぎではないか、と思いながら、
 
  喜多さんって、もずく酢みたいな人ですね あらいやーん ゆやゆよーん

というような歌を見て思わず噴き出す。「みんな消えちまえ。」という詞書のあとに、

  短歌史に生き残りゆく幾人をナウマン象のごとくに思う

という歌を同じ一連に見出して、確かに言われてみれば、そうだなあ、と思う。けれども、こういうことは言わなくてもいいことなのかもしれないとも思う。どの道、大きい象も小さい象もみんないっしょですって。短歌も文学も二十世紀に隆盛をきわめたものが、表現とその享受のシステム自体の変化のなかで滅びかかっているわけだから。この瀬戸際でどう戦うのかが、問われている。

  キキとララ星をふりまく棒切れをかたみに鳴らしさよならしたの
    ※「棒切れ」に「スティック」と振り仮名

この「かたみに」は「互いに」の意味。けれど、ひらがなだと「形見」とか「片身」という字が背後にチラつくようで、なかなか切ない。

  さっきまで着ていた服が燃えている あなたに気づいてほしかったです

 この歌がある「鳥居ならここにゐます。」の一連はわるくない。さて、「いとしい一日」の一連は、と言うと、定年退職まであと幾年の作者だとわかる歌があったりする。でも、作者のユーモア精神は意気軒高たるものだ。

  スライムを壁に投げつけ遠ざかる そういう人にわたしはなりたい

 妻と娘に聞いたら、何それ、とちょっと笑ってから、スライムが流行したのはだいぶ前だし、という返事。私は、けっこういけてると思うけど。

  はつあきの光のなかを歩みくる母に抱かれたみどりごは我

 だから、ここはおちゃらけたりはできないところなので。大事なところだし、別にてれる必要もないのだから。

渡辺良『スモークブルー』

2021年01月23日 | 現代短歌
 今日はひさしぶりにトム・ぺティー&ハートブレイカーズのアルバム「wildflowers」(1994年)を聴きながら、これを書きはじめる。

 待望の渡辺良さんの歌集が出た。作者は、三代の医師の家系にあって、ひそやかに己の職分を日々果たし続けている。町医者として、昭和二十四年生れながら、在宅で多くは寝たきりの高齢者のために、苦行のような往診を続けている。

  町医者に時間の外はあらずして冬のアスリートを思う夜の道

そういう生き方の根っ子のところに、若い頃から持ち続けてきた思想的な経験と生涯のテーマが沈められている。それは、ひとが生きるということの意味を不断に捉えかえし、問い続ける意識の持続ということである。だから、徹頭徹尾内省的である。その生き方は、反時代的かつ隠者的ですらある。

  もろともに苦しみやがて茫々となりゆくわれの生とおもう
    ※「生」に「いのち」と振り仮名

  独り居の君ゆきしのち路地奥に濃き空っぽがひとつ生れたり

往診の高齢者の一人ひとりは、自分の同志のような存在なのであって、その人の生の意味を最後に感じ取って虚空に投げ返す役割は、この孤独な医師に託せられている。そのありようは、かぎりなくキリスト教の司祭に似ているけれども、あくまでも一個の反省する個人・市民として引き受けた役割なのである。

  見まもりという消極をうべないぬ秋陽に透る耳朶うつくしく
    ※「耳朶」に「じだ」と振り仮名

  砂塵をまぶした墨絵のような富士みゆる黒く大きなかなしみのなか

こういう重たい他者の苦悩の引き受けかたに現れているのは、若い頃の自分が抱えた思想的負債についての時間をかけた反問を、ほとんど体質と化するほどに内面化して生きてきた、作者の職業人としての経験の意味の深さである。命というものの持つ絶対的平等性、それに対する信念がなければ、どのような医療行為も不可能である。

  薄き布団はがして「寒いね」と笑いかける僕は知らないきみの寒さを

  かんぺきにケアのプランは作られてあなたは病む島に取り残されて

この「かんぺきに」の一首は、次代のすぐれた医療者たちへの課題のバトンとなっていると私は感ずる。短歌はこんなふうに書物一冊分の問いを一首の歌に託すことができる。

  久しぶりに道を歩いて喜んでいるのはわたしのあしですという

こういうかたちで、観念や思想というものが具体的な生活世界の全体に接続されるということが、私にはとてつもなく有難く、また尊く感じられるのである。これは読みながら、空漠としたかなしみと、生きていることに対する豊かなよろこびを同時に感じさせられる、稀有な作品集なのである。

伊集院静『いねむり先生』

2021年01月16日 | 
〇伊集院静『いねむり先生』(2013年8月集英社文庫)、『旅人よ どの街で死ぬか。』(2017年3月刊)
 この作家の書いたものは、エッセイは別にしてあまり読んだことがなかったので、今回はじめてまとめて読んだ。旅をしながらどこで死ねるのかを考えるということと、普通に生活しながら自分がいつ死ぬかを考えるということとの間に違いがあるとすると、それはたぶん、旅の間に死ぬということが根本的に孤独であるということだろう。だから、旅の中での死は、普通の生活者ならば事故死に近いものであり、巡礼や求道者ならば修行中の死であり、流浪人なら行倒れのイメージと重なって来てしまう。人の死は、基本は家族や友人といった人間関係の輪のなかにあるべきものなのであり、そのこと自体は種としての人間にとっての真実であると言ってもよいだろうと思う。そうだとしても、真に孤独な人間にとっては、旅の中での孤独な死は、当然の、また必然の帰結として、常に脳裏を去らない規定事実であるのにちがいない。そのことの持っている意味の厳しさは、実際にそのようにして生きている人間にしかわからないことなのだと思う。

 『いねむり先生』のおもしろさは、いったん肉体的にも精神的にも生死の淵に立った語り手が、賭け事に死活の活を求めて生きる導師に巡り遇えたよろこびを率直かつ素直に、いきいきと語っている点にある。全体に筆がのぴのびとしていて、色川武大という人の不思議さ、おもしろさ、悲劇性を帯びた翳りというものが読み進むにつれて拡がって来るので、読みはじめたらやめられなくなった。『東海道中膝栗毛』というエンタテインメントの傑作をわれわれは文学史のなかに持っているが、『いねむり先生』はそういう道中物の型を知ってか知らずか、なぞっているようなところがあり、人が動けば出会いとハプニングがあり、それに読み手は限りなく好奇心をそそられる。さらに人はどのようにして蘇生するのか、ということに対する答、またはヒントが、この小説には示されており、それは読み手が各々場面のディテールを感受することを通じて理解すればよいのだろう。私なりにあちこち付箋を付けてみたが、それを書いてしまうのは気恥ずかしいことだからここではしない。

 私がこの作家の書いたものをこれまで読まなかった理由の一つは、本のタイトルに心をひかれなかったからで、『旅人よ どの街で死ぬか。 男の美眺』も、ここまで言わないとわかってもらえない、という一種の諦念を含んだ作者の絶望が感じられるタイトルではあるのだけれども、私はこのタイトルをはじめ見た時に、その語感のセンスがいやだと思った。読了してから絶壁に身を投げ出すような孤独者の覚悟が感じられるものだということがわかって、末尾の方に触れられていた『いねむり先生』をいそいで取り寄せて読んだ。それは傑作だったのでこの小文を記すことにした。その小説は映画化されているようだけれども、私は見たことがない。

 さて『旅人よ どの街で死ぬか。』にビルバオ・グッゲンハイム美術館を訪れる一節がある。

「かつて露天掘りの鉄鋼業で繁栄し、時代に取り残され衰退していた谷間の街が、見事に再生した。そうだろうか。将来も人々はここを訪れているだろうか。
 人が特定の土地、場所に引き寄せられるのは、もっと根源的な何かがあるからではないだろうか。」

 私はこのあとの一文の調律が気に入らないので、続けてここには引かないが、こうして述べられている趣旨には頷かせられる。

 ついでに書いておくと、先週の「毎日新聞」の書評で『評伝フィリップ・ジョンソン 20世紀建築の黒幕』=マーク・ラムスター著、松井健太・訳、横手義洋・監修(左右社・6930円)が紹介されている中で、フィリップ・ジョンソンとグッゲンハイム美術館との出会いについて触れられていたのを読んだ覚えがあるが、ネットで検索すると記事の後半が有料なので確かめられない。少なくとも、フィリップ・ジョンソンと伊集院静の志向するものが正反対である、ということは推測できる。今回のコロナ流行という事態のなかでビルバオ・グッゲンハイム美術館などは相当な打撃を被っていることだろう。

俵万智『未来のサイズ』

2021年01月10日 | 現代短歌 文学 文化
俵万智の最新歌集である。先日著者が「週刊朝日」で林あまりと対談している記事を見たが、原発事故で緊急に避難してから暮らした石垣島での生活を経て、子供の進学を機に宮崎県に移住して安定した生活を築いているらしい様子が伝わってきた。1987年に『サラダ記念日』がミリオンセラーになって、紅白歌合戦のゲスト審査員の一人として出演しているのを見た記憶があるが、その当時はかわいいので林あまりの言うように「万智ちゃん」と呼ばれていたりした。それから三十年以上も経ち、八十年代もすでに歴史として回顧される時代となった。
今回私は、年末から栞をはさみながら時間をかけてこの歌集を読了した。このところ短歌以外のことに頭が行っていたので、次に書く時はこの歌集のことを書こうと思って昨年からずっと過ごして来たのである。急に書く気になったのは、次の歌を見つけたせいだ。

  動詞から名詞になれば嘘くさし癒しとか気づきとか学びとか

「癒し」はともかくとして、この「気づき」や「学び」というオブラートに包んだような語彙は、学校現場でちょくちょく使用される言葉なのである。「子供たちに深い〈学び〉を保証する」というような使われ方をする。
さすがに詩歌人らしい敏感な感性で、作者はこの「気づき」とか「学び」という言葉の持っている御仕着せの感じ、何となく居心地のわるい欺瞞的なニュアンスを感じ取っている。子供たちは自発的に「気づき」、そして「学ぶ」。それには仕掛けが必要で、教師はそのサポートをするのだ、というような考え方が上から推奨されて、一時期教案の書類に「指導」と書くと「支援」と書きなおさせられるという事が、小学校などで徹底されたことがあった。こういう使用する用語の支配というところからして、私は「文科省-教育委員会」というものが好きになれない。はっきり言って、大方の教育委員会は文科省の奴隷である。上で何か言うと、それを忖度してさらに過剰なことを教育委員会がやってしまうというシステムが、きちんとできあがっている。

余談になるが、一頃「アクティブ・ラーニング」という言葉が流行したが、その後、文科省は今後この言葉を公式に使うことを控えるという通達だか何だか知らないけれど、そういう指示を現場に下ろした。それが、それより前に幾年もかかって「アクティブ・ラーニング」という標語がようやく現場に浸透し、行き渡ったあとだったので、現場は非常に戸惑った。しかし、そこは慣れたもので、今度はなんか「アクティブ・ラーニング」っていう言葉を使ってはだめらしいよ、そうか、それなら推奨される新しい言い方に変えればいいのね、というわけで、しばらくしたらきっちり対応できるようになった。それで近頃は「アクティブ・ラーニング」が、創造性と思考力を高めるための学びの工夫、とかなんとかいう言い方に変わっているのだが、長ったらしい呪文みたいで、私はいまそれを正確に思い出して書けない。気になる方は文科省のホームページをごらんください。

 閑話休題。(閑話でもないのだけれど、読者によっては、わからんわ、でしょう。)

さてそれで、気を取り直して、とにかく著者が元気そうで、読んでいると、たぶん『チョコレート革命』以来はらはら見守って来た愛読者には、末尾の方にかためて置いてある相聞に何とも言えない幸せ感があって、世の中にはこの人にはハッピーでいてほしいというタイプのひとがいて、タレントだと宮崎美子とか菊池桃子みたいな、うん、元気なんだね、よかった、よかったという感じで、こちらもうれしくなってしまうような、そういうはげまされる存在として俵さんがいるということは確かなことだと、私は思う。

これでやめにしようと思ったのだが、ここでやめたらばかにしているのかと邪推する人もいるのかなと思ったので、もうすこし書く。

  ティラノサウルスの子どもみたいなゴーヤーがご近所さんの畑から来る

  地頭鶏のモモ焼き噛めば心までいぶされて飲む芋のお湯割り
   ※「地頭鶏」に「じとつこ」と振り仮名。

 実にとどこおるところのない歌だ。この自然な感じが俵マジックなので、凡百の歌人には「ティラノサウルスの子ども」「ゴーヤー」「ご近所さん」という言葉を一首のなかに入れることはできない。たぶん「ご近所さん」という一単語だけで俗臭ふんぷんたる歌になってしまうと思う。「地頭鶏のモモ焼き」の歌も同様で、「心までいぶされて飲む」は俗になるすれすれの修辞。結句の「芋のお湯割り」に至っては、思いもよらない。絶対に普通の人が使ったらアウトの歌になる。やってみようか。
怪獣のかたちと思うゴーヤーをまな板の上に載せて一刀両断 (凡庸歌人)
地頭鶏のモモ焼きうましお湯割りの芋焼酎はたちまち半分 (凡庸歌人)
みたいな歌(やや誇張がありますが)は、けっこう目にするので、まあ簡単に言うと理屈になっているところがまずい。俵万智さんはそこがすれすれのところでクリアできてしまうわけで、それは昔からずっと天才的なところがあるわけなのね。このブログを毎日見に来てくださっている凡庸歌人さん、すみません。なんて言ったら、もう読みに来てくれないかもしれないけれど、ここで爆笑された方は、まだ短歌が続けられると思いますよ。
 

年頭所感

2021年01月01日 | 日記
 みなさまにとって今年が良い年でありますように。

 これだけにしておいてもいいのだけれど、新年最初の日記を以下に記すことにする。

 年末に積んでおいた本が崩れたせいもあるが、新年早々に手に取って読んだのが金子光晴の『天邪鬼』(一九七三年大和書房刊)の中の「江戸につながるなにものもなく」という一文である。ここで金子は自分の浮世絵にまつわる回想を縷々書きつけているのだが、江戸の名残りを知っている人の弁だけに、絵に感銘を受けて成立する美感の裏にうごめく集団的な嗜好、露骨に言うなら何に欲情するのかということに対する志向性について、異様なまでに敏感な書き物となっているのである。
 
 などと書いた何時間後に、なぜか手に触れた本が「面白半分」の金子光晴追悼号で、と言うのは、私の部屋の雨戸を開けるには、いろいろな場所に手を衝きながらでないと到達できないので。その雑誌に嶋岡晨先生が追悼文を書いていたのだ。嶋岡先生は、まだ御健在であろうか。と言っても、大学のプロ・ゼミ(ゼミの入門のゼミ)でお会いしただけの縁だが。

 それから何となく手に取ったのが、これも年末の片付けで転げてきたので読んでみようと思った司修の自伝的な小説『版画』である。磁石のように本は本を呼ぶ。この本のはじめの方には、朔太郎の自分の身体を食べて消えてしまう蛸の詩を絵にしたいと思ってかいていた絵の話があり、後半には、歌人の江口きちのことを書いた小説が収められている。

   「宇宙塵のように何もないと思えるところでしか何かは生まれない。」(司修)

 今日は午前中に年賀状の返事を書いてから、「うた新聞」掲載の玉城徹についての文章を書き上げた。それは二月号に出るので興味のある方は http://irinosha.com/ から注文してください。以下は、思いついたことをもろもろ記す。

 年末に本厚木のアミュー厚木の映画館で「キーパー」を見た。主演の男優と女優がとっても素敵で、王道のラブストーリーなのだけれども、深刻な歴史をきちんと踏まえているところが世界中で受けた理由だろう。私のような年代の者は、キメツを見るよりこっちを見た方がいいと思いますよ。ただ事故で子供をなくされた経験のあるような方は、たぶん見ない方がいいと思う。

 最近タイの女性歌手にはまっていて、文字の読み方がぜんぜんわからないので、タイ語を勉強したくなって来た。アルファベットでは panadda という人で、初期の2000年のアルバムが一番いい。国籍不明の音なのだけれども、妙になつかしくて、八十年代に若かった世代向けの音である。バックの演奏に日本人のアルバイトのミュージシャンが加わっていそうな気配もあるのだが、ギターにしろピアノにしろ、こちらの琴線にぐっと触って来る和音を奏でているのである。

 今晩はNHKのEテレで「にっぽんの芸能」の狂言師お二人による「棒しばり」を見たのだが、実におもしろかった。作 わかぎゑふ、とあったが、とにかく大した芸である。
 最近Eテレを失くせばその分NHKの採算が向上すると言った代議士がいるが、文化の維持には金がかかるのである。以前大阪の文楽をいらぬと言った政治家がいたが、それと同じで、経済原則だけを最優先しようとする感性というのは、信じがたいほど貧しいものである。文化がなければ世界からばかにされるということが、何でわからないのか。

 それにしても、近年の日本の美術館の持っている総予算は、信じがたいほど少ないものである。直近の横浜美術館の展示は、そういう予算問題への問題提起にもなっているということを新聞で読んだ。美術館はコロナで委縮していないで、こういう時期こそ団結して声明や要望書を出していくべきである。そうしてこの時期に生きるようなコンセプトを考えて意欲的な企画をしていくべきである。

 公募展も去年はやたらと中止になったが、今年は観客なしでもいいから実施していかないと、画材の売り上げが落ちて、足元の画材店や絵の具の会社の経営が立ち行かなくなってしまう。きちんと支えないと、日本の美術というものが沈没してしまうと思う。

   「宇宙塵のように何もないと思えるところでしか何かは生まれない。」(司修)