さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 299-304

2017年08月08日 | 桂園一枝講義口訳
299
かくれがの雪はゆきとぞつもりける花なる里ははなとみゆらん
五四七 かくれがの雪はゆきとぞ積りける花なるさとは花とみゆ覧(らん) 文政五年

□此れも同じすまひの時なり。伯州米子の留守居のもののぼりて、九條家と掛合のことありしなり。其時分青桜(※「楼」の誤植か)より留守居が呼びにこしたり。月夜△刻頃よりの事也。加茂川絶景なりとてこしたり。其時答へたる歌なり。
○これも同じ住まいの時である。伯州米子の留守居の者が上京して、九條家と掛合のことがあったのだ。その時分に青楼から留守居役が呼びに来られた。月夜で△刻頃よりの事である。加茂川が絶景であるといって来られた。その時に答えた歌である。

※△は活字のカスレ。「青桜」は「花」に引っ張られた転記の誤りか。「花なるさと」とは、留守居の者の散財の場所であるが、行かずに歌だけ詠んで使いの者に手渡したのだろう。
300
人問はぬやどは今朝こそうれしけれちりもあとなき雪の上かな
五四八 人とはぬ宿はけさこそ嬉しけれ塵も跡なき雪のうへかな 文政五年

□岡崎の歌なり。「人とはぬ」は、常とわびしきに、けさこそ雪にきずつけぬ故にうれしきとなり。
○岡崎の歌である。「人とはぬ」は、常のことでわびしい(所である)のが、今朝こそは雪に(誰も)傷跡をつけないので、うれしい気がするというのである。

301
春をまつこゝろもなしと雪の中に老木のうめはかくれてやさく
五四九 春をまつこゝろもなしと雪のうちに老木の梅は隠れてや咲(さく) 文化十一年

□枯木雪に埋れたる貌なり。画讃でありしかと思ふなり。人の身にあてゝ云ふなり。
○枯木が雪に埋れた相貌である。画讃であったかと思う。人の身に当てはめて言っているのである。

302
山里はまつにつもりし初ゆきの消えぬまゝにてくるる年かな
五五〇 山里は松に積りしはつ雪の消(きえ)ぬまゝにて暮(くる)るとしかな 文化十年

□わかりたり。
○よくわかる歌だ。

303
何ごとも此の頃にはとおもひつる三十の年のはてぞかなしき
五五一 なにごとも此(この)ごろにはとおもひつる三十(みそぢ)の年の果ぞ悲しき

□卅歳の年末なり。二十三歳の時分に、「二十六年までは三年なり。定めて六には大に成就するならん。」というてくれたる人ありし也。然るに何も出来ざりしなり。尤も歌斗でなきなり。何でも出かさんとて馬にものりたる事もありしなり。「卅にして立つ」時も矢張出来ざりしなり。

○三〇歳の年末(の歌)である。二十三歳の時分に、「二十六歳までは三年だ。きっと二十六歳の頃には大いに(志すところも)成就するであろう。」と言ってくれた人があったのである。けれども、何も起こらなかった。もっとも歌ばかり(やっていたわけ)ではなかった。何でもしでかそうと思って馬にも乗った事もあった。(「論語」の言う)「三十にして立つ」という時も矢張そうはならなかったのである。

304
家ごとになやらふこゑぞ聞ゆなるいづくに鬼はすだくなるらん
五五二 家ごとになやらふ聲ぞ聞ゆなるいづくに鬼はすだく成(なる)らん 

□嵐雪の句に「音高し海にや鬼のにげつらん」。此れはよほど妙なり。中々今の此のうたは及ばぬなり。
「な(傍点)」は、すべてのわざはひをさして云ふなり。「凶(傍点)」の字にあたるなり。又「も(傍点)」とも云ふなり。古く云ひたる詞にして、今残りたること一寸(※ちっと、と読むか)もなきなり。又追儺の「儺(傍点)」の音にて云ふが、「鬼」は、一の物をさす。「な(傍点)」は、すべてのものをさす。さて、「鬼」といふこと一向わからぬなり。「隠」の事か、などいふ「和名抄」の説あり。此れも聞えぬことなり。

○嵐雪の句に「音高し海にや鬼のにげつらん」(がある)。こちらの方がよほど至妙である。中々今のこの歌は(それに)及ばない。
「な(傍点)」は、すべての災いを指して言うのである。「凶(傍点)」の字に当たるのである。又「も(傍点)」とも言う。古くに言った詞であって、今(の言葉として)残っていることは少しもない。また追儺の「儺(傍点)」の音として言うが、「鬼」は、一の物をさす。「な(傍点)」は、すべてのものをさす。さて、(この)「鬼」ということが一向にわからないのである。「隠」の事か、などという「和名抄」の説がある。これも当たっているようには思われないことである。



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