さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

谷岡亜紀『ひどいどしゃぶり』

2020年08月29日 | 現代短歌

タイトルを見たときに、今の時代と作者イメージとがうまく合っていると思ったのだった。先日砂子屋書房の現代短歌文庫の『谷岡亜紀歌集』が出たばかりだから、作者としては、ここでいったん自分の仕事を整理しておこうというところなのだろう。いつまでも三、四十代のような気分でいたかったのに、気づいた時には還暦になってしまって、髪にも白いものが混じってきている。さて、これからどうしたものか。…というような人生の転換点で、香港のスコールのような激しいものを依然として希求し続けている。早朝の新宿の路上の空の光のような曙光のみずみずしさを追い続けている。それはなかなか格好が良い。でも、もう生き急ぐ必要はないはずだから、これからは過去の自分のイメージにこだわらずに歌境を深めていってほしいと、私としては思うものだ。巻末の一連に見える次のようなスピリチュアルな歌が実にいい。

 心とは光の渚 その人が振り向くときにふと翳りたる

 霧雨の墨を流した曇天に淡く消えゆくつかのまの虹

少し脱線するが、酒を飲むことが純粋な詩心の発露と等しいような文化というものが、かつてはあった(過去形である)。こういう文藝と飲酒(大酒)が絡んだ場を大切にする気風を持った日本の社交文化というものは、谷岡も含めて昭和三十年代生まれまでの世代でおわりつつあるのかもしれない。先日博覧強記で知られた坪内祐三が六十一歳で急死したが、そのことを象徴する出来事だったような気がする。坪内は「ユリイカ」の特集の追悼記によると、亡くなる前も連日の大酒だったようだから、本人はそれで死ぬことになるなんて少しも思っていなかったようである。文学者の回顧談には欠かせない飲酒文化、酒を飲んで酔うことに無上の価値を置く文化は、いまコロナ禍によって相当なダメージを被っている。それをしも「どしゃぶり」と言うべきだろうか。谷岡氏も私も、河岸は異にしていたが、そういう文化的雰囲気のなかで生きて来た。もっとも私はどちらかと言うと下戸であって、二合半ほど飲むと記憶をなくす。

全て終わりあるいは全てが始まらずけさ乳色の朝を迎えつ

生きて遭う今日の辛苦としてわれは冬の便器に跪きたり

二首目は、これは単に二日酔いで苦しんでいるだけではないのであり、一首目の「全て終わりあるいは全てが始まらず」というもどかしさと、いらだだしさに直面しながら生きている感じの極まりにおいて、こういうことになるのだけれども…(共感的に苦笑)。

こうして一冊になったものをみると、短歌雑誌の初出で読んで記憶に残っているものがけっこうたくさんある。付箋もたくさんつけながら、後半のⅡ部とⅢ部を入手したその日のうちに先に読んでしまった。そうして上の文章を書いておいて、別の日に最初から読み始めようとしたのだが、タイミングを失してしまって、書けないうちにどんどん時間がたっていくので、Ⅰ部はざっと読みのままにしておいて、最初の印象に頼った抜き書きだけでも以下に残しておくことにする。

 鎮魂の旗黒く立つ町に来て無傷なること罪のごとしも

 エーテルを青く湛える空の下忘れられたるごとくわたくし

 ウクライナ、ウクライナいま名指しされ氷の椅子を立ち上がりたり

 空は今朝海面のごとし宇宙での殉職飛行士二十一人
  ※「面」に「も」と振り仮名。つまり「海面」を「うなも」と読む。

 帰還事故ののちも軌道を回りいる宇宙飛行士のブーツを思う
  ※「宇宙飛行士」に「アストロノート」と振り仮名。

 目隠しをされて荒れ地に跪く 夢にはあらず魂の冬

 もうすでに期限は過ぎて五分ほどアラビアの空思い祈れり

おしまいの二首は同じ一連から引いた。これは、人間の暴力と人間存在の徒労のような営為の意味を問おうとしている。三首目に引いたウクライナの歌にもそういう性格がある。現代の日本人の一人として生きていると、マスコミ的な言辞が一般に共有されすぎているから、どうしても空虚な軽薄な表面的な意識に陥りがちなのだ。そういう風船のように浮きあがってしまいそうな日常的な意識を異化して、突き放し、詩の重しによって自己存在の軽さを徹底的に抑えこみながら、屹立した自己というものを持って、一人の死の意味を本気で考え、本気で感じ取ろうとしている。

雑感

2020年08月16日 | 政治
 「ラストエンペラー」という映画のなかで、元満州国皇帝の溥儀は、収容施設に入れられてこれまでの経緯を残らず告白し、懺悔することを求められる。その反省生活が明けた後は、命を保証されることになった。これは多くの日本の戦争犯罪を犯した軍人や憲兵のような人たちに対しても同様の措置が取られたのであって、周恩来は、日本帝国主義を憎んで個々の日本人を憎まず、と言って、フランスだったらきっと処刑されたであろうような多くの人々を、反省と懺悔の生活を送らせた後、生きて返してよこした。そうして一般の中国民衆にもそういう考え方を広めるようにつとめた。私はその生還した一人が書いた手記を学生の頃に読んだことがある。それは命を助けてもらえた温情への感謝の念をもって書かれたもので、別に洗脳されて帰って来て共産主義の宣伝をするために書かれたものではなかった。たしか『人間回復』という本だったが、私はそういう歴史的な恩義のようなものを日本人は忘れてはならないと思う。

 日本の中国侵略については、日露戦争の際に大陸にわたった日本人が現地の中国農村などの劣悪な生活を見て帰って、それが中国人を見下す意識が広範に民衆の間に広まるきっかけとなったということを読んだことがある。日本の軍部や指導層が中国におけるナショナリズムの評価を見誤ったのは、近代化に失敗した中国に対する差別意識が存在したからである。今日の中国の指導層のウイグル族やチベット人に対して持つ政治的感覚は、かつての日本の指導層が中国に対して抱いていた差別意識と相似的ではないのだろうか。共産主義は、反自由主義だから全体主義と同じものなのか。現状ではそう見える。

 半世紀、さらには七十五年という歳月を経たら、人間というものは変わる。国家というものも変わるのだろう。しかし、不変のもの、理念というものを常に高く掲げ続けていてもらいたい。日本の場合、それは自由主義と平和主義、戦争を賛美しないこと、武器を輸出しないこと、戦争に参加しないことだったのではないだろうか。そういう点から見れば、すでに武器輸出を許し、湾岸戦争以降自衛隊を派遣せざるを得なくなっている。今日の日本のこの変化は好ましいものなのかどうか。

 大きな議論と小さな議論はつながっている。日常生活と大きな政策はつながっている。コロナ禍のせいで、そのことの意味が痛いほどわかるようになった。だから、人々は大きな議論を避けてはならないのである。

 庶民の小商いが、これほど広範に政策によって息の根を止められるような事態は、戦後七十五年なかったことだ。かつてない事態に直面してどう振舞うべきなのか、何をしていったらいいのか。それがわれわれ一人一人に問われている。



父の時代

2020年08月15日 | 日記
 今日は晩になって急にベートーヴェンの交響曲第七番などをかけて聞き始めたのだが、考えてみればお盆だし、カラヤンのベートーヴェンは父が好きだったから、これは追善にもなると思って、ベルリンフィルの演奏を大きめの音にして響かせている。二楽章から聞きはじめて、それが終わって、また一楽章から別の楽団の演奏で聞く。弦楽器の音が森の奥の枝と枝がぶつかり合うような響きをたて、木々の上を吹きわたる風のような、また滝壺のどよめきのような、よじれ合い、ぶつかり合う音の流れが旋風を起こしては鎮まり、また吹き上がり、生命が鹿の角を振り立て、馬群のかたちをなして疾駆してゆく。とどろき、ギャロップ、ターン、どよめき、ジャンプ、咆哮、ステップ、さざめき、哄笑。あらゆる感情が伸縮しながら流れをなして雲の上、天上にながれては飛び去り、立ち去って行く。あとには豊かなみどりの闇と沈黙がとどまっていた。

 次はガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルー。そう言えば、これも父が好きだった。暑かった夏の晩にはなかなかふさわしい気がする曲だ。

今年は「短歌往来」に「父の時代」という題で歌を載せてもらった。後半を紹介したい。

   父の時代

従軍看護婦に志願せしひと「靖国で会ひましよう」と友は去りぬと

  ※北村小夜『画家たちの戦争責任』二〇一九年刊 

青島に振り分けられしわが父は生き残りたり予科練なれど
  ※「青島」に「チンタオ」と振り仮名。

飛行機なき飛行場のめぐりを走り居しのみと風呂場に語りき

はじめての酒はコップ一杯のビールなれど気絶して溝に転げ落ちしと

精神注入棒、手旗信号いじめ 薄暗き時代経てのち国鉄マンとして一期全うす




高田博厚のブロンズ像が藤沢北口から消えた

2020年08月04日 | 日記
※ 四日の投稿は消して、以下は翌日の五日の日記。

 今日は昼間ものすごく暑くて、朝から検診でバリウムをのんだ余波でおなかがぐるぐるするので、午後は年休にしてあったから、帰って二、三時間雨戸を閉め切って寝た。起き上がってから月次の月旦原稿を書いて送信し、夕方はチャーハンを作ってもらって早々に帰宅した息子と一緒に三人で食べた。それからブログにも何か書きたくなって机の前に坐りなおした。

当ブログの毎日のアクセス数は一度北海道で天災が起きた時にアクセスが三分の二程度に減ったから、北海度の方は東京方面の情報源のひとつとしてこのブログを利用しておられるのではないかと思う。先日NHKのブラタモリを見ていたら、釧路湿原の霧が摩周湖に行くのだと解説していた。そういえば高校二年の修学旅行で、私は晴れているときの摩周湖を見た。阿寒湖にも行った。湖面も空もひたすら青かった。私は胸の底にその青い色をしまいこんで帰って来たのである。移動する列車のなかでみたクラスメートの少女の寝顔が、とてつもなく美しくみえた。何十年たっても、そのときのままの姿で彼女は美しい。立原道造の詩の世界に通ずるような、ある種のロマンチックな青春の記憶である。

こんなことを書きたかったのではなかった。高田博厚編集の『ロダン・ブールデル・マイヨール素描集』という岩崎美術社刊の本の感想を言いたかったのだ。

巨匠の素描というものは、宮本三郎の教本でみたような正確なものではなくて、けっこうざっくりとした放恣なものが多く、知らないでみたらどこがいいのかわからないだろう。正直に言って、私はブールデルの神話的な場面の素描のよさがよくわからない。これは彫刻を知っていて、それから見ないとその良さへの認識が及ばない面があるのではないかと思う。彫刻の方は、特に箱根でみたその印象が強いのだが…。マイヨールのものは、誰がみてもわかる。彫刻の方はもっとも日本人好みのもののひとつだろう。問題はロダンで、最初みると、あんまり丁寧に描かれたものではないのでおどろく。それがしばらく見ているとその持っている雅味のようなものがじわじわとこちらに響いてくるのである。幸いにこの素描集は、一枚一枚が別々になっているから、さらに額に入れてしばらく眺めていたらいいのではないかと思う。高田博厚はそういうことをよくわかっていて、この本の造りを提案したのかもしれない。

私は四十年近く前に教え子のО君が高田先生のお宅にうかがったという話を聞いてから、高田博厚に興味を抱いてきた。しかし、最近の化粧直しで藤沢市の北口にあった高田博厚の彫刻はどこかに行ってしまった。高田博厚への関心のようなものが、一般にはもう高くないせいかもしれない。これは何とかしなければならないと思ってここに書いた。

石井辰彦『石井辰彦歌集』 現代短歌文庫

2020年08月02日 | 現代詩 短歌
あらかじめ石の上に置かれた夜明けの薔薇の花束のために

 朝起きだして、枕元に置いてあった石井辰彦歌集を取り出してめくりはじめたら、おどろくほどするすると読めた。後半の単行本未収録短歌がドリアン・グレイの嘆きのうたみたいで、作者だけではなく読者である私自身も、年齢的に老いと死をより強く意識せざるを得なくなっているから、詩句のいちいちが沁みて感じられたのである。自らに捧げた墓碑銘まで含む本集の後半を一気に読み通してから、前半を丁寧に読む前にいったん本を置いてこれを書きはじめた。

書きはじめる前にキース・ジャレットのアルバム「Facing You」をチョイスしてかけてみたのを途中でうちきって、「The Merody At Night,With You」に切り替えた。石井さんの書いたものを読んでいると、何度か聞いたことがあるご本人の朗読会の声と調子を思い出してしまう時があるが、いつも生の声というのはキースの叫びのようになまなましすぎるものだと思ってきた。肉声だけでは官能の気配や嘆きとかなしみの思いが表面に出すぎるきらいがある。歌いながら弾いていたキース・ジャレットのピアノの音に相当するのが、石井さんの場合は華麗な文字表記ということになるだろうか。しかし通常の短歌型式よりも文字の間隔を詩行式にあけて組まれたものの方が、すっきりしていて風通しがよく感じられる。

短歌は、上から下にぎっしり言葉が詰まっていく分、血が鬱血する感じがして、語りがモノトーンになりがちであるし、石井さんの詩美への探求と探索というものは、それ自体が自己語りのナルシスティックな雰囲気を漂わせてしまうものでもあるから、そこはバランスをとるためにも、常に意識的に断裂の切れ目を作品に入れることが方法的に要請されてくる。その試みの繰り返しが、石井辰彦の前衛希求の詩的道行きというものであったと言ってよい。こだわりにこだわった彫心鏤骨の手業、句読点やルビ打ちの多用や、一字空きや異字変換の多用や、諸々の詩的技法の試みはすべて、詩歌のことばがポリフォニックに立ち顕れるためのてだてというものであった。そうして、西欧の詩、ギリシアや異教の神々への憧憬と関心が、作者の詩劇のように歌を構成してみようとする志向を支えてきたのであろう。徹底した浪漫派である石井さんの短歌の世界における特異な位置は、敬して遠ざけられるようなものではない。かつては鬼面人を驚かすように見えた石井短歌の表記や内容や工夫も、近年ではむしろ平易で読みやすいものと感じられるようになってきた。それだけ時代が移りかわってきているのだ。
以下に縦書きを横書きにして引かなければならないことを作者と愛読者の方にご容赦いただきたい。

信じてはならない    石井辰彦

信じてはならない。     巫女が    ※「巫女」に「フジヨ」
震へつつ占ふ(君の)明日を。事無き    ※「明日」に「あす」
人生を。       疑つてみるべ
きだ。 (肉眼では)確かめる術もない    ※「術」に「すべ」
天文学を。         凶兆は
既に(君の)鼻先にある。臭つては来    ※「臭」に「にほ」
ないか?海が。       腐つた 
油を泛べ、押し寄せる(空紫色の)海    ※「泛」に「うか」、
が。そして風が。        風   ※前行の「空紫」に「うつぶし」
は雷霆を孕み、雷霆は(君の)肝先に     ※「雷霆」に「ライテイ」
落ちる。     ルカヌスは「戦後
生れのぼくたちにも戦中を」と詠つた    ※「詠」に「うた」
が、戦地ではないのか?   逃げ惑
ふ人びとがゐるからには、ここは。音
も無く終るに違ひない。     濁
りゆく大気に、囲繞され、噎せかへる   ※「囲繞」に「ヰゼフ」
この世界は。    (人類の)知識   ※前行の「噎」に「む」
なんて、片秀なものさ。いくつもの星   ※「片穂」に「かたほ」
が(もう)見えなくなつた。 この星
も(さう)長くは(青く)輝かないだ
らう。   天空に向いた(君の)眼
を、大地に向けるのだ。今まさに、終
りの始まりの時。    いやに美し
く見えないか? 無人の都市は。棄て
られた田畑は。    だから予言し
ておくのだ、滅亡を。逃所は(どこに   ※「滅亡」に「メツバウ」、
も)無いのだと。  神が請け合つて    ※前行の「逃所」に「にげど」
も信じてはならない。(君の)未来を
            Da Capo

「単行本未収録連作短歌 Ⅰ」より

この「逃げ惑ふ人びとがゐるからには」という句は、原発事故の避難者や近年の自然災害、の被災者そうしてコロナ禍に倒れている人々にとっては、まさに「信じてはならない」という現実のこととしてあるではないか。なお十行目の「肝先」は「軒先」の誤植の可能性もあるが、作者独特の詩語の使い回しとして疑わず残した。もしもの場合は御批正をまつ。