さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

蝦名泰洋『ニューヨークの唇』

2023年07月20日 | 新・現代短歌
〇本カテゴリーを今日から増設して「新・現代短歌」とする。何年も前のものとの区別がむずかしくなってしまったからである。

〇 本書は、メールを介した詩友であった野樹かずみさんが、2021年に亡くなった著者のために、追加の歌稿と1993年刊の歌集『イーハトーブ喪失』を加えて一本として刊行されたものである。

 慎重にソフィスティケーションの施された作品を作り続けた作者に倣って、私も以下の文章では、作者のように繊細な感受性を持ち堪えて生きた人が感ずる苦しみの埒外にある者として、ネット上でいいかげんな事をつぶやくのはやめにしたい。

 本集に頻出する〈カムパネルラ〉の名前は、持続的な<生>の不在を生きざるを得なかった作者の渾身の比喩であろう。端的に言うならば、あらかじめ失われているがゆえに、たとえばその不在によって最後まで苦しみ続けるほかはないものについての思惟を、現実の肉体を生の川べりに置き続けるなかで、メビウスの輪のように反転する生/死のかがやくリボンに縁どられた持続として、詩を媒介として正しくそれらの抽象的な<不在>を宙吊りにしつつ語ってみせること、そのような精神のダンディズムの選び取った名前が、〈カムパネルラ〉だったということである。
 作品を引用しなくてはならないのだが、この蕪雑な場で私は多くを語るまい。

  ひしめきて不落の青も目つむれば空に剝離の音たしかなり

  ひとさらい霧とぶ野辺に泣いているさらい来たるはおのが母ゆえ
  
 以上二首、『イーハトーブ喪失』の「マザーレス モーツァルト」の章より。まぎれもない独創性を持った、森厳なと言ってもいいような響きをもつ悲歌である。〈カムパネルラ〉に等しく〈モーツァルト〉も特別な名なのである。
つづけて同じ一連から。

  いつか死ぬ薔薇とも知らず子供らは身を飾り合う棘も一緒に

 このむごたらしい言葉を前にして、私は涙を禁じ得ない。

   ※      ※
 モーツァルトにことよせて恋の歌らしいものもある。二首続けて取り出す。

  われを灼く氷の炎かりそめに指触れ合いしのみの昨日の

  気づかぬは君と思いき水仙のうすみどり葉の指の寒さに

 以上は『イーハトーブ喪失』から。

『ニューヨークの唇』は、編者の解説を見てから読む方が、諦念にも似た基調となる感情の流れに乗りやすいかもしれない。

  頰をつたうイルカの群がすきとおり明日の海の音階になる

  かなしみも改札口を出るときは勤め人の顔を装っている

 多くの読者がわからないと言って素通りしてしまうかもしれない難解な歌の筆頭で、一首目のような天才的な歌が孤独に立ち上がり、脇侍する「かなしみも改札口を出るときは勤め人の顔を装っている」というような「つぶやき」をそえて何気ない顔をしているおもしろさ。こういう歌を孤独に紡いでいることばの人がいたことを、我々は忘れないようにしよう。

野樹かずみさん、この本を出してくれて、本当にありがとう。

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1 コメント

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Unknown (野樹かずみ)
2024-06-23 16:29:48
こんにちは。「ニューヨークの唇」評、うれしく、ありがとうございます。
いま、蝦名泰洋の最後の本になります、詩集出版のためのクラウドファンディングをやっております。7月30日まで。ご覧いただきたく、よろしくお願いいたします。
https://readyfor.jp/projects/ebina-poem143691?sns_share_token=3f84639e3a373f1afa4c
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