さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日記 おしまいにちょっと、電磁波過敏症のこと

2020年06月29日 | 日記
 その人の亡くなった直後にうたうにはふさわしくないが、何年かたってからうたったらしっくりくる歌というのはあるのではないかと思う。ある種の別れのラブソングというのは、そのような、かつて見送った人を思う歌としてうたえるのではないかと思う。今晩は酔っぱらってしまって、酒井法子の「世界中で誰よりも」をかけながら高唱してから、そのあと今井美樹の『海辺にて』をアイポッドで流してみた。アルバムの5番「春の日」。

 私の短歌関係の知人には、夫を亡くしておられる女性が多いから、そういう歌を批評する機会が多い。私は技術批評を旨としているので、そういう歌でもけっこう容赦なく難点を指摘する。それが、つらい言葉となっていたのかもしれないと、ある人が会を抜けたいと言って来られた時に思った。それで、申し訳ありません。この曲はいかかですか、なとど、たぶんこれを見ておられるので書く。念のため、私はこのブログでは個人のプライバシーにふれることは一切書くつもりはない。会の詠草もここに出したりはしない。コロナ禍の影響で、対面しないための弊害が増えて来たと感ずる。その方の退会も、そのひとつではないかと私は感じている。対面で言われたら傷つかない言葉でもメールを通じて活字で言われると、きつくなつてしまうということはある。

 子供たちの場合は、電磁波過敏症というのがあるそうだ。イギリスでは参加を強いられた少女の自殺者も出ているという。気になる方は、「世界」の今月号をみてほしい。よって、以前私がこのブログに書いた「九月始業よりも、タブレットを配れ」という記事は、非公開とすることにした。


井上美地『われは戦後の』

2020年06月26日 | 現代短歌
この歌集の現在を見据え、残された生の時間を愛おしむことばは、どれも涼やかで知的な明るさを発している。よく選ばれた簡明な表現は、濁りのない自他の状況の把握をもって世界を明視することの正しさを証立てるとともに、短歌によって個が自律・自立することの意味を後続の者たちにくっきりと示している。筆者は、戦後短歌の、と言うよりも戦後の人間解放と政治的動乱のなかで表現を追求した世代の残り少ない生き証人である。筆者は一九二八年兵庫県西宮生れ。本名浅尾充子。

やはり出﨑哲朗と「ぎしぎし」の頃の回想詠がこころに滲みる。私は三十代の頃に戦後短歌のさきがけとなった「ぎしぎし」の太宰瑠維さんを囲んで、飯沼鮎子さんや今井正和さんや駆け出しの頃の東直子さんらと毎月勉強会を持ったことがある。

  ガリ切りを教えられたる若き日よ 学徒出陣より還りし君に

  留年を当然として昼も夜も短歌革新を目指しぬ 誰も

  敗戦の直後なりせば自由とう言葉煌くかの日々なりき

  今少し生きて記さなわれの見し「戦後短歌」を 担いし人を

戦時回想の歌もある。

  過去形となりゆくわれの世代ゆえ思い果てなし「原爆投下」

  いち早くわれらは知れど戦況の秘匿は軍の方針にして

  民も兵も酷き火傷にうごめくと聞きつ軍都の戦禍がことを
    ※「酷き」に「むご・き」、「火傷」に「やけど」と振り仮名。

  涙ためてわが見つめいる対岸の堺・泉州 ああ燃え上がる

現代の政治を憤る歌が鮮やかだ。

  平和賞にトランプを推し恥じるなき首相持ちたり選挙というは

  良識なき首班より他に人なきや かかる国かと胸鎮まらず
    ※「他」に「ほか」と振り仮名。

  生き過ぎし我と思いて今日も読む緩み果てたる施政のすがた

なかなか痛烈である。

  浮くごとき雄岳・雌岳の二上を見むと朝ごとカーテン絞る

  虹の脚ほのかに立つは河内野か桜八分の今日人は来ず

  老いづきし己在り経し「平成」という代思えば心は苦し
    ※「苦し」に「にが・し」と振り仮名。

  誠実に過ぎしと記さるる上皇 耐えし苦しみし日は告げざりき
    ※「上皇」に「みかど」と振り仮名

  この窓に霞みつつ浮く二上山をわが亡きのちも人は遠望めむ
    ※「二上山」に「ふたがみ」、「遠望め」に「なが・め」と振り仮名。

先日沖縄の慰霊の日の新聞記事をみたところだった。遺骨取集回想の一連から。

  沖縄戦熄みしは今日ぞ壕を掘り見つけたりしは揃えし軍靴  

一足の軍靴は岩の壁に向くのがれ入りしか自決の跡か

  骨となりし一人のかたえ「宮里なへ」と氏名彫りたる筆箱の出ず
    ※「出ず」に「い・ず」と振り仮名。

そう言えば、ひとつだけ井上美地さんにお尋ねしてみたいことがある。金井秋彦は、九州で金石敦彦とどういう交流をしたのかということだ。実際に行き来したのか、手紙だけのやりとりだったのか、というようなことである。故山埜井夫妻に電話でお聞きしたが、わからなかった。

雑感

2020年06月20日 | 日記
 朝起きだして、桶谷秀昭の『正岡子規』の「「常識」について」を少しだけ読む。これだけのことを書ける文学者は今はほとんどいないだろう。

歌壇ではこのところずっと評論らしい骨格と気韻の感じられる文章を書き続けているのが、「短歌往来」連載の持田剛一郎氏である。私は、若手や中堅の歌人が書いたキレがあって筆者の頭がよいことがわかる文章でも、読んでいらいらさせられるものはイヤだ。いい文章、ということが、ツイッターの時代になってどうでもよくなってしまったようである。私自身ブログの文章がまずいと、文章が荒れているわよ、と忠告してくれる友人が以前はいたし、自分もまずいところをはっきりと言ってやることを友人たることの義務と心得ていたものだが、最近は誰も彼もがそんなことにかまけている余裕がなくなったようだ。

 小野竹喬という日本画家の絵を最近見た。遺著の随筆集と「朝日グラフ」の別冊がいま手元にあるが、画面には清冽な諧調がある。渡欧した頃の黒田重太郎の著書に掲載されている図版があるから、いずれこのブログで紹介したいと思っている。風趣とか雅趣とか、そういうことが芸術評価の暗黙の前提として在った時代がなつかしい。

「朝日グラフ」の別冊は画家の顔を表紙にのせている。中身を見ないでその顔の写真だけ順に見ていったら、これはと思う顔をした画家がいた。牛島憲之という画家である。私はこの人のことを知らなかった。人間の顔というのは、おもしろいものだ。その人の存在、在りようということについてすべてを雄弁に語る。

先日このブログでに言及した瑛九について、歌人の加藤克巳が書いた文章が著作集の第2巻にあった。加藤克巳は生前の瑛九と親交を持ち、その良き理解者の一人であった。この一事をもってしても、加藤克巳がどれだけすぐれた芸術的見識の持ち主であったかということがわかる。

古書で赤瀬川原平の『老人とカメラ 散歩の愉しみ』というのを買った。一枚の写真に短文が取り合せてある。これが実に楽しい。生きてはたらく知性と感性の至福境がここにはある。

※ 28日深夜、「友人たる」のあとに「ことの」を書き加えて文章を直しました。スミマセン。