さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

江田浩司『前衛短歌論新攷』

2022年07月27日 | 現代短歌 文学 文化
「 今日のように、伝達の手段が異様に拡大されると、美を粧った「もの」(※原文では傍点)は量産され、消費される。だがそこには、何ら、激しい変化はみられない。感覚は麻痺され、直観力は萎える。それはちょうど、東野芳明氏がある共感をもって引かれた、中井正一の「前のめった」ような状態(略)とは正反対の、いわば、一種の仮死状態にあることを示している。 」
         武満徹 『人生のエッセイ⑨武満徹』(日本図書センター2000年刊)より

 こういう硬質な言葉に触れると、なにか生き生きとさせられるものがある。今度の江田さんの本は、ここで武満徹が言っているような「仮死状態」に対して、最後まで抗い続けた表現者たちのために捧げられたものである。

私も著者と同じく青年期から中年期、壮年期と呼んでいいような人生の重要な時間を現代短歌に長くかかわってきた。その間に本書で話題になっている岡井隆の間近にいたこともあるし、結社誌「未来」の編集をめぐるやり取りを経てやがて疎遠になりはしたが、長く岡井隆の背中を見ながら過ごしてきた。「前衛短歌」についても多少は著者と等しい問題関心を抱いている。けれども、著者ほどに自分の問題関心を深く掘り下げ続ける情熱を持つことができなかった。著者の「詩人」としての岡井隆像を構築しようとするまっすぐな論に対しては、あらためて敬意を覚えるものである。それに、この本は岡井隆のことだけを書いた本ではない。長年のこだわりの対象である山中千恵子そのほかについての歌人論も集成されている充実した一冊なのだ。

まず「はじめに」の文章。これが明快に本書を刊行する意図を宣している。小林秀雄の芭蕉についての言葉からはじめて玉城徹と山中千恵子の論作の存在に触れながら、「歌人が今求めるべきなのは、短歌の表現と批評への過剰な精神を内在したプロ意識ではないでしょうか。」と述べている。
続けて岡井隆の原子炉についての一連の創作に触れた論文、「原発と前衛」が示される。著者は岡井隆の一番厄介な原発についての作品、思想的には吉本隆明の『反核異論』に依拠した作品を生んでゆく筋道について、単なる岡井隆の立場擁護論ではなく、また否定論でもなく、黒澤明の映画『夢』第六話「赤富士」への言及からおもむろに入ってゆく。岡井隆には有名な

原子炉の火ともしごろを魔女ひとり膝に抑へてたのしむわれは 『鵞卵亭』(一九七五年)

の一首がある。福島の原発事故のずっと以前の科学技術への楽観的な信頼を抱くことができたこの時代の歌にはじまって、岡井隆は『ウランと白鳥』(一九九八年)のほの暗い世界にまで踏み出してゆく。原子力発電所を美化することを期待した当局の意図のもとになされた招待に乗りながら、実際に出て来た作品は、人間と原子力との性愛関係にも似た危うい妖しい関わり合いを「レダと白鳥」の神話に暗喩的に重ねながら、不安と陶酔と危機的な緊張感にあふれた怪作に仕上がっており、単なる原子力賛美の歌ではなかった。
 原発事故の後では、岡井は次のような歌も作った。

原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で擁護してみた

これは先日の株主訴訟の判決などと思い合せてみるなら、その含意するところがわかるのではないか。これは批判を覚悟のうえでのひとつの意見表明というものである。江田はさすがに丁寧な読者だから、こうした一連の発言の後での岡井の逡巡を記す作品も引用している。

 三・一一のすぐあとに「原発を魔女扱ひしたくない」といふごく個人的な意見を公表した、「彼女もまた被災者なのではないか」と。すぐになんだか生きづらくなつた。
   『ヘイ龍 カム・ヒヤといふ声がする(まつ暗だぜつていふ声が添ふ)』二〇一三年

 この問題をめぐって岡井がまるで鉄面皮であるかのように悪しざまに一方的に切り棄てる批評に対して、わざわざこういう場面であえて異論を唱えて傷つく岡井隆の姿をとらえている。わざわざ火中の栗を拾いに行った岡井を論ずること自体が、同様な危ういところに論者を押し出すわけで、この問題はなかなか書きにくい。それをあえてする著者の論の展開の仕方に感心する。

 私がここで紹介したいのは、この論文のなかにある次の文章である。

「短歌創作(文学表現)が、果たして近代主義を超克できるのかどうか。私はそれを、今ここにある創作のアポリアとして、岡井短歌の分析と併行して見る必要があると思っている。」

ここに著者が岡井作品を批評するための基軸を据えようとしている点に、私は本書を通貫する問題意識として提示されている普遍的なものへの意志、ここに著者が「はじめに」で述べた「過剰なもの」の力を見出す。
                               (※引用部分「今ここにある」に傍点)  
この項つづく

加藤英彦『プレシピス precipice』

2021年04月11日 | 現代短歌 文学 文化
 トリチウム水を海洋放出することを政府が決定したというニュースを見て、ここ数日の私は、にがにがしい気分が胸を去らず、低い玄関先の梅の木の若芽を無残にも刈り込んだりして時を過ごしていた。それで、今朝は身の回りを見回してドストエフスキーの小説『死の家の記録』(望月哲男訳 光文社古典新訳文庫2013年刊)が読みさしにしてあったのを見つけて、しばらく読むうちに引き込まれ、気分も少し収まったのだった。

 微量なら流してよいか神よ神、海がしぶきをあげて砕けつ  加藤英彦

 短歌でこういう気分に在っても読むに堪えるものはないかと考えて、寝床の周囲の本の山を引っくり返していたら、加藤英彦の『プレシピス』が出てきた。これだ、と思ってページをめくると、激情を胸底に沈めた、硬質な芯のようなものが感じられる、拳骨のようなごりりとした手応えを感じさせる作品群が、こちらの面白くない気分を平たい鋼の意志のようなものに延べ直してくれるというような気がした。作者はこの世の不正義と道理の通らないスノビズムの蔓延に根深い憤りを抱き続け、それに対して持続的な戦いを挑み続けているのだ。そうして、災害と戦争の記憶を風化させないために、想像力による具象画のような歌を方法的に鍛えあげ、模索しながら一定の成果をここに示し得ている。

  あたらしき慰霊碑立てりこの海に死ななくたってよかったいのち

  十方に忿りの旗の雲わけりこれからはじまる闘いのため

 「父性論」という章では、自身も俎上に上がる。

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蟬しぐれ 
 ※「蟬」は正字

愚かにも父となり父に相応ざる川がわたしのからだを流る

先の戦争についての連作は力作である。

危急存亡のときなればこそさやさやと街には個人情報あふる

徴兵令があまねく照らす村はずれに爺婆たちの不動の挙手は
 ※「爺婆」に「じじばば」と振り仮名

炎え上がる官舎のわきをすり抜ける影あり転進、転進という

いずこにも正義はあふれ昏れてゆく路次に監視の目がゆきとどく

ここでは想像上の戦争中の時間と、現在の日本社会に流れる時間がダブってえがかれており、「危急存亡」という言葉や、「官舎」といった語彙が、戦中の時間と現在の時間の密接につながった空気を醸し出すようにはたらいている。ここには、平井弘の戦争の記憶についての歌のことを忘れずに引き継ごうとする作者がいる。

戦時中の隣組が持っていた相互監視のシステムと、現在の監視カメラがあふれた街の空間や、コロナによって醸成された相互監視的な空気までもが、つながってイメージできるものになっている。この歌集が出たのは昨年の夏だが、

いずこにも正義はあふれ昏れてゆく路次に監視の目がゆきとどく

という歌の痛烈さは、依然としてアクチュアルである。しかし、次のような、名付けようのない憧れのようなものについての歌こそが、本来作者の目指してきたものなのかもしれない。

 水は下方にくだれりだれの所有にもあらずかがやく海にむかえり

 走れ、まだ没り日にはやや間があれば 草薙ぎはらう一振りが欲し

この剣はヤマトタケルの持つ剣だろうか。いつとも知れぬ人生の終盤を見据えつつも、まだ六十代や七十代では、枯れたなどと言えない人生百年時代がやって来ようとしている。

走れ、まだ没り日にはやや間があれば

とは言いながら、病気入院の歌も集中には含まれている。つらくて、うめきながら、暑い草蒸す山中を、銃剣を杖にして歩いている作者の影が、黒々と目に浮かぶようだ。でも、何だか激励される歌が多いのだ。

どのように口をつぐめば死者の目とおなじ水位を流れてゆける

これは、先の戦争と、それからとりわけ十年前の東日本の地震と原発事故による直接・間接的な死者のことを意識してうたわれている。こういう発想に根差した批評というものは、信頼するに足るものだろう。それにしてもこの一年というもの、圧力団体の医師会に文句が言えないために私立病院に手を出さないという無為無策の時間を重ねた結果、小商売の庶民の営みが壊滅的な打撃を被っているこの国の政治無策には、怒りを通り越して絶望すら感じる。加藤さんにはまだまだ静かな忿りのうたを作ってもらわなければならない。

俵万智『未来のサイズ』

2021年01月10日 | 現代短歌 文学 文化
俵万智の最新歌集である。先日著者が「週刊朝日」で林あまりと対談している記事を見たが、原発事故で緊急に避難してから暮らした石垣島での生活を経て、子供の進学を機に宮崎県に移住して安定した生活を築いているらしい様子が伝わってきた。1987年に『サラダ記念日』がミリオンセラーになって、紅白歌合戦のゲスト審査員の一人として出演しているのを見た記憶があるが、その当時はかわいいので林あまりの言うように「万智ちゃん」と呼ばれていたりした。それから三十年以上も経ち、八十年代もすでに歴史として回顧される時代となった。
今回私は、年末から栞をはさみながら時間をかけてこの歌集を読了した。このところ短歌以外のことに頭が行っていたので、次に書く時はこの歌集のことを書こうと思って昨年からずっと過ごして来たのである。急に書く気になったのは、次の歌を見つけたせいだ。

  動詞から名詞になれば嘘くさし癒しとか気づきとか学びとか

「癒し」はともかくとして、この「気づき」や「学び」というオブラートに包んだような語彙は、学校現場でちょくちょく使用される言葉なのである。「子供たちに深い〈学び〉を保証する」というような使われ方をする。
さすがに詩歌人らしい敏感な感性で、作者はこの「気づき」とか「学び」という言葉の持っている御仕着せの感じ、何となく居心地のわるい欺瞞的なニュアンスを感じ取っている。子供たちは自発的に「気づき」、そして「学ぶ」。それには仕掛けが必要で、教師はそのサポートをするのだ、というような考え方が上から推奨されて、一時期教案の書類に「指導」と書くと「支援」と書きなおさせられるという事が、小学校などで徹底されたことがあった。こういう使用する用語の支配というところからして、私は「文科省-教育委員会」というものが好きになれない。はっきり言って、大方の教育委員会は文科省の奴隷である。上で何か言うと、それを忖度してさらに過剰なことを教育委員会がやってしまうというシステムが、きちんとできあがっている。

余談になるが、一頃「アクティブ・ラーニング」という言葉が流行したが、その後、文科省は今後この言葉を公式に使うことを控えるという通達だか何だか知らないけれど、そういう指示を現場に下ろした。それが、それより前に幾年もかかって「アクティブ・ラーニング」という標語がようやく現場に浸透し、行き渡ったあとだったので、現場は非常に戸惑った。しかし、そこは慣れたもので、今度はなんか「アクティブ・ラーニング」っていう言葉を使ってはだめらしいよ、そうか、それなら推奨される新しい言い方に変えればいいのね、というわけで、しばらくしたらきっちり対応できるようになった。それで近頃は「アクティブ・ラーニング」が、創造性と思考力を高めるための学びの工夫、とかなんとかいう言い方に変わっているのだが、長ったらしい呪文みたいで、私はいまそれを正確に思い出して書けない。気になる方は文科省のホームページをごらんください。

 閑話休題。(閑話でもないのだけれど、読者によっては、わからんわ、でしょう。)

さてそれで、気を取り直して、とにかく著者が元気そうで、読んでいると、たぶん『チョコレート革命』以来はらはら見守って来た愛読者には、末尾の方にかためて置いてある相聞に何とも言えない幸せ感があって、世の中にはこの人にはハッピーでいてほしいというタイプのひとがいて、タレントだと宮崎美子とか菊池桃子みたいな、うん、元気なんだね、よかった、よかったという感じで、こちらもうれしくなってしまうような、そういうはげまされる存在として俵さんがいるということは確かなことだと、私は思う。

これでやめにしようと思ったのだが、ここでやめたらばかにしているのかと邪推する人もいるのかなと思ったので、もうすこし書く。

  ティラノサウルスの子どもみたいなゴーヤーがご近所さんの畑から来る

  地頭鶏のモモ焼き噛めば心までいぶされて飲む芋のお湯割り
   ※「地頭鶏」に「じとつこ」と振り仮名。

 実にとどこおるところのない歌だ。この自然な感じが俵マジックなので、凡百の歌人には「ティラノサウルスの子ども」「ゴーヤー」「ご近所さん」という言葉を一首のなかに入れることはできない。たぶん「ご近所さん」という一単語だけで俗臭ふんぷんたる歌になってしまうと思う。「地頭鶏のモモ焼き」の歌も同様で、「心までいぶされて飲む」は俗になるすれすれの修辞。結句の「芋のお湯割り」に至っては、思いもよらない。絶対に普通の人が使ったらアウトの歌になる。やってみようか。
怪獣のかたちと思うゴーヤーをまな板の上に載せて一刀両断 (凡庸歌人)
地頭鶏のモモ焼きうましお湯割りの芋焼酎はたちまち半分 (凡庸歌人)
みたいな歌(やや誇張がありますが)は、けっこう目にするので、まあ簡単に言うと理屈になっているところがまずい。俵万智さんはそこがすれすれのところでクリアできてしまうわけで、それは昔からずっと天才的なところがあるわけなのね。このブログを毎日見に来てくださっている凡庸歌人さん、すみません。なんて言ったら、もう読みに来てくれないかもしれないけれど、ここで爆笑された方は、まだ短歌が続けられると思いますよ。
 

岡井隆逝く

2020年07月12日 | 現代短歌 文学 文化
 きのう知人からメールがきて、十日に岡井先生が自宅で心不全で亡くなったということを知った。「未来」の七月号の後記に近況として骨折したことが書かれていて、手術後一時改善したと伝えられていたのに、これではまた逆戻りしてしまったなと思っていたことだった。先輩歌人の土屋文明も近藤芳美も百歳まで長生したから、本人としてはそれを口に出しては言わなかったかもしれないが、最後の目標の一つとしていたのではないだろうか。ここしばらくの編集後記からは、医師の指示に従ってまじめに療養に勤めている様子がうかがわれて、最後まで強い意志をもって再起すること、また創作執筆活動に戻るという気持ちを失っていなかったことがわかる。
 いろいろと思い出はあるが、今すぐそれを語ることはできない。ずっと壁に貼ってある作品のコピーが今朝目に入った。

  ひそやかに怖れゐし時が来たらしい遠木立さへ深みを増しぬ    岡井隆

 「遠木立」に「とほこだち」と振り仮名。これは直近の歌集だったか、そのひとつ前の歌集だったかにあった歌だが、いま私はそれを探し出す元気をなくしている。いずれにせよ、ここ数年はずっとこういう気分を基調として毎日を過ごしておられたことは、まちがいない。長い晩年だったけれども、その間にも何冊もの著作を刊行していたのだから、並大抵の詩的力量ではない。現代詩、短歌、俳句のそれぞれに通暁し、創作者として最後まで第一線級の水準を落とさなかった。あたらしい岡井隆の作品に接する時には、何かしらの愉悦を感じることができた。また、後進を積極的に認める役割も大きく、保守的な歌壇では当初否定的な評価の多かった俵万智や穂村弘を最初から高く評価していたのが岡井隆である。
 機会詩としての短歌、折々の感慨を託して、ひとがこの世界に存在し、日々の生活の意味をよりよく感ずるための短歌を、言葉の芸術として高めるために生きた詩歌人として、岡井隆は昭和・平成の時代を先導した。その活動の意味は今後さらに顕彰、研究されていくであろうが、やはり愛唱するに足る作品が多くあったということが、岡井隆の生きた意味を歴史のなかに刻印するのであろう。いま、ふと思い浮かんだ歌がある。

  灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ    岡井隆

『斉唱』の冒頭に位置する歌なのだった。いま岡井隆全歌集のⅠとⅡをざっとめくってみたのだが、この「亡びんとする愛恋ひとつ」という歌謡の要素を持った抒情的詩句が、ひとりの人間の根底に流れつづけるライトモチーフとして最初にあらわれてから、やがて肉体と精神をはげしく揉みしだき、鍛え、さらには高調させてゆくエロス的なモチーフとして全面化してゆく成行きを、私たちは全歌集というかたちを通して目撃することになる。それより年上の人たちは、同時代の実践者としてまぶしく見守り、また時には嫉視していたのにちがいない。戦後詩の主流をなした政治と思想 、それから労働と愛と死とエロスの世界の表現というテーマに真っ向から勝負を挑んで、多大な表現上の革新を成し遂げた。現代短歌がその仕事に負う所は多いのである。

 泥ふたたび水のおもてに和ぐころを迷うなよわが特急あずさ

「和ぐ」に「な・ぐ」と振り仮名。『天河庭園集』より。やはりこういう甘美な人口に膾炙したうたが、残ってゆくのであろうとは思うけれども。昨晩は激しい雷鳴がとどろいたのだった。同じ歌集より。

 カラマゾフィシチナ恋おしも恋おしきに魂に霜降りてか ララム

 寂かなる高きより来てわれを射る労働の弓 ラムラムララム

 しりぞきてゆく幻の軍団はラムラムララムだむだむララム

 いずこより凍れる雷のラムララムだむだむララムラムララムラム

「射る」に「い・る」、「雷」に「らい」と振り仮名。こういう先行作品がなかったらニューウェーブの記号短歌などもなかったわけで、後に『神の仕事場』で岡井隆が全面的に口語短歌を摂取していく方向に舵を切ったときに、島田修二などは、角川「短歌」の書評で若い歌人たちは気を付けないと後で岡井隆という巨魚が大口をあけていると書いたぐらい、それは目立ったことだったのだけれども、今思えばこれとて後輩たちが自分から摂取したものをふたたび自分が摂取し直したようなものなのだから、何を言ったって際立ったオリジナリティは岡井隆の方にあるのだ。ここに引いた一連は吉本隆明が絶賛したのだった。のちに岡井隆は吉本について感謝の念もこめて一本を上梓している。

「亡びんとする」の歌が思い浮かんだときに、なんだか涙がこみあげそうになったのだが、これを書いているうちに、涙がひっこんでしまったので、もう書くのをやめる。ちなみに歌誌「未来」は社団法人化されているし、運営は理事の合議によるという体制が整っているので心配はいらない、ということである。

藤原龍一郎『202X』

2020年03月21日 | 現代短歌 文学 文化
 土曜日の「朝日」読書欄に金原ひとみが「絶望にわずかな風穴を開ける」という題で、大谷崇著『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』についての感想を書いている。と打ってみたら、本文の枕とするには重すぎることに気がついたが、えいままよ、削らないでこのまま行くことにする。この真っ赤な色の装丁の歌集、藤原龍一郎さんの作品集も「絶望に風穴を開ける」ものであるのだ。そうして、大噴火している。

 今はジャズの上原ひろみのアルバム「Hiromi’Sonicbloom 」を聞きながら藤原龍一郎の歌集をめくっているのだが、これが不思議と合う。

 雑誌の初出で見たときに、藤原さんなかなかやってるなあ、と思っていたから、本書の前半に怒濤のように噴き出す怒りのうたの数々については、本当に溜飲が下がるぜ、というところ。この一、二年はひどいことが多すぎるから、よけいにそう感じられる。

  政府広報メール届きて「議事録ヲ修正スル簡単ナオ仕事」です
  
  さなきだに無敵モードは成立しパノプティコンは呪文にあらず

  愚かなる宰相ありて知性なく徳なくそして國滅びき、と

  不起訴不起訴とニュースは告げるニッポンのロゴスとはかく虚しき光

  藤圭子自死の夏とぞ記しおく青きコーラの壜は砕けて

  湾岸に驟雨きらめきぬばたまの自主規制なる闇のやさしさ

しかし、何回目かにめくってみた今日は、下町育ちの作者の幼年時代の思い出や、父のことをうたった歌に心が寄った。

  夕汐の香こそせつなけれ深川平久町春の宵

  材木の木屑の山を横に見てズックの踵踏みて走りき
 
  ラジオから聞こえる歌に声合わせ「黒いはなびら、静かに散った」

 数々の芸能人やプロレスラーの名前が歌の中に入って来てさまになるのは、藤原龍一郎をおいて他にない。昭和の歌謡も芸能人もすでに滅びゆくものの暮色に染まって、胸をしめつけるような哀切な思いにひとを誘うのである。



『土の文明史』からよもやま話

2020年02月16日 | 現代短歌 文学 文化
これはすでに終刊になった短歌誌「はな」に出した文章。最近当方に電話がかかって来た高額な参加費をとる雑誌にではない。 
 
 一つめ。昨年あたりから農耕文明の来し方・行く末について、長いスパンで考えてみようと思い立って、手始めに『土の文明史』(デイビッド・モントゴメリー著片岡夏実訳)という本を買ってめくってみた。そのあとに「食糧が決定づけた文明の勃興と崩壊」という副題のついた『食糧の帝国』という書物を見て、水田を減らすことに熱心な現代日本の農業政策は、とてつもない愚行であるということが、よくわかった。同書によれば、今後数十年のうちに地球全体が厳しい食糧危機に見舞われる可能性があり、特に隣国の中国の予想される食糧事情は危機的である。現在多くの農産物を日本に輸出したがっているアメリカも、土地と水が根本のところでだめになりつつあるのは、中国と変わりはなく、万一アメリカが不作になって農産物の輸出を大幅に減らすというようなことになったら、日本人はたちまちに飢えなくてはならなくなる。十年単位ではなく、数十年の単位、さらには百年という単位で農業に関する政治の政策というものは考えられなくてはならないのに、そういうことを考える政治家はほとんどいないのではないか。
昭和の山林・田畑というものは、江戸時代までの蓄積を基盤として目の前にあったのであり、現代人はその祖先の遺産をずっと食いつぶして来たのである。捨てられた田畑の様子に目をとめている短歌作品を、私は貴重な現代批判と思う。農業を知っている高齢者の短歌が、根源的なところで現代社会を批判することになっているということを、私は見過したくない。毎月発行されている結社誌の片隅に、案外将来を予見する歌が紛れ込んでいる可能性は十分にあると私は思っている。

  近年吉野山の桜の勢いが弱まっているという報道を、どこ読んだか失念したが、最近私は目にした。これは日本の山野の将来に対する重大な警告である。戦後の農地改革で山林地主だけは、ほぼ対象外になった。現代はその山林地主の子孫が、自己の資産を管理しきれなくなっているのである。吉野山は、そのひとつのあらわれと言っていいのではないか。「毎日新聞」の湘南版では、秦野の霊園開発に伴う山林の伐採が、残された貴重な生物資源をいかに損いつつあるかを連続的に報道している。これも先祖伝来の山林を金に換えることしか頭にないような、都市在住の山林地主の子孫が山を売ったために生起して来た事象であろう。いつぞや報道されていた二宮の山中の膨大な廃棄物の不法投棄も、同じことの別の表れとして見ることができる。短歌の作者は、そういうところに常民として目を注ぐことができる存在だ。これは、老人ホームや福祉施設の中においても同じことである。短歌の作者ならではの観察が、現状をするどく描出し、また現在の矛盾を射抜くものとなるというようなことは、あるのではないかと私は思っている。そうであればこそ、読者もそのような短歌作者のメッセージを的確に読み取って、これを社会に還元していかなくてはならない。

  二つ目。話はとぶが、かつて「アララギ」は『支那事変歌集』というアンソロジーを刊行した。これは単なる戦争協力の翼賛歌集では決してなかったのであって、その中には、兵士の目から見た戦争というものの実相が、赤裸々に描かれていたのである。これは宮柊二の連作を掲載した天理時報社版の『大東亜戦争歌集 将兵篇』においても同様である。渦中のまなざしをもって描かれたものは、常に真実を射抜くところがある。それを読み取っていく読書行為が、作品の意味を社会へとつないでゆくことになるのではないかと、私は考える。

  私はあまりよく知らない歌人なのでぼかして書くが、ある有名な一人の歌人が、養護老人施設に入所して後、施設の中には季節がないと言って、入所以後きっぱりと短歌を詠むのをやめてしまったという文章を以前読んだことがある。私は、それをいいこととは思わなかった。これこそ日本の福祉施設の欠陥と精神的な遅れを示すもの以外の何物でもない事象ではないかと思った。私は、短歌を詠む高齢歌人のためには、短歌ボランティアを組織していきたいと思う。もっと広げるなら、詩歌ボランティアである。これによって詩歌にかかわる高齢者が、いつまでも健康寿命を維持し、正岡子規のように口に筆をくわえて絶筆を残して死んでいけるような、そういうサポート環境を作り出していきたい。諦めて言いたいことも言わないで死んでゆく友人の姿を私は見たくない。存分に言いたいことを言って、戦って死んで行ってもらいたい。わが最良の歌友たちには、この日本の文化軽視の医療介護の現状を積極的に変革し、改革する担い手の一人となってもらいたい。そのための先進的な取り組みを作り出す余地は、歌人にはまだまだ残されているはずである。以上、問題提起としたい。

 ※ しかし、念のため。黒川博行の小説『勁草』(徳間文庫)に出てくるような悪人も世の中にはいるので、高齢者と接する人間については、幾重にも視えないところで審査するシステムを(内々に)構築しておくことが必要だ。この小説は、自分が善人でだまされやすいなと思う人には一読をおすすめしたい。

 子供に接する職業人でも同様なケースがあることは、2月4日(月)の「毎日新聞」16面に出てくる女子高生を死に追いやった女性児童福祉司の例からわかった。福祉関係の仕事につくような人は、人間というものの駄目さ加減をよく知って、自身がそういう弱いだめな人間の部分を持っているという自覚を持って仕事につけるような文学教育を受けるべきではないだろうか。
 だから、文学軽視の今度の文科省の高校の国語の科目再編案は噴飯ものなのだ。文科省の視学官の大滝一登などは、「高校一年生対象の「現代の国語」に文学を入れることについては相応の「理論武装」をしてきてもらわないといけません」などと、「口頭で」指示を出したそうだ。官僚の専制ここに極まれり、というところである。

 また、この何十年かの間に、国民の知らないうちに、この国の小学校の「国語」の時間はかつての半分以下に減ってしまった。このカリキュラムも実に危うい。人間存在についての知を磨く、ということは、「国語」のなかの文学教育の大切な一面である。そうした「国語」の時間を限界まで削って早期英語教育と早期情報プログラミング教育を優先的に付け加えている。それもこれも財界の近視眼が遠因の一つである。この国の財界に智者はいないのか。

 

加藤治郎『混乱のひかり』

2020年01月13日 | 現代短歌 文学 文化
今日は知人と急遽読書会をすることにして、以下はそのために書いたレジュメ。

一冊をひろげて読みはじめると、独特の作品世界が展開されていて、その空気感のようなものに包まれる。こういう短歌はなかなかない。

結局、加藤作品にしばしば出て来る技法は、オノマトペの多用も、パーレンや記号文字の〈空喩※〉的使用や、通常の暗喩の使用も、あらたな「リアル」に突き当たるための手段であるのだ。本書の「あとがき」で作者は、ライト・ヴァースを自分たちの世代の登場と同時に短歌史の中に全面化したものとして、歴史的に語ろうとしているが、その「ライト・ヴァース」は、インターネットの普及と情報化社会化の急速な進展という現実の中で、「リアル」のあらたな様相をつかもうとして出て来た動きであると、私なりにここでは概括しておく。

そのうえで、そういった短歌史語りはともかく、要は現実の作品集の一首一首の作品が、見えない現実の姿を言葉・詩によって、イメージを制御し、組織化し、またはイメージを暴走させ、忌憚に触れ、規範を侵犯しつつ、当代の諸悪と虚偽、無関心と無神経と腐敗と堕落と不幸の諸相と、それに反転して見出される願いと平安と慰安とを形象化することに成功しているかどうかということが問題になる。作者は多様な技法を持っていて、オノマトペや甘美な抒情的な言葉の操作については、やや手慣れた感じもみえないではないが、今度の歌集にみえる「リアル」の手触り、苦しい現実の幾多の局面で苦闘しているなかでつかんだ「リアル」の手触りの本物感は依然として圧倒的であるし、さすがである。


  廃観覧車かたかた回れセメントの澄んだ匂いに包まれて、冬
 
  木馬は太い歯を剝きだしにしたままだ がさりと俺の言葉を奪う
 
  シャッターは灰色の舌、野良犬のどこにもいない三十一番街

 このくっきりとしたイメージの提示と、同時にうかがわれる心情の鮮明さを見よ。


  言葉にほそい腕が付いているぎしぎしと縛っているのはそいつの親だ

  こめかみに当たった螺子のようなもの嫌な方向からだったこと

  それらしいファミレスあって入っていくドレミファソラシ自爆犯A

  ヘイトスピーチ袋のなかに放り込んでる 灰皿に火がみえて

  ゆめが破れる音が聞こえてきたのですあんまりひどい音におどろく

 この情報管理社会、あらゆる地面が資本に管理されて適正評価されている都市を歩き回ることの空しさに、言葉を持つ生体が高度に感応して、肉のからだの底から涌きだすように呪詛のつぶやきが漏れ、時にイメージのくしゃみが奔出する。その根底にあるのは、古い言葉だが文明批評をする精神である。
 
 次の歌は前川佐美雄の『植物祭』の歌を知っているとおもしろく読める。

   雨なんかふってないからひじょうなるこうもり傘を人人人人にする

    ※「人人人人」に「ばらばら」と振り仮名。

 次は中澤系。

   たぶん、ぶつかったんだ ぼくたちは別の電車に乗りそこなって

 詞書に「中澤系に」とある歌もあるが、ここには引かない。次は葛原妙子の高名な一首を踏まえる。

   飲食の音はかそけくしんしんとソースの壜に原不安あり

     ※「飲食」に「おんじき」と振り仮名

 もう少し引きたい。 

   むらぎものこころもどきを削除して冬のまひるをまばたいている

   現実は劇薬である辛うじて声を発するWEB会議
  
     ※「WEB」に「ウエッブ」と振り仮名

 おもしろいではないか。さいごに代表歌として人が取り上げないかもしれないような歌を引いておく。こういう作品に、私の気持ちは寄って行く。


  終電の車輛はみょうに明るくて車掌が黒いふくろをはこぶ

  っていうか、いっしょにいたじゃんきらきらとショーケースに子犬がならぶ


※「空喩」私のここでの造語

川野里子『葛原妙子』

2019年09月12日 | 現代短歌 文学 文化
 私は詩歌の本を読む時に、半眼とでも言おうか、読むような読まないような感じの状態に自分を置いておいて、ページをめくりながら目に飛び込んでくるところだけを読む、というような読み方をしばしばする。それで良ければ、それは(自分にとって)良いものの筈なので、そこに理屈は入り込まない。

 川野里子の今度の本は、まさにそういう読書に適していて、電車のなかで一日目にざっと半分を見、次の日におわりまでめくって、最後の一ページをめくり終えた次のページに白紙が現れた時に、映画館を出たあとのような感じを味わった。

 はじめからおわりまで、一気に読み飛ばしているのだけれど、一種の快楽的読書とでも言おうか、その感じをしばらく味わっていたくて、次の日に再び本を取りだし、わらわらと目を這い廻らせて、気になった歌に立ち止まり、引用されている茂吉の鶴の歌にあらためて驚倒したりしながら、硬質の鉱物のような、おしゃれでしかもフェティッシュ感満載の葛原妙子の歌にあらわれている一貫性のようなもの、美に執し、美を求め続けるこころの渇望の深さを思った。

 こんなふうに純一に美を求め続けるこころをすでに自分は失っている、のかもしれない。が、それが世俗にまみれて生きるということであり、私はそれを否定しない。そのうえで、葛原妙子のような生き方もまた、詩歌に生きる人にとっては、ひとつの理想像なのかもしれないが、それは危うい道ではあるのだ。その懸崖を歩んだ稀有な人として、葛原妙子を讃仰するということは、遂には一読者でしかない読者の贅沢な悦びであるのだけれど、自身も表現者の一人として、葛原の深堀りされた表現世界に長いこと向き合ってきた川野里子のしぶとい我慢力のようなものにも、思いは及ばないではない。

 書くということは、要するにそういうことなのだが、書きながら解放されてゆくアナーキーな読みの部分、想像力によって悪意すらも解放される瞬間に立ち会っている「読み」の記述が、何とも貴重である。

大口玲子『ザベリオ』

2019年07月13日 | 現代短歌 文学 文化
 きれいに罫線が引かれている原稿用紙のなかのことばを順に追っているうちに、その罫線がぼやけて、その時々の光景が映像として見えて来る、といった印象を持つ歌集である。つまり、感性の秩序が揺るぎないものに支えられていて、そのあちら側に、日常の時間、特にこの歌集で主だって詠まれている息子との時間がある。それはむろん著者のキリスト教の信仰によるものであるが、もともと作者自身が資質としてかかえているもの、あるいは自然と形成して来た志向性のようなものと、キリスト信仰の「祈り」の方向が合致しているということなのだろう。

 祈りとは遠く憧るることにして消しゆく われを言葉をきみを

 むらぎもの心は折れることなくて読みたし『工場日記』のつづき

 ぐっと、こういう歌を作る作者にこころが寄るという人はいるだろう。なるほど、これか、と私などは思う。二首目の「むらぎもの心は折れることなくて」の「折れない」のは、第一に著者のシモーヌ・ヴェイユである。第二にこの「なくて」は、「(私も折れること)なく(ありたく)て」と普通は読んだほうがいい。と同時に、「私も(いまは、いままでは)折れることはなくて」という含みも多少ないではない。どこで読んだのか、祈りというのは、魂のなすアスピレーションだと書いてあった。高みをめざして高揚する。矢をものすはたらき。

 「つぎ」と言はれやや小走りに進み出てわれは証言台に立ちたり

 「安保法制は違憲である」といふ文字に弁護士の若き声が重なる

 これは訴訟団の原告に加わったらしい作者のドキュメントである。これは「折れることなくて」ふるまっている作者の姿の一面である。信仰者であるからにはたたかうのである。

 いまだ見ぬハウステンボスいまだ子を原爆資料館に伴はず

という巻頭に近いところにある歌で、原爆の残酷な光景をまだ心の準備の整わない幼子に見せてよい時期がくるまで待っていた作者は、巻末に近い所で、ようやくそれらの被爆の事実を子に示す時が満ちたことを確かめる。一集は、子の物語をライトモチーフにして一貫している。

 われと違ふガイドに付きてやや先の展示に見入る子の背中見ゆ

 それにしても、われわれの生の時間は限られている。

 かたつむりつの出すまでを子と待てるこの世の時間長くはかなし

ということなのだ。母子の黄金の時間をうたいとどめようとした歌集というべきだろうか。

 

春日いづみ『塩の行進』

2019年06月11日 | 現代短歌 文学 文化
 評判になった歌集だし、いまさら私がコメントして何かつけ加えることもないだろうと思っていたのだけれども、一日降り続いた大雨のやんだ夜中に起きだして、手に取ってひろげて読んでいると、さまざまな思いが湧いた。岩波ホールのシナリオ採録の仕事を三十年もやって来られたのだという作者。いつだったか、遺伝子組み換えの問題を扱ったフランスの映画のことを、作者が短歌誌の小さなコラムに書いているのを読んで感心したことがあった。最近、日本の監督官庁は、遺伝子組み換えをした生産物の流通に関する基準を大幅に緩めた。あとに続く世代が大量にガンや慢性疾患で死ぬ可能性があるのに、この国ではそういう警告は無視されて、経済的な要求への便宜をはかることが優先されるのである。だから、作者のような問題意識は貴重である。作品集全体のなかでは、やはり映画にまつわる歌が、とりわけ1949年生まれの作者の世代の歴史的経験として、焦点化されることになるのだろうと思う。

  試写室に小さき連帯生れしかな席立つわれらに目力の湧く

  折々に思い起こせりワイダ映画のわが胸深く打ちたる場面

  亡命を拒み窓なき貨車に乗るコルチャック先生子どもらと共に

 一首目は、アンジェイ・ワイダ監督の映画「ワレサ連帯の男」にまつわる歌である。作品のつくりは平易で簡勁であり、滞るところがない。

 また、高名な歌人春日真木子と暮らす生活のなかに見出した、ゆっくりとした日常の時間の流れや、折々の旅のさなかに得られた充実した空気こそ、作者のもっとも大切にしようとしているものなのだろう。

  境界のあつてないやう二世帯の三人暮しを猫の行き来す

  ページ繰れば「真心」の文字そこここに六十年前の此はおもてなし

   ※ 「六十年」に「むそとせ」、「此」に「こ」と振り仮名。

  若きより心に抱く「晩鐘」の意外に小さし顔を寄せゆく

  心の目開いて見よと富士のこゑ富士に向かひて眼をつむる
    ※「眼」に「まなこ」と振り仮名。

 掲出の三首目は、ミレーの絵「晩鐘」を見に行った際の歌。作者はクリスチャンであるから、「心に抱く」というさり気ない言い方をした句にも深い意味がこめられている。善なるものを指向するこころの純粋さを保っていくために、祈りがあり、作者は祈る存在として、さらにガンジーの名前を出しながら、ひとが生きるということにかかわる、象徴的な、核心的なものへの希求を表現しようとする。

  三月の春のあけぼの杖を手にガンジーの発ちし「塩の行進」

  「人々の目から涙を拭ひたい」丸き眼鏡の奥より聞こゆ

 われわれが生きているこの殺伐とした無機的な時代のなかで、どのように理念的なものについて語るかは大事なところで、怒りと憎悪によらない問題の解決のしかたを示したという一点でガンジーの名前は不滅である。けれども、かつて偉大な指導者を出したインドも中国も理念というところでは、すでに混迷に向かいつつあるようにみえる。世界全体を視野に入れながら歌を作ることは困難なことだが、かつて近藤芳美はそれをしなければだめだと言った。ここから先は、もう書けないのでこの文章もおしまいとする。