さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

かぜをひいて

2022年10月30日 | 日記
 先々週はかぜをひいてしまって、三日ほど寝込んだ。先週はその余波で、一週間体調がすぐれなかったのだが、その間になぜかめずらしくも締め切り原稿のようなものが三つあって、多少調子の戻った土・日に必死で片付けた。それから体調のもどりはじめた木、金、土の夜になぜか林芙美子の『放浪記』を読んだ。筑摩の赤いカバーの全集本で、活字が小さいから読むのに骨が折れるのだが、夏にも復刻版で読んでいたから、二度目の文章をたどるのは、何とかなる感じで、目もそれほど疲れなかった。
 あとは美術評論家の今泉篤男の著作集を読んだ。私はここ数年、日本の近代「洋画」や戦後まで生き延びた戦中派画家たちのことを、少しずつ調べたり読んだりして来た。古き良き「洋画」の全盛時代の作家たちの版画やらデッサンやらが、けっこう安価に市場に出てくるので、ニセモノに唾を吐きかけつつ、何とかそれに引っかからないように画集や版画やリトグラフを中心にして集めるということをしてきた。そうして、あっという間に資金が尽きた。骨董なら売ることもできるが、底値まで落ちた洋画関係のものは売りようがない。けれども、私の気持は豊かである。ゴッホ風、セザンヌ風、マティス風、なんでもそろっているのだから。ただし、日本の画家の「マティス」であり、「モジリアニ」である。値段は千分の一か、万分の一か。しかし、近代の洋画家たちが必死で取り組んだ中身を、単なる模倣だとか、オリジナルではないとか言って、すませられるものだろうか。
 先夜、娘を駅まで迎えに行って、しばらく待っていた。「何分待っていたか」と聞くから、「そうね、五分くらいかな」と言うと、「そんなに待たせてわるかった」と言う。「別に、わるいということはない、待っている時間が楽しいから」と言うと、「無駄な時間をすごしていたのではないか」と聞いて来る。私はものを見ているだけで楽しい。道を歩いて目に入って来るもののすべてが、木や、舗道や、空の雲がうつくしいと感ずる。なにもかも、私にとって意味のないものはない。美術に心を潜めることによって私が得たものは、そういう「もの」の見え方である。それは気持の上で、早々に死ぬ準備をしているのかもしれないが、現に私と同年代の人がどんどん死んでいくのだから、私とていつ死んでもいいつもりでこの世を生きたって、別にわるいことではないだろう。
 私は羊歯が好きだ。前庭に数本生えている羊歯を今日の夕方も愛おしいと思った。

台風の雲の切れた間に

2022年09月24日 | 日記
 昨日は朝のうち玄関のところの柘植の木の枝先を刈った。葉の先端の葉がふたつに合わさって、そこに蛾の幼虫がいる。それを弾き飛ばすように切ってから、落ちたものをすぐに靴で踏んでおき、早々に掃き寄せてビニール袋に入れてしまう。あとは紅白の肩までの高さの梅が二本あるのだが、その先端はすでに葉が散り始めていて、葉の落ちたあとに小さな花芽らしいものがついている。それを勿体ないと思いながら、少しだけ丈を切り縮める。そうしておかないと、どんどん上に伸びてしまって手が付けられなくなる。
 今朝は、雨に濡れた前庭に回って雨戸をあけるついでに、前の家の陰になっている暗がりに数本ばかり生えている小ぶりな羊歯に目をとめた。私は羊歯を見ているとなぜか心がなごむのである。それから外に新聞を買いに行ってもどると、夏ミカンの幼木に蝶が来ていた。たいていアゲハかアオタテハだが、今日のは明らかに卵を産み付けていた。この木はそう大きくはないのだが、なぜか蝶に好まれて一年中芋虫が絶えない。いつだったか葉の上にまるまると太った大きな芋虫をみつけて、なんとなく手をだしたらころりと下に落ちてしまった。そのあと探したのだけれども草に紛れて見つからなかった。拾い上げて戻してやればよかったと思い出すたびに思う。ほかにも西の窓際にバラやサンショウなど、蝶の好みそうな小木があって、ときどき葉に付いている蝶の幼虫が目に入るのだが、芋虫などは気づいた数日後にはいなくなっていることがあったりして、どうも鳥が見つけて食べるらしい。
 古書で買った榊山潤(さかきやまじゅん)『石原莞爾』(昭和二十九年 元々社再刊)を読み始めた。なかなかよくできた小説で、その頃の軍人というものがどういう人たちで、どんな振舞い方をしていたのかが、よくわかって、教えられることが多い。巻末の著者紹介を見ると、「明治33年11月横浜市に生る。時事新報記者10年。大戦初期は報道班員に徴用されて南方各地をうろついた。」とある。この「うろついた」という書き方に著者の気風が読み取れる。この小説の最初の方の章に、満州へ向かう船底の三等船室で、大陸に向かう女衒と女たちの一行と乗り合わせる場面が出て来る。これには私の読書における前からの流れがあって、このところ井伏鱒二の『徴用中のこと』(1996年講談社刊)をめくっているので、徴用に駆り出された、もしくは積極的に身を投じていった人の動きへの関心がひとつある。
 けさ目に入った本に松永伍一の『子守唄の人生』(中公新書、昭和五十一年刊)があって、そこをめくると「上海出稼ぎ」の章がある。大陸に連れられた女たちの仲間のうちの一人の証言と言ってよいだろう。よくも聞き取ったものである。
 ここでまた連想がはたらいて、浮んで来たのは、先日たまたま手に入れた岩田専太郎の新聞連載挿し絵の一枚である。ここにもろもろのイメージが頭の中でひとつに結びついて、何かひとつの時代の持っている空気感のようなものが醸し出されてくる気がするのである。岩田の絵には、満州か朝鮮の大陸風の家の前にソフト帽をかぶった和洋折衷の服装をした男が、右手にトランク様の鞄を持って立っている後姿が描かれている。
 この絵は、額装の裏側の格子状の木の枠に貼ってある和紙にぜんぶ穴をあけて、何か隠していないか調べたらしい跡が無残に残っていて、そのせいか値段もいくらもしなかった。こういうものでは、ひどいのになると額裏の署名の紙を斜めに切り裂いてあるのまで見たことがある。それで、男の前にある民家には煙突があり、雪を落とす工夫だろう、屋根の上端の方がやや盛り上がった感じの造りになっていて、全体に冬にそなえたらしい重厚な農家風の平屋で、どう見ても当時の内地の建物には見えない。後景には冬枯れの灌木が見えている。
 それで思い出したことがあって、ずいぶん前に、家の近所に大陸から帰って来たという夫婦が住んでいた。宮崎さんといったが、その方の家の庭に大きな一本の木が生えていた。花の咲く木なのに、これがちっとも咲かないのだという話だった。やがてその家の妹さん、奥さんと順に亡くなって、家には誰もいなくなって、「今度人手に渡って取り壊されるそうよ」という話を、これも今は亡き母の口から私は聞いていたのだった。その頃私は家の二階に自室があって、東側の階段を上がったところにある窓をあけると、その家の庭が見下ろせるのだった。ある日、その大木に一斉に白い花が、かがやくように、ぱあっと満開に咲いているのに気がついた。「あの、咲かないと言っていた木が咲いているよ」、「本当だ咲いている」、というようなやりとりを母としたと思う。その屋敷は、それから半年もしないうちに取り壊されて、木も切られてしまったので、「あれは木もこれが最後だということがわかったのかもしれないね」というのが、わが家でのもっぱらの話だった。近くで見なかったので木の名前はわからないのだが、その方が大陸帰りということで、いつもその昔を贅沢に過ごした夢のような時代として回顧していたということから、私はその木は何となくアカシアだったのではないかとも思うのである。

部屋内の各所崩壊についての漫談

2021年02月01日 | 日記
 今更のように思いついたのだが、横積みにしてある本のタイトルは、付箋に何か言葉を書いて、それを少し飛びだすようにして見えるようにしておけばいいのだ。一冊の本をさがすために、今日は三度も同じ場所の本の山が崩壊した。それで、最後は堅牢に煉瓦を積むように組み上げた。と書いているそばから、いまビールの缶の袋が山巓の頂上から落下して、本どもがいきなり話しかけてきた。

「きみは、ほどよく煮えた高野豆腐のおいしさを知らないな?」
「いや、そんなことはありません。その出来立てのおいしさも、よくわかっております。ですから、私を責めないでください。」
「ううん、わかってないな。こうなったら、きみは死刑だ。」
「どうか、そ、そ、それだけはごかんべんを。この上は、そちら様のカキフライの割り当てを倍にして、最後に残ったひとつを二等分になんてケチなことは決して申しませんから、今後は全部そちらにさしあげますから、どうかこの場はご容赦、くださいな。」
「わかった。今回にかぎって赦してやろう。」

 ‥‥なんかもう、疲れた。あほらしくてやってられない。みし、みし、みし、ずるずるずずー、どーっ。ど、ど、どん。どたん。隣の山もついでに崩壊したりして。くそう‥‥。なんてことだ。

「いいか、かっぱ巻きは、あれは芥川龍之介の河童をイメージして食べてはいけない。かっばは、せいぜいかっぱなのだから。まあ、黄桜の広告の河童が妥当な線だ。」
「はい、わかります。自殺したくなるような絵は、いけません。そうですよね。それにしても、世間のかっぱ巻きは、どうしてあんなに小さく切ってあるんですかね。お通夜で出る河童巻き、おいしくないですね。」
「調子にのって、縁起でもないことを言うんじゃない。こういう国難の時期だからこそ、すがすがしいことを考えなければ。」

 もう寝ないと、あしたに障るので。みなさま、どうぞ気を付けて明日からもおすごしください。あとは、今後も食料自給率と出生率を上げるためにがんばりましょう。

年頭所感

2021年01月01日 | 日記
 みなさまにとって今年が良い年でありますように。

 これだけにしておいてもいいのだけれど、新年最初の日記を以下に記すことにする。

 年末に積んでおいた本が崩れたせいもあるが、新年早々に手に取って読んだのが金子光晴の『天邪鬼』(一九七三年大和書房刊)の中の「江戸につながるなにものもなく」という一文である。ここで金子は自分の浮世絵にまつわる回想を縷々書きつけているのだが、江戸の名残りを知っている人の弁だけに、絵に感銘を受けて成立する美感の裏にうごめく集団的な嗜好、露骨に言うなら何に欲情するのかということに対する志向性について、異様なまでに敏感な書き物となっているのである。
 
 などと書いた何時間後に、なぜか手に触れた本が「面白半分」の金子光晴追悼号で、と言うのは、私の部屋の雨戸を開けるには、いろいろな場所に手を衝きながらでないと到達できないので。その雑誌に嶋岡晨先生が追悼文を書いていたのだ。嶋岡先生は、まだ御健在であろうか。と言っても、大学のプロ・ゼミ(ゼミの入門のゼミ)でお会いしただけの縁だが。

 それから何となく手に取ったのが、これも年末の片付けで転げてきたので読んでみようと思った司修の自伝的な小説『版画』である。磁石のように本は本を呼ぶ。この本のはじめの方には、朔太郎の自分の身体を食べて消えてしまう蛸の詩を絵にしたいと思ってかいていた絵の話があり、後半には、歌人の江口きちのことを書いた小説が収められている。

   「宇宙塵のように何もないと思えるところでしか何かは生まれない。」(司修)

 今日は午前中に年賀状の返事を書いてから、「うた新聞」掲載の玉城徹についての文章を書き上げた。それは二月号に出るので興味のある方は http://irinosha.com/ から注文してください。以下は、思いついたことをもろもろ記す。

 年末に本厚木のアミュー厚木の映画館で「キーパー」を見た。主演の男優と女優がとっても素敵で、王道のラブストーリーなのだけれども、深刻な歴史をきちんと踏まえているところが世界中で受けた理由だろう。私のような年代の者は、キメツを見るよりこっちを見た方がいいと思いますよ。ただ事故で子供をなくされた経験のあるような方は、たぶん見ない方がいいと思う。

 最近タイの女性歌手にはまっていて、文字の読み方がぜんぜんわからないので、タイ語を勉強したくなって来た。アルファベットでは panadda という人で、初期の2000年のアルバムが一番いい。国籍不明の音なのだけれども、妙になつかしくて、八十年代に若かった世代向けの音である。バックの演奏に日本人のアルバイトのミュージシャンが加わっていそうな気配もあるのだが、ギターにしろピアノにしろ、こちらの琴線にぐっと触って来る和音を奏でているのである。

 今晩はNHKのEテレで「にっぽんの芸能」の狂言師お二人による「棒しばり」を見たのだが、実におもしろかった。作 わかぎゑふ、とあったが、とにかく大した芸である。
 最近Eテレを失くせばその分NHKの採算が向上すると言った代議士がいるが、文化の維持には金がかかるのである。以前大阪の文楽をいらぬと言った政治家がいたが、それと同じで、経済原則だけを最優先しようとする感性というのは、信じがたいほど貧しいものである。文化がなければ世界からばかにされるということが、何でわからないのか。

 それにしても、近年の日本の美術館の持っている総予算は、信じがたいほど少ないものである。直近の横浜美術館の展示は、そういう予算問題への問題提起にもなっているということを新聞で読んだ。美術館はコロナで委縮していないで、こういう時期こそ団結して声明や要望書を出していくべきである。そうしてこの時期に生きるようなコンセプトを考えて意欲的な企画をしていくべきである。

 公募展も去年はやたらと中止になったが、今年は観客なしでもいいから実施していかないと、画材の売り上げが落ちて、足元の画材店や絵の具の会社の経営が立ち行かなくなってしまう。きちんと支えないと、日本の美術というものが沈没してしまうと思う。

   「宇宙塵のように何もないと思えるところでしか何かは生まれない。」(司修)

つぶやき

2020年12月30日 | 日記
 いまはやりの漫画本の一巻と二巻を読んでみた。ひとつ気になったのは、鬼がつかう呪術に対抗するために主人公が繰り出す剣法に、「壱の剣」「弐の剣」などと名付けられた秘術が次々と繰り出されるのだけれども、これがその詳細を丁寧にわかるように描いていない、いまひとつ説明不足という感じがしてもどかしいのである。われわれは『巨人の星』の「消える魔球」とか、「大リーグボール二号」なんていうアニメで育った世代であるから、トリックやテクニックの裏付けのようなものが、たとえそれがどんなに荒唐無稽のものであったとしても、きちんと理論的に説明されている必要があった。この漫画では、そこのところの納得感が得られない。何となく気分に流されるという感じがあって、物足りない。だから、史上最大のヒットであると聞かされても、アニメ映画を見に行く気はしない。細部の仕上げが粗すぎやしないか。

 もうひとつ気になったのは、主人公の鬼退治のミッションが、いきなり伝書鳩役のカラスを通じて伝達されるのだが、これが何やらブラック企業の派遣現場のイメージを彷彿とさせるのである。さらに、戦士として選別される子供たちの描写には、能力不足を理由に簡単に淘汰されてしまう労働者のイメージが重なる。

 一巻と二巻を見るかぎりでは、この漫画は優勝劣敗の法則を見せつける、残忍・残酷な復讐ドラマのように見える。首を斬る場面が多いので、これは海外では絶対に子供に見せられないものとなるだろう。私はこれに熱狂する今の日本の文化的な雰囲気をおそれる。この雑な感じにやすやすと乗っかる、というか乗せられる感じがとてもいやだ。

 念のため、このアニメ映画を観てはげまされたり、元気が出たというような人たちを私は否定しているわけではない。だから、このブログを見た人は決してこの文章を私に無断で拡散したりしないでください。

 ※文章に翌日少し手を入れた。

日記 今朝の夢

2020年11月28日 | 日記
 毎日の仕事を淡々とこなすというのも、それなりに努力のいることで、そんなことはいちいち言うまでもないことであるが、今朝見た夢では、

山道を駆けていって公園に行き、なぜか放置されている美容院にあるようなマネキン人形の頭に茶髪のかつらが被せて置いてあるのを、ぐるりと見回りながら三、四個確かめて、「ひどいなあ、これは」というような事を思いながら、(※これは少し前の座間の事件の裁判報道が影響しているようだ)以前どこかで会ったことがある少年がそこにいるのに気がついた。しかし、少年はすぐに駆け去ってしまい、私は復路をもどり始めた。山道にさしかかると、三メートルほどの急な斜面に大きな葉っぱの草がぼうぼうに生えている。私を走って追い抜いた青年が、その斜面の草や草茎を手に引っ摑んで体を起こしながら、ぐいぐい勢いよく上って行き、あっという間に姿を消してしまった。それで私もその後に続いて斜面の草の中に足を突っ込み、先程の青年のようにのぼってやるぞ、と思うのだが、横倒しに近くなった上半身がどうしても持ち上がらない。ああ、体が起き上がらない、重い、ともがいているところで、布団から、がばりと体が起き直って目が覚めた。
 
 これは年齢による自分の体力の衰えを気にしているからこういう夢を見るのだろう。現実に起きられたから良かったけれども、これで起きられないと夢の続きはどうなったことやら。
続けて体調の話をすると、今年の前半までは、ヘルニアで片足が痺れていた。それが今年に入って毎日朝夕通勤のバスを使わずにバス停三つ分を歩いていたら、だいぶ良くなった。でも今度は毎日筋肉痛で、特に上半身がどこかしら痛い。持っている鞄が重いせいもある。これは上手なストレッチを心がけていると痛みがけっこう軽減できる。若い頃は好んで自己流のダンスや合気道風の動きをやっていたのだが、この頃はおっくうになってなかなかやらない。それで椅子にすわったまま両手を斜め上に上げてみたり、弓を引くような姿勢、それから投球フォームのような動作と、やってはみるのだが、これがけっこう面倒くさいので、しばしば忘れる。以前VWT体操というのを教わった。教えてくれた人は厳しい職場でいっしょに働いたことのある世界史の先生で、これを読まないで死んだら心残りだと思って一念発起して「源氏物語」を読み始め、講座に参加してほぼ読み終えたというようなことを何年か前におっしゃっていた。まだお元気だろうか。それで、Vは両手を後にVのかたちに伸ばし、Wはゴリラの自慢のポーズ、Tは両腕を左右にまっすぐ伸ばすというもので、アルファベットの文字の中心が胴体なわけだ。こんなふうに、年をとると健康談義に熱中するようになるので、私はこのブログではそれを戒めてなるたけ書かないようにしているのだが、今日は書いてしまった。
 
 ほかに雑談を記すと、先の大阪維新の会の住民投票に関しては、コロナという一種の非常事態のなかで緊急性の感じられないやっかいな問題を市民にはかるということ自体が、政治的な状況判断のセンスが鈍っていると思われた。ついでに書いておくと、基本的に「道州制」や、それと親縁性の高い発想で地方行政を考える方向性は、まちがっていると思う。その証拠に、平成の大合併で地域から行政の庁舎がなくなった市町村は、多くが人口減少という事態に見舞われている。道州制はまちがった提案だったという事を肝に銘ずるべきである。トランプについては、コロナ対応の誤りが、大きかっただろう。マスクを放り投げている映像をみて、家の者が呆れていた。

 近刊で佐高信著『竹中平蔵への退場勧告』という本が出た。私は佐高信の書くものはあまり好きではないが、これに関しては勇気ある本と思う。竹中が先導して水道法の改正にかかわり、私企業が水道事業にかかわれるように法律の運用を変えたあと、市場に参入できたオリックスのポストについているなんて、わかりやすすぎるではないか。竹中は、人材派遣会社パソナの重役を勤めながら、正社員の首切りについて問題発言を繰り返してきた。平成日本で義理も人情もない冷淡なカイシャ経営を標準化してきた張本人の一人が、菅内閣の高官に再び収まった。その世間の風を冷たくしてきた人がベーシックインカムを説くという、提言自体が何やら眉唾の気がして来るのは、私だけだろうか。まあ、この人が消費税の停止を提言してくれたら、評価を変えてもいいけれども。その方がベーシックインカムよりは現実的だし、一挙に悪名をそそぐことができるだろう。

父の時代

2020年08月15日 | 日記
 今日は晩になって急にベートーヴェンの交響曲第七番などをかけて聞き始めたのだが、考えてみればお盆だし、カラヤンのベートーヴェンは父が好きだったから、これは追善にもなると思って、ベルリンフィルの演奏を大きめの音にして響かせている。二楽章から聞きはじめて、それが終わって、また一楽章から別の楽団の演奏で聞く。弦楽器の音が森の奥の枝と枝がぶつかり合うような響きをたて、木々の上を吹きわたる風のような、また滝壺のどよめきのような、よじれ合い、ぶつかり合う音の流れが旋風を起こしては鎮まり、また吹き上がり、生命が鹿の角を振り立て、馬群のかたちをなして疾駆してゆく。とどろき、ギャロップ、ターン、どよめき、ジャンプ、咆哮、ステップ、さざめき、哄笑。あらゆる感情が伸縮しながら流れをなして雲の上、天上にながれては飛び去り、立ち去って行く。あとには豊かなみどりの闇と沈黙がとどまっていた。

 次はガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルー。そう言えば、これも父が好きだった。暑かった夏の晩にはなかなかふさわしい気がする曲だ。

今年は「短歌往来」に「父の時代」という題で歌を載せてもらった。後半を紹介したい。

   父の時代

従軍看護婦に志願せしひと「靖国で会ひましよう」と友は去りぬと

  ※北村小夜『画家たちの戦争責任』二〇一九年刊 

青島に振り分けられしわが父は生き残りたり予科練なれど
  ※「青島」に「チンタオ」と振り仮名。

飛行機なき飛行場のめぐりを走り居しのみと風呂場に語りき

はじめての酒はコップ一杯のビールなれど気絶して溝に転げ落ちしと

精神注入棒、手旗信号いじめ 薄暗き時代経てのち国鉄マンとして一期全うす




高田博厚のブロンズ像が藤沢北口から消えた

2020年08月04日 | 日記
※ 四日の投稿は消して、以下は翌日の五日の日記。

 今日は昼間ものすごく暑くて、朝から検診でバリウムをのんだ余波でおなかがぐるぐるするので、午後は年休にしてあったから、帰って二、三時間雨戸を閉め切って寝た。起き上がってから月次の月旦原稿を書いて送信し、夕方はチャーハンを作ってもらって早々に帰宅した息子と一緒に三人で食べた。それからブログにも何か書きたくなって机の前に坐りなおした。

当ブログの毎日のアクセス数は一度北海道で天災が起きた時にアクセスが三分の二程度に減ったから、北海度の方は東京方面の情報源のひとつとしてこのブログを利用しておられるのではないかと思う。先日NHKのブラタモリを見ていたら、釧路湿原の霧が摩周湖に行くのだと解説していた。そういえば高校二年の修学旅行で、私は晴れているときの摩周湖を見た。阿寒湖にも行った。湖面も空もひたすら青かった。私は胸の底にその青い色をしまいこんで帰って来たのである。移動する列車のなかでみたクラスメートの少女の寝顔が、とてつもなく美しくみえた。何十年たっても、そのときのままの姿で彼女は美しい。立原道造の詩の世界に通ずるような、ある種のロマンチックな青春の記憶である。

こんなことを書きたかったのではなかった。高田博厚編集の『ロダン・ブールデル・マイヨール素描集』という岩崎美術社刊の本の感想を言いたかったのだ。

巨匠の素描というものは、宮本三郎の教本でみたような正確なものではなくて、けっこうざっくりとした放恣なものが多く、知らないでみたらどこがいいのかわからないだろう。正直に言って、私はブールデルの神話的な場面の素描のよさがよくわからない。これは彫刻を知っていて、それから見ないとその良さへの認識が及ばない面があるのではないかと思う。彫刻の方は、特に箱根でみたその印象が強いのだが…。マイヨールのものは、誰がみてもわかる。彫刻の方はもっとも日本人好みのもののひとつだろう。問題はロダンで、最初みると、あんまり丁寧に描かれたものではないのでおどろく。それがしばらく見ているとその持っている雅味のようなものがじわじわとこちらに響いてくるのである。幸いにこの素描集は、一枚一枚が別々になっているから、さらに額に入れてしばらく眺めていたらいいのではないかと思う。高田博厚はそういうことをよくわかっていて、この本の造りを提案したのかもしれない。

私は四十年近く前に教え子のО君が高田先生のお宅にうかがったという話を聞いてから、高田博厚に興味を抱いてきた。しかし、最近の化粧直しで藤沢市の北口にあった高田博厚の彫刻はどこかに行ってしまった。高田博厚への関心のようなものが、一般にはもう高くないせいかもしれない。これは何とかしなければならないと思ってここに書いた。

日記 おしまいにちょっと、電磁波過敏症のこと

2020年06月29日 | 日記
 その人の亡くなった直後にうたうにはふさわしくないが、何年かたってからうたったらしっくりくる歌というのはあるのではないかと思う。ある種の別れのラブソングというのは、そのような、かつて見送った人を思う歌としてうたえるのではないかと思う。今晩は酔っぱらってしまって、酒井法子の「世界中で誰よりも」をかけながら高唱してから、そのあと今井美樹の『海辺にて』をアイポッドで流してみた。アルバムの5番「春の日」。

 私の短歌関係の知人には、夫を亡くしておられる女性が多いから、そういう歌を批評する機会が多い。私は技術批評を旨としているので、そういう歌でもけっこう容赦なく難点を指摘する。それが、つらい言葉となっていたのかもしれないと、ある人が会を抜けたいと言って来られた時に思った。それで、申し訳ありません。この曲はいかかですか、なとど、たぶんこれを見ておられるので書く。念のため、私はこのブログでは個人のプライバシーにふれることは一切書くつもりはない。会の詠草もここに出したりはしない。コロナ禍の影響で、対面しないための弊害が増えて来たと感ずる。その方の退会も、そのひとつではないかと私は感じている。対面で言われたら傷つかない言葉でもメールを通じて活字で言われると、きつくなつてしまうということはある。

 子供たちの場合は、電磁波過敏症というのがあるそうだ。イギリスでは参加を強いられた少女の自殺者も出ているという。気になる方は、「世界」の今月号をみてほしい。よって、以前私がこのブログに書いた「九月始業よりも、タブレットを配れ」という記事は、非公開とすることにした。