さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

内田樹『最終講義』について

2016年04月30日 | 現代短歌 文学 文化
 この本のサブ・タイトルの「生き延びるための七講」というのは、講義の聞き手の個々人と、「日本という国」がともに生き延びてゆくため、というニュアンスを含み持っているのだろう。一箇所引用する。

 「田中角栄のロッキード事件の背後にアメリカ国務省の関与があったことは、まず疑いを容れない。あれから二十数年経って考えてみると、ロッキード事件以後、アメリカの許可を得ないで、日本が外交上のフリーハンドをふるおうとした事例は一つもないんですから。アメリカの許諾抜きでアメリカの国益を損ないかねない外交的選択をした場合に、どれほどのペナルティーが下されるか、日本の政治家はロッキード事件で思い知らされた。
 でも、メディアの集中砲火を浴びながら、角栄さんは以後もキングメイカーの地位を守り抜いた。これは田中角栄という人の個人的力量や魅力といことでは説明し切れない。日本人の中の無意識の「対米独立」志向が背景にはあったんじゃないかなと僕は思っています。」

 これは鳩山元首相の失敗についてのコメントだけれども、なかなか正鵠を射ているのではないだろうか。

私は「文春」をはじめとする大メディア権力が、人気商売の無力な芸能人や、スポーツマンや木端議員のスキャンダルを暴いて得々としているのをみると、阿呆らしくなるのである。ふだんは正義の味方のような顔をしながら、ТPP条約のような一番国益にかかわることに関しては、どんな取材をしているのだろうか。ベッキーみたいな弱い者いじめをしている暇があったら、国家の危機にきちんと向き合えと言いたい。

日本人は昔から弱い者いじめが好きだった。私の息子などは、中学校時代にいじめられたトラウマから幾年たっても立ち直れていない。だから、私は人をいじめるやつらは大嫌いなのだ。そうして、西欧列強の帝国主義の歴史というものは、弱い者いじめの歴史である。その末端に連なって、今日のパワー・ポリティクスというものがある。人間の歴史は、悲しい。


吉田隼人歌集『忘却のための試論』について 2

2016年04月30日 | 現代短歌 文学 文化
この歌集は、大きく三部に分かれる。第一部は、文句なく傑作と思う。その興奮は、初見の際にブログの文章にしるした。第二部については、若い人の意見を聞きたいところ。第三部は、末尾が耽美的、浪漫的に過ぎるようだ。死の想念にもたれすぎている気がする。あとがきに示されている文学観は、ある意味できわめてオーソドックスなものであり、これは塚本邦雄の系譜にあるものだ。しかし、

 「この十年間を僕は生きたというよりは、生と死を両極とする振り子のように頼りなく揺れ動いてきたに過ぎない。その間には「死」の側に大きく傾くことが一再ならずあり、こと二〇一一年に襲ってきた幾つかの外的な危機は、誠に遺憾ながら本書の第一部をなす「砂糖と亡霊」や「忘却のための試論」といった連作群に作者の実生活の影を色濃く落とすこととなった。」

と記すところから得られる作者情報こそは、むしろ最大の<私性>の表現になっていはしないか。しかも作者自身が「誠に遺憾ながら」と言う内容が、――それはどこのところを指すのかは実際には弁別・判別しがたいのであるが――むしろ作品のスパイスとなって、こちらの読む興味をかきたてるのである。と言うよりも、そのようにして滲み出てくるものの中からしか、表現の真実性というものはあらわれないのではないだろうか。

  さらに第三部の戦争や死をめぐる連作は、濃厚に自殺願望とのたたかいが投影されたものであろう。ところが、その濃厚な死との対話の表現こそ、極めて完成度は高いのであるけれども、従来の文学的エクリチュールから大きく外れるものではないもののように思われる。明治の象徴派詩人蒲原有明らの営みを継承するマニエリスムの試みとでも言ったらいいのだろうか。しかし、呼び込まれる歌語も古めかしく予定調和的で、短歌の世界ではすでにあったものではないか。やはり作者には、現代の表現として、当代の言語状況に果敢にかかわり続けることを放棄してほしくないと思うのである。

  そういう意味では、第二部の種々の試みがある作品のなかに可能性はあると思うし、作者自身が破綻していると感ずるという第一部の作品の友人の死らしき(示唆されているだけで明確にはわからない)事実や、失恋らしき(死んだ友人と失恋の相手が同じなのか、ちがうのか、そういった事実的な背景は一切突き止められない)できごと、これははっきりとわかる震災の影のようなもの(でも、自分に近しい人の誰がどうなったのもほとんどわからないし、作者の家族や近親の被災の程度もよくはわからない)を提示する書き方を、今後敢えて忌避する必要はないのではないかと思う。震災の経験を、実生活が作品の虚構世界に及ぼした否定的なこととして語る作者の文学観は、第三部の「烏羽玉」や「流砂海岸」の連作をみるかぎり生産的ではない。私はこれをあまり評価しない。とは言うものの、同じ第三部の前半は、純粋にエクリチュールとして楽しめる高度な詩的達成であると思う。ここのところだけでも、この人が今後プロとして通用するレベルをクリアしていることがわかるのである。

◇技術的なことについてのメモ◇ 
 冒頭のマラルメの詩の文語訳が楽しかったけれども、一つ気になったのは、最後の連の「まがごとくらきあまつより くだりてなほもしづけしの」の「しづけしの」の部分で、私は原詩を読めないので、もしかしたら「の」の脚韻の連続で工夫したところなのかもしれないが、ここは「しづけきに」ぐらいにした方が、日本語の文としては座りがいいのではないかと思う。
 もう一つ、121ページの「ほのほにみほる」という句について、「見惚る」は、漢字表記にした方がいいかもしれない。意味として終止形は分かりにくい。むしろ「見入る」とか。または「みほるる」とか…。 ※今年の現代歌人協会賞をとったということなので、このぐらいなことは言っても許されるだろうと思って書いてみました。

南木佳士『信州に上医あり――若月俊一と佐久総合病院』について

2016年04月29日 | 
南木佳士という小説家について、私はあまり詳しくは知らなかった。でも、その作品のいくつかは読んで知っていたし、よい作家だと思ってきた。うかつなことではあるが、私の関心の狭さのせいで、その人が長年、佐久総合病院の勤務医であったことは知らなかった。さらに岩波新書で『信州に上医あり――若月俊一と佐久総合病院』という本を出していることも知らなかった。

同書において南木は、若月の理想家としての姿と、経営者としての一面との矛盾を冷静に描き出している。間近でみた時の対象の見え方と、大きなスケールで評価する視点を加えた時の見え方の違いを、誠実に語ってみせた。地域における健康スクリーニング活動の先鞭をつけた若月の「『草花の匂いのする電気機関車』のような野太い牽引力」という南木の言葉は、いたずらな美化に陥らない記述をやりとおしたうえでのオマージュと言ってよいであろう。
 同書を読み進むうちに、四分の三を過ぎたところで思わぬ人の名前が出て来た。頭に手拭いをかけて深沢七郎と一つのマイクを持ちながら「船頭小唄」を歌う若月の姿の写真が149ページに掲載されている。

「山梨の人で尊敬するのは若月さんだけ。」(深沢七郎)

 最近これも意外なところで、と言うより当然語られるべき筋の本の中で、若月俊一の名前を目にした。それは堤美香のТPP条約に対する警告の書においてである。堤の言うように、日本の医療保険制度の現場にアメリカの強欲資本主義資本が土足で入ってきたら、日本のなけなしのセイフティ・ネットはめちゃめちゃにされてしまうであろう。そこでは佐久総合病院の方式が、全国に先駆けた協同組合による医療機関の成功例として称揚されているのである。

 南木の本から若月の言葉をひとつだけ引用しよう。

「…その研究をすすめていくと、驚いたことに慢性中毒の学問については、ほとんど誰もがまだ手をつけていない。要するに、ものすごく面倒で根気がいる仕事で、しかもその結果が、しばしば、政府の方針や、資本の利益に反するようなことになりやすい研究などに、力をそそぐおろか者はいないのではないだろうか。そこで、やむをえず私ごときが、みずからあたらしく研究所をつくり、いろいろな化学的検査や動物実験をやらねばならなくなったということなのである。
 素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。現にいままでいわゆる専門家にまかせておいたからこそ、今日のような不測のいろいろな公害の事態が起きたのではなかったろうか。」                 (同書164ページ)

 この「素人はだまっておれ、専門家にまかせておけば、と何人が言い切れるか。」という若月の言葉を、いつだってわれわれは噛みしめなければならない。ТPP条約に関しては、真剣に議論し、その内実を国民は知る権利がある。交渉の過程でどのような約束が交わされたのか、その中身がよくわからないまま条約を批准しようなんて、とんでもない話だと私は思う。

 話を元に戻して、南木の文庫本版全集のようなものを、どこかの出版社が音頭をとって企画してもらえないだろうか。あるいは版権のある会社が持ち寄りで横断的な文庫の復刊を共同して行ってもいい。広告費の節減にもなるだろうし、読者としてもうれしい。私はほとんど読んでいないから、真っ先にその購入者になるであろう。

 

漱石の「私の個人主義」

2016年04月28日 | 大学入試改革
 読みもしない本を積み上げて、いったい何をやっているのか、と周囲に言われながら本を買い続けてしまうのが本好きというものである。そうして、みんな一様に置き場所に困り、その対策をあれこれと愚痴る姿が結構おもしろかったりする。何年か前に、四十年間ずっとダニの研究を続けて、一定の面積のなかにどれだけダニがいるのかを数えたデータをもとに、その場所の自然環境の状態を判定できるモデルを作りあげて、にわかに世間に注目された昆虫の研究者があったが、私はそのニュースを新聞で読んで、いい話だなあ、と感動したのだった。本好きのやっていることと、そのダニの研究者のやっていることには、共通する点があると思うのである。つまり、何の役に立つかどうかということは、とりあえず脇に置いておいて、自分の興味や関心のあることめがけて一路邁進する姿が、似通っているのである。

 学生の頃に、何十年も前にR出版から出ていた大正時代のダダイストの辻潤の文集をめくっていて、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』という小説の存在を知った。この本は夏目漱石が論じていることで知られており、漱石の文学的なイカモノ好きを示すものとして漱石通には好まれる話題のひとつであるが、そのせいか翻訳が岩波文庫にあって、その三巻本を私も買ってみたものの、早々に挫折した覚えがある。
 その本の冒頭に、「道楽馬」という練れない翻訳語が出て来る。人間は、各人の欲望の「道楽馬」を追いかけている存在で、その「道楽馬」に乗っかって年中駆けずりまわって生きていくしかないのだから、すべからく人は、各人の「道楽馬」を追うべし!というアイロニカルなアジテーション、趣味の全面肯定の言葉があって、世間の変人たちにとっては、これ以上の応援団となる書物はないであろう。
 ちなみに辻潤は、スティルナーの『唯一者とその所有』を『自我経』と呼んで訳しており、私はその本も買ったままろくに読みもしなかったのでいまも書庫の底を引っくり返して捜せば見つかることとは思うが、要するに自分の好きな本しか読まなかった人として、辻潤などはそういう読書人の典型と言う事ができるのではないかと思う。

 近年は、プレゼン力の向上だとかアクティブ・ラーニングだとか、やたらと人前でキラキラしい意見を開陳する技術を磨くことを大学生に薦める教育方法が全盛であるが、それで育ったアメリカ人が、いま世間を騒がせているトランプ氏のようなしゃべり方を喜ぶのだということも、日本人は知っておくべきだろう。
 自分の穴を掘り続けていくことからしか真の独創的なものは生まれないのだという事を、夏目漱石は「私の個人主義」で語っていた。あれは学習院大学の子弟に対する講演だったが、従順な良家のお坊ちゃんたちに向かって、オブラートに包みながら、自分の関心にこだわること、そのためには大きな抵抗を乗り越えなければならないのだということを説いた、勇気ある教えでもあるのだ。そうしてそこには、福沢の説いた一身の独立と一国の独立という明治の精神の背骨が、一本びしっと通っているのである。
 
 

『源氏物語』雑記 

2016年04月26日 | 古典
 何年も前の事だが、私は通勤電車の中で『源氏物語』を読んでいて、年甲斐もなく亢奮して来て弱ったことがある(宇治十帖である)。傍訳のついている新潮の日本古典集成本でだから、これは別に私の古典読解力を自慢していることにはならない。もっとも最近になって例の岩波文庫本を手に取ってめくってみたら、結構いい気分になることができたので、それなりに年季を積むということは、読解力の向上につながっているのだろうとは思う。

 私の以前の職場で、定年退職された数学の先生が、がんの診断を受けて、なぜか死ぬ前に一度『源氏物語』を読みたいと急に思って、一念発起してカルチャーに通いだしたという話をうかがったことがある。その方が、酒の席ではあるが、私は特に専門でもなんでないのに、しきりに頼りにして質問をされるので、その時は面映ゆくて弱ったのだが、以来私は、日本人が死ぬ前に読んでおかないと死んでも死にきれないもののひとつに『源氏物語』がある。アメリカ人には、こんなものはない。ということを、若いアメリカ系ドクトル並びに、ごくまれに出会う官僚予備軍の諸君には、言う事にしているのである。
 
 だいたい現代の日本政府の愚かな政策の大半は、アメリカ留学によって、洗練または洗脳されたひとびとによって形成されているのであって、これだけは、さしてエリートの事情に詳しくない私にもわかる。英語が読めるだけの猿どもよ。なあんて、英語が苦手の私が言っても詮無いことで…。その一番わかりやすい例が、この何十年かの経済政策と教育政策である。

 それで、『源氏物語』の話に戻るのだけれども、当たり前の話かもしれないが、『源氏物語』の最大の読みどころは、中に出て来る和歌の情緒を読み味わうところにあるのであって、その注釈にある引歌(典拠となった引用歌や、本歌取りのもとになっている歌)も併せて楽しまないと、楽しみを極めたことにはならないのである。その点で新潮日本古典集成本はいいと思う。

 ここまでが枕で、このあとに続けて何か書こうと思っていたのだけれども、チリ産赤ワインを飲みながら書いていたら酔っ払ってしまった。それで、本文の小題は「源氏」だけれども、私は本当に「源氏」には詳しくない。今思い出したのが、某大学の入試問題で、匂宮が浮舟を見つける場面を出題していたのだった。必死の受験生たちに匂宮の放蕩の現場を読ませるなんて、ずいぶんだよなあ。読んだ瞬間に〇〇したら合格、なあんてね。最近はこの手の話題に向くと、何でもセクハラと言われるので、困る。ひどい時には「あなたの顔がセクハラだ」とか平気でいうんだから、ひどいよなあ。 


津野海太郎の『百歳までの読書術』

2016年04月26日 | 
 横浜の有隣堂で何となく買ってしまった。こういう本についての本というのが、私は結構好きである。この本のいいところは、一つの話題から次の話題へ渡る時のつなげ方が絶妙なところである。似たような話が続くのに飽きさせない。若い女の子の恋愛談義を略して恋話(こいばな)と言うなら、老人の病気談義は老話(おいばな)である。この本は、死ぬまで本を読み続けてやろうという、老年の大読書人の覚悟のほどを、いささかの諦観もこめながら自身の闘病生活についての話も交えてユーモラスに語ったものだ。著者は路上読書派をもって自任していた人で、その主張は私もどこかで読んだ覚えがある。その当人が老いてみたらいつの間にか机上読書派に移行してしまったのだという。引いてみる。

 いやはや、それにしても「本は歩きながら読むべし」とかなんとか、なんのことはない、毎日がいそがしすぎ、落ち着いて本を読む時間がなかったのだろう。いそがしさが減るにつれて、当然の成り行きとして路上読書の必要も薄れ、ついには消滅し、机上読書がそれにとってかわる。死ぬまで変わらないと信じていたクセまでが変わり、おかげで、むかしのクセが滑稽に見えてきた。
 ――バカだねえ。
 思わず笑ってしまう。ただし重ねていうが、もちろん先のことはわからない。もしこのまま八十歳をこえれば、また別の私が出現するだろうことは、ほぼ確実といっていいのだから。でも、ともかくいまのところは。         (同書47ページ「新しいクセ」)

 ここで思い出したことがある。岩波書店から出た長谷川如是閑の選集の栞に、その読書用の机の写真が出ていた。これはけっこう有名なもので、海外から辞書閲覧用の傾斜のある書見台を取り寄せ、それに目を傷めないように電球を上向きにして反射板をとりつけ、ライトで手元を間接照明するようにしてある大掛かりな仕掛けで、写真だけみると、まるで歯科医の診察台のようだった。それを見た瞬間に、読書人の並々ならぬ執念を感じて、思わず噴き出したことが忘れられない。
 問題は読んでいる時の姿勢であり、腰に支えられた背骨が、まっすぐに立っていなければならないのだ。長谷川如是閑は長寿だったが、こういう合理的精神で工夫したから長生することができたのである。ということがわかったから、以来、私は椅子に坐る時の姿勢をクッションで常に調整して来た。座面が背板とともにがたがた連動して動く椅子も使っていたのだが、壊れてしまって臨時に購入した椅子をそのまま使っていた。そうしたら、昨年椎間板ヘルニアになってしまい、何か月か苦しんだ。
 私のアイデアは、目が悪くなったらО・H・Pのようなものを使って壁面に拡大した文字を投射して読むというものだ。投射する壁のかわりに本棚の前に白いスクリーンを下げる。県立の図書館にあった大きなレンズがついた書見台もよさそうな気がしている。まあ、先の話だが。

 津野海太郎の本の話に戻る。表紙が平野甲賀。なつかしい晶文社の本を思い出させる。集中には亡くなった黒テントの齋藤晴彦との思い出が出て来る。年末をしばしば一緒に過ごしていたのだそうだ。早世した草野大悟の死後に残された書き付けを編集して著者が編んだ『俳優論』の巻末には、樹木希林、齋藤晴彦、石橋蓮司らの鼎談を収録してあるという。この本読んでないなあ。いつか読みたい。


谷崎由依「天蓋歩行」(「すばる」5月号)

2016年04月23日 | 現代小説
 ジュリアン・グラックの小説を、日本語のネイティブの人が書いた文章で読んでみたいと思ったことが何度かある。
その願いが、谷崎由依のこの小説でかなえられたと言ったら、ほめすぎだろうか。

 ひのきの花粉のせいで目が霞むために、時々名詞に添えられているアルファベットのルビが見えないという難点はあったが、通勤の一時を、周囲に立っているひとの手元にちらちらしているスマホの画面の無音の喧騒とは遠く離れたテキストにひたる喜びでみたしてくれた。もっともこの作者の手にかかると、そのスマホの画面も次のようなものになって、木の精のような語り手の世界観に統合されていくのであるけれど。引いてみる。


 石油資本のショッピングモールにはこの世のあらゆる富が集まる。私たちはその富を眺めて楽しみ、リンギッド札一枚であがなえるひと皿のスープで胃を満たす。目をあげれば電波と言う名の胞子は、巨大樹の生まれ変わりであるかのような、彼方に聳える塔へとまっすぐ集められてゆく。
あるいは端末というものも。紙を食い尽くし、紙の書物をなきものにしていく電子は、森の分解者だった菌類そのものだ。
――森は、べつのかたちでここにある。
言うと女は――ベールをかぶった町娘、森とおなじくらいショッピングモールをこよなく愛する女は、首を傾げ、
――そう。
と言って、それから笑った。
ri・ririri・riri・ri・riri・riririr
林床に隠れ棲む蟋蟀が、竪琴の声を響かせる。と思うと女の手元で端末がひかっている。彼女は指を走らせ確認すると、ふん、とちいさく鼻を鳴らした。この都会に溢れる電子音。それもまた森の転生した音色なのだと、説こうとして私は諦める。女は端末を操作してしばらく何か打ち込んでいたが、やがて溜め息をついて鞄に仕舞う。私にはわからないやり取りだ。彼女が勘定を支払って、私たちは店を出る。                 谷崎由依「天蓋歩行」(「すばる」5月号)


 リンギッド札というのは、マレーシアの通貨だから、この小説の語り手は、かの地で切り倒された熱帯雨林の巨樹であるらしいことが、わかる。

 この小説の魅力は、滅んでしまったマレーシアの巨樹に仮託した生命の共生の記憶への遡行を、エクリチュールの網の目によって明滅させながら、読み手の耳に樹液の響きを伝えるよろこびが、感じられることである。