さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 138-143

2017年04月29日 | 桂園一枝講義口訳
138 蚊遣火
いをやすくねん為めこそはおくかびの烟に夜たゝ(ゞ)うちむせびつつ
一九九 いをやすくねむためこそはおく蚊火(かび)のけぶりに夜たゞ打むせびつゝ 享和元年

□「いをやすく」ねる、熟睡なり。いねる又ねるといふ。い(傍線)といふは、発語でもなきなり。いと云ふは、ねて性根のなくなりたるなり。いま云ふ寝入りといふ場なり。ねるとは横になりたるなり。いねるとは、性根なくうまいするなり。夢(ルビいめ)などねめとは云はれぬなり。本居宣長「古事記伝」六〇巻目に、いは体語、ねは用語といへり。とんとわからぬことなり。い、ねを、体、用に分つとは、いふに足らずと景樹書き置きたり。たれが云うたとも、かゝざれども本居の「古事伝(ママ)」をさしていうたるなり。「ねん為めこそは」、ためにこそといふ意なり。烟にねぬ、あやにくなることをよむなり。「夜たゝ(ゞ)」、ただは一筋の事故にすつと夜通しなり。ねんためにこそとあれば、面白からず。凡調なり。ねんためこそは、とする故に、うたになりたるなり。よつてこゝに入れたり。

○「寝(い)をやすく寝」る、というのは熟睡である。「いねる」は、又「ねる」とも言う。「い」というのは、〈発語〉でもないものだ。「い」というのは、寝て正体がなくなっているのである。今で言う寝入りという場面である。「ねる」というのは、横になっているのである。「いねる」とは、正体なく「うまい」することである。「夢(ルビいめ)」などは、「ねめ」とは言わないのである。本居宣長の「古事記伝」六〇巻目に、「い」は〈体語〉、「ね」は〈用語〉と言っている。(が、これは)とんとわからないことである。「い」「ね」を、体と用とに分かつというのは、言うに足りない(間違った説だ)と景樹は書いて置いた。誰かが(同じことを)言ったとしても、書いていないとしても、本居の「古事伝」のことを指して言ったのである。「ねん為めこそ」は、「ためにこそ」という意味である。「烟にねぬ」というのは、思い通りにならなくてあいにくなことを詠むのである。「夜ただ」の「ただ」は一筋の事だから、ずっと夜通しである。「ねんためにこそ」とあれば、面白くない。(それでは説明的で)凡調である。「ねんためこそは」、とするから、歌になるのである。よってここに入れた。

※〈発語〉は、前野良沢らによって、便宜のために「助辞・助語・発語」というように並べて用いられたオランダ語の翻訳のための文法用語。(服部隆「江戸時代のオランダ語研究における「助語・助詞」)。

※例によって宣長説批判があるが、宣長の方面についてこの注では触れない。この段をはじめ、景樹の説く種々の文法説についてはそちらの専門家にお任せしたい。 

139 
おく山の室の妻木をたきたてゝ蚊遣せぬ夜もなきすまひかな
二〇〇 奥山のむろの妻木をたきたてゝかやりせぬよもなきすまひ哉 文化三年 五句目 なきがワビシサを訂す ※「むろ」の横に「杜松」を併記してある。

□むろ木をたくことは、京都がおもなり。前よりたくことか、近世か。何分むろをたくなり。古歌になきやうなれども、今まさしくたく故につかひ試みたるなり。「奥山のむろの妻木をたき立てゝ」といふにて古歌めきたるなり。むざとつかへば頓と面白からぬ也。新しき事をつかふことの心得なり。
むろを云ふに奥山には及ばぬなり。そこを歌にいふなり。山陰のむろでも岡べなるでもつかぬなり。足引の山桜戸のといふにて、御殿宮殿の桜の戸がよく見えるなり。つかひかたで、おもしろくなりたるなり。さて定家郷(卿の誤植か)は、桜戸は山里の戸とおもはれたり。此れは大なる誤りなり。妻木、木ぎれなり。つみとらるゝほどの木を妻木といふなり。たき立てゝは、きびしくたくなり。蚊遣せぬ夜もなき住ひは、岡崎の藪蔭など即ちこれ也。

○むろの木を(蚊遣として)焚くことは、京都がおもである。以前より焚いていたのか、近世になってからか。何分むろを焚くのだ。古歌にはないようだけれども、今まさしく焚くのだから使って試みたのだ。「奥山のむろの妻木をたき立てゝ」と言うので古歌めいたのである。(そうした丁寧な)配慮もなく使えば少しも面白くないのである。新しい事柄を使う時の心得である。
(普通は)「むろ」を言うのに「奥山」には及ばないのである。そこを歌に言うのだ。「山陰のむろ」でも、「岡べなる」でも付かないのである。「足引の山桜戸の」と言うことによって、御殿、宮殿の桜の戸がよく見えるのである。使い方で、おもしろくなったのである。ところで定家郷(卿の宛字か)は、「桜戸」は山里の戸と思っておられた。これは大きな誤りである。「妻木」は、木ぎれである。つみ取られるほどの木を妻木というのである。「焚き立てて」は、きびしく焚くのである。「蚊遣せぬ夜もなき住ひ」は、(この景樹が住む)岡崎の藪蔭などが、すなわちこれだ。

※「榁(むろ)」は、ねずの古名。

※定家と言っているが、「あしひきの山ざくらどをあけおきてわがまつ君をたれかとどむる」が、「万葉集」二六二四、「古今和歌六帖」一三七五にある。作歌当時は「古今和歌六帖」から知って用いたのだったろうと推察する。確証ではないが、この「講義」全体の内容から特に享和年中の万葉調作品には、「古今和歌六帖」を参照したことが多かったろうと私は推測するのである。藤原定家「拾遺愚草」より、「足びきの山さくら戸をまれに明けて花こそあるじたれを待つらん」二〇一六。「国歌大観」では「山さくら」が清音になっているがどうか。

※この歌、講義の「岡崎の藪蔭」という語にユーモアが漂う。市井の隠というところ。近代では谷崎潤一郎が、岡崎に暮らした景樹をなつかしんだ随筆をものしている。ちなみに谷崎の歌には旧派の調子があり、景樹をくさした狭量で党派的な新派系統の近代歌人とはちがって、景樹歌集にもおそらくは博文館刊本等で親しんでいたものと思われる。

140 
をとつひもきのふもふりし夕立はけふもふるらし雨づゝみせん
二〇一 をとつひも昨日も降しゆふ立はけふもふるべし雨づゝみせん 文化二年

□夕立三日といふなり。をととひ、ともいふなり。をと日、乙(傍線)。昨日のもひとつあとになりたるなり、を取りてしまひたる日なり。雨つゝみ、雨用意なり。つゝみは、用心することなり。すべてつゝみは、たしなみ、用心することなり。つゝみにしの字を入るゝ時は直にわかるなり。つゝしみなり。つゝとは、物につとゝと念を入るゝことなり。一つ一つしむなり。つゝしむとつゝむと同様ではなけれども、つゝより出づる、同家なり。「万葉」につゝみなくとあり。病のなきことなり。病は甚だつゝしむべきことなり。其つゝしみのなきは、やまひのなきなり。つゝみなくとも転ずるなり。つゝみを又つゝがなくとも云ふ也。つゝが、がわからぬ故に、つゝがといふ虫か云々など、うがつ説あるなり。

○(俗に)夕立三日と言うのである。おととい、とも言う。をと日、乙(※甲の次、の意)。昨日のもうひとつあとになったのである、(の「あとになった」というの)を取ってしまった日である。「雨づつみ」は、雨の用意である。「つつみ」は、用心することである。すべて「つつみ」は、たしなみ、用心することだ。「つつみ」に「し」の字を入れる時は直にわかる。「つゝしみ」である。「つつ」とは、物に「つと、つと」念を入れることである。一つ一つ「しむ」のである。「つゝしむ」と「つゝむ」と同様ではないけれども、「つゝ」より出るところは、同根である。「万葉」に「つゝみなく」とある。病のないことである。病は非常につゝしむべきことだ。そのつゝしみがないのは、病がないのである。「つゝみなく」とも転ずるのである。「つゝみ」を又「つゝがなく」とも言うのだ。「つゝが」がわからぬ故に、「つつが」という虫が云々などと、うがつ説があるのである。

※「けふもふるらし」の方が「けふもふるべし」より響きがやわらかい。「講義」で改めたのだろう。概して講義では語の響きが滑らかさを増す方に直している。

141 
夕立はあたごのみねにかゝりけり清滝川ぞいまにごるらん
二〇二 ゆふ立は愛宕の峯にかゝりけり清瀧川ぞいまにごるらむ 文政六年 四句目 清瀧河ハ

□元来夕立は、夕べに雲がたちて雨がふる故に、そこで夕立は「かゝる」といふなり。「清滝川にごる」に対して、おもしろし。さて、「愛宕の峰」と出すが妙なり。併し「愛宕」の字聲、余程出しにくきなり。前後の料理がむつかしきなり。愛宕でなければならぬ工夫をよく知るべし。「小倉の峰」でもおもしろからぬなり。寂蓮「高根をこゆる夕立の雨」と△(ママ)てあれども、同様にしてもらうてはならぬなり。

○元来夕立は、夕べに雲がたって雨がふるために、そこで夕立は「かかる」というのである。「清滝川にごる」に対して(いて)、おもしろい。さて、(ここで)「愛宕の峰」と出すのが絶妙なのだ。しかし、「愛宕」の字聲は、余程出しにくいものだ。前後の料理がむつかしいのである。愛宕でなければならない(という)工夫をよく知るべきである。(ここが)「小倉の峰」でもおもしろくない。
寂蓮(の歌に)「高根をこゆる夕立の雨」と△(ママ)あるけれども、(これが)同様の語の斡旋だと考えてもらっては困るのである。

※ この歌、簡明で調子が張っており、力強い。「高根をこゆる夕立の雨」は不明。記憶違いか。

142 夕立早過
あまりにも夕立ぐものはやければあめのあとだにのこらざりけり
二〇三 あまりにもゆふだつ雲の早ければ雨のあとだにのこらざりけり 文化十二年 四句目 雨のあとサヘ

□何の名残もなく早きなり。
〇何の名残もなく早いのである。

143 湊夕立
茜さす日はてりながら白すげのみなとにかゝるゆふだちの雨
◇茜(あかね)さす日はてりながら白菅(しらすげ)の湊にかゝるゆふだちのあめ 文化四年

□此歌など、真に何んでもなきなり。併しこの歌、よほどさはやぎたる歌なり。白菅の湊でなくても、よきなり。又、茜と白菅とがおもしろし、といふでもなきなり。何分夕立の景色妙にして、詞がおもしろきなり。たとへば「茜さす日」は、「てりながら」「足曳の山路」にかゝるでもよけれども、それでは何でもなきなり。

〇この歌など、真に何んでもないのである。しかし、この歌は、よほどさわやいでいる歌だ。(別に)白菅の湊でなくても、よいのである。又、茜と白菅と(の取り合わせ)がおもしろい、というのでもない。とにかく夕立の景色に妙味があって、詞がおもしろいのである。たとえば「茜さす日」は、「照りながら」「足曳の山路」(という語)にかかるのでもよいのだけれども、それでは(あまり)何でもなさすぎるのである。

※精緻流麗。これは堂上和歌の美学を存分に吸収した景樹の面目を示す歌で、良い。「雪玉集」あたりにも通う歌の風情とでも言おうか。


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