さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

松本実穂『黒い光 二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後』

2020年05月30日 | 現代短歌
 角川書店刊。著者自身の手になる立派な写真と短歌作品で構成されていて、装丁・本文デザインは南一夫。歌集としてだけでなく、写真集として扱われてもいいだろう。立派な装丁の本で、価格はふんだんに写真が挿入されているわりに税別2,000円と低く抑えられている。

 巻頭のモノトーンの写真は、霧中の冬木立のシルエットの向こうに太陽がぼんやりとかすんでいて、樹林の幹の地面に近い部分が闇に溶け込んでいる様子を写したもので、そこに次の二首の歌が示されている。裏表紙の帯に引かれている歌はどれもよいが、私はこちらにひかれる。

  走りゆくこの汽車もいま消されをらんボーヌの丘は深き霧のなか

  輪郭をもたざる命やはらかく黄にくぐもれりあれは太陽

ページをめくったところにある写真は、テロの現場に献灯にやってきた市民たちが集まっている舗道を後景にして、手前からその奥までずらりと蠟燭が並んでおり、そこにこちらを向いてしゃがんだ中年の男性が、今まさに持って来た蠟燭を手向けようとして手を伸ばした瞬間が写されている。そこに次の歌がある。

  自爆テロはいまkamikazeと呼ばれをり若く死にゆくことのみ似たる
   ※「kamikaze」に「カミカズ」と振り仮名。
  
 「カミカズ」という読み仮名に注意すべきだろう。もうひとつページを繰ると、蠟燭に混じって花首だけの薔薇の花が手前に大きく三輪写っており、奥には献花に訪れた女性らしい二人の人物の姿がぼんやりと見えている。
詞書がある。「二〇一五年十一月十三日 パリ同時多発テロ事件」。震えるような臨場感が伝わってきた一連である。
あとがきをみると、当時筆者はリヨンに住み、娘がパリに住んで居たのだという。この歌集自体は、十七年以上住んだフランスでの生活を終えるのを機にまとめられたものだというが、帰国して本を出して間もなく世界はコロナ騒ぎに巻き込まれてしまい、著者のフランスに住む人々への思いは、ずっと日本に住む人たちとはまた別種のものがあるだろう。

 劇場の惨状伝ふる中継の声に重なるイマジンの歌

集中にはパリの市民生活を伝える好吟がふくまれるが、一集の狙いは緊張感をただよわせるテロ事件以後のフランス社会の空気を写すことにあり、この騒然としたパリと日本の類似「戒厳令」下の沈んだ空気とは、ずいぶん異なった対照をなして作者には見えているにちがいない。

  マカロンのかさこそ箱に鳴るやうに売られてゆきぬ朱き小鳥は

  麦の波に囲まれてある廃棄場に崩れつつ立つ観覧車見ゆ

  地下ガレージの我が家の倉庫バールにて破られてをり二つ隣も

  遅延情報見て立つわれの傍らを兵士さざつと上りゆきたり

  戒厳令敷かるるパリの小春日を娘は電話に告げて切りたり

  触れさうで触れぬ肩あり硬質の冬の光を乗せてトラムは

ここに引いた小鳥市の歌やトラムのなかで孤独感をかみしめる歌などがとてもいい。「心の花」のなかにある、物に即して自他を立体的に客観視しまた劇化しようとする詠風は、著者のフランス生活を描写するうえで合っていたと言うべきであろう。


入沢康夫の詩「お伽芝居」を読む

2020年05月27日 | 現代詩
入沢康夫の詩「お伽芝居」を読む

この詩は、『「月」そのほかの詩』という1977年4月思潮社刊の詩集に入っているものだ。一行目の「槐樹」には、「ゑんぢゆ」と旧仮名遣いの振り仮名が付せられていることを先にことわっておく。

「お伽芝居」     入沢康夫
     1
槐樹の枝々に鈴なりになつてゐた
あの赤い天使たちは
どこへ飛び去つてしまつたのか?
父母の墓といつしよに
菫いろの帆布の中を漂ふ百あまりの
真新しい刈株
それから いきなり闇が落ちかかつて
最後の荷馬車が
打穀機の音を立ててあわただしく出発した時
頬のこけた少年は
ブリキの楽器の底から
旧い都市の見取図を発見する それから
ボール紙製の星と
縞蛇の抜け殻とを

〇解説
「槐樹の枝々に鈴なりになつてゐた」「あの赤い天使たち」を、七十年前後の日本の学生運動そのほかの高揚した思潮と重ねて読む。それから、現代の読者は、これを社会変革のために身命を賭して散っていった過去の「星」と重ねて読んでもおもしろいかもしれない。さらに現代社会にある別のものの比喩として重ねて読むのは、読者の自由だ。
今は、その「星」は「ボール紙製」のものとなっていて、荒廃した農村らしい場所に「縞蛇の抜け殻」と一緒に捨て去られている。一連のなかでは、「父母の墓といつしよに」「菫いろの帆布の中を漂ふ百あまりの真新しい刈株」だけが、みずみずしい。ただし、すでに「刈株」だ。すぐに「いきなり闇が落ちかかつて」きて荷馬車は出発してしまう。これがわれわれの世界なのだ。

     2
槐樹の枝々に鈴なりになつてゐた
あの天使たちは
どこへ飛び去つたか? どこへ?
ボール紙の星は 少年の夢の二重の鎖で宙に吊られ
そのま下の ごつごつした大地を
巨大な龍が這ひまはり
地平のあたりで
旧い都市の塔が 伸びちぢみを繰りかへしてゐた
やがて
菫いろの帆布の焼きはらはれる臭気の中を
少年も また 出発した
金属製の埃
その上に点々とつづく足あとは
半透明の龍の舌が舐めて
一つ一つ消してしまつた

〇解説
「少年」はアルチュール・ランボーを連想させる。「菫いろの帆布の焼きはらはれる臭気の中を」「少年も また 出発した」「金属製の埃」という詩句は、パリ・コンミューンの中に出かけて行った少年詩人ランボーと『地獄の季節』や『イリュミナシオン』の詩の文句を連想させる。そしてこれはランボーだけではなく、夢見るちからを持った無数の少年たちのことを思わせる。
「真新しい刈株」は、希望の色を帯びた「菫いろの帆布」とともに焼き払われてしまうのだが、これは社会的な圧力とか政治的な弾圧のようなものを示唆しているだろう。「旧い都市の塔が 伸びちぢみを繰りかへしてゐた」というのは、いかにも空想のように思えるかもしれないが、待てよ、現実に世界中にそういうビルがあったではないか。テロで消えたのもあるし、中にはおっちょこちょいにも自壊したやつまである。詩人の陰惨な「お伽芝居」語りの世界は、現実の世界に実現しているのだ。
そうして、「ボール紙の星は 少年の夢の二重の鎖で宙に吊られ」、「そのま下の ごつごつした大地を」「巨大な龍が這ひまは」っている光景は、実際に世界のどこかに存在しているのではないか。

    3
見取図はまさしく使ひ物にならなかつた
星はボール紙でしかなかつた 抜け殻も……
所詮抜け殻 (あの赤い天使は?)
今日 一人の中年男が
なまぬるい沈黙 こはれやすい孤独の中で
一人の少年の心臓をきざんで
薬草(心臓病の)といつしよに煮て食べてゐた
床にちらばつた柘榴の種の上にあぐらをかいて

〇解説
これは最終的な局面だ。「あの赤い天使」たちは飛び去ったまま、「少年の夢の星」も神通力を持たず、ニセモノの抜け殻と等しいものだったことがわかってしまった。「一人の中年男」は、「なまぬるい沈黙 こはれやすい孤独の中で」、自分自身の養生のために、「少年の心臓」を食ってしまう。「床にちらばつた柘榴の種」も赤い色をしていて血を暗示する。その「中年男」は、血の色の飛び散った上に「あぐらをかいて」、少年の心臓を食っているのだ!
この中年男には、多少作者の自己が投影されている気がしないでもないが、なんて感傷的な、ふてぶてしい野郎ではないか。こういう中年男の姿とともに、自分の内側に住むそうした安直な負け犬根性の精神を作者は斬っているのだ。それにしても、「あの赤い天使」はどこに飛び去ってしまったのだろう。いぶかしいことだ。

     4
金色の星が
低い丘の端に輝いてゐる
その上の上の空に
壮麗な都市が漂つてゐる
――けれども老人には それが見えない
一頭の龍が 老人の背後にゐて
優しく息を吐きかけて
老人の手足の冷えるのを
ふせいでやつてゐる(何のために?)
けれども老人には それが見えない
老人ばかりでなく
他の人々にもそれは見えない
よろよろ歩く老人の格好を
龍はいたづらつぽく真似たりする
(誰にも それは見えない!)

〇解説
幻影の都市は、壮麗なうつくしさで頭の真上の空にかかっている。これは、夕空の詩的な表現のようでもあり、まるで天国のようにも見えるが、やはりユートピア的なものを暗示しているだろう。そうして、「龍」は悪役ではなかった。先に登場したときに、龍の舌は、少年の足跡を舐めて「一つ一つ消して」くれていたのだった。今度は龍の親切は老人に向けられている。でもその龍の親切は、「老人」にも、人々にも見えない。おどけたユーモアの感覚まであるドラゴン!しかし、みすみす少年を死なせてしまった人々は、夢見る能力を失っている。だから、「見えない」。ヴィジョンはここでは失われている。

     5
(誰にも それは見えない!)
槐樹の枝々に
いつのまにか戻つて鈴なりになつてゐる
あの赤い天使たち以外には
それを見たものも 聞いたものもゐない

〇解説
椋鳥たちが夕べの枝に戻ってくるように、「槐樹の枝々に」「いつのまにか戻つて鈴なりになつてゐる」「赤い天使たち」には、それらの光景が全部見えている。龍にからかわれている老人や人々に見えないものも、見える。この天使たちは、いったい何者だろうか。
新しいものは古く、古いものは新しい。私はこの詩のアクチュアルな新しさに触れこの現在に生きる欝をいささか散ずるのみである。

秋山佐和子『豊旗雲』

2020年05月27日 | 現代短歌
  病棟の廊下の我の靴音を聴き分くるとふ夫へ急ぎぬ   

 歌集をめくって読み始めてから、だんだん本の残りのページが減っていくのがつらかった。あとがきは最後に読んだが、ステージⅣのがんを宣告されて最後まで仕事に生きようとした医師である夫の潔い生き方も、この歌集から伝わってくる。何よりも夫婦の愛情と思いやりに満ちたやりとりが、美化されるわけでもなくいたって自然に表現されている点に心をひかれた。

 集中には病人の食事にまつわる歌が多い。それがみんなおいしそうで、作者が夫とすごすこの幸せな時間が、少しでも長くつづいてほしいと思ったのだった。

  味噌味の鍋はしんからあたたまると卓を離れて二度もいふ夫

黒土に触るるばかりに育ちたるさやいんげん摘む午後のベランダ

コーヒーを淹れてくれたり点滴の管を抜かれて身を清めし夫

ここには引かないが、野菜ジュースの歌、スープの歌、おにぎりの歌など、平凡な厨歌が、いきいきとした表情と生の意味を語ってやまない。闘病する夫との生活という重たい内容を遅滞なく読み進めることができるのは、一つ一つの事象を抒情の羽根でくるむことができる作者の感性と、それを支えるすぐれた詩語の運用があるからだ。

 茜雲たなびく明日香の石舞台 成瀬有らの哄笑聞こゆ
 
バリケード築ける階に救ひくれし師の手の甲に滲む血忘れず
   ※師の岡野弘彦についての短文が付されている

 あとがきは短くすべし 編集者鷲尾賢也のますぐなる声
   ※作者自注 ――歌人小高賢は名編集者鷲尾賢也でもあった

 『三ケ島葭子全創作文集』編みしのち「少女号」なる資料に遇ひき

 亡き姉のこゑも交じれり青葉影さざめく路上の石蹴り遊び

 法隆寺展のみ仏に涙にじみしとふ友の文読みそのこころ思ふ

 鳴きいでてようしとをさむるつくつくを生のをはりのこゑと歌ひき
  ※「悼 藤井常世」と一連おわりの歌に下注のある一連から

うたえばおおかたが挽歌となるというのも、生きることに伴うかなしみの一つである。とは言いながら、成瀬有も小高賢も藤井常世もくっきりとしたその姿が記しとどめられているではないか。

梶原さい子『ナラティブ』

2020年05月24日 | 現代短歌
 『リアス/椿』で知られた歌人の四冊目の歌集である。いかにも「塔」の詠風で、写実の手法をベースにして、私詩としての短歌を、この今を生きているすべての人々に通ずるような普遍的な思いへとつなげる努力を孜々として続けている。とりわけ東日本大震災と続く原発災害に生活の基盤を根こそぎ奪われた人々の日々の生活の痛みに触れながら、自身も病の不安を抱えて薄氷を踏むように生きるという経験のなかで、可能なかぎり直接的な言葉を抑えて、淡い色彩の水彩画のような筆致で、深いところに鎮めるように、沈めるように祈るように言葉を置いてきた経緯というものが、そのことの必然性への共感をもって受け止められる。

  海辺へと続く枕木 数百人の打ち上げられし閖上浜へ
    ※「閖上」に「ゆりあげ」と振り仮名。
   
  どこまでも水漬きたること思ひ出す改札口抜けて空を見るとき

 ここでは震災の記憶は日常である。海と空と殺風景な仮設の建造物が一面にひろがっている光景の空気感が、読み手にそのまま伝わってくる。

  深山岳 田代岳 下原 候補地より澄みとほるみづあふれて流る
   ※ふかやまだけ たしろだけ しもはら と振り仮名。

  どこかには埋めねばならずどこかなるそのどこかとふ実存が要り

  辺涯のまた辺涯の辺涯へ押しやる力 山、溶暗す

 ここには放射性廃棄物の最終処分場の選定が、その土地の美しい豊かな自然を虐げることを代償にしてなされるのだという事実が、痛みをもってうたわれている。それは行政や国政の想像力の及ばない視点である。この一連でも社会的な訴求性のあるような言葉の選び方はむしろ避けられている。現地の人はこんなことを思っているんだという好奇心にこたえるような要素を持つ歌は、作品集の中で中心をなすものではない。作者の心境というものが、そういうところから離れて、自分のいま生きている時間を大切にすることに集中していることから獲得された得難い真実性が、本集を貫くものとなっている。

  太陽光パネルに映る空ありてときに鉄ときに銀
   ※「鉄」に「くろがね」、「銀」に「しろがね」と振り仮名。
  跡継ぎを持たぬ田畑と跡継ぎを持てる田畑が畔に分かたる
   ※「畔」に「くろ」と振り仮名。

 こういうデッサンのしっかりとした歌によって日本の農村の現実の姿が的確に伝えられる。

  焚上げの日の迫りたり五年とふことをひとつの区切りと決めて
   ※「焚」に「たき」と振り仮名。

  火のなかにほどければいい あの春を写真に幾度打ち寄する波

 「津波流失物」の一連から。万感をこめて言葉を削って、一語に込められているものは、自分一人のものではないのだ。震災の被災地のただなかで歌人として生きるということの意味が、これらの作品からは伝わってくる。「塔短歌会・東北」が出した「2199日目 東日本大震災から六年を詠む」という平成二九年七月刊の冊子をいま本の山のなかから探し出したが、奥付をみると梶原さい子はその発行者なのだった。震災ののちの人々の生きる姿を見つめることが、みずからを奮い起こし、生き続けて短歌を作るということと一体になっているという経緯は、自ずと了解されるものがある。だから集中にいくつか挿入されている旅行詠も、作者とともに生のかぎりない一回性の経験として切実な思いで読むことができる。

  隣人に知られぬやうに泣きしとふ冷たき壁の林のなかを

 これは仮設住宅の撤去にかかわる一連から。どうしてもこういう歌が目につくが、一集の柱をなす祖父母や子供たちのことをうたった歌については、また別の誰かがコメントするだろうと思うので、私はここでは触れない。本歌集は『リアス/椿』や「塔短歌会・東北」の活動と一体にして論じられるべきだろうと思うので、私は即時の感想をここに述べたのにすぎない。しかし、コロナ騒ぎで震災関連の社会的な関心と取り組みが霞んでしまわないようにしてほしいというのは、多くの被災者、避難者の方々に共通の思いだろうから、あえてここに付言しておきたい。

瑛九という画家のこと

2020年05月23日 | 美術・絵画
 インターネットのおかげで、自分の知らなかった画家の絵の写真を見ることができるようになった。オークションで瑛九の版画は比較的安価だから、私のような資力の乏しい者でも買うことができるのはありがたいが、それは裏を返せば瑛九の知名度が低いということを意味しているだろう。詩歌にかかわる人たちと私は瑛九のことを話題にしたことがない。それは自分が知らなかったのだから仕方がないが、何だかとても損をしてきたような気が今はするのだ。

瑛九の版画には、本体と影とが、男女のかたちをして絡みあったり、一人が二人に、二人が一人になっているという図柄が多い。これが人ではなく、動物や植物が主体になっている場合もある。シュールリアリズムの手法に拠りながら、鏡像関係のなかにある自己とその生活の形象化ということを試みている。ちょっと見ると、ピカソやミロやロベルト・マッタの模倣ではないかというような図柄が多いのだが、そこから出発して1960年に48歳で永眠するまで独自の自己展開する運筆法のようなものを編み出していったことが読み取れる。

その多くはきわめてエロス的な図柄なのだが、作品行為の基調に諧謔を好む闊達な精神が息づいていて、遊び心にあふれている。何よりも、自己というものが、他者や自然、それから自らの内なる無意識のようなものに反射して、自己愛は他者への愛に通じ、他者への愛は自己愛に反転するといった堂々巡りする生のなまなましい(ぐちゃぐちゃの)現場を、繰り返し飽くことなく描いているのが瑛九の版画作品というものであると私は言いたい。要するに瑛九の版画は、きわめて文学的に解釈できる要素を持っていると言えるし、また文学その他の表現に対して示唆するものを多く蔵している。

今日、注文してあった『現代美術の父 瑛九展』(1979年小田急グランドギャラリー)という展覧会のカタログが届いた。それを見ると、瑛九の友人である福井県の木水育男という人の文章が収録されている。友人への手紙のなかで画家は次のように述べている。

「僕は我々の現実を一つの理想、あるいはイデオロギーで批判しようとするよりも、その中ですべてを肯定して生きようとします。つまり日本を批判し他によいものがあるという風に精神を傾斜させるよりも日本の中に生きることを大切にするのです。」

この手紙の言葉は、瑛九の版画の画面に横溢する明るさと、軽快で楽し気なユーモアの底にある思いを直接的にあらわしている。端的に画家の生きる姿勢が表明されている。

戦後すぐ共産党に入党し、数ヶ月で離脱している。自由美術協会をやめたあと1951年に「デモクラ―ト美術協会」を組織。1952年に宮崎から浦和に転居した。そうして同じ年にデモクラ―ト美術協会の会員に加藤正、河原温、利根山光人、靉嘔、福島辰夫、山城隆一、細江英公、磯部行久、吉原英雄、池田満寿夫らの新人を迎えた、と年譜にある。そうして同年には、久保貞次郎、北川民次、室靖等と創造美育協会を設立した、とある。何という絢爛たる名前に囲まれていることか。

私の瑛九への関心は池田満寿夫からたどって行って出会ったのである。池田は1976年3月号の月刊「プレイボーイ」のインタヴューで、瑛九という啓蒙家に薦められて版画を始めたと語っているが、私はこの「啓蒙家」という言い方に池田の瑛九への評価が読み取れると思った。客観的に説明して言っているようでいて、どこか敬意に乏しい。記事を読みながら芥川賞を受賞して絶好調の頃の池田満寿夫の鼻息の荒さを思い起こした。

2020年の現在、人間や動物や植物をひとしなみに「性」的存在として一元的につかんで、その営みのすべてをカリカチュアライズし、反語的にとらえながら、同時に肯定してゆこうとする瑛九の版画の描法の意義は、きわめて高くなっているように思われる。その画面は愉快だけれども、決して安易な楽観にだけ彩られてはいない。抱き合う男女や動物たちは、あらわによじれ合いながら植物的な生態をとって投げ出されている。瑛九のエロティックな版画は、詩人や精神科医の新婚家庭の壁にかけることもできる気がする。

年譜を見ていたら、短歌の分野では歌人の加藤克巳が歌集『宇宙塵』に瑛九のエッチングを飾画として入れているのが目についた。さすがに芸術的前衛を自称していただけのことはある。加藤克巳も再読されるべき作者の一人だろう。何十年も経たのちに過去のものが新しく見えてくるということは、どの分野でもある。

柳宣宏『丈六』 近刊歌集管見

2020年05月12日 | 現代短歌
そら豆のしやくれた顎は、あ、さうだ、宇野重吉の頰笑みし顔   柳宣宏

まるいのが完全ではない幾十年そら豆を食ひ思ひいたりぬ

何となく読みながらにこにこにしてくるような歌だ。でもこの歌の少し前に次の歌がある。

洗濯機回る音すらうたた寝に母在りし日の音とし聞こゆ

それからこの一連には、次のような歌もある。

憧れのjプレス着しアイビーの若きらは死すベトナム戦に

思い出として湧き出す諸々の事象を書き留めているうちに、ある種の感慨が生まれてくる。幾十年ということだ。だから、そら豆だ。まるいのが完全ではない、ということに「思ひいたりぬ」ということになる。

夏さればキンチョールこそ思はるれ水原弘はくちびるのひと

これもある年齢層以上の人でないとわからない歌なのかもしれないが、近頃はUチューブみたいなものもあるから、見られるのかもしれない。わざわざ見なくても、この水原弘という歌手の生き方も含めて何か感慨を誘うところがあるということなので、それは人生のやむにやまれぬ成り行きのなかでもがいて生きる人間の一つの姿だったわけで、そこに何かしら共感する思いが流れている。

小港の祭りは縄を道に張り折り目正しき幣を垂らせり

 ※「小港」に「こみなと」、「幣」に「ぬさ」と振り仮名。

父さんの頭のやうな岩がありこのふた月の無沙汰を詫びる

岩として生まれ出でたる暁にこの山道に坐りつづける

小港の祭りの歌がいいなあと思えるのは、これもある年齢以上の人かもしれないが、「折り目正しき幣を垂らせり」という、この描写の簡明に加齢とともに味が見出せるようになっていくわけなのだ。岩の歌もしぶくていい。いまふと吉井勇に石を心の友とする孤独な歌があったのを思い出した。こちらの方は、もう少しやさしいやわらかい心持ちで、戦時中の吉井勇ほど悲痛ではない。それは時代というものだから、比較するまでもないが、「この山道に坐りつづける」と言ったときに、昭和をとびこえて、良寛のような古人につながりたいと作者は庶幾しているのではないだろうか。

じぶんだけ得して損はしたくないアメリカはかく落魄れたるか

ほんとにそうだなあ、と一口飲み物を呷りましょうか。

雑感

2020年05月06日 | 政治
このところの蟄居(ちっきょ)でストレスのたまっている方は多いであろう。そういう時にお金や教養の差による違いを見せつけられたりするのは、腹立たしいことにちがいない。

ネット環境のない方々に関しては、もう本当にたいへんな格差があると言うほかはない。

  しかし、当方の身近な者たちの様子を見ていると、まずはユーチューブの方に行っているようだ。しかし、ここは文字文化を愛する者の立場として、青空文庫そのほかのネット図書館はいかがですか、と言いたい。

  サイトによっては、あんまり人が行き過ぎるとパンクしてしまう心配があるのだが、国のかかわるアーカイブなどもある。

  英語そのほかの勉強がしたい諸君は、この際だから、海外のデジタル図書館に行ってみよう。いかに日本が「後進国」状態か、わかるはずだ。こういうことも含めて、文化にかかわる予算を削って来た人たちは、いま自分の持っている資産の劇的な目減りということを通して、報いを受けているのである。

  彼らは経済を優先し、文化を軽視した結果、いまの状態に国家社会を導いたのである。この大筋だけは、まちがいない。

  NHKの会長というような人たちにいくらでも諫言できる立場にあったはずなのに、いまさら誰のせいだなどいう言論を発するのは、全部あと付けの言論だ。これを書くのは、「毎日新聞」の五百旗頭真氏のコメントを読んで私なりに反省するところがあったからだ。情念にのっかった言論は、いまは有害無益である。

米田律子の一首

2020年05月04日 | 現代短歌
 この連休どこにも出かけずに、また仕事が消えて無為に過ごしている方がある一方で、コロナ対策に繁忙を極めている職種の方もおられる。無聊をかこつ方々のために次の一首を見つけたから、ここに示したい。これは作者が一時的に体調をくずしてしまった時の歌であるが、こういう心の持し方が肝要ではないだろうか。
 
  翔ぶための身をば屈むと自らに言ひて五月をうち籠りたり
    米田律子『水府』一九九〇年六月刊

とぶための みをば かがむと みずからに いいて ごがつを うちこもりたり

二句目の「みをば」と三句目の「みずからに」に同じ強勢があり、頭韻をなしている。二句目の三・四調と四句目の三・四調とが、調べのうえでの対をなしており、これは決して気の弱くなっている歌ではない。「みをば かがむと」の「ば」などは、何ともくやしい限りという抑圧感まで感じさせる。四句目の「いいて ごがつを」の強勢は、結句の「うちこもりたり」がただの「うちこもり」ではないのだ、後日を期して今は力を養うための休養なのだ、と自身に言い聞かせているような気合いを感じさせる。戦前の女学校に通った世代らしいエートスがあるとも言えるが、どうだろう。元気をなくされている方は、この歌を口ずさんでみては。

翔ぶための 
身をば 屈むと
自らに 言ひて 五月を 
うち籠りたり


※ 付記。昨日今日と表示される広告が、何故か女性の下着の広告になっているのですが、こういう広告は見る人に合わせて最適化されるそうなので、きっと私に最適なのだとパノちゃんが判断したのでありましょう。みなさんのページでは何の広告でしょうか。あとはこのブログのアクセス順位が千二百番代になって、たぶんこれまでで最高のレベルなので、スポンサーもそうした格付けに合わせて異なってくるのかもしれないです。

※ 話はかわるが、国の当初のコロナウイルスへの対応の遅れについて、政権の責任を問う声が最近あちこちから聞こえてくる。私はこれに加えて、NHKの報道番組「クローズアップ現代」の放映時間帯を後にずらしたことに象徴されるような、近年の大幅な路線変更の責任が重大だと思っている。NHKの夜の七時代時間帯を子供のいるファミリー向けの娯楽番組中心に変えるような圧力をかけた人たちは、結果的に自分で自分の首をしめたことになる。オリンピックの開催や中国の要人の訪問をめぐる対応に配慮したことから後手となった件についても、もっと早く種々の情報が出ていたら、これほどまでに初動で誤ることはなかったはずだ。