さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

金川宏『揺れる水のカノン』

2018年04月26日 | 現代詩 短歌
 以前編集してあった原稿を二十数年ぶりに取り出して見ているうちに、短歌をふたたびつくり始めたという作者の第三歌集。第二歌集が1988年刊。そうすると、たしかに三十年の間があくわけだが、この数十年というのは、長いようで案外短かったりするものだ。私と作者とでは六歳ほど年がちがうが、日々生活の雑事に追われていればあっという間、という感じもよくわかる。三十年を経て取り出してみたら少しも古びていないように感じられた原稿というのは、きっと作者を励ますものだったろう。

「あとがき」を見ると、それを今回ある程度はそのままで出版したのか、新たに編集し直して、さらにいろいろ書き加えたのかがよく分からないのだが、作者の言葉の使い方が、時事的な要素を排除するものであるために、新旧を見分けがたい。全体は、歌一首に一篇の詩(ソネット形式のもの)が付けられて構成されている。

「夢見る部屋」。

惑星のほろびしのちも幾千の蛇口より夜の沙零れつぐ  

ぴかぴかと光りながら
転生する合金の犬
降り敷いた枯葉が立ち上がって
銀色の階段を降りてくる

貝殻と藻をまとう鍵盤
羽化するマトリョーシカ
本棚に並ぶ黄金色の背文字
めくれあがる曲馬団のポスター

床下から芽吹きはじめる樹樹
青い菊を活けた甕から
泥のような水が溢れ出す

みたこともない廊下だ
雨が 降りしぶき
夏草が 鏡に溺れている
 
※「沙」に「すな」と振り仮名。

 詩行のイメージは、ひとつひとつ鮮明で、その展開してゆくところに曖昧なものはない。こういう技術的に完璧な詩を読むことは実に心安らかで楽しい経験である。それに比べて短歌はひとつのイメージの方向しか示せないものだ。むしろ調べに託すほかない曖昧な部分にこそ、短歌が短歌である理由がある。短歌は(作者の短歌が、という意味ではない。短歌一般が、という意味)調べの腰が重いし、詩のように敏捷ではない。分析してみる。

惑星の ほろびしのちも 
幾千の 蛇口より夜の 沙零れつぐ 

 読んで行くと「幾千の」で一度音が揺れる。そのあと、「蛇口より/夜の」の句割れと、「夜の /沙零れつぐ」という四句目と五句目の間にある句跨りとが、四句目で早口な感じを呼び起こす。これが映像としてのイメージの静かさと若干背馳している。また、現代詩ではまったく問題にならないが、短歌では「惑星の ほろびしのちも」の「も」に歴史性や激しい現在への批評性が不足しているように見えてしまうのである。「惑星のほろび」が安易にロマンチックに感じられるのである。その程度には、短歌は現在の時間を鋭く参照する宿命を背負った文芸である。ほめるつもりが何だかきびしいことを書きはじめてしまった。もうひとつ引いてみよう。

「蝸牛の休符」。

あしたより蝸牛のごと事務執りて消なば消ぬべしひと日の果ては

とおく灯る日日は バス停留所
ワイシャツの群れが空を流れる
わたしが追い越してゆくと
あとから後からビルが倒壊してゆく

黄泉の雲が流れる
デスクトップの草原
開かれる窓、窓、まどの緑閃光
飛びたとうとする始祖鳥

廃棄された計算ソフトの
暗い箱の中で つぎつぎと
昇天してゆく おまえたち

電話の網を逃れて憩う昼休みの
地下茶房 らんちゅうがびろびろと
時を食みながら こちらを見る

 こちらは、短歌の方は、職業生活に取材した実感のあるものとして読めるし、説得力があると感ずる。詩の方は、一つ目に引いた詩とちがって、逆に「つくりもの」の感じがしてしまう。よく知っている詩のことばの材料を巧みに構成して作り上げた「擬詩」のような感じがしてしまうのである。これは私の読書経験と好みの反映された判断だから、なぜそうは思うかは説明しづらい。要するにうますぎるのである。であるがゆえに、短歌は信用できそうだが、詩の方は信用ならないという気がする。現代詩は、どこかが内破していないと、つまり不完全でないとかえって疑わしいものになるのである。緑閃光という語は、平出隆の詩を思い出させた。あとは昭和時代の近代詩の言葉の使い方も少し入っているか。ほめるつもりで書いているのに、これも文句をつけているのかな。そういうことではないのだが、読者の方が意図をくみ取ってもらえたらありがたい。もうひとつ面白そうな一連を引く。

「十月の角砂糖」。

ぼろぼろと木の葉こぼしてジャケットの内ポケットで弦が震へる

十月の朝のオフィスに
ひそむもの
すっぱい乳房
柘榴の裂け目

複写機の光源から
太古の風が吹き通る
このわななきは
誰にも渡したくない

空にも窓にも拒絶された椅子
業務日誌に立つ水煙
網状に広がる回線

角砂糖がほろり 指先から
暗黒に身を投げ
渦状に泡をふいている

 これは短歌と詩のバランスがいい。短歌は、下句のシュールレアリズム的な語の斡旋も素晴らしいうえに、先に引いたものと同じく、職業生活に取材したものとして読める。詩は、中井久夫が訳したギリシア詩のような感じがして、楽しい。それは全体に好ましい。両方を実作するというのは、なかなかむずかしいものである。私はこれを一冊にしてみせた作者の勇気に拍手を送りたい。こういう本をジェラシーから評価しようとしないというのは、よくないことだ。それとも、「わからない」とでもいうのだろうか。少なくとも「わからない」ような明晰さを欠いた言葉をこの作者は書いていない。二つ目の詩のところで「擬詩」だとかなんだとか私はへんなことを書いてしまったが、誤解のないように書いておくと、言葉のひとつひとつの意味とイメージの明晰な提示のしかたというところでは、この作者は信用できる。これを「歌集」扱いしないという取り扱い方があるが、私はそれにはまったく反対である。さらに私がこういう文章を書いているのは、歌壇ジャーナリズムのいわゆる「書評」の枠から外れる可能性があると思うから、書いているのである。

 ※30日の朝に起きだして拙文に手を入れた。5月4日に二度目の手を入れた。

くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質を見て

2018年04月24日 | 美術・絵画
 東京ステーションギャラリーで開かれている「くまのもの」展に行ってきた。電車の吊り広告で知ったので、間に合ってよかった。5月6日までである。隈研吾は、対談集『つなぐ建築』のなかで、肌理のある都市や建物ということを、アフォーダンスの理論の紹介者である佐々木正人と語り合って居たが、昔の東京駅の煉瓦を間近に見えるかたちで保存している東京ステーションギャラリー自体が、「肌理」のある展示場なので、隈研吾の展示にはまさにぴったりである。
 
 私は桂離宮や日本の茶室の写真をながめるのが好きだが(なかなか行かれるものではないので)、隈研吾の作ったもの、作りつつあるものには、そういう日本の伝統とつながる要素があるということがよくわかって、今度の展示はとてもおもしろかった。実際展示されているもののなかには、現代の茶室への提案がいくつもあった。茶室というのは、煎じ詰めると、少ない構造物によって囲まれた〈場〉、精神的な磁場にほかならないのであって、隈の提案する〈建築〉というものは、周囲とつながりながら、一時的に囲ったり包んだりすることによって生ずる〈場〉を、〈モノ・もの〉によって演出するもの(こと)でもあるのだ。

 私は二月に信濃町駅で下りて建設途中の国立競技場を見に行ったが、全体の感じも高さも周囲と溶け合っていて威圧的ではないし、周囲を圧する宇宙船みたいな建築物にならなくてよかったと心から思ったのである。現状は赤いクレーンの姿も含めて、建築途中の姿がすでにアートそのものである。クリストという建物をまるごと布でラッピングしてしまうアーティストがいたが、建築途中の競技場は、クリストの作品にも似通っていて、「くまのもの」を見に行った人は、ぜひ建築途中の競技場も見に行かれたらよい。できれば人が少ない休日の朝早く。

 建築には、何よりも心のゆとり、余裕、隙間のようなものが大切だ。吹き抜けていること、風が通り、光が通り、周囲の変化に微細に反応してゆくことができる構造物であること。つまり、生きていること。変化の相を映し続けることができるような壁面であったり、天井であったり、ファサードであったりするということが理想だ。だから、これは人間のこころの位置取りにかかわってくることなのだ。隈研吾(的なもの)に示唆されて、日本の建築や都市が変わって行くことが大事である。いま「くまもん」が大人気だけれども、「くまのもの」も人をなごませるような微笑を呼びこすものとなっていくとよい。

栗原寛『Terrarium  テラリウム』

2018年04月21日 | 現代短歌
 第三歌集。巻末の作者紹介をみると、作詞をしている人らしい。そのせいか、言葉の意味の届く範囲についての思い切りが良い。一句についての過剰な思い込みがない。私の場合は、帯に引かれている歌をみて読むつもりになるということが、あまりないので、この歌集の場合は、たぶん全体のレベルが高いのだろうと思って、いそいで最初から読むことにして、予想に違わぬ楽しさを覚えた。ちょっと短歌を読み慣れていない人にはむずかしいかもしれない歌を先に二首引く。

アガパンサスのかたはらすぎてあをき羽根まなうらのくらき空に散らばす

あかるい月が照らしてしまふ抱いても、気づいてさへもならぬこころを

 二首目の「抱いても」は、いだいても、と読む。その内容は、和歌の伝統に作者が通じているように感じさせる。一首目からわかることは、やや耽美に傾く傾向があって、調べが少し細かくうねりすぎるところあるのだが、それこそが作者の個性なのだということである。

 次に、もう少しわかりのいい「ガードレール」という一連から引こう。

目をとぢてよりかかりたる樹の下にいちばんだいじなものあたためる

青年のながき脛やうやくあらはれて渋谷に夏の光溢れる

小説の主人公みたいな恰好でしなだれかかるガードレールに

吊革につかまるきみの袖口にのけぞるけふのうすくらやみは

 「小説の主人公みたいな恰好で」とか、「吊革につかまるきみの袖口に」というような詩語の選び方に何かあぶなげな感じが漂っていて、そこにやや過剰な自意識を自己劇化する傾向が感じられる。1979年生れの作者の年齢からすれば、これを青春の歌として読むことはできないかもしれないが、この作者が感覚として持っているものは、日常の情緒的な生活における一種の不安定な青春の情緒につながる要素なのだろうと思う。そこがこの歌集の魅力をなしているのだが、おそらく作者は作詞の部分では、そういう面を十分に解放できないので短歌を選んでいるのではないかと私は考えた。

朝の夢にあらはれてよこたはりゐるわれのからだをわれが見てをり

 今日たまたまめくっていた本にこんな俳句があった。

木枯とわれを去りゆくわれのあり  千代田葛彦   
                 饗庭孝男『文学としての俳句』(1993年)

 俳句の方は、木枯と言った瞬間に、伝統にずいーっと引っ張られてしまっているのに対して、短歌は「朝の夢」が現在の突端の孤独のなかに放り出されているということだ。その不安にたえながら、今後も歌を作っていってほしい作者である。私の好みを言えば、もう少し固有名詞に代表される事柄・事象に就くところがあってもいいかなとは思うけれども、これは師の外塚氏もきっと言っておられるにちがいない。これは若い人の歌の全体的な傾向である。これは、古い所に帰れと言うのでは決してない。

うつろなるこころうつして洞のある楽器ゆゑきみの抱けるギター

特急の席に食みをりBLТサンドのLはLoveにあらねど

 どれも切れのある相聞歌で楽しめる。


センター試験に代わる「新タイプ」の問題について

2018年04月16日 | 大学入試改革
 自分でものを考えさせるためのアクティブ・ラーニングが大切だ、そのためにセンター試験も変える必要があるのだという。しかし、現在のセンター試験は、受験生の力量を判断するうえでそんなに悪いものではない。ベストではないかもしれないが、これよりいいものが果たして可能なのかどうか。そもそも自分でものを考える能力の有無や、ものを考える力の程度を、一回の入学試験、それも二百字程度の記述試験の解答で判断しようとしているのだから無理がある。

 私は、何年も大学のAO入試を受験する生徒の指導にあたっていて気がついたことがある。私がヒントを出したり、文章の添削をしたりして手伝うことはできても、最終的に出された課題を解決するところは、やはり本人でなければできないということである。そうして、たとえこちらがヒントを出してやるだけでも、一人の指導にはかなりの時間がかかるし、まして本人の意見や考えを熟成させるためには、ある程度の時間を費やして説得したり、議論をしたりすることが必要だということだ。図書室に引っ張って行って、これを読め、あれを読め、こう読め、こういう方向で考えろ、というようなことをこちらの能力の限界まで手探りしながらやっていくと、ものすごく時間がかかる。私の場合は、特別に希望者だけ相手にして夏休み中にやっていたことだ。それでも志望先が高い所になればなるほど、簡単には受からない。手塩にかけて取り組んだのに落ちることもある。

 そういう時間のかかることを全部の受験生にやらせようとしているのが、今の新タイプの国語の入試問題だということだ。はっきり言って、それは無理である。第一ひとりひとりにそんな時間はかけられない。結局、応急対策の仕方をテクニックとして洗練させた受験産業の草刈り場となる。現にそうなりつつある。ベネッセとリクルート、それから大手の予備校その他のシェアの取り合いが始まっている。それなりに公平性を確保して成熟して来たセンター試験を変える必要など、まったくないのに、また保護者の教育費がよけいにかかることをはじめてしまった。結果はせいぜい官僚の天下りポストが増えるだけのことである。官僚が見せかけの実績を作って出世したり、さも新しい仕事をしたように見せかけるということに、全国の教員が引きずり回されるというだけのことである。

 アクティブ・ラーニングを言う事はかまわない面がある。けれども、現状は教育委員会のアドバイザーのレベルが低すぎる。生徒がいろいろ動いて活動していることをほめすぎるのだ。時間数は限られているのである。そこのところが、わかっていないと思う。

 これは実際にあった話だが、ある研究指定校で、何年かアクティブ・ラーニングに取り組んだあとで学校の三年生と一年生に同じ新タイプの問題を解かせた。そうしたらその平均点が同じだった。要するに、ちっとも国語の力がついていないということがわかった。「ひかりごけ」の感想文集をもとにして授業をやっていた太田先生の学校みたいに、うんとレベルの高い学習集団なら、話は別である。しかし、普通の学校なら、読解の能力は、精読や個々人の取り組みを軽視したところでは身に付かないのである。まして基礎学力の不足している子供たちの場合は、安易に話し合いをさせると、生徒間での学力格差が表面化してしまう。格好のよいことばかり言っている思い上がった人たち、指導員というような人たちの愚かしさにあきれながら、日々生徒のために黙々と自分のしなければならないことを続けている声なき教員のことを私は思う。

人口減と地方の課題

2018年04月16日 | 地域活性化のために
平成の大合併の後に、役場を失った市町村は、人口が二割近くも減っていた、という事実が総務省の人口調査からわかった。これは少し前の「毎日新聞」の記事だけれども、こういうまとめ方は、事柄の本質をきちんと示したものであると思う。それにしても、今後の日本社会の人口動態は予断を許さない。首都圏への人口集中と地方の過疎化、これをとどめるにはどうしたらいいのか、こういうことを私はその新聞記事をもとにして学生たちにも考えさせようと思っている。

 これに多少関連するが、しばらく情報収集を怠っていたら、いつの間にか滋賀県が長野県を抜いて日本一の長寿県になっていた。長野県は野菜をたくさん摂取するかわりに、世間で言われていたほど塩分の消費が減っていなかったということで、これは長野県では滋賀ショックとか言っているらしい。大勢の人の取り組みというものは、ほんの数年でも大きな差となってあらわれる、という事実がここからわかる。

このことから過疎化の阻止という事についてもヒントを得ることができる。一県単位の人々が集団でひとつの事に取り組めば、その成果は必ず四、五年から十年ほどのうちに目に見えるかたちで現れる、ということだ。だから、地方の政治や行政というもの、地方における自発的な運動や取り組みというものは、大事なのだ。自分の住んでいる地域では何をしたらいいのか?自分の住んでいる地域の二、三十年後をイメージした時に、いまから何をしていかなければならないのか。そういうことを若い人を中心にして真剣に話し合う場を作っていくことが必要だ。発電や、地場産業のあり方、後継者のいない農家の農地や遊休地の利用法、企業や研究所や学校の誘致など、さまざまな事象と絡めて総合的に考えたい。そういうことを中学生や高校生に考えさせたい。

毎日農業賞というのがある。これを見ていると農業高校の生徒が賞を取ったりしている。しかし、自分の住んでいる街の未来の産業を考える、ということは農業だけに限らない。過疎化の現状を憂える、という危機意識が、もっとその地域の心ある人々に共通のものとならなくてはならない。空き家。遊休地。休耕田。孤独な高齢者。介護難民。医師の不足。交通機関の赤字。若い人の都市への流出。こうした負のイメージがある現実について、逆転の発想でそれを変えてゆくようなアイデアを考えたい。本気でコーディネートし、人と人とをつなぐ事業を構想すること。

私が「君たちのうちの何人かは、将来市会議員になってもらいたい。」などと言うと、若い人たちはみんなげらげら笑う。現実のこととして思っていないし、自分は関係がない事だと思っている。どうもそのあたりで大きな勘違いがあるような気がしてならない。地域があって今の自分がある、ということを実感していない。へたにネットがあるために、みんなが東京都民のような感性でいられるものだと思っている。首都圏一極集中予備軍というような感性、これでは発明も工夫も育たない。あなた任せのまでは責任の意識が育たないのである。


村上和子『しろがね』

2018年04月11日 | 現代短歌
ずい分前に小さな歌の勉強会で作者に会ったとき、いったいどういう仕事をしている人なのだろう、と思いながら、最後まで聞きだすことができなかった。歌集をみると、書物の編集や校正のような仕事にあたっているらしいと見当がつくが、私にとっては和装の似合う謎めいた人であり続けた。折り目正しく隙の見えないところは、歌もそうである。その人がバイクにも乗るらしいとわかったりするところが、短歌のおもしろいところだ。同じ一連から引いてみると、

おもひきり躰を傾け急カーブ抜ければかすかにオイルが香る

信号は三つ先まで青となりけふ初めての逃げ水見ゆる

鎌倉へ抜くる舗道にゆふぐれの風立ちぬ単騎過ぎゆくほどの

隧道のいづこに超えし村境ひ百年前の土の道に出づ

 作品そのものはいたってノーマルな写実をベースにした叙事を基本とする。しかし、この人は岡野弘彦の「人」にいたひとだ。引用の三首目、調べを分析するために分かち書きにしてみようか。

鎌倉へ 抜くる舗道に
ゆふぐれの 風立ちぬ。単騎
過ぎゆくほどの

 三句めのあとに小休止、そうして四句目の半ばで句切れ。四句目と五句目は句またがりという、玄妙な調べの歌をツーリングのバイクが受ける風の歌として置いている。「風立ちぬ。」とふわっと立ち止まってから、「単騎過ぎゆくほどの」というゆるゆるとした、やさしい響きの言葉をそっと付加する。こういう調べについての感覚は、長年の修練を経たものなのであって、短歌のおもしろさのひとつはここにある。

バイオリンの弓一斉に立つごとし蘆叢がふいの風に起きたり

バイオリンの 弓一斉に 立つごとし。
蘆叢がふいの 風に起きたり

 初句が字余り気味のところを二句目で一語音減らして、三句目で五音定型に収めて句切れ。そのあと「あしむらがふいの」という一語音の字余りで、この字余りは少し早口で読むから加速化するのだが、それが「ふいの」という意味内容と合っており、「風に起きたり」という能動的な内容の結句にうまく収束させられる。何気ないけれども神経の行き届いた歌なのだ。香川景樹の言った「調べをなす」、というのはこういうことをいう。和歌のDNAは、この人はいま「塔」にいるが、こういうかたちで受け継がれていっているのであって、こうした静謐な歌境をしずかに守っている歌人もいるのである。

欄干にわづかの雪の嵩ありて短き鉄の橋やはらかし

あふむけに流るる水は橋の下をゆくとき橋の裏を映しぬ

 こういう典型的と言っていいような静かなスケッチがある一方で、次のような歌もある。

掃きても掃きても硝子の破片が増えてゆく明けまで掃きて疲れて目覚む

つじつまは合はぬがよしとわれに言ふ木のポーズする人はゆれつつ

 たぶん作者は自身の生き方や性格から来る無理な部分を自覚しているのだ。だから、ヨガ教室かスポーツクラブで言われた言葉が身にしみたのだろう。しかし、そう簡単に人間はかわれない。この清潔で硬質な抒情質を保ちつつ、いかにして歌のなかに変化を作り出してゆくか、ということが、歌集の後半では問われているようである。

安岡章太郎『カーライルの家』

2018年04月08日 | 
 今日は朝から部屋中を引っくり返して捜し物をしたのだが、結局みつからず、午後から用事があったので職場に行って、戻ってきて夕方になったから、まず缶ビールならぬ発泡酒の350ミリリットルをひと缶あけ、続けて出羽桜の辛口を冷蔵庫に冷やしておいたのを出してきて湯呑に注いで飲み始めたと思ったら、手がぶつかって引っくり返した。それがたちまち足元の本や紙類の上に降り注いだのをあわててタオルで拭くやら何やらしているうちに、自分がいま何を考えようとしていたのだか、忘れてしまった。

 それまで読んでいたのは、安岡章太郎の『カーライルの家』という本で、これは古書で五一〇円也。例によって適当に拡げたところから読み始めたので、中身はどうでもよかったのだが、読むうちに粛然として来て、酒なんぞ飲んでいる場合ではなくなった。引いてみようか。

ここで小林さんの「満州の印象」に戻るが、満蒙開拓青少年義勇隊孫呉訓練所、この「どうしてかういちいち面倒臭い名前を附けるのだらう、と訝しい」訓練所を見学に行った折の印象は圧巻である。
「孫呉の雪野原には、未来の夢を満載した十六から十八の少年の千四百名余りの一団が、(中略)満州ではじめての冬の経験をしている。」ところが、これを指導する幹部にも、満州生活の経験者と呼び得る人物はなく、「天地乾坤造りとかいふ小屋は、夏が近づいてみると、湿地の上に建ってゐた事が判明し」、準備の整わぬうちに冬が来てしまったという状態だった。そんななかでつい最近、一人の少年が亡くなった。ペーチカが燃えないのに苛立ち、ガソリンを掛けようとして、抱えた缶に引火し、焼死したのだという。

 事件は簡単だが、無論その原因は、少年の無智などといふ簡単なものにありはしないのだ。ぺエチカの構造、薪の性質、家の建て方、生活の秩序と、果しない原因の数を、僕は追はうとしたのではない。凍った土間に立ち、露はな藁葺の屋根裏を仰ぎ、まちまちな服装で、鈍い動作で動いてゐる、浮かぬ顔の少年達を眺めただけで、僕は、この事件が、まことに象徴的な事件である事を直覚して了ったのである。

 ※安岡の引用では促音の「つ」は「っ」に直されているので、私のまちがいではない。念のため。

 小林さんがこう書いた数年後に、私自身、孫呉に軍用電車で向う途中、訓練所から引っ張り出されたらしい少年たちを見ている。十七、八歳の少年が、満州の雪原をポツリ、ポツリと一人ずつ、子供の体には明らかに大き過ぎる三八式歩兵銃を持たされて立っていた。(略)
われわれより何歳か年下の少年兵はけなげに、一人でポツン、ポツンと、長い満鉄沿線にほっぽり出されて、おそらく前後千メートル近くも離れて一人で立っている。その姿は、恐ろしく孤独なものに思われた。

 こういうものを読むにつけ、戦前の日本を賛美するような人たちは、同じ目に合って見ろ、と言いたい。そうして、この少年たちの無念は、最後まで語り継がれなければならないと思う。

 私は昭和十六年前後の「朝日グラフ」を何冊か持っている。そこには、ここで「ほっぽり出されて」と語られているような少年たちの姿が、繰り返し「いきいきとした姿で」写真に写って掲載されているのである。今見ると、労働にいそしむ人々の姿や少女たちのマスゲームの写真などは、何となく今の北朝鮮風である。全体主義というものは、外見が清潔でいきいきとしていて美しく見えるイメージを多用するものなのだ。戦前の日本にいたような、無欲で公に身をささげようと念ずる心のきれいな人たちが現代の北朝鮮にはたくさんいるのだろうと思う。その人たちを戦争の悲惨に叩きこもうとするような言説は、天につばきするようなものだと私は思う。あれは戦時中の日本の似姿に他ならない。

本多真弓『猫は踏まずに』

2018年04月08日 | 現代短歌
 本多さんは何しろ中澤系の歌集の新刻版を出してくれた人だし、私にとっては無視することのできない一人だ。でも、新しい歌集が出たから私が一肌脱ごうなんて気を起こさなくても、歌集は自然に話題になるだろうと思って、そのままにしてあった。手に取ってみると、おもしろい歌が多くてすらすら読める。期待にかなうような出来上がりである。同じ一連から何首か引く。

なげやりに暮らしているとおさいふの一円玉が増えてくるのよ

こころつて開いてゐるとくたびれる閉ぢてしまふとすぐくさりだす

人生はほとんどアウェイごくまれにホームゲームがあつて敗れる

わたくしがわたくしとして佇つために必要となる他者のまなざし

 書き写していて気がついたが、この人は口語で旧仮名遣いなのだった。ふだんから何かと旧仮名のものを読み慣れているので、気がつかなかった。歌集前半の仕事の歌と相聞歌が正調の感じで作られた歌群で、ここに引いてみたのは、本の半ばで少し流れを転調したあとの一連からである。これは割合と無防備なストレートなところのある歌で、あまり構えていないだけにリビングの椅子にすわって歌を書いている作者の姿が、何となく思い浮かぶ。やはりはじめの方の職場詠は引いておくべきか。

ああ今日も雨のにほひがつんとくる背広だらけの大会議室

女子トイレ一番奥のややひろい個室に黒いサンドバッグを

残業の夜はいろいろ買つてきて食べてゐるプラスチック以外を

ひさかたのひかりあつめて真夜中にただまつしろなフアックスがきた

 作者は横浜で働いている。ヨコハマの歌が、けっこういい。

朝はまだ静止してゐる観覧車いのちがのれば動きはじめる

あかつきに雨をこぼしたヨコハマの空が午後にはぺろんとひかる

 読みながしていると気がつかないが、ひとつひとつの言葉の置かれている位置はよく考えられて吟味されていて、一首一首丁寧に作られている。猫のイラストがあしらわれたライトな装丁の外見に似ず、なかなか貫禄のある歌集だ。

河野泰子『白髪屋敷の雨』

2018年04月07日 | 現代短歌
 文句なしのいい歌集。岡井隆に帯文を書いてもらえるのも、この人の幸せであろう。岡井さんが頼まれれば何かしてあげようと思うだけの歌人だということだ。この歌集の叙法は、ずっと私もなじんで来た性質のものなので、とにかくめくっていて気が安らかなのである。

血族でなき三人のあけくれに猫が鳴きをりくらき仏間に

ゆらゆらといつもゆらゆらと定まらぬ気分といふ奴 空が遠いよ

風すさぶ師走の午後を無患子の妄想の実がむくむくふとる

遺物混入のやうに住みをりこの町のカーブミラーにうつされながら

 同じ一連から引いた。これだけでも、作者の精神的な位相や、日常のなかにおける自意識の繊細な位置取りなど、あらゆることが読み手に一度に伝わって来て、何ものかが判明な知性の領域に丁寧に腑分けされて置かれた、というような、うれしさと満足を感ずることができる。これが短歌によって生を描くという事なのであり、ことばが現実に生きているということの証明である。こうした円満な叙法によって丁寧に作られた短歌を読む楽しさは、どう説明しようとしても説明がつかない。

ほたほたと松に降りつむ雪の日はミャアと鼻づら寄せてくる猫

こういう歌も、世間によくある愛猫短歌とは一線を画しているのであって、上の句の「ほたほたと松に降りつむ雪の日は」という描写がしぶい効き目を持っているからおもしろく読めるのである。

風花の舞ひ散るまどべに目見ほそくたちゐし父のこころ知るなく
  ※「目見」に「まみ」と振り仮名。

夢のなかなどゆだんはするなかれ覚めて疼きぬ刺されし胸が

こゑつてね知性なの、といふ人のいたづらつぽいこゑを聞きをり

朝の露、蚯蚓、月光 けふわれの手にかけしものをおもひ出づれば
  ※「あさ」の「つゆ」、「みみず」、「げつくわう」に振り仮名あり。

 おしまいに。タイトルは、作者独特の諧謔のあらわれであろう。現代の文人趣味というものは、このようなかたちをとる。

佐久間章孔『洲崎パラダイス・他』

2018年04月05日 | 現代短歌
佐久間章孔さんの歌集を手に取ってめくりはじめたら、ひどく切ない気がしたのは、なぜだろう。作者があたためている戦後の追憶の光が、朱く長く伸びて、読者である私自身のなかに眠っている過去の時間を等しく染めてくるようだ。

晩年はうすむらきのこころざし遠き昔のかぜかぜふくな

測れない時間の束を置いてきたあの尾根道の続きがみえる

 何冊も歌集があっても不思議ではない歌人なのだが、三十年ぶりの第二歌集だという。岡井隆の門下として知り合って、駆け出しの頃の生意気な私にも親しく声をかけてくれたのが忘れがたい。

暗き夢を若き言葉に語り合い別れの握手は指折れるほど

かかる日の冷えた指先 さくさくと想い出づたいに歩いておれば

 「暗き夢を」、この初句六語音の地味な暗さ。それを受けた「若き言葉に語り合い」という二、三句目は胸にせまる。そうして、回想から現在の冷えた指へと戻って来る。「さくさくと想い出づたいに歩」く。これは、なかなか出る言葉の斡旋ではない。

うっすらと埃のかぶった電球が黄色かったよ 六十年安保前年

汗ばんだ肌と肌とが触れ合って祭のような密集隊形

 私の知らない作者固有の愛の思い出が、歌謡曲や邦画の世界への追想と相俟って、虹の残り香のような抒情をかもしだしている。それに父やその愛人の記憶や、少年の頃の秘密の記憶なども重なって、いくつかの映画の場面を続けて見させられているようなところもある。これは過ぎ去った時間の断片が綯い合わされた一巻なのだ。

 第Ⅱ章「ニッポン」は、産土の神として生贄にされ祭られた異邦人のことを扱った一連からはじまって、滅びた神の行方を尋ねてゆく意欲的な連作だが、もしかしたら作者にとってここで殺され見えなくなる神は、作者の世代のすべての思想的な営みの喩でもあるのかもしれない。

歳月を殺めたのはあなた 寒々と時の終わりの雉が哭きます

早春に閉じ込められたわたしたち熟れても堕ちても渓のふところ
 ※「渓」に「たに」と振り仮名。

寒々と神なき荒野 縋っても突き放しても姦ばかり
 ※「姦」に「わたくし」と振り仮名。

 したがってこの壮大な捜神の一連は、一世代全体への挽歌なのでもあるだろう。続くⅢ章の愛の歌も、作者の実人生への哀惜を刻むものと言うべきだろうか。

暗闇を集める深い井戸のような明日があそこで手招きしている

青い夜が呼んでくれたよ ひそやかなそして僅かな悦びたちを