さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

身めぐりの本

2017年11月29日 | 
※ しばらく消してあったが、復活させることにした。五月十二日。

久しぶりに、身めぐりの本。 検索機能のために飛んできてしまった関係のない方には、書名だけのものは失礼します。

・山上たつひこ『大阪弁の犬』(新刊)
 話題は多岐にわたり、文章もいい。
・白洲正子『遊鬼』
 新潮文庫。何度読んでもおもしろい。
・吉行和子『ひとり語り』
 私の部屋には、吉行の顔が写った「新劇」の表紙が、額に入れて飾ってある。たまたま同じことをやっている知人がいて驚いたのだった。ちなみに、この号には唐十郎の「ナジャ姫」の戯曲が掲載されたことが、表紙の文字からわかる。
ついでに思い出したので書くと、高校生の頃、吉行理恵の四行詩を自分の描いたコクトーばりのデッサンに(当時コクトー展があってそれを見た)くっつけて文化祭で展示したら、ひとつ下の下級生が感動していた。戦後詩は、日本文化の財産だから、もっときちんと顕彰される必要がある。

・里見弴『文章の話』
 太字の文字を書き抜くと…
 「むずかしいことはやさしい。」これをいいかえて、
 「むずかしさのやさしさを知ることはやさしい。」さらに言い換えて、
 「やさしいことはむずかしい。」
 「やさしいことのむずかしさを知ることはむずかしい。」
 これは文章を書くことについて言ったものである。

・鶴見俊輔『期待と回想 上』
 少し書きぬいてみる。
「(柳宗悦の父親の柳楢悦は)十代から藤堂藩で和算を研究して、和算の本を書いている。そういうティーンエイジャ―として長崎に送られて、「長崎伝習所」の学生になって、オランダの海軍の軍人カッティンデイケに代数と幾何を教わる。和算とは記号がちがう。けれども頭の訓練ができているから代数幾何が解けるんですよ。代数幾何は船の航海術に必要な実際的なものですからスッとわかってくる。藤堂藩にいるとき、イギリスの軍艦が近くの海の海図を計測する。かれは「自分も同じ計測をさせてくれ」と頼んで、自分たちの船で同じことをやつて海図をつくる。イギリスの軍艦を訪問して、むこうがつくった海図を見せてもらったら、自分にもほぼ同じものがつくれていたので安心したという話がある。
 (略)
 アメリカにケネス・バーグがいたから、アメリカの英文学者にはロシアのバフチンがわかった。日本でわかる人は少なかったと思いますよ。
 (略)
 カーニバルというのは闇の生活であって、そのときに昼の関係が逆転する。長い時間をかけて祭そのものが記号論的な行動になっている。帝政ロシアがひっくりかえって、古いイコンの世界が湖底の闇の中に置かれたロシアと似ているじゃないですか。スターリンの下で、そのような見方でバフチンはドストエフスキーを読んだ。
(略)
 カッティンデイケと柳楢悦の関係は、ケネス・バーグとバフチンの関係と似ていると思う。…。
 (略)
 耄碌(もうろく)の中には、さまざまな方法、記号の使い方を統合させるきっかけがあると思うんです。」

 ※書き写しながら、そうだったのか、と膝を打つ。話はかわるが、日本の高校生は、いまだに「理系」とか「文系」とか言っている。某社が出している分析シートなどは、いくつかの質問に答えると、コンピューターが診断してくれて、左右に文系、理系と矢印がふれるようなシートが届けられることになっている。現場の固定観念に業者が合わせざるを得ない現実があるのである。この際、「理系」「文系」という言葉を禁句にしたらどうだろう。現場は大混乱。…てなことは、ないだろうな。

・宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年刊)
 引いてみる。
「なぜ近代国家では外交機密文書が一定の時を経て公開されるのか。趣旨はこうです。公共性のために政治家は国民に嘘をつかねばならぬ場合がある。だが嘘が本当に公共的だったのかどうかを事後に検証する必要があるということ」です。(略)
「我々は、政治家が、-マイケル・ウォルツァー流に言えばー「手を汚す」ことを辞さぬ存在であるべきことを、徹底的に理解せねばなりません。理解したうえでチェックするべきなのです。手を汚さぬようチェックするのではなく、汚し方の適切さをチェックするのです。
 こうしたウェーバーの立場は、「個人レベルのカタルシス(すっきりするか)」と「社会レベルの実効性(有効に機能するか)」の区別に結びつきます。」(略)
「複雑な社会における ゛<引き受ける>ことによる自立゛は「当事者」が「ガバナンス視座(治者の論理)」をとれるようになることを必須条件とします。間違っても「ガバナンス視座」を拒否して「当事者主義」に立つことではない。昨今そうした愚昧な当事者主義が溢れています。」 

・『楠公遺芳』(昭和十八年 小学館刊)
 第一部漢詩、第二部漢文、第三部和歌、第四部雑纂の構成で、楠木正成関係の作品が網羅されている。
・佐々木信綱『歌の志を里』(明治三十三年第十三刷)
・『和歌詞の千草』上・下(明治二十六年刊)
・『水甕論考の歩み』(2013年刊)
・ティンベルヘン『動物のことば』
・養老孟司、隈研吾『日本人はどう死ぬべきか?』
・山中智恵子『存在の扇』(昭和五十五年小沢書店刊)
・吉井勇『相聞歌物語』(昭和十五年十一月刊)
・『新選小池光歌集』(砂小屋書房刊)
・『去来抄・三冊子・旅寝論』(岩波文庫)
・『中村憲吉全歌集』(昭和五十七年第二刷)
・小林紀晴『メモワール写真家・古屋誠一との二〇年』
・桶谷秀昭『正岡子規』(1993年刊)
・湯川豊『本のなかの旅』(中公文庫2016年刊)
・木俣修『煙、このはかなきもの』(昭和五十年三月書房刊)
・N・ルーマン『信頼』(1988年)
引いてみる。
「法一般が信頼という構成事実にどれほどその出生を負うているものかということは、今日、もはや法からは読み取ることができず、少なくとも、法的概念性の内に適切に反映されてはいない。」(略)
「実際のところ、信頼という思考が、法全体を、つまり他者との交渉全体を基礎づけており、そして逆に信頼表明は法による危険の低減という基礎の上にのみ成立しうるのである。」


岡崎裕美子歌集『わたくしが樹木であれば』

2017年11月27日 | 現代短歌
 淡々としていて、罪深く、かなしい。読み終えた感じを一言でいうとそんな感じである。作者なりの修辞的な努力や、構成のうえでの工夫もあって、読みやすく飽きさせない。今は女性が大胆に性愛をうたったからといって特別に話題になるような時代ではないから、この歌集はそういうことをねらって編まれていないと思うが、やはり第一歌集の『発芽』で性愛の歌が話題になった作者であるから、作者も作者を知る者も、どんな歌があるのかな、と多少意識してしまうのは、やむを得ない。でも、父をなくして、子を産まないわれ、ということを題材にした歌や、妹の子供の歌がある一集を前にすると、性愛のことは遊び事ではなくて、家族とか、家庭とか、結婚とか、そういうことと不可分なものなので、それを捨象して純粋に性愛の姿だけがあるなんていうことは、この世にはないのだということに思い至る。

 ほの暗い空蟬橋を渡るとき握らずにいた手だったと思う

 自転車の冷たい管に触れている手を取らぬまま駅で別れた

 わたくしが樹木であれば冬の陽にただやすやすと抱かれたものを

 三首目の結句は、「だかれ」でなくて「いだかれ」た、と読みたい。この歌集で「手」の歌は大きな位置を占めている。それは、まさぐる手、つながる手、もとめる手、もとめられる手、たしかめる手である。手のあたたかさ、肌のあたたかさは、寒さのなかで際立つ。体温をたしかめる歌も数多い。だから、結局もとめてやまない「私」がそこにいて、所在ないのだ。拠りどころがないのだ。放り出されているのだ。だから、悲しいのだ。苦しいのだ。

 誰かわたしに印をつけよ 葉を落とす冬の木はみな空を指したり

そう言えば、私は作者に「未来」の割り付けの席でリルケの『ドゥイノの悲歌』の文庫本をさしあげたことがあった。もう十年近く前のことだ。その時に作者は、ふふ、と声をたてて笑った。持っていないけれど内容は知っていて、私の苦しみや悩みは、そんなに格調の高いものじゃないんだけど、私の求める天使は、リルケの天使とはちがうんだけれど、というような、薄い自分自身への諧謔をふくんだ笑いだったと、いま思えば思われる。同じ一連から引く。

まだ暗い夜のまま冬はわたくしの羽根をしずかに隠してしまう

冬の日の朝は電話のほのあかりつけて私を確かめている

この歌集は、冬の日の朝に、電話のあかりで自分を確かめているような、無数の所在ない人たちの手元に届けばいいと私は思う。もう少し引こう。

美術館の憤怒の蔵王権現の前の硝子はふたりを映す

雲と蜘蛛が重なっている瞬間をおさめてきみは少し恥じらう

燃え残る骨というもの体内に潜ませ朝の階をのぼりぬ

夢に出る父はこの頃大きくてうしろ姿でもう父とわかる

幻の子を抱き連れて帰る家 夜なれば父の気配しており

二首目は、写真を撮っている歌だ。蔵王権現のような超越的な存在、でも憤怒というかたちがある。夢のなかの父の背もかたちがあって大きい。それにくらべて、わかい男は、たぶんかぼそくて、ゼリーみたいにぶるぶる震える繊細な存在で、私は両者の間に自分の肌をすべりこませている。

 吉野山もっと先まで行きたいとあなたにねだる「殺して」みたいに

作者はこれを意識して作ったのかどうかわからないが、現代の性愛の歌と伝統和歌とが、ここでみごとにシンクロしているのだった。

宮沢賢治と花盗人

2017年11月25日 | 近代詩
 すぐれた文学者の作品というものは、時代の推移によってその重要度が変わってくるということがある。宮沢賢治の作品も、そういう余地を内包している。たとえば、今回私がここに引いてみようと思う詩はどうか。
 これは手元にあるちくま文庫の『宮澤賢治全集3』の「補遺詩篇Ⅱ」の十六番目に収録されているものだ。詩は、タイトルの脇に身分が示されている森林主事と農林学校学生とのやりとりから始まる。

 花鳥図賦、八月、早池峰山巓
   森林主事、農林学校学生、      宮沢賢治

(根こそげ抜いて行くやうな人に限って
それを育てはしないのです
ほんとの高山植物家なら
時計皿とかペトリシャーレをもって来て
眼を細くして種子だけ採っていくもんです)
(魅惑は花にありますからな)
(魅惑は花にありますだって
こいつはずゐ分愕いた
そんならひとつ
袋をしょってデパートへ行って
いろいろあるものを
片っぱしから採集して
それで通れば結構だ)
(けれどもこゝは山ですよ)
(山ならどうだと云ふんです
こゝは国家の保安林で
いくら雲から抜け出てゐても
月の世界ぢゃないですからな
それに第一常識だ、
新聞ぐらゐ読むものなら
みんな判ってゐる筈なんだ、
ぼくはこゝから顔を出して
ちょっと一言物を言へば、
もうあなた方の教養は、
手に取るやうにわかるんだ、
教養のある人ならば
必ずぴたっと顔色がかはる)
(わざわざ山までやって来て、
そこまで云はれりゃ沢山だ)
(さうですこゝまで来る途中には
二箇所もわざわざ札をたてて
とるなと云ってあるんです)
(二十方里の山の中へ二つたてたもすさまじいや)
(あなたは山をのぼるとき
どこを見ながら歩いてました)
(ずい分大きなお世話です
雲を見ながら歩いてました)
(なるほど雲だけ見ていた人が
山を登ってしまったもんで
俄かにシャベルや何かを出して
一貫近くも花を荷造りした訳ですね
それもえらんでこゝ特産の貴重種だけ
ぼくはこいつを趣味と見ない
営利のためと断ずるのだ)
(ぼくの方にも覚悟があるぞ)
(覚悟の通りやりたまへ、
花はこっちへ貰ひます
道具はみんな没収だ、
あとはあなたの下宿の方へ
罰金額を通知します)
(ずゐぶんしかたがひどいぢゃないか
まるで立派な追剥だ)
(まだこの上に何かに云ふと
きみは官憲侮辱罪にもなるし
職務執行妨害罪にもあたるんだ)
(きみは袋もとるんだな)
(これも採集用具と看做す
最大事な書庫品だ)
(袋はかへせ!)
(悪く興奮したまふな
見給へきみの大好きさうな入道雲が
向ふにたくさん湧いて来た)
(失敬な)
(落ちつき給へ
きみさへ何もしなければ
ぼくはこゝから顔も出さなけりゃ
声さへかけはしないんだ
わざわざ君らの山の気分を邪魔せんやうに
この洞穴に居るんぢゃないか
早く帰って行き給へ)

(あゝいふやつがあるんでね)
(結局やっぱり罰金ですか)
(まああゝ云っておどしただけさ)
(大へんてきぱきしてゐましたね)
(きみがたまたま居たからさ
向ふはきみも役人仲間と思ってゐた)
(すっかり利用されました)
(どうです四五日一所にゐたら)
(あなた一人ぢゃないやうですね)
(高橋といふ学士が居る)
(やつぱり植物監視ですか)
(いや雷鳥を捕るんだと)
(こゝに雷鳥が居るんですか)
(高橋さんは居ると見込をつけてゐる)
(でも雷鳥は
雪線附近に限るさうではありませんか)
(ところがそれが居るんだと
一昨日ぼくが来た晩も
はひ松の影を走るのを
高橋さんが見たんだと)
(でもほんたうの雷鳥なら
そんなに急に遁げたりしないんでせう
大へんのろいといふやうですよ)
(ははは
ところが大将
雷鳥なんか問題でない
背後のもっと大きなものをねらってゐる)
(あゝあゝそれだ
何か絶滅鳥類でせう)
(どこからそれをききました)
(今朝新聞へ出てました)
(ぢゃあ高橋さん昨日の記者へ話したな
だが鳥類ぢゃないんだね
鳥類ならばこゝが最後に島だったとき
自由によそへ行けたんだから)
(こゝが最後に島だった……?)
(高橋さんがさう云ふんだよ
何でも三紀のはじめ頃
北上山地が一つの島に残されて
それも殆ど海面近く、
開析されてしまったとき
この山などがその削剥の残丘だと
なんぶとらのをとか`````とか
いろいろな特種な植物が
この山にだけ生えてるのは
そのためだらうといふんだな)
(なるほどこれはおもしろい)
(もし植物がさういふんなら
動物の方もやつぱりさうで
海を渡って行けないもので
何かがきっと居るといふんだ)
(一体どういふものなんでせう)
(哺乳類だといふんだね)
(猿か鹿かの類ですか)
(いゝや鼠と兎だと)
(とれるでせうか)
(大将自費で
トラップ二十買ひ込んで
もうあちこちへ装置した
一ぺんぐるっと見巡るのに
四時間ばかりかゝるんだ)
           了

  まずこの詩は、前半と後半に大きく分れている。前半は、東京からやって来たらしい森林主事の役人と、現地の取締官とのやり取りである。後半は、その取締官が立ち去ってしまってから、横でずっと沈黙していた農林学校学生と、高山植物を盗もうとした森林主事の役人との会話である。その話題の中で高橋という学士が、この高級官僚と同道していることが明らかにされる。さらに一行には記者まで付いて来ているらしい。しかも高橋の調査の一部は現地の新聞にまで報道されている。

 読みながら思い出したのは、チェーホフの戯曲の対話である。つまり、この詩は、すでにして一篇の戯曲である。多少の力量のある人なら、この詩をもとにして芝居の台本のひとつも書けるだろう。作者の分身と思しい盗掘を取り締まる人物には、どんな哲学を語らせるか、戯曲作者なら腕の見せ所である。未発見の生物の新種、山谷の危険と犯罪の匂い。正義漢と小悪人。記者までがいる。登場人物の丸眼鏡。ゲートルとリュックの扮装。山中の焚火とテント。山のこだま、風の音。ドラマの種はぜんぶそろっている。

 この詩から「注文の多い料理店」を思い出す人も多いだろう。あの童話で「ハンター」として形象化されていた人物の現実的なモデルに、このような希少種の植物を根こそぎ持ち去ろうとする不心得者がいたかもしれない。しかし、童話やファンタジーの種としてはともかく、この詩は、新聞記者や、いるかどうかもわからない第三期の生き残りの哺乳類を探索する学士まで登場させたところで、特にそれが新聞に報道されたという内容を書き加えた時点で、話の筋が多少あやしくなってしまったとも言える。だから、この詩は別の作品の下書きとも成り得る性格を持って居たものだ。作家はたいていこのような構想案をたくさん持っている。

 この対話の丸括弧は、宮沢賢治がものを書きながら考える時に採用していた形式である。内的な対話を外化する時に、たいていこの丸括弧があらわれる。賢治の詩において、丸括弧は一人の語りを多声化するための重要な技法である。口に出して言われていなくても、賢治がそう判断すれは、それは話された言葉としてあらわれる。また、この詩のように一種便宜的に、対立する話者の言葉の区切りを明示するためにも用いられた。

 賢治の作品の構想の中に、このような植物泥棒、今で言うなら遺伝子ハンターへの憤りがあったのは、おもしろい。

鹿取未放『かもめ』寸感

2017年11月23日 | 現代短歌
 本書を手に取ってあちこちめくって見ているうちに、「やあ、鹿取さん元気だな」と幾度もつぶやいていた。私は職場がたまたま一緒だったことがあり、作者のことは多少知っている。この歌集では、実に言いにくいところ、扱いにくい題材にガシガシと突き当たっている。すごい気迫だ。

人間のいちばん硬い部分は舌、戦ふ舌と中国の詩人言へり

梗塞にことば出にくききちちのみの父と柔舌のわれいかにせむ

 これが巻頭の二首。歌集巻頭に硬質な言挙げを持って来るのだから、「柔舌のわれ」は謙遜だろう。鹿取さんは戦う舌を持つ歌人たらんとして本集を編んだのだ。圧倒的な不幸に襲われながら、毅然と胸を張っている。その一方で、能の登場人物に仮託しつつ次のような歌も作る。

一升泣き二升泣きする泣き女七尾のすすき原を分けゆく

もう市中引き回しの刑くらゐは受けてゐるわれと思ひて水買ひにゆく

狂女撞きて鳴らざる鐘は後見が抱へたるときかそかに鳴りぬ

 こういう苦痛なり苦悩なりを、他人に訴えてもなかなかわかってはもらえない。自分が正しかったわけではない。自分も十分に悪かったのだ。でも取りかえしのつかないことというものはあり、そこで呻吟し、懊悩する。それが人生だと言えばそれまでだが、現に三界の火宅の我にしてみれば、それはそれは大変なのであって、だから、大いに共感できる。意地でも短歌に心を寄せ続けることをやめないこだわりの筋もわかる。

治す気のなくなりし医師に会ひに来て互みに椅子の脚見てゐたり


「生きて働く」言葉から「生き抜くため」に変更さる 国語教育目標二〇一〇年

飢餓は世界を侵し四〇〇〇ドルで片目を売りしギー君の裸足

地球照しるし こよひ世界中のラボでマウスが死ぬ二十万匹

 ※「地球照」に「アースシャイン」と振り仮名。

  社会的な題材を扱った作品の多さと、そのストレートなメッセージ性の強さに、本気でものを言う事の大切さを改めて思った。この日本社会のなかで一市民として現実に対して知的で批評的であり続けるということの意味を、この一冊は身をもって示している。

掲出歌の一首目は、前後をみると作者が病人の付き添いで医師の様子を見てこう言ったのである。

二首目は、「生きて働く」言葉と、「生き抜くため」の言葉を比較したら、教育の目標としては「生きて働く」言葉の方が、まだいいに決まっている。、「生き抜くため」の言葉という言い方には、自分で自分を鼓舞するような、妙な力が加わっている。社会の危機の深化を、日本語を学ぶ子供たちに押し付けているようなニュアンスが感じられるから不純な感じがする。そこをうまく言い当てている作者の、言葉の教師としての視点が感じられる作品である。

三首目は、作者の若い頃に燃え盛った若者の理想主義の余燼が感じられる。世界の圧倒的な不条理にどう向き合うのか、ということだ。

四首目については、鯨やパンダとマウスは別物なのか、という問いを立ててみてもいい。この問いを押し進めてゆくと、人間の営みそのものの意味に直面せざるを得ない。地球照は地球が月面に作る翳(かげ)だが、私は薄赤いかんじの色がついているように感じて来た。それは罪の色、犠牲となった存在の血の影でもある。そういう生きものの研究に関する知識は、生物についての研究者である作者の息子から仕入れたのだろう。そんなにたくさんのマウスが使われているのか、と素直に驚く。そのあとで何かを思うのかどうかは読者に委ねられているが、短歌は、むろん一歩立ちどまって考えるための詩である。

道浦母都子歌集『花高野』

2017年11月11日 | 現代短歌
 ながく生きて来ると、ひとは否応なしに身近な死者を抱えて生きなければならなくなる。親兄弟や親しかった人たち。その圧倒的な喪失感に耐えながら日々を過ごすうちに、自ずから死者との対話が生まれ、私は独り言のなかで問答を続けることになる。いや、独り言ではない。対話はきちんと成り立っている。私のなかに生きている死者は、けっこう自分を主張したりもするのだ。だから、私は死者に譲ったり、その思いを汲んで何かをしなくてはならないことがある。

 生き難いと感じているひとにとって、生きるということはそれ自体がひとつの仕事のようなものだ。あふれるほどの意欲に満ちていた若い頃ならともかく、ある年齢に達した者には、命の炎を掻き立てるための言葉と工夫が必要だ。日々の時間を占めるもの。自らの興味と関心を投げ込んで、できることならそれに心を奪われて、座り込んでいる私を立ち上がらせ、私があまり私自身のことに集中しすぎてしまわないように、持続的な事物への関心を保っていくようにしなくてはならない。歌人にとっては、それが短歌だということは、ある。

短歌は生きるための手立てであり、そのための工夫や技術や人間関係を提供してくれるものである。「うた」は、不思議なほどに自分の現在の心の位相を映し出すものでもある。「うた」は感情の色に染められて、高低と響きの調子を持ち、かたくもやわらかくもなるものだ。その「うた」を通してあらわれるこころの姿が、言葉によって定着される。だから「うた」の在り様は、音楽や絵画と類比的なものであり、諸芸に通じるものを持っている。

 今日、道浦母都子さんの歌集『花高野』の事を考えている時に、大岡信の評論集『青き麦萌ゆ』(昭和五十年刊)を手にした。そこに藤原俊成の歌の現代語訳についてのエッセイが収められている。何首か紹介されているうちの二首を引いてみよう。訳詩、大岡信。歌、藤原俊成。

ふしぎだと思ふ
水の上でどうして鴛鴦(※をし)はあのやうに
軽やかに浮いてゐられるのだらう
わたしときたら
かたい大地にゐてさへ沈んでゆくのだ

   (水のうへにいかでか鴛の浮かぶらむ陸(※くが)にだにこそ身は沈みぬれ

火打石の光のやうに無常迅速
宇宙一瞬のわたし
なにを歎くことがあらう
いのちは石をうつ光のなか

   (石をうつ光のうちによそふなるこの身のほどを何歎くらむ)

 この歌の「身」は、すなわち道浦さんの「身」の在り様に近いのではないかと、なぜか思われたから、ここに引いたのである。

言うなれば、「陸にだにこそ身は沈みぬれ」と、「光のうちによそふなる」ということの間に我が身はあり、わたくしの発する「こゑ」の端緒となるものが、眼前・身のめぐりに生起する現象、事物と自然の姿である。


紀伊水道 枯木灘過ぎ熊野灘 海の濁りの濃くなるばかり   道浦母都子

ひとついのちの過ぎたる後の光跡か蝉の抜け殻ほのぼのと見む

バス停「御陵前」過ぎ雨に遭う百済のあめか虹のいろして

忘れてはならぬ雨の夜「安保法案」が「安保法」にと変貌したる日

君の忌過ぎ父の忌過ぎて山茶花の息呑む白に弟月のあめ

         『花高野』より抄出
 
 紙の感触といい、文字の大きさと幅、表紙の写真の使い方に至るまで、細かい神経の行き届いた間村俊一ならではの装丁に支えられた一書である。私は間村俊一が打ち合せをするところを一度だけそばで見たことがある。きちんと実物と同じ厚さの本の束(つか)見本を作らせ、何通りもの活字を並べて見比べながら作られるという本を手にしたときの喜びは、なにものにもかえがたい。

音についての雑談

2017年11月04日 | 音楽 芸術
 この頃は、中古店におもむいて、昔自分が買えなかったCDを買い込んで来て聞くことが多い。いずれAIなどの力で旧モノラル録音の音源が、現在の録音のように聞ける時代がやって来るにちがいない。その際には、使っていた楽器の雑音とか、録音時の温度や湿度、ホールの響き加減などまでが別の音源からのデータ解析によって係数的な処理が為され、うまく調整されて、過去の録音がすべて「ハイレゾ」のように甦るのではないかと思う。音楽好きの人間には、身の毛のよだつような空想ではないだろうか。

 とは言いながら、私の音楽環境は、ケンウッドの小型コンポ用のアンプに、旧いソニーの木製中型スピーカーをつないだだけのものであるが、アップライトピアノの下にスピーカーを置いてあるせいもあって、かなりいい音がする。いまはルービンシュタインの弾くショパンのノクターンをかけているのだが、はっきり言って聞くという行為に際して、音源の質はあまり関係ないのである。

 かつて小林秀雄が、ゴッホの絵について論評して、複製の方が感動的だと書いたことがあった。これは極端な例だが、音楽にもそういうところがある。中公文庫に著書が収録されている音楽評論家の「あらえびす」氏は、小さな音でレコードをかけて音楽評論の筆をふるったのだということである。隣室に住んでいる人がまったく気がつかなかったというエピソードが残っている。壁の薄い昔の日本の木造住宅での話である。そう言えば、若者が大きな音でレコードをかける姿が風刺漫画などにも出て来た時代があった。その前の昭和時代の小説では、近所の蓄音機を大きな音でかける人について話題にしているのを読んだ記憶がある。
いい音に淫することは、果たして良いのかどうか。

 たしか長嶋有の短編に、「タンノイのエジンバラ」というのがあって、私はかなり以前にこれを授業で取り上げたことがある。母子家庭の小さな女の子が、この音いいねと言ってスピーカーの前に坐り込む、という一節があった。タンノイのエジンバラは、究極のスピーカーなのだそうだ。主人公はたしか遺産相続の品としてそれをもらいうけて自室に置いていた。たまたま高級な贅沢品をもらってしまう、というような話は、なかなか楽しい。他人のことでも、読んでいて心が安らかである。自慢たらしくないところがいいのと、自分とまったく関係がないと感じられるところから、豪勢さに伴う自由が感じられるからだ。たとえば『千夜一夜物語』の大金持ちになった主人公の話も純粋に楽しい。夢とか何とかいうのではなくて、聞いたり読んだりしても妬ましくないからだろう。人類というのは、ねたみやすい種族なのである。

 ここで一つ思い出したことがある。引いてみよう。養老孟司と宮崎駿の対談集の一節だ。

「宮崎駿

 デジタルで映像を作りますとね、風景にならないんです。フィルムだと、パーコレーション(フィルムの両サイドの穴)を歯車で送るとき、どうしてもガタというか、ブレが生じます。撮影の時にもブレが生じて、複合されるわけです。それで映画は息づくんですね。」     『虫眼とアニ眼』


 このあとに、なるほどそうか、と思う一言が来るのであるが、例によって私はその部分は引用しない。

 要するに「ガタ」や「ブレ」をおもしろさと感じないような「アート」は、「アート」に値しない、という価値観を宮崎駿は語っている。

 まとめにくいが、作り手が完全に仕上げたはずの映画の本当の最後の仕上げは、パーコレーションの偶然によって生まれた。ここから敷衍すると、音楽もそういう要素がないといけないのだ。生の出来事は常に一回性であり、その一回性が保障されないところに楽しみはうまれない。

 スーパーやコンビニでいつも同じ音楽をかけているところがあるが、私はそこで働いている人はその音に倦むのではないかと思う。自分だったらそうだ。そうすると、それは長い目で見たら個人の創意や労働意欲をそぐことにつながらないか。

 経営者の都合で環境音楽というものをなめてかかってはいけないのである。手抜きをすることは、生活と労働の質を落とし、結果的にその企業や店の力を減退させる。それほどに影響力のあるものだと私は思う。もっとも、わざと不愉快な音を流してなるたけ長居させないという技術もあるかもしれないが、これは何をか言わんやで、そういうのを悪魔の技術というのだ。

 伊勢丹だったと思うが、ブランド・イメージにつながるような匂いを店内でくゆらせているのだそうだ。またその匂いをかぎたくなるようなアロマ効果を期待している。こういう感覚というのは、なかなか好ましいところがあって、われわれの文化というものは、そういう気遣いの集積によって維持されているのである。私はこの前の選挙で調子を狂わされたので、二週間も歌集評が書けなくなってしまって、いま何とか調子を戻そうとしてこういう文章を書いているのである。私は国民・選挙民の一人として、愚弄されているという感じがいまだに抜けない。こんな国に自分が生きているのか、と心底がっかりさせられたのである。

 まあ、切り替えることが大切だ。新規巻き直しというやつだ。新しく目標を立てることにしよう。

結城文歌集『富士見』

2017年11月03日 | 現代短歌
 この連休中に手元の近刊歌集について何か書いてみようと思う。直近では結城文さんの『富士見』がいい。いちばん最後の章から引く。

この星にかたみに親と子と呼びて生きし偶然のおろそかならず

 本当にそうだなあ、と思う。帯に書かれているのは、次の歌だ。

祖父母逝き夫逝き母逝き飼犬も狭山市富士見の土に帰れる

 死者との記憶を反芻しつつ、作者を慰めるものは、エミリー・ディキンソンの詩である。作者は長く英語短歌に関わって来た。ディキンソン邸に行くという事は、そういう作者にとって聖地に赴くのにふさわしい浄化される体験だったのでないか。一連をやや多めに引く。

卒論に選びしエミリ・ディキンソン当時は今より無名なりしか

訳書なく研究書なく「海図なき海を小舟」でゆく心地せり

卒論より半世紀経てわが来たりアマースト・カレッジのディキンソン学会

ダッシュには感情移入に差がありと思ひつつ我は論に聴き入る

被災後の新聞にその詩引かれゐしと知りて満場の拍手となれり

 ※3・11東日本大震災

エミリーが上り下りせし階段の手すりに触れつつ今わが上る

 「満場の拍手」の歌は、友愛というものが文学を介して存在するということを思い起こさせてくれる。この歌集全体にそういう普遍的なものへの思いの投げかけがあって、それが言外に滲み出ているところがあり、それが私には好ましく感じられたのである。

薄衣脱ぎゆくやうに空晴れてわが心の池の睡蓮の花

北極星の位置確かめむと浜に出て仰ぐ額のすずやかなりき

 集中には夢の歌がいくつもある。実人生と夢、自己と他者、現在と未来、それらの間に夢が介在している。作者にとって文学はそういうものだったのではないかと思われる。作者にはまだ説き明かし、考究しなくてはならないものが残されているようだ。

夢のなかで馴れしたしみし道なりきさやさやレモン・グラスの匂ふ