さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

稲葉修『鮎釣り海釣り』

2021年02月06日 | 政治
 私は釣りも動物飼育もしないが、雑書漁りのなかで、時々これはと思う本にぶつかることがある。古書で何となく買って置いてあった箱入りの本を、これはなんだったかな、と思ってめくってみると、思わぬことが書いてあったりする。ああ、あのロッキード事件の時の三木内閣の稲葉法務大臣か。今はウィキペディアという便利なものがあって、日本紳士録からはじめて図書館で調べる手間が省けるけれども、この人のことを取材して小説に書いたらおもしろいだろうなあ。直情径行、でも筋が通った一言居士で、折々の発言のいちいちが刺激的で機知に富んでいる。今の時期にふさわしい金言を引いてみよう。

 「民主政治は為政者の特権、すなわち民衆に分かち得ぬタブーと為政者の贅沢に因って亡ぶ」
という意味のことをモンテスキューがいっているが、今の日本の政界にとって、これほど強烈な警告があるだろうか。(略)

政治家の平均生活水準が一般国民の生活水準よりもはるかに贅沢で、両者の道徳水準は政治家の方がはるかに下であるというのでは、国はもつものではない。 
                           同書173、174ページより

 昭和五十七年四月の「あとがき」をみると、「日本の水をきれいにする会」が来年十周年を迎える、とある。釣り好きは趣味と実益(国土の保全という政治的な目的)も兼ねていたわけである。いま思い出したが、水の学会には、現天皇も皇太子時代から関心を持続しておられる。


寝耳に水の種苗法国会通過 

2020年12月05日 | 政治
 コロナや学術会議の問題で忙殺されているうちに、改正種苗法が12月2日に国会を通過してしまった。何となくテレビをつけて、寝そべって別のことをしている耳に聞こえてきたので、「えーっ」と思った。ネットのニュースでみると、内容は前回出したものとあまり変わっていないようだ。

 大手の種の会社が猛威を振るいかねない内容が懸念されているのに、そこはノーチェックで、国会答弁の内容もひどいものだったようである。本当に信じがたいほどひどい答弁なので、詳細はネットの答弁起こしの記事を検索してみてください。

 まさに竹中平蔵が加わっている菅政権ならではの、イージーゴーイング。やってくれたな、というところだ。この法律は、日本国発の特産品を守る体裁を装っていて、内実は買弁的な内容の法律なのだ。彼らは本気で国益を守る気があるのだろうか。安部、菅ラインの自民党は? 私は以前、故吉田茂が聞いたら激怒するような内容の法律だ、と書いた。

 気になる人は、角川新書『売り渡される食の安全』山田正彦著をぜひ買って読んでもらいたい。野党は反対質問をしていたのなら、安保法制の時ぐらいの覚悟でねばってほしかったが、賛成多数で押し切られた。公明党は何を政権内でチェックしているのか、存在意義がわからない。こうなった以上、新しくきちんとした「種子法」を作り直せ、ということを今後は言っていかなければならないのだが、どうしたものか。このままでは、ハイブリッド米やら何やらの種を売りつけたくて仕方のない連中がどっと入って来て、日本の農家の自家採種はやっかいな手続きが必要なために駆逐されてゆく、という危惧が、現実のものとなりかねない。

健忘症バンザイ

2020年11月10日 | 政治
 雑書をめくっていたら、武者小路実篤だったか中川一政だったか忘れたが、色紙に

「牛一息」と書いてあった。さて、何と読むでしょう。 十行ほど下を見よ。












モー一息、と読む。

それで、私も作ってみた。

「努力猫」。 何と読むでしょう。  十行ほど下を見よ。












やらにゃー、と読む。

では「自民党」と書く。これは、何と読むでしょう。 十行ほど下を見よ。











アンパンマン、と読む。 そのこころは?
わからないですか? 十行ほど下を見よ。














顔をとりかえたら、何度でも生き返る。

だってねェ、あたしだってタダ同然の価格で国有地が買いたいですよ。


「なんだバカヤロー」(荒井忠の言葉)
























 

雑感

2020年08月16日 | 政治
 「ラストエンペラー」という映画のなかで、元満州国皇帝の溥儀は、収容施設に入れられてこれまでの経緯を残らず告白し、懺悔することを求められる。その反省生活が明けた後は、命を保証されることになった。これは多くの日本の戦争犯罪を犯した軍人や憲兵のような人たちに対しても同様の措置が取られたのであって、周恩来は、日本帝国主義を憎んで個々の日本人を憎まず、と言って、フランスだったらきっと処刑されたであろうような多くの人々を、反省と懺悔の生活を送らせた後、生きて返してよこした。そうして一般の中国民衆にもそういう考え方を広めるようにつとめた。私はその生還した一人が書いた手記を学生の頃に読んだことがある。それは命を助けてもらえた温情への感謝の念をもって書かれたもので、別に洗脳されて帰って来て共産主義の宣伝をするために書かれたものではなかった。たしか『人間回復』という本だったが、私はそういう歴史的な恩義のようなものを日本人は忘れてはならないと思う。

 日本の中国侵略については、日露戦争の際に大陸にわたった日本人が現地の中国農村などの劣悪な生活を見て帰って、それが中国人を見下す意識が広範に民衆の間に広まるきっかけとなったということを読んだことがある。日本の軍部や指導層が中国におけるナショナリズムの評価を見誤ったのは、近代化に失敗した中国に対する差別意識が存在したからである。今日の中国の指導層のウイグル族やチベット人に対して持つ政治的感覚は、かつての日本の指導層が中国に対して抱いていた差別意識と相似的ではないのだろうか。共産主義は、反自由主義だから全体主義と同じものなのか。現状ではそう見える。

 半世紀、さらには七十五年という歳月を経たら、人間というものは変わる。国家というものも変わるのだろう。しかし、不変のもの、理念というものを常に高く掲げ続けていてもらいたい。日本の場合、それは自由主義と平和主義、戦争を賛美しないこと、武器を輸出しないこと、戦争に参加しないことだったのではないだろうか。そういう点から見れば、すでに武器輸出を許し、湾岸戦争以降自衛隊を派遣せざるを得なくなっている。今日の日本のこの変化は好ましいものなのかどうか。

 大きな議論と小さな議論はつながっている。日常生活と大きな政策はつながっている。コロナ禍のせいで、そのことの意味が痛いほどわかるようになった。だから、人々は大きな議論を避けてはならないのである。

 庶民の小商いが、これほど広範に政策によって息の根を止められるような事態は、戦後七十五年なかったことだ。かつてない事態に直面してどう振舞うべきなのか、何をしていったらいいのか。それがわれわれ一人一人に問われている。



雑感

2020年05月06日 | 政治
このところの蟄居(ちっきょ)でストレスのたまっている方は多いであろう。そういう時にお金や教養の差による違いを見せつけられたりするのは、腹立たしいことにちがいない。

ネット環境のない方々に関しては、もう本当にたいへんな格差があると言うほかはない。

  しかし、当方の身近な者たちの様子を見ていると、まずはユーチューブの方に行っているようだ。しかし、ここは文字文化を愛する者の立場として、青空文庫そのほかのネット図書館はいかがですか、と言いたい。

  サイトによっては、あんまり人が行き過ぎるとパンクしてしまう心配があるのだが、国のかかわるアーカイブなどもある。

  英語そのほかの勉強がしたい諸君は、この際だから、海外のデジタル図書館に行ってみよう。いかに日本が「後進国」状態か、わかるはずだ。こういうことも含めて、文化にかかわる予算を削って来た人たちは、いま自分の持っている資産の劇的な目減りということを通して、報いを受けているのである。

  彼らは経済を優先し、文化を軽視した結果、いまの状態に国家社会を導いたのである。この大筋だけは、まちがいない。

  NHKの会長というような人たちにいくらでも諫言できる立場にあったはずなのに、いまさら誰のせいだなどいう言論を発するのは、全部あと付けの言論だ。これを書くのは、「毎日新聞」の五百旗頭真氏のコメントを読んで私なりに反省するところがあったからだ。情念にのっかった言論は、いまは有害無益である。

種苗法「改正」 を論ずるならこの本『売り渡される食の安全』山田正彦著(角川新書)

2020年03月21日 | 政治
 コロナ騒ぎにまぎれて国会ではいろいろと策動している気配がある。日本文化と日本国家の根源を脅かすような法律をこれ以上国会で通させてはならない。

そのうちに天皇陛下が新嘗祭でお食べになるお米や、伊勢神宮をはじめとした全国の神社でお供えするお米も、外資の種子会社から購入した種子でないと法律違反になることになりかねない。

そうだよなあ。農産物の種というのは、たしかに大市場に違いない。そのうちに旧モンサント系の企業に官僚が天下りすることになるのだろうか。頼むぜ文春、日刊ゲンダイというところである。まったく、愚かな官僚には右も左も怒るべきなのだ。

「…種子の開発にはお金と時間がかかるため、資金力のある企業でなければ参入が難しい。企業は数えるほどとなり、お米の値段は企業の思いひとつで上げられてしまう。多様な品種はみるみる淘汰されるだろう。」(36ページより)

あとは、最近書店の店頭にこの本を見かけなくなった。一冊買いながらこれを平積みにしてくれ、とU堂で言ったのに、ひと月経っても反応が無かった。あとは、『暴走する能力主義』(ちくま新書)も無かった。これも現体制のあり方に対して強い警鐘を鳴らしている書物である。

ついでに、平成天皇と安倍首相との角逐をわかりやすく描出してみせたのは、菅孝行著『三島由紀夫と天皇』(平凡社新書)である。これは三島ぎらいの人にも薦められる。

水道法 感想 

2018年12月08日 | 政治
 4日に水道法の改正案が参院を通過した。入管法の攻防の陰になってしまったが、こちらも大きな問題である。もしも大きな災害があった時に、民間業者は、値段に転嫁しないかたちできちんと元通りに水道というインフラを回復できるのだろうか。

 先の種子法廃止といい、日本の国益の根幹を損う政策を次々と打ち出していっている安部政権というのは、いったい誰の味方なのだろうか。

☆ 2月15日に追記。 その後「毎日新聞」の2月13日のオピニオンで、

宮城県知事 村井義浩、
東洋大教授 根本祐二、
水ジャーナリスト 橋本淳司

の三氏による意見を読んだ。今後水道法について議論する時には、いい叩き台になる紙面構成である。
安部首相に提案・進言したのは村井義浩である、ということだ。「宮城モデル」が実験の先鞭をなすと言っている。

〇 改正水道法が外資の食い物にならなければいいが、と国会で心配していたのは、山本太郎である。
村井氏は楽観的にすぎるのではないか。もしくは自分の現場のことだけしか視野に入っていないので
はないか。私の近所では、社民党の議員が水道法を問題にして活動をはじめている。事後の反対、と
いう感じがしないでもないが、廃止された種子法も含めて、言い続けることは大事だろう。政権がか
われば、元に戻すこともできるかもしれないし。

〇 水道に関しては、名著『日本のリアル』(PHP新書)のなかで養老孟司と対談している畠山重篤のよ
うな人の意見も私は聞いてみたい。この対談で畠山氏が示唆していることは、ダムと水道をセット
にする考え方の変更である。

この本には、衝撃的な記述があった。

「実は、昨年、とんでもないものを見ました。世界遺産の白神山地に行ったのですが、あそこの岩木
川をずっと遡っていくと、だんだんブナが多くなって、ああ、きれいだなと思ってさらに進んでいく
と、その奥の方で津軽ダムという巨大なダムをつくっているんです。白神山地の喉仏にあたるような
場所にです。
 白神山地は世界遺産として守ると言いつつ、その奥ではダムをつくって森の養分を止めてしまう。
この国はそういう国だったのかと思いました。」(132ページ)

 植物は窒素やリンを取り込むために、微量の鉄分を必要としている。山の枯葉は、その腐食する過程でフルボ酸を生み、それが鉄イオンと結びついてフルボ酸鉄となった時に植物が鉄を吸収しやすくなる。
それをダムでせきとめてしまうと、そこから下に山の栄養分がいかなくなる。これは海も同じで、ダム
が川にあると、海に山の栄養分がいかなくなる。

 上流のダムは、山を栄養不足にし、海も栄養不足にする。小田原では1954 年まで年間60 万匹もとれ
たブリが、いまは年間に600匹しかとれない。「なぜかというと、丹沢の川から相模湾に流れ込む三本
の川がすべてダムで止められてしまったからです。」

 


ポイント還元 感想

2018年11月23日 | 政治
素人の直観だが、私は今回の消費税増税に伴う安倍政権のポイント還元政策はあぶないと思う。先だってのビット・コイン騒ぎを見ていても、デジタル決済のシステムには種々の不備がある。これを一億人相手に国家が胴元になって行うというのは、危険だ。私は、詐欺師が世界中から結集して来るのではないかと思う。これは、もしかしたら国家財政に致命的な打撃を与えるかもしれない政策ではないだろうか。

雑感 文末に堀合昇平の歌を紹介

2018年11月17日 | 政治
※ 知人がやっている雑誌に2015年11月に出した文章が出て来た。けっこう今でも通用しそうな内容だからアップする。先日〇〇党の議員が駅頭で、ТPP条約への批准を今後もアメリカに促していきたいと演説していたが、一種の不平等条約であるТPP条約をおめおめと推進しようなどと言っていること自体が、オメデタイ脳味噌の持ち主であることを暴露している。〇〇党の不勉強な県議レベルは、だいたいこういうのが多い。

 雑感  
                     
 いま日本の国が置かれている危機的な状況について理解するための、もっともわかりやすい本を紹介するとしたら、私はためらいなく堤美香の本をあげるだろう。食べ物については『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)を、医療制度については『沈みゆく大国アメリカ<逃げ切れ!日本の医療>』(集英社新書)がいいと思う。先頃のТPP交渉のニュースを見るたびにいつも頭に思い浮かんだのは、『(株)貧困大国アメリカ』に掲載されていた薬でふとらされた鶏の写真であり、抗生物質がきかなくなった豚肉生産農家の農民の証言だった。

 私は最近になって、発泡酒や第三のビールの原料に遺伝子組み換えのトウモロコシが使われていることを知って驚いた。各社がそういう原料を使用しはじめたのは、今年のはじめ頃からだというが、知らないうちに何という事をしてくれたのかと思う。価格の高い従来のビールでは、非組み換えのトウモロコシ由来の原料を用いているということだが、当然だろう。それとても、元々五パーセントまでなら遺伝子組み換えのものの混入が認められているのだそうである。

 遺伝子組み換えの農作物は、発がんリスクが高いと言われている。さらにまた、遺伝子組み換えのトウモロコシは、家畜の餌に使用されている。だから、アメリカ産の肉をやめて国産にしたとしても、その肉の生産者がどういう飼料を使っているかによって危険性は変わって来る。

 だから、生産者の顔が見えない製品は、今後ますます危険性が増すということである。逆に言うと、そこに農業・畜産業の未来の可能性はある。とは言え、ТPP交渉の内容について、それがもたらす影響について、今後とも注視し続ける必要はあるのである。

 私は今年の一月から一年間、砂子屋書房のホームページで「今日のクオリア」という原稿を書いて来た。その中でТPPについての歌として、池本一郎の次の作品を取り上げた。

 ちちんぷいぷい 何の呪文でありしかなТPPを見ざる日はなく

    池本一郎『萱鳴り』(2013年)より

 <「ТPPを見ざる日はなく」という下句は、「ТPP」という言葉を新聞やテレビの上で、ということだろう。この作者の歌には、飄々としたユーモアが感じられて、いつも楽しくページをめくることができる。ジャーナリストの堤美果の本などを読めば、現在日本人が置かれている状況は、長新太作の絵本『ブタヤマさんたらブタヤマさん』の主人公のようなものだということがわかる。
 この本についての出版社の紹介文を引くと、「ブタヤマさんは、ちょうとりに夢中。うしろからおばけや、大きなイカやヘビなどが呼びかけても知らん顔。ちょっとこわいが楽しいお話。」とあって、河合隼雄が最終講義で引いているのをテレビで見て以来、私はこの絵本が恐るべき傑作だと思うようになった。> と書いた。

 その文末には、やや不謹慎な冗談として、
<さて、「ちちんぷいぷい」と言って退散しないお化けをどうしたものか。ゲームに移し替えて、ゼロ戦で撃ち落とすのもいいかもしれない。>
などと余計なことを書いてしまった。「ゼロ戦で撃ち落とす」という時代錯誤なことを書いたのは、戦争末期に進化したアメリカのグラマン戦闘機の餌食となってやられてしまったゼロ戦のイメージを重ねたのであるが、秘密の交渉の蓋をあけてみると、やっぱり相当にやられてしまっているのは、最近のニュースによっても明らかである。「ちちんぷいぷい 何の呪文でありしかな」とは、まったくぴったりの言葉であったのだ。後日著者より葉書が来て、私ら農民にはТPPなどど言われても本当に何のことやらわからないのです、とあった。そういうダマクラカシの法案なり、「閣議決定」なりが、ここ数年多すぎる。

 安保法案についての議論で世間が騒がしかった頃、労働者派遣法の改正案が国会を通過していた。ニュース解説では、「事実上、人を入れ替えれば企業が派遣をずっと使える仕組みに変わる。背景には多様な働き方を広げようという政府の考えがあるが、逆に不安定雇用が広がるという指摘もある。」(「朝日新聞」)とあるが、長期にわたってボディーブローのように効いて来る点では、ТPP交渉の結果以上のものがある。

 ここ数年の間の若い労働者の現場の苦難を詠んだ歌集としては、堀合昇平の『提案前夜』(二〇一三年 書肆侃侃房・新鋭短歌シリーズ)が印象的だったが、知らない人もいると思うのでここに紹介しておきたい。著者は一九七五年神奈川県生まれ。「詩歌句」のホームページ掲載作品から。

原色のネオンに染まりゆく街で遠吠えの衝動をおさえつつ
試せども試せども不敵の笑みはうまく浮かばず 待ち人がくる
生垣の隙間にみえる裏庭に野ざらしで立つぶらさがり健康器
眠れずにきつく閉じれば明け方のまぶたのうらに何も映らず
脱衣所のうす暗がりに浮かんでは消える充電ランプのひかり


『ファウスト』から

2017年10月28日 | 政治
 いつだったか、Yさんの作品に出典のわからない箴言が引かれているから、これは何だろうとご本人に言ったら、『ファウスト』ですよ、と言って一瞬だけれども憐れむような表情をされたような気がした。それではずかしかったから時々めくってみるのだが、いまさら通読する気はまったく起きないので、気に入ったところだけ斜め読みしては放り出している。いま手元には、昭和四十七年の新潮文庫があるが、その時代に購入していまだに読み終えていないのだから、読めないのにも年季が入っている。昔の文庫本だから字が小さくてますます読みにくい。けれども、折に触れて拡げてみると、まことにその時にぴったりという一節が目に入って来たりするのが、古典というもののいいところである。今目に飛び込んできた一節を引いてみることにしよう。


牡猿(おすざる) 

 どうか一つ賽(さい)を振って、
 金持にして下さいまし。
 一儲けさせて下さいまし。
 近頃どうもさっぱりでして。
 持つものを持っていれば、
 私だって棄てたもんじゃない。

メフィストーフェレス

 猿に冨くじが買えたなら、
 猿もわが身を仕合せと思うだろうが。

(その間、子猿は一つの大きな球で遊んでいたが、それを前に押し出してくる)

牡猿

 これが世界さ、
 上がったり下がったり、
 いつもぐるぐる回っている。
 音は硝子のようで
 すぐにこわれる。
 中はがらんどう。
 ここはよく光っている、
 こっちはもっと光っている。
 球は生きている。
 子猿どもよ、
 離れていろよ。
 いのちが危ない。
 この球は土製で、
 こわれるとかけらが散る。

メフィストーフェレス

 あの篩(ふるい)は何に使うんだ。

牡猿 (篩を取下ろし)

 泥棒の正体を見破る
 役をするのです。
 
(牝猿の所へ行き、透かして覗かせる。)

 透かして見てごらん。
 泥棒がわかっても、
 名前は言わないことだな。

メフィストーフェレス

(かまどへ近寄り)

 さてこの鍋は。

牡猿と牝猿

 うかつなお方だ。
 この鍋をご存知ないとは。
 この釜をご存知ないとは。 


 …この一節を今度の選挙で魔女の竈で煮られた方々に捧げたい。茶番に付き合わされた者の一人として、多少は何か言ってみたいので、ゲーテの詞藻をかりることにした。

新潮文庫『ファウスト 第一部』「魔女の厨」の章より 高橋義孝訳

 ※これは、しばらく消していたのだが、佐川氏辞任のニュースをみているうちに思い出して、復活させることにした。